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香桑の近況

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>災害被害と支援者支援

2022.11.28

魂でもいいから、そばにいて:3・11後の霊体験を聞く

奥野修司 2017 新潮文庫

東日本大震災。
突然、大事な存在を失った人たちが、その後の日々をどのように生き延びてきたかを教えてくれる一冊。

解説は彩瀬まるさん。
彩瀬さんが「苦しい読書だった」と書いているが、私にとっても苦しい読書だった。
ひとつひとつの別離の記憶だけでもずっしりとするのに、最初から最後まで、いくつもの別離が積み重ねられているので、ずっしりとしないわけがない。
少し読んでは休み、少し読んでは休み、気づいたら何か月も持ち歩いて、表紙はすっかりぼろぼろになってしまった。

被災地の幽霊譚は、断片的に耳にすることがあった。
あの災害だ。それもさもありなんと思った。
それを真夏の幽霊譚のように消費するコンテンツのような扱いをしていない。
このタイトルの、真摯で切実な響きそのままに、著者は丁寧にひとりひとりの物語を聴取する。

著者は同じ人に3回のインタビューをしており、その3回のなかでも変化があったり、喪のワークについてのすぐれた資料集として読むことができる。
そんな風に、読み手である自分のほうが心理学的な解釈をしながら読んでしまいそうになるのだが、著者がそういった余計な解説や解釈をしないところに好感を持った。
不思議なことは不思議なままに置く、その慎重な姿勢が、話し手を傷つけることのないインタビューにしているのだと思う。

これらは、「生者と死者がともに生きるための物語」であり、生きのびるための知恵の物語だ。
そこに、死者の思い出を忘れることなく投げ捨てることなく抱え続けながら、それでも生き延びていくために、生きる価値、生きる意義、生きる喜びを紡ぐ営みを見出すことができるだろう。

過酷な体験をした被災者は、自らの体験を語ることでセルフケアをしたいのだ。それらを受け止めてもらえず、悶々と過ごしている被災者いる社会こそ異常ではないだろうか。(p.116)

2021.02.06

女たちの避難所

垣谷美雨 2020 新潮文庫

あの日のことを忘れることなど、できない。
あの日には幼すぎて記憶にはあまりない人や、その後に生まれた人もいる。
けれども、あの日は自分にとっていつか来る日であるかもしれない。

この本は、東日本大震災に題材を取っている。
福島の架空の海沿いの町で、災害に遭った3人の女性が主人公だ。
彼女たちが、災害をどのように体験し、災害後をどのように体験したか。
避難所とはどういう場所であったかを、小説として読み手に体験させる本だ。

文体はなめらかで真に迫り、あの日からひっきりなしに放送された映像が目の前に浮かぶ。
この人は無事にあの災害を生き延びるのか、あの災害の規模を憶えているだけに、地震の描写が苦しくなった。
あまりにも苦しくなり、手にとっては置き、手にとっては置き。
最後の数ページを先に読んで自分を安心させてみても、読み進めるのがつらくなった。
そのうち、腹が立って仕方がなくて、読み進めるのがつらくなった。

福子は子育ても終わった中年の女性だ。その夫は、定職に就かず、ギャンブルに依存しているような男だ。怒らせると面倒で、ただ男であるというだけで威張り散らす。でも、地域の女性らしさの規範にのっとって、福子は黙りこんで耐えるしかない。
遠乃は出産したばかりの若い女性だ。夫を災害で喪うが、夫の父親と兄から家事労働を含むケアの担い手、性的な対象として、当然のように世話することを求められる。乳児を抱えた美しい女性が、避難所でどういう目に遭ったか。
渚は小学生の息子を持つシングルマザー。離婚歴があり、飲食店を営む彼女を、地域の人々はふしだらな女性として扱う。そのため、息子も学校でいじめにあっていた。

読むほどに、怒りが湧いてたまらなくなった。
腹が立ちすぎて眠れなくなるわ、吐き気がしてくるわ、うんざりするほど憤りが湧いてきた。
福子と遠乃と渚と、その他の女性たちと、どの女性たちが自分に近しく感じるかは、読む人によって異なると思うが、彼女たちの苦しみは自分の苦しみと地続きだ。
だから、私はこの小説を、架空の物語として読めなかった。

