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香桑の近況

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小説(日本)

2018.09.11

花だより:みをつくし料理帖 特別巻

髙田 郁 2018 ハルキ文庫

あの、みをつくり料理帖の後日談。

江戸のつる家のその後。
種市をはじめとして、今は包丁を預かる政さんとお臼さんの夫婦、よい娘にそだったふきちゃん、看板娘のりうに、おりょう達家族など、懐かしい顔ぶれが入れ替わり立ち代わり登場する。
まるでここからもう一回、つる家の物語が始まるのではないかと錯覚するほどだ。
種市がどれほど、澪を慈しんできたことか。今とは違って通信も交通も発達していない時代のこと、江戸と大阪に別れることは生涯の別れに等しいだろう。
どれほど寂しくてつらくて、それを見送った種市の深い情愛を、改めて感じる作品。

小野寺家のその後。
これは読めて心底嬉しかった。
あの小松原様の目じりにきゅっと皺がよる様子が懐かしい。
その皺こそ愛しいと思って見守る妻と子どもがいる。なんて幸せなんだろう。
小松原様がお澪ちゃんと添い遂げなかったことに裏切られたような残念な思いがしていたので、読めてよかったと心から思う。
もうとっくに、小松原様ではなくて、小野寺様だけど。
この人が幸せで満ち足りていてくれたら、きっとお澪ちゃんだって安心して幸せになれるだろう。

高麗橋淡路屋のその後。
ちょっと意外だった。野江のその後と、又次のその前。
大坂の商家の様子に、『あきない世傳 金と銀』が薄く重なる。
私には懐かしい関西弁のイントネーションが耳に蘇るような気がする。
旭日昇天の野江であるなら、きっと商いもうまくいくはず。
きっと人生もうまくいくはず。
昔は美人やってんけどなとため息をつかれるような、たくましいおかみさんになってもらいたいものだ。

そして、大阪のみをつくしの様子。
雲外蒼天のお澪ちゃんは、やっぱり立ち込める雲を払いながら生きている。
一生懸命で不器用な二人が夫婦になったからと案じていたが、案じていた通りに紆余曲折があるのが髙田さんの物語。
大丈夫かいなと心配せずにはいられないが、そこは雲外蒼天。
小さい体で雲を越えて青空に飛び立つお澪ちゃんは、雲雀のような人だと思う。
何度も何度も、これからも戦い続けていくんだろうなぁ。

出てくるお料理はやっぱり食欲をそそる。
ことに、小野寺家の夕食といったら、理想的な献立ばかり。
種市の心づくしも、野江の思い出の逸品も、お澪ちゃんが源斉様のために腕を振るう料理もおいしそうであるのだけれど、乙緒が夫のために吟味する膳は、真似をしたくなる取り合わせだ。

そして、全編を通して、同じ名前だけど同じとは限らないものが、かけてあるような気がした。
言葉遊びのすれ違いは、コミュニケーションの永遠の課題でもある。
去りゆく者を見送りながら、残された者は与えられたものをしっかりと握りしめ、前を向いていけたらいいのだと思う。

10巻の物語のめでたしめでたしの後の日々は、読者としては惜しみながら閉じるしかない。
名残惜しいが読むほどに幸せになる。心の中でも蒼天が広がるような気がした。

2018.09.05

永善堂病院:もの忘れ外来

佐野香織 2018年9月5日刊行 ポプラ社

誰しも忘れたくないことがある。
忘れられないことではない。忘れたくないことだ。

主人公の佐倉奈美は、キャリアを断念して実家を離れ、祖父母の住む地方都市の物忘れ外来で働き始める。
様々な老いや死の物語が、若い女性の成長と回復の物語に転じていく。

ぴんぴんころりも、ねんねんころりも、どちらも、悲しいものである。
逝かねばならないものの押しつぶされそうな不安。
がんや認知症の病気そのもののダメージも人を不安にするが、それは死のとば口であるという認識が不安を大きくする。
自分はこれから死に向かって残り時間を過ごしていくのだと、改めて気づいてしまう瞬間から、情緒は波打ち、悲しみや怒り、様々な感情を引き起こす。

