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香桑の近況

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# いつもと違う日常

2018.10.19

学園ゴーストバスターズ2:夏のおもいで

三國青葉 2018 小学館文庫

恭夜と冴子の冒険譚の第二弾だ。

死者を説得する一色家の男児、憑かれやすい体質の恭夜。勉強は嫌い、ゲームが大好きな、心優しい男の子だ。
憑かれることにも慣れてきたのか、自ら進んで、霊を引き受けようとするようになった。
あんまり気軽に申し出るから、そのうち、取り返しがつかないような大事に巻き込まれないか、心配になる。

死者を斬る刀を顕現させる望月家の女児である冴子。勉強もできるし、家事も手伝うし、まじめでしっかり者の女の子だ。
魔を払う特別な刀を授かってはいるが、恭夜を守ろうと刀を手に取ることはしても、それを振るうことは滅多にない。
死者たちと関わり合ううちに、生きている人間に関わろうとするようになりつつある成長を、応援したい。

死者との関わり合いが、子どもたちを育てていく。
子どもの頃に命を助けてくれた医師に恩返しをしたい、高齢の女性。
娘と孫に会って謝りたかった、中年の男性。
かなわなかった初恋の痛みを教えてくれる、若い女性。
そして、昔、戦で死ななければならなかった、幼い少女。
霊になるほどの未練を、子どもたちが丁寧に接することで、彼らはほぐしていく。
その心残りであったものに触れるたび、ぽろぽろと泣きながら、子どもたちは生きることの大切さを学ばせてもらっていくのだ。

1巻では霊たちが成仏していくところまで描かれていたが、この『夏のおもいで』はその手前で章が終わる。
それがまた、よかった。
死者と正者のあわいを希薄にし、延長線上に位置することを感じさせられた。
この物語の中の死者は、得体のしれない恐いものではない。変質し、断絶したものではない。
もう死者となってしまった彼らも、在りし日には正者であり、人にはそれぞれの歴史があることを教えてくれる。

物語の舞台となっているのは、都会ではない。
地名がはっきりと出てくるわけではないが、徳島であろうと思いながら読んだ。
三郎川は、四国三郎こと、吉野川のことではないかと思いながら、景色を思い浮かべる。
地方都市というか、田舎町というか、兼業農家や専業農家も少なくはない景色。
夏の濃い緑、鼓膜を打つセミの声、影の長い夕暮れ、銀色に輝く川面。
商店街の道幅は狭く、少し色あせた看板やビニールの屋根もあり、町中が顔なじみで繋がっているような。
子どもが、子どもだけで、自転車でほんの少し遠出しても大丈夫な、そういう町。

その上、ご飯が美味しそうで、読んでいるとこちらまでお腹がきゅうと鳴きそうになる。
なんといっても、町子さんのおそばが美味しそう。
子どもたちが美味しいものを食べて、心置きなく笑い、ぐっすりと眠れる日々が、どれだけ貴いものか、今一度、思いを馳せることができた。

2018.10.18

学園ゴーストバスターズ

三國青葉 2018 小学館文庫

恭夜と冴子。
恭夜は、女性しか生まれない一色家に生まれた初めての男の子。
冴子は、男性しか生まれない望月家に生まれた初めての女の子。

この望月家と一色家は、それぞれ霊を払う力を持っている。
一色家は、霊と話すことができて、説得して成仏していただく。
望月家は、自分の体から刀を取り出すことができて、霊を切って除霊する。
それぞれの家に生まれた二人の特別な子どもたちは、ちょうど、同い年。
中学1年生になったばかりの少年少女たちの冒険の始まりだ。

子どもたちの様子がとても活き活きとしていて、しかもとてもいい子たちなのだ。
彼らの純粋な気持ちがあるからなしえる死者との関りを、目を細めて見ていたくなる。
しかも、これぐらいの年齢だったらこれぐらいのことができるという書き分けや、今時の中学生の生活や勉強についての描写が具体的なのだ。
ありえないような物語を紡ぐ彼らは、どこかに本当にいそうな子どもたちった。

なにか、未練を残したまま死んでいった死者たち。
自分の味方をしてくれたたった1人の女の子の心を救いに来た男の子。
人を鬼に変えてしまう戦争のただ中で死んだ男の子。
そして、母子葛藤を抱えて、祖母に会いたくなった女の子。

ほんとはね、生きている間に解消されていたらよかった悩みやつらさなのだ。
ほんとはね、それをなんとかするお手伝いをするのは大人なんだけどね。
子どもたちの一生懸命な姿がまぶしくて、応援したくなる気持ちでいっぱいになった。

2018.09.27

滅びの園

恒川 光太郎 2018 KADOKAWA(幽BOCKS)

