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香桑の近況

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エッセイ/ルポ

2018.04.25

となりのイスラム

内藤公典 2016 ミシマ社

世界の三大宗教のひとつ、イスラム教。
普通のイスラム教徒、敬虔なイスラム教徒である人たちとは、どんな人たちであるのか。
どんな風に考えていたり、どんな風に生活しているのか。
彼らの気になることはどんなことで、どんな風に接することが心遣いになるのか。
おどろおどろしいイスラム国の話ではなく、小難しいイスラム教の解説でもない。
わかりやすく、易しい言葉で書かれているので、読みやすい。
1500年の間、世界で16億人もの人々が信仰するイスラム教の豊かさを教えてくれる本だ。

著者がシリアやトルコへの留学を経て体験してきたイスラム世界を、イスラム教徒ではない目線で紹介している。
80年代のダマスカスなど、緑の溢れていたであろうオアシスの景色に泣きそうになった。
今は瓦礫になってしまったことを思うと、胸がつぶれそうに痛む。
遠来の人をもてなしていた人々が、多くは死に、その場を逃げ出した。
普通の人々が普通に暮らすことができないし、気楽な外国人が旅行することは難しい。
いつか訪ねたいと思っていた憧れの場所だったのに。

ヨーロッパ諸国で、どのようにして、普通のイスラム教徒が居場所を失っていったのか。
それを各国の事情ごとに解説してあり、非常に興味深かった。
否定されたことの反動形成として、アイデンティティの根拠として、より原理的なイスラム教に回帰していく。
その過程は、日本国内に住むコリアン系の人たちの世代ごとの違いを想起した。

彼らの思考や世界観の特徴には、見習うべき、参考になるところがいっぱいある。親近感もあった。
もちろん、自分のものとも、西洋のものとも違うところも随分ある。
それでも、知らないまま偏見と差別で憎悪を助長させるよりも、知ることでお互いを尊重できたら素敵だ。

私はイスラムご飯が好きで、以前、スーダンの人がしているケバブ屋をひいきにしていた。
とても知的に高い方たちで、感じがよくて、心から素敵な人たちだった。
彼らとの出会いが、私のなかのイスラムの人たちへのイメージを形作っている。
彼らのお店はお酒を置いていなかったので、以降、私は、お酒の置いていないお店は「敬虔なイスラムの人のお店」と表現するようになった。
その理由も、本書のハラールについての記述を読んでいただけば、了解してもらえると思う。

本屋さんで見かけて、気になり続けていた本である。この本を置いていた本屋さんのセンスがいい。
本屋は、こういう自分の興味関心に+αの部分の本と出合うことがあるから好きだ。
実を言うと、タイトルをうろ覚えで『となりのイスラムさん』だと勘違いしていた。
でも、イスラムさんとさん付けにしたくなるぐらい、フレンドリーな本だ。
イスラムの人たちに対してフレンドリーな文章であり、読み手にとってイスラムの人たちがフレンドリーになる。
高校生ぐらいの方たちでも十分に読みこなせる日本語であるから、手に取ってもらいたい。

2017.12.04

奇跡のリンゴ:「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

石川拓治 2013 幻冬舎

あー。このリンゴ、食べてみたいなぁ。
そんな気持ちでいっぱいになった。

もともとはNHKが「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組のために取材したことをベースにして書かれた本だ。
頭の中で、あの音楽やあのナレーション、テロップを追加しながら、読んでみたくなる。
なんとなく、番組として報道されているところが思い浮かぶような、景色や物事の描写が丁寧な記録だった。

リンゴは大量の農薬を必要とする農作物である。
たまたま木村秋則さんの奥さんが農薬を使うと気分が悪くなる人で、その奥さんが気分が悪くなるようなやり方はやめられないかという思い付きから始まったような試みだったという。
しかし、それだけ農薬が必要とされるのも理由があったわけで、そこから年単位で、極貧生活になりながらもあきらめきれない無農薬栽培との格闘が始まる。
格闘した相手が、農薬から病害虫被害になり、自然になり、人になり、やがては格闘そのものから解脱していく過程が圧巻だった。

