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香桑の近況

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# いつもと違う日常

2017.05.20

異世界居酒屋「のぶ」三杯目

蝉川夏哉 2017 宝島社文庫

ジャンルわけするなら、食テロ小説。
読むにつけても、あれがおいしそう、これがおいしそうと、食欲を刺激されて仕方がない。
しかも、どれもが居酒屋メニュー……のはずだが、こんなに充実した居酒屋なんて滅多にない。
お稲荷様の加護を受けて、なぜか異世界で商うことになった居酒屋「のぶ」も、早くも三冊目。

今日も様々なお客さんが暖簾をくぐり、舌鼓を打つ。
そのお客さんが、だんだんと豪勢になっていき、これ以上はないような客層に恵まれている。
歴史の表舞台に立つのは問題がある店なのだが、しかし、ここで確かに歴史が動いていることを忘れるぐらい、メニューのひとつひとつがおいしそうで、お酒もおいしそうで、登場人物ひとりひとりの食べっぷり飲みっぷりにつられそうになるのだ。
のぶについての報告書を読んで、実際に訪れてしまうお嬢さんが出てくるが、気持ちは本当によくわかる。

章が短めであるので、軽く読めて、拾い読みしようとすると最後まで読みたくなる。いや、読んでしまう。
同じような毎日の繰り返しに見えて、確実に時が流れている物語だ。
登場人物たちは、転職したり、結婚したり、それぞれの人生を少しずつ進めていく。
その人間模様は心温まり、この物語の魅力は実はそちらのほうにある。

いつか、このお店がこの世界では閉じる日が来るのだろうか。
現実では、異世界には関係ないこの世界でも、永遠に続くお店なんてないけども。
御伽噺のように、いつまでもいつまでも繁盛していましたってなってほしい気がする。

改めて、食テロ小説として挙げるなら。
居酒屋「のぶ」は間違いなく個人的にはベスト3にはいる。
ほかは、高田郁『みをつくし料理帖』と、香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常』かなぁ。
でも、有川浩『植物図鑑』と、村山早紀さんの風早街サーガもおいしそうで。
ご飯がおいしそうかどうかは、私にとって大事なポイントだってことが、自分でよくわかった。

2017.04.04

ルリユール

村山早紀 2016 ポプラ文庫

タイトルの呪文のように美しい言葉は、本の修復の技術のことを意味するそうだ。
本の守護者たる魔女は、どんなに古く痛んだ本でも元通りに修復する魔法を使う。
美しい本を作り、人の心を幸せにする魔法の使い手は、本を船にたとえる。
心も技術も、遠い遠い未来まで運ぶ箱舟だ、と。

主人公の瑠璃は、少しばかり複雑な家庭事情を抱えて、少しばかりしっかりしている……いや、しっかりしようとしすぎているような中学生の女の子だ。
レモンバターのパスタや、とっておきの塩結びに甘い卵焼き、アジをカレー粉で味付けてオリーブ焼きにしたりできちゃう女の子なのだ。
祖母を訪ねて、風早の町に来て、この町に宿る魔法のひとつに出会う。
わくわくするような、どきどきするような、しんみりするような、そんな夏休みの物語だったりする。
いくつかの物語で、すでに風早の町を訪ねたことがある読書なら、彼女がどんな魔法に出会うのか、冒頭だけでもわくわくするはずだ。

4つの章と1つの掌編が収められているが、どの物語もそれぞれ魅力的で、書き留めておきたくなるような台詞があった。
ひとつずつがしっかりとした長さがあるので、ページをくるうちに次の言葉、次の台詞に惹かれてしまい、気づくとどっぷりとはまりこむ。
しかも、どの章も、少しずつ時間が重なっており、これがほんの数日のことで起きていることに気づいて驚いた。
あの場面やこの言葉と、あとで見直そうと思っても場所を見失ってしまい、また最初から読みたくなる。
図書館の本の海におぼれるような、そんな濃密な体験だ。

特に、これはもういつものことであるが、村山さんの作品に猫が出てくると、もうだめだ。
ハンカチじゃ足りない。タオルだタオル。すずなちゃんを思い出しながら、タオルほしい、といいたくなるし。
ティッシュだって箱で準備しとく必要があるぐらい、ぼろぼろ泣いてしまうのだ。
単に悲しい涙じゃなくて、心の中に溜まった澱を洗い流して綺麗にしてくれるような、そんな涙が溢れて仕方なくなる。
うちの長生きした猫さん達に話しかけられているような気持ちになって、この感想を書いているだけでも思い出し涙がこみ上げてくる。
これはもう、ほんとにもうとしか言いようがない。もう。

