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香桑の近況

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# いつもと違う日常

2023.05.01

不思議カフェ NEKOMIMI

村山早紀 2023 小学館

どうしよう。どうしよう。どうなってしまうんだろう。
本を読みながら手に汗を握る。
心配で、どきどきして、一旦、本を閉じて、ふーっと息を吐く。

最初のたったの30ページ。
主人公と一緒になってどきどきするな、主人公が心配になってどきどきするような読書を、久しぶりに味わった。
こんなに真剣にどきどきするのは、もしかしたら、子どもの時以来ではないかと思うほど。
心配になりすぎて、先が読めなくなった。デジタルで拝読できるゲラでは。

改めて、紙の本になってから、「これはまだ物語の序盤」と自分に言い聞かせながら、先に進んだ。
そして、びっくりした。この先、どうなるの!?
魔法の始まりは、そんな風に先の読めない始まり方をしている。

律子さんとメロディ。
リズムとメロディは一体となって音楽を紡ぐ。
時折、流れてくるのは、ショパンさんのピアノの音。
子ども達の明るい笑い声。軽やかな足音。小さな悲鳴。
聞こえない声で語りかけ続ける、人ではない者たち。

村山さんの小説には、お雛様が登場することがある。
村山さんが描くお雛様は、女の子の友達である。
女の子を愛し、女の子を喜ばせようとして一生懸命に旅をする、そういうひたむきな味方である。
彼らは小さな脆い体で、美しいはずの衣装をぼろぼろにしても、約束を守ろうと旅をする。
その様は愛しくて愛しくてたまらなくなる。

この本を読んでいた前後、母が、ふと、「なんで我が家はお雛様を飾らなくなったのだろうか」と問いかけてきた。
なにかきっかけがあったわけではないのだが、私の中にぱっと浮かんだことをそのまま答えた。
「私があまり喜ばなかったからじゃない?」

我が家には、お雛様とお内裏様の二人だけの雛飾りがある。
大きくてしっかりとした、古典的な顔立ちの二人だったように淡く憶えている。
ところが、私は幼い時から、人形というものが苦手であった。
お菊人形であるとか、人形といえば怖がらせる話を早くから聞かされていたようにも思うし、リアルになればなるほど、怖くて苦手だった。
人間と似ているほうが怖い。動物のぬいぐるみは好きだった。
キャラクターものは、まだ少ない時代であるし、裕福ではない我が家とは疎遠だった。
動物であるか、デフォルメされているといいのだが、人間に近いほど、怖い。電気を消したら動き出しそうで怖い。見られている感じがして怖い。目線が怖くて、苦手だった。
だから、お雛様も、あんまり好きになれなかったのだと思う。せっかく親が買ってくれた雛飾りだったのに。

それはまだ3月3日の前だったので、母が「飾ってみようか?」と言った。
何十年ぶりのことだろう。そもそも、仕舞い場所はわかっているのだろうか。
仕舞いっぱなしで、色褪せたり、しみがついたり、なにか汚れていたら悲しい気がして、それを見て確かめることはためらわれた。
だから、「うちには猫がいるから、やめとき」と返事をした。
猫が遊んで振り回してひどいことになってしまったお雛様の写真が、目に浮かんだから。

せっかく親が買ってくれた雛飾りだったのに。
あのお雛様とお内裏様も、私の友達、私の味方として、ずっと待っていてくれているのだろうか。
今、見たら、衣装の美しさに感嘆し、小さいのに丁寧に作られた顔立ちや手の細工に驚嘆し、にっこりとした笑顔で眺めることができるのだろうか。
村山さんの小説を読んだ後に、あのお雛様たちと出会っていたら、最初からわくわくしながら雛飾りを飾り、一年に一度の再会を喜べたのかもしれない。
そう思うと、大きな損をしてきたような思いがした。

世界は、にんげんを愛している。
村山さんの物語は、その愛に気づくきっかけをくれる。
だから、揺り動かされては涙し、優しい気持ちで閉じることができるのだと思った。

2022.03.12

桜風堂夢ものがたり

村山早紀 2022 PHP研究所

「会いたかったひとに会える奇跡」があるなら、あなたは誰に会いたいですか?

