2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

## 今は昔:貴族の世

2017.01.21

ギケイキ:千年の流転

町田 康 2016 河出書房新社

一行目。
きょとんとして、それから爆笑した。
ああそうか。ギケイキって義経記かと、これまた何テンポか遅れて、実感が沸いた。
もう一度、一行目を読み直して、やっぱり笑った。

義経をはじめ、どいつもこいつも、あかんやつや……と苦笑しながら読んだ。
方言に馴染めなかったり、むさくるしさにうんざりしたり。
なにかというと菊門の話になるし、ややこしくなるとすぐに殺しちゃうし。
義経は血筋がよく、顔かたちもよく、おしゃれで、すぐれた能力がある。
主人公の万能感や自己愛、独特の美学と暴力的な衝動は、パンクが似合う。
思春期で反抗期で、自分というものをこれぞとばかりに声高に叫びたいお年頃。
どうしようもなく自惚れて見える義経が、時折、兄頼朝に思いを馳せる。
それがたまらなく、せつないのだ。それが、この本の魅力だと思う。

義経の目線は、千年前の当時と、当時から千年経った現在を自在に流転する。
まるで当時の義経を再現するように語られていくかと思えば、「まあ、僕はもう死んでるんですけどね」という具合に、物語に寄り添おうとしていた読者を突き放し、現在に立ち戻させる。
この時間感覚と距離感は、今までなかなか味わったことがなかった。
個性的な語り口に、合う合わないはあると思うけど、いろんな意味で意表をつかれた。

一行目、忘れられんな……。

2016.09.13

ゆかし妖し

堀川アサコ 2015 新潮文庫

どう考えても、人数があわない。
なぜか、ひとり多い。
あれは一体、誰だったのか。

室町時代の京都。
従来の公家システムと、新興勢力の幕府システムが並存していた時期。
なかなか珍しい時代設定である。
戦国の世がちょっと一息ついた時代の猥雑な喧騒の中、夜は真っ暗になっていたに違いない京の都で、ひとりの女が死んだところから物語は始まる。
戦に出て帰らない夫を探して、京までたどりついた女だった。

まるで、雨月・春雨物語に出てきそうな筋である。
検非違使に白拍子、遊女に琵琶法師、勧進聖に漏刻博士。その時代ならではの職業が次々出てくる。
戦の残した心の傷がいくつも語られる。時代ならではの風俗はあまり語られないが、戦の爪あとに目配りが効いているところに好感を持った。
戦さえなければ。
誰しも、思ったに違いない。

この時代、怪異は今の時代よりも近しいものであったのかもしれない。
ホラーと思って手に取ったが、途中からこれはミステリだと思い改めて読み勧めた。
そこに、幽霊はいるようでいない。恐ろしいのは生きている人である。
これはきっとあの人で、これが多分この人で、と考えていたら、だが、いつも誰か多い。
どう考えても、人数があわなくなる。
いないようで、幽霊はいた。いたけども、やっぱり生きている人のほうが怖かった。

なかなか切ない物語だった。

2014.12.12

いまはむかし:竹取異聞

安澄加奈 2013 ポプラ文庫ピュアフル

竹取物語に材をとったと知れば読みたくなる。
密林書店のおすすめにリストアップされて、興味を持った一冊だ。

この本は、ラノベというよりも、童話というほうが似合う気がする。
穏やかな言葉遣い。整った文章。優しい登場人物たち。
作者が愛情を込めて、大事に大事に書いた物語ではないだろうか。
こんな風に丁寧に紡がれた物語に出会うと、読書が幸せな時間になる。
登場人物の一人一人に愛着が感じられ、読みながら穏やかな気持ちになる。
読み終えて閉じた後も、主人公達の物語がまだまだ続くことを願ってやまない。

歴史上の人物も出てくる、日本の古代史を舞台にしたファンタジーである。
もともとの竹取物語が、世界でも古いSFなのだ。
現代においても、想像力を刺激するような題材である。
解釈はいろいろあるだろうが、これもあり。
そんな風に思った。

