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香桑の近況

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小説(日本)

2020.08.07

流浪の月

凪良ゆう 2019 東京創元社

最初の20ページほどで、喉元がきゅっと閉まるような、胸がぐっとふさぐような、そんな気分を味わった。
目をそらしたくなるような、いやいや、焦ってページをめくってはいけない。
先が気になりながら、それでも、飛ばさずに読むために、一気に物語に引き込まれていった。

この物語がこの終わり方でよかったと思う。
主人公たちが死ななくてよかった。物語に出てくる映画のように。
この主人公たちの関係が本物のロマンスであるかどうかはわからないが、「二人は結婚して子どもを産んで幸せな家庭を作りました。めでたしめでたし」のような終わり方をしなくてよかったと思う。
そんな、ヘテロで、モノガミーで、ヘルシーなものに弾圧されて、善良で健全な訓話に回収されずにすんでよかった。
この終わり方だから、私は救いを感じる。
むしろ、健康であるとすら思った。
おとぎ話の終わり方は、一つでなくていいのだ。

登場人物の一人ひとりが、こんな人と出会ったことがある、こんな人がいるという現実感があった。それは、私が心理臨床に携わっているから、余計にかもしれない。
主人公がなかなか被害体験を言い出せない。そのことは、とても当たり前なことだ。言い出せないことを本人は悔やむけれども、言おうとしても声が出なくなるのは、自然な反応のひとつと言ってもいい。ましてや、幼いときであるなら、なおさらである。
その主人公の更紗が、言い出せるようになるまでの成長は、どれほどのしんどいものであったか、作者はきっぱりと割愛させて見せているところもすごいと思った。
苦労した時代を丹念に描いてしまうと、物語が物語ではなくあんり、目的が変わってしまう。冗長になってしまったり、そのしんどさに読者がギブアップしてしまうかもしれない。
だから、ある意味で変わり果てた更紗を登場させるだけで十分であり、その更紗を見ることで、私は、適応とはなんだろう、成長とはなんだろうと考えさせられている。

ここから先はネタバレもあるので用心してもらいたいが、登場人物たちを三世代にわけると、この物語の魅力が見えてくる気がする。

子ども世代にいるのが、更紗、文、亮。
親世代として、更紗の実の両親、育ての親となった伯母夫婦、文の両親、亮の両親。
そして、祖父母世代として、亮の祖母とcalicoの入っていたビルのオーナーをあげておきたい。

更紗、文、亮はそれぞれ、足りないものを持っている。それは、親世代から与えられなかったり、損なわれてきたものである。
更紗の実父が病死した後、実母は恋人を作って、更紗を捨てる。
伯母夫婦は実子が更紗に対して行う性加害、更紗の性被害に気づかない。つまり、どちらの子をきちんと見る(観察の見るであり、面倒を見るであり、どちらの意味においても)ことができていない。
文の両親、特に母親はさらに表面しか見ておらず、文を監視拘束する。
亮の父親は母親への暴力があり、母親は亮を捨てて家を出ている。
いずれの家庭においても、母親が従来的な母性と呼ばれる幻想的な愛情をもった存在として機能することが十分にできず、父親の存在は希薄で消えやすいものになっている。
亮の祖母の愛情深さや面倒見という母親機能(反面で亮の母親への恨みを増幅させていたかもしれない)が、親世代では既に機能することが難しくなっている。
ビルのオーナーの阿方さんのような、自ら歩み寄って関わること、相手を否定せず、宝物を与えるような穏やかさや賢さも、親世代には引き継がれていない(阿方さんと実の子どもたちの関係は不明であるが)。
そういうこの戦後の75年の間に、世代を経るごとに引き継がれないままにきたものがある中で、どうやって愛やパートナーシップを、新しい家族の形を作っていくのか?という問いを、この物語は示しているのだと思う。