それは解脱と言っていいのだと思う。
宗教的な悟りの域で、木村さんは人間と自然の対立を解消し、大きな自然の営みの中でリンゴを世話する自分という位置づけを見出していく。
彼の言葉、彼を取材しての筆者の言葉が力強いのは、苦しんで苦しんでおかしくなりそうな木村さんの人生に裏付けられているからだと思う。
Kindle版は、文中に何人の人がハイライトしたと傍線が引かれることがある。それがちょっとだけ、興ざめだった。
素敵な言葉がいっぱい詰まっているが、気に入った表現は自分で選びたいものである。

現在のようなリンゴに改良されてから、原種のリンゴがクラブアップルと呼ばれるようになったこと。
ヨーロッパでは加工品として食されることが好まれ、園芸改良品種が開発されたアメリカでは生食されることが好まれること。
アメリカでは丸かじりするが、日本では切り分けて食べるので、より大きく改良されたこと。
こういった、リンゴの歴史に触れられていることも、とても興味深かった。
ということは、日本でもお菓子に加工するなら紅玉が好まれるが、タルトタタンやアップルパイなども、作られた頃はクラブアップルが使われていたのだろうか、などと、想像が膨らむ。

おりしも、この本を読み終わった日に、長野の友人からリンゴがひと箱届いた。
農薬の使用を訪ねるような野暮はしない。ワックスがついておらず、樹上で熟して蜜がいっぱい詰まった、私には上等のリンゴである。
丁寧に育てられたリンゴである。育てた人の苦労に感謝しながら、いただこうと思った。

2017.10.27

Black Box

伊藤詩織 2017 文藝春秋

記者会見の場での彼女を見て、私は凛々しいと思った。
その勇気を称賛したいと思った。

「そこに血を残しなさい」

筆者がアメリカ留学中にホストマザーから受けた教えに、ぞっとした。
私が四半世紀前に読んだスーザン・エストリッチ『リアル・レイプ』(JICC出版局 1990)には、不正確な記憶であるかもしれないが、被害者が抵抗した証拠がなければ性交渉は合意と見なされることがしたためてあった。
銃で脅されていたとしても被害者が怪我をしておらず出血していなければ合意と見なされる理不尽さを訴える本だった。
あの時のうちのめされるような憤りと慄きが蘇った。
ぴたりと重なったと思った。

本書の内容には、大きく3つの要素がある。
ひとつめは、被害者がどのようにして被害に遭遇するか。
ふたつめは、被害状況直後からどのような症状や状態が出現するか。
みっつめは、被害者が必要なサポートにいかにつながりにくいか。
この三点を、被害者自身のまだ真新しい記憶に基づいて、体験を記述しているところで、広く読まれてほしい本である。
被害者の受けた傷がどれほど深刻で、後々までいかにダメージを与え続けるものであるか、これが一般常識になるように参考してもらいたい。
被害者が必要なサポートにつながりにくいところは、医療や司法の方はもちろん、自衛のために、知っておいてもらいたい部分である。

筆者のレイプの状況は、残念だがこういうことは女性に起こりうるものとして読んだ。
状況をこうして文章として再現することも、苦痛を伴う作業だったと思う。
何度、言葉にしたからといって、自分の中のその記憶を刺激するたびに、フラッシュバックも起きやすくなったことだろう。
勘違いしてならないのは、フラッシュバックというのは、ただ単に想起することではない。
あたかもその場その時に戻ったかのように、五感や感情のすべてで過去の体験を再体験することだ。
その時の恐怖心や不快感も丸のまま、ありありと蘇ってくる。直後で、おそらく未治療で、未回復であるなら、その苦痛はどれほどであるだろう。
その苦痛を耐えながら書かれた本だ。