がんばる女の子をいじめちゃいけない。
傷つけちゃいけない。大人の欲で潰しちゃいけない。
いさめることも必要な時があるけれど、応援しようよ。
なしえぬはずのことに挑もうとする子ども達を見守ろうよ。

2014.11.19

月の森に、カミよ眠れ

上橋菜穂子 2000 偕成社文庫

神話が神話になる前の物語。
むしろ、民話か昔話。
主人公は人間であり、人間の生活から神々の息吹が失われていく瞬間が、見事なファンタジーとして結実されている。
人々の気持ちのありようを描くだけではなく、まさにこんな風であったかもしれないと思わせる生活のありようの具体性は、著者が文化人類学者であるからこそ。
日本の古代、律令が敷かれていく時代をモデルにしつつ、熱や匂いを感じるような活き活きとした物語になっており、気づけば主人公達と一緒に深い森の空気を感じることができるだろう。

裏切られ、殺されていく神々。
時に自然は荒れ狂う恐ろしいものとなるが、人間は実に自分勝手に自然から奪い放題、壊し放題にしてきた。
そういうマクロな物語を描くのが神話であるが、一人一人の人間の生活に即した人生や心情を描くとなれば民話に近い。
文庫も子ども向けにルビがふられてはいるが、物語は大人であるこそ、感じる部分もあるのではないだろうか。

カミと人の物語であり、同時に、母と息子の物語でもある。
ナガタチの母子葛藤がキシメとの対話によって解消されるプロセスが見事だと思った。
こういう物語で、ナカダチの父たるカミをうけいれられなかった母親の弱さのみならず、タヤタを思いやることができないキシメの幼さを取り上げたところが、秀逸な物語だと思ったのだ。
受身的な人生を送るのではなく、自らの過ちを背負い、自分でで自分の運命を選んだホオズキノヒメの美しさが際立つ。

思いがけず美しい物語に出会った。

2014.10.10

はなとゆめ

冲方 丁 2013 角川書店

清少納言。
彼女の残した言葉は、今も人をくすりと笑わせる。
難しいことを言うわけではない。
好きなものを好きだといい、嫌なものは嫌だといい。
そうだそうだとうなずかせる。

田辺聖子「春はあけぼの」を読んだ前後からだろうか。
十代の頃に触れた源氏物語はどうにも理解できず、紫式部に比べるならば、清少納言という人物像に好感や興味を持った。
エッセイなどはいまだにあまり好んで選ぶわけではないし、今になれば源氏物語にも妙を感じるようになった。
それでもなお、清少納言の生き方や残した言葉には魅力を感じる。
だから、雑誌のタイトルと同じような本書の背表紙を見て、なんの本だろうと手に取り、清少納言を描いたと知るや、レジに直行した。

酒井順子「枕草子 REMIX」を読んだ時に知ったのだが、本書でも改めて思ったことといえば、清少納言が現代に生きていたら、ジャニかK-POPにはまっただろうなぁということである。
離婚を経てからの法華通いは、いわばコンサートに行くようなものではないか。声や顔の綺麗なお坊さんのほうが最高なんて感性は、そんな気がするの。
とても現代的ではないだろうか。それこそ、宮木あや子『婚外恋愛に似たもの』に似たようなものを感じる。
いろんなものに励まされ、慰めを感じながら、人はしんどい時期をやり過ごしていくのだ。

中宮定子が大好きで。
『姫のためなら死ぬる』というマンガもあるけれど、清少納言の祈りはそのままだよなぁと思ったり。
いとしくて、せつない。
清少納言の目に映る定子は素晴らしい女性あり、素晴らしい主人である。
華やかでありながら、激しくて、短く、厳しい人生を送った女性である。
仕えることが誇らしかった主人から下賜された紙に、主人のいた輝かしい日々を書きとめる。
かつて、主人を楽しませ、喜ばせ、くすりと笑わせたような言葉を。
そうやって、心の守り手、中宮の番人となろうとした清少納言の言葉は、確かに、千年を経ていまだ輝いている。

