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香桑の近況

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小説(日本)

2021.01.17

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2020 PHP文芸文庫

知識の源となり、ひととして生きていくための、すべての素地を作るものである活字。空想の世界に遊び、疲れた時の癒やしとなり、孤独なときは友となってくれる、書物。
それを集め並べ、人々に手渡すための場所――書店。(p,104)

本と本屋さんへの深い愛情を感じる一冊だ。
本屋大賞にノミネートされた『桜風堂ものがたり』の続編だから、前作から続けて読んでほしいとも思うけど、この本だけでも十分に楽しめる。
2018年に発行された単行本は、特に好きな終章ばかりを何度も読んだのだけれども、文庫化されたことをきっかけに改めて最初からじっくりと読み直した。

最寄駅から山道を徒歩30分ぐらいのところにある、かつての観光地。
温泉もある。観光ホテルもある。
昭和の終わりの方の時代に旅館はなくなってしまって、忘れ去られようとしているような小さな田舎町。
そこに昔からある一つの町の本屋さんが舞台だ。
一度は店主の急な体調不良のために、消えてしまいそうになっていた本屋さんの名前を桜風堂という。

その本屋さんが大きな危機を乗り越えるところは、前作に描かれている。
危機を乗り切ることができたのは、とても奇跡的なことだったと思うのだ。
でも、大事なことはめでたしめでたしのその後の毎日を、いかに生き延びるか。
なにしろ、今の日本では、本屋さんを取り巻く状況はとても厳しくて、毎日のように本屋さんが閉店していっているのだから。
その上、今、この2021年の1月は、昨年に続いてCovid-19が流行しており、本屋さんだけではなく、飲食店やホテルや…これまでの馴染みのお店が閉じて行っている。

自分は無力だと思う。大切にしていたものがみんな消えて行き、流れ去ってしまい、それを食い止めようとしても、とどめるだけの力を持たない。(p.234)

こんな無力感に襲われることもしばしばある。
このCovid-19が終息したとき、自分や家族や大切な人たちが誰一人として欠けることなく生きていられるのかも心配になることがあるが、どれだけのお気に入りのお店が生き残っているのだろうと悲しくなったり、切なくなったりする。
それは私だけのことではないだろう。

そういう御時世だからこそ、桜風堂に訪れる幸せな奇跡の物語に心を慰められた。
人の好意や熱意や祈りが、一つ一つはささやかなものであるけれど、重なりあい、組み合わさった時に、大きなうねりとなって流れ出すことがある。
その流れを感じることに、慰められたのだと思う。

「遠いお伽話」が、ほんとに遠い遠い過去のものになりつつあるのを感じる一年だった。
馴染んだものや思い入れのあるが姿を消していくことに、削られるような思いをした人も多かろう。
最前線で病と戦うわけではなくとも、感染症という目に見えない敵に対して不安を抱え続ける戦いを続けるには、心や魂に滋養が必要である。
それがエンターテイメントの効用であるように思う。アートの力であるように思う。

まだ世界は終わっていないのだから。
不安に押しつぶされそうになったり、絶望に飲み込まれそうになったり、知らぬ間に疲労消耗していた時にはファンタジーの魔法を思い出してほしい。
そして、「地球は揺り籠のように、たくさんの命の思い出を抱いて、宇宙を巡ってゆく」(p.322)。
今日も。明日も。

2020.12.30

フェオファーン聖譚曲(オラトリオ)op.3 鮮紅の階


菫乃薗ゑ 2021年1月15日刊行 opsol book

物語の勢いが衰えることない。
3巻目になり、1巻目、2巻目よりも、さらに長さを感じさせないスピードで物語を読ませる。

前巻では主人公アントーシャがロジオン王国への圧政に対する革命の狼煙を上げた。
この巻で、改めてフェオファーンと名乗りを挙げ、ロジオン王国に恐慌と動揺をもたらす。
挑戦状をたたきつけられたロジオン王国内部の動きが、一番の見どころだろう。
これまで感情や性格が覆い隠されていたエレク王の人となりが見えてきたところが興味深い。
また、そのアントーシャの意図を的確にくみ取り、好敵手になるであろう人物が見えてきたところにも注目だ。
しかも、フェオファーンとロジオン王国の単純な対決になるのではなく、混乱に乗じて下克上を挑もうとする者がおり、ロジオン王国と比肩する大国のスエラ帝国まで巻き込む勢いだ。
この戦い、ここからどのように展開し、どこに落としどころを持っていくのか。
引き続き、目が離せない。

