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香桑の近況

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小説(海外)

2017.04.15

ライオンと魔女と衣装ダンス:ナルニア国物語2

C.S.ルイス 土屋京子(訳) 2016 光文社古典新訳文庫

私にとっては世界一の物語だ。
映画は見たが、大人になって初めて読む。
今、この時に読むことで、この物語の背景には戦争があることを、ひしひしと感じた。

遠い昔。
初めてこの本とであった時、それはDQ2をプレイしたあとで、ファンタジーの洗礼を受けた後だった。
寝る間を惜しんで本を読むのは初めてのことだった。
目の前に新しい世界が開ける。飛び切りの美しい景色。
アスランのかっこよさ。魔女の憎々しさ。
主人公達と一緒に冒険をするように、世界に引き込まれた。

その冒険を、こうして新訳を読むことで、再び体験することができた。
初めて読んだ時よりは、今のほうが植物の名前を知り、イギリスの景色を見て、食べ物を味わったことがある。
もぐりこめるようなたんすとは中々出会わなかったが、押入れの中にはもぐりこんでみたものだ。
ターキッシュ・デライトを食べてみたことだって、もちろんある。試してみたくならなかった人がいるだろうか。
セピア色になって輪郭もおぼろになっていた古い写真が、時間を巻き戻して鮮やかな色合いを取り戻し、動き出していくかのように、目の前に蘇っていった。

戦争中、田舎の邸宅に疎開してきた四兄弟。
ビーバーさんの言葉やタムナスさんの行動、そこかしこに、戦争の臭いがしている。
スパイの容疑をかけられる。人権も裁判もなにもなしに一方的に裁かれる。目をつけられないか、司法や権力の気を損ねないか、びくびくしながら生活する。
戦場でピーターが青ざめたり、吐きそうになることにも、リアリティが漂っている。
ここでは誰も笑わないって言い方は、笑われる場合があるってことで、それは物語の外の現実しかありえないではないか。

この物語は、書き手のルイスがつらい時代を知っていたから、物語ることができたのだと思う。
暗くつらく厳しい時代に、子ども達の心を守るように紡がれた物語なのだと思う。
大人が子どもに話しかけるような口調に安心しながら身をゆだねるように、つらい現実から異なる世界へといざなわれ、活き活きとした心を取り戻す物語なのだ。
今こそ、必要な物語だと思う。

2016.11.18

魔法使いの塔(上・下):ヴァルデマールの嵐3

マーセデス・ラッキー 2016 創元推理文庫

ヴァルデマール年代記完結!

と書かれた帯にショックを受けつつ、読み始めた。
注意としては、これはやはり、これまでの刊行本をなるべく読んでからのほうが楽しめる物語だったと思う。

舞台は主に三箇所だ。
一つは、アーゾウの塔の遺跡。カースのカラル、マ=アルの記憶を持つアン=デシャ、美貌と癒しの魔力を誇るテレイドゥラスの<炎の歌>など。
次の一つは、ハードーンの町ショーナーだ。なぜかすっかりそこを統治しているトレメインを訪問するヴァルデマールの使者エルスペスと、テレイドゥラスの<暗き風>。
そして、三つ目は、東の帝国である。狼の玉座をめぐる皇帝チャーリスとその後継者メレス。
3つの舞台でそれぞれに物語が進む、これまでで一番入り組んだ物語。

あの人やこの人が、世界を既に去ったと思われていた人々が、次々に現れる。
大団円に向けて、オールスター勢ぞろいの勢いなのだ。
ということは、やっぱりこれで終わりに……?と切ない考えがよぎりながらも、手に汗を握りながら読み進めていった。

ついに、イフテルからもハードーンに向けて使節団が送られてくる。
これまでまったくの謎に包まれていた国イフテル。
その建国の歴史から伝統まで、魔法戦争シリーズのほうを読んでいると、あー!と声を上げたくなることだろう。
そうか、そういうことかと、いくつものパズルがはまるように、ピースがはまるように、世界がひとつの点に収束されているような感じがした。