被害者が恥ずかしいと思わなければならないことが間違っている。
性暴力被害にまつわる間違った言説は世の中にあふれている。
被害者が誘ったのではないか。被害者にはめられたのではないか。被害者が魅力的なことが悪い。
被害者も快感を感じたのではないか。女性は暴力的に扱われることを待ち望んでいるのではないか。してやったのだからありがたいと思え。
と、加害者に同情的で、被害者をかえって責めるような言葉はよく聞かれる。
そのうえで、「傷物になった」という言い方で、被害者の尊厳が永久に傷つけられたことを社会として承認し、被害者は傷つけられた者として恥じながら生きることを求められる。

正しい被害者像を演じなければ、同情すらしてもらえない。そんなおかしいことはない。
なぜなら、まじめでおとなしい、清楚で内気、そんな女性像こそ、「狙われやすい」対象だからである。
意地悪な言い方をすれば、性的に誘惑的ではない印象を与える被害者像を演じることによって、もっとも性被害にあいやすい女性として性的に誘惑させられることになる。
その点、同情しろというメッセージを発するのではなく、おかしいことはおかしいと声を上げる筆者の姿に、感銘を受け、称賛したいと思った。

筆者を含めた被害者が、二次的、三次的に、それ以上、傷つけられることのないように祈りたい。
筆者を含めた被害者の傷が、その傷跡は心の中で消えなくとも、生々しさが薄れて抱えやすいものとなるように祈りたい。
なによりも、このような被害を受ける人が減ることを、強く強く願いたい。

2017.07.22

桶川ストーカー殺人事件:遺言

清水 潔 2004 新潮文庫

ストーカー。

その言葉が人口に膾炙し、その被害の深刻さが知られるようになったのは、この事件が契機だったと思う。
この本を読むことで、面白おかしく描かれがちだったつきまとい被害が、どれだけ被害者と被害者の家族を苦しめるものであったか、わかる。
警察が怠慢をしたときにどんなことになってしまうかがわかる。マスコミが不誠実な報道をすると、被害者は二重三重の被害をさらに受けることになるかがわかる。
加害者には加害者の背景や理由があったのかもしれないが、主たる加害者は罰せられることも、捕まることもなく、自死していた。
記者がたどり着いたストーカーの張本人に警察はたどり着かなかったことは、警察が当初、この一件にとても誠実な対応をしたとはいえないことを示していた。
巻末には、被害者の父親の言葉も収められているから、本書に誇張がないことがわかる。裁判に至るまで、被害者が被害者として見なしてもらえないことには憤りやもどかしさを感じる。
強い強い怒りを感じて、読むことがつらくなったこともあった。

それでも、この本は読まなければならないと思った。
ずっと後回しにしていた。けれど、読まなくてはならない。
読まなければならない使命が、私にはある。
なぜならば、私はこの桶川ストーカー殺人事件の被害者の方に助けてもらったようなものだからだ。

どういう意味かというと、私個人の経験で申し訳ないが、ストーカー被害で警察に相談したことが、これまで2回ある。
2つの相談の間には年単位で時間が流れており、ストーカーは別の人物であるが、警察の対応はまったく違っていた。
最初は桶川以前であり、二回目は桶川以降、ストーカー防止法が成立以降であった。
さらに言えば、二回目は三鷹ストーカー殺人事件の直後であり、警察の対応はとてもとても手厚くてびっくりした。
最初の時は、説明するうちに、話を聞いてくださっていた警察の方が失笑する場面もあったのに。
2回目の問題がすみやかに解決したのは、ストーカー防止法に基づく警察の対応があったからであり、その法律が成立したのは先行する被害があったからだと思う。
だから、私はこの桶川ストーカー殺人事件の被害者の方に助けてもらったのだと思っている。