世界から人を隔絶する膜がある。見えない膜だ。
その膜は、病気だったり、傷つきだったり、孤独そのものだったりする。
祈りが膜を乗り越える時があることを信じるのが、支援職の仕事でもある。
見送らねばならないもののいつまでも尾を引く後悔を解きほどくこともだ。

すべての人が苦しみが少なく、心満ち足りて、静かに眠るように逝くことができるといいのに。
その人生の再晩年期を、その生きて働いてきた苦労が報われるようなものであってほしい。
老いや死を扱いながらも、可哀想な物語に仕立てあげることなく、爽やかで穏やかな気持ちになる稀有な物語だった。
なかでも、老医師夫婦の和解の物語が、とても素敵でたまらなかった。

レビー小体型認知症に前頭側頭型認知症、脳血管性認知症。
そう。認知症の種類は、アルツハイマー型だけではない。
サルコペニアやフレイルなど、馴染みがないとわかりづらい言葉もあるだろう。
老いや死は誰しも避けて通れないものであるが、自分や肉親がそうなってみないとわからない人もまだまだ多いと思う。
こういう物語の題材になることを通じて、これが当たり前に起きることだと、もっともっと身近なものになってほしいものだ。

死は、その人が最後にできる教育だと、私は思う。
主人公がそのプレゼントを受け取りながら成長していく。
誰かにそうやって受け継がれていくから、無駄な死は、無駄な生は、ひとつもない。
そうやって世界は、今日も回っていくだろう。

#永善堂病院 #NetGalleyJP

2018.08.31

心花堂手習ごよみ

三國青葉 2018 ハルキ文庫

続きを! 続きを早く!!
読み終えた瞬間に身もだえた。
これは、この後の展開が気になってしょうがない。

江戸は日本橋、商家や武家の女の子だけを集めた手習い所が舞台。
師匠になりたての主人公・初瀬の悪戦苦闘の幕開けだ。
旗本家で祐筆をしていた真面目でうぶな女性で、甘いものを美味しそうに食べる。
私自身も塾講師などをしたことがあるから、初瀬の悪戦苦闘にはあーあるあるとうなずいた。
彼女の戸惑いや気苦労を経て、少しずつ師匠として落ち着ていく様子を応援したくなった。

なにしろ女子校の先生になるようなものなのだから、そりゃあ生徒たちだって一筋縄でいかない。
物語の中の少女たちは、現実の症状たちと同じように、それぞれの家庭の事情があり、それぞれの個性や思いがある。
そして、女の子たちというのは噂話が好きで、人の恋話が大好きなのだ。
甘いものと並んでの大好物と言ってもいい。
少女たちと、きゃあきゃあと騒ぎ立てる気分になり、何度も笑いを噛み殺した。

子どもたちの活き活きとした様子が可愛らしくて仕方がない。
作者の方の眼差しが、このように温かみがあり、慈しむものなのだろう。
時代小説というジャンルの中で、こんなに可愛くて楽しい物語と出会えたことが嬉しい。
きっと幸せな気持ちになれるのではないかという予感が働く語り口だ。
少女たちの成長を見守ると同時に、初瀬の恋の行方を見届けたい。
物騒な話に疲れている人や殺伐な話は苦手な人には、特にお勧め。
じれったい男女が好きな方にも、ぴったり。

2018.08.01

「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。

隙名こと 2018 ポプラ文庫

高校生の目立たないけど普通な男の子が主人公だ。
教室の隣の席は、無表情で無口で、なかなか登校しない美少女だ。
高校生というのは、まだ世界をあまり知らない。
本人は知っているつもりでいても、10代ならでは、学生ならではの限界がある。
その無垢な状態は、冒険者になるのにふさわしい条件なんだと思う。
彼らの出会いから始まる物語は爽やかで、読み手を少し裏切るだろう。

笑顔の裏に、人はそれぞれの苦手や傷を隠す。
自分の隠しているものは自分だけは知っているから、自分だけがつらい思いを抱えているように勘違いしやすいものだ。
そのくせ、人もまた苦手や傷を持っていることに気づけるかどうかは、別の話になる。
どんなにわかっていても、笑顔の他者のその裏側に思いをはせることが難しいことがある。
知られたくなくて苦手さや傷を隠しているのだから、その隠し方がうまいとどうしても気づけないものであるし、気づかないふりができることも大事な社交の技術ではある。

