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香桑の近況

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小説(日本)

2019.02.13

コンビニたそがれ堂:猫たちの星座

村山早紀 2019 ポプラ文庫ピュアフル

これは自分の物語。

特別な一冊が、また増えた。

この世で売っているすべてものが並んでいて
大事な探しものがある人は 必ず ここで見つけられる

風早町を守る狐の神様が趣味でしているコンビニたそがれ堂。
そのシリーズも8冊目となった。今回は「一冊丸ごと猫特集」である。
今日のたそがれ堂のお客さんになるのは、しっぽの短い麦わら色の子猫。

子猫がとぼとぼとてとて、冬の寒い町を一人で歩いているところを想像してほしい。
温かい安心できる家から離れて、足の裏を汚したり、怪我したりしながら、お腹をすかせて歩いている。
それだけでもう、私は泣かないように唇をぎゅっとかみしめたくなる。

その子猫の願いを聞いた押しかけ店番のねここは、二つの物語を聞かせてあげるのだ。
人と猫の、優しい優しい物語を。

生きていく末に、人は必ず老いる。病を得ることもある。
そして、必ず死ぬ。
死は悲しみや寂しさをもたらすものであるが、死なない人はいない。
この数年の著者は、いつか気持ちよく旅立つような、そんな死もあるだろうと、教えてくれるようになった。
死を嘆くばかりでもなく、恐れるばかりでもなく、満足した心持で、いつか来る日を迎えることができるかもしれない。
それは、人生の折り返し地点を過ぎた私にとっては、この上ない希望であり、福音だったりする。

ここからは、多少のネタバレも含む。

小説家は魔法使いのようだと思った。
冒頭の子猫が歩いているシーンから涙ぐんでいた私だったが、『サンタクロースの昇天』の後半は、涙が流れて止まらなくなった。

だが、本番は『勇者のメロディ』のほうだった。
村山さんが、私をして特に泣いちゃうかもねと予告してくださっていた意味がよくわかった。
これは泣く。絶対に泣く。今、読み返していても泣く。
私にとっての勇者のメロディであるDQ2の「果てしない世界」を耳に蘇らせながら読み進めた。

そう。そうなんだよ。
このシリーズを読んだ人なら、自分がたそがれ堂に行ったらなにがほしいか、きっと考えたことがあるだろう。
私は行ってみたいなと思っても、ほしいものが思い浮かばないのだ。
しいて言えば、美味しいと噂のおでんとおいなりさん、そして、コーヒーをいただきたい。
それだけで、もう十分、私は自分の人生を満たされてきた。あきらめてきたものもいっぱいあるけれど、それは今ほしいものではない。
私よりも誰かもっと必要な人に、奇跡は譲ってほしいとさえ思っている。

そんな心を、どうやって見抜かれてしまったのだろう。
自分が暴かれるようで恥ずかしいけど、自分をわかってもらえたという体験が襲ってきた。
しゃくりあげるように泣いてしまったとしても、仕方なかったのだと思いたい。図々しいとは思うけれど、これは自分の物語だと思うことにする。
実際に占い師のような仕事をしているわけだし。
いつか、見送ってきた猫たちと会える日を夢見ておきたい。

そして、麦わら色の子猫にはとっておきの魔法が与えられる。
素晴らしい未来。これ以上の魔法はない。

2019.02.04

シェーラ姫の冒険(上)

村山早紀・著 佐竹美保・絵 刊行日2019年3月15日 童心社

母親の大きな指輪を借りてみたり、ミントティーや羊の焼き肉ってどんな味だろうと想像したり、かつて、たくさんの子どもたちが魅了された物語。
初読みの大人も、最初の数ページでわくわくして、冒険の旅の仲間となりました。
大人が読んで違和感のない、さりとて児童文学の気配のある、絶妙の難易度調整がされた整った日本語になっています。

悪い魔法使いに石にされてしまった王国を救うため、7つの宝石を探す旅に出た3人の子どもたち。
素直で元気でお人好しで優しくて怪力なかわいいお姫様。シェーラは心も体も強くあろうとしている特別なお姫様ですが、誰もが思わず笑み返したくなるような魅力を持っています。
シェーラの幼馴染のファリードは魔法使い。
途中から旅に加わるハイルは元盗賊で、短剣使い。

