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香桑の近況

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小説(日本)

2018.07.18

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2018 PHP研究所

世界を見守る優しい精霊が紡いだような物語だ。
老いと死を見つめる人だけが持つ、どこか現世を遠くから見つめるような気配。
精霊は時々、猫の形をしているのだと思う。

主人公の一整は、働きなれた職場を離れざるを得なくなった後、桜風堂書店という小さな田舎町の古い書店に出会い、その書店と共に息を吹き返した。
そんな「桜風堂ものがたり」の幸せなその後を描く。

私は『桜風堂ものがたり』と『星をつなぐ手』のどちらも、単なる職業小説、お仕事小説のくくりに入れることはできない。
書店や出版の業界は、移り変わる時世の影響を厳しく受けている。
その業界にあって、本という星の光を守っている人たちがいる。

言葉こそ、世界の闇を照らす星だ。
その文字に込められた想いが輝く星になる。
人から人へ、人の手を経て届けられ繋がる星の光。
いつか自分が死んだ後までも輝き続ける星になる。

頑張るものには、もっともっと幸せになってもらいたい。
昔ながらのよきものが消えずに残り、弱いものは守られ、若い者は育ち、傷ついた者は癒され、年を取る者は賢く敬われ、得るべきもの手に入れ、あるべきところに収まるように。
そんな当たり前にあってほしいことが、今はとても難しい時代に生きているから、切なくも幸せな気持ちになった。

『桜風堂ものがたり』『コンビニたそがれ堂:祝福の庭』『百貨の魔法』『コンビニたそがれ堂:小鳥の手紙』と本作とを通じて、私が強く感じていることがある。
それは、作者が「終わりを見据えている感覚」だ。
主人公の成長物語であるのだが、その主人公を見守り、手助けする年長者たちの物語である。
自分の人生のピークは過ぎたかもしれないが、まだ少しだけ、誰かのために何かできる幸せがそこにすくいあげられているのだ。
私のように自分の子どもを持つことはなかった登場人物たちも、誰かに何を残し、教え、育て、守ることができる。
そこに、私はとても救いを感じた。自分自身が救われるような気持ちになった。
そういう意味で、これは若い人のみならず、人生の午後3時を過ぎた人間の物語だ。

物語というものは、古来、魔法を持ち合わせていた。
傷つき弱り迷った人の心に寄り添い、いたわり、慰め、励まし、力づける、物語の原初の魔法を感じてもらいたい。
ティッシュは箱で用意することをおすすめする。

 *****

書籍の出版に先駆けて、原稿を読む機会を得た。
この本が数多くの人の心に魔法をかけてほしいことを願い、先駆けてレビューを公開する。
ネタバレにはなってないはず。

2018.06.23

魔導の黎明

佐藤さくら 2018 創元推理文庫

真理の織り手。
このシリーズの名前がようやくわかった。

シリーズ4冊目にして最終巻。1巻と並べて表紙を見比べると、一層、感慨深い。
レオンは40代、ゼクスは30代になった。
相変わらず、仲が良くて。
相変わらず、じっとはしていられない二人だ。

物語はラバルタとエルミーヌの二つの国を行きかう。
ラバルタではますます、悲惨な状況になっている。
魔導士を弾圧するようになった国で、そこで生きるしかない人々が抵抗と反乱の狼煙をあげて10年。
さらなる差別、さらなる暴力が、人を追い詰めていく中で、希望を見出すことはできるのか。

『系譜』『福音』『矜持』の登場人物たちが次々と登場する。
あの人も、この人も。ああ、これはきっとあの人だ。
懐かしく感じる人もいて、物語がここまで進んできたことに感動した。
登場人物たちと作者と共に歩んできた過程に、感慨深かった。

物語ではあるが、この社会の閉塞感は、どこか現実の写し鏡となっている。
差別に対抗するために差別をしようとする人たちがいる。
暴力を振るわれないために、暴力で相手を殲滅させないと気が済まない人たちがいる。
差別や暴力の連鎖は、今、世界の各地で、この身近な場所でも、大なり小なり繰り返されている。
読みながら、そこにガザの人々が思い浮かび、ネット上のレイシズムやヘイトな言説が思い起こされ、時に息苦しくなりながらも、最後まで没入せずにはいられなかった。

もしも、自分の生きる価値がわからないとか、自分はだれにも必要とされていないと悩む人がいたら、このシリーズと出会ってほしい。
この作者の紡ぐ物語と出会ってほしい。
生きていいんだよね、と。
生きていいんだよ、と。