繰り返しになるが、更紗は、その母親が母親の役割を放棄している。
更紗は他者をケアすることは可能であるが、伝統的な妻であり、伝統的な母親のモデルから切り離された自由な存在である。
「良識的」「常識的」な仮面をつけてふるまう術は大人になるにつれて身に着けたが、それは彼女の表面だけの取り繕いにすぎない。
彼女の本質は「自由」である。母親から譲られ、母親から捨てられることで完成した自由なままの魂を持っている。
性被害の体験を経たことで、その自由を侵害されることに違和感を敏感に感じるようになった女性である。
だからこそ、亮は、更紗のパートナーにはなりえなかった。
亮は、親世代、祖父母世代からの性役割を降りることができなかった登場人物である。
ホモソーシャルでミソロジーな価値観を内在しており、表面では女性に優しいが、内面では対等になることができない。その点は、更紗の従兄の孝弘と同類である。
亮自身が暴力を見ながら育ってきた傷つきと、母親から捨てられた傷つきとが、どちらも未消化で未解決である。母親の逃亡は、父親と祖母とによって、裏切りとして文脈づけられてさえいる。
対して、文は、ホモソーシャルでミソロジーな文化からはみ出ざるをえなかった人物である。
母親の規範通りに生き、優秀な兄と比べられ、周囲の誰とも同じではない自分を感じるたびに委縮する。そんな自分は引き抜かれたひ弱なトネリコと同然であり、母親から否定される恐怖におののく。
文はいっそ、去勢されていると言ってもいいだろう。誰とも交わることが難しい稀有な存在である。
だから、この先も、文は更紗を侵害することはない。

それは、けして、古い時代に戻ったり、真似をすればよいというものではない。
だから、この物語には救いがある。

人の善意というものが、いかに醜悪であるか、無力であるかを暴いてみせたところにも、救いがある。

今の時代、なにも珍しいことじゃない。人が殺される場面すら、検索すれば簡単に見ることができる。未成年だからといって、なにも守られたりはしないのだ。善良な人たちの好奇心を満たすために、どんな悲劇も骨までしゃぶりつくされる。p.88

その絶望。
私はこの本を読みながら、ある部分では桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちちぬけない』を思い出し、ある部分では隙名ことさんの『「私が笑ったら、死にますから」と水品さんは言ったんだ』を思い出した。
それぞれの作品を思い出した要素は異なるが、あわせて読んでもらいたいように思う。

最後に。
私が主人公がすごいなと思った箇所がある。
P.209の「ごめんね。わたしも、あなたにひどかったね」と言う言葉だ。
私はこれを言えずにすませた、言わずにしまえたことが多かったなぁと思うと、更紗の強さに感服した。
ほんとに、強くて、まぶしくて、魅力的な主人公だ。よかった。

2020.08.03

満月珈琲店の星詠み

望月麻衣・桜田千尋 2020 文春文庫

Twitterで見たそのイラストがとても魅力的で、すぐにそのアカウント、桜田千尋さん(@ChihiroSAKURADA)さんをフォローした。
疲れた人の前にあらわれるトレーラーカフェ。店長のふっくらとした猫の穏やかな表情と、美しい空。
夜明けになると閉店し、いずこともなく消えていく、そんなお店。
そのコンセプトだけで、十分に物語を感じることができる。
やがて、次々に天空や星空にちなんだメニューのイラストも紹介されるにつれて、そのお店がないことのほうが不思議になるような存在感を感じている人もいるのではないか。私のほかにも。

その満月珈琲店が小説化されたものが、本作になる。
京都を舞台にした、優しい物語となっていた。
最初は京都の街中の、あのぎゅっと凝縮したような空間のどこに、星空の広がるカフェを登場させるのかがわからなかったが、そこはそこ。
二条のあたり、木屋町でとか、かつて歩き回った地名がそこここに出て来て、それもまた、私には懐かしい思いがした。
伏見桃山は二年前だったか。研修で行ったところであるし。暑い暑い日、御香宮の前を通って、名前の美しさにうっとりしたこともよく憶えている。

もとのイラストから浮かぶイメージに、星詠みという占星術の要素を加えてあるところが、なかなか興味深かった。
思わず、自分のホロスコープを調べてしまったりしたぐらい。

人生に迷っている人に、星が未来を示し、おいしいスイーツやドリンクが元気を与える。
こういうお店に私は行きたい。

2020.05.21

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

2020.05.12

フェオファーン聖譚曲(オラトリオ) op.2 白銀の断罪者

菫乃薗ゑ 2020年7月3日刊行予定 opsol book

あの真っ赤な本が届いてから、まだ日が経っていない気がする。
2冊目は真っ青。そして、今度は百合の花。
この物語は、ここで終わるわけではないが、ネタバレをしたくない。
一気に読ませる力強いファンタジーなのだから、表紙を開き、流れに身を任せてほしい。
今回も一足先に#NetGalleyJP で読ませていただいた。