子どもたちの敵である悪い魔法使いサウード。
元盗賊の錬金術師ハッサン、魔法の杖と地図の話を教えてくれる賢者ハシーブ、正義の海賊シンドバット。
砂漠のオアシス、海の中の幽霊船に守られた島、雪深い山奥に建つ王国、空を飛ぶ賢者たちの住む都市。
それぞれの章(きっと、これが一冊ずつだったのでしょう)ごとに、新しい舞台が広がり、新しい登場人物と出会い、シェーラは成長していくのです。
悲しいことやつらいこともあるけれど、シェーラ姫たちと一緒なら、きっとなんとかできると信じられる、素敵な物語です。

読み手は旅の4人目の仲間になったり、シェーラ姫に乗り移ってみたり、ファリードやハイルに憧れてみたりしたことでしょう。
たくさんの子ども達が魅力されたのもよくわかります。
こんな物語に幼いうちに出会えると、きっと心のなかでキラキラとお人好しで優しくて素直な笑顔が輝き続けるに違いないと思いました。
シェーラ姫のお友達だった人は再会を喜んでください。

初めて出会う人は、私と一緒に冒険を楽しんでほしい。
美しくて楽しくて、童心に戻ってわくわくして読み進めました。
続きが気になります。早く読みたくなります。
でも、一言ひとこと、丁寧に読みたくなる美しい物語。
本として手もとにくる日を楽しみにしています。

これはおまけの感想ですが、なんとなく、「ですます」調で感想を紡ぎたくなりました。
#NetGalleyJP さんで読ませていただきました。

2019.01.28

あずかりやさん:桐島くんの青春

大山淳子 2018 ポプラ文庫

これは、セラピーの本だと思う。
心理的な援助職についている人が、自分たちが何をするか、見直す視座を与えてくれる本だと思う。
一冊目から予感のようなものはあった。二冊目はそれ以上だ。

「困ったときはそこへ行こう」となぜだか思っていました。ふるさとのないぼくにとって、それにかわるような存在だったのかもしれません。他人のものを受け入れ、あずかってくれる場所がある。そのことが心に余裕のようなものをくれていたような気がします。(p.10)

これは、セラピーの本だと思った。冒頭から。
心理的な援助職とは、こういう機能を果たすものだということが、そのまま書いてあるように思った。
今、目の前にある関係でなくていいのだ。
心のどこかに繋がり、余裕をもたらすことができたら、いい。
治療者の姿勢を示されたように思った。ちょっとした衝撃だった。

桐島くんの青春というと、一冊目に登場した石鹸さんとの物語かしら?なんて想像しながら読み始めたのだけど、そんな具合に最初からやられてしまった。
一冊目が、和菓子屋だった頃の名残ののれんやガラスのショーケースが店について語ったように、今度は文机が語りだす。
お客さんの一人が語り手となるのは、青い鉛筆の物語。
「夢見心地」と題された、オルゴールの長い長い物語。古い細工物の持つ歴史は、中高年の心境と響き合う深みがあった。
そして最後に、桐島少年が主人公となる。初めて、桐島の「目線」で語られる物語だ。

不思議なものだ。
物語というのは、文章というものは、「目」で読む。
しかし、そこに綴られているのは「言葉」であるから、映像が示されているわけではない。
あずかりやさんの店主である桐島は、途中で視力を失った青年であるから、音や香り、手触りや気配といったものを大事にする。
本は目で読むけれど目に見せず、音や香りも再現するわけではない。
だから、きっと、文字でも難しいけど、「言葉」が、視力の有無にかかわらず、私たちを繋ぐ共通言語となる。
言葉だけがなれるのかもしれない。

桐島は少年だった時から、淡々としている。
ただ、受け入れることしかできなかったこと。否認することしかできかなかったこと。
変わってしまった世界の中で、変わらないものを保とうとする。
映像としては確認できなくなってしまった思い出を、違う形で記念して、残さざるをえなかった。
彼にとって写真は確かめようがなく、音もにおいも熱も手触りも残しようのないものであるなら、こうするしかなかったのだと思う。
それはとても、とてもとても、大事なものだったから。
その大事なものは何であったか、本書を読んでもらいたい。

