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香桑の近況

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小説(日本)

2020.05.21

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

2020.05.12

フェオファーン聖譚曲(オラトリオ) op.2 白銀の断罪者

菫乃薗ゑ 2020年7月3日刊行予定 opsol book

あの真っ赤な本が届いてから、まだ日が経っていない気がする。
2冊目は真っ青。そして、今度は百合の花。
この物語は、ここで終わるわけではないが、ネタバレをしたくない。
一気に読ませる力強いファンタジーなのだから、表紙を開き、流れに身を任せてほしい。
今回も一足先に#NetGalleyJP で読ませていただいた。

となると、書けることは限られてしまうのであるが、複雑に入り組んだ勢力図が面白い。
大きく分けて、舞台は二つ。一つは中央。城内での権力争いである。
魔術師の塔は長を失って弱体化していくとして、王位継承者は決まっておらず、貴族の権力闘争もある。
一見強固に見える権力の中で、千々に分断されては対立し、転落していく有様が目まぐるしい。
もう一つは辺境。主人公であるアントーシャはオローネツから反撃の、革命の、狼煙を上げることになる。
フェオファーンと名乗る1つの集まりとして、彼らはますます強く結びついていく。
この対称。

登場人物は非常に多いのであるが、彼らがop.1とは違う顔を少しずつ見せることで、ぐっと深みが増した気がした。
優しい人物の厳しい表情や、あどけない人物の貪欲さや冷淡さ、無表情で無感動な人物の情の部分といった具合に。
それぞれが一面的ではない、人らしい人としての厚みを見せることで印象が少しずつ変わり、読み手も思い入れの持ちようが変わる。
個人的には、お気に入りはコルニー伯爵である。彼らの旅の無事を祈るとともに、ぜひともフェオファーンに合流してほしい。
あと、オスサナにはぜひとも感じのいい女性のままでいてほしい。
オローネツの男たちは、目いっぱい暑苦しいままでいてほしい。これは望むまでもなく叶いそうだけど。

もう一点、この物語の魅力に感じたのは、色合いの美しさである。
建物の色合いにも、出てくる石や金属の色合いにも、意味が与えられている世界である。
人々の衣装の描写も美しく、襲の式目を想起した。そういう描写の細やかさがあるので、人々のいる景色も想像しやすい。

弾圧し、迫害し、略奪してきた者たちに対して、人々の怒りが燃え上がる高揚感がたまらない。
この熱が冷める前に、続きを読みたい。

ファンタジーはいい。
現実に疲れた時には特に。

2020.04.26

極彩色の食卓2:カルテットキッチン

みお 2020年5月20日発売予定 マイクロマガジン社

前作と同じように、とても色彩豊かな小説だ。
前作は前作で完成されていたけれども、とても気に入った小説だったので、こうして、登場人物たちに再び出会えて嬉しい。

主人公の燕は、今も律子さんの家に住み、料理の腕を振るっている。
画家である律子さんと、絵について学んでいる最中の燕は、色彩を大事にする人たちだ。
彼らのなかでは、景色や音や雰囲気が、色彩に変換されて認識されているようなところがある。
料理だって色彩が大事で、その日の気分や気温や天気や時間を表すような色彩の料理の次々が美味しそうなところが魅力の小説だ。

今回の作品では、燕は新しい登場人物たちと出会う。
彼らは、「色」ではなく「音」に関わる人々。だから、カルテット。
色と音と味。五感を刺激する要素が以前よりも幅広くなって、読み手に訴えかけてくる。
Stay homeのこの期間、家の中で閉じこもりがちになっていると忘れそうになるのが、こういう五感に訴えかけてくる世界の豊かさではなかろうか。
そういう意味で、一足先に読ませていただき、心をリフレッシュさせてもらったような気がした。

それにしても。
前作からいけ好かないけれども気になる不思議な人物、柏木さんのフルネームが出てきたのであるが、そこでそうきたか!と思わず拍手をしてしまった。
作者の方は憶えていらっしゃるかわからないが、Twitterでのささやかな会話を私はよく憶えている。
これは、もっと続きが読みたくなった。

2020.04.24

心にいつも猫をかかえて

村山早紀 2020 エクスナレッジ

エッセイと小説と写真、3度美味しい贅沢な本。
著者初のエッセイは、見送った猫、すれ違った猫の数だけ、思い出が切ない。
猫に限らず、小さないきものと一緒に生活したことがある人は、その命を見送った経験もあるかと思う。
小さないきものと一緒に生活したことがなくとも、知っている人や知らない人の死に触れることはあるだろう。
そういう過ぎ行く命への深い愛情と、見送ったからこその後悔が語られる。