ロジオン王国側にも、魅力的で好感を持てる人物が何人もいるため、単純にアントーシャ=フェオファーンだけを応援する気持ちになれないのだ。
あの人もこの人も、しんどいことにならなければよいが。
戦いの物語であるだけに、死亡フラグが立たないか、ひやひやしてしまった。
今のところ、まだ大丈夫。

こういうことを言うのは上から目線になるようだが、作者さんの進化を感じる。

#フェオファーン聖譚曲オラトリオop3鮮紅の階 #NetGalleyJP

2020.12.15

神様のお膳:毎日食べたい江戸ごはん

タカナシ 2021年1月20日 マイクロマガジン社

当たり前の日常を難なく生き延びる道からずり落ちるように、少しずつうまくいかないことが積み重なって、生きることが苦しくなる。
そんな時、主人公の璃子が就職することができたのが、神様の営むお宿だったという、少し不思議な物語。
従業員も、お客さんも、一風変わった存在達で、登場人物には人間のほうが少ないくらいだ。
人間の世界に疲れた読者にも、璃子がふるまう美味しそうなお料理や、人ではないから義理堅い存在達が、愛しく思える時間になるだろう。
お料理のレシピは江戸時代のものを現代風にアレンジしているのだが、試そうと思ったらできそうな感じにアレンジしてあるところも魅力。

お正月に読むのにぴったりじゃないかな。
三社参りがわりの読書にどうぞ。

#神様のお膳 #NetGalleyJP 

2020.11.21

願いの桜:千蔵呪物目録2

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

呪いと祈りは表裏一体。
物に託された気持ちが強すぎる時、周りにも影響を与えるような呪物になる。
その呪物を集めていた家が襲撃され、呪物が散逸してしまった。

前作とは違う町の中学校で、いつもと違う変わったことが起きている。
中学校は、複数の小学校から進学してくることが多く、出身校によって体験や雰囲気が異なることもあって、途端に居心地の悪さを感じる子たちがいる。
生真面目なたちの亜咲美も、中学校の教室に居心地の悪さを感じている1年生だった。
この教室の様子であるとか、なじみ切れない居心地の悪さであるとか、著者がこれぐらいの少年少女たちをよく理解していると感じた。

物語を連れてくるのは亜咲美であるが、一族が管理していた呪物を集め直している朱鷺と冬二との間を繋ぐのは、朱鷺とは昔馴染みの骨董屋である。
さらさらと流れるように読みやすい物語だったのであるが、こうして説明を書いてみようと思うと、登場人物も多く、粗筋も一筋縄ではいかない複雑さに気づく。
最初に出てきた登場人物からまっすぐ物語が進まずに、斜めにスライドしていくようなイメージ。
スライドしていくのが疾走感があり、それが物語に引き込む仕掛けのように作用しているのかもしれない。

気づくと、戦後の荒廃を見失った現代的な景色のなかに立ち尽くす。
人々が精いっぱい、町を守りたいと祈りをこめて、よかれと思ってしたことが、時の流れのなかで失われた後、どうなっていくのだろう。
このシリーズだから紡げる景色が、まだまだあるような気がする。

それにしても、もふもふのでっかい犬にだきつく幼女のイラストは反則だろー。
というか、私もにーさんにやりたいぞー。いいなぁいいなぁ。
にーさんモテモテでよかったなぁ。
ねーさん、ちょっぴり不憫ね。本人は気にしてないだろうけど。