いつか、村山さんの異世界を舞台にしたファンタジーも読んでみたいなぁと思った。
瑠璃が扉を開けていった先の景色が、とても色鮮やかで美しくて、目の前にぱあっと広がるような感じがした。
風早の町の一連の物語はもちろん好きなのだが、それとは別に、日常とはかけ離れたどんな世界を見せてくださるのだろう、なんて、思ってしまった。
どうやら、作者の方は今後もいくつものお仕事を予定されており、また、既刊の文庫化も予定されているとのことで、風早町のいろんな路地やお店に遊びに行く機会がまだまだ続きそうである。
太郎さんはどうなったの、とか。七匹の魔神たちには、白雪姫の七人の小人たちのように、名前がついてそう、とか。
想像は膨らむけれど、続きは気になるけれども、きっとこの町のどこかで出会うのだろうと、楽しみにしてのんびりと待ち構えてみようと思う。

易しい、ではなく、優しい言葉遣いに、ささくれだっていた心が、読むうちに穏やかに凪いで行くいく。
いくつも、悲しい出来事があった。いろんな、苦しい出来事があった。
悔しいことも、嫌なことも、腹が立つことも、寂しいことも、いっぱいあった。
きっと、この本は、読み手の思いをいっぱい吸い込んで、一緒に未来まで運んでくれるだろう。
いつか、綺麗で優しい思い出に変わる。そんな未来まで。

2016.12.27

花咲家の人々

村山早紀 2012 徳間文庫

風早町にひっそりと住む、ある家族の物語。
植物と会話することができる一族だが、その力は知る人ぞ知るものだ。
風早町は村山さんのいくつもの作品の舞台となっている町だから、そんな力を持つ一族が普通に住んでいてもおかしくない。
町も、そこに住む人も、不思議なことには懐が広いのだ。

おとぎ話のように、読んでいる間、穏やかな時間が過ぎてゆく。
老いていく人々や、死んでいった人々との出会いが心に残る。
不思議な力を持っている一族であっても、時間は同じように流れていく。
どれほど不思議な力をもってしても、老病死から救えるわけではない。

けれども。
老病死と老病死苦とは違うんだなぁ、と、これを書きながら気づいた。
三角屋のおじいさん、かっこよかったなぁ。
老いてこそなしとげられることがあり、病を得てこそ気づけることがあり、死んでもなお残せるものがあるとするなら、それはただただ苦しいものではなくなるような気がする。
しんみりとはするけれども、逃げ出したいほどの、でも、逃げ出すことのできない苦しみが、もっと透明で美しい色彩のものに塗り替えられるような魔法を感じた。
春の庭の女王とばかりに咲き誇る桜や、ベンチを綺麗な彩りで特等席に変えるバラや、冬の庭を飾るクリスマスローズに。

植物は自ら動くことはないけれども、心はあるのかもしれない。
村山さんの作品では、これまでも植物が魔法の担い手としてちょくちょく登場してきたが、このシリーズではそんな植物たちが重要な役割を果たす。
花咲家の人々が、人々と植物の間に立って、これからどのような物語を紡いでいくのかを楽しみにしたい。

それだけではなく、『みどりのゆび』や『ライオンと魔女』といった古典の童話が出てくるのも、読書しながら育った人には楽しみになると思う。
ここからどんな本であるか、手を伸ばす人がいあたら、それも素敵な魔法。

風早町が舞台なだけに、そこでコンビニたそがれ堂の出番ですよ! 三郎さん、助けてあげてぇ~と、ついつい思ってしまうこともあった。
それは、私が最初に読んだ村山さんの作品が、コンビニたそがれ堂だったからなんだろうな。

2016.12.06

コンビニたそがれ堂:祝福の庭

村山早紀 2016 ポプラ文庫ピュアフル

あの三郎さんが帰ってきた。表紙に描かれた賑やかな店内に、にっこりと立っている。
魔法のコンビには通常営業。銀の髪と金色の目をした店長さんがいることに、ほっとした。
おでんとお稲荷さんが美味しくて、最近はコーヒーもフラスコで淹れてくれる。甘酒のこともある。
近頃は、素敵な着物をまとったねここさんがアシスタントに入ることも増えてきたようだ。

洋服屋さんで働く販売員の女の子。かつてはデザイナーを夢見ていた。
母親を元気付けたくて、往年の大漫画家に会いに行く小学生の女の子。
父親と同じように芸人になりたくて、でもなかなか売れなくて、相方である幼馴染にも後ろめたく感じるようになった男の子。