帯を読んだ時に、ふっととあるツイートのことを思い出した。
亡くなった人と話ができるという「風の電話」と呼ばれる電話ボックスがあるという。
このツイートを見たときから、私は誰と話したいだろう?と考え続けている。
もう一度、出会えるなら、私は誰と会いたいだろう。

もう一度、会いたい人をぱっと思い浮かべられないことは、幸いなことなのかもしれない。
私が同居する家族と死別していないからこそ、思い浮かばないのではないかと思うからだ。
確かに、大学や大学院の指導教授に今を伝えたい気持ちもある。この世にはいない親戚たちもいる。すれちがったままになってしまった、かつての友人とか。
でも、それよりも、私は今はまだ共に過ごしている家族やパートナーと別れてからのほうが堪えるだろうし、その時にこういう祈りを必要とするのではないかと思うのだ。

『桜風堂夢ものがたり』は、本屋大賞にノミネートされた『桜風堂ものがたり』の素敵なスピンアウトだ。
桜風堂店主の孫である透の秋の日の冒険を描いた「秋の会談」。ここで透はずっと読みたかった本と出会う。
少年たちのちょっと無謀な冒険はどきどきする。仲良し三人組で冒険するなんて、そういう連作の子ども向けの有名の物語があったことを思い出す。
こういうお互いに特別に思うような仲間を得られることは、それ自体がとても幸せなことのように思う。
誰かが何かを望んだら、仲間は協力し合うものなのだ。だって、仲間なんだもん。
童心にかえる思いで冒険譚を読み、三度ぐらい読み返してから、やっと次の章に進んだ。

「夏の迷子」の主人公は、銀河堂書店の店長の柳田六郎太。私のお気に入りの人物のひとり。
その人が迷子になっている。かなりしっかりと遭難してしまったらしい。
ぱらりと開いて見えてしまった文字に展開が心配で、なかなか読み始めることができなかったのが、この二つ目の物語だ。
村山さんの物語はハッピーなものも多いけれども、人が死ぬときには死んじゃうので、絶対に大丈夫だと安心できない。
もしや、柳田店長が帰らぬ人になるのではないかと思うと心配で、読むのが怖かったのである。
いろんな意味で、ひやひやが止まらず、最後まで読んでも信用できなくて安心できなかった。

そして、安堵したのもつかの間、「子狐の手紙」で追い打ちをかけられた。涙腺が。
この短編の主人公は、三神渚砂だ。有能でかっこいい、若きカリスマ書店員。彼女もとても魅力的で、大好き。きっと、ファンも多いはず。
彼女は家族関係で苦労があったことは、これまでのシリーズの中でも登場しており、別れたままの父親と折り合いがつかないままになっていることが、読み手としても気になっていた。
満を持しての父親との邂逅は、私のほうが号泣しまくるような感動的なものだった。
これはいかんですよ。泣きますよ。普通、泣くって。
ティッシュペーパーじゃなくて、タオル推奨です。
渚砂ちゃん、よかったなぁ…。

そして、『灯台守』。
夢のような美しい物語。
儚い、けれども、信じる者には確かに「在る」ものを思い出させてくれる、美しい物語だった。

春夏秋冬にちなむような短編であるが、季節の順に並んでいないこともよかった。
桜野町の一年間ではなく、おりおりに触れての物語という風に読むことができたらから。
本を開けば、いつでも桜風堂に行くことができる。
今はその奇跡だけで、私には十分である。
三毛猫のアリスがおり、オウムの船長がいる、素敵な素敵な本屋さん。
物語のひとつひとつが、世の光となって灯し続ける、その世界を感じることができるだけで、今は十分である。