これは小説の形を取るしかなかった記録に思う。
こんなことはきっとたくさんあって。
きっともっとひどくて。
あの頃、ひどい話を端々で聞いた。
とても丁寧に取材されており、実在のモデルを想像してしまうほど、鮮明で具体的で現実的だ。
脚色されているとしたら、過大に盛るのではなく、過小にマイルドにしなければならない方向性に、だと思う。
小説という体裁を取らなければ、本として出せないほどにひどいことがいっぱいあったのだろう。

だが、問題の多くは、多かれ少なかれあちらこちらで繰り返されている。
震災前からあり、震災によってあぶり出されたことは、今なお現にある。
竹信三恵子さんは解説で、「人をケアするべき性」として扱われてきた女性被災者たちをケアしてくれる存在はなく、静かに疲れはてていくと書いているが、それはCovid-19流行下でも現在進行形であることを自殺者数が示しているのではないか。
三界に家なしと言われてきたこの国の女性たちに、避難所はあるのだろうか。
この小説では、主人公たちは東京に避難することを決めるが、そこが楽園であるわけではない。
都市の女性なら理不尽に抗議できたかどうかは、去年、バス停で休んでいるところを殺された女性が示すのではないか。

日本の社会っでいうのは、女の我慢を前提に回っでるもんでがす。それに、若い男の人が年寄りに遠慮して物が言えないのも前からそうでした。(p.332)

男の人がこの本を読んだら、どんな風に感じるのだろう。
ミソジニーな傾向の人、ホモソーシャルな社会が居心地のよい人が読んだら、くだらないと言うのだろうか。嘘っぱちだと言うのだろうか。自分たちを故意に貶めていると言うのだろうか。
それとも、お行儀のよい感想を言うのだろうか。

福子にも、遠乃にも、渚にも、#DontBeSilent のエールが届くといい。
ひとつひとつの理不尽に声をあげなければ、なかったことにされるではないか。
ひとつひとつの理不尽に声をあげなければ、こちらの不愉快さに気づいてもらえないではないか。
声を上げても怒鳴られ、声を上げても殴られ、声を上げても押し殺されてきた中で、声を上げることがどれほど大変か。

この世界に、まだ避難所すら持てないことをつきつけられているのだから。

2017.01.17

地震イツモノート:キモチの防災マニュアル

地震イツモプロジェクト(編) 2010 ポプラ文庫

あれから、22年。
この本は、あれから15年後に書かれている。
阪神淡路大震災。

あの日あの朝を忘れたい人もいると思う。
忘れたい人は、忘れていない人だと思う。
この日にこの記事を挙げることは、忘れたい人に対して配慮のない行動である。
しかし、私もまた忘れてないよと、言いたいのだ。

その後も大きな地震は何度も日本を襲っている。世界を襲っている。
重力の鎖に縛られて、大地から離れることができない以上、人は地震から完全に逃げることはできない。
ならば、いつかそのうち、自分だって地震にあっちゃうかもしれない、と思っておくほうがいい。
常日頃から防災の意識と行動を取り入れる、準備を怠らないヒントを提示するために書かれた本である。

寄藤文平さんのイラストが好きなことと、東日本大震災以降ずっと行きつけの本屋さんの平台に置いてあって気になったことで、買ってみた一冊。
170数ページの、ややうすめの文庫本。イラストもいっぱい。
文章は少なめ。図解の文字は小さめ。いや、文字はかなり小さめ。
情報はぎゅっと詰まっている。知恵や体験がいっぱい詰め込まれている。
あの日のあの時のことでぎゅうぎゅうだ。
記憶は風化するけれども、記憶した人もやがて減っていくけれども、こうして本は、未来に届けることができる。
憶えているからこそ、日常の教育、日常の風景に、防災を取り入れられる工夫まで提案できる。
それが、地震イツモの心だ。