もしもは現実になりました。もしもは未来にあるのです。夢は持っておくものですね。(p.165)

「もしも」は心残りです。その心残りこそが「夢」ですし、それがこの世に生まれた証で、宝物のような気がするのです。(p.170)

このような哲学に裏打ちされた、心根の美しい物語だった。

 *****

ここで感想を終えてよいのだが、もう一つだけ、付け加えておこうと思う。
これも「夢見心地」という短編からの引用になる。

見えない目標に向かって試行錯誤するのが芸術家で、見えている目標に向かって試行錯誤するのが職人なのではないでしょうか。(p.115)

artは芸術という意味と、技術という意味と、両方を持っているから、単純にわけることは難しい気もするが、私の中で連想が働いた。
悩んで心理療法を希望する相談者は、目標が見えない中での試行錯誤という点で、芸術家のようなものではないだろうか。
そして、そのような人を支援するという目標を見ながら試行錯誤する心理支援職は、職人でありたいと思ったのだ。
職人芸もまた芸術的であるように、人を支援する技術を磨き続けておきたいものだ。

2019.01.25

あずかりやさん

大山淳子 2015 ポプラ文庫

え?

と、不意打ちされた。
一人称でつづられるオムニバス形式の短編集で、語り手は話ごとに代わっていく。
主役は語り手よりも、どちらかというと、あずかりやさんとその店主であろう。
あずかりやさんとその店主をめぐる物語を、関わるもの達が語っていく。
その語り手に驚いた。意表をつかれた。びっくりした。

あずかりやさんの店主である青年は、名を桐島という。
店の入り口に揺れるのれんは「さとう」と白抜きにした藍染。
その由来も物語に譲るとして、この青年は視力を途中で失っている。
だからこそ、彼を見守るもの達しか、資格情報を語る語り手になりえないのだ。

この仕掛けを最大限活かす巧みさと同時に、過剰な悲劇性をこめるのではなく、個性として描く書き手の姿勢が素敵に感じた。
目が見えないから生じうることに、時々、物語の筋とは別のところで、はっとさせられることもあった。
だけど、魅力は、彼の忍耐強いたたずまいにある。
静かで淡々とした語り口の優しくて柔らかい物語である。

1日100円で、なんでも預かるというお店。
その不思議なお店がどのように始まったのか、第一話から引き込まれた。
下町の商店街の昔懐かしいようなのどかさと、徐々に失われていく寂しさと。
一冊の中で時間が容赦なく過ぎていくことがもったいないような素敵な世界だった。

Twitterでフォローしている書店員さんたちがずいぶんと話題にしていた本だった。
記憶にいつか読む本として記録されていた一冊だ。
本来の表紙の上に、あたたかな色合いの市松模様のカバーがかけられて、平置きにされていた。
気になって、気になって、ようやく手に取った。
これは、読書好きの心をつかむはずだ。優しい心の本好きさんたちに愛されるはずだ。

2018.10.19

学園ゴーストバスターズ2:夏のおもいで

三國青葉 2018 小学館文庫

恭夜と冴子の冒険譚の第二弾だ。

死者を説得する一色家の男児、憑かれやすい体質の恭夜。勉強は嫌い、ゲームが大好きな、心優しい男の子だ。
憑かれることにも慣れてきたのか、自ら進んで、霊を引き受けようとするようになった。
あんまり気軽に申し出るから、そのうち、取り返しがつかないような大事に巻き込まれないか、心配になる。

死者を斬る刀を顕現させる望月家の女児である冴子。勉強もできるし、家事も手伝うし、まじめでしっかり者の女の子だ。
魔を払う特別な刀を授かってはいるが、恭夜を守ろうと刀を手に取ることはしても、それを振るうことは滅多にない。
死者たちと関わり合ううちに、生きている人間に関わろうとするようになりつつある成長を、応援したい。