作者の方に心からのお疲れさまと、次作を楽しみにしていることを伝えたい。

2018.04.02

春の旅人

村山早紀・げみ 2018 立東舎

この本に桜の花の季節に出会えてよかった。
春の柔らかな日差しや、淡い紅色の花びらが世界を彩る季節にぴったり。
戸外で開いたら、ページの中に同じように美しい景色が広がるはず。

村山早紀さんの3つの短編と、げみさんのイラストのコラボ。
「花ゲリラの夜」と「春の旅人」は文章をイラストが彩る。
「ドロップロップ」はイラストが主役で、文章が脇を固める。
そんな掛け合いを感じる作品集だ。

げみさんの描く絵は、色合いが柔らかくて心地よい。
思い出の景色は白く淡く、時にはくっきりと象徴的。
物語を読みながら景色を思い浮かべるように、イラストが浮かび上がる。

村山さんの物語は、易しくて優しい魔法の言葉。
厳しいことや苦しいことを乗り越えていく力をくれる。
表紙の少し不思議なイラストの意味もわかる。

ページごとの天地に模様が入っているような本が好きで、そこも好み。
めくるたび、どのページも特別で、子どもの頃に買ってもらった懐かしい絵本を思い出す。
その美しさに思わず頬が緩むのだけど、シビアなテーマをぶっこむ村山さんが、かっこよくてしびれる。
この人の紡ぐ言葉は優しいだけではなく、まっとうで、背筋が伸びるお思いがした。

「地球のきょうだい」
なんて素敵な呼びかけだろう。
なんて壮大な呼びかけなんだろう。
花ゲリラも胸が躍るような思い付きだが、この呼びかけが私に一番響いた。
優しいだけ、美しいだけではない。
春ごとにツバメにおかえりなさいと声をかけ続けたいから、自分のことでいっぱいいっぱいの日にも、「きょうだい」と遠くから呼びかけてくれる青い光を心に留めておきたい。

2018.03.06

コンビニたそがれ堂 小鳥の手紙

村山早紀 2018 ポプラ文庫ピュアフル

クリスマスの頃に書かれた、冬の空気が春の気配に溶けていくような優しい物語。
雪が、雪柳になる。冬の金属質のにおいが、花のほろこぶ香りになる。
3つの物語、それぞれに胸がきゅうきゅうと締め付けられ、何度も涙がこみ上げ、鼻をすすり、ティッシュペーパーのお世話になった。
これから読む人は、どうぞ、タオルと箱ティシュのご用意を。

コンビニたそがれ堂のアルバイトから店員になったねここさんが、お弁当を届けるところから始まる「雪柳の咲く頃」。
猫さんが出てきたところで、既に泣きそうになった。
思い出すのは、かつて、駅前の角にあったタバコ屋の景色。
猫のおしっこのにおいがする、古くて汚いと、嫌がる人もいたことを知っている。
私が見たのは小柄な黒猫の女の子。赤い布のリボンを首につけてもらっていた。
その女の子に会いに、でっぷりと大柄なキジトラさんが通っていて、店頭で招き状態になっていた。
駅の主のように堂々と横切るキジトラさんで、通りすがりの人たちにも機嫌よく撫でられていた。
私が座り込んで撫でていたら、若い男性から声をかけられて驚いたことがあった。その男性は猫ご飯のパウチを片手にしていて、あげないかと声をかけてくれたのだった。
そのキジトラさんを最後に見た時、足を引きずり、汚れて、やせており、もう立ち止まってはくれなかった。

角のタバコ屋も、もう今はない。
もう今はない景色が、風早の町は思い出させてくれる。
再開発の名のもと、壊されていった大正時代からの商店街や戦前からの駅前の通り、住宅地。
新しい町になると、便利になる、安全になる、きれいになると言われるし、それはそうかもしれないが、私の心の中に刻まれた古くて懐かしい景色がきらきらと蘇る。
きっと風早の町は、そんな心のアルバムに刻まれた景色の集合体であるから、子ども心に戻って遊ぶことができるのだろう。
心が惹かれずにいられないのだろう。

ふたつめの「小鳥の手紙」は、最後の数ページで頭の中が真っ白になるほど泣いた。
こんなに泣いたこと、あったっけ?と思うぐらい泣いた。
更に、3つめは『百貨の魔法』の番外編になっていた。
コンビニたそがれ堂の風早三郎さんと、百貨の魔法の白い子猫の競演とは、なんて豪華なんだろう。

なにげないシーンのひとつひとつ。
たとえば、おでんのこんにゃくを食べる。
それだけのことなのに、声をあげて泣きたくなった。
途中から、涙のスイッチが切れなくて大変だった……。
これはどういうことだろうと考えてみる。