マンガ雑誌のタイトルと同じ音の並びにあれ?と思って手に取った本だった。
清少納言を題材にとるからには、と読み始めたが、今まで読んだ中でもしっとりと染み入るような描き方に好感を持った。
作者が男性であることを意識させない、美しい物語になっていると思う。
これを読み終えて、第一段を思い出したとき、冬の情景を描いた心情やいかにと、胸がきゅうっと締め付けられた。

2011.12.10

ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ

松浦理英子・江國香織・角田光代・町田康・金原ひとみ・島田雅彦・日和聡子・桐野夏生・小池昌代 2008 新潮社

私の心はちっぽけだから、心に抱く男性は一人で十分。(p.44)

好きで。
好きで好きで、たまらなくて。
ほかのことなど、どうでもよくて。
でも、この恋はどこか不毛だ。
光源氏の恋も、光源氏に恋する恋も。

源氏物語から千年を記念して出された本だ。
積み続けて3年。今年度内になるべく積読本を減らして、手離してしまおうと思い、ようやく読み始めた。
テレビも見ない、ゲームもしない、ネットもしないとなると、意外と本を読めるもんだと驚くこの頃。

原作に忠実に気品のある世界を再現しているのは、松浦理英子「帚木」や島田雅彦「須磨」、日和聡子「蛍」だ。それぞれの書き手の言葉選びの巧みさや気配り、文体の美しさを読み比べることができる。
松浦さんの文章は正統派で隙がなく、原作そのままの雰囲気。島田さんの文章は品格があって、とても美しかった。どちらも忠実な訳を読んだ心地で、違和感がなく、しかも読みやすい。

日和さんの「蛍」には、物語とはどのようなものかと源氏が語る場面があり、その台詞は作家であれば格段の思いをこめずにいられないだろうと思われた。物語とは「見るにも見飽きず、聞くにも聞き捨てにできないようなこと(中略)を、心ひとつにおさめがたくて」(p.215)書かれるようになったという。
この「心ひとつにおさめがたくて」の感覚があるからこそ、自分もこうして物語ではないけれども、書き散らかさずにいられないのだと思う。

江國香織「夕顔」は、微妙。カタカナで現代にしかない単語を交えると、そこだけ浮いて見えた。現代的といえば現代的なんだが、私は違和感があるから惜しい気がする。それさえなければ、この夕顔は愛らしくて無垢、かなり魅力的だった。

桐野夏生「柏木」も、光源氏が死んだ後に女三宮が語る形を取る。女三宮は、源氏から「何度も叱られ、貶され、しているうちに、自信のない縮こまった魂の持ち主になったような気がしてならなかった」(p.137)。そんな源氏に対する反抗心から踏み切った柏木との思い出を語るのだ。この解釈は、すんなりと読みやすくてよかった。

現代に移したり、設定を大きく変えて描いているのが、角田光代「若紫」や金原ひとみ「葵」、小池昌代「浮舟」。
このアンソロジーは、これぐらい手を加えてあるものを集めてあるのだと思っていたが、意外に少なかった。
原作がどんな風に変化するのか、解釈されるのか、予想もつかない面白みがある。その期待を満足させてくれたのが、角田さんの「若紫」だった。
金原さんの「葵」は、六条が希薄になってしまって残念。
「浮舟」は中山可穂が『弱法師』で書いたものが一番好きだが、小池さんの解釈もわりと好きかも。人がひとつの面影を探し続けるなら、恋はひたすらに幻を追い求める行為に過ぎないという。なかなか切ない。

苦手なのは、町田康「末摘花」の源氏。これじゃあ、単にイタイ人……。言い回しが面白いといえば面白いけれども、源氏じゃないぃぃぃ。
でも、中年以降のぐだぐだ感たっぷりの源氏をこのノリで読んでみたいかも。玉鬘や女三宮に回し蹴られてりゃいいんだ。

六条御息所は人気が無いのかなぁ。
源氏物語のなかの数いるヒロインの中で、キャリアも体裁も外聞もプライドもかなぐり捨てて、年下の男性に入れ込んで自爆していく六条が、実は一番好きだったりする。
好きというか、自分を投影させやすいというか、親近感を持つというか。
好きな人に触れるほかのすべての女性を妬んで憎んで恨んでも、どうしても光源氏は嫌いになれない。
これじゃあ相手の気持ちを失うだけだとわかっていても止められない暴走っぷりが切なくて愛しい。
あ。もう少し可愛げあるヒロインを好きになれたら、私はもっと楽だったんじゃないかと、ふと、思い当たった。

