紅霞後宮物語(12)
雪村花菜 2020 富士見L文庫
中華風の王宮を舞台にしたファンタジーのなかで、主人公の小玉の年齢が高めであるところが異色だった本作。
未来において伝説のように神話のように語られるようになる小玉の、本当のところの物語というコンセプトも面白くて読み始めたシリーズだ。
既に、12巻目となった。
こう長くなってくると、読む方としてもちょっと惰性になってきたりして、読むたびにレビューを書くこともなくなっていたのだが、11巻あたりから、このシリーズは他の中華風の王宮を舞台にしたファンタジー群と一線を画したと思う。
先に「中華風の王宮を舞台にしたファンタジー」と書く時に、私の頭に浮かぶ代表作は、『彩雲国物語』であると書いておく。本屋さんで眺める限り、このジャンルはたくさんの本があると思うのだけれども、そのジャンルそのものを語ることは難しい。
活躍している女性を主人公に置きながら、少女マンガのようなきらびやかな夢物語のような活躍はコミカライズのまさに少女マンガに任せ、小説では本来作者が描きたかった実は普通の人たちであった主人公を描くところに、私は新しさを感じたのだ。
人は老いる。
若く、美しく、強く、元気で、純粋で、万能感に満ちた世界をそのまま輝かせるような終わり方をしたのが『彩雲国物語』だったと思う。私は『骸骨を乞う』がなんといっても傑作と思ってしまうのだけれども、ああいう形を取るしかなかった物語であったようにも思う。
老いる。外見も、精神も、肉体も、若いときのままではいられない。青春の輝きを失った後も、人生は続いていく。
いや、そもそもは、人は、不器用だったり、醜かったり、理不尽だったり、狡猾だったり、お世辞にも立派ではない部分を取り繕いながら生きているものだ。
そういう等身大の生々しさを、中華風の王宮を舞台にしたファンタジーのなかにぽいっと放り込んでみせたところが見事だと思ったし、容赦がないとも思った。
なにしろ、美形であるとさんざん称えられてきた文林も立派に中年として描かれている。表紙では美々しいままなのに…。
幻想を抱かれては幻滅される。
人々は勝手に幻想を抱き、勝手に幻滅していく。
読み手もまた登場人物に勝手に幻想を抱き、もしかしたら幻滅した人もいるかもしれない。
主人公たちは、すごくもないしえらくもない。もしかしたら没落しちゃうかもしれないのだろうか。
かえって、この先が気になっている。
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