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**本が好き**

2021.01.17

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2020 PHP文芸文庫

知識の源となり、ひととして生きていくための、すべての素地を作るものである活字。空想の世界に遊び、疲れた時の癒やしとなり、孤独なときは友となってくれる、書物。
それを集め並べ、人々に手渡すための場所――書店。(p,104)

本と本屋さんへの深い愛情を感じる一冊だ。
本屋大賞にノミネートされた『桜風堂ものがたり』の続編だから、前作から続けて読んでほしいとも思うけど、この本だけでも十分に楽しめる。
2018年に発行された単行本は、特に好きな終章ばかりを何度も読んだのだけれども、文庫化されたことをきっかけに改めて最初からじっくりと読み直した。

最寄駅から山道を徒歩30分ぐらいのところにある、かつての観光地。
温泉もある。観光ホテルもある。
昭和の終わりの方の時代に旅館はなくなってしまって、忘れ去られようとしているような小さな田舎町。
そこに昔からある一つの町の本屋さんが舞台だ。
一度は店主の急な体調不良のために、消えてしまいそうになっていた本屋さんの名前を桜風堂という。

その本屋さんが大きな危機を乗り越えるところは、前作に描かれている。
危機を乗り切ることができたのは、とても奇跡的なことだったと思うのだ。
でも、大事なことはめでたしめでたしのその後の毎日を、いかに生き延びるか。
なにしろ、今の日本では、本屋さんを取り巻く状況はとても厳しくて、毎日のように本屋さんが閉店していっているのだから。
その上、今、この2021年の1月は、昨年に続いてCovid-19が流行しており、本屋さんだけではなく、飲食店やホテルや…これまでの馴染みのお店が閉じて行っている。

自分は無力だと思う。大切にしていたものがみんな消えて行き、流れ去ってしまい、それを食い止めようとしても、とどめるだけの力を持たない。(p.234)

こんな無力感に襲われることもしばしばある。
このCovid-19が終息したとき、自分や家族や大切な人たちが誰一人として欠けることなく生きていられるのかも心配になることがあるが、どれだけのお気に入りのお店が生き残っているのだろうと悲しくなったり、切なくなったりする。
それは私だけのことではないだろう。

そういう御時世だからこそ、桜風堂に訪れる幸せな奇跡の物語に心を慰められた。
人の好意や熱意や祈りが、一つ一つはささやかなものであるけれど、重なりあい、組み合わさった時に、大きなうねりとなって流れ出すことがある。
その流れを感じることに、慰められたのだと思う。

「遠いお伽話」が、ほんとに遠い遠い過去のものになりつつあるのを感じる一年だった。
馴染んだものや思い入れのあるが姿を消していくことに、削られるような思いをした人も多かろう。
最前線で病と戦うわけではなくとも、感染症という目に見えない敵に対して不安を抱え続ける戦いを続けるには、心や魂に滋養が必要である。
それがエンターテイメントの効用であるように思う。アートの力であるように思う。

まだ世界は終わっていないのだから。
不安に押しつぶされそうになったり、絶望に飲み込まれそうになったり、知らぬ間に疲労消耗していた時にはファンタジーの魔法を思い出してほしい。
そして、「地球は揺り籠のように、たくさんの命の思い出を抱いて、宇宙を巡ってゆく」(p.322)。
今日も。明日も。

2020.01.27

イマジン?

有川ひろ 2020 幻冬舎

久しぶりの有川作品。
単行本を1日1章ずつぐらいのつもりで、ゆっくりと読んだ。
少し前なら徹夜してでも一気読みしていたかもしれないが、今回はゆっくりゆっくり。
それは、私の体力や集中力がいまいちというだけではなくて、急いで読むのがもったいなかったのだ。
というのも、これは、長年のファンにはたまらない作品だと思ったから。

主人公は、良井良助。
別府出身。子どもの頃に観た映画『ゴジラvsスペースゴジラ』をきっかけに、映画・映像を作る側になることに憧れて育った。
今は、新宿でゴジラのディスプレイに見下ろされながら、チラシを配っている。
そんな良助が、制作という仕事の現場で成長していく物語だ。

雑誌掲載時に評判を聞いたようなうっすらとした記憶はあったが、前情報ゼロに近い状態で読み始めた。
そして、非常に興奮した。
だってですよ。第一章のタイトルは、『天翔ける広報室』。このタイトルだけで、一気にテンションがあがらないわけがない。
あの作品を思い出すタイトルで、原作のあるドラマを撮影する現場に、良助は関わることになるのだ。