寂しかったり、悲しかったり、つらかったりしている子ども達や、かつて子どもだった人たちに、こうなったらいいなぁ、こうしてあげたいなぁ、と私が思うことを、私の代わりに村山さんが物語の中でしてくれる。
だから、私にとって願望を充足してくれる物語である。
私は子どもを持つことがなかった人間であるが、誰かの心の代理母のように、愛情を注がせてもらい、しかも、愛情を返してもらうことがある。
そうとしかできない私を肯定あるいは受容してくれる物語のように感じた。
だから、私はこの本を読むと、ひどく安心することができたのだと思う。
いつにも増して優しくて優しくて、自分を見守る眼差しを感じつつ、自分もまた誰かを見守り続けたいと祈るように誓うように思った。

作者の方をTwitterで追いかけているので、この本を書かれた時、作者の方がとても大変そうだったことを記憶している。
その様子はあとがきにも書かれているのだが、そんな時にこんな優しい物語を……と思うと、それはそれでまた胸がつまった。
優しい方が紡ぐ、優しい言葉の、こんな優しくて素敵な魔法を信じていたい。
大丈夫。世界はきっと悪いことばかりじゃない。いいこともある。
人の心は捨てたものじゃない。未来には、なにかよいものが、きっとある。きっと。

2018.02.27

さくさくかるめいら:居酒屋ぜんや4

坂井希久子 2018 時代小説文庫

冬から春へ。
物語のなかの季節の移ろいにあわせて、お料理も変わる。
豆腐百珍もなかなか試す機会がないが、本を読んだ春先にぴったりの献立ばかりは、作ってみたいとメモを取った。
春牛蒡の南蛮漬けに、ふきと厚揚げの煮びたし、菜の花と馬鹿貝のぬた……。
ふきが手に入らなければ白菜か小松菜にかえて、馬鹿貝の代わりに浅蜊にすればよいなどと、自分で作りやすい献立に頭の中で入れ替える。
そんな料理を考える楽しみがいっぱいの、食テロ小説のひとつだ。

なるべく無駄を出さぬよう、献立を決めることに夢中になる。
そんなお妙の楽しみはよくわかる。
私は作っているうちに、ほかのものが派生してエンドレスになりがちであるが。
しかし、時は江戸時代。場所は江戸。
食材はともかくも、便利な調理器具はそれほどあるわけではなく、大量に料するのは大変だったことだろう。
作るのは楽しいが、ともかく手間がかかるのだ。こんなに作るって何時間立ちっぱなしなんだろうなんてことが心配になる。

他方、只次郎のほうにも、変化が起きたのがこの巻。
なんといっても、ライバル登場である。
なんのライバルであるかはここでは書かないことにするが、只次郎が少しずつ大人びてくるのを感じる。
とうに大人の只次郎よりも、姪っ子のお栄のほうが更に成長するので、林家の家族関係自体が落ち着いてきて、なんとも微笑ましかった。
せっかくならば、台所事情も落ち着けばいいのになぁ。

家族とシェアして読んでいるこのシリーズは、「うぐいすを飼っているお侍の」というと、母に通じる。
母は母で、「うぐいすのふんの」という。
ふん、は、ちょっと違うと思うが。
そのうぐいすであるルリオにも季節は廻っているようで、次の巻はまた波乱があるのではないかと思いながら閉じた。

2018.02.20

あきない世傳 金と銀5 転流篇

髙田 郁 2018 時代小説文庫

ページをめくることが怖くなった。
続きは読みたい。しかし、読むのが怖い。
ホラーを読むにも似た、この恐怖。
中身はホラーとはまったく違うのに。

季節はうつり、主人公幸と智蔵のむつまじい様子に、読み手の頬もゆるむ。
ようやく幸が幸せになろうとしている。
商売も、波乱が起きそうで、それをやすやすと乗り越えていく。
やっと、いろんなことが軌道に乗っていくわくわくする巻だ。

呉服商を舞台とする物語だけに、このシリーズはひときわ、色彩が美しい。
着物の色合いのみならず、五鈴屋の風呂敷ひとつをとっても、目に浮かぶように描かれる。
浄瑠璃の衣装や商家の店先を飾る布、娘たちの結ぶ帯、見上げる空まで美しい。
丁寧な描写と過不足のない説明が、読み手を物語に引き込む。

しかし、そこかしこに不穏を感じてしまった。
だって、フラグが!フラグが…!!
どうぞ、大事がないように、と祈りたい。

最後の巻まで、安心しては読めないんだろうなぁ…。
この流れはこの先どう転じていくのかわからないが、幸が幸せになりますように。

2018.02.19

紅霞後宮物語 第七幕

雪村花菜 2018 富士見L文庫

早くも7巻。久しぶりの本編に感じる。
いよいよ皇后として出陣した小玉の戦争が語られる。
戦争だけに、ぽろぽろと人が欠けていく。

物語の流れのなかでは、重要な巻になるのかもしれない。
歴史が動いた……ことになるのかな。

カクヨムに掲載されていた中編を読んでいたせいか、登場人物たちに対する自分の気持ちが変わったような気がする。
たとえば、梅花。たとえば、麵屋のおっちゃん。たとえば、樹華。
どの人たちが背負ってきたものや、かつての日々からの隔たりを思うと、何とも言えない思いがわきあがってきた。

こんな形でしか、夫婦であることを確かめられないとは、不器用な二人だ。
少々変わっているかもしれないが、二人はまぎれもなく夫婦である。
小玉の気持ちは、すでにもう固くなっている。次は、それに文林がどう応えるか。
引き続き、見守りたい。

2017.12.21

先生のお庭番

朝井まかて 2014 徳間文庫

美しい物語だ。
外国の人の目を通すことで、当たり前だった景色の美しさに気づく。
当人同士以外の目を通すことで、引き裂かれた男女の関係も、美しい物語となる。

タイトルだけではどんな物語かぴんとしなかったのであるが、植物が好きな方から貸していただいた。
しぼると先生の薬草園を管理する園丁が主人公である。だから、先生のお庭を番するお庭番。
決して、忍者の物語ではない。

シーボルト。日本人通辞よりも発音が不正確なオランダ語を話す、オランダ商館医。
19世紀の日本で、外国人が逗留できるのは長崎出島に限られており、逗留できる欧米人はというとオランダ人に限られていた。
とはいえ、海外の事情に明るくない日本人にはあれこれと説明することにして、実際は諸国から調査員が偽って流入してきていたようである。
現に、シーボルトもまたドイツ人だった。

そんなあやしい外国人がいっぱいの出島に派遣された少年熊吉は、シーボルトに心酔し、采配を任されて、のびのびと薬草園を作る。
当時のヨーロッパはプラントハンター達の時代でもあるから、現地の協力者ということになるだろうか。
剣より、花を。
風刺もいっぱいこめられていると思うが、シーボルトの台詞には、熊吉だけではなく、私もちょっとしびれた。

熊吉は真面目で勤勉な気性。植物を大事に愛する思いと、シーボルトを尊敬して貢献したい気持ちの両方で、目いっぱい、腕も、知識もふるう。
茶の種をばたびあ(ジャワ)に送り、現地で茶栽培を始める手助けをする。
オランダに日本の草木が生きたまま運べるように、知恵を絞る。
図鑑もなければ、分類法も確立しておらず、流通も限られるような植物を育てていく様は、読んでいてわくわくするものがあった。

熊吉はシーボルトのもとで4年を過ごす。
大人になるにつれて、人々がシーボルトの妻であるお滝を蔑んでいることも感じ取る。
シーボルトの言動に疑いを持ち、自分の目で見て頭で考えて行動ができるようになる。
美しい日々が、終わる時が来る。
主人公の成長と、時代の物語が見事に重なり合っている。
それらの日々を胸におさめて、もう一つの花が咲くような最後が素晴らしい。
幻滅を超えて、輝き続ける美しい日々。

Wikipediaによると、Hydrangea otaksaという学名は、植物学上有効ではないそうだ。
ツッカリニとの共著『日本植物誌』の中で、シーボルトがアジサイに与えた名前である。
しかし、ほかの人が先に名前をつけていた種類と同一のものとみなされ、後から着けたotaksaという名前は無効なのだそうだ。
その名前の由来が「お滝さん」だというのは、牧野富太郎という植物学者の推測に基づく。
otaksaというアジサイの名前は幻のようである。シーボルトとお滝さんの関係もまた幻のようである。
その儚さが、調べてみると、改めてせつなくなった。

2017.12.18

アカネヒメ物語

村山早紀 2017 徳間文庫

幸せにならなきゃ、いけないんだよ……。(p.230)

こんな言葉に涙腺が刺激されてしまうのは、自分が我知らず疲れていたり、傷ついているからだろう。
今、読みたかった言葉がここにある。
私の心の滋養として、必要な物語だ。

アカネヒメという神様は、500年間、風早の町の西のあたりを守護してきた。
まだたった500年しか生きていないから、子猫のけがを治すぐらいしかできないんだとしょんぼりしちゃうような、かわいい姫神様だ。
表紙のイラストはしっくりくる愛らしい姿で、徳間文庫のつやつやの表紙から、ふんわりと浮かび上がってきそう。
主人公はるひは、そんな姫神様をふんわりと小鳥のように肩の上に乗せて、自転車をこぎながら、またとない日々を走り抜けるのだ。

アカネヒメはとてもすごい魔法を繰り出してくれる神様だ。
人が大好きで、一人ぼっちで寂しくても、悲しいことばかりが続いても、眺めることしかできなくても、人を見守り続けることが無償の愛だ。
彼女の優しい思いは、はるひを通じて、読み手の心にも染みわたる。
読み手は、心の中に溜まっていたしんどいことを涙にして流しだしてしまうだろう。
これが、アカネヒメの癒しの魔法だ。
心がほんのり温かくなり、少しだけ、未来に向かってがんばってみようと思う力を取り戻す魔法だ。
村山早紀さんならではの極上の魔法だ。

絶望するには、まだ人間は優しすぎ、諦めるには、世界はまだ広く、人類は可能性をいくらも秘めているのだと、わたし自身がまだ思っているのですから。(p.299)

あとがきの作者の言葉は、そのまま、アカネヒメの声で聞こえてくる。

児童書として出版された当時に出会わなかったことは残念だが、大人になった今だからこそ、童心に戻って心を震わせる体験が貴重なものだ。
大人だからこそ、子どもたちを取り巻く世界の厳しさや悲しさを知ってしまっているからこそ、はるひ達の未来を守っていきたいと願う。
こんなに美しくて優しい神様が、悲しまずにすむような、そんな世界であってほしいと願わずにいられない。

よきもの、優しいもの、美しいものが引き裂かれていく。今まではこれから先もあるのが当たり前だと思っていたが、当たり前のように消えていく。
指の間からぽろぽろと砂がこぼれるように、大事なものが失われていっているのに、それを指摘すると逆に避難されるような社会が、とても苦しい。
当たり前のように未来の夢を語れる世界でなくなってきている気がしているが、それでも、まだ、希望はここにある。

この美しい物語が、100年先も、200年先も伝わるといい。

2017.11.16

魔導の矜持

佐藤さくら 2017 創元推理文庫

敗走戦が一番難しいと聞いたことがある。
逃げることもまた戦いである。

シリーズ3冊目となる今作の主人公を誰か一人と決めることが難しい。
デュナンという少女の逃避行から目を離すことができなくなる物語。
魔導士への弾圧が厳しくなるラバルタで、魔導士の見習いであるが落ちこぼれ。
人とは少し違うことを苦にして、自信を持てずにいる女の子だ。

そのデュナンが、妹弟子・弟弟子らを連れて逃避行をすることになる。
一緒に旅をする仲間に、1作目と2作目の登場人物たちも加わって、いくつもの運命が絡み合いながら、あの戦いの後の世界が紡がれていく。
それぞれの立場、それぞれの悩みや苦しみ、それぞれの戦いを見ていると、どの人物たちも愛しくてたまらなくなった。

これは、ディストピアを救う物語ではないが、ディストピアで生き延びる物語だと思う。
苦しくてしんどくてたまらないときに、思いがけない一言やささやかな出会いが、許しや癒しになることがある。
生き延びることができたとき、世界には悪いことばかりではないと気づく。たとえ、世界はなにも変わっていなかったとしても。
生きのびることだけ頑張れたら、きっと、なにかいいことだってあったりする。
頑張って生きていない人間なんていないのだから、誰にだってそんなことがあるかもしれない。
世界は悲惨がいっぱいのままではあるが、きっと主人公達はこれからも生きていく。

ともに戦う誇らしい仲間を得たような気持ちで読み終えた。
晴れやかなような、爽やかなような、少し胸を張って、前を向いて、姿勢を正したくなるような気分だ。
あなたはあなた。自分は自分。そのままでいいと、登場人物に呼びかけたくなる声は、周り回って読み手に戻ってくる。
落ちこぼれなどない。人はそれぞれ違っていていい。字が読めなかろうと、人と違う力を使えようと、人と感じ方が違っていようと、それはそれでいい。
登場人物たちの成長のきっかけを描く物語であり、そこに触れて帰ってきた読者自身が、隠れ世に行きて戻りし体験をする主人公になるだろう。
私はこのシリーズが絶品のファンタジーであり、王道のファンタジーであると思うのは、この点だ。

『系譜』や『福音』の主人公たちの成長を見守ることができるから、先にそちらを読んでから、この『矜持』を手に取ってもらいたい。

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