読み終えて、被害者の方に、助けてくださってありがとうございましたとつぶやいた。

2017.03.30

夫のちんぽが入らない

こだま 2017 扶桑社
書店で平積みされた本の書名が、一瞬わからなかった。
注意深く文字を探してみると、SNSで書名をよく見かけるようになった本だとわかった。
立ち読みする度胸はなかったので、そのまま買ってみることにした。これもなにかの御縁。
読み始めると、一気だった。
解決はない。対策はない。
こうすることしかできなかった苦闘の歴史があるだけだ。
こうせざるをえなかった血のにじむ格闘の記録だ。
ほかにやりようがあったのならば、ここまで悩むこともなかっただろう。
性交渉に苦痛が伴う場合や、結婚しても妊娠や出産しない場合、女性によってはこれほど苦しむこともあるのだと、率直に書かれている。
無責任な第三者だからこそ、ああすればこうすればと言うことは簡単であるが、当事者として行うことは、とても苦しくて難しいことを忘れずにおきたい。
読み手は、これが物語ではないことを、思い出すとよいのではないか。
書き手がどうやら器用な立ち回りができる方だとは思えず、まだまだ言葉になりきらない思いや体験もあったことだろう。
読み進めるにしたがって、徐々に夫婦のありようが歪になっていく様な気がして、夫の前に、自分自身が専門家に相談するという選択肢がなかったのだろうかと、残念な感じがした。
頑なに、頑なに、ますます解決から遠ざかっていくのを見守るしかないような残念な感じがした。
私にとって、決して読後感の気持ちよいものではなかった。
しかし、不器用に、頑なに、その人なりに取り組もうとしてきた格闘の歴史であると受け止めておきたい。
読み手が読後にどろどろした気分になったとしたら、この本の成功であると思うし、そのどろどろじくじくした感覚がこの書き手の普段の気分であるかもしれないなぁ。
これから読む方は、どうぞ御留意を。
それにしても、この書名は度胸があるなぁ……。

2017.01.14

大津中2いじめ自殺:学校はなぜ目を背けたのか 

共同通信大阪社会部 2013 PHP新書

読めば読むほど、腹が立って仕方なかった。
はらわたが煮えくり返るというか。
怒髪天を突くというか。
自分の中で、怒りがぐわぁっとこみ上げてくる。
読書でここまで腹が立つことって滅多にない。

いじめを苦にして自殺する子どものニュースは毎年のように報道される。
その中で、この件が特に記憶に残っているのは、ネットでの過激な反応と攻撃性の発露による。
匿名性を隠れ蓑にした個人がいじめ加害者と目される人物とその家族や学校関係者の個人情報の暴露が行い、それが無関係の別人にも及んだ。
鵜呑みにしたのか便乗したのか、教育長まで傷害事件の被害にあう。
単なる傍観者に過ぎないはずの第三者が、積極的に迫害者へと転じていった現象は、私は忘れられない。

その顛末もであるが、そもそも学校で何が起き、どうしてこうなったのか。
もう一度、全体を整理して見直したいと思い、購入したわけであるが、どこをどうとっても腹立たしく、やりきれない思いになる。
本書は直接的ないじめ加害者の分析ではなく、被害者が自殺にいたるまでに起きた学校での出来事や様子と、その後の学校の対応についての取材である。
これは意味が大きい。いじめは、数多くの傍観者によってエスカレートするが、この件では教職員が最大の傍観者となってしまった。
ひとつひとつが後手に回っていくもどかしさ。ここで誰かが気づいていれば。ここで誰かが声をかけていれば。ここで誰かが他の生徒に指導していれば。
ここで誰かが、この子を学校から避難させてあげることができれば。
誰も止めることがないまま心理的・身体的な暴力がエスカレートしていく過程は、結果が自殺と他殺の違いはあれど、川崎の中学生が殺害された事件と重なって見える。