人間たちが、不幸な方へ行かないように。孤独な想いを抱かないように。
人間というものは、ほんとうには孤独ではないときも、ひとりぼっちだと思い込んで、うつむいてしまうから。誰かの優しい眼差しで見つめられていても、気づかないから。(pp.243-244)

願わくば、遠くで戦火に追われている人々の心にも、ひと時恐怖を忘れ、希望を思い出し、勇気を奮い立たせる、そんな灯となる物語が傍らにありますように。
優しさと安らぎを思い出す、猫のぬくもりにも似た、そんな灯となる物語が、だれの傍らにもありますように。

2021.06.15

コンビニたそがれ堂異聞:千夜一夜

村山早紀 2021 ポプラ文庫

久しぶりに三郎さんに会える本だ。
2020年の春からの記憶をくっきりと刻み込んだ本だ。
風早神社の娘である沙也加を主人公にして、いつもと少し違う日々が始まる。
欲しいものは欲しいと言わないように我慢してきて、欲しいものがわからなくなってきた人に、ぴったりの魔法の本だ。

ワクチンの接種が進むようになった今から思うと、やはり去年の春はとても追い詰められた気分でしんどかったように思う。
人の死が数として積み上げられて、いつ我が家にも襲い掛かるのではないかと、生きた心地がしなかった。
油断や慣れもあるとは思うけれども、その時に比べると格段と落ち着いたと思う。
相変わらず、あれもダメこれもダメで息詰まる感じはあるのだけれど。

その一年の違いはあるけれど、これは今の物語。
心が疲れた人に、いっぱいのお茶のように、そっと手渡したい物語。
優しい魔法を手にしてほしい。

*****

道路で、時々、事故にあった動物を見つける。
自分が猫が好きなせいもあるのか、猫が事故に遭いやすいのか、猫をみかけては、胸を押さえてうめいてしまう。
猫だけじゃなくて、狸だったり、イタチだったり、鳩だったり、鶏だったり…。
車を止めることはできないし、拾ってあげることはできないし、通り過ぎるしかないことが多い。
せめて道路緊急ダイヤル(#9910)に電話させていただいたことはある。

私は昔から、動物が好きだった。
うにょうにょしたものは苦手なので、虫の仲間はどうしても仲良くなれる気がしないのだが、クラスメートの顔と名前は覚えられないのに、鳥の図鑑ならいくらでも覚えることができた。
自然のこと、環境のこと、いつの間にか興味を持つようになると同時に、人でいることが申し訳ない気持ちになるようになった。
人だって地球に間借りしているだけのことなのに、なんで我が物顔にしているのだろうと不思議になる。

事故ではなくて、もっと故意に動物を殺した話を見聞きすると、何年も忘れられなくて苦しい。
少年たちが公園で抱卵中の白鳥を面白がって棒で殴り殺した話。
弓矢で追われて禁漁区から出てしまったところを殺されたセシルというライオン。
盆栽を倒したことに激高した男性に車のバンパーにしばられて何キロもひきずられて殺された猫のこと。
なんで、そんなにひどいことができるのだろう。
痛かったろう。怖かったろう。悲しかったろう。つらかったろう。腹が立っただろうか。びっくりしているうちに殺されたのだろうか。
せめて、苦しみが短く、少なかったのならいいのに。

人はとても残酷で、ひどいことを平気でする部分をもっている。
自分では手を汚すことはなくとも、興味本位で映像や文章を楽しむ人もいる。
自分には関係ないことだと割り切って、平然と受け流して忘れられる人もいる。
私は少し、割り切ることがへたくそなのだと思う。
すべての動物をすくうことができないといさめられたこともあるが、それでも、苦しくて苦しくて申し訳なくてたまらない気持ちになる。
今、冷房をつけて、電力を消費していることも、白クマさんにごめんなさいだったり、風力発電の風車に翼を切り落とされたワシさんにごめんなさいだったり、するのだもの。

