2021年8月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

著者名索引

香桑の近況

  • 2019.1.25
    2018年 合計33冊
    2017年 合計55冊
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計475冊
無料ブログはココログ

小説(日本)

2021.08.03

相棒

五十嵐貴久 2010 PHP文芸文庫

土方歳三と坂本龍馬。
追う側と追われる側ぐらいに立場の違う二人に、協力してとある捜査をしろと密命が下る。
それも、たった二日間で犯人を探し出せという無茶ぶり。
徳川慶喜暗殺未遂事件の。

ぐいぐいと京都の町を二人に連れまわされるうちに、ありえないことがありえたことに見えてくる。
京都に住んでいたことがあるので、出てくる通りの名前がいちいち懐かしくなる。
今出川通りを右に折れると相国寺。冷泉家は今出川と河原町通りの交差するところ。竹屋町に三条に。頭の中で地図をなぞる。
これだけ歩き回れば足も棒になりそうなところだが、丁々発止の二人の言い合いは止まらない。

几帳面で潔癖な印象の土方は、江戸のちょっとべらんめえな口調。
フケだらけで臭いそうな竜馬は、ほにほにとのんびりとしたら柔らかななまりのある口調。
どちらも、さまざまなドラマや映画やマンガやアニメで描かれてきたイメージを凝縮させたかのような魅力的な主役たちだ。
ほかにも、桂小五郎に西郷吉之助に岩倉具視にと、幕末維新の有名人がぞろぞろと登場する。
それが違和感がない、絶妙な時機を選び抜いた一瞬に仕掛けられた架空の事件であることに、舌を巻いた。

この二人に面識があって、こんな風に会話していたら、と想像することはとても楽しい。
楽しいが、歴史上の人物たちであるので、それぞれがどのような死に方をするのかが決まっている。
それがどうしようもなく切なくなる。
こうなってしまうのか、こうなってしまわずにはいられないのかと、わかっているのに切なくなる。
その切ないところを乗り越えていく竜馬の台詞がよかった。

「どんなにみっともなくても、生きてりゃ何とかなる。そういうもんじゃ」(p.449)

本屋さんで見かけた時から絶対に面白いと思って手に入れ、長く積んでいた本だった。
2022年正月にNHKで『幕末相棒伝』としてドラマ化されるという。
これだけ面白い作品なのであるから、時代劇を丁寧に作るNHKであるし、きっと魅力的なドラマになることだろう。
それにしても、もう少し早く読んでおけばよかったなぁ。面白かった。

2021.06.15

コンビニたそがれ堂異聞:千夜一夜

村山早紀 2021 ポプラ文庫

久しぶりに三郎さんに会える本だ。
2020年の春からの記憶をくっきりと刻み込んだ本だ。
風早神社の娘である沙也加を主人公にして、いつもと少し違う日々が始まる。
欲しいものは欲しいと言わないように我慢してきて、欲しいものがわからなくなってきた人に、ぴったりの魔法の本だ。

ワクチンの接種が進むようになった今から思うと、やはり去年の春はとても追い詰められた気分でしんどかったように思う。
人の死が数として積み上げられて、いつ我が家にも襲い掛かるのではないかと、生きた心地がしなかった。
油断や慣れもあるとは思うけれども、その時に比べると格段と落ち着いたと思う。
相変わらず、あれもダメこれもダメで息詰まる感じはあるのだけれど。

その一年の違いはあるけれど、これは今の物語。
心が疲れた人に、いっぱいのお茶のように、そっと手渡したい物語。
優しい魔法を手にしてほしい。

*****

道路で、時々、事故にあった動物を見つける。
自分が猫が好きなせいもあるのか、猫が事故に遭いやすいのか、猫をみかけては、胸を押さえてうめいてしまう。
猫だけじゃなくて、狸だったり、イタチだったり、鳩だったり、鶏だったり…。
車を止めることはできないし、拾ってあげることはできないし、通り過ぎるしかないことが多い。
せめて道路緊急ダイヤル(#9910)に電話させていただいたことはある。