2010.06.28

なりひらの恋:在原業平ものがたり

なりひらの恋  三田誠広 2010 PHP研究所

なりひらって……。
何度、溜め息をついたことだろう。
こんなにへにゃへにゃ男子じゃ、だめーっ。
ぐだぐだのうだうだのヘタレっぷりに、がうがう吼えたくなった。
しっかり男子がたまにヘタレるのは好物だけど、四六時中ヘタレているのはだめなのよ……。むきーっ。

「業平ではなく、なりひら」。(p.273)
作者の意図したところは、伊勢物語のエピソードと歴史的事実をすりあわせながら、「伊勢物語に『むかし男ありけり』と語られた伝説のプレイボーイの物語を、軽く、楽しく展開」(p.273)することだ。
その通りに、予想以上にさっくりと読み進むことができた。肩肘の張らない時代ものの恋愛もの。感情移入しながら読めるぐらいに、読みやすい小説だ。
歴史的な事実や人名を把握していなくとも、十分に説明がなされており、気にせずに小説として楽しむことができる。もっと把握しておきたい人には、巻末に系図も用意されている。
この時代の貴族で色男となると、当然のように和歌が出てくるが、それもわかりやすい現代語に翻案されて詠われており、すんなりとやり取りを味わうことができるだろう。
伊勢物語には手が出にくいという人にも、これならすらすらと読めることは間違いない。

ただ、あまりにもあんまりなのだ。なりひらが。
なんで、こんなにヘタレなのー。あうあう。
こういう男の子っているよね、現代にも。
顔がいいだけで、血筋もいいけれども没落決定の家系に過ぎず、身分はなく、お金はそこそこあるかもしれないけれども、意欲ははなはだ低い。
これでどうしてもてたんだ?と思っていたら、噂先行だと本人が嘆く。誘われたら断れないだけで、でも、続ける気も無いから浮名だけが残る。
厭世的というか投げやりというか後ろ向きで皮肉屋さん。女心をちっともわかっとらーんっっっ。
そのなりひらの、一番の恋の顛末は、残念ながらハッピーエンドとはならない。
なりひらの人生もまた、ハッピーだったと言えるのだろうか。言えないよね。

我が身の不遇も軽やかにいなしてしまうほどの、低意欲。
いつまで経っても、成熟や老成という言葉とは無縁の、どこか無邪気で憎めない造詣。
その不器用さが、愛しく思ってしまったのは不本意だが。
だが、無常感をそこはかとなく感じてならなかった。
気の毒な人である。

驚いたことがひとつ。
古文で習った東下りの段。若さゆえの恋の過ちの尻拭いかと思いきや、意外にも意外、わりと中年になってからのことだったのね。
最後まで、恋に生きた男性の物語であり、そのトホホっぷりを御堪能あれ。

2010.02.12

天平冥所図会

天平冥所図会  山之口洋 2007 文藝春秋

昔々の奈良に平城の都があった頃。
帯から予想された内容とは少し違って、あれれ?と思いながら読み始めた。
三笠山、正倉院、勢田大橋、宇佐八幡の4つの冥所の物語が収められている。
帯に書かれていた内容は後ろの二つの物語のことであったと気づき、途中でしばらく手が止まってしまった。

主人公は最後の葛木氏である葛木連戸主。その妻、広虫。
登場人物たちの名前が、読み慣れない音感のものが多いため、そこでも少し戸惑った。
自分で葛木の血筋は途絶えるものと思い定め、出世に囚われずに地道に役人として務めているうちに30代に入った戸主。
広虫は、吉備真備の娘である由利と共に、女儒として内裏に勤めるために状況してきた。
この二人が送る日常と冒険は、どこかゆるい空気に包まれている。ほのぼのとした景色を背景に、しかし、人の為すこと企てることは汚くて血なまぐさい。