いつも目に付くような場所において、ぱらぱらと見ておこう。
地震ってどんな体験なのか。その後の日々をどのように切り抜けるのか。
これらの知恵は役に立つ。
こんなことが起きるんだ。こんな思いをした人はほかにもいたんだ。
これらの経験は役に立つ。
役に立たないほうがいいんだけども、知っておくと役に立つ。きっと。
自分に役に立たなかったとしても、きっと誰かの役に立つ。

2016.11.14

赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア:自分を愛する力を取り戻す「心理教育」の本

白川美也子 2016 アスクヒューマンケア

トラウマ体験を赤ずきんちゃんの物語にとたえながら説明されている点で、イメージしやすい。
これをこのまま読んでいくことでセラピューティックに機能するような、よい心理教育のテキストである。
支援者にとっても、このたとえ方は安全だし、説明の仕方はわかりやすいし、漏れがないので、参考になることは間違いない。

トラウマと言えるほどの大きな傷つきの体験を、自分の中で蓋をすることでなんとか毎日をしのいでいる人もいるだろう。
それを抱え続けることで、どれほど、その人の気力を損ねたり、体力を削ったり、能力を奪ったり、生活を狭めたり、さまざまな影響が出てしまうことか。
トラウマという言葉は一時期、安易に使われている感じがしてならなかったが、数年置きに大災害がり、毎年のように大事故があり、日々、虐待や事件は起きている。
そういった大きな傷つきの体験は、一朝一夕に癒えるものではないとしても、乗り越えうるものだという希望はなくさないでもらいたいものだ。
だからこそ、そのままにしないで、「自分を愛する力」を取り戻してもらいたい。

とはいえ、だ。
読んでいると、私自身はm悪夢が増えて、出来事を想起する回数が増えて、少々、つらい思いをした。それで熟読は避けた部分もある。
知識は役立つ。しかし、どうしても記憶を賦活する刺激になる。
だから、当事者の方が読む場合は、P.24に紹介されている安全な場所のエクササイズを必ず練習してから、続きを読むようにしてほしい。

2013.11.05

兵士は起つ:自衛隊史上最大の作戦

杉山隆男 2013 新潮社

自衛隊員を兵士と呼ぶことに、私はいささかのためらいを持つ。
このタイトルゆえに、イメージ戦略としてはネガティブ評価をつけつつ、すずなちゃんのブログで気になっていた本をようやく読んだ。

2011年3月11日の自衛隊の記録だ。支援者支援に興味がある私としては、支援対象となる支援者の記録は読まないわけないには。
72時間のラインを超えるまでの前半は、テレビで特集番組に紹介されたエピソードもあった。人が救われていく話には達成感がある。
しかし、72時間を越えてからの記述には、ページをくることがためらわれ、時間がかかってしまった。
72時間というのは、災害救助の際に、生存者の救出から遺体の回収へと切り替わるラインである。
原子力発電所の対応については、非常に興味深かった。専門家であることの矜持が素晴らしい。

読み終えて、読んでよかったと思うんだけどさ。
「勇猛果敢」と聞いたら「支離滅裂」と合言葉のように思い浮かぶようになったけれども。
書き手の方の世間の不理解に対するもどかしさを、後半になるに連れて感じられた。
ここまで献身的に救助する人たちへの評価の不当さをもどかしく思うのは、わからんでもない。
しかし、この本がもう少し膾炙されるには、もう1クッションというか、すりあわせがほしいようにも思った。
兵士っていうかさ……。

ただ、ほんとに、初期型いなぴょんみたいな発言が減るといいのにね。

2012.05.22

暗い夜、星を数えて:3.11被災鉄道からの脱出

彩瀬まる 2012 新潮社

本当に、人の数だけ、あの震災の時に目にしたものは違うのだ。(p.114)

あの日、その場にいた人の数だけ体験があり思考があり記憶ある。
しかし、それを言葉に記すことができる人は少ない。
偶然にもその場を旅行していた若い女性の小説家によるルポルタージュだ。

