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香桑の近況

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小説(日本)

2017.09.21

紅霞後宮物語 第零幕:2、運命の胎動

雪村花菜 2017 富士見L文庫

ようやく文林が登場し、未来の夫婦が出会う巻。

小玉が順調に軍のなかで活躍し、頭角を現しつつある時期の物語である。
なんでこの人、皇后になったんだろう?という戸惑うことになった。
こんなに軍人としての適性を発揮していくのに、なんで後宮にいなければならないのか。
本編の第一巻の主人公の戸惑いを、今になって私が感じた。

と、同時に、文林よ、彼女をくれぐれも大事にするんだよ、と言い聞かせたくなった。
大事にしたくなっているとか、言うている場合じゃない。
大事にするんだ。しなければならない。それぐらいの傑物だぞ、と。
この第零幕を読む限りにおいて、あんなにこじれなくてもよかったのに、と思っちゃう。
相手が小玉ならば、仕方ないのだろうか……。

小玉と明慧が二人並ぶ景色を見られたのはよかった。
楊三郎氏が意外にも出番があったのも嬉しかった。
著者の方が精力的に書いてくださるのも、読者としては嬉しい限り。

2017.09.05

砂漠の歌姫

村山早紀 2006 軽装版偕成社ポッシュ

世界の美しさと人の愚かさを、優しく包み込むような物語だ。
子ども向けに描かれた本であるが、だからこその語り掛けの穏やかさが心地よい。

砂漠の中の古い歴史を持つ町が舞台だ。
その大陸の長い歴史を背景に、少女たちの冒険が始まる。

戦う女の子を応援をしたい。
そんな気持ちで次に手に取ったのが、この本だ。
ファンタジーを読みたい気持ちに火が付いてようやく読みはじめた。
読み始めてしまえば、子ども向けだろうと、大人向けだろうと関係ない。
見知らぬ街で一人、歌姫になる学院の生徒として生活しなければならないユンと共に、冒険にのめりこむだけだ。
魔法の水晶に地下迷宮。年を取らぬ不思議な先生。飛竜の乗り物。古の預言と契約。
魅力的なアイテムがこれでもかと出てきて、わくわくする気持ちを抑えられなくなった。

その最後まで、とても好みの一冊だ。

村山さんの物語は、戦う女性が多い。
イザも、ファリサも、どちらも魅力的なお姉さん達だ。
かっこよくて、少し影があって、美しくて、信念があって、頼もしくて、結構、武闘派。
こんなかっこいい大人の女性に自分がなれているかはわからないけれども、ユンの目線で彼女たちに憧れて見たり、リアルな自分の眼差しで彼女たちを可愛らしく微笑ましく見てみたり。
自由の歌を口ずさみ、勇身を右手に、優しさを左手に握りしめ、自分の心と頭で感じて考えて生きている。
男性が不在というわけではないが、女の子たちだって主人公になって冒険したいのよって元気のよさを感じる。
女の子たちだって、主人公になって冒険していいんだよって、励ましが詰まっている。

2017.06.21

紅霞後宮物語 第六幕

雪村花菜 2017 富士見L文庫

最後の一行がいい。

それに尽きる。
感想がそれしか出ないぐらい、いい。読んでよかった。
いまいちすっきりしなかった前巻の意味も、あとがきを読めば納得。

ここから戦争に出陣していくわけであるが、ここまで話が続くとは思わなかった。読めるとは思わなかった。
物語の中には時間の流れがちゃんと存在しており、登場人物たちの成長や老化が感じられる。
この先、だれが生き残るのか。
伝説になるぐらいだから、小玉の活躍はたぶん約束されているのだろうけども、死んでいくであろう人々を思うと、少しためらう気持ちがある。
しかし、この夫婦、やっとここまで成長してきたので、引き続き見守りたい。

ほんと、こういう主人公、好きだよなぁ。
戦う女性が主人公の物語は好物なのだが、この最後の一行はかなり好きだ。
キャサリン・アサロ『スコーリア戦史』のソースコニーの名台詞と並べておこうと思う。