大人は問題にしたくない時、平気で問題ないことにしてしまう。問題はなかったのが対策はないし、責任もない。そういう思考行動パターンをお役所仕事と呼ぶのではなかろうか。
担任の対応が不十分だったとしても、その人は異動したてであったという。新しい職場にすみやかに馴染めるかどうかは、人にもよるし、環境にもよる。その人が馴染むまで、十分なフォローを受けられなかったであろうことは、労働者として気の毒であったとは思う。
しかし、一番気の毒であったのは、亡くなった子である。そこを見失ってはならない。
そこを見失うから、その後の管理職らの対応がお粗末なものに「なれる」のだと思う。
保身や否認という態度は、自分のほうが可哀想という気持に裏打ちされていると考えるからである。

管理職を始めとする教員達が保身優先になったのは、ありがちであるとは思うし、その時の社会的な反響の大きさに対してますます防衛的になってしまったのかもしれない。
かといって肯定も受容も承認もできないが、ことに残念であったのはスクールカウンセラーの果たしてしまった役割である。

スクールカウンセラーは一般的にどのように考えられているかは横に置き、多くは週に1-2回、4-8時間程度の勤務であり、生徒や保護者との個別の面接や心理査定よりは、コンサルテーションを主として働かざるをえない職である。
相談室として個室をわりあてられているが、この時のスクールカウンセラーが職員室に机もあるというのが、よくあるパターンだと思う。
非常勤であるスクールカウンセラーは、まず教職員と日常的に交流をとることで教職員との信頼関係を築かなければならない。
教職員との交流を密にしないことには情報をもらいそこねることもあるし、まるで日常会話の一部のような肩肘をはらない形でのささやかな助言としてのコンサルテーションの積み重ねが、よく機能するスクールカウンセラーに必要なのだと思うのだが。
思うのだが、しかし。
確かに学校での滞在時間も短く、アクセス可能な情報には限りがあるとしても、もう少し生徒と関わることができていれば、自殺の原因は家庭であると、学校に保身の口実を与えずにすんだのではないかと残念に思う。
と同時に、これがスクールカウンセラーとして学校に入っていく心理士達にとって、大きな警句になると思うのだ。
誰のために、どんな仕事をするのか、自分なりに職務を見直してもらいたいと心から思った。

いじめはなくならないかもしれない。なくすことはありえないことかもしれない。
だとしたら尚更、いじめが発生した時の対応や工夫を磨くことが必要である。
なかったことにするのではなく。
その人の死から最大限に学びを得て、その死を無駄にしないことだけが、生きているものにできることなのだから、本書を読めてよかったと思う。

2017.01.10

最貧困女子

鈴木大介 2014 幻冬舎新書

女性の貧困を言われるようになったのは数年前。
くしくも、著者がとりあげたNHKの特集を私も見ていた。
その後、貧困女子という言葉でメディアやネットで取り上げられる人たちが貧困ではないと言わないが、どこか軽い。
そんなもんじゃないよ、という最貧困を見えるようにしようとしたのが、この本である。

相対的貧困層ではなく、絶対的な貧困層。
貧乏ではなく貧困。その区別に、なるほどと思った。
著者は伝え方の難しさを自覚している人で、貧困女子高生の報道に対して、著者は未成年をありのままに報道しすぎることへの批判を行っている(http://diamond.jp/articles/-/104452)。
そんな著者の文章は、取材対象者に対して、真剣に胸を痛めていることが伝わってくる
見下すわけではない。哀れみは、見下しの変形だ。面白がるのでもない。
誰か一人でなんとかできるわけではないけれども、まずはこんな人たちがいるのだと見えるようにしようと言葉を尽くす。
そんな姿勢で綴られている文章に感じた。

実際に、経済的な困難を抱えている女性達、それもかなり若い女性達にお会いすることが私は多い。
虐待や育児放棄、親の不在、前の世代からの貧困といった背景があってもなくても、教育の配慮を受けられずに来て、医療にも福祉にもなかなかつながりにくい人たち。出会っても途切れてしまう人たち。
セックスワークとの親和性が本書でもしばしば取り上げられているけれども、それしかできない、かろうじてそれならできる、で、生き延びている人たちがいるのだ。
私が知っている彼女達をどんな風に紹介されているのだろうと思って、手に取った。
こんな風に紹介してくださっていて、周知しようとしてくれている人がいるんだと知ることができてよかった。