だから、つばめたちが、主人公に助けられたことを歌い継いでいるのなら、なんて素敵なことなのだろうと涙が出た。
自分たち一族の英雄として、そういう素晴らしい人間がこの町にいるのだと誇らしく歌い継いでいるなんて。
そんな風に鳥の歌声を思い描いたことがなくて、涙があふれた。
村山さんの作品は、神様も、あやかしのねここも、猫たちも、そのほかの生き物も、この世界と人間を愛している。
人でいることが苦しくなったときに、人であることを許してくれるから、だから、泣けてしまうのだと思った。

2021.04.22

見守るもの:千蔵呪物目録3

佐藤さくら 2021 創元推理文庫

書き出しがいい。
プロローグから、凄みがある。びりびりと空気が緊張をはらむ。

この世界のどこかに自分を認めてくれる人がいないだろうかと、自分と同じような苦しみを抱いている人がいて、自分を見つけてくれないだろうかと、ばかみたいな期待を抱くのを、やめられないのだ。(p.11)

絶望を繰り返しても何度も期待を持つ。
こんな思いを知っている人の手に、そっと渡したくなる一冊だった。

佐藤さくらさんという作家は、『魔導の系譜』を含む「真理の織り手」シリーズでは、識字障害や発達障害、性的マイノリティなど、様々な生きづらさを抱えている人々を、そこにいることが当たり前の一人として描いてきた。
「千蔵呪物目録」でも、人間ではないものになってしまった朱鷺と冬二をめぐる物語であり、呪物によって人生を少なからずゆがめられた人々が登場する。

この『見守るもの』の蓮香は、ぱっと見は、ひきこもりに見える。
蓮香の苦しみを描き出すときの、作者の筆致には迫力がある。
このままじゃいけないことはわかっている。自分でもわかっている。誰よりもわかっている。

震える手で履歴書にペンを置いて、緊張と不安のせいで込み上げてくる吐き気と戦いながら書き上げたとき、その空白に打ちのめらされた。
蓮香は職歴もなく、なんの資格も持たず、運転免許すら持たない。自己をPRすることなどひとつもない。普通の人が当たり前にできていることが、なにひとつできない。そもそもこの世を生きていく資格がないように思える。
履歴書に生まれた空白は、それを物語っているようだった。(pp.135-136)

呪物のせいでこのようになってしまったのか。
それとも、このような性質であったから、呪物に選ばれたのか。
呪いを精神病理に置き換えて理解しようとしたとき、たまらなく胸を締め付けられた。
ひきこもらざるをえない人が、このままではいけないとはわかっていても、そのひきこもることを手放すしんどさが生じることがある。
症状がその人の一部となり、場合によっては支えや守りになってさえいる。その苦しみをよくここまで文字化したものだと思う。
ひきこもりだけではなく、依存症や強迫症、摂食障害など、様々な疾患や障害の、手放すことのためらいと折り重なった。

そのような苦しさを書きぬくだけではなく、この中には、愛しくてきれいなものもいっぱい散りばめられている。
それは、人という道理を外れてしまった朱鷺や冬二を、人につなぎとめているものになっているのではないだろうか。
小さな親切や、ささやかな好奇心や、感謝や賞賛。
自分を自分たらしめるものはなんであるのかを考えさせ、そこに自分を自分として承認するひとのまなざしが必要であることに気づかせる。

このシリーズはこの3冊目で完結とのこと。
シリーズを通じて、呪物というアイテムに込められた「祈りが呪いに変わる」ことを扱いながら、「人と人でないものの境界線はあるのか」を問うものとなっていった。
2巻で登場した神から人になろうとしつつある少女の鈴、3巻ではなんとも優しく穏やかで美しい人形の華さん、そして、朱鷺と冬二を並べたときに、人とは何であろうか?という問いが徐々に浮かび上がってきた。
人ではないものたちから人であることを照射するような、この続きを読みたいなぁ。

私は作者の描き出す世界やその世界に仕組みにも愛着を感じるが、どろどろとした感情や思考を伴う生々しい人物たちの、それでも生きていく不器用なしぶとさに魅力を感じている。
傷だらけになりながら、それでも、生き延びていく。
希望の光が見えない時でも、やるしかないじゃないかと闇をかき分けて進むような力強さを感じて、励まされるような、励ましたくなるような思いになるのだ。
本人には見えていないかもしれないが、それがこの人の輝きであるように思うのだ。

最後にもう一点。
この「見守るもの」を読んでいると、村山早紀さんをふっと想起することがあった。
人形というモチーフが、私の中で両者をつなげたのかもしれないが、考え直してみると、もっと大きなところでつながっているような気がした。
それは、彼ら人ではないものが、人をとても愛している、というところである。

2020.12.15

神様のお膳:毎日食べたい江戸ごはん

タカナシ 2021年1月20日 マイクロマガジン社

当たり前の日常を難なく生き延びる道からずり落ちるように、少しずつうまくいかないことが積み重なって、生きることが苦しくなる。
そんな時、主人公の璃子が就職することができたのが、神様の営むお宿だったという、少し不思議な物語。
従業員も、お客さんも、一風変わった存在達で、登場人物には人間のほうが少ないくらいだ。
人間の世界に疲れた読者にも、璃子がふるまう美味しそうなお料理や、人ではないから義理堅い存在達が、愛しく思える時間になるだろう。
お料理のレシピは江戸時代のものを現代風にアレンジしているのだが、試そうと思ったらできそうな感じにアレンジしてあるところも魅力。

お正月に読むのにぴったりじゃないかな。
三社参りがわりの読書にどうぞ。

#神様のお膳 #NetGalleyJP 

2020.11.21

願いの桜:千蔵呪物目録2

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

呪いと祈りは表裏一体。
物に託された気持ちが強すぎる時、周りにも影響を与えるような呪物になる。
その呪物を集めていた家が襲撃され、呪物が散逸してしまった。

前作とは違う町の中学校で、いつもと違う変わったことが起きている。
中学校は、複数の小学校から進学してくることが多く、出身校によって体験や雰囲気が異なることもあって、途端に居心地の悪さを感じる子たちがいる。
生真面目なたちの亜咲美も、中学校の教室に居心地の悪さを感じている1年生だった。
この教室の様子であるとか、なじみ切れない居心地の悪さであるとか、著者がこれぐらいの少年少女たちをよく理解していると感じた。

物語を連れてくるのは亜咲美であるが、一族が管理していた呪物を集め直している朱鷺と冬二との間を繋ぐのは、朱鷺とは昔馴染みの骨董屋である。
さらさらと流れるように読みやすい物語だったのであるが、こうして説明を書いてみようと思うと、登場人物も多く、粗筋も一筋縄ではいかない複雑さに気づく。
最初に出てきた登場人物からまっすぐ物語が進まずに、斜めにスライドしていくようなイメージ。
スライドしていくのが疾走感があり、それが物語に引き込む仕掛けのように作用しているのかもしれない。

気づくと、戦後の荒廃を見失った現代的な景色のなかに立ち尽くす。
人々が精いっぱい、町を守りたいと祈りをこめて、よかれと思ってしたことが、時の流れのなかで失われた後、どうなっていくのだろう。
このシリーズだから紡げる景色が、まだまだあるような気がする。

それにしても、もふもふのでっかい犬にだきつく幼女のイラストは反則だろー。
というか、私もにーさんにやりたいぞー。いいなぁいいなぁ。
にーさんモテモテでよかったなぁ。
ねーさん、ちょっぴり不憫ね。本人は気にしてないだろうけど。

