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香桑の近況

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## 今は昔:貴族の世

2018.05.30

ばけもの好む中将7:花鎮めの舞

瀬川貴次 2018 集英社文庫

頃は、桜の咲き乱れる春。
いつものように宣能に振り回される宗孝。
表紙の二人がとても可愛い。
当地では桜の季節はとっくに終わってしまったが、この表紙の桜模様がかわいくて、春の気分を思い出しながら読むことができた。

もともと、軽妙な会話や元気のいい登場人物たちに、何度も笑わせられる楽しいシリーズだ。
今回も意表をつかれたは、ぷぷぷwとなることもしばしばだった。
花鎮めの舞は、AKBなのかなぁ?
副題はなにかしらをもじってあることが多いけど、今回はぱっと思いつかなくてもやもや。

宣能と宗孝の二人が怪異を求めて夜の都を右往左往する物語が、ずっと続くのかとも思っていた。
ところが、少しずつ、これまで通りにはいかない気配を持ち始めた。
それは二人それぞれの成長であり、環境の変化であるが、7冊目は、今後はその変化が更に大きくなっていくことを予想させる。
果たして、大団円は来るのだろうか。これはますますシリーズの続きが気になる。

2017.06.05

私の方丈記

三木 卓 2014 河出書房新社新書

国語の教科書で触れた時から、方丈記は私にとって特別なものである。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
この世界観は私に馴染み、今も私の根底の一角を成している。

だからと言って、全文を読んだ記憶が希薄で、本屋さんでこの本を見かけた時には自然に手が伸びた。
三木さんの現代語訳は、あとがきで著者が企図したと書いてある通りに、読みやすい。
ただただ内容を味わいたい身としては、対訳で表記されているよりも、現代語訳は現代語訳だけで表記されていることも読みやすかった。

鴨長明は、人生でうまくいかないことが続き、50歳を過ぎて僧になった。
60歳を過ぎて、京の街中から外れたところに庵を結び、静かでのんびりとした生活を過ごす。
独居老人生活の見本というか、手本のような人であるが、言うほど楽ではないんだろうなぁと思ったりする。
彼が書き付けたつむじ風や遷都、飢饉、地震といった世の中の恐ろしいことは、当たり前であるが現在とまったく違いはない。
仏僧の生活を送っているはずが、世俗の苦しみと山暮らしの楽しみに心が囚われていることに囚われているのではないか。
そういう極めて個人的な文章だった。

分量として意外に短い。

その方丈記の現代語訳の後に、それぞれの段にインスパイアされた三木さんの「私の方丈記」が収められている。
大陸で過ごした戦前から戦直後に引き揚げてきてからの生活がつづられており、今、この本にひきよせられた理由はここかと思った。
戦争の体験、戦争の記憶である。兵士ではない人が体験した、無政府状態の混乱や恐怖、その後の飢餓や喪失が、どこか軽妙で気負いのない口調で語られる。
この方は私の父よりも少し年上であるが、三木さんの描いた東京の景色に、父の子ども時代を透かし見ることができた。
きっと、たくさんの人がつらかったり、苦しんだ。そのことを、この国はもう忘れようとしている。
隔世の念があり、とても同じ場所で起きたことであるとは思えないような一瞬を、体験した本人だって感じているけども。
でも、繰り返しちゃいけないよね。

世の中には、集団をあつかうのがうまく、いつも状況の中でもっとも適切なことを全体にとって望ましい結果にむかって導いてくれる、すばらしい人物がいる。(中略)
でもぼくは、そういう人間が、密室の部屋にもどって一人になったとき、どういうことになっているのかが、少し気になる。(中略)
ぼくは、かれがふだん見るかれとは似ても似つかないものになっていることを願うし、また事実そうなっているだろう、と思う。自分一人の空間で自分勝手にふるまう、ということは、つまり自分を意識しない自分になっていること、である。そういう時間はだれにとってもなければならないものである。(pp.143-145)

この著者の言葉、人間観が素敵だなぁと思った。
現実的で良識的な感覚に裏打ちされた、あたたかなまなざしを感じる。
私自身がこれから年を重ねていくときに、こんな風なまなざしを持っていられますように。

巻末には方丈記の原文を収められている。

2017.01.21

ギケイキ:千年の流転

町田 康 2016 河出書房新社

一行目。
きょとんとして、それから爆笑した。
ああそうか。ギケイキって義経記かと、これまた何テンポか遅れて、実感が沸いた。
もう一度、一行目を読み直して、やっぱり笑った。