同時に、人の幸も不幸も、冷笑したり嘲笑したり、暇つぶしのコンテンツにしてしまう御時世だ。
ネットの中には、無責任に無邪気な悪意がふりまかれている。
当事者を傷つけようなんて意思はなくて、ただ面白おかしく楽しんでいるだけかもしれない。自分とは他人事だから楽しめるのかもしれないし、不謹慎な言説を紡ぐこと自体を楽しむ文化もある。
あるいは、傷つけることを楽しむ人もいないわけではない。匿名だから、気軽にできてしまうことだ。

そういう気軽に紡がれている言葉が当事者に届く。だって、当事者はあなたの隣にいるかもしれない。
SNSではもっとダイレクトに相手に伝わる可能性が高い。
そこで書かれる悪口は、こっそりではない。聞こえるように言う悪口に等しい。
自分の笑いが、人の傷を二重三重に傷つけることになることへの想像力を、説教臭くならずに、物語としてぽんと目の前に置いて見せたところがすごい。

かといって、物語は決して重くなりすぎない。痛々しくもない。
登場人物たちが可愛く思いながら、読み手も安心して、安全なまま、読み終えることができる。
主人公たちのまっとうな感覚と出会えたことが、私にとっては希望となった。作者の方のお人柄だと想像するが、こんな物語を紡ぐ人がまだまだ生まれていることが希望である。
こういうまっとうで健康なこころの根っこを育てる物語と出会えたことが嬉しかった。
ぜひ、主人公と同年代の人たちにも、もっと年上の人たちにも、このタイトルはどういう意味だろう?と首をひねってもらいたい。

 *****

#NetGalleyJP  #「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。 #水品さん

2018.07.26

笑う猫には、福来る:猫の手屋繁盛記

かたやま和華 2018 集英社文庫

3つの短編集、どれもそれぞれに魅力がある。
宗太郎の婚約者である琴姫ががんばる「琴の手、貸します」。
宗太郎が拾った子猫田楽ががんばる「田楽の目、貸します」。
そして、猫先生がいつものように弱りながらがんばる「あすなろ」。

前作『されど、化け猫は踊る』を何度も何度も読み直すたびに涙した。
ぐったりするほど、心が揺れ動かされる名作だった。
その分、猫太郎…もとい、宗太郎も、すっかりエネルギーを使い果たして、風邪っぴきになった。
そこから始まるのが「琴の手、貸します」。
宗太郎の複雑な心境を、にやにやしながら読んだ。

場所は変わって、その後の田楽。
目の見えない少女に可愛がられている田楽が、彼女に「田楽の目、貸します」。
ちび猫は若猫に育ってきたが、なんとまあ、父親そっくりの堅物で。
可愛らしくてたまらず、周囲の先輩猫や猫股と一緒に、手助けしてやりたくなる。
なにやら、尾羽に白い羽毛が混じるカラスまで出て来て、こちらも活躍しそうな気配だ。

このまま、宗太郎は出番がないかと思ったら、「あすなろ」でいつものように困り果てながら相談相手に向かい合う猫先生を見ることができた。
四角四面の堅物だった宗太郎も、ずいぶんと丸くなり、心が豊かになったものだと思う。
こんなに成長したのだから、そろそろ人間に戻してあげてもいいんじゃないかな?と白闇に問いかけたくなった。

猫たちは、人間が大好きだ。
白闇や珊瑚といった猫股たちも例外ではない。
愛情深く、諦めながら許してくれる。
彼らのひたむきな愛情を感じながら生活しているので、このシリーズはとても愛しい。

人と暮らす猫も、今はそうでない猫たちも、福が来てほしい。
猫と暮らしてきた人も、今はそうでない人も、福が来てほしい。
いっぱい笑えるといい。

2018.07.18

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2018 PHP研究所

世界を見守る優しい精霊が紡いだような物語だ。
老いと死を見つめる人だけが持つ、どこか現世を遠くから見つめるような気配。
精霊は時々、猫の形をしているのだと思う。

主人公の一整は、働きなれた職場を離れざるを得なくなった後、桜風堂書店という小さな田舎町の古い書店に出会い、その書店と共に息を吹き返した。
そんな「桜風堂ものがたり」の幸せなその後を描く。

私は『桜風堂ものがたり』と『星をつなぐ手』のどちらも、単なる職業小説、お仕事小説のくくりに入れることはできない。
書店や出版の業界は、移り変わる時世の影響を厳しく受けている。
その業界にあって、本という星の光を守っている人たちがいる。

言葉こそ、世界の闇を照らす星だ。
その文字に込められた想いが輝く星になる。
人から人へ、人の手を経て届けられ繋がる星の光。
いつか自分が死んだ後までも輝き続ける星になる。

頑張るものには、もっともっと幸せになってもらいたい。
昔ながらのよきものが消えずに残り、弱いものは守られ、若い者は育ち、傷ついた者は癒され、年を取る者は賢く敬われ、得るべきもの手に入れ、あるべきところに収まるように。
そんな当たり前にあってほしいことが、今はとても難しい時代に生きているから、切なくも幸せな気持ちになった。

『桜風堂ものがたり』『コンビニたそがれ堂:祝福の庭』『百貨の魔法』『コンビニたそがれ堂:小鳥の手紙』と本作とを通じて、私が強く感じていることがある。
それは、作者が「終わりを見据えている感覚」だ。
主人公の成長物語であるのだが、その主人公を見守り、手助けする年長者たちの物語である。
自分の人生のピークは過ぎたかもしれないが、まだ少しだけ、誰かのために何かできる幸せがそこにすくいあげられているのだ。
私のように自分の子どもを持つことはなかった登場人物たちも、誰かに何を残し、教え、育て、守ることができる。
そこに、私はとても救いを感じた。自分自身が救われるような気持ちになった。
そういう意味で、これは若い人のみならず、人生の午後3時を過ぎた人間の物語だ。

物語というものは、古来、魔法を持ち合わせていた。
傷つき弱り迷った人の心に寄り添い、いたわり、慰め、励まし、力づける、物語の原初の魔法を感じてもらいたい。
ティッシュは箱で用意することをおすすめする。

 *****

書籍の出版に先駆けて、原稿を読む機会を得た。
この本が数多くの人の心に魔法をかけてほしいことを願い、先駆けてレビューを公開する。
ネタバレにはなってないはず。

2018.06.23

魔導の黎明

佐藤さくら 2018 創元推理文庫

真理の織り手。
このシリーズの名前がようやくわかった。

シリーズ4冊目にして最終巻。1巻と並べて表紙を見比べると、一層、感慨深い。
レオンは40代、ゼクスは30代になった。
相変わらず、仲が良くて。
相変わらず、じっとはしていられない二人だ。

物語はラバルタとエルミーヌの二つの国を行きかう。
ラバルタではますます、悲惨な状況になっている。
魔導士を弾圧するようになった国で、そこで生きるしかない人々が抵抗と反乱の狼煙をあげて10年。
さらなる差別、さらなる暴力が、人を追い詰めていく中で、希望を見出すことはできるのか。

『系譜』『福音』『矜持』の登場人物たちが次々と登場する。
あの人も、この人も。ああ、これはきっとあの人だ。
懐かしく感じる人もいて、物語がここまで進んできたことに感動した。
登場人物たちと作者と共に歩んできた過程に、感慨深かった。

物語ではあるが、この社会の閉塞感は、どこか現実の写し鏡となっている。
差別に対抗するために差別をしようとする人たちがいる。
暴力を振るわれないために、暴力で相手を殲滅させないと気が済まない人たちがいる。
差別や暴力の連鎖は、今、世界の各地で、この身近な場所でも、大なり小なり繰り返されている。
読みながら、そこにガザの人々が思い浮かび、ネット上のレイシズムやヘイトな言説が思い起こされ、時に息苦しくなりながらも、最後まで没入せずにはいられなかった。