努力がたりないとか、本人の選んだことだとか、そんな言葉で思考停止せずに、彼女達の苦境を考えてほしい。
彼女達を見捨てていませんか。買う側に回っていませんか。より傷つけてはいませんか。
違法なことをしているとか、だからだめだとか、そんな建前論はなんの役にも立たない。
この国は少子化対策が必要だと言いながら、子どもを産む女性しか政策の対象にしていないけども、制度からこぼれ落ちている存在がある。
ないのと、なかったことにするのは、意味が違うのだ。

著者は取材を通じて得られた知見からケースの類型化を図っている。
「3つの無縁」と「3つの障害」に関わる社会学や福祉の専門家にはこれを活かしてもらいたい。
この国では、売春は法律で禁じられているから、ないことになっている。
売春はないことになっているので、売春婦もいないことになっている。
ないこと、いないことには、対策もしなくていいことになっている。
だから、こんな生き方しかできない存在があるのだと、周知するところから始めないといけない。
専門家ではないと何度も著者は断りを入れることで、専門家への喚起を促しているように見えた。

明日はわが身なのだ。
あなたの母親や妻や娘や姉妹や姪の学生時代のアルバイトや卒業後の生計を立てる手段として、風俗や売春は適切なのか。万全を尽くして子育てをしているつもりが、その子どもが家出をして、その後の人生がこの状態だったとしたら。
あなたの父親や夫や息子や兄弟や甥が買う側に回ることを想定して生活しているだろうか。あるいは、男性もまた売る側に回されることがある。
平気だって人もいるだろうけど、それでも、考えてほしい。どこでどう転じるか、わからないではないか。
どれだけリスクが高いのか。それでも、そうとしか食べる方法がないってこと。これを普通のことだとしてしまいたくない。
私のできることもまたささやかだけども、彼女達を知ってほしいと思って、記事を書いておく。

2016.11.25

殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件

清水 潔 2016 新潮文庫

ドキュメンタリーは調査された事実の積み重ねを、三人称で書くイメージがある。
そこにはちょっとした印象操作が含まれるんだと思う。
三人称で描き出された事態は、それが客観的に真実であるかのような錯覚を与える。

この本は、筆者がこの事件を取材することになった契機や背景、取材をしていく上での体験や感情をも書き込んである。
一人称で書かれており、あくまでも、筆者が見て、考えて、調べた結果であることを誤魔化さない。
丁寧で根気強い調査、取材の積み重ねの様子がありありとわかることから、導き出されていく推論の説得力が格段に増す。
しかも、そこはやっぱり雑誌の記者さんだからか、読みやすくて引き込まれる文章なのだ。手に汗を握るというか、続きへと引っ張られるように、厚い本をあっという間に読めた。

これは、捜査ではない。取材だ。
たった一人の記者が、いろんな人の力を得ながらであるが、時間をかけて事件を追いかけていく。
その事件は、栃木と群馬にまたがる幼女を対象とした連続の事件だ。
いくつかの事件が、一連の連続した事件であると証明するために、足利事件は冤罪であることを証明しなければいけなくなる。
冤罪の証明が目的だったわけではないが、一過程というには大仕事だと思う。

それでも始まらない、捜査。
国会にまで取り上げられて、なんとか動き出すかと思われた時の大災害。
犯人は捕まっていない。市井にまぎれて、普段通りの日常生活を送っている。
筆者は犯人であろうと目される人物を特定しているが、それでも、犯人は捕まっていない。
いろんな意味ですごい本だった。
筆者の熱が伝わってくる気がした。