義経をはじめ、どいつもこいつも、あかんやつや……と苦笑しながら読んだ。
方言に馴染めなかったり、むさくるしさにうんざりしたり。
なにかというと菊門の話になるし、ややこしくなるとすぐに殺しちゃうし。
義経は血筋がよく、顔かたちもよく、おしゃれで、すぐれた能力がある。
主人公の万能感や自己愛、独特の美学と暴力的な衝動は、パンクが似合う。
思春期で反抗期で、自分というものをこれぞとばかりに声高に叫びたいお年頃。
どうしようもなく自惚れて見える義経が、時折、兄頼朝に思いを馳せる。
それがたまらなく、せつないのだ。それが、この本の魅力だと思う。

義経の目線は、千年前の当時と、当時から千年経った現在を自在に流転する。
まるで当時の義経を再現するように語られていくかと思えば、「まあ、僕はもう死んでるんですけどね」という具合に、物語に寄り添おうとしていた読者を突き放し、現在に立ち戻させる。
この時間感覚と距離感は、今までなかなか味わったことがなかった。
個性的な語り口に、合う合わないはあると思うけど、いろんな意味で意表をつかれた。

一行目、忘れられんな……。

2016.09.13

ゆかし妖し

堀川アサコ 2015 新潮文庫

どう考えても、人数があわない。
なぜか、ひとり多い。
あれは一体、誰だったのか。

室町時代の京都。
従来の公家システムと、新興勢力の幕府システムが並存していた時期。
なかなか珍しい時代設定である。
戦国の世がちょっと一息ついた時代の猥雑な喧騒の中、夜は真っ暗になっていたに違いない京の都で、ひとりの女が死んだところから物語は始まる。
戦に出て帰らない夫を探して、京までたどりついた女だった。

まるで、雨月・春雨物語に出てきそうな筋である。
検非違使に白拍子、遊女に琵琶法師、勧進聖に漏刻博士。その時代ならではの職業が次々出てくる。
戦の残した心の傷がいくつも語られる。時代ならではの風俗はあまり語られないが、戦の爪あとに目配りが効いているところに好感を持った。
戦さえなければ。
誰しも、思ったに違いない。

この時代、怪異は今の時代よりも近しいものであったのかもしれない。
ホラーと思って手に取ったが、途中からこれはミステリだと思い改めて読み勧めた。
そこに、幽霊はいるようでいない。恐ろしいのは生きている人である。
これはきっとあの人で、これが多分この人で、と考えていたら、だが、いつも誰か多い。
どう考えても、人数があわなくなる。
いないようで、幽霊はいた。いたけども、やっぱり生きている人のほうが怖かった。

なかなか切ない物語だった。

2014.12.12

いまはむかし:竹取異聞

安澄加奈 2013 ポプラ文庫ピュアフル

竹取物語に材をとったと知れば読みたくなる。
密林書店のおすすめにリストアップされて、興味を持った一冊だ。

この本は、ラノベというよりも、童話というほうが似合う気がする。
穏やかな言葉遣い。整った文章。優しい登場人物たち。
作者が愛情を込めて、大事に大事に書いた物語ではないだろうか。
こんな風に丁寧に紡がれた物語に出会うと、読書が幸せな時間になる。
登場人物の一人一人に愛着が感じられ、読みながら穏やかな気持ちになる。
読み終えて閉じた後も、主人公達の物語がまだまだ続くことを願ってやまない。

歴史上の人物も出てくる、日本の古代史を舞台にしたファンタジーである。
もともとの竹取物語が、世界でも古いSFなのだ。
現代においても、想像力を刺激するような題材である。
解釈はいろいろあるだろうが、これもあり。
そんな風に思った。

がんばる女の子をいじめちゃいけない。
傷つけちゃいけない。大人の欲で潰しちゃいけない。
いさめることも必要な時があるけれど、応援しようよ。
なしえぬはずのことに挑もうとする子ども達を見守ろうよ。