罪の声

塩田武士 2016 講談社

ぶあつい。このずっしりとした重みが、読み終えた時に、違う重みになる。
なんという物語なのか。

グリコ・森永事件に題材を取った小説である。
私にとっては名前とキツネ目の男のイラストの印象のほか、概要については記憶もおぼろだ。
そんな事件だったのかと初めて知ることもあり、どこからどこまでがフィクションになるのか、私には境目が朧だった。
事件の真相を追ううちに、その先にあるものを考えずにいられなくなる。
何があったのか。誰が起こしたのか。それだけではない。
その後、彼らの家族はどうなったのか。彼らにも家族がいたのではないか。

実際のルポルタージュを読んでいる感覚になり、既視感を覚えた。
そうだ。清水潔さんの著作を読んでいるときの気分に似ている。
物語の語りの中心にいるのは二人。そのうちの一人が、未解決の昭和の事件であるギンガ・萬堂事件を取材するように言いつけられた新聞記者だからだろう。
もう一人の主人公は、京都でテーラーを営む青年。この青年が実家から一本のテープを発見するところから過去への旅路が始まる。
そのテープは事件に使われたものであり、そのテープの声は子どものころの自分だったから、だ。

取材する者と、犯罪加害者の家族かもしれない者。
二人の視点から、別角度から照射するように、事件のあらましが少しずつ見えてくる。
取材する者と想起する者それぞれの視界が重なり、やがて二人がそろって事件を見た時、過去の事件を見直す意味も立ち現れる。
大きな事件のその後。そこに残された人々の傷の一つ一つを取り上げていく筆致は具体的かつ現実的で、的確だ。
被害者でもない、加害者でもない。でも、被害者の家族の会はあっても、加害者の家族の会はないのだ。

誰かを断罪するためではなく、誰かを救済するための情報発信。
なんのためのジャーナリズムなのか。これはリアルに反映されてほしい問いかけだ。
興味本位の、偏見に満ちた、印象操作による、集団による私刑になってはならない。
誰にどのような利益をもたらすための報道なのか、報道する側にはどこかで意識してもらいたい。
大本営発表になってはおらぬかと、リアルでメディアを批判的に見ることが多いため、しみじみと噛み締めたい物語だった。

そして、閉じてしばらくしてから思う。
この物語の中でも、キツネ目の男は最後まで謎のままに消えていることに。

2017.05.20

異世界居酒屋「のぶ」三杯目

蝉川夏哉 2017 宝島社文庫

ジャンルわけするなら、食テロ小説。
読むにつけても、あれがおいしそう、これがおいしそうと、食欲を刺激されて仕方がない。
しかも、どれもが居酒屋メニュー……のはずだが、こんなに充実した居酒屋なんて滅多にない。
お稲荷様の加護を受けて、なぜか異世界で商うことになった居酒屋「のぶ」も、早くも三冊目。

今日も様々なお客さんが暖簾をくぐり、舌鼓を打つ。
そのお客さんが、だんだんと豪勢になっていき、これ以上はないような客層に恵まれている。
歴史の表舞台に立つのは問題がある店なのだが、しかし、ここで確かに歴史が動いていることを忘れるぐらい、メニューのひとつひとつがおいしそうで、お酒もおいしそうで、登場人物ひとりひとりの食べっぷり飲みっぷりにつられそうになるのだ。
のぶについての報告書を読んで、実際に訪れてしまうお嬢さんが出てくるが、気持ちは本当によくわかる。

章が短めであるので、軽く読めて、拾い読みしようとすると最後まで読みたくなる。いや、読んでしまう。
同じような毎日の繰り返しに見えて、確実に時が流れている物語だ。
登場人物たちは、転職したり、結婚したり、それぞれの人生を少しずつ進めていく。
その人間模様は心温まり、この物語の魅力は実はそちらのほうにある。

いつか、このお店がこの世界では閉じる日が来るのだろうか。
現実では、異世界には関係ないこの世界でも、永遠に続くお店なんてないけども。
御伽噺のように、いつまでもいつまでも繁盛していましたってなってほしい気がする。