ドラマや映画の裏方の一部である、制作。ロジスティックスを担当する雑用というか、隙間産業というか、土台を支える部門。
私は映像の裏方の役割分担をよく知らないので、職業ものとして楽しむこともできたが、それ以上に、あのドラマやあの映画の裏側ではこういうことがあったんだろうなぁという想像につながって楽しかった。
ファンサービスではないと思うのだけども、これまで映像化されてきた有川作品が、どれだけ大事に作られてきたかを教えてくれる物語だと思ったのだ。
これはあの時のとか、きっとあの作品でとか、それぞれの映像が目に浮かぶようだった。
あのドラマやあの映画の、キャストやモデルになった人たちと再び出会えたような嬉しい読書となった。

私にとってはファンサービスをいただくような贅沢な一冊であったが、もしかしたら、違うかもしれないけれど、映像化されるたびに現れるアンチな人への抗議のようにも感じた。
ここまで大事に大事に作られているものを、知りもしないで、観もしないうちから、否定するのか。
そんな風に、作る側に立つと、感じるのではないだろうか。
もちろん、多くの人にとって残念なケースというのもあるかもしれないが、それでも、大事に大事に作られたものだとしたら、一緒に盛り上げるのがファンの心意気のように思ったりもするのだ。
どうせなら、映像化されたものが盛り上がって、新たに原作を手に取る人が増えて、本と本屋さんが喜ぶような循環があるほうが、私は嬉しいなぁ。

有川浩さんが、有川ひろさんになった、第一弾。
それは、有川浩さん時代の作品で、映像化された小説たちのオマージュがいっぱいの作品で、きっとこれも愛される小説になる。
良助や、良助と一緒に仕事をする仲間たちが、魅力的な人揃いなのだ。上司たちも素敵だし、同僚も有能だし、そこで一生懸命に頑張る良助の姿は、なんといっても応援したくなる。仕事も、恋も。
この作品を入口として、有川ワールドにはまる人も、きっといると思う。はまってから、追いかけているうちに、後で映像を見て、えーっ!?と驚くのも楽しいだろうなぁ。

あー。面白かった!

2018.07.18

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2018 PHP研究所

世界を見守る優しい精霊が紡いだような物語だ。
老いと死を見つめる人だけが持つ、どこか現世を遠くから見つめるような気配。
精霊は時々、猫の形をしているのだと思う。

主人公の一整は、働きなれた職場を離れざるを得なくなった後、桜風堂書店という小さな田舎町の古い書店に出会い、その書店と共に息を吹き返した。
そんな「桜風堂ものがたり」の幸せなその後を描く。

私は『桜風堂ものがたり』と『星をつなぐ手』のどちらも、単なる職業小説、お仕事小説のくくりに入れることはできない。
書店や出版の業界は、移り変わる時世の影響を厳しく受けている。
その業界にあって、本という星の光を守っている人たちがいる。

言葉こそ、世界の闇を照らす星だ。
その文字に込められた想いが輝く星になる。
人から人へ、人の手を経て届けられ繋がる星の光。
いつか自分が死んだ後までも輝き続ける星になる。

頑張るものには、もっともっと幸せになってもらいたい。
昔ながらのよきものが消えずに残り、弱いものは守られ、若い者は育ち、傷ついた者は癒され、年を取る者は賢く敬われ、得るべきもの手に入れ、あるべきところに収まるように。
そんな当たり前にあってほしいことが、今はとても難しい時代に生きているから、切なくも幸せな気持ちになった。

『桜風堂ものがたり』『コンビニたそがれ堂:祝福の庭』『百貨の魔法』『コンビニたそがれ堂:小鳥の手紙』と本作とを通じて、私が強く感じていることがある。
それは、作者が「終わりを見据えている感覚」だ。
主人公の成長物語であるのだが、その主人公を見守り、手助けする年長者たちの物語である。
自分の人生のピークは過ぎたかもしれないが、まだ少しだけ、誰かのために何かできる幸せがそこにすくいあげられているのだ。
私のように自分の子どもを持つことはなかった登場人物たちも、誰かに何を残し、教え、育て、守ることができる。
そこに、私はとても救いを感じた。自分自身が救われるような気持ちになった。
そういう意味で、これは若い人のみならず、人生の午後3時を過ぎた人間の物語だ。