2014.11.19

月の森に、カミよ眠れ

上橋菜穂子 2000 偕成社文庫

神話が神話になる前の物語。
むしろ、民話か昔話。
主人公は人間であり、人間の生活から神々の息吹が失われていく瞬間が、見事なファンタジーとして結実されている。
人々の気持ちのありようを描くだけではなく、まさにこんな風であったかもしれないと思わせる生活のありようの具体性は、著者が文化人類学者であるからこそ。
日本の古代、律令が敷かれていく時代をモデルにしつつ、熱や匂いを感じるような活き活きとした物語になっており、気づけば主人公達と一緒に深い森の空気を感じることができるだろう。

裏切られ、殺されていく神々。
時に自然は荒れ狂う恐ろしいものとなるが、人間は実に自分勝手に自然から奪い放題、壊し放題にしてきた。
そういうマクロな物語を描くのが神話であるが、一人一人の人間の生活に即した人生や心情を描くとなれば民話に近い。
文庫も子ども向けにルビがふられてはいるが、物語は大人であるこそ、感じる部分もあるのではないだろうか。

カミと人の物語であり、同時に、母と息子の物語でもある。
ナガタチの母子葛藤がキシメとの対話によって解消されるプロセスが見事だと思った。
こういう物語で、ナカダチの父たるカミをうけいれられなかった母親の弱さのみならず、タヤタを思いやることができないキシメの幼さを取り上げたところが、秀逸な物語だと思ったのだ。
受身的な人生を送るのではなく、自らの過ちを背負い、自分でで自分の運命を選んだホオズキノヒメの美しさが際立つ。

思いがけず美しい物語に出会った。

2014.10.10

はなとゆめ

冲方 丁 2013 角川書店

清少納言。
彼女の残した言葉は、今も人をくすりと笑わせる。
難しいことを言うわけではない。
好きなものを好きだといい、嫌なものは嫌だといい。
そうだそうだとうなずかせる。

田辺聖子「春はあけぼの」を読んだ前後からだろうか。
十代の頃に触れた源氏物語はどうにも理解できず、紫式部に比べるならば、清少納言という人物像に好感や興味を持った。
エッセイなどはいまだにあまり好んで選ぶわけではないし、今になれば源氏物語にも妙を感じるようになった。
それでもなお、清少納言の生き方や残した言葉には魅力を感じる。
だから、雑誌のタイトルと同じような本書の背表紙を見て、なんの本だろうと手に取り、清少納言を描いたと知るや、レジに直行した。

酒井順子「枕草子 REMIX」を読んだ時に知ったのだが、本書でも改めて思ったことといえば、清少納言が現代に生きていたら、ジャニかK-POPにはまっただろうなぁということである。
離婚を経てからの法華通いは、いわばコンサートに行くようなものではないか。声や顔の綺麗なお坊さんのほうが最高なんて感性は、そんな気がするの。
とても現代的ではないだろうか。それこそ、宮木あや子『婚外恋愛に似たもの』に似たようなものを感じる。
いろんなものに励まされ、慰めを感じながら、人はしんどい時期をやり過ごしていくのだ。

中宮定子が大好きで。
『姫のためなら死ぬる』というマンガもあるけれど、清少納言の祈りはそのままだよなぁと思ったり。
いとしくて、せつない。
清少納言の目に映る定子は素晴らしい女性あり、素晴らしい主人である。
華やかでありながら、激しくて、短く、厳しい人生を送った女性である。
仕えることが誇らしかった主人から下賜された紙に、主人のいた輝かしい日々を書きとめる。
かつて、主人を楽しませ、喜ばせ、くすりと笑わせたような言葉を。
そうやって、心の守り手、中宮の番人となろうとした清少納言の言葉は、確かに、千年を経ていまだ輝いている。

マンガ雑誌のタイトルと同じ音の並びにあれ?と思って手に取った本だった。
清少納言を題材にとるからには、と読み始めたが、今まで読んだ中でもしっとりと染み入るような描き方に好感を持った。
作者が男性であることを意識させない、美しい物語になっていると思う。
これを読み終えて、第一段を思い出したとき、冬の情景を描いた心情やいかにと、胸がきゅうっと締め付けられた。

2011.12.10

ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ

松浦理英子・江國香織・角田光代・町田康・金原ひとみ・島田雅彦・日和聡子・桐野夏生・小池昌代 2008 新潮社

私の心はちっぽけだから、心に抱く男性は一人で十分。(p.44)