改めて、食テロ小説として挙げるなら。
居酒屋「のぶ」は間違いなく個人的にはベスト3にはいる。
ほかは、高田郁『みをつくし料理帖』と、香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常』かなぁ。
でも、有川浩『植物図鑑』と、村山早紀さんの風早街サーガもおいしそうで。
ご飯がおいしそうかどうかは、私にとって大事なポイントだってことが、自分でよくわかった。

2017.05.13

はるかな空の東

村山早紀 2017 ポプラ文庫

今よりも幼かった頃、ここではないどこか、自分ではない自分に憧れを持ったことがある。
本当はどこか違う場所に、居場所があるのではないか。
自分でも知らない何か特別なものを、自分は持っているのではないか。
そんな憧れを持ち、空想の翼を広げることを、この物語は間違いなく助けてくれる。
豊かな想像は、子どもの心を自由で柔軟で、活き活きとした精神に育ててくれるのだと思う。

子どもがほんの少し大人になり、大人は子どもを取り戻す。
それがファンタジーの精髄だと思う。
村山さんの言葉は、想像の世界を歩き始めた子どもの手を優しく取り、安心感を与えながら案内してくれる。ナルの旅につきそう水晶姫のように。
あるいは、この旅路を歩んだことのあるかつての子どもに、旅の面白さ、命の尊さ、仲間の素晴らしさ、世界の美しさを思い出させてくれるだろう。
問答無用で放り込まれた世界で、運命にもてあそばれるのか、運命を自分で選び取るのか。
教えられ、助けられ、慰められ、励まされ、鍛えられ、いつしか、道行は自分の旅になる。

たくさんの人に愛されてきた作品であると聞いている。
今回、文庫化されたことで、私も読むことができた。
光と闇の対決であり、剣と魔法の物語であり、幻獣と精霊のいる世界で、歌が最強なのがいい。
敵を殺す剣や魔法ではなく、人のために祈る歌が鍵になるのが、とてもいい。
文章では音楽は再現できないが、読み手の耳に、胸に、きっと歌が響き渡る。
はるかな世界、その空の東に夜明けを迎えるような、美しくときめく物語。

本を閉じてからも、主人公達の旅は続き、読み手はその旅に思いを馳せてきただろう。
新たに書き足されたという最終章であるが、そこだけでも、本数冊分になりませんか?とびっくりした。
これはきっと単行本を既読だった人たちには、衝撃ではなかろうか。
そして、私は、いつでも、本を開けば、この世界を旅ができるのは、なんて素敵な魔法だろうと思った。

2017.05.12

恋歌

朝井まかて 2013 恋歌 講談社

苛烈で凄惨。
歌は、その歌だけで味わうのもよいが、背景が加わることで更に輝きを増す。
それが命がけで詠まれたものであるなら尚更、背景を知ることが意味を知ることになる。
幕末の時代から明治を生きた歌人、中島歌子の生よりも、その時代の描写に圧倒された。

明治維新は江戸城の無血開城で成ったとはいうが、施政者がただ単に交代しただけではなかった。
なにも江戸城や京の都だけで起きた大事件ではなく、その時代に住む人の生活をあちらこちらで大きく変えるものだった。
たとえば、髙田郁『あい:永遠にあり』も江戸城の外で展開される幕末であったが、主人公のあいは中島歌子に比べればまだ穏やかな人生であった。
二人を決定的に分けるのは、あいが農民、歌子が商人の娘であったことよりも、夫が医師であるか武士であるか、それも水戸の武士であったかどうか、であるように思う。

登世という娘は、江戸の富裕な商人の娘として何不自由なく生まれ育った。
彼女が結婚した相手は水戸藩士。
当時、水戸の藩士は天狗党と諸生党に二分して政権争いをしていた。
その争いは、積年の恨みとなり、血で血を洗い、骨を相食むことになる。
戦闘の表舞台に登世があがることはないが、武士の妻女として投獄されて悲惨を味わう。
食べものを十分に与えられず、寒いなかに捨て置かれ、傷病の手当ては受けさせてもらえない。
身分の高い家の子どもともなれば、趨勢が決まった時に目の前で斬首されていく。
そんな悲惨を味わう。