私は昔から、動物が好きだった。
うにょうにょしたものは苦手なので、虫の仲間はどうしても仲良くなれる気がしないのだが、クラスメートの顔と名前は覚えられないのに、鳥の図鑑ならいくらでも覚えることができた。
自然のこと、環境のこと、いつの間にか興味を持つようになると同時に、人でいることが申し訳ない気持ちになるようになった。
人だって地球に間借りしているだけのことなのに、なんで我が物顔にしているのだろうと不思議になる。

事故ではなくて、もっと故意に動物を殺した話を見聞きすると、何年も忘れられなくて苦しい。
少年たちが公園で抱卵中の白鳥を面白がって棒で殴り殺した話。
弓矢で追われて禁漁区から出てしまったところを殺されたセシルというライオン。
盆栽を倒したことに激高した男性に車のバンパーにしばられて何キロもひきずられて殺された猫のこと。
なんで、そんなにひどいことができるのだろう。
痛かったろう。怖かったろう。悲しかったろう。つらかったろう。腹が立っただろうか。びっくりしているうちに殺されたのだろうか。
せめて、苦しみが短く、少なかったのならいいのに。

人はとても残酷で、ひどいことを平気でする部分をもっている。
自分では手を汚すことはなくとも、興味本位で映像や文章を楽しむ人もいる。
自分には関係ないことだと割り切って、平然と受け流して忘れられる人もいる。
私は少し、割り切ることがへたくそなのだと思う。
すべての動物をすくうことができないといさめられたこともあるが、それでも、苦しくて苦しくて申し訳なくてたまらない気持ちになる。
今、冷房をつけて、電力を消費していることも、白クマさんにごめんなさいだったり、風力発電の風車に翼を切り落とされたワシさんにごめんなさいだったり、するのだもの。

だから、つばめたちが、主人公に助けられたことを歌い継いでいるのなら、なんて素敵なことなのだろうと涙が出た。
自分たち一族の英雄として、そういう素晴らしい人間がこの町にいるのだと誇らしく歌い継いでいるなんて。
そんな風に鳥の歌声を思い描いたことがなくて、涙があふれた。
村山さんの作品は、神様も、あやかしのねここも、猫たちも、そのほかの生き物も、この世界と人間を愛している。
人でいることが苦しくなったときに、人であることを許してくれるから、だから、泣けてしまうのだと思った。

2021.04.22

見守るもの:千蔵呪物目録3

佐藤さくら 2021 創元推理文庫

書き出しがいい。
プロローグから、凄みがある。びりびりと空気が緊張をはらむ。

この世界のどこかに自分を認めてくれる人がいないだろうかと、自分と同じような苦しみを抱いている人がいて、自分を見つけてくれないだろうかと、ばかみたいな期待を抱くのを、やめられないのだ。(p.11)

絶望を繰り返しても何度も期待を持つ。
こんな思いを知っている人の手に、そっと渡したくなる一冊だった。

佐藤さくらさんという作家は、『魔導の系譜』を含む「真理の織り手」シリーズでは、識字障害や発達障害、性的マイノリティなど、様々な生きづらさを抱えている人々を、そこにいることが当たり前の一人として描いてきた。
「千蔵呪物目録」でも、人間ではないものになってしまった朱鷺と冬二をめぐる物語であり、呪物によって人生を少なからずゆがめられた人々が登場する。

この『見守るもの』の蓮香は、ぱっと見は、ひきこもりに見える。
蓮香の苦しみを描き出すときの、作者の筆致には迫力がある。
このままじゃいけないことはわかっている。自分でもわかっている。誰よりもわかっている。

震える手で履歴書にペンを置いて、緊張と不安のせいで込み上げてくる吐き気と戦いながら書き上げたとき、その空白に打ちのめらされた。
蓮香は職歴もなく、なんの資格も持たず、運転免許すら持たない。自己をPRすることなどひとつもない。普通の人が当たり前にできていることが、なにひとつできない。そもそもこの世を生きていく資格がないように思える。
履歴書に生まれた空白は、それを物語っているようだった。(pp.135-136)