もしも、自分の生きる価値がわからないとか、自分はだれにも必要とされていないと悩む人がいたら、このシリーズと出会ってほしい。
この作者の紡ぐ物語と出会ってほしい。
生きていいんだよね、と。
生きていいんだよ、と。

作者の方に心からのお疲れさまと、次作を楽しみにしていることを伝えたい。

2018.04.02

春の旅人

村山早紀・げみ 2018 立東舎

この本に桜の花の季節に出会えてよかった。
春の柔らかな日差しや、淡い紅色の花びらが世界を彩る季節にぴったり。
戸外で開いたら、ページの中に同じように美しい景色が広がるはず。

村山早紀さんの3つの短編と、げみさんのイラストのコラボ。
「花ゲリラの夜」と「春の旅人」は文章をイラストが彩る。
「ドロップロップ」はイラストが主役で、文章が脇を固める。
そんな掛け合いを感じる作品集だ。

げみさんの描く絵は、色合いが柔らかくて心地よい。
思い出の景色は白く淡く、時にはくっきりと象徴的。
物語を読みながら景色を思い浮かべるように、イラストが浮かび上がる。

村山さんの物語は、易しくて優しい魔法の言葉。
厳しいことや苦しいことを乗り越えていく力をくれる。
表紙の少し不思議なイラストの意味もわかる。

ページごとの天地に模様が入っているような本が好きで、そこも好み。
めくるたび、どのページも特別で、子どもの頃に買ってもらった懐かしい絵本を思い出す。
その美しさに思わず頬が緩むのだけど、シビアなテーマをぶっこむ村山さんが、かっこよくてしびれる。
この人の紡ぐ言葉は優しいだけではなく、まっとうで、背筋が伸びるお思いがした。

「地球のきょうだい」
なんて素敵な呼びかけだろう。
なんて壮大な呼びかけなんだろう。
花ゲリラも胸が躍るような思い付きだが、この呼びかけが私に一番響いた。
優しいだけ、美しいだけではない。
春ごとにツバメにおかえりなさいと声をかけ続けたいから、自分のことでいっぱいいっぱいの日にも、「きょうだい」と遠くから呼びかけてくれる青い光を心に留めておきたい。

2018.03.06

コンビニたそがれ堂 小鳥の手紙

村山早紀 2018 ポプラ文庫ピュアフル

クリスマスの頃に書かれた、冬の空気が春の気配に溶けていくような優しい物語。
雪が、雪柳になる。冬の金属質のにおいが、花のほろこぶ香りになる。
3つの物語、それぞれに胸がきゅうきゅうと締め付けられ、何度も涙がこみ上げ、鼻をすすり、ティッシュペーパーのお世話になった。
これから読む人は、どうぞ、タオルと箱ティシュのご用意を。

コンビニたそがれ堂のアルバイトから店員になったねここさんが、お弁当を届けるところから始まる「雪柳の咲く頃」。
猫さんが出てきたところで、既に泣きそうになった。
思い出すのは、かつて、駅前の角にあったタバコ屋の景色。
猫のおしっこのにおいがする、古くて汚いと、嫌がる人もいたことを知っている。
私が見たのは小柄な黒猫の女の子。赤い布のリボンを首につけてもらっていた。
その女の子に会いに、でっぷりと大柄なキジトラさんが通っていて、店頭で招き状態になっていた。
駅の主のように堂々と横切るキジトラさんで、通りすがりの人たちにも機嫌よく撫でられていた。
私が座り込んで撫でていたら、若い男性から声をかけられて驚いたことがあった。その男性は猫ご飯のパウチを片手にしていて、あげないかと声をかけてくれたのだった。
そのキジトラさんを最後に見た時、足を引きずり、汚れて、やせており、もう立ち止まってはくれなかった。

角のタバコ屋も、もう今はない。
もう今はない景色が、風早の町は思い出させてくれる。
再開発の名のもと、壊されていった大正時代からの商店街や戦前からの駅前の通り、住宅地。
新しい町になると、便利になる、安全になる、きれいになると言われるし、それはそうかもしれないが、私の心の中に刻まれた古くて懐かしい景色がきらきらと蘇る。
きっと風早の町は、そんな心のアルバムに刻まれた景色の集合体であるから、子ども心に戻って遊ぶことができるのだろう。
心が惹かれずにいられないのだろう。