これのどこが、アウシュビッツと異なるだろうか。
明治維新は、ほんのたった150年ほどの昔のことだ。。
当時は当時の教育があり、知性があり、理性はあっただろう。
しかし、人は残酷になれる。どこまでも冷酷になれる。野蛮にはきりがない。
日本人は礼儀正しいとか、武士は高潔だったとか、思いたがる人たちもいるけれど、例に漏れず、こんな野蛮な歴史をちゃんと抱えている。
この野蛮さは過去もあり、現在もある。現在だって、残念ながらしっかりとある。
尊皇攘夷を謳った人たちが維新後に先を競って欧米に倣おうとした皮肉と矛盾も、今も大差がない気がする。

この物語、導入と結びの仕掛けも素晴らしい。
一人の歌人の手記を通して、歌しか抱きしめることができなかった恋と、歌しか残すことができなかった人々が語られる。
そして、歌を命がけで詠むような時代ではなくなってしまった世界に、歌ではないものを残していく。
いとしい人は、どうして先に死んでしまったのか。
厳格に追求すれば騒乱が起きる元。相手が滅ぶまで追求しあう男達の対立を、人を愛すること、人を知ることで、ささやかに解決を図ったのは女達だった。
忘れられない愛しさだけが憎しみを超えて、復讐を恐れて手加減できなくなる愚かしさを、終わらせることができたのだ。
心のままに生きることの難しさ、共に死ぬことの難しさが切なかった。

2017.05.11

官能と少女

宮木あや子 2016 ハヤカワ文庫

一癖ある恋愛短編集。
どこか胸の奥に刺さるような、胃の腑がつかまれるような、そんな苦い痛みを持つ短編ばかり。
恋愛やエロティシズムに釣られて読み始めると、その欲望に傷つけられた者の痛みを見せ付けられる。
愛しい手は私から何もかも奪い去った手である。私を根底から傷つけたその手を、愛しいと思うしか、生き延びる術がなかった。
そうすることしかできなかった悲しみが、不思議な透明感を持って描かれている。
これは、少女たちの物語。官能と女性、ではない。少女というところが心憎いタイトルだ。

この傷つきを幻想的だと感じる人は幸いだ。作り物だと思える人は幸いだ。
恋愛という甘ったるくて見せ掛けだけの能天気で夢見がちな理想論は、ここにはない。
可哀想と嘆く同情や、そんな関わりは許されるべきではないと否定する良識に、簡単に押し殺されてしまうほど、こういう傷つきは隠されやすい。
世の中に、性暴力や性虐待は、実に多い。加害者に暴力や虐待の意識がなくとも、身にも心にも大きな傷を抱えながら生きている人は多い。
明確な暴力の既往があるわけではないので表に現れることはないが、普通の性を送れない生きづらさを抱えている人となると、いかほどばかりか。
LGBTとは違う次元で、性の苦しみと悲しみと痛みを、一見はエロティックに描いて見せたところが作者の手腕に思う。

宮木さんの短編集は、一冊の中でどこかとどこかが繋がっているところが好きだ。
この物語も、ゆるやかな円環を描く構造になっている。
どこがどう繋がっているかは、読んでからのお楽しみ、のほうがいいかな。
この本、宮木さんの本だからと買ってみたら、読んだことのある本だった。
タイトルをまったく憶えていなかったので、見覚えのある文章に立ち読みでもしたのだろうか?といぶかしんだが、最後まで読んだことのある本だった。

私の記憶力って。

2017.04.25

ちゃんちゃら

朝井まかて 2012 講談社文庫

庭師の仕事は空仕事。
なんて素敵な表現だろう。
まかてさん初読みである。

元気のいい庭師一家の物語だった。いなせで、憎めないというよりも、心憎い。
お侍が刀を振り回すわけではない、江戸の職人達の生活を感じるほうの時代劇だ。
庭師の親方である辰蔵の娘のお百合と、辰蔵が拾って職人に育てているちゃら。
この二人を中心に、5つの庭をめぐりながら、物語が進んでいく。
なにしろ、ちゃらの成長物語と思いきや、大きな事件がでーんと中央に構えている。
この二本の柱があるおかげで、先を急いで読まずにいられなかった。
和風の庭園の作法に詳しいわけではないが、草木には少しは馴染みがある。
といっても、思い浮かばない植物があれば、検索しながらというのも面白い。