読み終えて。
やっぱりこの後が気になるし、やっぱりこの世界が好きだし、やっぱり作者の物語が好きだし。
翻訳されていないものが翻訳されることを待ちつつ、作者さんが続きを書いてくれることを祈ろうと思った。

2016.10.14

魔術師のおい:ナルニア国物語1

C・S・ルイス (著)  土屋 京子 (翻訳) 2016 光文社古典新訳文庫

目の前に、景色が広がっていく。
これから冒険や探索が待っている。
ナルニア国の歴史が始まる瞬間だ。
その情景の美しさに、うっとりした。

子ども時代に読んでいるはずだが、内容をまったく記憶していなかった。
主人公の少年少女が天馬に乗って上空に駆け上る。
読み手まで、胸が躍り、心が舞い上がるような興奮を味わった。

世界が生まれ、そして終わっていく。
そこはとても哲学的であり、現代への警句を含む。
ルイスは親しみやすい口調であるが、物語の背後には深い思索がはりめぐらされている。
そこは、大人になって読んだからこそ、考えたり、感じられたりできた部分だ。
以前の訳が古くなってしまったため、今に生きている言葉で、子どもだけではなく大人もまた読めるような文章に訳してある。
言葉遣いそのものに違和感は感じないが、ナイアードやドリアードなど、ほとんど固有名詞のように憶えていたカタカナ表記の名詞は、できればそのままだと嬉しい。

シリーズの構成も、出版順ではなく、物語の中の時代に沿って編みなおされている。
だからこそ、新鮮な思いで、一冊目として、創世記であるこの巻を読むことができたのだ。
この美しい物語が、こうして訳が新しくなることで、今まさに子どもの人たちやかつて子どもだった人たちに、新しく読まれることがとても素晴らしいと思うのだ。
新しい物語が気になって気になって、先に進まずにいられない。次はライオンと魔女だ。
この機会に、改めて、新しい気持ちで、このシリーズを最後まで読んでいきたいと思った。

2016.07.21

悲しみのイレーヌ

ピエール・ルメートル 2015 文春文庫

イライラして攻撃的な気分だった時に、幸せではない物語を読むのもよかろうと思って選んだ。
久しぶりに読んだ海外ミステリは、凄惨な殺人から始まる物語だった。
いくつかの殺人事件。どれもこれも、凄惨で、奇抜で、不合理。
かつて個別に考えられていたものが一連のシリーズであることが徐々にわかってくる。
一向にわかってこないのは、殺人犯の正体。

途中で、表紙を見直した。
イレーヌ。
この名前の登場人物は1人だけ。
主人公であるヴェルーヴェン警部の妻だ。
……嫌な予感しかしない。

ミステリらしいミステリだ。
最初から最後まで読んでみると、20世紀初頭の推理小説を想起させる主人公の思考の描写であるとか、えらくバランスの悪い二部構成であるとか、この小説の特徴は、だからか!と納得することができる。
読み終えてから、果たして、どこまでがしかけでどこまでが真実だったのだろうと、境界線があやふやになるような感じがした。
読み応えのある、面白い、王道なミステリだったと思う。
殺人の情景は過剰に残酷であるが、人によっては、だからこそ、これを作り物の世界として読むことができるんだろうな。
こんなこと、あるわけないよって、ファンタジーとして。

私も、若いときはそうだった。
今回は、こういう殺人があったあった、こういうことをする奴がいるんだよなぁと、思った。
その凄惨さが奇抜に思えなかった。非現実的なものに思えなかった。
現実として、世界に悲惨が多すぎる。

せめて、物語には救いがあるほうがいい。私の好みとしてね。

2015.03.16

追放者の機略(上・下):ヴァルデマールの絆

マーセデス・ラッキー 澤田澄江(訳) 2014 中央公論新社

私の大好きなヴァルデマール・シリーズの中でも、愛すべき登場人物であるアルベリッヒを主人公にした2冊目。
もっと分厚くてもいいのに!!