考えさせられることは多い。
たとえば、死刑について。
凶悪な犯罪が増えるにつれて、死刑もやむなしの世論が形成されつつあるように感じたり、私自身も傾いてきたが、イノセンス・プロジェクトのほうが先決だ。
自分の傾きを修正する機会となった。
ほんの少し、ジャーナリズムも捨てたものじゃないと思えてほっとした。
礼賛者になるつもりはないが、大本営発表みたいなメディアにうんざりしていたから。

警察や検察や裁判に関わる人たち、面子よりも大事なものがあるでしょうに。自己保身がお仕事ではないでしょうに。役割期待に答えてよ。
もちろん、日々、努力されている方もいらっしゃるし、私も助けてもらったことがあるから、悪く思いたくないんだ。
技術だって進歩するんだから。絶対の自信があるなら、何度だって検証すればいいじゃない。
お願いだから、被害を受けた人の、一番小さな声を聞いてほしいよ。

2016.06.30

ヘンな日本美術史

山口 晃 2012 祥伝社

途中で違う本を読み始めてしまったために、一ヶ月以上かかってしまった。
小説と違って、どうもこういう解説や論文は、時間がかかってしょうがない。

著者の絵を初めて意識して観たのは、長野でのこと。
現代の武者絵展と銘打った特別展で、四天王の絵にほれ込んだ。
端正な美形ぞろいで、とてもファンタジックで、一目ぼれだった。
ぐるりと会場を見ては、また元の位置に戻るぐらいに。

そして気づくと、本の表紙や街中のポスターに、著者の作品があった。
そのうち、著者をNHKが取り上げていて、人となりが少し垣間見えた。
なんというか、私の中では、京極夏彦氏と同じ分類に入れたくなった。
語弊を恐れずにざっくりと言ってしまえば、一筋縄でいかない感じ。
クレバーで、こだわりが強くて、気難しそうな、韜晦するような感じがあって。
作品は好きだけど、この人とお友達になるのは難しそうな。
そういう複雑な印象を持っているので、この人というよりも、この人の絵のファンである。

この本を手に取ったのは、そんな印象を持っている人が、あえて「ヘン」と謳っているんだから。
そりゃあもう、きっとヘンに違いないと、にやにやしながら買い求めた。
それなりに美術館や博物館に行くこともあり、若冲ブームに前後して、日本の絵を見る機会はある。
鑑賞の勘所のようなものはよくわかっていない自覚はあるので、せっかくなら勉強になればよいなと思ったのだ。

感想としては、至極、まっとうな内容だった。
鳥獣戯画や洛中洛外図など、なるほど、そういうところに注目するのかと参考になる。
気持ち悪い絵や訳のわからない絵だったものが、ちゃんと見てみたい絵に転じていく。
ところどころ、著者が解説を絵で描いているのも、非常にわかりやすくて面白かった。

次はどこの美術館に行こうかな。

2015.12.07

新しい道徳:「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか

北野 武 2015 幻冬舎

人からお借りして読んだ。話題になっていると聞いたけれども、書かれていることは至極まっとうに感じた。
筆者らしく、時には皮肉に、極めて皮肉に笑い飛ばしたり、突き放したりしながら、とても当たり前の目線から、「今の普通と言われていることっておかしくないか?」と投げかけてくる。
違和感を感じたのは、そこに芸人であるからとか、完全に同意する必要はないからと、但し書きをしながらでしか、個人の意見を述べることができなくなっているという現状である。

なんと、ものを言いづらい世の中であることか。

そう嘆きながら、私も匿名であるからこそ、ここに文字を綴ることができる。
匿名であったとしても、言葉を選ぶ。
受け取る人によって、読み手の意図せぬ読まれ方をすることを踏まえつつ。
書き手である私にも知らぬこと、目に入っておらぬこと、考えが及んでいないこともあるのだから。

 *****

夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。(p.58)

自分の人生は自分で楽しくしなきゃいけない。(p.141)

道徳を他人まかせにしちゃいけない。
それがいいたくて、この本を書いた。
あとは自分で考えてほしい。(p.191)

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