好きで。
好きで好きで、たまらなくて。
ほかのことなど、どうでもよくて。
でも、この恋はどこか不毛だ。
光源氏の恋も、光源氏に恋する恋も。

源氏物語から千年を記念して出された本だ。
積み続けて3年。今年度内になるべく積読本を減らして、手離してしまおうと思い、ようやく読み始めた。
テレビも見ない、ゲームもしない、ネットもしないとなると、意外と本を読めるもんだと驚くこの頃。

原作に忠実に気品のある世界を再現しているのは、松浦理英子「帚木」や島田雅彦「須磨」、日和聡子「蛍」だ。それぞれの書き手の言葉選びの巧みさや気配り、文体の美しさを読み比べることができる。
松浦さんの文章は正統派で隙がなく、原作そのままの雰囲気。島田さんの文章は品格があって、とても美しかった。どちらも忠実な訳を読んだ心地で、違和感がなく、しかも読みやすい。

日和さんの「蛍」には、物語とはどのようなものかと源氏が語る場面があり、その台詞は作家であれば格段の思いをこめずにいられないだろうと思われた。物語とは「見るにも見飽きず、聞くにも聞き捨てにできないようなこと(中略)を、心ひとつにおさめがたくて」(p.215)書かれるようになったという。
この「心ひとつにおさめがたくて」の感覚があるからこそ、自分もこうして物語ではないけれども、書き散らかさずにいられないのだと思う。

江國香織「夕顔」は、微妙。カタカナで現代にしかない単語を交えると、そこだけ浮いて見えた。現代的といえば現代的なんだが、私は違和感があるから惜しい気がする。それさえなければ、この夕顔は愛らしくて無垢、かなり魅力的だった。

桐野夏生「柏木」も、光源氏が死んだ後に女三宮が語る形を取る。女三宮は、源氏から「何度も叱られ、貶され、しているうちに、自信のない縮こまった魂の持ち主になったような気がしてならなかった」(p.137)。そんな源氏に対する反抗心から踏み切った柏木との思い出を語るのだ。この解釈は、すんなりと読みやすくてよかった。

現代に移したり、設定を大きく変えて描いているのが、角田光代「若紫」や金原ひとみ「葵」、小池昌代「浮舟」。
このアンソロジーは、これぐらい手を加えてあるものを集めてあるのだと思っていたが、意外に少なかった。
原作がどんな風に変化するのか、解釈されるのか、予想もつかない面白みがある。その期待を満足させてくれたのが、角田さんの「若紫」だった。
金原さんの「葵」は、六条が希薄になってしまって残念。
「浮舟」は中山可穂が『弱法師』で書いたものが一番好きだが、小池さんの解釈もわりと好きかも。人がひとつの面影を探し続けるなら、恋はひたすらに幻を追い求める行為に過ぎないという。なかなか切ない。

苦手なのは、町田康「末摘花」の源氏。これじゃあ、単にイタイ人……。言い回しが面白いといえば面白いけれども、源氏じゃないぃぃぃ。
でも、中年以降のぐだぐだ感たっぷりの源氏をこのノリで読んでみたいかも。玉鬘や女三宮に回し蹴られてりゃいいんだ。

六条御息所は人気が無いのかなぁ。
源氏物語のなかの数いるヒロインの中で、キャリアも体裁も外聞もプライドもかなぐり捨てて、年下の男性に入れ込んで自爆していく六条が、実は一番好きだったりする。
好きというか、自分を投影させやすいというか、親近感を持つというか。
好きな人に触れるほかのすべての女性を妬んで憎んで恨んでも、どうしても光源氏は嫌いになれない。
これじゃあ相手の気持ちを失うだけだとわかっていても止められない暴走っぷりが切なくて愛しい。
あ。もう少し可愛げあるヒロインを好きになれたら、私はもっと楽だったんじゃないかと、ふと、思い当たった。

2010.06.28

なりひらの恋:在原業平ものがたり

なりひらの恋  三田誠広 2010 PHP研究所

なりひらって……。
何度、溜め息をついたことだろう。
こんなにへにゃへにゃ男子じゃ、だめーっ。
ぐだぐだのうだうだのヘタレっぷりに、がうがう吼えたくなった。
しっかり男子がたまにヘタレるのは好物だけど、四六時中ヘタレているのはだめなのよ……。むきーっ。

「業平ではなく、なりひら」。(p.273)
作者の意図したところは、伊勢物語のエピソードと歴史的事実をすりあわせながら、「伊勢物語に『むかし男ありけり』と語られた伝説のプレイボーイの物語を、軽く、楽しく展開」(p.273)することだ。
その通りに、予想以上にさっくりと読み進むことができた。肩肘の張らない時代ものの恋愛もの。感情移入しながら読めるぐらいに、読みやすい小説だ。
歴史的な事実や人名を把握していなくとも、十分に説明がなされており、気にせずに小説として楽しむことができる。もっと把握しておきたい人には、巻末に系図も用意されている。
この時代の貴族で色男となると、当然のように和歌が出てくるが、それもわかりやすい現代語に翻案されて詠われており、すんなりとやり取りを味わうことができるだろう。
伊勢物語には手が出にくいという人にも、これならすらすらと読めることは間違いない。

ただ、あまりにもあんまりなのだ。なりひらが。
なんで、こんなにヘタレなのー。あうあう。
こういう男の子っているよね、現代にも。
顔がいいだけで、血筋もいいけれども没落決定の家系に過ぎず、身分はなく、お金はそこそこあるかもしれないけれども、意欲ははなはだ低い。
これでどうしてもてたんだ?と思っていたら、噂先行だと本人が嘆く。誘われたら断れないだけで、でも、続ける気も無いから浮名だけが残る。
厭世的というか投げやりというか後ろ向きで皮肉屋さん。女心をちっともわかっとらーんっっっ。
そのなりひらの、一番の恋の顛末は、残念ながらハッピーエンドとはならない。
なりひらの人生もまた、ハッピーだったと言えるのだろうか。言えないよね。

我が身の不遇も軽やかにいなしてしまうほどの、低意欲。
いつまで経っても、成熟や老成という言葉とは無縁の、どこか無邪気で憎めない造詣。
その不器用さが、愛しく思ってしまったのは不本意だが。
だが、無常感をそこはかとなく感じてならなかった。
気の毒な人である。

驚いたことがひとつ。
古文で習った東下りの段。若さゆえの恋の過ちの尻拭いかと思いきや、意外にも意外、わりと中年になってからのことだったのね。
最後まで、恋に生きた男性の物語であり、そのトホホっぷりを御堪能あれ。

2010.02.12

天平冥所図会

天平冥所図会  山之口洋 2007 文藝春秋

昔々の奈良に平城の都があった頃。
帯から予想された内容とは少し違って、あれれ?と思いながら読み始めた。
三笠山、正倉院、勢田大橋、宇佐八幡の4つの冥所の物語が収められている。
帯に書かれていた内容は後ろの二つの物語のことであったと気づき、途中でしばらく手が止まってしまった。

主人公は最後の葛木氏である葛木連戸主。その妻、広虫。
登場人物たちの名前が、読み慣れない音感のものが多いため、そこでも少し戸惑った。
自分で葛木の血筋は途絶えるものと思い定め、出世に囚われずに地道に役人として務めているうちに30代に入った戸主。
広虫は、吉備真備の娘である由利と共に、女儒として内裏に勤めるために状況してきた。
この二人が送る日常と冒険は、どこかゆるい空気に包まれている。ほのぼのとした景色を背景に、しかし、人の為すこと企てることは汚くて血なまぐさい。

「三笠山」は、奈良の大仏の建造にまつわる物語。そこで消費された人々の怨嗟に思いを馳せることになる。戸主と広虫の出会いの物語でもある。
「正倉院」は、私はこれが一番好きだ。夫である聖武天皇を亡くした光明皇太后に命じられて、遺物を正倉院に納めるまでの役人たちの苦労話である。政治的な駆け引きに邪魔されながらも、東大寺から派遣された写経僧たちが王羲之や欧陽詢の筆法で、献物帳を記載していく。末端の現場を担う者たちの矜持が香り立つような佳品だった。
「勢田大橋」は、ぐっと血なまぐさくなる。権勢を極めた藤原仲麻呂が起こした乱の顛末である。吉備真備も大活躍。しかして、私の印象に残ったのは東大寺お水取りの起源である。ロマンだなぁ。
そして、「宇佐八幡」。

人の怨みはいつか晴れるのか。どうやったら晴れるのか。
怨みであれども、その人のよすがが残されていて欲しいと願ってはいけまいか。
最後は、なんだか悲しい。
夫婦の情愛を軽やかな筆致で、しんみりと感じさせられた。

個人的には、もう少し、吉備真備父娘の話が読みたかったかも。作者の人の頭の中には、きっと物語があるはずだ!と思いつつ。

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