「三笠山」は、奈良の大仏の建造にまつわる物語。そこで消費された人々の怨嗟に思いを馳せることになる。戸主と広虫の出会いの物語でもある。
「正倉院」は、私はこれが一番好きだ。夫である聖武天皇を亡くした光明皇太后に命じられて、遺物を正倉院に納めるまでの役人たちの苦労話である。政治的な駆け引きに邪魔されながらも、東大寺から派遣された写経僧たちが王羲之や欧陽詢の筆法で、献物帳を記載していく。末端の現場を担う者たちの矜持が香り立つような佳品だった。
「勢田大橋」は、ぐっと血なまぐさくなる。権勢を極めた藤原仲麻呂が起こした乱の顛末である。吉備真備も大活躍。しかして、私の印象に残ったのは東大寺お水取りの起源である。ロマンだなぁ。
そして、「宇佐八幡」。

人の怨みはいつか晴れるのか。どうやったら晴れるのか。
怨みであれども、その人のよすがが残されていて欲しいと願ってはいけまいか。
最後は、なんだか悲しい。
夫婦の情愛を軽やかな筆致で、しんみりと感じさせられた。

個人的には、もう少し、吉備真備父娘の話が読みたかったかも。作者の人の頭の中には、きっと物語があるはずだ!と思いつつ。

2009.07.12

七姫幻想

七姫幻想  森谷明子 2006 双葉社

七夕にあわせて。
織姫には、もともと、巫女、神女あるいは女神としての性質があったという。
中国から伝わった伝説であるが、いつ頃から日本にも根付いたのであろうか。
機織女に神性を見出す古代の信仰は、ハイウヌウェレ型の神話のひとつである瓜子姫を挙げてもよいし、夕鶴にも痕跡を見て取ることができるだろう。

作者は、衣通姫(そとおりひめ)の伝説に絡めつつ、オムニバス形式で7人の姫の物語を語る。
7人は織姫の7つの異称にちなんでいる。その名は、秋去姫(あきさりひめ)、朝顔姫(あさがおひめ)、薫姫(たきものひめ)、糸織媛(いとおりひめ)、蜘蛛姫(ささがにひめ)、梶葉姫(かじのはひめ)、百子姫(ももこひめ)。
彼女たちは、古代から近代へ、水際で糸を布へと織りながら、人模様、恋模様を描き出す。
歴史の背後に一つの血筋、古い血と力を受け継ぐ一族の存在を見え隠れさせながら、時代が下るほどに姫たちは神性を失いつつ、機織りもまた市井のものとなっていくのだ。

そこに謎解きの要素が加わるが、解くべき謎として人が死ぬ。
人が死ぬのは女神たちへの犠牲であるとも見なすこともできれば、瓜子姫もしくはアマノジャクが死なねばならなかったことと軌を一にするのかもしれない。
神に捧げるために死ななければならなかったのか、神であるからこそ死ななければならなかったのか。
それでいて、血なまぐさくならないのは、物語をしめるように添えられた短歌や俳句のもたらす後味のためだろう。
森谷さんならではのことで、さりげなく大伴家持や清原元輔、清少納言といった名だたる文人らが登場している。
平安時代のこととなると、ことさら、人間関係も複雑に描かれ、事件や習俗も詳しくて、先に読んだ『千年の黙:異本源氏物語』『かぐや姫の結婚』とあわせて楽しみたい。

登場人物の名前が興味深かった。衣通姫は、名前の字面に「衣」という字が入る点でも、発音に「おりひめ」と入るところでも、織姫神話の再構築にふさわしいと思われた。
次に出てくる女性の名前は「みづは」という音である。物語中では、「美都波」「瑞葉」「椎葉」などと表記されるが、これは水の迸りを表す音である。
すなわち、「罔象」という女神の名前である。熊本県の白水神社にこの女神がまつられており、罔象女神と書いて「みづはのめのかみ」と読む。弥都波能売神とも表記する。イザナミがカグツチを産んだ時の苦しみから漏らした尿の神格化である。
水であり、暗闇であり、形のない何がしかであり、水こそは生命および出産の表象である。なお、罔象の蘊蓄は、京極夏彦『魍魎の函』に詳しい。