そういう猫たちと暮らしてきた日々の思い出とともに、子どもの頃の思い出や、作家としての経験、未来へと思い描くことなどが語られる。
どんな人があんなに心揺さぶられる物語を紡いでいるのか。
どれだけ、本と本屋さんという文化を大事に思っているか。
どれほど、「ふかふかの毛並みの、翼や鱗を持つ命たちの、その魂」(p.25)を愛しているか。
このエッセイと、この期間に書かれた小説は、愛して愛してやまなかった命を見送った後の喪失と鎮魂の過程であるようにも感じた。
自分自身にも、愛する命にも、命には限りがあることを見据えているから、ぶれずに優しく、謙虚で、凛として強いのだと思う。

長崎を舞台にした春夏秋冬の4つの物語。
ところどころ、長崎の言葉に訳された台詞が出てくる。九州に縁が薄い人には聞きなれない言葉遣いであるかもしれないが、私にはなじみのある言語。
方言には独特のイントネーションやリズムがある。音色がある。
その長崎弁が最大限に効果を発揮していると感じたのが、夏の物語、「八月の黒い子猫」だ。
前もってnoteで公開されたときには、全編が標準語で書かれたものと、一部が長崎弁で書かれたものの2パターンがあった。
その時も、これは長崎弁のほうがいいと強く感じたのを憶えている。
断然、こっちがいい。
私には秋の物語もほんのりと切ないし、冬の物語も胸が痛いものがあるが、春の物語は号泣ものだった。
どの猫の物語も、猫って人間を愛してるくれるんだと教えてくれる。
村山さんと猫。この組み合わせは、絶対、泣く。そういうものなのだから、箱ティッシュやタオルは用意してから読むのがよいと思う。

エッセイと小説の両方が楽しめるだけでも贅沢だが、この本にはたくさんの猫たちの写真がちりばめられている。
村山さんの家族である歴代の猫さんたちも、町の景色のなかの猫さんたちも、どちらも表情豊かだ。
Twitterで見たことのある写真があると、思わず頬がゆるんだ。
しかも、街猫さんたちの撮影をしたマルモトイヅミさんが描いた、イラストの猫さんたちもとても可愛い。
奥付の猫さんは何度も何度も見ては、にっこりとしたくなる。イラストも入れて、この本は4度美味しい。
表紙や帯の手触りもよく、細かなところまで気配りされた、丁寧に作られている本だ。
手触りも入れたら5度も美味しい。

著者とはTwitterでお話しすることがあり、実際にお会いしたことがある。
エッセイを読んでいると、村山さんにお会いしてお話ししている気持ちになった。
私の頭のなかでは、読んでいる文字が村山さんの声や話し方で再生されるのだ。
これは、小説を読んでいるときにはおきないことで、エッセイだからこそ、御本人とお話ししているような体験になるのだと思う。
地方のなまりのない、鈴を転がすような澄んだ声と柔らかな声音で、表情豊かに話される御様子まで、目に浮かぶようだった。
世界が平穏を取り戻したら、再びお会いしにうかがいたいなぁ。
そして、記憶のなかの長崎の景色をアップデートするのだ。

この本、読んでいて面白かったのは内容だけではなく、エッセイと小説の両方があるという読み心地の部分もだ。
私の感覚だが、エッセイを読む速度と物語を読む速度、違うことを感じた。
物語はすっと没入する感じ、エッセイはゆったりと語り合う感じがする。
前者は映画館で見る映画のようなものだし、後者は面と向かったの対話やラジオを聞くのにも似ている。
似ているようで、まったく違う「読書」なのだ。それが交互にくるので、読んでいる自分のペースに変化が生じ、一冊を読むなかでの起伏となるのが興味深い体験だった。

今、我が家にいる猫たちの中でも、ひたむきに信頼と愛情をささげてくれる猫がいる。
彼らの信頼を裏切らず、彼らを最期まで見届けたい。
せっかく我が家を選んで、来てくれた猫たちなのだから