2020.08.03

満月珈琲店の星詠み

望月麻衣・桜田千尋 2020 文春文庫

Twitterで見たそのイラストがとても魅力的で、すぐにそのアカウント、桜田千尋さん(@ChihiroSAKURADA)さんをフォローした。
疲れた人の前にあらわれるトレーラーカフェ。店長のふっくらとした猫の穏やかな表情と、美しい空。
夜明けになると閉店し、いずこともなく消えていく、そんなお店。
そのコンセプトだけで、十分に物語を感じることができる。
やがて、次々に天空や星空にちなんだメニューのイラストも紹介されるにつれて、そのお店がないことのほうが不思議になるような存在感を感じている人もいるのではないか。私のほかにも。

その満月珈琲店が小説化されたものが、本作になる。
京都を舞台にした、優しい物語となっていた。
最初は京都の街中の、あのぎゅっと凝縮したような空間のどこに、星空の広がるカフェを登場させるのかがわからなかったが、そこはそこ。
二条のあたり、木屋町でとか、かつて歩き回った地名がそこここに出て来て、それもまた、私には懐かしい思いがした。
伏見桃山は二年前だったか。研修で行ったところであるし。暑い暑い日、御香宮の前を通って、名前の美しさにうっとりしたこともよく憶えている。

もとのイラストから浮かぶイメージに、星詠みという占星術の要素を加えてあるところが、なかなか興味深かった。
思わず、自分のホロスコープを調べてしまったりしたぐらい。

人生に迷っている人に、星が未来を示し、おいしいスイーツやドリンクが元気を与える。
こういうお店に私は行きたい。

2020.05.21

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

少女の鏡:千蔵呪物目録1

佐藤さくら 2020 創元推理文庫

2つの物語が語られる。
1つは現代を舞台にしており、美弥という少女と鏡の物語。
そこに2つめの物語が絡まる。100年前のとある村の物語。少年と大型犬の物語だ。
長くはないページ数のなかで、長い長い物語が紡がれている。

この中には、いくつもの呪いの作法が出てくる。
名づけのまじないであったり、血筋のまじないであったり、まじないであり、のろいであるものが散りばめられたファンタジーだ。
朱鷺という少年の名前が、それがもう、のろいであり、まじないであり、つまりは立派な魔法の呪文になっている。
日本にかつては数多くいたという鳥の名前。それは今も佐渡トキ保護センターで飼育され、野生に帰して定着させるよう、試みられている。
実際には、そのトキたちは、日本で生まれ育ったトキは一旦は絶滅し、中国から譲られたトキの子孫にあたる。遺伝子上にはほとんど個体差レベルの違いがないと言われているが、血脈は途絶えている。
一度は失われたもの、過去に息づいていた存在であり、今は幻となってしまったもの。美しい字面と音に、そういうイメージを背負った名前だと思った。

のろいとまじない は、紙一重だ。
呪うと祝うが、紙一重であるように。
強すぎる気持ちが、よかれあしかれを問わずに、事象をゆがめてしまう。
そういうものを呪いと名付けて、物語は進んでいく。
でも実は、その呪いは、誰もが用いる可能性を持つ。魔法であるが、非現実的でもなんでもない。なるほど、確かにある。
その当たりの作者の洞察が素晴らしい。

報われないために努力するとは、なんともしんどい。
この作者は、自意識が育つ年頃の、周囲と比較しては自分の至らなさに傷つく心情を描かせると抜群である。
その心情は、大人になっても尾をひきずっていることも多い。
いつしか、ああ自分はこの程度のものかとあきらめをつけられることもあるが、その時がいつ来るのかは人それぞれだ。
そういうあきらめることのまだできない、だからこそ終わりのない、自分自身との戦いを描くことが得意だと思う。
思うような自分になれない悲しさであり、自分というものと折り合いをつけることの難しさであり、その自分の苦しみに気づいてもらえぬやるせなさがある。
自己愛とか自尊心とか自己肯定感とかなにそれ美味しいの?とばかりの葛藤や苦悩を描くことができる人だと思う。

