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香桑の近況

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実用書など

2018.10.29

世界一やせるスクワット

坂詰真二 (監修) 2017 日本文芸社

スクワットはどういう効果があるか。
適切に行うにはどうしたらいいか。効果的にするにはどうしたらよいのか。
スクワットの種類やそのほかの運動について、写真つきで丁寧に説明してある。
きちんと健康的なからだを作っていくためのアドバイスとして、手に取る価値がある一冊だ。

運動をしないといけないとわかっていても、私が苦手意識を持っているのがスクワット。
下手にやれば膝が痛くなりやすい。どうすれば正しいか、わかっていないとやりづらい。
やれるだけやってみよう、ちょっとだけでもやってみよう、の、ハードルが高いトレーニングだと思っていた。
でも、ちょっとだけでもやってみようかな。そんな気持ちになれた。

本当は、一週間でもやってみてからレビューを書こうと思ったんだけども、風邪で寝込んでいたのでこれからの課題。

2018.10.13

性の多様性ってなんだろう? 

渡辺大補 2018 平凡社

中学生ぐらいの人に向けて書かれた本だ。
筆者が若い人と語り合うような構成になっている。
とても読みやすく、若い人が性について戸惑い、悩むときに、支えになるような一冊である。

性は、身体の性別やDNAのタイプ、性自認、性役割、性志向など、多次元の概念から構成されている。
丁寧に考えていくと、人というものは人それぞれであることにたどりつく。
多様性であることを肯定していく語り手の言葉は読み進めるほど、安心感を持った。
誰かが性のことを悩むとき、問題は悩ませている社会であり、システムであり、その社会を作っている大人たちの責任であると、きちんと指摘しているところがいい。

この本に無関係な人はいない。性に関心がない人も、性を有している。
性的な視線にさらされているかもしているし、無意識のうちに性役割や文化を受け取っている。
だから、性を語ることは、すべての人について語ることになる。
この本を、LGBTの理解するための本と紹介するのはもったいないと思った。
すべての人が、自分は自分、これでいいんだと思えたら、少しだけ楽になれる。

男性と女性が結婚して、二人ぐらい子どもを持つことが当たり前だと思っている人たちがいある。
それが「普通だから」と思考停止している人に、それって本当?と確めたい。
これは、大人に読んでほしい本だなぁ。

2018.01.22

サイコパス解剖学

春日武彦・平山夢明 2017 洋泉社

精神科医として、サイコパスのはっきりとした定義がないことを、春日氏は語る。
定義がないものを、平山氏が、こういうのはどうか、こういうことはどう考えたらいいかと、これでもかーこれでもかーと俎上の上に出してくる。
それってサイコパスかな?違うと思うなぁ。あ、でも、それはありか。と、サイコパスっぽいものを思い浮かべながら、この二人の言うサイコパスというものを捉えるのが第一章だ。

対談で語り合う二人の感覚と、自分の感覚の摺り寄せに、ひどくもやもやした。
わかりやすいなと思った特徴は、「他人を便利な道具、あるいは使えない道具として見ている」(p.42)だ。
反省や後悔しないこと。他者をコントロールしたがること。なにかずれている感じ。
論理はあるのに倫理ではない、ずれ具合が気持ち悪さの源泉になるようだ。

そのずれている感じや突き抜けている感じへに、人は憧れを持ってしまうのではないかと、平山氏は指摘する。
「サイコパスは文学的フィクション、『普通の人たち』による妄想の産物という気がするけどね」(p.48)という春日氏の指摘は、かなり大事な気がする。
これは、レクター博士のような典型的と言われる純粋なサイコパスとしか言えないようなキャラクター(もしくはパーソナリティ)のことであるのだろうけども。
そういう誰かに、むしろコントロールされて安心するという人というのも、それはそれで、どっかおかしい。

現実に起きたいくつかの大量の、あるいは、残虐な殺人の加害者を例にあげながら対談が進むあたりは興味深かった。
が、長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』を読んだ私は、その中の幾人かについては、サイコパスだからというだけでは割り切れないじくじくした思いがした。
そうせざるをえないなにがしかがある人と、なにがしかがない人の違いがあるように思う。
そして、そのなにがしかがない人は、想像上の産物なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
少なくとも、だれにでもサイコパスの芽があるのではないかという考え方は、フロイト以来の伝統的な考え方ではないかと思った。
誰しも、心の中に病理を抱えている。

それでも、「普通の人たち」はサイコパスという言葉を必要とする。
その言葉でしか言い表せないものがあるという、利便性や有用性に基づく必要性もあると思う。
自分にとって不可解だったり不愉快だったりする相手をののしるための言葉を、差別だなんだと自粛した結果として、日本語では非難されるから非難されにくい表現を転用しているという意味で。
やつらと自分は違うんだ、と、彼我を分けて、安心するために。

2017.02.28

余命三年時事日記 1

余命プロジェクトチーム 2016 青林堂

途中で、読むのがしんどくなった。
あわないものはあわないので、しょうがない。

中道でいたい。と思うので、右のほうも、左のほうも、目配りしておきたいと思っている。
この数年、戦後の記憶の根強い世代の韓国嫌いに対して、悪い人ばかりじゃないよ、メディアでとりあげられる人が偏っているんだと思うよ、反韓意識を煽りたい人もいるんだと思うよと言い続けて疲れてしまった。
韓国や中国の中での反日の言動の数々の報道には、私も腹が立つこともあるし、とりなすのが疲れてばかばかしく感じるようになった。
もう仲良くしようとしなくてもいいんじゃないかという気持になったり、皮肉な、あるいは攻撃的な言説を選ぶようになったり。
これが韓国疲労病ってやつかもしれない。
ところが、元来、天邪鬼なたちなので、自分の右に傾きすぎていた秤を、とんとんと、方向修正したくなってきた。
この本の内容が内容であるだけに、どうもこういう言い訳をしてからじゃないと、感想を述べづらい。

この本はブログを編集したものだそうだ。
ブログの書籍化とは難しいなぁと思う。
余命三年と告知されてからブログを書き始めたのだそうだ。
このブログ、初代と呼ばれる最初に書き始めた方は既に亡くなっているという。
その後を引き継いでいるのがプロジェクトチームになるのだろうが、文章の校正をするときに、書き直しづらかったこともあるのかなぁ。
ところどころ、文章の読みづらさや前後の齟齬、時制の違和感などがあるのは仕方がない。
一般人向けにマイルドな内容をピックアップして本にしたそうであるが、内容というよりも、話の流れで、読み手はわかっているものとして書かれている部分の意味がよくわからなくてついていけないこともあった。

また、現状ではなく、数年前の状況に即して書かれている部分も散見された。
にも関わらず、国内国外の政治についての分析については、なるほど、そういう見方もあるのか、と、興味深い。
全体を通じて、部分部分では納得もするし、同意するところもある。
この文脈を理解しておくと、日々のニュースが違った意味合いを持つものに見えてくるのは面白い。
この面白さが、秘密を共有しているような、自分が理解できる「選ばれた人間」になったかのような喜びを読み手に与える魅力になるのだろう。

しかし、在日韓国人について問題を掘り下げるにしたがって、私の中で違和感が増していった。
読んでいて、どうしても、私の友人知人がちらつく。
彼らは在日韓国人であるが、勤勉に就労している人たちであり、むしろ普通の人たちであって、彼らを含んで在日韓国人と一括されると嫌なのだ。
生活保護受給者ではないので不正受給者ではありえないし、ヤクザでもないぞーって。
私は楽観的ではないので、読み手の日本人がすべて現実的に判断可能でありかつ良識的に行動可能であると信じないため、通報を呼びかけるくだりになると、違和感が拒否感になった。
通報の勧めは、監視と密告の社会の勧めである。どこの社会主義国だよ・・・と思うと、気持ち悪く、それ以上、読み進めることが苦行となった。

一括処理は運動の基本である。
複雑性や多様性は、スローガンのインパクトを弱めるからだ。
わかりやすい一言にまとめること、運動には不可欠なのだ。例としては、選挙をあげることができる。日本のではなくて、アメリカ大統領選がわかりやすい。
わかりやすさで、クリントン氏はトランプ氏に及ばなかったのだと思う。
だが、一括処理することの乱暴さが、私は苦手なのだ。数々の例外がとりこぼされることで、現実から遊離したものになりはててしまう危険性も無視して、ごり押しするのだもの。
右に行き過ぎても、左に行き過ぎても、そうではない他者を切り捨てるところが、どっちに転んでもファシズムだ。
ファシズムはどうしても私のしょうにあわない。あわないものはあわないのだから、しょうがない。

こうして見てみると、日本の左右というのもよくわからないものだなぁ。
詳細に論じる気力がわかないが、ねじれがいっぱいあることを再確認した。
私が愛するのは自由と平和である。寛容と共存を尊び、公正と敬意を心がけたい。
私には私がまだわからぬことがあることと、私の心が感じ取ることを、大事にしておこう。

2017.01.17

地震イツモノート:キモチの防災マニュアル

地震イツモプロジェクト(編) 2010 ポプラ文庫

あれから、22年。
この本は、あれから15年後に書かれている。
阪神淡路大震災。

あの日あの朝を忘れたい人もいると思う。
忘れたい人は、忘れていない人だと思う。
この日にこの記事を挙げることは、忘れたい人に対して配慮のない行動である。
しかし、私もまた忘れてないよと、言いたいのだ。

その後も大きな地震は何度も日本を襲っている。世界を襲っている。
重力の鎖に縛られて、大地から離れることができない以上、人は地震から完全に逃げることはできない。
ならば、いつかそのうち、自分だって地震にあっちゃうかもしれない、と思っておくほうがいい。
常日頃から防災の意識と行動を取り入れる、準備を怠らないヒントを提示するために書かれた本である。

寄藤文平さんのイラストが好きなことと、東日本大震災以降ずっと行きつけの本屋さんの平台に置いてあって気になったことで、買ってみた一冊。
170数ページの、ややうすめの文庫本。イラストもいっぱい。
文章は少なめ。図解の文字は小さめ。いや、文字はかなり小さめ。
情報はぎゅっと詰まっている。知恵や体験がいっぱい詰め込まれている。
あの日のあの時のことでぎゅうぎゅうだ。
記憶は風化するけれども、記憶した人もやがて減っていくけれども、こうして本は、未来に届けることができる。
憶えているからこそ、日常の教育、日常の風景に、防災を取り入れられる工夫まで提案できる。
それが、地震イツモの心だ。

いつも目に付くような場所において、ぱらぱらと見ておこう。
地震ってどんな体験なのか。その後の日々をどのように切り抜けるのか。
これらの知恵は役に立つ。
こんなことが起きるんだ。こんな思いをした人はほかにもいたんだ。
これらの経験は役に立つ。
役に立たないほうがいいんだけども、知っておくと役に立つ。きっと。
自分に役に立たなかったとしても、きっと誰かの役に立つ。

2016.11.14

赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア:自分を愛する力を取り戻す「心理教育」の本

白川美也子 2016 アスクヒューマンケア

トラウマ体験を赤ずきんちゃんの物語にとたえながら説明されている点で、イメージしやすい。
これをこのまま読んでいくことでセラピューティックに機能するような、よい心理教育のテキストである。
支援者にとっても、このたとえ方は安全だし、説明の仕方はわかりやすいし、漏れがないので、参考になることは間違いない。

トラウマと言えるほどの大きな傷つきの体験を、自分の中で蓋をすることでなんとか毎日をしのいでいる人もいるだろう。
それを抱え続けることで、どれほど、その人の気力を損ねたり、体力を削ったり、能力を奪ったり、生活を狭めたり、さまざまな影響が出てしまうことか。
トラウマという言葉は一時期、安易に使われている感じがしてならなかったが、数年置きに大災害がり、毎年のように大事故があり、日々、虐待や事件は起きている。
そういった大きな傷つきの体験は、一朝一夕に癒えるものではないとしても、乗り越えうるものだという希望はなくさないでもらいたいものだ。
だからこそ、そのままにしないで、「自分を愛する力」を取り戻してもらいたい。

とはいえ、だ。
読んでいると、私自身はm悪夢が増えて、出来事を想起する回数が増えて、少々、つらい思いをした。それで熟読は避けた部分もある。
知識は役立つ。しかし、どうしても記憶を賦活する刺激になる。
だから、当事者の方が読む場合は、P.24に紹介されている安全な場所のエクササイズを必ず練習してから、続きを読むようにしてほしい。

2014.05.26

更年期以降を元気に生きる女性ホルモン補充療法

新野博子 2013 海竜社

持病のため、自分が受ける治療法を知っておこうと思い、読んだ。
更年期以降、高齢となった女性にも女性ホルモン補充療法を勧めている点で、自分自身の現状とは必ずしもそぐわないところも多かったが、読んでみて治療を受けないことのほうが不安になった。

エストロゲン欠乏によって、どのような変化(老化)が起こるかを説明しつつ、閉経後の性の問題にもしばしば触れられている。
健康的な心身を保つために、食事や運動といった自助努力可能なものについてもページが割かれていた。
その上で、ホルモン補充療法の適応範囲や方法などが説明されている。

私の関心としては、どのような老化が起きるかではなく、ホルモン補充療法そのものの効果や方法、副作用であったのだが、暗に相違して、老化についての記述のほうがボリュームが多かったかな。

実感としては、受ける前よりは受けるようになってから、ずいぶんと楽になった。身体的にも。心理的にも。
今の年齢で、今すぐ老化に突き進むと考えると怖いので、治療を受けつつ、ゆっくりと老いていきたいものである。

2013.03.26

超訳 カント:時代を照らすカントの言葉

イマヌエル・カント 早間 央(訳・監修) 2011 マーブルブックス

男は、愛しているとき嫉妬深く、
女は、愛していなくとも嫉妬深い。(p.130)

うぅむ。カントよ、何があった?

入門書すらハードルが高いと思う人にも、哲学には興味がないという人にも、これなら読んでもらえないかな。
カントは、知性の明晰さで際立ち、言葉の切れ味が魅力な哲学者だ。
きっぱりと言い切る言葉の数々、どれもこれも引用したくなる。格好いいし、含蓄があるのだ。
カントのそういった名文を集め、章ごとに解説を加え、巻末にやや詳しくカントを紹介している。
ちょっと前にはやった感じの「超訳」シリーズであるが、本屋さんで割り引かれているのを発見して、即購入。

新しい発想だと思っていても、過去を紐とけば
すでに誰かが言っていたりするものだ。(p.101)

カント自身がこんな言葉を残しているが、私にとって、カントがまさにそうである。
読んでいて、そうそう!と頷く。自分のもやもやしていたものをすっきりと言葉に表して整理してもらう快感がある。
そもそも、出会ったのは高校生のときだ。
倫理や道徳は、カントを基準に学んだ。思考の方法を、哲学する過程を学んだ。
だから、私の価値観や世界観は、ベースにカントを置いている。
読んでいてすんなりと馴染むが、同時に、改めてカントが持つ現代性に気づいて驚く。

今なお通用する部分と、今だからこそ再考すべき部分があると思う。
一つずつを味わいながら、じっくりと思索したいものだ。
本書に集められている言葉は、実にカントらしい、啓蒙や正義、知性についての言葉だけではなく、男女についてや戦争について、教育について、様々なジャンルに分かれている。
美しい言葉も、苦い言葉もある。笑える言葉も、学ぶべき言葉もある。
その中で最後にひとつ、選ぶなら、今日の気分でこれにしておこう。

人は教育によってだけ、人間になることができる。(p.150)

2012.11.10

世界は言葉でできている

「世界は言葉でできているBook Edition」製作委員会(編) 2012 日本実業出版社

本歌取り。
金田一秀穂の序言を読んで、なるほどと思った。
そう言われればそうだ。
元の歌を言い当てるよりも、それより巧みな、美しい表現を磨くほうが面白い。
その辺の機微を踏まえている人が生み出す言葉は、もとの言葉と似通っておらずともぐっとくることがあるし、本家を超える可能性も出てこよう。

テレビでは数えるぐらいしか見たことのない番組を書籍化したものであるが、こうして文字で並べると、改めて、言葉を生む人によって個性があって面白かった。
言語は思考であり、言葉は哲学である。
言葉にはおのずとみずからが反映されてしまう。
ものごとに対する価値観であると、人生に対する姿勢であるとか、日々の生活であるとか、恥ずかしいものまでもにじみ出てしまうことがある。
同じ言葉をもとにして自分なりの表現を考えるという、いわば定点観測のような作業を減ると、お互いの個性がどうしても際立ちやすくなる。
そこがまた妙である。

恋を得たことのない人は不幸である。
それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である。
瀬戸内寂聴(p.84)

瀬戸内寂聴の名言を読んで、あれ?と思った。
そう言えば、似たような言葉を私は贈ってもらったことがある。
今年の夏、見ず知らずの人からであったが。
バイロンのような古来の有名人から当代当世の人の言葉まで、いろいろな人の言葉がここには集められている。
もとの言葉のセレクトもいいんだろうなぁ。

いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない。岡本太郎(p.228)

こんな名言に、どんな言葉が挑戦したか。挑戦していっているか。
それは、番組もしくは本著をご覧くださいってことで。

2012.02.09

屋久島・鹿児島・指宿・霧島(タビハナ)

JTBパブリッシング

読書に入れるのか?>お前とツッコミを自分でいれつつ、イメトレ中。
B6よりやや幅広の、この手のガイドブックは装丁も可愛いし、見ていると楽しくなる。
タビハナとかことりっぷとか。行かない場所でも、つい集めたくなるような風情がある。
東京下町さんぽとか、横浜中華街とかのを見ていると切なくなるので、目線をそらして、今回は屋久島。

外枠はパックを使うからホテルは選べないとして。
どのエリアに行こうかなー。
何を見ようかなー。何を食べようかなー。
5月はパッションフルーツとトビウオが旬らしい。
初心者向けにヤクスギランドと白谷雲水峡が妥当か。レンタカーを借りて、滝を見て回るのもよさそう。浜辺でまったりもいいなぁ……。

行くと決めたら現実にうつしていかないと、去年みたいに行きそびれちゃう。
行きたい場所は、体力が必要そうな場所から行っておこうかな、と思って。
これでしばらくがんばる楽しみができた。それまで、体力作りと倹約を心がけたいと思います。がんばる。

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