物語というものは、古来、魔法を持ち合わせていた。
傷つき弱り迷った人の心に寄り添い、いたわり、慰め、励まし、力づける、物語の原初の魔法を感じてもらいたい。
ティッシュは箱で用意することをおすすめする。

 *****

書籍の出版に先駆けて、原稿を読む機会を得た。
この本が数多くの人の心に魔法をかけてほしいことを願い、先駆けてレビューを公開する。
ネタバレにはなってないはず。

2016.11.07

桜風堂ものがたり

村山早紀 2016 PHP研究所

一人の青年が、自分の居場所を見つける物語である。
保護者に傷つけられた少年や、捨てられた仔猫や、飼い主が先に逝ってしまったオウムも一緒になって。
寂れていく小さな町で、継ぎ手のないまま灯火を消そうとしていた本屋が息を吹き返すために。
子どものころに傷ついたままの心を抱えたまま、踏み出せなかった足を踏み出す。

一冊の本を、いろいろな人が売り出そうとする物語でもある。
その本に可能性を見出した書店員がおり、その書店には同僚や上司がおり、それぞれに家族や友人達がおり、書店がテナントとして入っているビルの人々や、そのビルのある町に人々がいる。
書店員同士にもまたネットワークがあって、連帯感があって、書店という垣根を越えて繋がっていく。
また、作家がおり、その作家の家族がおり、作家が前職で関わった人たちがおり、本を出すために関わったたくさんの人たちがいるのだ。
誰も抗うことも、止めることもできない、大きな大きな波が、ほんの小さな努力の積み重ねで生まれていく。
ことが動き出していこうとする時の高揚感はたまらなかった。

人々は、正義感を気取った暴力的な悪意で連帯することもあるが、奇跡のような素敵なことを成し遂げるために連帯することもできる。
前者では涙が流れるほど心を揺さぶられることはない。
そこにあるのは、意地悪なにやにや笑いや、さげずみのまなざしや、人を傷つける言葉だ。
被害者が加害者に対して迫害者になることがあるが、そこに無関係な善意と正義をふりかざす無知な第三者が尻馬に乗って登場することに、SNSは拍車をかけている。
この現象がメディアからますます中立性を失わせているように思う昨今であるが、匿名性の弊害の部分であり、想像力の欠如がいかに人を残酷にするかを示す。
これでは、泣くとしたら、悲しみの涙しか、私は思い浮かばない。
後者だからこそ、涙が溢れる。
悲しい涙ではない。だが、心を揺さぶられると、言葉にならない想いが涙になる。
胸が温まるような、慰められるような、励まされるような、自然とにじみ、溢れる涙もあるということ。

そこには祈りがあるから。
この本を一人でも多くの人に届けたいという祈りだったり。
本と本を売る場が、この世界から消えてほしくないという祈りだったり。
過去から悔やみ続けていたことを、ほんの少しでも許されたいという祈りだったり。
大事な人が、ほんの少し、笑顔であってほしいという祈りだったり。
居場所を守りたいという祈り。誰かを守ってあげたいという祈り。
誰もが、幸せになっていいのだから。

そんな風に、途中からは涙が止まらなくなるほど、胸が揺さぶられる物語だった。
主人公は表紙に描かれている月原青年であるが、群像劇になっている。
幾人もの、多かれ少なかれ傷つきを抱いていた人たちが一歩を踏み出す、とても素敵な物語になっている。現実に、傷ついたことのない人なんていないわけだしね。
しっかりものの渚砂も、不器用ものの苑絵も、どちらも愛しくて、かわいい。
店長や副店長、某女優など、大人たちの頼もしさもかっこいい。
百貨店の、名前は出てこないけれども、さらりと自分の仕事をこともなげにやってみせるスタッフ達が、とてもかっこいい。

こういう小説を読むと、何度でも思う。
自分も大人として、小さいもの達を、少しでも守ったり、支えたり、励ましたり、慰めたり、どうしても必要な時には叱ったり、していけたらいいな、と。
プロとして、さらりと仕事をしていけたらいいな。