呪物のせいでこのようになってしまったのか。
それとも、このような性質であったから、呪物に選ばれたのか。
呪いを精神病理に置き換えて理解しようとしたとき、たまらなく胸を締め付けられた。
ひきこもらざるをえない人が、このままではいけないとはわかっていても、そのひきこもることを手放すしんどさが生じることがある。
症状がその人の一部となり、場合によっては支えや守りになってさえいる。その苦しみをよくここまで文字化したものだと思う。
ひきこもりだけではなく、依存症や強迫症、摂食障害など、様々な疾患や障害の、手放すことのためらいと折り重なった。

そのような苦しさを書きぬくだけではなく、この中には、愛しくてきれいなものもいっぱい散りばめられている。
それは、人という道理を外れてしまった朱鷺や冬二を、人につなぎとめているものになっているのではないだろうか。
小さな親切や、ささやかな好奇心や、感謝や賞賛。
自分を自分たらしめるものはなんであるのかを考えさせ、そこに自分を自分として承認するひとのまなざしが必要であることに気づかせる。

このシリーズはこの3冊目で完結とのこと。
シリーズを通じて、呪物というアイテムに込められた「祈りが呪いに変わる」ことを扱いながら、「人と人でないものの境界線はあるのか」を問うものとなっていった。
2巻で登場した神から人になろうとしつつある少女の鈴、3巻ではなんとも優しく穏やかで美しい人形の華さん、そして、朱鷺と冬二を並べたときに、人とは何であろうか?という問いが徐々に浮かび上がってきた。
人ではないものたちから人であることを照射するような、この続きを読みたいなぁ。

私は作者の描き出す世界やその世界に仕組みにも愛着を感じるが、どろどろとした感情や思考を伴う生々しい人物たちの、それでも生きていく不器用なしぶとさに魅力を感じている。
傷だらけになりながら、それでも、生き延びていく。
希望の光が見えない時でも、やるしかないじゃないかと闇をかき分けて進むような力強さを感じて、励まされるような、励ましたくなるような思いになるのだ。
本人には見えていないかもしれないが、それがこの人の輝きであるように思うのだ。

最後にもう一点。
この「見守るもの」を読んでいると、村山早紀さんをふっと想起することがあった。
人形というモチーフが、私の中で両者をつなげたのかもしれないが、考え直してみると、もっと大きなところでつながっているような気がした。
それは、彼ら人ではないものが、人をとても愛している、というところである。

2021.02.19

紅霞後宮物語(12)

雪村花菜 2020 富士見L文庫

中華風の王宮を舞台にしたファンタジーのなかで、主人公の小玉の年齢が高めであるところが異色だった本作。
未来において伝説のように神話のように語られるようになる小玉の、本当のところの物語というコンセプトも面白くて読み始めたシリーズだ。
既に、12巻目となった。

こう長くなってくると、読む方としてもちょっと惰性になってきたりして、読むたびにレビューを書くこともなくなっていたのだが、11巻あたりから、このシリーズは他の中華風の王宮を舞台にしたファンタジー群と一線を画したと思う。
先に「中華風の王宮を舞台にしたファンタジー」と書く時に、私の頭に浮かぶ代表作は、『彩雲国物語』であると書いておく。本屋さんで眺める限り、このジャンルはたくさんの本があると思うのだけれども、そのジャンルそのものを語ることは難しい。
活躍している女性を主人公に置きながら、少女マンガのようなきらびやかな夢物語のような活躍はコミカライズのまさに少女マンガに任せ、小説では本来作者が描きたかった実は普通の人たちであった主人公を描くところに、私は新しさを感じたのだ。