死者との関わり合いが、子どもたちを育てていく。
子どもの頃に命を助けてくれた医師に恩返しをしたい、高齢の女性。
娘と孫に会って謝りたかった、中年の男性。
かなわなかった初恋の痛みを教えてくれる、若い女性。
そして、昔、戦で死ななければならなかった、幼い少女。
霊になるほどの未練を、子どもたちが丁寧に接することで、彼らはほぐしていく。
その心残りであったものに触れるたび、ぽろぽろと泣きながら、子どもたちは生きることの大切さを学ばせてもらっていくのだ。

1巻では霊たちが成仏していくところまで描かれていたが、この『夏のおもいで』はその手前で章が終わる。
それがまた、よかった。
死者と正者のあわいを希薄にし、延長線上に位置することを感じさせられた。
この物語の中の死者は、得体のしれない恐いものではない。変質し、断絶したものではない。
もう死者となってしまった彼らも、在りし日には正者であり、人にはそれぞれの歴史があることを教えてくれる。

物語の舞台となっているのは、都会ではない。
地名がはっきりと出てくるわけではないが、徳島であろうと思いながら読んだ。
三郎川は、四国三郎こと、吉野川のことではないかと思いながら、景色を思い浮かべる。
地方都市というか、田舎町というか、兼業農家や専業農家も少なくはない景色。
夏の濃い緑、鼓膜を打つセミの声、影の長い夕暮れ、銀色に輝く川面。
商店街の道幅は狭く、少し色あせた看板やビニールの屋根もあり、町中が顔なじみで繋がっているような。
子どもが、子どもだけで、自転車でほんの少し遠出しても大丈夫な、そういう町。

その上、ご飯が美味しそうで、読んでいるとこちらまでお腹がきゅうと鳴きそうになる。
なんといっても、町子さんのおそばが美味しそう。
子どもたちが美味しいものを食べて、心置きなく笑い、ぐっすりと眠れる日々が、どれだけ貴いものか、今一度、思いを馳せることができた。

2018.10.18

学園ゴーストバスターズ

三國青葉 2018 小学館文庫

恭夜と冴子。
恭夜は、女性しか生まれない一色家に生まれた初めての男の子。
冴子は、男性しか生まれない望月家に生まれた初めての女の子。

この望月家と一色家は、それぞれ霊を払う力を持っている。
一色家は、霊と話すことができて、説得して成仏していただく。
望月家は、自分の体から刀を取り出すことができて、霊を切って除霊する。
それぞれの家に生まれた二人の特別な子どもたちは、ちょうど、同い年。
中学1年生になったばかりの少年少女たちの冒険の始まりだ。

子どもたちの様子がとても活き活きとしていて、しかもとてもいい子たちなのだ。
彼らの純粋な気持ちがあるからなしえる死者との関りを、目を細めて見ていたくなる。
しかも、これぐらいの年齢だったらこれぐらいのことができるという書き分けや、今時の中学生の生活や勉強についての描写が具体的なのだ。
ありえないような物語を紡ぐ彼らは、どこかに本当にいそうな子どもたちった。

なにか、未練を残したまま死んでいった死者たち。
自分の味方をしてくれたたった1人の女の子の心を救いに来た男の子。
人を鬼に変えてしまう戦争のただ中で死んだ男の子。
そして、母子葛藤を抱えて、祖母に会いたくなった女の子。

ほんとはね、生きている間に解消されていたらよかった悩みやつらさなのだ。
ほんとはね、それをなんとかするお手伝いをするのは大人なんだけどね。
子どもたちの一生懸命な姿がまぶしくて、応援したくなる気持ちでいっぱいになった。

2018.10.16

つるつる鮎そうめん:居酒屋ぜんや

坂井希久子 2018 時代小説文庫

つるつる……じゃない!
焼いた落ち鮎を出汁にして食べるお素麺は、つるつるとして美味しそうであるし。
物語もあちらこちらへと、つるつると流られるようにつづられて、それこそ流れるような勢いで読み進めた。

なにしろ、びっくりするようなことが次々と出てくる。
只次郎が、あの只次郎が、だんだんと頼もしくなり、ついに女性に惚れこまれる日が来るなんて。
兄弟仲も徐々にやわらいでおり、もう、当初の只次郎よりも随分と大人になった気がする。