女王セレネイの最初の結婚で生まれた子どもがエルスペスであり、ヴァルデマール年代記の堂々たる主人公の一人であるが、この女王の最初の結婚相手が大問題だった。
なんで、あんな結婚をしちゃったんだろう?
という、これまでの疑問に答えるのが、今回の物語である。
順番に並べると、この追放者2冊→スキッフの物語(盗賊)→タリアの物語(盗賊)となるわけだが、同時に、この本はケスリーの孫であるケロウィンを主人公にした『運命の剣』とほぼ平行している。
一冊を読むと、ほかの本も読みたくなるのだ。何度も何度も読み返したくなるのだ。
タルマの名前が出てくると、わくわくするなぁ。やっぱり、ベストはタルマ&ケスリーなんだよなぁ。
途中、レスウェラン王家の家系が混乱し、なんでここでタルマが!?と混乱してしまったわけであるが、調べてみれば長ったらしいことが伝統のレスウェラン王家の名前の省略の仕方(愛称のつけ方)が異なっていただけだった。

それはともかく、この本では、二つのロマンスが同時に描かれている。
ひとつは、セレネイと最初の夫のものである。
夢のような女王と異国の王子とのラブロマンス……のはずであった。
ことの顛末は他のシリーズで明らかになってはいるが、その詳細は読んでのお楽しみ。
今ならわかる。
反対されればされるほど、しがみついてしまうこともある。同じような過ちを私はした。
あの人はアルベリッヒじゃなかった。むしろ、ノリスであり、キャネスであった。

もうひとつは、アルベリッヒとミステだ。
ケスリーとジャドレックも素晴らしいカップルであったが、今度の二人も素敵である。
ラッキーは、若く見目麗しい二人ではないカップルへの眼差しがやさしい。
より成熟した大人にふさわしい温かみと穏やかさを持ったカップルを描くことが上手いと思う。
こんな風な絆の結び方もいいではないか。本人達は人目が少ない場所で結ばれたと思っているが、それがタラミールにまで筒抜けなのは除いて。

大人になってからも楽しめるファンタジー。
いや、大人だからこそ楽しめるファンタジーである。

2013.02.28

帝国の叛逆者(上・下):ヴァルデマールの嵐2

マーセデス・ラッキー 山口 緑(訳) 2012 創元推理文庫

いささか意外な展開をしていく『ヴァルデマールの嵐 第二部』。
カラルに再び出会えることは嬉しいが、冒頭はまったく予想外の人物の、予想外な戦いから始まったのだ。

それは、ハードーンを侵略するために派遣された〈東の帝国〉の指揮官トレメインが、魔法嵐の吹き荒れる異国の地で、どうやって部下を一人もしなせずに冬を乗り切るか、という戦いなのだ。
このトレメインがおいしい。素敵なおっさんが新たに登場である。外見はむにゃむにゃと書かれているが、行動がいい。
魔法に頼ることができなくなった世界で、知恵と工夫で生き延びるために、寸暇も努力も惜しまない指揮官は、アルベリッヒと並ぶ魅力的なおっさんなのだ。
そして、気づいたら、いつの間にか地元に溶け込んでいってしまう。そのプロセスにひきつけられる。

対して、カラルは、ヴァルデマールで苦戦を強いられている。
政治的指導者や宗教的指導者らと話し合わなければならないが、カラルはまだ年若く、経験も少ない。
自分でもそれがわかる上に、回りも見るからにカラルを軽視したり、ばかにする。
総力を挙げて、全員が一致協力して、事態に当たらなければならないのに、それが難しい。
人はしばしば不都合な事実を否認したり、誰かの責任になすりつけてみたり、不安から余計な対立を生じてしまったり、足並みをそろえるというのはなかなか難しい。