3つの物語はどれもクリスマスの時期にぴったり。
寂しいだけ、悲しいだけの物語ではないのに、なんでこんなにほろりとくるのだろう。
夢は叶うかもしれない。叶わない夢もあるけれど、形を変えて叶うこともある。
誰かから贈り物をしてもらえたら嬉しいけど、きっと贈るほうも嬉しいんだよって教えてくれる。
自分が誰かに何かしてあげることができること。それを喜びたい気持ちでいっぱいになる。
それが、きっとこの冬一番の魔法だろうと思ったのだ。

あとがきを読んで、こういうことってあるあると思った。
自分が仕事で関わってきた人たちが、思いがけず、当たり前のことであるが、思いがけず、大人になっていて再会したときの喜びとか。
ふとした瞬間に、過去のこれまでの自分の仕事が、やってよかったこともあったのだと教えてもらえる喜びとか。
私はこの人たちを守っているつもりで、かえって支えられているんだなぁって、ほんのりと胸が温まる瞬間を思い出した。
愛されているなぁとおずおずと認めざるを得なくなる時の、面映いような、たまらない幸せな瞬間があるのだ。
さあ、今年もクリスマスのプレゼントを用意しなくちゃ。ね?

2016.11.11

f植物園の巣穴

梨木香歩 2012 朝日文庫

主人公は園丁で、植物園に勤務している。
いくつも出てくる草木を、それとわからぬ時には、一つ一つ調べながら読み進めた。
戦前の文学を読んでいるかのような文体に、一度目は途中で投げ出した本だった。
久しぶりに取り出して読み始めた時、丁寧に草木を調べながら、景色を思い浮かべるようにしてみた。
梨木さんの文章に無駄がないように思う。
だから、わからないところを飛ばすのではなく、一つ一つ立ち止まりながら、主人公が迷いこんだ町を歩いてみようと思ったのだ。

萩原朔太郎『猫町』や、宮沢賢治が描くような、現実から地続きの異世界を思い出す。
もしくは、ジブリの『千と千尋の神隠し』。
先ほどまでは普通の現実の世界だったのに、自分でも気づかぬうちに幻想の世界をさまよっているのだ。
気づいていないから、いつも通りの行動をとろうとする自分。
しかし、いつも通りにはありえないことが次に次に起きる。
人の頭が雌鳥に見えたり、歯科医の家内の前世が犬だったり、お稲荷様が世話を焼いてくださったり。

これは夢の世界。
夢の中では、不思議なことがよく起こる。
情報が圧縮されて、自分の中で似ているものが重なり合ったり、違う姿で現されたりする。
人は自分の心を守るためにさまざまな防衛をしている。
自分に都合が悪いことは、別のものに置き換えて記憶されていたりする。
意識は、だから自分の無意識にしまったものをすっかり忘れていることもある。
夢の中で、人は記憶を整理する。
意識では処理しきれないも痛手を、無意識が解決しようと、何度も何度もトライする。
ほったらかしにしたら心が立ち行かなくなるような失敗も、夢の中なら安全に扱える。
そうやって処理していく過程だと気づいた時から、物語の不思議がすうっと私自身になじんだ気がする。
夢/無意識の中で起きる現象を、上手に取り入れて、かつ、表現された物語だった。

解説の通り、読み終えてから再び冒頭に戻って読み始めると、さまざまな小さな単語やエピソードが、実は全体を暗示する象徴であったことがわかる。
理性と知性が幾重にも防衛した奥底に流れる川は時間であり、無意識である。
時間を正しくさかのぼり、正しい流れにすることを、心が求めていたのだろう。
もう記憶を迂回をしなくても、正しい流れになる日が来たと知っていたのだろう。
静かな感動がひたひたと胸に溢れてくるような物語だった。

大きな悲しみを味わったことのある人の、心の過程をこれほど美しく描いてあるとは。
ずっとほったらかしにしたことを、もったいないことをしたと思ったが、これも今だから味わえたことと思うことにしたい。

2016.04.25

コンビニたそがれ堂 神無月のころ

村山早紀 2015 ポプラ文庫ピュアフル

村山さんの本で猫が出てくると泣きます。
猫が出ていなくても結局は泣いちゃうんですが。
猫が出てきたら間違いなく泣きます。どうしても泣きます。
ハンカチじゃたりません。タオルもってこーい。