2020.04.22

ひみつのポムポムちゃん とつぜんのシンデレラ

ハタノ ヒヨコ (イラスト,原案)/村山 早紀 (著) 2020 講談社

なんて、かわいい。
子ども向けの本を手に取ることなんて、久しくないことなので、新鮮な気持ちで読ませていただいた。
今どきの小学生の女の子も、こんな魔法を好きになってほしいなぁ。

主人公のりんごちゃんは、かわいらしい女の子だ。
自分のすてきなところに気づいていない、自信があまりない女の子。
けれども、心が優しくて、友達のためにがんばろうとする、すてきな女の子なのだ。
彼女の相棒は、うさぎのシュシュ。
りんごちゃんがポムポムちゃんにどうやって変身するか、物語のお楽しみだ。
いつだって、魔法はすてきな女の子の味方なのだ。

この本、コラムがあったり、迷路があったり、小さなお楽しみがいっぱいにちりばめられているのだ。
読むことに没頭することに慣れていない子どもでも飽きずに楽しめるようにしてある工夫だと思う。
最初は大人と一緒に読む子もいるかもしれないし、そうしたら、大人は子どもにどう声かけするのかも聞こえてくるような気がした。
読書を好きになるようにこめられた魔法に、かかってほしい。

刊行予定 2020年5月19日
#NetGalleyJP  #ひみつのポムポムちゃん

2020.04.17

魔女たちは眠りを守る

村山早紀 2020 KADOKAWA

いてもいなくて、おんなじ。そんな気持ちに駆られることがある。
人の子は、寂しいときに、そんな気持ちに襲われる。
よくないものがいたずらするような暗がりは、そんな寂しさにつけこむことがあるから要注意だったりする。

いるのに、いないふりをする。いないと思われている。
人の子たちとは逆の、それが魔女たちだ。
目立たないように、魔女たちは町から町へと移り住みながら、人に紛れて長い命を生きる。
人より長いいのちから人の子を見守る、というところが、ちょっと不思議な感覚をもたらしてくれる。

おそらくは、ひとの子が蝉の一生を見てその短さを嘆くように、魔女たちはひとの命の短さを惜しむ。(p.258)

考えてみれば、人のほうが、自分よりも短い命を見守りながら暮らしていることが多い。
人より長いと言われる命はなかなか少なく、日常的に一緒に暮らす可能性の高い長命のいきものというと、大型インコぐらいしか思いつかない。
犬や猫でも兎でも、飼っていたことがあれば、その駆け足のいのちを見守り、見送る切なさは想像がつく。
もっとも、人よりはるかに短い命の猫たちは、その晩年になるとどうやら人を見守っているような境地に至る気がするのだけど。

魔女たちは魔法を使うけれど、攻撃的なものではないし、万能でもない。
力を使いすぎれば、魔女たちはきらめく光だけを残して消えてしまうこともある。
数少なくなった同胞たちのなかで、七瀬は、それでもおそらくは年若いほうの魔女で。
舞台となる町を見守るニコラは、ずっとずっと長い時間を過ごしてきた魔女で。
彼女たちは、出会った人々を忘れることなく、守り続けている。

ひとは自分だけのためには強くなれないんだ。(p.116)

弱いのに、不思議な力もないのに、一生懸命に強くなろうとする。
その人の子のさがを、魔女たちはたぶん無視できない。
魔女たちは、とてもとても長い時間をかけて生きており、たくさんの命を見送ってきた不在を抱えて生きている存在である。
そこに著者の愛を感じる。世界を愛しており、ひとの子を愛している。過ぎ去り、うつろう世界を惜しみながら。
深い、深い愛情が、すべての眠りを優しく守ろうと、手を差しのべているのを感じた。

夢のある眠りも。
夢のない眠りも。

キノノキの連載時から読んでいるが、こうして1つの物語として本に納められると、記憶していたよりも長くて大きな物語だった。
表紙も美しくて、実物を手にするのが楽しみ。
この記事の表紙は、でも、長崎の夜景を。

今回も、#NetGalleyJP さんで読ませていただきました。

2020.04.14

異世界居酒屋「のぶ」6杯目

蝉川夏哉 2020 宝島社文庫

気づいたら、もう6冊目。
毎回、楽しみにしているシリーズだ。出たらすぐに買い、すぐに読み、何度も読み返す。
から揚げが出てきてはから揚げが食べたくなり、串カツが出てきては串カツが食べたくなり、こんな居酒屋が歩いて行ける距離のところにあればいいのに、と何度願ったことだろう。