ふたつめの「小鳥の手紙」は、最後の数ページで頭の中が真っ白になるほど泣いた。
こんなに泣いたこと、あったっけ?と思うぐらい泣いた。
更に、3つめは『百貨の魔法』の番外編になっていた。
コンビニたそがれ堂の風早三郎さんと、百貨の魔法の白い子猫の競演とは、なんて豪華なんだろう。

なにげないシーンのひとつひとつ。
たとえば、おでんのこんにゃくを食べる。
それだけのことなのに、声をあげて泣きたくなった。
途中から、涙のスイッチが切れなくて大変だった……。
これはどういうことだろうと考えてみる。

寂しかったり、悲しかったり、つらかったりしている子ども達や、かつて子どもだった人たちに、こうなったらいいなぁ、こうしてあげたいなぁ、と私が思うことを、私の代わりに村山さんが物語の中でしてくれる。
だから、私にとって願望を充足してくれる物語である。
私は子どもを持つことがなかった人間であるが、誰かの心の代理母のように、愛情を注がせてもらい、しかも、愛情を返してもらうことがある。
そうとしかできない私を肯定あるいは受容してくれる物語のように感じた。
だから、私はこの本を読むと、ひどく安心することができたのだと思う。
いつにも増して優しくて優しくて、自分を見守る眼差しを感じつつ、自分もまた誰かを見守り続けたいと祈るように誓うように思った。

作者の方をTwitterで追いかけているので、この本を書かれた時、作者の方がとても大変そうだったことを記憶している。
その様子はあとがきにも書かれているのだが、そんな時にこんな優しい物語を……と思うと、それはそれでまた胸がつまった。
優しい方が紡ぐ、優しい言葉の、こんな優しくて素敵な魔法を信じていたい。
大丈夫。世界はきっと悪いことばかりじゃない。いいこともある。
人の心は捨てたものじゃない。未来には、なにかよいものが、きっとある。きっと。

2018.02.27

さくさくかるめいら:居酒屋ぜんや4

坂井希久子 2018 時代小説文庫

冬から春へ。
物語のなかの季節の移ろいにあわせて、お料理も変わる。
豆腐百珍もなかなか試す機会がないが、本を読んだ春先にぴったりの献立ばかりは、作ってみたいとメモを取った。
春牛蒡の南蛮漬けに、ふきと厚揚げの煮びたし、菜の花と馬鹿貝のぬた……。
ふきが手に入らなければ白菜か小松菜にかえて、馬鹿貝の代わりに浅蜊にすればよいなどと、自分で作りやすい献立に頭の中で入れ替える。
そんな料理を考える楽しみがいっぱいの、食テロ小説のひとつだ。

なるべく無駄を出さぬよう、献立を決めることに夢中になる。
そんなお妙の楽しみはよくわかる。
私は作っているうちに、ほかのものが派生してエンドレスになりがちであるが。
しかし、時は江戸時代。場所は江戸。
食材はともかくも、便利な調理器具はそれほどあるわけではなく、大量に料するのは大変だったことだろう。
作るのは楽しいが、ともかく手間がかかるのだ。こんなに作るって何時間立ちっぱなしなんだろうなんてことが心配になる。

他方、只次郎のほうにも、変化が起きたのがこの巻。
なんといっても、ライバル登場である。
なんのライバルであるかはここでは書かないことにするが、只次郎が少しずつ大人びてくるのを感じる。
とうに大人の只次郎よりも、姪っ子のお栄のほうが更に成長するので、林家の家族関係自体が落ち着いてきて、なんとも微笑ましかった。
せっかくならば、台所事情も落ち着けばいいのになぁ。

家族とシェアして読んでいるこのシリーズは、「うぐいすを飼っているお侍の」というと、母に通じる。
母は母で、「うぐいすのふんの」という。
ふん、は、ちょっと違うと思うが。
そのうぐいすであるルリオにも季節は廻っているようで、次の巻はまた波乱があるのではないかと思いながら閉じた。

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