2020.11.20

約束の猫

村山早紀 2020 立東舎

5000年の時をかけて、この膝の上に来たと思えば、どっしりとした丸い温もりがますます愛しくなる。
猫にまつわる美しい物語が四つ。その物語それぞれにあわせたページのデザインが、これまた美しい。
こういうページの上下を縁取るように飾られていると、とても特別な本に触れている気がしてくる。
表情豊かな少女たちのイラストも、愛らしい猫たちも、げみさんならではの豊かな色彩で目を楽しませてくれる。
心の中で、猫の温もりを感じ、毛並みのふわふわを感じ、生まれたての子猫の心もとないような柔らかさを感じながら読みたい。
優しく低い喉音や、すぅすぅという寝息や、時折こぼれるぷしゅぅという溜息が聞こえてくるかもしれない。
とてとてという軽い足音と、なにかの荷物を崩すときの大きな音、びっくりして斜めに飛び上がる姿。
小さな命への愛と、その命が人に注ぐ愛とがみっちりと詰まっている。

七日間のスノウ。
命はもろくてはかない。
それは人も、猫も変わらないのだけれど。
たとえ、短い命であったとしても、その命は大事な命。
病がちの兄弟がいる人なら、より一層、主人公の気持ちに寄り添えるのではないか。

五千年ぶんの夜。
冒頭、一瞬、これはスノウが主人公なのか?と疑うほど、捨てられた孤独感がリンクした。
不安な時、想像力は現実からちょっと離れて暴走する。
子どもならではの自由な想像力は、現実感を伴うから、怖い時は本気で怖い。
まるで世界の終わりを体感しているような孤独感をやわらげて、今ここの現実にひきもどしてくれるのは、温もりだったり手触りだったり、ごろごろと穏やかで低い喉音だったりするわけで。
猫という存在は確かに魔法の塊のようなものかもしれないなぁ。

春の約束。
外で生きる猫たちは、決して楽な生き方をしていない。
庭先や道端に猫のいる景色は好きだけど、今よりもっとのどかな時代に比べると事故だって多いし、猫を嫌う人もいればいじめる人もいる。家のなかでいじめる人もいるけれど。
猫ならば気楽というわけでも幸せというわけでもないし、かといって、人は人でなにかと生きることが難しいことがある。
それでも、猫であれ、人であれ、親は命を生み出すときに、幸せを祈るものだと思いたい。
すべてではないにしても。
それでも、そこに幸せを祈る気持ちがあることを信じる物語。

約束の猫。
何度だって、帰ってきてほしい。
羨ましくなる。
でもほんと、猫って律儀だから、きっと約束は守るんだと思う。
何度だって。

 

2020.10.04

うき世櫛

中島 要 2020 双葉文庫

女であることは、しんどいなぁ。
なんでこんなにしんどいんだろう。
しんどい物語ではないのに、今の自分はずっしりと重たいものを胸に抱えている。

表紙とタイトル、「女髪結いは女の味方!」という帯に惹かれて、書店に平積みされた本を手に取った。
それからしばらく積んでいたのだけど、この週末、ようやく読むことができた。
主人公の結は、武家に生まれたものの、早くに母親に死に別れ、父親にも先立たれ、十五歳の時に身寄りがなくなった。奉公に出てもうまくいかず、女髪結いの夕に住み込みの弟子として拾われることになる。
結は、世渡りという点でも手先という点でも不器用で、武家育ちということもあって堅苦しい。心得違いで夕とぶつかることもしばしばだ。
夕は美人な元芸者。顔に大きな傷がある。その傷を隠さずに生きている。
女髪結いは、庶民の女性の髪を結う仕事。髪を触ることを通じて客の体調の変化に気づいたり、他には言えない心の重荷を聞くこともある。
そういう夕の客との出会いや長屋でのあれこれを通じて、結が少しずつ成長していく物語である。

舞台は、天保の江戸。
大飢饉があり、大きな乱があり、奢侈を取り締まる改革のあった時代。
大政奉還まで、あと22年。と思うと、この物語のなかの登場人物は、この物語の後に激動を生きることになるのだろう。
時代小説でもよく描かれている時代であるように思うのだが、これほどシビアに生活の息苦しさを描いてあるものは、初めて読んだかもしれない。
江戸に火事が続いたこともあり、芝居小屋が移されて、歌舞伎や寄席が規制される。絹織物や金銀を用いた簪や櫛を身に着けることを禁じられる。浮世絵も、大首絵(役者や遊女の似顔絵)が禁止され、使われる色の数も制限される。
主人公が拾われた女髪結いというのも、その禁止されたものの一つだった。
規制の積み重ねによって、庶民の生活が、日に日にじわじわと締め付けられていく。経済が回りにくくなり、徐々に生活が苦しくなっていく。
最初はしばらくすればなあなあでなかったことにされるのではないかと期待されていた御法度であるが、取り締まりは厳しくなる一方で、困窮から密告して褒美をもらう者まで出る。
江戸の人々が徐々に顔をうつむかせていく。その気分の変化が、しっかりと描かれている。

つくづく、小説とは写し鏡であると思った。
作者の心情や体験や哲学を写す鏡であり、作者の生きる背景である社会を写す鏡である。
同時に、読み手の情緒や体験や哲学を写す鏡であり、読み手が生きて見て感じている社会を写す鏡である。
その意味で、この数年の徐々に経済的な不安が増す中で、Covid-19の流行に伴って生活の規制が増え、しかも、政権に対する不信感が高まっている。
もともと、2016年に出版されたものが今年になって文庫化されたそうだが、今、この2020年10月の社会の状況にぴたりと重なるような息苦しさを、この物語の背景に感じた。
その息苦しさにも、ちょっとやられてしまった気がする。

だが、私の生きるこの社会は、絶対的な身分制度に支えられた封建制の社会ではないはずである。
法のもとの自由と平等が保障された民主主義の社会に生きているはずである。
だから、物語の中の女性たちのように、あきらめながら合わせるか、命がけでしか抵抗できないという法はない。
そのはずである。そのはずであるが、なかなかしんどいものであるなぁ。

2020.08.19

捨て猫のプリンアラモード:下町洋食バー高野

麻宮ゆり子 2020 角川春樹事務所

#NetGalleyJP さんで拝読。

1962年の浅草を舞台とする小説。
終戦から17年。
戦争孤児たちは働く大人になり、集団就職で地方から子どもたちが工場に送り込まれる。
街並みが大きく変わっていく東京の、孤島のように下町が取り残されたような場所。
洋服も手作りのお嬢さんがいたり、戦争から帰ってきた人たちがその話をできずにいる。
その時代の空気を味わう。

主人公の郷子は、17歳。
中学を卒業して、群馬から川崎の工場に集団就職した。
そこから、色々あって、浅草の高野バーで働くことになる。
文化ブランという名物のお酒を供し、洋食も出すので、女性や子どもも客として来る、そんなお店だ。

洋食は、きっと今よりもずっと御馳走だった。
今よりも手に入る材料も限られていた時代に思う。
レトルトや冷凍の食品はなく、インスタントな食品もなく、一つずつ、手作りしなければならない時代だ。
果物だって贅沢な高級品なのに、プリンにアイスクリームに果物が飾られたプリン・ア・ラ・モードは御馳走の中の御馳走だったに違いない。

2019年の大河ドラマ『いだてん』を思い出しながら読んだ。
浅草に行ったことはあるし、仲見世やあの周辺の景色を訪ねた時の記憶も呼び起こしながら読んでいて、ふと気づいた。
主人公たちは、私の両親と同世代である。彼ら、高度成長期を支えた人たちの年若い頃は、こんな時代だったのではないかと教えてくれていた。
もちろん、人によっては親世代ではなく、祖父母世代と重なるのかもしれないが。
日本にもこんな時代があったということを、想像しながら読んでほしい。

大人の欲望を満たすために子供は生きているわけではない。(p.169)

この言葉が、今現在にも一本ぴんと筋を通して繋がってくるように感じた。
集団就職という形で、消費された子ども達がいたこと。彼らがちょうど、もしかしたら70代ぐらいであること。
今現在の70代以上の人たちを見るまなざしが、少し変わると、やわらぐといいなぁと思った。
と同時に、今現在の子どもたちも、大人の欲望を満たすために消費されてほしくないことを、改めて思った。

猫とお料理の組み合わせなら、気軽に読めそうな気分で選んだ本だったが、時代背景とちりばめられたテーマに、私は重たさを感じたが、登場人物たちはけして暗くもないし、かよわくもない。
時代をたくましく生きようとしている人たちのさわやかな物語だった。