今回は、ガレットがたまらなく食べたくなった。
完璧と名付けられたガレットを、香り高いシードルと共に。
そうできたら、どんなに素晴らしいことだろう。
調べてみたら、Covid-19の世界的な流行に伴い、外出自粛要請や緊急事態宣言が出ているなか、ガレットを食べに行っていたお店も休業している。
自分で焼けばいいのだろうけれども、お店の雰囲気やバターの香りを思い出して、せつない気持ちになった。

物語の中で、人々は毎日の生活を謳歌している。
顔馴染みの人々との会話、家族との再会や交流、恋愛や結婚、職業人としての成長。
その毎日に、美味しい酒があり、美味しい食事がある。
そういう極めて「人間らしい」営みが、今、現実では感染症の流行によって阻害されていることを強く感じた。
心配事がゼロではないけれど、当たり前に出かけ、当たり前に働き、当たり前に笑い、当たり前に語らう。
つい最近まで当たり前だった日々がここにある。

世の中が落ち着いたら、トリアエズナマで祝おうか。
それとも、しみじみとレーシュを味わいながら、あんかけ湯豆腐やだし巻き卵をゆっくりと噛みしめるのもいい。

美味い料理を、自分の好きな場所で、自分の好きな人と食べる。(p.50)

そんな日常が早く戻ってきてほしいと思った。

2020.03.29

コンビニたそがれ堂:花時計

村山早紀 2020 ポプラ文庫ピュアフル
 
時が巻き戻せたら。
 
そんな願い事が共通した3つの物語が収められている。
詮ないとわかっていても祈るように願うのは、それぞれが取り返しのつかない事態を孕んでいるからだ。
取り返しがつかないとなれば、生死が関わってくる。
死という不在をどのように受け止め、自分の内側に納めていくのか、作者の手探りが感じられる。
なにしろ、1つめの「柳の下で逢いましょう」の主人公ときたら、影の薄い幽霊さんときている。
この「柳の下で逢いましょう」には野良猫の母子が出てくるが、数年前に我が家の裏口に来ていた野良猫の母子に重なった。
その子どもたちのうちの4匹は、我が家でそろそろ中年になってきたが、できれば母親猫にも安心して暮らせる生活を提供したかった。
長く飼っていた猫に一番そっくりだった母親猫。一度も鳴くことがなくて、警戒心が強くて、触らせることもなかった母親猫。
物語のなかでは、母親猫にも暖かい寝床と食事が得られたようで、私のなかの思い出の猫も少し救われた気持ちになって嬉しかった。
全体に濃密な死のにおいを感じたが、そこはそこ、3つめの物語にふわりと光の世界に引っ張り上げられ、現実に戻るような読書となった。
 
私は、後悔は不在という心にぽっかりと空いた穴の縁をなぞる作業のように思い描くことがある。
もはやその存在そのものには触れることがかなわないから、代わりに不在に触れてしまうのだ。
不在に触れるたびに心が痛むとしても、その痛みだけがかつてそこに存在があった証である。
だから、痛くても痛くても、触れてしまうのだと思う。
惜しむ、悼むとは、不在の痛みを感じ、なかったことにしないことなのだと思う。
それでも、時は流れて、穴の縁はなぞるうちにすべらかになり、いくらか大きさが小さくなり、深さが浅くなり、こころの内に抱えやすくなっていく。
 
実を言えば、私はあの時に戻りたいと思うことは今のところ、あんまりない。
自分の人生は一度だけで十分だと思っているので、やり直すことで終わりまでの時間が長くなることを考えると、ぞっとする。
あれはやめておけとか、それはいらなかったと思っても、こうしておけばよかったと思うことが少ないのかもしれない。
そんな私であっても、Twitterで老猫を甲斐甲斐しく世話をする人を見ると、死んでいった猫にもっとしてあげられることがあったのではないかと落ち込むことがあった。
冷静に考えてみれば、知識も技術も足りなくてどうしようもなかったし、自分の気力と体力も限界だったとは思うのだけど。
それでも。
 