人は老いる。
若く、美しく、強く、元気で、純粋で、万能感に満ちた世界をそのまま輝かせるような終わり方をしたのが『彩雲国物語』だったと思う。私は『骸骨を乞う』がなんといっても傑作と思ってしまうのだけれども、ああいう形を取るしかなかった物語であったようにも思う。
老いる。外見も、精神も、肉体も、若いときのままではいられない。青春の輝きを失った後も、人生は続いていく。
いや、そもそもは、人は、不器用だったり、醜かったり、理不尽だったり、狡猾だったり、お世辞にも立派ではない部分を取り繕いながら生きているものだ。
そういう等身大の生々しさを、中華風の王宮を舞台にしたファンタジーのなかにぽいっと放り込んでみせたところが見事だと思ったし、容赦がないとも思った。
なにしろ、美形であるとさんざん称えられてきた文林も立派に中年として描かれている。表紙では美々しいままなのに…。

幻想を抱かれては幻滅される。
人々は勝手に幻想を抱き、勝手に幻滅していく。
読み手もまた登場人物に勝手に幻想を抱き、もしかしたら幻滅した人もいるかもしれない。
主人公たちは、すごくもないしえらくもない。もしかしたら没落しちゃうかもしれないのだろうか。
かえって、この先が気になっている。

2021.02.06

女たちの避難所

垣谷美雨 2020 新潮文庫

あの日のことを忘れることなど、できない。
あの日には幼すぎて記憶にはあまりない人や、その後に生まれた人もいる。
けれども、あの日は自分にとっていつか来る日であるかもしれない。

この本は、東日本大震災に題材を取っている。
福島の架空の海沿いの町で、災害に遭った3人の女性が主人公だ。
彼女たちが、災害をどのように体験し、災害後をどのように体験したか。
避難所とはどういう場所であったかを、小説として読み手に体験させる本だ。

文体はなめらかで真に迫り、あの日からひっきりなしに放送された映像が目の前に浮かぶ。
この人は無事にあの災害を生き延びるのか、あの災害の規模を憶えているだけに、地震の描写が苦しくなった。
あまりにも苦しくなり、手にとっては置き、手にとっては置き。
最後の数ページを先に読んで自分を安心させてみても、読み進めるのがつらくなった。
そのうち、腹が立って仕方がなくて、読み進めるのがつらくなった。

福子は子育ても終わった中年の女性だ。その夫は、定職に就かず、ギャンブルに依存しているような男だ。怒らせると面倒で、ただ男であるというだけで威張り散らす。でも、地域の女性らしさの規範にのっとって、福子は黙りこんで耐えるしかない。
遠乃は出産したばかりの若い女性だ。夫を災害で喪うが、夫の父親と兄から家事労働を含むケアの担い手、性的な対象として、当然のように世話することを求められる。乳児を抱えた美しい女性が、避難所でどういう目に遭ったか。
渚は小学生の息子を持つシングルマザー。離婚歴があり、飲食店を営む彼女を、地域の人々はふしだらな女性として扱う。そのため、息子も学校でいじめにあっていた。

読むほどに、怒りが湧いてたまらなくなった。
腹が立ちすぎて眠れなくなるわ、吐き気がしてくるわ、うんざりするほど憤りが湧いてきた。
福子と遠乃と渚と、その他の女性たちと、どの女性たちが自分に近しく感じるかは、読む人によって異なると思うが、彼女たちの苦しみは自分の苦しみと地続きだ。
だから、私はこの小説を、架空の物語として読めなかった。

これは小説の形を取るしかなかった記録に思う。
こんなことはきっとたくさんあって。
きっともっとひどくて。
あの頃、ひどい話を端々で聞いた。
とても丁寧に取材されており、実在のモデルを想像してしまうほど、鮮明で具体的で現実的だ。
脚色されているとしたら、過大に盛るのではなく、過小にマイルドにしなければならない方向性に、だと思う。
小説という体裁を取らなければ、本として出せないほどにひどいことがいっぱいあったのだろう。

だが、問題の多くは、多かれ少なかれあちらこちらで繰り返されている。
震災前からあり、震災によってあぶり出されたことは、今なお現にある。
竹信三恵子さんは解説で、「人をケアするべき性」として扱われてきた女性被災者たちをケアしてくれる存在はなく、静かに疲れはてていくと書いているが、それはCovid-19流行下でも現在進行形であることを自殺者数が示しているのではないか。
三界に家なしと言われてきたこの国の女性たちに、避難所はあるのだろうか。
この小説では、主人公たちは東京に避難することを決めるが、そこが楽園であるわけではない。
都市の女性なら理不尽に抗議できたかどうかは、去年、バス停で休んでいるところを殺された女性が示すのではないか。