となると、書けることは限られてしまうのであるが、複雑に入り組んだ勢力図が面白い。
大きく分けて、舞台は二つ。一つは中央。城内での権力争いである。
魔術師の塔は長を失って弱体化していくとして、王位継承者は決まっておらず、貴族の権力闘争もある。
一見強固に見える権力の中で、千々に分断されては対立し、転落していく有様が目まぐるしい。
もう一つは辺境。主人公であるアントーシャはオローネツから反撃の、革命の、狼煙を上げることになる。
フェオファーンと名乗る1つの集まりとして、彼らはますます強く結びついていく。
この対称。

登場人物は非常に多いのであるが、彼らがop.1とは違う顔を少しずつ見せることで、ぐっと深みが増した気がした。
優しい人物の厳しい表情や、あどけない人物の貪欲さや冷淡さ、無表情で無感動な人物の情の部分といった具合に。
それぞれが一面的ではない、人らしい人としての厚みを見せることで印象が少しずつ変わり、読み手も思い入れの持ちようが変わる。
個人的には、お気に入りはコルニー伯爵である。彼らの旅の無事を祈るとともに、ぜひともフェオファーンに合流してほしい。
あと、オスサナにはぜひとも感じのいい女性のままでいてほしい。
オローネツの男たちは、目いっぱい暑苦しいままでいてほしい。これは望むまでもなく叶いそうだけど。

もう一点、この物語の魅力に感じたのは、色合いの美しさである。
建物の色合いにも、出てくる石や金属の色合いにも、意味が与えられている世界である。
人々の衣装の描写も美しく、襲の式目を想起した。そういう描写の細やかさがあるので、人々のいる景色も想像しやすい。

弾圧し、迫害し、略奪してきた者たちに対して、人々の怒りが燃え上がる高揚感がたまらない。
この熱が冷める前に、続きを読みたい。

ファンタジーはいい。
現実に疲れた時には特に。

2020.04.26

極彩色の食卓2:カルテットキッチン

みお 2020年5月20日発売予定 マイクロマガジン社

前作と同じように、とても色彩豊かな小説だ。
前作は前作で完成されていたけれども、とても気に入った小説だったので、こうして、登場人物たちに再び出会えて嬉しい。

主人公の燕は、今も律子さんの家に住み、料理の腕を振るっている。
画家である律子さんと、絵について学んでいる最中の燕は、色彩を大事にする人たちだ。
彼らのなかでは、景色や音や雰囲気が、色彩に変換されて認識されているようなところがある。
料理だって色彩が大事で、その日の気分や気温や天気や時間を表すような色彩の料理の次々が美味しそうなところが魅力の小説だ。

今回の作品では、燕は新しい登場人物たちと出会う。
彼らは、「色」ではなく「音」に関わる人々。だから、カルテット。
色と音と味。五感を刺激する要素が以前よりも幅広くなって、読み手に訴えかけてくる。
Stay homeのこの期間、家の中で閉じこもりがちになっていると忘れそうになるのが、こういう五感に訴えかけてくる世界の豊かさではなかろうか。
そういう意味で、一足先に読ませていただき、心をリフレッシュさせてもらったような気がした。

それにしても。
前作からいけ好かないけれども気になる不思議な人物、柏木さんのフルネームが出てきたのであるが、そこでそうきたか!と思わず拍手をしてしまった。
作者の方は憶えていらっしゃるかわからないが、Twitterでのささやかな会話を私はよく憶えている。
これは、もっと続きが読みたくなった。

2020.04.24

心にいつも猫をかかえて

村山早紀 2020 エクスナレッジ

エッセイと小説と写真、3度美味しい贅沢な本。
著者初のエッセイは、見送った猫、すれ違った猫の数だけ、思い出が切ない。
猫に限らず、小さないきものと一緒に生活したことがある人は、その命を見送った経験もあるかと思う。
小さないきものと一緒に生活したことがなくとも、知っている人や知らない人の死に触れることはあるだろう。
そういう過ぎ行く命への深い愛情と、見送ったからこその後悔が語られる。

そういう猫たちと暮らしてきた日々の思い出とともに、子どもの頃の思い出や、作家としての経験、未来へと思い描くことなどが語られる。
どんな人があんなに心揺さぶられる物語を紡いでいるのか。
どれだけ、本と本屋さんという文化を大事に思っているか。
どれほど、「ふかふかの毛並みの、翼や鱗を持つ命たちの、その魂」(p.25)を愛しているか。
このエッセイと、この期間に書かれた小説は、愛して愛してやまなかった命を見送った後の喪失と鎮魂の過程であるようにも感じた。
自分自身にも、愛する命にも、命には限りがあることを見据えているから、ぶれずに優しく、謙虚で、凛として強いのだと思う。