そういった不穏な時勢の中で、カラルも、アン・デシャも、徐々に宗教的な指導者<祈祷師>としての成長を見せていく。
彼らの魂の成長と、大きな選択。愛情と使命と。
種族を超えて。宗教を超えて。
過去の確執と現在の断絶とを超えていけ。

名言も多く、はたと思わせられることも多かった。
ラッキーの物語は、やはり、大好きだ。
これで魔法嵐はおさまるのか。
各国の関係はどうなっていくのか。
続きを早く読みたいなぁ。

2012.08.22

囚われの王女と魔術師の娘:黒鳥伝

マーセデス・ラッキー 原島文世(訳) 2011 中央公論新社

王子というのはダメダメな存在である。
という前半に何度か挫折しかかった本。
主人公は、魔法使いフォン・ロットバルトの娘オディール。
現代は「Black Swan」。映画とは無関係である。
邦題が「黒鳥の湖」でも悪くはないとは思うけど。

下半身の始末がなってない王子ジークフリート。
オデットは愛想がなく、美しいが感じが悪い。
すると、自然にオディールに感情移入することになる。

オディールは母親不在の家庭で育ち、父親に対して強く承認欲求を感じているが、なかなか満たされない。
父親の片腕になりたいと思い、自分なりに魔術の研鑽を積んできたが、ある日、父親から誉められるのは家事に関わるものだけだということに気づく。
また、物語が進むにつれ、オディールとオデットが交流していく過程で、父親が限りなく魔法を使うために力を吸い取られているのではないかと疑いを持つ。
娘にとっては唯一の肉親である父親。しかし、父親にとっての娘とは。

オディールとオデットのそれぞれの娘-父の葛藤に比して、ジークフリートと女王の息子-母の葛藤は淡白であり、直接の対決を果たすのはオディールだけである。
それぞれが親子の分離を果たして、世代交代をしていく物語だ。
童話的であるが、ジークフリートのおかげで性的な内容も多いため、勧める年齢層に困るなぁ。
対象年齢は10代の物語だとは思うけれども、アメリカ的にはありなのか?
いや、王子様には要注意って、教育も大事なのかな。うぅむ。

もてるから(この場合は権力があるから)といって食い散らかしたらいかんぞって感じだろうか。
レイプを合意と言い張ったり、当然の権利と勘違いしている痛々しさを、明確に指弾するところが、非常にラッキーらしいところだと思う。
どう考えても、全体を通じて、一番、漢前だったのはオディールだったところも、がんばる女の子を応援するラッキーらしい。

最後は胸がすくような大団円である。
おとぎ話にはとてもふさわしい。

2012.07.31

魔法の代償(上・下):最後の魔法使者3

マーセデス・ラッキー 細美瑤子(訳) 2012 創元推理文庫

最後の魔法使者であるヴァニエル・アシュケヴロンを描く三部作の最終巻。
ヴァニエルもついに40代。ヴァルデマールの重鎮として、たった4人しかいない魔法使者として、相変わらず、心身も磨り減るような毎日を過ごしている。
40代になっても少女のような美貌を持ち、潔癖で貞淑な乙女のように孤高を保つ。その心性まで、外見と同じように、若々しいというか初々しいというか、思春期のままのような。
そのヴァニエルが、再び、運命と出会う。大詩人のステフェンとの出会いだ。
そして、ようやく、ヴァニエルの心の奥底のむき出しの傷が癒される時がくる。

ヴァニエルの悪夢が物語の行く末を指し示している。
下巻を読み進むに連れて、結末が気になって気になって、でも悲劇は嫌で、先のページをめくってみては、うわっと思ったり、えーっと思ったり。
英雄になんてならなくていいのに。ずっとずっと愛を育んでいけるような世界だったらよかったのに。
いくら厳しい時代を担っていた伝説の人物とはいえ、ここまでひどい目にあわなくてもいいなじゃないだろうか。
ラッキーの描く人物の中で、ぶっちぎりトップのハードラックな主人公だと思う。
死んでからしか、くつろいで笑顔になることができないなんて。
その後、数百年、悲しみの森でいちゃついたり、いたずらしたりしていていいよ。
もともとヴァニエルにはシンパシーを感じていたが、不意打ちのように、その台詞が表れた。