もうひとつ、私にとって面白かったことを書いておきたい。
複数の書店員が同じ本について、POPを書いたり、帯を考えたりする時に、ピックアップする言葉が違うということだ。
その言葉をつなぎ合わせることで、『四月の魚』という物語中の本の内容を察することができる仕掛けだ。
きっとこの『桜風堂ものがたり』について、多くの人が感想を書くと思うのだが、その感想がひとつとして同じではないことを、許されているような気がした。
この作者さんは、感想の正解がひとつではないこと、むしろ、正解なんてないことを前提にしていらっしゃるんじゃないかと思った。
人によって惹かれる言葉が違っているのは当たり前だし、好きな場面や登場人物もそれぞれなわけだし、きっと、さまざまな感想がSNSの世界で花開く。
多様であることが当たり前のように前提にされていて、なんだか、とても嬉しくなったのだ。

子どもの頃から、寄り道するといえば本屋さんだった。
大人になってからも、寄り道するなら本屋さんが一番だ。
だが、街中から本屋さんが少しずつ姿を消していっている。
そんな状況が垣間見える小説は、これまでもいくつか読んだことがある。
大崎梢さんの『成風堂書店』シリーズもあった。
有川浩さんの『三匹のおっさん』にも万引きの場面が出てくる。
友人が書店員をしていた頃にも色々聞いたけど。
私には、本と本屋さんは不可欠なのだ。
この本は、旅先で買ったけど、やっぱり最寄の本屋さんで買いたかったなぁ。

2013.04.19

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

ウンベルト・エーコ ジャン=クロード・カリエール
工藤妙子(訳) 2010 阪急コミュニケーションズ

自分自身の中にフィルターがある。
私はすべてを記憶することはできない。
まず、すべての情報にふれることができない。
それらを、記銘することができない。
記銘した記憶のすべて想起することができない。
そして、記銘できていたはずのことさえ、人は忘却していく。
その限られた記憶力の中で、必要なものや好ましいものを選び残していくためのフィルターを用いている。

エーコとカリエールという、文筆家であると同時に稀覯本収集家である2人の、老練で諧謔あふれる対談だ。
書籍自体が美しい装丁で、見つけ、手に取り、そのまま、カウンターに持っていって購入した。
日本の携帯小説まで話題に出てくる。グーテンベルグの聖書や『アエネーイス』やシェイクスピアに並んで。
本について、図書館について、文化について、言葉や文字について、知について。
さまざまな人物名、書籍、引用。その知識の豊富さと、感性の洗練さと、思考の明瞭さ。
対談であることと、読みやすい訳であることで、専門書とかまえることなく、知性にうっとりと酔うことができる。

未来を確実に言い当てることは難しいという認識の上に、膨大な過去を集積し、その過去には空白があることまでも踏まえ、「問題はむしろ現在の不安定さ」(p.90)と指摘する。
自分が研究者を目指していた短い時期に、一つの主題について調べようとしたら、情報が無限にあることにめまいがした。
それを集める財力、読みこなす時間と体力と記憶力、言語の限界。理解したと思った瞬間には、次にはもう新たな知が生み出されている。自分の知らないことを知らざるをえない。
私が感じためまいを、この巨匠達2人+αも、当然のこととして語っていることに、ほっとした。

この2人は2人とも、人間の愚かしさに興味を持っているのだそうだ。
馬鹿と間抜けと阿呆を区別するくだり、声を立てて笑いながら読んだ。
「人間は半分天才で半分馬鹿」(p.299)と、自分自身の愚かさも踏まえつつ語り合うところは、かっこいい。
読むことと書くことと。憶えることと忘れること。信じることと疑うこと。
決して楽観的にはなりきらない。炎による検閲を意識しながら、言葉はくりだされる。西欧の文明そのものへの批判も、舌鋒鋭い。
彼らの言葉は非常に懐が深かった。本への愛情は、人間そのものへの好奇心の一形態と思った。

本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。その点をはっきりさせておくのは素晴らしいことですね。本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないのかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。(p.382)

これもまた、積読本の山を抱えている私をほっとさせてくれた言葉である。
よっしゃ。積むぞー。

2008.10.07

本からはじまる物語

本からはじまる物語  恩田陸・本多孝好・今江祥智・二階堂黎人・阿刀田高・いしいしんじ・柴崎友香・朱川湊人・篠田節子・山本一力・大道珠貴・市川拓司・山崎洋子・有栖川有栖・梨木香歩・石田衣良・内海隆一郎・三崎亜記 2007 メディアパル