浅い池と築山、三尊石を置いて、春の風の匂いを味わえるように按配した千両の庭。
料亭の女将が依頼主の、蘇鉄や棕櫚、芭蕉が植えられた南蛮好みの庭。
老夫婦のための、古里の庭。いかにもな庭作りから脱却した、自然の景色を活かした庭だ。当時の江戸には自然の雑木林が残っており、それを伐採して狐狸を追い出す悲しみをちゃらが知る場面、よくぞ書いてくれたと思う。
祈りの庭。主人公達がよく出入りすることになる寺のために普請する庭を通じて、庭とはなにか、改めて問いかけてくる。これが、第三の柱だ。
そして、名残の庭へと続くわけであるが、私にとって、この見え隠れする第三の柱が胸を打った。

絵に描いたような理想論があるとする。
その理想論に沿った施策は、しかし、人を必ずしも幸せにするとは限らない。
理想に人を従わせるのではなく、その理想を作り上げた始祖たちの思いを馳せてみるとよい。
理想の高さを盾に、理想に従えない人を切り捨てず、打ち据えず、人が思い描く理想に耳を傾け、心を通じさせることが大事ではないのか。
人は自分に繋がる配慮があって、初めてくつろぐことができる。
自分のためにと祈りをこめられた営為にこそ、人を幸せにする力があるように思うのだ。
庭という表現方法を取り上げながら、そこには、人としての生き方や祈りのありよう、幸せのありようが問われていく。
木を植える人は平和を作る人である、と、ベトナムの人から教えられたことを思い出した。

テンポもよくて面白い。胸もすくし、しんみりとする。
そんな素敵な読み応えのある小説だった。

2017.04.21

ふんわり穴子天:居酒屋ぜんや

坂井希久子 2017 時代小説文庫

美人の未亡人が商う居酒屋ぜんや。
そのお妙にぞっこんの、武家の次男坊の只次郎。
二人それぞれが主人公を務める短編集だ。

お妙にはお妙の事情があり、物思いがある。
只次郎はには只次郎の事情があり、物思いがある。
そのあたりは面白みを感じるところである。

時代考証など、自分はそれほど詳しくないけれども、少し首をかしげることはある。
たとえるならば、テレビの時代劇を見ているような感覚なのだ。
江戸時代の風俗ならではの奢侈を禁じた改革であるとか、棒手振りたちの呼び声であるとか、遊女の書いた起請文であるとか、細工や仕掛けは色々と講じてある。

主人公の只次郎が士分の身分にこだわらないことと、現代的なくだけた言葉遣いで統一してあることから、時代背景に思いを馳せることなく読むことができる。
江戸時代っぽいいつかぐらいの雰囲気を味わうことができ、時代劇に慣れていない人にも読みやすい。
逆に、時代劇に慣れていると、いささか物足りない……こともあるかもしれない。
その点、歴史小説ではなく、時代小説、時代劇と思えばよいかも。

前巻で人間関係はだいたいできあがっていたので、お妙を魅力的に描くところは少なめであるが、代わりにお妙の内心を描く部分が増えた。
只次郎よりもお妙のほうに主人公がうつったかと思うぐらいだ。となると、只次郎がお妙の料理に舌鼓をうつ場面も前巻に比べて控えめに感じたのである。
気楽に読めるのはよいところなのであるが、料理のところとなると、二番煎じの感を禁じえないところが、損をしているかもしれない。

だが、未亡人となり、独居している女性ならではの生きづらさを描くことで、登場人物が活き活きとしている。
妙に志乃、栄、それぞれの生きづらさが一番の読みどころのように思った。

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