「たったひとつの過ちのために一生苦しむことにどんな意味があるんだ?」(上p.255)

不意打ち過ぎて涙が出た。
でも。
でも、私は彼を忘れたくないのだ。彼はもっと孤独になるから早く過去にしろと言ったが、しがみついて何が悪い。私が、今も好きなのに。
自分と重ね合わせずにいられない。もしくは、恋人に重ね合わさずにいられない。
このような時が再び来るだろうか。それとも、あの時が再び来た機会だったのだろうか。
彼にもいつか幸せを感じてもらいたい。心を開いて、安らいで、穏やかな時を迎えてくれたらいいのにと祈る。
私自身は、私の心が揺れ動くことがあったら、その時に考えようと思う。

「一度幸せだったからというだけで、せっかくの幸せになる機会を逃しちゃいけない!」(上p.255)

2012.07.23

追放者の矜持(上・下):ヴァルデマールの絆

マーセデス・ラッキー 澤田澄江(訳) 2012 中央公論新社

〈使者〉アルベリッヒ。
カース出身の武術指南役の若き日の物語が登場だ。
セレネイがまだ世継ぎの王女であった頃からテドレル戦争まで。
ヴァルデマールにとっての大きな試練だった日々。

苦みばしった感じの、嫌われ者であっても動じない、厳しいが信頼のおけるおっさんという、おっさん好きにはたまならないアルベリッヒ。
おっさんになってからのアルベリッヒも大好きだが、若き日のアルベリッヒの堅物ぶりも大好物。
まさか、彼が主人公の物語を読めるとは思わなかった。

内表紙をめくると、この本は9.11のテロで亡くなった消防士に捧げられており、使命の前では命を投げ打ってでも役割を果たそうとする使者たちの姿に重なる。
と同時に、自爆テロをした人たちも、ある面では、使命の前に命を投げ打ってでも役割を果たそうとした人たちである(巻き込まれる被害者にとっては限りなく傍迷惑だが)。
そのように両面からものごとを見るとき、人はジレンマを感じる。そんなことができるのは、アルベリッヒに他ならない。

ヴァルデマールと当時敵対していたはずのカースの軍人が、ヴァルデマールの使者となる。
そこでは、信義や忠誠、名誉やアイデンティティといった価値観の問題が大きな主題となってくる。
敵国で信頼を得る市民になりうるのか、どちらの国を、民を、裏切ることなく、名誉を保ちうるのか。
アルベリッヒの悩みは、多民族国家アメリカの中で9.11後に暮らしてきたイスラム系の人たちの悩み、第二次世界大戦中の日系人の悩みに通底しているのだ。
正義とは何か。
アルベリッヒの悩みと答えの中に、作者自身のためらいと理想を感じた。

これまであまりカースの文化が語られたことはなかったが、言語の違いなどを見ていると、アジアっぽいイメージなのかな。
すると、黒髪で、凄腕の剣の使い手で、名誉や恩義を重んじているアルベリッヒは、著者にとってはサムライっぽい感じなのかなぁ。
そんなことを思いながら読んでいたら、アルベリッヒのヴィジュアルがFFⅤのカイエンに重なった。
やっぱり、好きだなぁ。

誰よりも誇り高く、名誉を重んじ、義や徳を身に着けた人。
そんな人を知っている。とても大好きな人が、そんな人だった。
大きな喪失の傷を抱えて、すっかりやさぐれいている感じまで似ている。
私には、その喪失を埋めることも、癒すこともできなかった。
私は彼の盾の友になりたかった。むしろ、〈共に歩むもの〉になりたかった。
無条件の愛と信頼を注ぎ、その空虚を満たしたかった。
彼がもう大丈夫だと安心できるように、支えと癒しを与えるものになりたかった。
でも、私はただの人。物語の人物のようになれるわけでもなく、ましてや人ではないものには。