2020.08.07

流浪の月

凪良ゆう 2019 東京創元社

最初の20ページほどで、喉元がきゅっと閉まるような、胸がぐっとふさぐような、そんな気分を味わった。
目をそらしたくなるような、いやいや、焦ってページをめくってはいけない。
先が気になりながら、それでも、飛ばさずに読むために、一気に物語に引き込まれていった。

この物語がこの終わり方でよかったと思う。
主人公たちが死ななくてよかった。物語に出てくる映画のように。
この主人公たちの関係が本物のロマンスであるかどうかはわからないが、「二人は結婚して子どもを産んで幸せな家庭を作りました。めでたしめでたし」のような終わり方をしなくてよかったと思う。
そんな、ヘテロで、モノガミーで、ヘルシーなものに弾圧されて、善良で健全な訓話に回収されずにすんでよかった。
この終わり方だから、私は救いを感じる。
むしろ、健康であるとすら思った。
おとぎ話の終わり方は、一つでなくていいのだ。

登場人物の一人ひとりが、こんな人と出会ったことがある、こんな人がいるという現実感があった。それは、私が心理臨床に携わっているから、余計にかもしれない。
主人公がなかなか被害体験を言い出せない。そのことは、とても当たり前なことだ。言い出せないことを本人は悔やむけれども、言おうとしても声が出なくなるのは、自然な反応のひとつと言ってもいい。ましてや、幼いときであるなら、なおさらである。
その主人公の更紗が、言い出せるようになるまでの成長は、どれほどのしんどいものであったか、作者はきっぱりと割愛させて見せているところもすごいと思った。
苦労した時代を丹念に描いてしまうと、物語が物語ではなくあんり、目的が変わってしまう。冗長になってしまったり、そのしんどさに読者がギブアップしてしまうかもしれない。
だから、ある意味で変わり果てた更紗を登場させるだけで十分であり、その更紗を見ることで、私は、適応とはなんだろう、成長とはなんだろうと考えさせられている。

ここから先はネタバレもあるので用心してもらいたいが、登場人物たちを三世代にわけると、この物語の魅力が見えてくる気がする。

子ども世代にいるのが、更紗、文、亮。
親世代として、更紗の実の両親、育ての親となった伯母夫婦、文の両親、亮の両親。
そして、祖父母世代として、亮の祖母とcalicoの入っていたビルのオーナーをあげておきたい。

更紗、文、亮はそれぞれ、足りないものを持っている。それは、親世代から与えられなかったり、損なわれてきたものである。
更紗の実父が病死した後、実母は恋人を作って、更紗を捨てる。
伯母夫婦は実子が更紗に対して行う性加害、更紗の性被害に気づかない。つまり、どちらの子をきちんと見る(観察の見るであり、面倒を見るであり、どちらの意味においても)ことができていない。
文の両親、特に母親はさらに表面しか見ておらず、文を監視拘束する。
亮の父親は母親への暴力があり、母親は亮を捨てて家を出ている。
いずれの家庭においても、母親が従来的な母性と呼ばれる幻想的な愛情をもった存在として機能することが十分にできず、父親の存在は希薄で消えやすいものになっている。
亮の祖母の愛情深さや面倒見という母親機能(反面で亮の母親への恨みを増幅させていたかもしれない)が、親世代では既に機能することが難しくなっている。
ビルのオーナーの阿方さんのような、自ら歩み寄って関わること、相手を否定せず、宝物を与えるような穏やかさや賢さも、親世代には引き継がれていない(阿方さんと実の子どもたちの関係は不明であるが)。
そういうこの戦後の75年の間に、世代を経るごとに引き継がれないままにきたものがある中で、どうやって愛やパートナーシップを、新しい家族の形を作っていくのか?という問いを、この物語は示しているのだと思う。