長崎を舞台にした春夏秋冬の4つの物語。
ところどころ、長崎の言葉に訳された台詞が出てくる。九州に縁が薄い人には聞きなれない言葉遣いであるかもしれないが、私にはなじみのある言語。
方言には独特のイントネーションやリズムがある。音色がある。
その長崎弁が最大限に効果を発揮していると感じたのが、夏の物語、「八月の黒い子猫」だ。
前もってnoteで公開されたときには、全編が標準語で書かれたものと、一部が長崎弁で書かれたものの2パターンがあった。
その時も、これは長崎弁のほうがいいと強く感じたのを憶えている。
断然、こっちがいい。
私には秋の物語もほんのりと切ないし、冬の物語も胸が痛いものがあるが、春の物語は号泣ものだった。
どの猫の物語も、猫って人間を愛してるくれるんだと教えてくれる。
村山さんと猫。この組み合わせは、絶対、泣く。そういうものなのだから、箱ティッシュやタオルは用意してから読むのがよいと思う。

エッセイと小説の両方が楽しめるだけでも贅沢だが、この本にはたくさんの猫たちの写真がちりばめられている。
村山さんの家族である歴代の猫さんたちも、町の景色のなかの猫さんたちも、どちらも表情豊かだ。
Twitterで見たことのある写真があると、思わず頬がゆるんだ。
しかも、街猫さんたちの撮影をしたマルモトイヅミさんが描いた、イラストの猫さんたちもとても可愛い。
奥付の猫さんは何度も何度も見ては、にっこりとしたくなる。イラストも入れて、この本は4度美味しい。
表紙や帯の手触りもよく、細かなところまで気配りされた、丁寧に作られている本だ。
手触りも入れたら5度も美味しい。

著者とはTwitterでお話しすることがあり、実際にお会いしたことがある。
エッセイを読んでいると、村山さんにお会いしてお話ししている気持ちになった。
私の頭のなかでは、読んでいる文字が村山さんの声や話し方で再生されるのだ。
これは、小説を読んでいるときにはおきないことで、エッセイだからこそ、御本人とお話ししているような体験になるのだと思う。
地方のなまりのない、鈴を転がすような澄んだ声と柔らかな声音で、表情豊かに話される御様子まで、目に浮かぶようだった。
世界が平穏を取り戻したら、再びお会いしにうかがいたいなぁ。
そして、記憶のなかの長崎の景色をアップデートするのだ。

この本、読んでいて面白かったのは内容だけではなく、エッセイと小説の両方があるという読み心地の部分もだ。
私の感覚だが、エッセイを読む速度と物語を読む速度、違うことを感じた。
物語はすっと没入する感じ、エッセイはゆったりと語り合う感じがする。
前者は映画館で見る映画のようなものだし、後者は面と向かったの対話やラジオを聞くのにも似ている。
似ているようで、まったく違う「読書」なのだ。それが交互にくるので、読んでいる自分のペースに変化が生じ、一冊を読むなかでの起伏となるのが興味深い体験だった。

今、我が家にいる猫たちの中でも、ひたむきに信頼と愛情をささげてくれる猫がいる。
彼らの信頼を裏切らず、彼らを最期まで見届けたい。
せっかく我が家を選んで、来てくれた猫たちなのだから

2020.04.22

ひみつのポムポムちゃん とつぜんのシンデレラ

ハタノ ヒヨコ (イラスト,原案)/村山 早紀 (著) 2020 講談社

なんて、かわいい。
子ども向けの本を手に取ることなんて、久しくないことなので、新鮮な気持ちで読ませていただいた。
今どきの小学生の女の子も、こんな魔法を好きになってほしいなぁ。

主人公のりんごちゃんは、かわいらしい女の子だ。
自分のすてきなところに気づいていない、自信があまりない女の子。
けれども、心が優しくて、友達のためにがんばろうとする、すてきな女の子なのだ。
彼女の相棒は、うさぎのシュシュ。
りんごちゃんがポムポムちゃんにどうやって変身するか、物語のお楽しみだ。
いつだって、魔法はすてきな女の子の味方なのだ。

この本、コラムがあったり、迷路があったり、小さなお楽しみがいっぱいにちりばめられているのだ。
読むことに没頭することに慣れていない子どもでも飽きずに楽しめるようにしてある工夫だと思う。
最初は大人と一緒に読む子もいるかもしれないし、そうしたら、大人は子どもにどう声かけするのかも聞こえてくるような気がした。
読書を好きになるようにこめられた魔法に、かかってほしい。