そういえば、私の通っていた学校は、百年を超える古い学校だけに、しっかりと七不思議があった。
教師から教えてもらったぐらい、しっかりと語り継がれている七不思議だった。いくつかバージョンがあったようで、寄せ集めると不思議は7つにおさまらないのだけれど。
クリスチャンスクールだったのに、それはそれこれはこれで、人は不思議なものを好む。
子どもの頃は見えないものに憧れるものなのに、見えないものへの憧れをイタいもの、蔑むべきもの、嘲うべきものと感じるようになる境目も、人の成長の中には組み込まれているようだ。
それでも、年齢ばかりは大人にとっても、その憧れが心の奥底には息づいているから、人はファンタジーやホラーを好むのではないか。
見えないものは、いまだに、人を魅了する魔法の力を持ち続けている。

それにしても、思い入れがあるほど、本の感想を書くことは難しい。
かっこつけようとすればするほど、こけてしまうようなもので。
力が入りすぎると碌なことにはならないのに、わかっていても力を入れたくなる。
だって、応援している作者のお一人の新作だから。
だから、祈りであり、願いとして、この呪いが広まればいいと思っている。

ところで、冬二さんをわしゃわしゃとしたいのですが、どこに行けば会えるのでしょう?

2020.05.12

フェオファーン聖譚曲(オラトリオ) op.2 白銀の断罪者

菫乃薗ゑ 2020年7月3日刊行予定 opsol book

あの真っ赤な本が届いてから、まだ日が経っていない気がする。
2冊目は真っ青。そして、今度は百合の花。
この物語は、ここで終わるわけではないが、ネタバレをしたくない。
一気に読ませる力強いファンタジーなのだから、表紙を開き、流れに身を任せてほしい。
今回も一足先に#NetGalleyJP で読ませていただいた。

となると、書けることは限られてしまうのであるが、複雑に入り組んだ勢力図が面白い。
大きく分けて、舞台は二つ。一つは中央。城内での権力争いである。
魔術師の塔は長を失って弱体化していくとして、王位継承者は決まっておらず、貴族の権力闘争もある。
一見強固に見える権力の中で、千々に分断されては対立し、転落していく有様が目まぐるしい。
もう一つは辺境。主人公であるアントーシャはオローネツから反撃の、革命の、狼煙を上げることになる。
フェオファーンと名乗る1つの集まりとして、彼らはますます強く結びついていく。
この対称。

登場人物は非常に多いのであるが、彼らがop.1とは違う顔を少しずつ見せることで、ぐっと深みが増した気がした。
優しい人物の厳しい表情や、あどけない人物の貪欲さや冷淡さ、無表情で無感動な人物の情の部分といった具合に。
それぞれが一面的ではない、人らしい人としての厚みを見せることで印象が少しずつ変わり、読み手も思い入れの持ちようが変わる。
個人的には、お気に入りはコルニー伯爵である。彼らの旅の無事を祈るとともに、ぜひともフェオファーンに合流してほしい。
あと、オスサナにはぜひとも感じのいい女性のままでいてほしい。
オローネツの男たちは、目いっぱい暑苦しいままでいてほしい。これは望むまでもなく叶いそうだけど。

もう一点、この物語の魅力に感じたのは、色合いの美しさである。
建物の色合いにも、出てくる石や金属の色合いにも、意味が与えられている世界である。
人々の衣装の描写も美しく、襲の式目を想起した。そういう描写の細やかさがあるので、人々のいる景色も想像しやすい。

弾圧し、迫害し、略奪してきた者たちに対して、人々の怒りが燃え上がる高揚感がたまらない。
この熱が冷める前に、続きを読みたい。

ファンタジーはいい。
現実に疲れた時には特に。

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