繰り返しになるが、更紗は、その母親が母親の役割を放棄している。
更紗は他者をケアすることは可能であるが、伝統的な妻であり、伝統的な母親のモデルから切り離された自由な存在である。
「良識的」「常識的」な仮面をつけてふるまう術は大人になるにつれて身に着けたが、それは彼女の表面だけの取り繕いにすぎない。
彼女の本質は「自由」である。母親から譲られ、母親から捨てられることで完成した自由なままの魂を持っている。
性被害の体験を経たことで、その自由を侵害されることに違和感を敏感に感じるようになった女性である。
だからこそ、亮は、更紗のパートナーにはなりえなかった。
亮は、親世代、祖父母世代からの性役割を降りることができなかった登場人物である。
ホモソーシャルでミソロジーな価値観を内在しており、表面では女性に優しいが、内面では対等になることができない。その点は、更紗の従兄の孝弘と同類である。
亮自身が暴力を見ながら育ってきた傷つきと、母親から捨てられた傷つきとが、どちらも未消化で未解決である。母親の逃亡は、父親と祖母とによって、裏切りとして文脈づけられてさえいる。
対して、文は、ホモソーシャルでミソロジーな文化からはみ出ざるをえなかった人物である。
母親の規範通りに生き、優秀な兄と比べられ、周囲の誰とも同じではない自分を感じるたびに委縮する。そんな自分は引き抜かれたひ弱なトネリコと同然であり、母親から否定される恐怖におののく。
文はいっそ、去勢されていると言ってもいいだろう。誰とも交わることが難しい稀有な存在である。
だから、この先も、文は更紗を侵害することはない。

それは、けして、古い時代に戻ったり、真似をすればよいというものではない。
だから、この物語には救いがある。

人の善意というものが、いかに醜悪であるか、無力であるかを暴いてみせたところにも、救いがある。

今の時代、なにも珍しいことじゃない。人が殺される場面すら、検索すれば簡単に見ることができる。未成年だからといって、なにも守られたりはしないのだ。善良な人たちの好奇心を満たすために、どんな悲劇も骨までしゃぶりつくされる。p.88

その絶望。
私はこの本を読みながら、ある部分では桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちちぬけない』を思い出し、ある部分では隙名ことさんの『「私が笑ったら、死にますから」と水品さんは言ったんだ』を思い出した。
それぞれの作品を思い出した要素は異なるが、あわせて読んでもらいたいように思う。

最後に。
私が主人公がすごいなと思った箇所がある。
P.209の「ごめんね。わたしも、あなたにひどかったね」と言う言葉だ。
私はこれを言えずにすませた、言わずにしまえたことが多かったなぁと思うと、更紗の強さに感服した。
ほんとに、強くて、まぶしくて、魅力的な主人公だ。よかった。

2020.08.03

満月珈琲店の星詠み

望月麻衣・桜田千尋 2020 文春文庫

Twitterで見たそのイラストがとても魅力的で、すぐにそのアカウント、桜田千尋さん(@ChihiroSAKURADA)さんをフォローした。
疲れた人の前にあらわれるトレーラーカフェ。店長のふっくらとした猫の穏やかな表情と、美しい空。
夜明けになると閉店し、いずこともなく消えていく、そんなお店。
そのコンセプトだけで、十分に物語を感じることができる。
やがて、次々に天空や星空にちなんだメニューのイラストも紹介されるにつれて、そのお店がないことのほうが不思議になるような存在感を感じている人もいるのではないか。私のほかにも。

その満月珈琲店が小説化されたものが、本作になる。
京都を舞台にした、優しい物語となっていた。
最初は京都の街中の、あのぎゅっと凝縮したような空間のどこに、星空の広がるカフェを登場させるのかがわからなかったが、そこはそこ。
二条のあたり、木屋町でとか、かつて歩き回った地名がそこここに出て来て、それもまた、私には懐かしい思いがした。
伏見桃山は二年前だったか。研修で行ったところであるし。暑い暑い日、御香宮の前を通って、名前の美しさにうっとりしたこともよく憶えている。

もとのイラストから浮かぶイメージに、星詠みという占星術の要素を加えてあるところが、なかなか興味深かった。
思わず、自分のホロスコープを調べてしまったりしたぐらい。

人生に迷っている人に、星が未来を示し、おいしいスイーツやドリンクが元気を与える。
こういうお店に私は行きたい。

2020.05.21

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

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