草間重蔵とは何者なのか。
そして、お妙はどんな生まれで、お妙の夫はなんで死ななければならなかったのか。
少しずつ、解き明かされるほど、謎は大きくなっていく。
これはもう、つるつると読み流せるような話ではない。
一体、どういうところに紛れ込んでしまったのか。

季節を感じる献立が、今回もとても美味しそうだった。
里芋団子ぐらいなら、私も手軽に作ることができるだろうか。
次巻まで、お妙さんの献立に挑戦しながら待ちたいと思う。

今回は、献立はもちろんであるが、女性の描写にぐっときた。
それはたとえば、お妙の着こなしや体格の色っぽさのこともある。
それだけではなく、お妙の知識への飢えと祈りが切なかった。

ただ死んで生まれ変わるころには男も女も身分もなく、望むだけの学問のできる世になっていればいい。(p.124)

思えば、江戸時代は現代よりも性別は身分、職業による縛りが多かったはずである。
かと言って、現代はまだお妙の祈りに応えることはできていない。
今も、いったい幾人のお妙さんがひっそりと飢えと祈りを抱えていることだろうか。

2018.09.27

滅びの園

恒川 光太郎 2018 KADOKAWA(幽BOCKS)

仕事に疲れた大人向けの童話のようなスタートだった。
そこはとても不思議な世界で、どこかのどかなファンタジーのようだった。
主人公の鈴上誠一と共に、その世界を理解しようとするうちに、物語に引き込まれた。

ページをめくる手を止めると、物語に置いて行かれそうになる。
この物語がどう進むのか、まったくわからないと思ううちに、読書がはかどった。
いくつもの謎の理由が見えてくるのは中盤以降だ。そこから更に物語は加速する。

凡庸な人物であるはずの誠一と、幼くして異才に目覚めていく野夏、セーコ、理剣。
立場が異なれば、事象はまったく別の物語になり、人はたやすく誰かのせいにする。
名前を出し、顔をさらし、個を暴かれて、見世物にされていく彼らはいいのだ。
名もなき人々の無邪気で圧倒的で集団的な好奇心と依存心と正義感がざらざらと読み手の心を逆撫でする。
どんな災害に見舞われていても、学校は授業を行い、大人たちは会社に出勤し、マスコミはゴシップを提供する。

それは現実の映し鏡に相違なく、私はその大衆の中に埋もれることに、プーニーに飲み込まれようとしているかのような不快を抱く。
なにかに挑戦する人は爽快さを与えるが、彼らはプーニーに飲み込まれて同化することができなかった人々だ。
だから、その実、これは異類婚姻譚であり、今浦島物語、綺麗に終わることができなかった愛のせつない物語だったのだと思う。

#滅びの園 #NetGalleyJP

2018.09.11

花だより:みをつくし料理帖 特別巻

髙田 郁 2018 ハルキ文庫

あの、みをつくり料理帖の後日談。

江戸のつる家のその後。
種市をはじめとして、今は包丁を預かる政さんとお臼さんの夫婦、よい娘にそだったふきちゃん、看板娘のりうに、おりょう達家族など、懐かしい顔ぶれが入れ替わり立ち代わり登場する。
まるでここからもう一回、つる家の物語が始まるのではないかと錯覚するほどだ。
種市がどれほど、澪を慈しんできたことか。今とは違って通信も交通も発達していない時代のこと、江戸と大阪に別れることは生涯の別れに等しいだろう。
どれほど寂しくてつらくて、それを見送った種市の深い情愛を、改めて感じる作品。

小野寺家のその後。
これは読めて心底嬉しかった。
あの小松原様の目じりにきゅっと皺がよる様子が懐かしい。
その皺こそ愛しいと思って見守る妻と子どもがいる。なんて幸せなんだろう。
小松原様がお澪ちゃんと添い遂げなかったことに裏切られたような残念な思いがしていたので、読めてよかったと心から思う。
もうとっくに、小松原様ではなくて、小野寺様だけど。
この人が幸せで満ち足りていてくれたら、きっとお澪ちゃんだって安心して幸せになれるだろう。

高麗橋淡路屋のその後。
ちょっと意外だった。野江のその後と、又次のその前。
大坂の商家の様子に、『あきない世傳 金と銀』が薄く重なる。
私には懐かしい関西弁のイントネーションが耳に蘇るような気がする。
旭日昇天の野江であるなら、きっと商いもうまくいくはず。
きっと人生もうまくいくはず。
昔は美人やってんけどなとため息をつかれるような、たくましいおかみさんになってもらいたいものだ。

そして、大阪のみをつくしの様子。
雲外蒼天のお澪ちゃんは、やっぱり立ち込める雲を払いながら生きている。
一生懸命で不器用な二人が夫婦になったからと案じていたが、案じていた通りに紆余曲折があるのが髙田さんの物語。
大丈夫かいなと心配せずにはいられないが、そこは雲外蒼天。
小さい体で雲を越えて青空に飛び立つお澪ちゃんは、雲雀のような人だと思う。
何度も何度も、これからも戦い続けていくんだろうなぁ。

出てくるお料理はやっぱり食欲をそそる。
ことに、小野寺家の夕食といったら、理想的な献立ばかり。
種市の心づくしも、野江の思い出の逸品も、お澪ちゃんが源斉様のために腕を振るう料理もおいしそうであるのだけれど、乙緒が夫のために吟味する膳は、真似をしたくなる取り合わせだ。

そして、全編を通して、同じ名前だけど同じとは限らないものが、かけてあるような気がした。
言葉遊びのすれ違いは、コミュニケーションの永遠の課題でもある。
去りゆく者を見送りながら、残された者は与えられたものをしっかりと握りしめ、前を向いていけたらいいのだと思う。

10巻の物語のめでたしめでたしの後の日々は、読者としては惜しみながら閉じるしかない。
名残惜しいが読むほどに幸せになる。心の中でも蒼天が広がるような気がした。

2018.09.05

永善堂病院:もの忘れ外来

佐野香織 2018年9月5日刊行 ポプラ社

誰しも忘れたくないことがある。
忘れられないことではない。忘れたくないことだ。

主人公の佐倉奈美は、キャリアを断念して実家を離れ、祖父母の住む地方都市の物忘れ外来で働き始める。
様々な老いや死の物語が、若い女性の成長と回復の物語に転じていく。

ぴんぴんころりも、ねんねんころりも、どちらも、悲しいものである。
逝かねばならないものの押しつぶされそうな不安。
がんや認知症の病気そのもののダメージも人を不安にするが、それは死のとば口であるという認識が不安を大きくする。
自分はこれから死に向かって残り時間を過ごしていくのだと、改めて気づいてしまう瞬間から、情緒は波打ち、悲しみや怒り、様々な感情を引き起こす。

世界から人を隔絶する膜がある。見えない膜だ。
その膜は、病気だったり、傷つきだったり、孤独そのものだったりする。
祈りが膜を乗り越える時があることを信じるのが、支援職の仕事でもある。
見送らねばならないもののいつまでも尾を引く後悔を解きほどくこともだ。

すべての人が苦しみが少なく、心満ち足りて、静かに眠るように逝くことができるといいのに。
その人生の再晩年期を、その生きて働いてきた苦労が報われるようなものであってほしい。
老いや死を扱いながらも、可哀想な物語に仕立てあげることなく、爽やかで穏やかな気持ちになる稀有な物語だった。
なかでも、老医師夫婦の和解の物語が、とても素敵でたまらなかった。

レビー小体型認知症に前頭側頭型認知症、脳血管性認知症。
そう。認知症の種類は、アルツハイマー型だけではない。
サルコペニアやフレイルなど、馴染みがないとわかりづらい言葉もあるだろう。
老いや死は誰しも避けて通れないものであるが、自分や肉親がそうなってみないとわからない人もまだまだ多いと思う。
こういう物語の題材になることを通じて、これが当たり前に起きることだと、もっともっと身近なものになってほしいものだ。

死は、その人が最後にできる教育だと、私は思う。
主人公がそのプレゼントを受け取りながら成長していく。
誰かにそうやって受け継がれていくから、無駄な死は、無駄な生は、ひとつもない。
そうやって世界は、今日も回っていくだろう。

#永善堂病院 #NetGalleyJP

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