なんてまあ、豪華な執筆陣。
梨木香歩や恩田陸の名前もあるし、友人の勧めもあって購入。
真っ先に梨木香歩「本棚にならぶ」を読んだら、ひどくぞっとしてしまった。これは怖い。視力を失うことを子どものときから恐れていたせいか、なんだか無性に怖かった。梨木さんの新たな面を発見した感じだ。

そこから最初の恩田陸「飛び出す、絵本」に戻り、順番に読んでいった。
どれもが、本を題材に取り上げるか、本屋を舞台にしているか。そのため、書店員の仕事振りがのぞかれるものも多いし、名作を上手にパロディにしているものもある。作家の本というものへの思い入れを感じさせられることが多い。
また、相性のよさを感じる作家と出会うこともあれば、残念ながらそれほどでもない作家と出会うこともあり、普段は読みなれていない作家との新しい出会いがあるのが、こういうアンソロジーだ。

恩田陸「飛び出す、絵本」では、大好きな絵本が出てきて嬉しかった。品のよい子も、やんちゃな奴も大好きだ。
本多孝好「十一月の約束」や阿刀田高「本屋の魔法使い」は好きな系統。いしいしんじ「サラマンダー」や静かに感動する。市川拓司「さよならのかわりに」や内藤隆一郎「生きてきた証に」では思わず涙ぐんだ。
今江祥智「招き猫異譚」は、もりみーの京都と地平の繋がっている世界だ。本屋さんにみつくろいをしてもらえる体験に、うんうんと頷いた。朱川湊人「読書家ロップ」と並び、猫好きには嬉しくなる。山本一力「閻魔堂の虹」も、本屋の店番に猫が出てきた。
二階堂黎人「白ヒゲの紳士」や山崎洋子「メッセージ」は、本屋さんを舞台にした、ちょっとしたミステリ。大崎梢を思い出す。
柴崎友香「世界の片隅で」、石田衣良「23時のブックストア」は、本屋さんならではの、書店員さんの仕事振りを覗く一編だ。
同じく本屋さんを舞台にしていても、篠田節子「バックヤード」に含まれるファンタジーはすごく素敵だった。
有栖川有栖「迷宮書房」もある種のファンタジーであり、本屋の猫の物語であり、上手なんだけれども、一発芸に近い感覚。
大道珠貴「気が向いたらおいでね」は、残念ながら私はあまり好みではなかったほう。
そして、最後の三崎亜記「The Book Day」は秀逸。冒頭の恩田陸とゆるかな一対をなしていると感じさせられる上、祈りを感じる。

どうして、こんなに本に惹かれるのだろう。
思えば、本は言葉によって綴られる。言葉にはどれだけ人の気持ちがこめられていることか。私が本に惹かれるのは、本を介して人に触れられるからだ。
ふと、本が貴い、愛しいものに思えて、閉じたこの本の表紙をそっと撫でた。

2008.09.24

平台がおまちかね

平台がおまちかね (創元クライム・クラブ)  大崎 梢 2008 東京創元社

口直しのコージー・ミステリ。
途中までミステリだということを忘れるぐらい、平和なミステリだった。
人が死なないところが、安心して読める。

今までの成風堂書店のシリーズではない、本だ。
といっても、舞台はやっぱり本屋さん。
今度は書店員ではなく、出版社営業(しかも新人)から見た本屋さん。
主人公が男性というところも、目新しい。

本屋さんにはダンピングもないし、返本というシステムもあるし、普通の小売とはちょっと違う。
客にしてみれば、どこで買っても同じ値段で同じ中身。
出版社の営業にしてみれば、どこで売れても、同じ値段で同じ一冊。
だけど、本を作るのも、売るのも、買うのも、もちろん、読むのも、人間なのだ。
店舗によって差別化しづらい商品をいかに売るか。書店員たちの力がなければ、本は売れない。
その書店員たちの力を引き出し、借り受けるのが、営業ということになるのだろう。

それにしても、個性的な営業の人たちが出てくる。
私が行きつけていた本屋さんにも、スタッフと客以外のいろいろな人たちが出入りしていたように思う。
どの人が書店関係なのか、出版社関係なのか、知らないけれど、ここまで個性的な人はいなかったような気がする……。
姿を変えつつ、著者と、著者と一緒に本を作っている人の、本への熱い気持ちが随所に込められていると感じた。
本好きの人向けというより、本に関わる仕事をしている人向けの本だった。

大きな本屋さんには大きな本屋さんには入り込んだらなかなか出られないダンジョンのような魅力(宝箱はいっぱいあるが失うものも多い…)があるし、ネット本屋さんには検索の手軽さや取り寄せの簡便さがある。
が、私は、やっぱり近所にあった行きなれた本屋さんの、顔見知りの店員さんたちの笑顔が懐かしい。
どこに何が置かれているか、客でもきちんと把握できるぐらいのサイズ。見つからなければ、本屋さんに取り寄せてもらえばいい。新着情報を耳打ちしてもらえるありがたさ。
そんな、行きつけの本屋さんがある日突然クローズする。あそこもなくなった。こっちもなくなった。そのときの寂しいような悲しいような悔しいような気持ちを思い出すエピソードもあった。

ネットの本屋さんは確かに便利だ。私も使う。首都圏や大都市部では大型の全国展開している本屋さんもあるだろう。
しかし、ネットの本屋さんを使うのは、世の中に本があることを知っており、自分が読みたい本を何かわかっている人ではないのか。
町中の、通りすがりの本屋さんは、いわば見本市の教育効果を担っている。
世の中に本というものがあり、本を読むという面白さがあるということを、新しい世代に、常に伝え続けていかなければ、読書という文化はますます縮小するだろう。
読書の文化の縮小は、識字能力を主として言語能力の必要性の低下であり、想像力や推理力、論理力、思考力の陶冶を放棄することに繋がる。

また、読みたい文章はネットで読むという人もいるだろう。
紙を用いるのと、電気を用いるのと、どちらがエコロジカルかは、私には判断できない。
だが、有料サイトもあるだろうが、文章を書くことによって得られる収入が確保されなくては、プロの書き手は育たなくなる。
アマチュアリズムが悪いわけではない。しかし、個人の書き手が個人だけで書く文章は、質を磨き、保つことが難しいと思う。
文章を書くこと自体も、知識と経験と感性とが必要な技能であるのだが、編集や校正というのは、知識と経験と感性が必要とされる専門的な技能だと思う。
そういったいくつもの他者の目や手を通さずに発信される文章は、もしかしたらもっと洗練される余地があったのに、もっと注目される価値があったのに、それらを得られなかった点で損をしているかもしれないではないか。

でも、図書館だってある。というのも、至極まともな意見だと思う。
現状として、図書館が手軽に利用できるかどうかは、地域によっても異なるのではないか。
生活圏と図書館の位置、自治体ごとの図書館の運営の方針や規模、生活時間帯と図書館開館時間帯などを考えていったとき、私はやっぱり本屋さんが便利なのだなー。
図書館にも、利用しなれている人としなれていない人の心理的な距離の差がある。
学校図書館で図書館を利用することを学習できていれば、心理的なアクセスのしやすさは向上すると思うが、現時点としては公立図書館を利用しようとする人は読書の文化をある程度有している人だと思う。
ましてや、図書館しか本を購買しないとなると、本の単価はあがり、出版社は立ち行かなくなるんじゃないか。(『図書館戦争』参考)

だから。
本屋さんが潰さないようにしようよー。
読書ってものをなくないようにしようよー。
私は面白い本を読み続けていきたいんだー。
本じゃなくても、違うものに置き換えてみても、文化を維持するのは実はユーザー一人一人だって気がするのだ。
ちょっと大げさに書いてみたが、日ごろ、私が思っていることと同じようなことが書かれていた一文を、下記に引用しておく。

本を読む人というのは、見方によっては、とてもわがままだとも言えるのではないか。
この本の主人公の井辻君は、一冊の本が気に入ると、その世界にのめりこんでしまう癖がある。
心行くまでその世界に浸り、再読し、自分なりに世界を思い描く。そんな風に耽溺してしまう本を、主人公は「魂本」と名づける。
私も、本によるけれども、物語を読むと自然に映像が目の前に広がる。下手なイラストはいらない。マンガ化、アニメ化、映画化には警戒心が働く。
私だけの物語世界を壊されたくないという思いを抱くような魂本を、本好きならいくつか持っているものではないか。
文章だけの、文字だけの表現だからこそ、読み手が自分の好きなように想像力を精一杯働かせる余地が大きくなるのだ。
その読みの多様性を許容する余地が、日によって、時によって、人によって、受け留めるものを変えてくれる。若いときに読んだ本を改めて読むと、初めて感動することがあるように。

最後の書き下ろしのエピソードで、成風堂の名前が出てきた。これは、きっと多絵ちゃんのことだ。私の知り合いの多絵ちゃんは元気にしているだろうか。
大崎さんの次の本は、このひつじ君の次の活躍になるのだろうか。また成風堂に戻るのか。舞台を本屋さんに限らないものを読んでみたい気もするけれど。

 ***

できるだけ身近に、歩いたり自転車に乗ったりすれば行けるような日常生活のそばになければ、人は本も本屋も忘れてしまう。本屋を知らずに育つ子どもが増えて、ますます本離れが進む。(p.177)

2007.07.17

サイン会はいかが?:成風堂書店事件メモ

サイン会はいかが? 成風堂書店事件メモ (創元推理文庫)  大崎 梢 2007 東京創元社

書店限定名探偵のシリーズ3作目。
2作目『晩夏に捧ぐ』は長編だったが、今度は短編集で、1作目の『配達あかずきん』の雰囲気が蘇る。
この作者は、やっぱり本屋さんを描くところで俄然活き活きする。2作目よりも好きかも。
特別付録「成風堂通信」まで読むことができて、ラッキーだった。

多絵ちゃんの出番は以前よりも劣る。その代わり、ほかの社員たちの登場が増え、キャラクターが立ってきた。
書店の日常で起きる事件は、名探偵ではなくとも、謎解きができるような出来事の積み重ねであることが多いだろう。
日常はそうでなくては困る。多絵ちゃんが、ちゃんと普通の子の扱いになった気がしてほっとした。

その中で、表題作の「サイン会はいかが?」は、やや長めで、謎解きの要素が強く、多絵ちゃんの出番もある。
サイン会は成風堂書店にとって史上初めてのイベントと、当の作家から依頼された人探し。
作家さんのサイン会って、行ったことがないなあ。違うサイン会なら……。
そういえば、世界三大紅葉樹というものがある。ニシキギ、スズランノキ、ニッサを指すが、これらの原産地からして北米で選ばれたものかもしれない。

苦痛を訴える人の訴えを取り合わない。そのことが暴力になるときがある。
取り合わなかった人は暴力を振るっている自覚はないかもしれない。
すると、その自覚のなさ、鈍感さが、暴力をますます強化するのだ。
『李陵』の中で司馬遷が「好人物ほど腹立たしいものはない」と嘆いた通りだ。
中島敦は、好人物は腹立たしくはあっても恨むに値しないと付け加えたけれども、暴力は常に禍根となる資格を有する。
嫌われるのでもなく、憎まれるのでもなく、恨まれる。

「バイト金森くんの告白」は可愛い小品だったし、「ヤギさんの忘れもの」も巻末でほっこりとさせてくれる。
冒頭の「取り寄せトラップ」は謎解きものとして前からの流れをそのまま受け継ぐ。

一番好きだったのは「君と語る永遠」かな。
こういうのに弱い。最後のほうは、泣きながら読む。
切なくて、ほろりとする、いい話でした。

ところで、家庭画報よりもゼクシィが重たいらしい。今度、本屋さんで持ち比べてみよう。

2007.07.08

晩夏に捧ぐ:成風堂書店事件メモ(出張編)

晩夏に捧ぐ<成風堂書店事件メモ・出張編> (ミステリ・フロンティア)  大崎 梢 2006 東京創元社

本屋に幽霊が出たら、それも売り物にしようよー。
と、幽霊よりもはるかに生きている人間のほうが怖いと思う私は、素敵な本屋さんには幽霊がいたって魅力の一つに変わってしまう気がする。
先日、「だって、見ず知らずの幽霊に恨まれる覚えなんてないもん」と言ったら、「向こうがそう思ってくれるかどうかは別なんだから」と上司に諭されたばかりだが。

前作『配達赤ずきん』の何が出てくるかわからない、わくわくする感じが少なくなったかな。
主人公の杏子&多絵の巻き込まれた事件に不自然さを感じた。冒頭のアリバイ証明のあたりの地に足をつけた書店員っぷりに比して、探偵として招聘されるくだりが居心地が悪くて、非日常の物語だと思ったた。
主人公達にとっても、普段の職場を離れた非日常で物語が進む。

おそらく、本屋さんで起きるような日常の小さな事件というのは、長編で語ることが難しいのだと思う。
長編で語るには、大きな事件を。いつもの職場で起きないのならば、ほかの場所で。
古い事件を組み込んだことは、上手だと思った。
司法をなるべく絡めないためには、時効が過ぎていたり、すでに判決が出ている出来事を設定しないといけない。つまり、犯罪は終わっているのだ。

とても魅力的な老舗の本屋さんや、おしゃれで大型の本屋さんが出てくる。
本を書く人、作る人、売る人、読む人と、それぞれ本が大好きな人たちが出てくる。
本に思い入れを持つ人たちがいるからこそ、私も読書の楽しみにふけることができるんだよなあ。
本屋さんを応援しなくちゃ~と、近所の本屋さんに交互に散在することにしている私の努力は微力であるが、そういう建前があってこそ思う存分、積読本の山を成長させられるのである。
すぐに手に入らなくなるから、目に付いたときに買わないと、二度と出会えなくなるのだもの。もう少し、一冊ずつをゆっくりと丁寧に扱う文化になってくれてもいいのに。
さて、次作はいつもの本屋さんに戻るようで、楽しみだ。

書名の明かされなかった多絵と杏子の出会いの本は、バーネットの小説で、メアリーとディコンとコリンが出てくるものじゃないかと推測。
映画化もされていますし、ターシャ・テューダーのイラストで出版されているものもある。
ロビンが可愛らしい、あの本だといいな。違うかな?

最後に。
PTSDの言葉が普及すると同時に、意味が拡散し、流行が過ぎつつあるように感じるが、トラウマティックな体験は暴き立てればいいというものではない。
さかしらげに内奥に踏み込んで、善意を振りかざして踏み荒らすような、想像力と共感性の欠如を、私は嫌う。
しかし、その体験したときには致命的なほどの記憶も、効力を失うことはある。
人は、変わることができるのだから。
今は難しいことも、いつか大丈夫になる。きっと大丈夫。そう信じている。

 ***

晩夏に捧ぐ (成風堂書店事件メモ(出張編)) (創元推理文庫) 晩夏に捧ぐ (成風堂書店事件メモ(出張編)) (創元推理文庫)

著者:大崎 梢
販売元:東京創元社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本、文庫化もされています。

2007.06.17

配達あかずきん:成風堂書店事件メモ

配達あかずきん (ミステリ・フロンティア)  大崎 梢 2006 東京創元社

行きつけの駅ビルの本屋さんを思い浮かべながら読んだ。
本好きさんのブログで見かけることが多かった本を、ようやく読むことができた。
本がいっぱい並んだ表紙が、物語の舞台を表している。面白いタイトルだ。

本屋さんのリアルなお仕事振りを背景に、本屋さんで本当に起こりそうな日常の事件が物語を作る。
中に出てくる本も出版社のわけ隔てなく、知っている本、好きな本が出てくると嬉しい。本好きには楽しくなる本だなあ。
登場するのも愛すべき人たちだ。舞台の本屋さんも素敵だけど、ハーレムのようにハンサムさんばかりの理容室も素敵だ。

『あさきゆめみし』には、高校の古典の授業を随分と助けてもらった。気づいたら、当たり前のように参考書として広まっていた。
『天の果て地の限り』という額田王を主人公にしたマンガを大和和紀は書いている。『あさきゆめみし』より前で、古典に題を置く試みとなったのかもしれない。私のお気に入りの一冊で、このマンガで憶えた和歌もいくつかある。もちろん、「あかねさす むらさきのゆきしめのゆき ~」の歌もだ。
山岸涼子『日出ずる処の天子』、神坂智子『T.E.ロレンス』など、古典や歴史の副読本に事欠かなかった。

『夏への扉』は、表紙の猫につられて買った。年数が経って、すっかりページが茶色くなってしまったが、読むたびに元気をもらう大好きな本だ。
ダヤンは、ちょっと苦手だなあ。
YONDA?のパンダは登場した瞬間にほれ込み、二年連続で全種集めたしおりを今も取っている。

本屋さんが大好きだ。
図書館も好きだが、本屋さんが大好きだ。
本棚を歩いていると、本の呼ぶ声が聞こえる。
その声に従って連れて帰った本は、はずれがない。
真新しい本をそうっと開くときの喜びは、なにものにも代えがたい。
ネットの本屋を使うことも増えたが、本の呼び声を聞きに本屋さんに行くことが好きだ。
実物の本を見ることで、今まで興味を持たなかった新しい世界との思いがけない出会いが増える。
本屋さんがない生活は考えられない。

Here is something you can do.

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