物語は不思議だ。
できなかったことが、かなえられることがある。
自分に似ている人を見出すこともできるし、自分が物語の中の人となって生きることもできる。
当たり前の日常を生きている平凡な人生のなかで、「自分なんていてもいなくても同じではないか」と思ってしまうことがある。
自分に意味や価値がないように感じて、もどかしくて頼りなくて焦ったり苛立つような感じは、思春期に特有のものだと思っていた。
けれども、大した人生を送っていないような、これではいけないような感じというのは、折々に触れてよみがえるものだということがわかってきた。
青年期、中年期、そして、老年期になっても、自分の来し方を振り返るたびに、行く末を思うたびに、ひとの子のこころは揺れ動くものなのかもしれない。
だから、「自分を許しておあげなさい」というねここの助言が、この本の全体を貫く贈り物なのだと思う。
できなかったことを許す。
できなかった自分を許す。
きっと、それが喪の作業の要なんだろう。
今の自分を許せないような気持ちが頭を持ち上げてきて迷子になったとしたら、たそがれ堂を探すチャンスなのだ。
神様は留守にしていても、代わりに可愛らしい店番のお嬢さんが話を聞いてくれるだろう。
おでんは温かく煮えているし、おいなりさんは甘くてしっとりしていて、葛湯や梅昆布茶をサービスしてもらえるかもしれない。
「未来はいつだっていい子の味方」なのだから、その未来を生きている大人があんまりよろよろしたくないなぁと思った。

2020.01.27

イマジン?

有川ひろ 2020 幻冬舎

久しぶりの有川作品。
単行本を1日1章ずつぐらいのつもりで、ゆっくりと読んだ。
少し前なら徹夜してでも一気読みしていたかもしれないが、今回はゆっくりゆっくり。
それは、私の体力や集中力がいまいちというだけではなくて、急いで読むのがもったいなかったのだ。
というのも、これは、長年のファンにはたまらない作品だと思ったから。

主人公は、良井良助。
別府出身。子どもの頃に観た映画『ゴジラvsスペースゴジラ』をきっかけに、映画・映像を作る側になることに憧れて育った。
今は、新宿でゴジラのディスプレイに見下ろされながら、チラシを配っている。
そんな良助が、制作という仕事の現場で成長していく物語だ。

雑誌掲載時に評判を聞いたようなうっすらとした記憶はあったが、前情報ゼロに近い状態で読み始めた。
そして、非常に興奮した。
だってですよ。第一章のタイトルは、『天翔ける広報室』。このタイトルだけで、一気にテンションがあがらないわけがない。
あの作品を思い出すタイトルで、原作のあるドラマを撮影する現場に、良助は関わることになるのだ。

ドラマや映画の裏方の一部である、制作。ロジスティックスを担当する雑用というか、隙間産業というか、土台を支える部門。
私は映像の裏方の役割分担をよく知らないので、職業ものとして楽しむこともできたが、それ以上に、あのドラマやあの映画の裏側ではこういうことがあったんだろうなぁという想像につながって楽しかった。
ファンサービスではないと思うのだけども、これまで映像化されてきた有川作品が、どれだけ大事に作られてきたかを教えてくれる物語だと思ったのだ。
これはあの時のとか、きっとあの作品でとか、それぞれの映像が目に浮かぶようだった。
あのドラマやあの映画の、キャストやモデルになった人たちと再び出会えたような嬉しい読書となった。

私にとってはファンサービスをいただくような贅沢な一冊であったが、もしかしたら、違うかもしれないけれど、映像化されるたびに現れるアンチな人への抗議のようにも感じた。
ここまで大事に大事に作られているものを、知りもしないで、観もしないうちから、否定するのか。
そんな風に、作る側に立つと、感じるのではないだろうか。
もちろん、多くの人にとって残念なケースというのもあるかもしれないが、それでも、大事に大事に作られたものだとしたら、一緒に盛り上げるのがファンの心意気のように思ったりもするのだ。
どうせなら、映像化されたものが盛り上がって、新たに原作を手に取る人が増えて、本と本屋さんが喜ぶような循環があるほうが、私は嬉しいなぁ。

有川浩さんが、有川ひろさんになった、第一弾。
それは、有川浩さん時代の作品で、映像化された小説たちのオマージュがいっぱいの作品で、きっとこれも愛される小説になる。
良助や、良助と一緒に仕事をする仲間たちが、魅力的な人揃いなのだ。上司たちも素敵だし、同僚も有能だし、そこで一生懸命に頑張る良助の姿は、なんといっても応援したくなる。仕事も、恋も。
この作品を入口として、有川ワールドにはまる人も、きっといると思う。はまってから、追いかけているうちに、後で映像を見て、えーっ!?と驚くのも楽しいだろうなぁ。

あー。面白かった!

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