2012.03.01

裁きの門

マーセデス・ラッキー 1996 創元推理文庫

愛は自由でなければ生きられぬ。

この言葉が深く印象に残ったのは、実はこの2冊目のほうだ。
高らかに歌い上げるように、この台詞はとても大切な場面で使われている。
タルマはケスリーを救うためになに一つ惜しまないが、私は守るべきものを間違えた。
それが今ならわかる。わかるから悔やまれる。くりかえし、発作のように号泣する。

素晴らしい本に出会うと、睡眠も食事も仕事も手につかなくなる。それは、何度目か数えられないほどの再読である今回も同じだ。
『女神の誓い』が短編や中編を集めていたのに対し、タルマとケスリーを主人公とする2冊目はがっつりと長編。
この本が、ラッキーが私の中のNo.1であることを不動にした。
魔法があり、精霊がおり、架空の世界で展開しているはずなのに、主人公たちが目の前で息づくような現実感に引き込まれた。
物語の筋が面白いだけではない。がっちりと骨太で力強く、なにごとも綺麗事では済まさない世界観に魅了された。

タルマとケスリーは、傭兵隊に所属するようになる。その傭兵隊の戦争場面から物語は始まる。
ずぶ濡れ、どろまみれの主人公達の戦いは、きらびやかでもなければ晴れ晴れしくもない。
さすが軍隊がある国の人が書いただけあると思うのだ。
自分の想像力の限界では、傭兵といえば自由契約の戦士ぐらい。物語やゲームで見かけるのは、そういう個人と個人の戦闘が多い気がする。
斥候のやり方、戦闘の合間の待機、戦闘のない季節の本拠地の様子や過ごし方、舞台の運営や訓練、そういった部分まで想像を広げて、説得力をもって語る小説を、私はほかに読んだことがなかった。
そして、魔法の使い方は、その後、私が今の仕事を始めた時に大きな参考になったのだ。イメージの使い方は、今も力の引き出し方のヒントとして役立っている。

ケスリーとジャドレックのロマンスも目が離せなかった。
前巻の感想にも書いたが、私が自分を投影させるとしたらケスリーのほうであったから、自然にジャドレックは理想的な恋人像となった。
若くも、ハンサムでもないかみしれないが、知性と教養があり、傷つけられた痛みを知っている人。
パートナーに対等な敬意を払い、意見が異なるときも聞いてくれ、その上で話し合える人。
本当は、朗らかな笑顔が似合う人。
そして、タルマのように、ケスリーのように、倫理的にすぐれている。周囲から敬意を払われるに値する賢者。
好みって基本、変わらないものかなぁ。

自分に似ていると思うのがケスリーならば、自分には難しい生き方だからこそ憧れるのがタルマだった。
今回、読み直してみたら、恋人がタルマっぽいことに気付いた。彼の考え方とか生き方の姿勢が、なんとなくタルマに似ている。
自分に厳しく、身内と子どもに愛情深く、筋が通って揺るがない。思考は現実的で、判断力も行動力もあり、鍛錬を怠らない。知的で冷静、恐ろしく記憶力もいい。
そういう生活や性格の面では難しいとしても、こんな指導者にでありたいと思いながら、お手本にしてきた部分はある。自分も少し大人になれただろうか。
恋人の頭を殴ってさらってくる不作法で野蛮な傭兵流のやり方できないかな?なんて考えているあたりは、大人になりきれないけど。

この先も、きっと何度も読み直すだろう。私の古い親友のような本だから。

何かを得るためには、ときとしてよろこんでそれを手放さなければならない。愛は自由に生きねばならぬのだよ、ジェル=エネイドゥラ。愛はつねに自由に生きねばならないのだ。(p.281)

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