日本の社会っでいうのは、女の我慢を前提に回っでるもんでがす。それに、若い男の人が年寄りに遠慮して物が言えないのも前からそうでした。(p.332)

男の人がこの本を読んだら、どんな風に感じるのだろう。
ミソジニーな傾向の人、ホモソーシャルな社会が居心地のよい人が読んだら、くだらないと言うのだろうか。嘘っぱちだと言うのだろうか。自分たちを故意に貶めていると言うのだろうか。
それとも、お行儀のよい感想を言うのだろうか。

福子にも、遠乃にも、渚にも、#DontBeSilent のエールが届くといい。
ひとつひとつの理不尽に声をあげなければ、なかったことにされるではないか。
ひとつひとつの理不尽に声をあげなければ、こちらの不愉快さに気づいてもらえないではないか。
声を上げても怒鳴られ、声を上げても殴られ、声を上げても押し殺されてきた中で、声を上げることがどれほど大変か。

この世界に、まだ避難所すら持てないことをつきつけられているのだから。

2021.01.17

星をつなぐ手:桜風堂ものがたり

村山早紀 2020 PHP文芸文庫

知識の源となり、ひととして生きていくための、すべての素地を作るものである活字。空想の世界に遊び、疲れた時の癒やしとなり、孤独なときは友となってくれる、書物。
それを集め並べ、人々に手渡すための場所――書店。(p,104)

本と本屋さんへの深い愛情を感じる一冊だ。
本屋大賞にノミネートされた『桜風堂ものがたり』の続編だから、前作から続けて読んでほしいとも思うけど、この本だけでも十分に楽しめる。
2018年に発行された単行本は、特に好きな終章ばかりを何度も読んだのだけれども、文庫化されたことをきっかけに改めて最初からじっくりと読み直した。

最寄駅から山道を徒歩30分ぐらいのところにある、かつての観光地。
温泉もある。観光ホテルもある。
昭和の終わりの方の時代に旅館はなくなってしまって、忘れ去られようとしているような小さな田舎町。
そこに昔からある一つの町の本屋さんが舞台だ。
一度は店主の急な体調不良のために、消えてしまいそうになっていた本屋さんの名前を桜風堂という。

その本屋さんが大きな危機を乗り越えるところは、前作に描かれている。
危機を乗り切ることができたのは、とても奇跡的なことだったと思うのだ。
でも、大事なことはめでたしめでたしのその後の毎日を、いかに生き延びるか。
なにしろ、今の日本では、本屋さんを取り巻く状況はとても厳しくて、毎日のように本屋さんが閉店していっているのだから。
その上、今、この2021年の1月は、昨年に続いてCovid-19が流行しており、本屋さんだけではなく、飲食店やホテルや…これまでの馴染みのお店が閉じて行っている。

自分は無力だと思う。大切にしていたものがみんな消えて行き、流れ去ってしまい、それを食い止めようとしても、とどめるだけの力を持たない。(p.234)

こんな無力感に襲われることもしばしばある。
このCovid-19が終息したとき、自分や家族や大切な人たちが誰一人として欠けることなく生きていられるのかも心配になることがあるが、どれだけのお気に入りのお店が生き残っているのだろうと悲しくなったり、切なくなったりする。
それは私だけのことではないだろう。

そういう御時世だからこそ、桜風堂に訪れる幸せな奇跡の物語に心を慰められた。
人の好意や熱意や祈りが、一つ一つはささやかなものであるけれど、重なりあい、組み合わさった時に、大きなうねりとなって流れ出すことがある。
その流れを感じることに、慰められたのだと思う。

「遠いお伽話」が、ほんとに遠い遠い過去のものになりつつあるのを感じる一年だった。
馴染んだものや思い入れのあるが姿を消していくことに、削られるような思いをした人も多かろう。
最前線で病と戦うわけではなくとも、感染症という目に見えない敵に対して不安を抱え続ける戦いを続けるには、心や魂に滋養が必要である。
それがエンターテイメントの効用であるように思う。アートの力であるように思う。

まだ世界は終わっていないのだから。
不安に押しつぶされそうになったり、絶望に飲み込まれそうになったり、知らぬ間に疲労消耗していた時にはファンタジーの魔法を思い出してほしい。
そして、「地球は揺り籠のように、たくさんの命の思い出を抱いて、宇宙を巡ってゆく」(p.322)。
今日も。明日も。

2020.12.30

フェオファーン聖譚曲(オラトリオ)op.3 鮮紅の階


菫乃薗ゑ 2021年1月15日刊行 opsol book

物語の勢いが衰えることない。
3巻目になり、1巻目、2巻目よりも、さらに長さを感じさせないスピードで物語を読ませる。

前巻では主人公アントーシャがロジオン王国への圧政に対する革命の狼煙を上げた。
この巻で、改めてフェオファーンと名乗りを挙げ、ロジオン王国に恐慌と動揺をもたらす。
挑戦状をたたきつけられたロジオン王国内部の動きが、一番の見どころだろう。
これまで感情や性格が覆い隠されていたエレク王の人となりが見えてきたところが興味深い。
また、そのアントーシャの意図を的確にくみ取り、好敵手になるであろう人物が見えてきたところにも注目だ。
しかも、フェオファーンとロジオン王国の単純な対決になるのではなく、混乱に乗じて下克上を挑もうとする者がおり、ロジオン王国と比肩する大国のスエラ帝国まで巻き込む勢いだ。
この戦い、ここからどのように展開し、どこに落としどころを持っていくのか。
引き続き、目が離せない。

ロジオン王国側にも、魅力的で好感を持てる人物が何人もいるため、単純にアントーシャ=フェオファーンだけを応援する気持ちになれないのだ。
あの人もこの人も、しんどいことにならなければよいが。
戦いの物語であるだけに、死亡フラグが立たないか、ひやひやしてしまった。
今のところ、まだ大丈夫。

こういうことを言うのは上から目線になるようだが、作者さんの進化を感じる。

#フェオファーン聖譚曲オラトリオop3鮮紅の階 #NetGalleyJP

2020.12.15

神様のお膳:毎日食べたい江戸ごはん

タカナシ 2021年1月20日 マイクロマガジン社

当たり前の日常を難なく生き延びる道からずり落ちるように、少しずつうまくいかないことが積み重なって、生きることが苦しくなる。
そんな時、主人公の璃子が就職することができたのが、神様の営むお宿だったという、少し不思議な物語。
従業員も、お客さんも、一風変わった存在達で、登場人物には人間のほうが少ないくらいだ。
人間の世界に疲れた読者にも、璃子がふるまう美味しそうなお料理や、人ではないから義理堅い存在達が、愛しく思える時間になるだろう。
お料理のレシピは江戸時代のものを現代風にアレンジしているのだが、試そうと思ったらできそうな感じにアレンジしてあるところも魅力。

お正月に読むのにぴったりじゃないかな。
三社参りがわりの読書にどうぞ。

#神様のお膳 #NetGalleyJP 

2020.11.21

願いの桜:千蔵呪物目録2

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

呪いと祈りは表裏一体。
物に託された気持ちが強すぎる時、周りにも影響を与えるような呪物になる。
その呪物を集めていた家が襲撃され、呪物が散逸してしまった。

前作とは違う町の中学校で、いつもと違う変わったことが起きている。
中学校は、複数の小学校から進学してくることが多く、出身校によって体験や雰囲気が異なることもあって、途端に居心地の悪さを感じる子たちがいる。
生真面目なたちの亜咲美も、中学校の教室に居心地の悪さを感じている1年生だった。
この教室の様子であるとか、なじみ切れない居心地の悪さであるとか、著者がこれぐらいの少年少女たちをよく理解していると感じた。

物語を連れてくるのは亜咲美であるが、一族が管理していた呪物を集め直している朱鷺と冬二との間を繋ぐのは、朱鷺とは昔馴染みの骨董屋である。
さらさらと流れるように読みやすい物語だったのであるが、こうして説明を書いてみようと思うと、登場人物も多く、粗筋も一筋縄ではいかない複雑さに気づく。
最初に出てきた登場人物からまっすぐ物語が進まずに、斜めにスライドしていくようなイメージ。
スライドしていくのが疾走感があり、それが物語に引き込む仕掛けのように作用しているのかもしれない。

気づくと、戦後の荒廃を見失った現代的な景色のなかに立ち尽くす。
人々が精いっぱい、町を守りたいと祈りをこめて、よかれと思ってしたことが、時の流れのなかで失われた後、どうなっていくのだろう。
このシリーズだから紡げる景色が、まだまだあるような気がする。

それにしても、もふもふのでっかい犬にだきつく幼女のイラストは反則だろー。
というか、私もにーさんにやりたいぞー。いいなぁいいなぁ。
にーさんモテモテでよかったなぁ。
ねーさん、ちょっぴり不憫ね。本人は気にしてないだろうけど。

2020.11.20

約束の猫

村山早紀 2020 立東舎

5000年の時をかけて、この膝の上に来たと思えば、どっしりとした丸い温もりがますます愛しくなる。
猫にまつわる美しい物語が四つ。その物語それぞれにあわせたページのデザインが、これまた美しい。
こういうページの上下を縁取るように飾られていると、とても特別な本に触れている気がしてくる。
表情豊かな少女たちのイラストも、愛らしい猫たちも、げみさんならではの豊かな色彩で目を楽しませてくれる。
心の中で、猫の温もりを感じ、毛並みのふわふわを感じ、生まれたての子猫の心もとないような柔らかさを感じながら読みたい。
優しく低い喉音や、すぅすぅという寝息や、時折こぼれるぷしゅぅという溜息が聞こえてくるかもしれない。
とてとてという軽い足音と、なにかの荷物を崩すときの大きな音、びっくりして斜めに飛び上がる姿。
小さな命への愛と、その命が人に注ぐ愛とがみっちりと詰まっている。

七日間のスノウ。
命はもろくてはかない。
それは人も、猫も変わらないのだけれど。
たとえ、短い命であったとしても、その命は大事な命。
病がちの兄弟がいる人なら、より一層、主人公の気持ちに寄り添えるのではないか。

五千年ぶんの夜。
冒頭、一瞬、これはスノウが主人公なのか?と疑うほど、捨てられた孤独感がリンクした。
不安な時、想像力は現実からちょっと離れて暴走する。
子どもならではの自由な想像力は、現実感を伴うから、怖い時は本気で怖い。
まるで世界の終わりを体感しているような孤独感をやわらげて、今ここの現実にひきもどしてくれるのは、温もりだったり手触りだったり、ごろごろと穏やかで低い喉音だったりするわけで。
猫という存在は確かに魔法の塊のようなものかもしれないなぁ。

春の約束。
外で生きる猫たちは、決して楽な生き方をしていない。
庭先や道端に猫のいる景色は好きだけど、今よりもっとのどかな時代に比べると事故だって多いし、猫を嫌う人もいればいじめる人もいる。家のなかでいじめる人もいるけれど。
猫ならば気楽というわけでも幸せというわけでもないし、かといって、人は人でなにかと生きることが難しいことがある。
それでも、猫であれ、人であれ、親は命を生み出すときに、幸せを祈るものだと思いたい。
すべてではないにしても。
それでも、そこに幸せを祈る気持ちがあることを信じる物語。

約束の猫。
何度だって、帰ってきてほしい。
羨ましくなる。
でもほんと、猫って律儀だから、きっと約束は守るんだと思う。
何度だって。

 

より以前の記事一覧

Here is something you can do.

  • 25作品のレビュー
  • 80%
  • グッドレビュアー
  • プロフェッショナルな読者

最近のトラックバック