加えて、男性名に表れる「とりひこ」。牽牛ではない。なぜ、鳥か。
ここで思い出したのが、もうひとつの織姫伝説のリライトのタイトル『鳥姫伝』。
織姫が牽牛に会うためには、カササギが橋を渡さねば。そこで鳥が関わる。鳥は織姫を慕い、助けるものでなければならない。
そう言えば、百人一首に「かささぎのわたせる橋に~」と詠んでいるのは大伴家持だ。この場合のかささぎの橋とは七夕とは関係なく清涼殿の階を指したと記憶している。
そして、最後に若い公達は牛に牽かれて、牛車に乗って、泉の姫のもとを去る。また、次の出逢いの時まで。

幾重にも織り込まれたシンボルの数の多さに舌を巻く。物語を織りなす糸を読み解くもよし、解かずにすべてを眺めて楽しむもよし。いや、織られたものを解きほぐすのは、やはり無粋というものか。
シンボルのもたらすイメージの多様性、多重性。豊穣で、贅沢で、幻想的な美しい物語群だった。
今年の七夕は愛しい人に会うことができた。でも、普段は会えない人だ。だから余計に、この物語が身にしみた気がする。

2009.06.30

千年の黙:異本源氏物語

千年の黙―異本源氏物語  森谷明子 2003 東京創元社

千年紀を過ぎてから、源氏物語関連に取り組んでみたりする。
この本も、買ったのは去年だった。

3つの中編、短編が収められている。
のちに紫式部と呼ばれる女性を主人にいただく「あてき」という名の少女が最初の主人公だ。
決して大貴族ではない、大貴族に仕える中貴族の家の中から「上にさぶらふ御猫」は始まる。
謎は、行方不明になった今上帝が寵愛する猫。謎解きはあてきのあが君。

「かがやく日の宮」はそれから数年、幻の第二帖をめぐる物語。
そして、その結末をつける「雲隠」。
物語を書くということ。人の手にゆだねるということ。
書いたものを手放さなくてはならない、作り手の不安と覚悟がひしひしと伝わる。

謎解きそのものよりも、平安時代の人々が生き生きと浮かび上がってくるところが魅力だ。
物語の比重は徐々にあてきから紫式部本人へと移り、源氏物語そのものの成立であったことを最後に思わせられる。
だが、個人的には、長い物語が編まれる時間の経過と共に、あてきやいぬきといった少女たちの成長、姫ならぬ身の女性たちの生き方に面白みを感じた。
物語の姫君にはない生き様を、物語の中で少女たちが選んでいく。選ぶ自由があったのは、妃がねとなるような大貴族の姫君ではなかった。
特に、あてきと岩丸の初々しい恋と、その後のあたりがいい。期待通りで嬉しかった。

田辺聖子が源氏物語の解題ものを書いていたと思うが(タイトル失念。従者から描写した源氏の顔が「ゆで卵のむき身のような」と形容してあったことだけは忘れられない)、そのときの感覚を思い出した。
源氏物語を知っているほうが楽しめる内容ではあると思う。確かに、朝顔や六条の登場はいささか突然すぎる。桐壷の後は、源氏が急に大人になっていることにも驚いたし。
とはいえ、そんなに知悉していなくても大丈夫。知っていれば尚楽しい、ぐらいのことだ。

それよりも、私がこの物語を楽しめたのは、先に繁田信一『かぐや姫の結婚』を読んでいたからだと思う。
実資が日記を書いている。その様子が物語に出てきただけで、嬉しかった。さねすけーーーっ!!と心の中で叫んだぐらい。
『千年の黙』に出てくる貴族たちの力関係や出来事は、『かぐや姫の結婚』で解説を読んでいただけに、物語のほうが手ぬるく感じたほどだ。
あの実資が、しかし、机の下に「かがやく日の宮」(草稿部分)を隠していたとは……。巻末に島田荘司がコメントで、源氏物語を当時の同人誌と表現しているが、真面目で賢人と名高い大貴族が同人誌にはまっていたと想像すると、なんともはや、にまにまと笑わずにはいられない。
そこがピンポイントでツボでした。

より以前の記事一覧

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック