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香桑の近況

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## 今は昔:武士の世

2021.08.03

相棒

五十嵐貴久 2010 PHP文芸文庫

土方歳三と坂本龍馬。
追う側と追われる側ぐらいに立場の違う二人に、協力してとある捜査をしろと密命が下る。
それも、たった二日間で犯人を探し出せという無茶ぶり。
徳川慶喜暗殺未遂事件の。

ぐいぐいと京都の町を二人に連れまわされるうちに、ありえないことがありえたことに見えてくる。
京都に住んでいたことがあるので、出てくる通りの名前がいちいち懐かしくなる。
今出川通りを右に折れると相国寺。冷泉家は今出川と河原町通りの交差するところ。竹屋町に三条に。頭の中で地図をなぞる。
これだけ歩き回れば足も棒になりそうなところだが、丁々発止の二人の言い合いは止まらない。

几帳面で潔癖な印象の土方は、江戸のちょっとべらんめえな口調。
フケだらけで臭いそうな竜馬は、ほにほにとのんびりとしたら柔らかななまりのある口調。
どちらも、さまざまなドラマや映画やマンガやアニメで描かれてきたイメージを凝縮させたかのような魅力的な主役たちだ。
ほかにも、桂小五郎に西郷吉之助に岩倉具視にと、幕末維新の有名人がぞろぞろと登場する。
それが違和感がない、絶妙な時機を選び抜いた一瞬に仕掛けられた架空の事件であることに、舌を巻いた。

この二人に面識があって、こんな風に会話していたら、と想像することはとても楽しい。
楽しいが、歴史上の人物たちであるので、それぞれがどのような死に方をするのかが決まっている。
それがどうしようもなく切なくなる。
こうなってしまうのか、こうなってしまわずにはいられないのかと、わかっているのに切なくなる。
その切ないところを乗り越えていく竜馬の台詞がよかった。

「どんなにみっともなくても、生きてりゃ何とかなる。そういうもんじゃ」(p.449)

本屋さんで見かけた時から絶対に面白いと思って手に入れ、長く積んでいた本だった。
2022年正月にNHKで『幕末相棒伝』としてドラマ化されるという。
これだけ面白い作品なのであるから、時代劇を丁寧に作るNHKであるし、きっと魅力的なドラマになることだろう。
それにしても、もう少し早く読んでおけばよかったなぁ。面白かった。

2020.10.04

うき世櫛

中島 要 2020 双葉文庫

女であることは、しんどいなぁ。
なんでこんなにしんどいんだろう。
しんどい物語ではないのに、今の自分はずっしりと重たいものを胸に抱えている。

表紙とタイトル、「女髪結いは女の味方!」という帯に惹かれて、書店に平積みされた本を手に取った。
それからしばらく積んでいたのだけど、この週末、ようやく読むことができた。
主人公の結は、武家に生まれたものの、早くに母親に死に別れ、父親にも先立たれ、十五歳の時に身寄りがなくなった。奉公に出てもうまくいかず、女髪結いの夕に住み込みの弟子として拾われることになる。
結は、世渡りという点でも手先という点でも不器用で、武家育ちということもあって堅苦しい。心得違いで夕とぶつかることもしばしばだ。
夕は美人な元芸者。顔に大きな傷がある。その傷を隠さずに生きている。
女髪結いは、庶民の女性の髪を結う仕事。髪を触ることを通じて客の体調の変化に気づいたり、他には言えない心の重荷を聞くこともある。
そういう夕の客との出会いや長屋でのあれこれを通じて、結が少しずつ成長していく物語である。

舞台は、天保の江戸。
大飢饉があり、大きな乱があり、奢侈を取り締まる改革のあった時代。
大政奉還まで、あと22年。と思うと、この物語のなかの登場人物は、この物語の後に激動を生きることになるのだろう。
時代小説でもよく描かれている時代であるように思うのだが、これほどシビアに生活の息苦しさを描いてあるものは、初めて読んだかもしれない。
江戸に火事が続いたこともあり、芝居小屋が移されて、歌舞伎や寄席が規制される。絹織物や金銀を用いた簪や櫛を身に着けることを禁じられる。浮世絵も、大首絵(役者や遊女の似顔絵)が禁止され、使われる色の数も制限される。
主人公が拾われた女髪結いというのも、その禁止されたものの一つだった。
規制の積み重ねによって、庶民の生活が、日に日にじわじわと締め付けられていく。経済が回りにくくなり、徐々に生活が苦しくなっていく。
最初はしばらくすればなあなあでなかったことにされるのではないかと期待されていた御法度であるが、取り締まりは厳しくなる一方で、困窮から密告して褒美をもらう者まで出る。
江戸の人々が徐々に顔をうつむかせていく。その気分の変化が、しっかりと描かれている。

つくづく、小説とは写し鏡であると思った。
作者の心情や体験や哲学を写す鏡であり、作者の生きる背景である社会を写す鏡である。
同時に、読み手の情緒や体験や哲学を写す鏡であり、読み手が生きて見て感じている社会を写す鏡である。
その意味で、この数年の徐々に経済的な不安が増す中で、Covid-19の流行に伴って生活の規制が増え、しかも、政権に対する不信感が高まっている。
もともと、2016年に出版されたものが今年になって文庫化されたそうだが、今、この2020年10月の社会の状況にぴたりと重なるような息苦しさを、この物語の背景に感じた。
その息苦しさにも、ちょっとやられてしまった気がする。

だが、私の生きるこの社会は、絶対的な身分制度に支えられた封建制の社会ではないはずである。
法のもとの自由と平等が保障された民主主義の社会に生きているはずである。
だから、物語の中の女性たちのように、あきらめながら合わせるか、命がけでしか抵抗できないという法はない。
そのはずである。そのはずであるが、なかなかしんどいものであるなぁ。

2020.01.20

残り者

朝井まかて 2019 双葉文庫

まさか、こんなに手こずるとは。

大政奉還し、徳川が江戸城を明け渡す。
その時、大奥にとどまった5人の女性がいたという。
かねてからお気に入りの朝井まかてさんの、なんとも面白そうな題材な一冊を見つけた。
その時はまだ単行本で、迷ううちに文庫化されたので、手に入れた。
そこまではよかった。

5人の女性たちは、それぞれ役職が違う。働いてきた部署、仕事内容、地位、経歴はそれぞれである。
自分はそれなりに知ってはいるつもりであるが、どのように大奥という場が営まれていたかが見えてくるような物語だった。
ある意味で吉原とも似ているのであるが、働くことは、この時代から、ケアレスマンになることなのだと思った。
働く女性は、吉原でも、大奥でも、自分が再生産(出産)することはなくなる。母親として妻として誰かをケアする役割から降りて、就労に奉仕する。
それはある意味で、男性たちの働き方・生き方に準じた役割を取ることを意味するように見える。
同時に、吉原でも大奥でも、部屋子という形で、彼女たちは年少の者を手元に置いて後進として育成することもあり、そこで誰かをケアする喜びを味わった人もいたことだろう。

他者をケアすることが好きな人もいれば、そうじゃない人もいよう。
だが、他者をケアする余裕を与えられない時、自分自身のケアさえ十分になされていないことがある。
自分のケアを他者に任せないと働けないという構造が作られているからだ。
そこのケアレスな状態にならざるを得ない、献身して奉仕して一身に就労してきた女性たちの集合体を大奥に見出す物語だった。

そう考えると、これは企業が倒産したり、吸収合併などして消えていくときの様子にも似ているのではないか。
きっと明日も同じように、ここで働く。いつもと同じように生きる。そんなイメージを抱えながら、人は生きている。
それが、明日はない、と急に言われた時に、どうなるのか。

5人の女性たちは、こっそりと命に逆らって江戸城に隠れて残っている者たちであることから、お互いに探り合ったりして、なかなかすっきりとは物語が進まない。
彼女たちは、なぜ、自分が立ち去らずに残ったか、自分でもわからなかったのかもしれない。
そのわからなさが歯がゆくて、読むのに大層、時間がかかってしまった。
たぶん、もっと劇的な展開やヒロイックな筋立てを期待しすぎてしまったのも、私の間違いだったのだと思う。
何か月、持ち歩いただろうか。
何度か挫折しそうになったが、読み終えてみると、ひどく気持ちの良い物語だった。
『恋歌』と同じ、その節目を生き延びた女性たちの力強さが気持ちよかった。

2019.07.22

お江戸けもの医 毛玉堂

泉ゆたか 2019年7月22日刊行 講談社

動物たちは嘘はつかない。動物のすることには意味がある。
人がすることにも意味がある。だが、人は嘘をつく。

小石原の療養所で人の医者をしていたという凌雲と、その押しかけ女房となったお美津。
捨てられているところを世話して、そのまま貰い手がないまま引き取っている、犬たちや猫。
夫婦のぎくしゃくとした同居は意外とにぎやかで、あれやこれやと客と出来事が舞い込んでくる。

お美津の幼馴染は笠森お仙というから、浮世絵好きとしてはにやにやせずにはいられなかった。もちろん、鈴木晴信だって登場する。
こういう実在の人物を縦糸にして、お美津や凌雲という想像の人物を横糸に絡めて、物語というおりものができあがる。
それも、とびきり穏やかで優しい物語だ。切ったはったのない、町衆の時代劇に重ねられた市井の人々の物語だ。

ただ傷ついた動物の治療をするだけではなく、人間以外の動物とどのようにつきあっていくのかを投げかける。
その動物たちとのつきあいのなかで最も難しいのが、人という動物との付き合い方であり、お美津とお仙それぞれの葛藤も穏やかに描かれる。
なんで、凌雲は人の治療をやめて、動物の医者になることになったのか。その凌雲と男女の仲ではないお美津が、どのようにして女房になったのか。そして、この二人はどうなるのか。
そこに善次という謎の少年まで加わるから、最後まで読まないと事のあらましはわからない。

トラジは獣のくせに、あんたの勝手でここにいるんだ。ここにいてくれるんだ。トラジに余計な負担を掛けようなんて考えずに、少しでも楽しく穏やかに暮らせるように、あんたが心を配ってやってはどうだ?(p.146)

人はよく動物の気持ちをあれこれと思い描いてこじつけてしまいがちで、自分の勝手や都合の押し付けではなくて、動物としての自然な理由を考えることは難しいことがある。
そのあたりの機微がとてもよく描かれていて、少し耳が痛い。
犬思い、猫思いの、優しい物語だ。

#お江戸けもの医毛玉堂 #NetGalleyJP

2019.05.30

亥子ころころ

西條奈加 2019年6月24日刊行 講談社

久しぶりの西條奈加さんの小説だ。
#NetGalleyJP さんで見つけて、ほくほくして申し込んだ。
こちらは『まるまるの毬』という前作があるそうだが、前作のエピソードは程よく紹介されているので、この本から読んでも十分に楽しめる。
江戸を背景に、美味しい和菓子と職人の矜持、親子の機微がよりあわさって、味わい深い。

西條さんの物語には、巨悪のようなものは出てこない。
少しずつすれ違ったり掛け違ったりしたものが、平凡なはずの毎日の中で思いがけない悲劇を生むことはある。
それぞれの人生の大事件を、心を込めて、頭を使って、丁寧に取り組むことで、もつれた糸をほどいていくのだ。
だからこそ、読み終えた時に気持ち良い感じが残る。

それにしても、旅行なり、出張なりで、それなりに出歩くのが好きであるが、お土産ものとして伝統的な地の和菓子に注目するのっていいなぁと思った。
特に、茶道が盛んだった土地では、今に伝わる銘菓も多いし、和菓子屋さん自体も多い。
今までも好きであれこれと食べてみたつもりではいるが、この物語の中には知らないものばかり出て来て、それを想像したり、調べたりすることもとても楽しかった。
こんな御菓子屋さんが地元にあったらいいのに。きっと常連になっちゃう。

自分自身が専門職としても一か所で働き続けていると、新しい技法や知識にうとくなっていることに気づき、愕然とすることがある。
自分よりもはるかに若い人が第一人者として華々しく活躍しているのを見ると、焦燥と渇望がないまぜになって湧き上がってくるのだ。
そんなことを感じたばかりだったので、主人公の治兵衛が雲平に対して抱く思いが、わがことのように感じた。
話し合いながら何かを作り上げていく喜び、面白み、楽しみが、今は得られていることが、改めて貴いと思った。
今、一緒に働いてくれている人たち、学び合う仲間たちを大事にしていきたい。

#亥子ころころ #NetGalleyJP

2019.05.13

滔々と紅

志坂 圭 2017 ディスカヴァー・トゥエンティワン

旅先で大きな書店に立ち寄った時、さわや書店の方の誉め言葉が帯になっており、興味を持った。
その時は帰宅してから最寄りの本屋さんに取り寄せをお願いしたが、残念ながら取り寄せが難しくて手に入れられなかった。
それから2年。
幸いにも、#NetGalleyJP さんで読む機会を得た。

忘れたことはない。
冒頭のインパクトは、それぐらい大きなものだった。
目の前に浮かぶほど、ありありと描き出された干ばつに襲われ、極度の飢餓にさらされた農村。
見えるようであるが、けして映像化は許されないであろう、凄惨な場面から物語は始まる。
駒乃という少女の物語だ。

駒乃は江戸吉原の大見世である扇屋へと口入される。
禿「しのほ」となり、新造「明春」となり、やがて、「艶粧」花魁となる。
同じ人間であるはずなのに、役職が変われば、呼び名も変わっていくのだ。
江戸時代も終わりがけの天保年間の吉原を再現していくような詳細な書きっぷりは、読み手を物語に引っ張り込む力がある。

もしかしたら、もっと暴力的で容赦のない描写も書ける作者なのかもしれない。
そこを、主人公に駒乃を据えることで、死や暴力にさらされ流されながらも途絶えることのない、生が際立ったのではないか。
駒乃の人生は、今時の感性からすれば苦労の連続だったとしても、翡翠花魁やなつめなど、あたたかでやわらかでうつくしいものがなかったわけではなかった。
キラリと輝くうつくしいものが、彼女の未来を照らしていた。

私が主人公に共感して、一体化するように読んだかというと、そうではない。
駒乃はじゃじゃ馬で、一本気で負けず嫌いで、だからこそ生き抜いたというふさわしい力強さが魅力があるのだけれど、当時と現在では死生観や価値観がおそらく違う。
常識や感覚が違う。
その違う感じを忘れさせない緊張感が、最初から最後までぴんと一本、通っているのだ。
その一本線に、思いがけない伏線が仕掛けられており、読後には爽快感が残る。

江戸ものというと、吉原ものが多いのはなぜだろうか。
そこに資料が多く残っているせいなのか。平和で過酷な農村では物語になりづらいのか。
色街がけして物珍しいわけではない。今も、結局は、自分の身体を使うしか、糊口をしのぐ手段を持たない人たちは尽きないのであるから。
尽きないからこそ、現在と重ね合わせて、もしかしたら、主人公と一体化して読む人たちもいるのかもしれない。
そんなことも考えさせられた。

2018.10.16

つるつる鮎そうめん:居酒屋ぜんや

坂井希久子 2018 時代小説文庫

つるつる……じゃない!
焼いた落ち鮎を出汁にして食べるお素麺は、つるつるとして美味しそうであるし。
物語もあちらこちらへと、つるつると流られるようにつづられて、それこそ流れるような勢いで読み進めた。

なにしろ、びっくりするようなことが次々と出てくる。
只次郎が、あの只次郎が、だんだんと頼もしくなり、ついに女性に惚れこまれる日が来るなんて。
兄弟仲も徐々にやわらいでおり、もう、当初の只次郎よりも随分と大人になった気がする。

草間重蔵とは何者なのか。
そして、お妙はどんな生まれで、お妙の夫はなんで死ななければならなかったのか。
少しずつ、解き明かされるほど、謎は大きくなっていく。
これはもう、つるつると読み流せるような話ではない。
一体、どういうところに紛れ込んでしまったのか。

季節を感じる献立が、今回もとても美味しそうだった。
里芋団子ぐらいなら、私も手軽に作ることができるだろうか。
次巻まで、お妙さんの献立に挑戦しながら待ちたいと思う。

今回は、献立はもちろんであるが、女性の描写にぐっときた。
それはたとえば、お妙の着こなしや体格の色っぽさのこともある。
それだけではなく、お妙の知識への飢えと祈りが切なかった。

ただ死んで生まれ変わるころには男も女も身分もなく、望むだけの学問のできる世になっていればいい。(p.124)

思えば、江戸時代は現代よりも性別は身分、職業による縛りが多かったはずである。
かと言って、現代はまだお妙の祈りに応えることはできていない。
今も、いったい幾人のお妙さんがひっそりと飢えと祈りを抱えていることだろうか。

2018.09.11

花だより:みをつくし料理帖 特別巻

髙田 郁 2018 ハルキ文庫

あの、みをつくり料理帖の後日談。

江戸のつる家のその後。
種市をはじめとして、今は包丁を預かる政さんとお臼さんの夫婦、よい娘にそだったふきちゃん、看板娘のりうに、おりょう達家族など、懐かしい顔ぶれが入れ替わり立ち代わり登場する。
まるでここからもう一回、つる家の物語が始まるのではないかと錯覚するほどだ。
種市がどれほど、澪を慈しんできたことか。今とは違って通信も交通も発達していない時代のこと、江戸と大阪に別れることは生涯の別れに等しいだろう。
どれほど寂しくてつらくて、それを見送った種市の深い情愛を、改めて感じる作品。

小野寺家のその後。
これは読めて心底嬉しかった。
あの小松原様の目じりにきゅっと皺がよる様子が懐かしい。
その皺こそ愛しいと思って見守る妻と子どもがいる。なんて幸せなんだろう。
小松原様がお澪ちゃんと添い遂げなかったことに裏切られたような残念な思いがしていたので、読めてよかったと心から思う。
もうとっくに、小松原様ではなくて、小野寺様だけど。
この人が幸せで満ち足りていてくれたら、きっとお澪ちゃんだって安心して幸せになれるだろう。

高麗橋淡路屋のその後。
ちょっと意外だった。野江のその後と、又次のその前。
大坂の商家の様子に、『あきない世傳 金と銀』が薄く重なる。
私には懐かしい関西弁のイントネーションが耳に蘇るような気がする。
旭日昇天の野江であるなら、きっと商いもうまくいくはず。
きっと人生もうまくいくはず。
昔は美人やってんけどなとため息をつかれるような、たくましいおかみさんになってもらいたいものだ。

そして、大阪のみをつくしの様子。
雲外蒼天のお澪ちゃんは、やっぱり立ち込める雲を払いながら生きている。
一生懸命で不器用な二人が夫婦になったからと案じていたが、案じていた通りに紆余曲折があるのが髙田さんの物語。
大丈夫かいなと心配せずにはいられないが、そこは雲外蒼天。
小さい体で雲を越えて青空に飛び立つお澪ちゃんは、雲雀のような人だと思う。
何度も何度も、これからも戦い続けていくんだろうなぁ。

出てくるお料理はやっぱり食欲をそそる。
ことに、小野寺家の夕食といったら、理想的な献立ばかり。
種市の心づくしも、野江の思い出の逸品も、お澪ちゃんが源斉様のために腕を振るう料理もおいしそうであるのだけれど、乙緒が夫のために吟味する膳は、真似をしたくなる取り合わせだ。

そして、全編を通して、同じ名前だけど同じとは限らないものが、かけてあるような気がした。
言葉遊びのすれ違いは、コミュニケーションの永遠の課題でもある。
去りゆく者を見送りながら、残された者は与えられたものをしっかりと握りしめ、前を向いていけたらいいのだと思う。

10巻の物語のめでたしめでたしの後の日々は、読者としては惜しみながら閉じるしかない。
名残惜しいが読むほどに幸せになる。心の中でも蒼天が広がるような気がした。

2018.08.31

心花堂手習ごよみ

三國青葉 2018 ハルキ文庫

続きを! 続きを早く!!
読み終えた瞬間に身もだえた。
これは、この後の展開が気になってしょうがない。

江戸は日本橋、商家や武家の女の子だけを集めた手習い所が舞台。
師匠になりたての主人公・初瀬の悪戦苦闘の幕開けだ。
旗本家で祐筆をしていた真面目でうぶな女性で、甘いものを美味しそうに食べる。
私自身も塾講師などをしたことがあるから、初瀬の悪戦苦闘にはあーあるあるとうなずいた。
彼女の戸惑いや気苦労を経て、少しずつ師匠として落ち着ていく様子を応援したくなった。

なにしろ女子校の先生になるようなものなのだから、そりゃあ生徒たちだって一筋縄でいかない。
物語の中の少女たちは、現実の症状たちと同じように、それぞれの家庭の事情があり、それぞれの個性や思いがある。
そして、女の子たちというのは噂話が好きで、人の恋話が大好きなのだ。
甘いものと並んでの大好物と言ってもいい。
少女たちと、きゃあきゃあと騒ぎ立てる気分になり、何度も笑いを噛み殺した。

子どもたちの活き活きとした様子が可愛らしくて仕方がない。
作者の方の眼差しが、このように温かみがあり、慈しむものなのだろう。
時代小説というジャンルの中で、こんなに可愛くて楽しい物語と出会えたことが嬉しい。
きっと幸せな気持ちになれるのではないかという予感が働く語り口だ。
少女たちの成長を見守ると同時に、初瀬の恋の行方を見届けたい。
物騒な話に疲れている人や殺伐な話は苦手な人には、特にお勧め。
じれったい男女が好きな方にも、ぴったり。

2018.07.26

笑う猫には、福来る:猫の手屋繁盛記

かたやま和華 2018 集英社文庫

3つの短編集、どれもそれぞれに魅力がある。
宗太郎の婚約者である琴姫ががんばる「琴の手、貸します」。
宗太郎が拾った子猫田楽ががんばる「田楽の目、貸します」。
そして、猫先生がいつものように弱りながらがんばる「あすなろ」。

前作『されど、化け猫は踊る』を何度も何度も読み直すたびに涙した。
ぐったりするほど、心が揺れ動かされる名作だった。
その分、猫太郎…もとい、宗太郎も、すっかりエネルギーを使い果たして、風邪っぴきになった。
そこから始まるのが「琴の手、貸します」。
宗太郎の複雑な心境を、にやにやしながら読んだ。

場所は変わって、その後の田楽。
目の見えない少女に可愛がられている田楽が、彼女に「田楽の目、貸します」。
ちび猫は若猫に育ってきたが、なんとまあ、父親そっくりの堅物で。
可愛らしくてたまらず、周囲の先輩猫や猫股と一緒に、手助けしてやりたくなる。
なにやら、尾羽に白い羽毛が混じるカラスまで出て来て、こちらも活躍しそうな気配だ。

このまま、宗太郎は出番がないかと思ったら、「あすなろ」でいつものように困り果てながら相談相手に向かい合う猫先生を見ることができた。
四角四面の堅物だった宗太郎も、ずいぶんと丸くなり、心が豊かになったものだと思う。
こんなに成長したのだから、そろそろ人間に戻してあげてもいいんじゃないかな?と白闇に問いかけたくなった。

猫たちは、人間が大好きだ。
白闇や珊瑚といった猫股たちも例外ではない。
愛情深く、諦めながら許してくれる。
彼らのひたむきな愛情を感じながら生活しているので、このシリーズはとても愛しい。

人と暮らす猫も、今はそうでない猫たちも、福が来てほしい。
猫と暮らしてきた人も、今はそうでない人も、福が来てほしい。
いっぱい笑えるといい。

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