刊行予定 2020年5月19日
#NetGalleyJP  #ひみつのポムポムちゃん

2020.04.17

魔女たちは眠りを守る

村山早紀 2020 KADOKAWA

いてもいなくて、おんなじ。そんな気持ちに駆られることがある。
人の子は、寂しいときに、そんな気持ちに襲われる。
よくないものがいたずらするような暗がりは、そんな寂しさにつけこむことがあるから要注意だったりする。

いるのに、いないふりをする。いないと思われている。
人の子たちとは逆の、それが魔女たちだ。
目立たないように、魔女たちは町から町へと移り住みながら、人に紛れて長い命を生きる。
人より長いいのちから人の子を見守る、というところが、ちょっと不思議な感覚をもたらしてくれる。

おそらくは、ひとの子が蝉の一生を見てその短さを嘆くように、魔女たちはひとの命の短さを惜しむ。(p.258)

考えてみれば、人のほうが、自分よりも短い命を見守りながら暮らしていることが多い。
人より長いと言われる命はなかなか少なく、日常的に一緒に暮らす可能性の高い長命のいきものというと、大型インコぐらいしか思いつかない。
犬や猫でも兎でも、飼っていたことがあれば、その駆け足のいのちを見守り、見送る切なさは想像がつく。
もっとも、人よりはるかに短い命の猫たちは、その晩年になるとどうやら人を見守っているような境地に至る気がするのだけど。

魔女たちは魔法を使うけれど、攻撃的なものではないし、万能でもない。
力を使いすぎれば、魔女たちはきらめく光だけを残して消えてしまうこともある。
数少なくなった同胞たちのなかで、七瀬は、それでもおそらくは年若いほうの魔女で。
舞台となる町を見守るニコラは、ずっとずっと長い時間を過ごしてきた魔女で。
彼女たちは、出会った人々を忘れることなく、守り続けている。

ひとは自分だけのためには強くなれないんだ。(p.116)

弱いのに、不思議な力もないのに、一生懸命に強くなろうとする。
その人の子のさがを、魔女たちはたぶん無視できない。
魔女たちは、とてもとても長い時間をかけて生きており、たくさんの命を見送ってきた不在を抱えて生きている存在である。
そこに著者の愛を感じる。世界を愛しており、ひとの子を愛している。過ぎ去り、うつろう世界を惜しみながら。
深い、深い愛情が、すべての眠りを優しく守ろうと、手を差しのべているのを感じた。

夢のある眠りも。
夢のない眠りも。

キノノキの連載時から読んでいるが、こうして1つの物語として本に納められると、記憶していたよりも長くて大きな物語だった。
表紙も美しくて、実物を手にするのが楽しみ。
この記事の表紙は、でも、長崎の夜景を。

今回も、#NetGalleyJP さんで読ませていただきました。

2020.04.14

異世界居酒屋「のぶ」6杯目

蝉川夏哉 2020 宝島社文庫

気づいたら、もう6冊目。
毎回、楽しみにしているシリーズだ。出たらすぐに買い、すぐに読み、何度も読み返す。
から揚げが出てきてはから揚げが食べたくなり、串カツが出てきては串カツが食べたくなり、こんな居酒屋が歩いて行ける距離のところにあればいいのに、と何度願ったことだろう。

今回は、ガレットがたまらなく食べたくなった。
完璧と名付けられたガレットを、香り高いシードルと共に。
そうできたら、どんなに素晴らしいことだろう。
調べてみたら、Covid-19の世界的な流行に伴い、外出自粛要請や緊急事態宣言が出ているなか、ガレットを食べに行っていたお店も休業している。
自分で焼けばいいのだろうけれども、お店の雰囲気やバターの香りを思い出して、せつない気持ちになった。

物語の中で、人々は毎日の生活を謳歌している。
顔馴染みの人々との会話、家族との再会や交流、恋愛や結婚、職業人としての成長。
その毎日に、美味しい酒があり、美味しい食事がある。
そういう極めて「人間らしい」営みが、今、現実では感染症の流行によって阻害されていることを強く感じた。
心配事がゼロではないけれど、当たり前に出かけ、当たり前に働き、当たり前に笑い、当たり前に語らう。
つい最近まで当たり前だった日々がここにある。

世の中が落ち着いたら、トリアエズナマで祝おうか。
それとも、しみじみとレーシュを味わいながら、あんかけ湯豆腐やだし巻き卵をゆっくりと噛みしめるのもいい。

美味い料理を、自分の好きな場所で、自分の好きな人と食べる。(p.50)

そんな日常が早く戻ってきてほしいと思った。

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