前巻の『空の童話』が大作だっただけに、ひょっとしたらシリーズの締めくくりではないかと思っていました。
この本では、表紙も代わり、今までとは少し違う雰囲気で始まります。
神無月なだけに店長はお留守。代わりにお店を開けているアルバイトは、猫のあやかしのねここ。
一冊丸ごと、ねここが接客するお話ばかりだけに、最初の最初から猫の話。
読み始めて数ページで滂沱の涙を流すことになりました。

決して、悲しいわけじゃないんですけどね。
泣いてすっきりして、少し背筋をしゃんとするような物語。
働く女性にも優しい物語が多くて、たくさんの慰めや励ましがつまっています。

電車の中で読んだことだけが、間違いでした。
後輩の結婚式のお出かけで、行きに読むのはやめておいたのですが、帰りでもやっぱりだめなものはだめです。
泣いちゃう。

村山さんはですます調の柔らかい言葉で物語を紡ぐ方なので、感想もですます調になっちゃった。

2016.04.05

鬼談百景

小野不由美 2015 角川文庫

99の鬼談、怪談を集めた一冊。
稲川淳二氏の解説をあわせて、ちょうど百物語になる。

一つ一つは、とても短い。
1ページから4ページほどで、一つ一つはするりと読める。
しかし、それが99も積み重なると、なかなかの読みでがあった。

長さもであるが、内容的にも、緩急使い分けられている気がして飽きなかった。
数編を読んでは置き、数日あけてはまた読むという具合に、ゆっくりと味わっていった。
一気に読むには、怖くなってしまったから、というのもある。

最初の数編は、さほど怖くもなかったのであるが、積み重なるにつれて、ひたひたと近寄ってくるように怖さも積み重なっていった。
『残穢』に活かされたのだなぁと思うような短編もあったり、解説者に縁があるようなものもあったり。
解説に寄れば読者からの手紙を元に編纂したとのことであるし、よくよく考えれば『残穢』と同時に刊行だったか。
もともとは、100番目こそが『残穢』だったわけである。そういうやり方をされると、『残穢』がより一層、怖くなるではないか。

原因もわからず、結果もわからない。切り取られた不条理。
夜中の物音、一人で過ごす時の周りの気配に、妙に過敏になるから困る。
背筋がぞわっとして、妙に緊張する。もしかしてと想像力が滑り出す。
この読後感は、ホラーではない。まさに、怪談。
こういうところが、小野不由美さんらしい持ち味だと思う。

しばらく、風呂の時間にぞわっとしそうである。
なにしろ、物音がするのだ。風も吹いていないのに。

2016.03.31

貸出禁止のたまゆら図書館

一石月下 2015 富士見L文庫

本に憑いたあやかしを書妖という。
もともとは独立していたあやかしが、力が弱まった時に本に寄生して存在を維持する。
本を読んだ人間の思いだけを糧にするために。
そんなあやかしの取り憑いた本ばかりが集まった図書館。

自分の居場所を見つけられず、自分の存在の意義も必要性もあやふやな年頃というものがある。
それはもう誰しもが通る道ではあるのだけれども、居場所を人の間に見つけることがうまくいかないことがある。なじみたくないこともある。
他の誰でもない自分だけを見て欲しい。見つけて欲しい。認めて欲しい。欲して欲しい。
自分だから、自分こそが、自分であること以外に理由なく、ただ自分を見て欲しい。
そんな気持ちをひりひりと感じている少女が主人公だ。
著者が幻想的なものを詰め込んだという本書は、そんな心を持っていたり、持っていた記憶が鮮明な人に、優しく寄り添う物語になっている。
少女が出会うのは少年ではなく、書妖なのだが。

誰か一人でも自分を必要としてくれたなら、この孤独がぬぐわれるのかもしれない。
誰か一人でも自分を理解してくれたのなら、この苦痛がやわらぐのだと信じている。
誰か一人でも自分を受容してくれるとしたら、自分はきっともっと変わっていくことができるだろう。

きっと、相手を必要としているのはお互い様なのだ。
いつも必ず、そこに行けば会える。そこで待っていてくれる。そこに来てくれる。
そのいつも必ずという喜びを伝える物語が紡がれていく。

十代の青少年にとって貴重な隠れ家となる意味で、香月日輪の『妖怪アパートの幽雅な日常』を即座に思い出した。
日常にあやかしたちがざわめいている風合いは、緑川ゆき『夏目友人帳』も随分と知られていることだろう。
不思議な建物の中にまつわる幻想的な世界という色合いは、村山早紀の『コンビニたそがれ堂』の印象もある。特に、きつね繋がりという点でも。
古典をいくつか引き合いに出して絡めながら物語を進めるところは、三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖』を連想した。
書き手は読み手であり、なにかの影響を受けずにいることはありえないが、なににも似ていないこの物語だけの魅力が、この先、花開くといいなぁ。

ラスト、主人公が急に大人びてしまって、少し戸惑った。
主人公が一生懸命な子だから。
がんばりすぎて、不幸な方向にまっしぐらにならないといいなぁとも思いつつ。
少女と書妖の出会いを描く本書は、この先、いくらでも膨らんでいきそうな可能性を持っている。

2016.03.08

烏は主を選ばない

阿部智里 2015 文春文庫

前作を読んであまりにも面白く、すぐに買い足した。
出版社にも在庫がないという売れ行きのようだ。いいことだ。

構成の段階では、前作『烏に単は似合わない』とあわせて一冊だったそうで、物語は表裏一体をなしている。
前作が次の金烏の后がねである姫君たちの物語であった。
前作ではほとんどといって出番がなかった次の金烏である若宮が、その頃、なにをやっていたのか、彼の不可解の行動や態度を描くのが本作になる。

まさか、こんなことになっていたとは。
あの時はああだったこうだったというのが組み合わさっていくような構成も見事であるし、もともとそう組み立てられていただけあって、破綻することがない。
しかも、前作は姫君たちの華やかな足の引っ張りあいが招いた宮廷ミステリとなっていたが、本作は政治の駆け引きの渦中に巻き込まれた少年の成長物語となっている。
姫たちが人工的な人形のような仮面のような美しさを競い合っていたのに対して、少年は活き活きとした心の動きを見せてくれる。
その少年もただのぼんくら次男坊ではなかったという、ある種の正体がばれるところは両者共通であるが。
その点、烏太夫がここにもいたか、と後から気づく。

片や姫の物語。片や少年の物語。
片や城内の物語。片や城外の物語。
片や卑しい血筋を秘める物語。片や貴い血筋を隠す物語。
両者の対比が見事であり、これは是非、一対としてあわせて読むべきだと主張しておく。
本当に面白かった。ぐいぐい引き込まれて、あっという間に読みおおせた。それどころか、読み上げてからしばらく、どちらの本も振り返りたくなる。
ここまで隙がなく世界を築き上げた作者の筆巧者ぶりに脱帽である。
続きを読みたい!

2015.07.06

黄泉坂案内人

仁木英之 1994 角川文庫

これは好きだなぁ。
小説の感想を頭の中でまとめる時、どんな本を読んでいる人に勧めたらいいだろう?という視点で考えてみる。
この本の世界は、香月日輪さんの妖怪アパートに似ている。少し懐かしい景色と美味しいご飯、生活の中に当たり前のように存在する妖達。
この本の世界は、恩田陸さんの常野物語にも通底しているようにも思えるし、村山早紀さんの風早町シリーズのような優しい空気が流れている。

この世とあの世の境。
六道の辻のある辺り。
黄泉坂を上った先、川の手前に、その集落はある。
かつて奈良県にあったという入日村。玉置神社に見守られる山裾の村だ。
村長大国の取り仕切るもと、村人達は黄泉坂を上りかねている人を励ましてきた。
成仏しきれない魂はマヨイダマとなってしまうから、そうならないように成仏を手伝ってきた。
そんな村に、主人公は引っ張り込まれる。名前まで盗まれて。
この世とあの世を繋ぐ案内人になるように。

道案内をする三本足の烏は、やったんというからには、八咫烏に違いあるまい。
鍛冶の神様であり、特別製のクラシックカーまで作り出したのは、だいだらぼっち。
河童が釣竿を肩にかついで道を歩き、神社の禰宜を天狗が勤める。
神様と妖たちと共存する世界で、主人公のハヤさんはこの世に残した妻と娘を思いながら、死者たちの心残りに触れていくのだ。
その死者一人一人のドラマが、どれもまた珠玉の味わいで、しんみりとしたり、ほろりとしたり。
けれども、ハヤ君の相棒を勤める彩葉という元気のよい少女のおかげで、決して暗くはない。

この二人の名コンビの設定でいくらでも死者達のドラマをつむげそうなものを、作者はそうしなかった。
これはこれで終わり。続巻は彩葉の物語になるようだ。
言い尽くさなかったところに、想像の余地が残るのもよいと思う。切ないけれど。
ハヤさんの物語として読むと、大好きな山之口洋さんの『天平冥所図会』を思い出した。
要は、とても私の好みの本だったということ。

自分が最後にひとつ、思い残すとしたらなんだろう。

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