3月11日に常磐線で移動中に被災し、からがら高台に逃げる。
その夜の記憶の生々しさ。続く、数日。
埼玉に一旦は戻ってからも、体力は回復せず、不安と罪悪感に駆られる。
そして、著者は再び、福島に入る。

私がある程度の放射線に鈍感でいられるのは、私が既に子を生み育てる可能性を持っていないからだ。
私の親戚を見渡せば、がん患者だらけの家系だ。その自分ががんになる危険性が高まっても、ええやないか。なることには変わりがない。
人間がばら撒いたものなのだ。その利益も享受してきた。ならば、自分の体で回収するぐらいしてもいいぞと腹を据えている。
私自身はそう思うが、まだ若く、これから次世代を生み育てる可能性を持っていたり、今現に子育てに携わっている人には、過剰なほどに注意深くあってほしいと願っている。
だから、作者がたまねぎを目の前にしたときのためらいを肯定的に受け止めたい。それを正直に文章に書き込んだ勇気に好感を持つ。

なにしろ、確かなことが少ない。
チェルノブイリからようやく25年。報告書が出たと聞いても、英語だからと見送った。
知らないことも多すぎるが、わからないことも多すぎる。科学は万能ではないことぐらい、よくわかっているはず。
わかっているから、不安になるのは仕方がないんだよなぁ。思考停止しそうなぐらいの不安がこみ上げてくるのだって、自然な反応なのだよなぁ。同時に、ある程度は鈍感に思考停止しておかないと、そこで生きていけないほどに不安になるものだろう。
スリーマイルとは規模が違う。でも、広島と長崎で、人は生きてきた。それはよすがになるのだろうか。よすがにすることができれば、それは広島と長崎を経た人にとっても、希望に繋ぎなおすことができる。
この目に見えぬものへの不安感を抱えて生きていくためのおとしどころを、私はまだ模索している最中だ。

何度も泣きそうになりながら読んだ。というか、涙がにじむ。
こんな記録から目をそむけようとする人もいるだろう。それを責めはしない。
しかし。
私は弱く脆い。だとしても、鋭敏でありたいと願っている。
目を閉じて、目を伏せて、目を避けていたくなるようなものにも、敢えて目を向けていたい。
ざらざらと削られ、えぐられ、傷つくような思いをしても、自分の敏感さを保っておきたい。
研ぎ澄ましておくこと。張り詰めておくこと。磨き上げておくこと。それが私の道具であるから。
大丈夫。だからといって、決して倒れないし、潰れないし、壊れてしまわないよ。

 *****

ここからは、自分の記憶を書き残しておきたいと思う。

その日のことは忘れられない。
婦人科の待合室に置かれたテレビ画面を、最初は誰も気づかずに通り過ぎていた。
これはただごとじゃないのに?
わざと声を上げてみた。
看護師さんが振り向く。臨席で座って待っていたカップルが目を上げる。
「震度7だって!」誰かが声を上げる。
診察が終わった後、職場に戻らず、帰宅させてもらった。私はテレビの前から離れられなくなった。

東北に知り合いは少ないが、関東には比較的多い。
メールやSNS、ネットゲームを通じて、知り合いの安否を確認していった。
青森や岩手の人と連絡がつくまでは3日ぐらいを要したと記憶している。仙台の知人の安否を知るにはもっと時間がかかった。

安否の確認の次には、遠隔地に住む自分に何ができるかを考えた。
情報の空洞化が起きることは、阪神淡路の記録を読んで知っている。
必要な情報で私に提供できることはと言えば、異常な事態に対する自然な反応として不安が高まりやすいことを周知すること。
ネット上でDLできる災害時の心理的ケアのリーフレットを探した。後になっては、原発関係の情報も探した。見つけた情報はいくつかの方法で配布した。
チェルノブイリの事故を調べた知識から、福島原発の第一報を聞いたときから、メルトダウンしないわけがないと危惧していた。

生命の危機がある状態では心理的なケアどころではない。
3月11日の時点で、生命の直接的な危険は少ないが大きな不安に駆られており、心理的な支援を必要としていたのは、津波に襲われはしなかったが、震度5や6の揺れを感じた関東から北関東の人たちだった。
その後、不安は地震に対するものから原発に対するものへとゆるやかにシフトしていった。長引く不安を、私の関われる範囲ではあるが、抱える、支えるよう、心がけたつもりである。
ささやかなメッセージやつぶやきの交換でどれほどのことができたかは心もとないが、しかし、いくらかは役に立てたと思いたい。

また、地震の当日から直後に情報提供を心がけたのは、義援金の寄付先の案内であった。
日赤に対する寄付の使い道について、阪神淡路のときは後から批判が大きかった。それでも、真っ先に飛び込んでいく力を持つのは日赤である。地震直後は日赤のHPもアクセス可能だったが、その日の22時か23時頃にはダウンしていたと思う。
そのほか、自分がどのような活動を支援をしたいかを定めてから寄付をするべきだと考え、いくつかの信頼できる団体を紹介したり、寄付の方法を紹介した。手持ちの現金が少なくても、ポイントカードのポイントを寄付する方法だってある。
被災しなかった人は自分だけが無事であるという罪悪感があり、なにか自分でもできることを見つけることが、少しでも心穏やかになるために役立った。

簡単ではあるが、これが、私の、あの日とそこから続く一週間ほどの記録である。
だが、私にとっては悪いことばかりではなかった。
あの日々があって、やっと出会えた人がいてくれたから。
人々にとって、悪いだけの思い出にならぬよう祈っている。

2012.03.10

心のケア:阪神・淡路大震災から東北へ

加藤 寛・最相葉月 2011 講談社現代新書

あれから一年を目の前にして、震災関連図書の検索が増えている気がする。
この本は、東日本大震災直後から2011年8月にかけて、「心のケア」がどのように行われたか、被災のもたらす心理的な影響を紹介する。次に、阪神淡路での知見と事例、支援者支援の目線と兵庫県心のケアチームの活動ルポと、多岐にわたる内容である。
インタビューを中心にした柔らかい話口調で、説明もよく噛み砕かれており、専門家ではないけれども被災者支援に関わるであろう人を意識して書かれている。
ここに書かれていることは、阪神淡路から災害支援に関わり続けてきた人が、阪神淡路のときに知っておけばよかったと思うことである。

心のケアという言葉には、医療行為から隣人の見守り活動まで、幅広い次元が含まれる。
その次元ごとの役割の違いと、時間の経過に従っての期待の変化をふまえた上で、支援を考える必要性がある。
そこがよく整理されているし、この支援にも段階や次元があるということを、もっと広く知っておいてほしいと思う。
命の安全や安心が確保されるのが一番。命の危機を感じている間は、安心できるわけがない。落ち着けるわけがない。
こんなめったにない体験にあったのだから、気持が揺れ動いて当たり前、体調を崩したって当たり前、そう簡単には元通りの生活にならないんだから疲れたって当たり前の、当たり前の反応を示せるようになるには、やっぱり安心や安全が確保されてから。
そういう意味では、地震直後に心理的なケアを必要としたのは、関東の友人たちだったことを思い出す。

そして、必要とする時間には個人差があるとしても、7割の人は回復する力を持っているということ。みんながみんなに専門的な治療が必要になるわけではない、ということ。
阪神淡路で被災した2人の体験談は貴重である。体験は人によって異なるにせよ、こういった経過をたどる人たちがいることに、希望を見出してもらいたい。
だからといって、自力だけでがんばろうとせずに、助けが必要だと思った時には、助けを求めてほしい。押し売りや押し付けはしないが、助けを求められたときのために、待機している人たちがいるのだから。
何もしない。でも、そこにいる。いつも、いつでも。見守って、待っている。

治療しようが、ただ話を聞くというスタンスであろうが、基本的な態度としてはまず相手に害を与えないということ。それ以上、その人を傷つけないということ。被災者役割を押しつけすぎないことも、心に留めておく必要があります。(p.165)

人を亡くした時には、悲しみを我慢しないことにしている。
私の経験則だ。
悲しいときは、きちんとしっかり徹底的に悲しむ。泣くのをこらえたっていいことはない。
私の場合、情緒的に発散させた後は、体験を物語化して繰り返して順化(私の感覚では摩滅)させる、刺激を回避して記憶を風化させる、日常生活を送り続けることで正常化は進む。
喪の作業をさくっと進めて、自分が抱えられるサイズの悲しみにしてしまうために、悲しみから目をそらさずにきちんと悲しむ。
気持ちの整理を進める手順は知っているし、年月がどのように作用するかもわかっている。
今日のこの喉につまり、息を止めそうな悲しみや苦しみや疲れも、やがて私は噛み砕き、飲み下し、腹に納め、消化/昇華して、残骸だけを胸に抱え続けることになるだろう。

わかってはいるんだけど、恋人のことは忘れないように、そのプロセスを極力避けている。
心のケアは安売りするものではないし、押し売りするのは言語道断。押し付けたってしょうがない。
心に立ち入ることは、無理にするものではないことはわかっているんだけどね。自分自身が今は遮断しているのに。
これが最後、これより先は関われないと思うと、あれもこれもと詰め込みたくなることがあった。
私にできることはほかにないし、私しか言う人がいないじゃないか。今の彼に届かなくても、10年後、20年後に響いてほしいと、種を蒔いておこうと、焦りすぎた。
私が彼の人生から撤退する、その前に。まだ言葉を届けられる、そのうちに。嫌われたのならばこれ以上は悪いことはない……と踏み切った暴挙だった。
しかし、ぶつけられたほうは、受け取るどころではなく、しんどかったことだろう。よかれと願ってしたことであったが、確かに彼を傷つけた。そのことを心底、反省する。

別れがこんなにもつらいなんて、思いもしなかったんだ。

2012.01.05

心の傷を癒すということ:大災害精神医療の臨床報告

【増補改訂版】 安 克昌 2011 作品社

阪神・淡路大震災の直後から書かれた、神戸で被災しつつ医療に携わった精神科医の臨床報告である。
東日本大地震の時に勧められたが絶版になっていた。その後、増補改定版が出版され、私も入手できた。
この本は著者が生前に書いた、たった一冊の本であり、遺稿が増補されてこの版になった。増補分の量、全体の5分の2程度。

被災地の内部から、当事者が発信した記録として、生々しさがあった。
95年1月末から約一年間新聞に連載したものをもとに、加筆したものが本稿の前半部分になっている。
文章はとてもわかりやすく、説明は丁寧で、精神科の臨床に携わる専門家でない人にとっても読みやすく、参考になる本だと思う。
事例も多い。思わず、泣いた文章もあった。私が他の方から聞いた体験談も想起する。被災していなくても、東日本の記憶は真新しい。
これは事例のほんの一部だとわかっていても、やはり、重たい。この重たさはまぎらわすものではない。

PTSDが人口に膾炙したのは、阪神・淡路大震災からだった。
その当時の事情を私は後から学んだわけであるが、およそ17年の時の流れを感じないほど、ここには既にいろんなことが語られていると驚いた。変な言い方しかできないけど、驚いた。
語られているトピックが、災害直後の躁的な防衛状態、看護師や消防士ら支援者の支援、死別体験と家族関係の問題、コミュニティの再生の意味に至るまで、幅広いのだ。
社会全体を見渡すような視野の広さって、この人のバランス感覚ならではなんだろうな、と思う。自分がつらいときって視野が狭くなりがちな気がするけれど、こんな風に広く保てるってすごい。
本論のしめくくりに、著者は「世界は心的外傷に満ちている」(p.259)と書くが、本当にその通りだと思うので、この本はプライマリに読まれる教科書のように、常に書架や書棚に並んでいてほしいなと思った。

増補の前半部分には、学校関係者に配った資料や災害後のためのメンタルチェックリストに始まり、その後に発表された原稿が集められている。どの文章もわかりやすいのは、説明の順番にもよるのかも。
後半部分には、中井久夫による告別式での追悼の辞や、鷲田清一の書評、関わりがあった人たちの寄せる文章から成る。著者の人となりがうかがえると同時も、そこをも含めて、最初から最後までなにかを喪失する体験を追いかけるような本になっている。

一般に、心の傷になることはすぐには語らない。誰しも自分の心の傷を、無神経な人にいじくられたくはない。心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、少しずつ語られるのである。(p.74)

私にはどうにも消化できない記憶がある。なにか起きるたびに、過去になりきっていないことを思い知らされる記憶がある。
だから、トラウマケアの領域に惹かれるのだと思う。私自身が抱えているものと、どうやったらつきあっていけるのか、私自身が探している。
まだ、誰にも話したことがないこと、話す言葉がないことを、問われても答えられないし、話したからといって終わりにならない。
まだ、終わりになる気がしない。そのことを含めて私になってしまっているから、丸ごと抱えてほしいと願わずにいられなかったんだろう。

2011.12.23

災害とトラウマ

「こころのケアセンター」編 1999 みすず書房

1997年に神戸開かれた国際シンポジウムをもとに編まれた論文集。
阪神・淡路大震災のみならず、地下鉄サリン事件も踏まえた内容になっている。

岩井圭司「被災地のその後:阪神・淡路大震災の33ヶ月」
阪神・淡路大震災後、兵庫県精神保健協会によって設立された、こころのケアセンターの活動を紹介する。
相談ケースは女性のほうが多く、年代別には60歳がピーク。男性ではアルコール関連問題が女性より目立ち、女性では不安・対人関係・睡眠障害が男性より高率。また、家屋喪失例では睡眠障害、人的喪失例では抑うつ感を訴える者が有意に多い。

ロバート・パイヌース「子どもと災害:長期的帰結と介入についての発達論的観点」
これは読む価値がある。限られた時間のために、非常にコンパクトに、要点のみにまとめられている。
子どもがPTSDが、親のストレスと正の相関があることや、持続性の睡眠障害が注意欠陥をもたらしたり学習を障害しやすいことや、外傷体験のリマインダーがあることなど。年齢に応じての違いも含めて説明されている。
データのもとになっているのは、アルメニア地震、ノースリッジ地震、ボスニア=ヘルツェゴビナなど。
ちなみに、最初に書かれたポンペイのエピソードは、本村凌二『古代ポンペイの日常生活』により詳しく紹介されている。

中野幹三「地下鉄サリン事件:被害者の孤独と外傷後ストレス障害」
地下鉄サリン事件の被害者でPTSDの45例のうち、症例を紹介しつつ、当初は身体症状が精神症状をマスクしていること、サリンの毒性よりもサリンを吸ったという意味によって傷ついていることなどを指摘。
また、被害者の孤独感、孤立無援感は、改めて胸が痛い。気持ちの決着をつけることの難しさを考えさせられる。

アレキサンダー・マクファーレン「自然災害の長期的転帰」
多くのPTSD患者が、災害から2年間は受診しないという。
「多くの人は、実際起こったことの恐ろしさは無視し、そして忘れようとしてしまう」(pp.88-89)が、実際にPTSDになっている人もまた回避の症状があるがゆえに思い出さされることを回避しようとして、治療もまた回避することを指摘している。
うん。その通りだ。
長期的なフォローアップが必要であること。それから、これだけで治るような単純明快な治療方法はないということ。

小西聖子「犯罪被害者のトラウマへの対応」
国内での犯罪被害医者相談の第一人者。調査報告、対応の指針、事例を紹介。調査では、女子大生よりも、より高い年齢層のほうが、レイプの被害が高い率を示す。
トラウマワークに拘泥することなく、被害者とその家族ら関係者に対する心理教育の重要性を訴え、「全体としてセルフ・コントロールの感覚の獲得、あるいはセルフ・エスティームの再建」(p.122)を精神的援助の目的とする。また、被害者自身の社会的な行動のための援助をするところが、犯罪被害支援ならではの要素である。
セルフ・コントロールとセルフ・エスティーム。どちらも、私がほしい。

ジュディス・ハーマン「トラウマ、家族、コミュニティー」
この人の本を読んでおきたいのだが、高い……。
レイプからの回復について、ポジティブな要因は、行動的な対処の戦略、連携的な対処の仕方、成熟した防衛(利他主義とユーモア)、ネガティブな要因は、社会からの孤立、経済的なストレス、過去のメンタルヘルス上の問題があると整理。

加藤 寛「『こころのケア』の4年間:残されている問題」
阪神・淡路大震災から4年後の時点での知見は、今後数年間の東日本の支援の目安になるのだろう。
たとえば、仮設住宅に住む人がPTSDハイリスク群であり、「彼らは被災状況の大きさもさることながら、過酷な生活環境に長期に置かれ、さらに生活再建の最も遅れた人たちであり、その重積した影響がPTSD症状の遷延に結びついていた」(p.159)とある。
また、震災直後に活動していた消防隊員の体験を語る言葉は、重い。救援者が味わう非常事態ストレスについて紹介している。自らも被災者となった消防隊員は、IESでも高得点を示しやすかったそうだ。支援者支援は重要な課題である。

中井久夫「災害と日本人」
「身体の傷は八ヶ月すれば瘢痕形成がいちおう完成するが、心の傷は四〇年経っても血を流す」(p.177)
今年はこの人の文章を中心に読んだので、内容には重複することもあるのだけれども、何度読んでも歴史から学ぶことのリアリティを思い知らされる感がある。

2011.10.25

復興の道なかばで:阪神淡路大震災一年の記録

復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録 中井久夫 2011 みすず書房

本書は『昨日の如く:災厄の年の記録』を再編集したものである。
再読に近いわけであるが、しかし、なかなか時間がかかってしまった。
散発的に発表された原稿の寄せ集めであるため、重複が多いこともあるだろうし、軽々しく読み流せない内容であることもあるだろう。

1995年2月、筆者は神戸を離れて東京に行く。阪神淡路大震災の後、一ヶ月弱。その二つの都市の様相の違いに愕然としつつ、筆者はもしも東京が被災した場合を想像する。
2011年3月11日の東京は、そこにいなかった私には、帰宅難民という言葉が思い出されてならない。
そのときの街の様子を、数人の友人達から教えてもらったが、ぞっとすることも多かった。

東京に住む友人達は地震に遭い、しばらく恐怖心や不眠に悩んだものであり、そのことを軽視するわけではない。それらはあれだけの地震に遭えば当然予想される反応だ。
こうして、この本を読み返してみると、阪神淡路の体験者と言えども、今度の震災は想像を超える事態だったことが感じられる。
現実は想像を超えるということに、改めて圧倒される思いがした。

同時に、被災の中心地と周辺部では、様相が異なることは、阪神淡路もであるが、東日本大震災でもいえたのではないか。
「被災の中心地には悲しみと嘆きとがあったが、周辺部にはつかみどろこのない不安と抑鬱があった」(p.92)とあるように、東日本大震災でも、当日は確かに混乱しているという点で一様に見えたが、死者の多かった県と、その他の関東地区では、その後の経過にずれがあったように思う。
最初の一週間、二週間において、中心地では生命の安全の確保が最優先されたが、周辺部では生命は一応安全ではあるからこそ混乱と不安と抑鬱が中心地に先立って問題となっていたように思われた。

今回、この本では救援者支援の必要性が強調されていることに気付いた。
阪神淡路大震災後、自殺が目立ったのは、老人と支援者だったという。
そういえば、私が支援者支援に心惹かれるようになったのも、この本からだったのかもしれない。
あとがきは、ロサンゼルス視察の記録ともに、東日本大震災後に書かれたり、手を加えられている。
これが阪神淡路大震災の一年の記録であるならば、東日本大震災の一年目はまだ終わっておらず、その意味でも想定外を補う想像力を助けてくれるであろう。

PTSDは、障害としてマイナスの意味だけを帯びるのではない。「ひとごとではない」という連帯の意識を呼び覚ます力にもなる。(p.86)

クルドにもこの意識がもたらされますように。

それにしても、九州地区からの支援はなぜか食事と結びつけられている。
地域として食い意地がはっているんだろうか。もしかして。と、ちょっと冷や汗。

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