仕事に疲れた大人向けの童話のようなスタートだった。
そこはとても不思議な世界で、どこかのどかなファンタジーのようだった。
主人公の鈴上誠一と共に、その世界を理解しようとするうちに、物語に引き込まれた。

ページをめくる手を止めると、物語に置いて行かれそうになる。
この物語がどう進むのか、まったくわからないと思ううちに、読書がはかどった。
いくつもの謎の理由が見えてくるのは中盤以降だ。そこから更に物語は加速する。

凡庸な人物であるはずの誠一と、幼くして異才に目覚めていく野夏、セーコ、理剣。
立場が異なれば、事象はまったく別の物語になり、人はたやすく誰かのせいにする。
名前を出し、顔をさらし、個を暴かれて、見世物にされていく彼らはいいのだ。
名もなき人々の無邪気で圧倒的で集団的な好奇心と依存心と正義感がざらざらと読み手の心を逆撫でする。
どんな災害に見舞われていても、学校は授業を行い、大人たちは会社に出勤し、マスコミはゴシップを提供する。

それは現実の映し鏡に相違なく、私はその大衆の中に埋もれることに、プーニーに飲み込まれようとしているかのような不快を抱く。
なにかに挑戦する人は爽快さを与えるが、彼らはプーニーに飲み込まれて同化することができなかった人々だ。
だから、その実、これは異類婚姻譚であり、今浦島物語、綺麗に終わることができなかった愛のせつない物語だったのだと思う。

#滅びの園 #NetGalleyJP

2018.04.02

春の旅人

村山早紀・げみ 2018 立東舎

この本に桜の花の季節に出会えてよかった。
春の柔らかな日差しや、淡い紅色の花びらが世界を彩る季節にぴったり。
戸外で開いたら、ページの中に同じように美しい景色が広がるはず。

村山早紀さんの3つの短編と、げみさんのイラストのコラボ。
「花ゲリラの夜」と「春の旅人」は文章をイラストが彩る。
「ドロップロップ」はイラストが主役で、文章が脇を固める。
そんな掛け合いを感じる作品集だ。

げみさんの描く絵は、色合いが柔らかくて心地よい。
思い出の景色は白く淡く、時にはくっきりと象徴的。
物語を読みながら景色を思い浮かべるように、イラストが浮かび上がる。

村山さんの物語は、易しくて優しい魔法の言葉。
厳しいことや苦しいことを乗り越えていく力をくれる。
表紙の少し不思議なイラストの意味もわかる。

ページごとの天地に模様が入っているような本が好きで、そこも好み。
めくるたび、どのページも特別で、子どもの頃に買ってもらった懐かしい絵本を思い出す。
その美しさに思わず頬が緩むのだけど、シビアなテーマをぶっこむ村山さんが、かっこよくてしびれる。
この人の紡ぐ言葉は優しいだけではなく、まっとうで、背筋が伸びるお思いがした。

「地球のきょうだい」
なんて素敵な呼びかけだろう。
なんて壮大な呼びかけなんだろう。
花ゲリラも胸が躍るような思い付きだが、この呼びかけが私に一番響いた。
優しいだけ、美しいだけではない。
春ごとにツバメにおかえりなさいと声をかけ続けたいから、自分のことでいっぱいいっぱいの日にも、「きょうだい」と遠くから呼びかけてくれる青い光を心に留めておきたい。

2018.03.06

コンビニたそがれ堂 小鳥の手紙

村山早紀 2018 ポプラ文庫ピュアフル

クリスマスの頃に書かれた、冬の空気が春の気配に溶けていくような優しい物語。
雪が、雪柳になる。冬の金属質のにおいが、花のほろこぶ香りになる。
3つの物語、それぞれに胸がきゅうきゅうと締め付けられ、何度も涙がこみ上げ、鼻をすすり、ティッシュペーパーのお世話になった。
これから読む人は、どうぞ、タオルと箱ティシュのご用意を。

コンビニたそがれ堂のアルバイトから店員になったねここさんが、お弁当を届けるところから始まる「雪柳の咲く頃」。
猫さんが出てきたところで、既に泣きそうになった。
思い出すのは、かつて、駅前の角にあったタバコ屋の景色。
猫のおしっこのにおいがする、古くて汚いと、嫌がる人もいたことを知っている。
私が見たのは小柄な黒猫の女の子。赤い布のリボンを首につけてもらっていた。
その女の子に会いに、でっぷりと大柄なキジトラさんが通っていて、店頭で招き状態になっていた。
駅の主のように堂々と横切るキジトラさんで、通りすがりの人たちにも機嫌よく撫でられていた。
私が座り込んで撫でていたら、若い男性から声をかけられて驚いたことがあった。その男性は猫ご飯のパウチを片手にしていて、あげないかと声をかけてくれたのだった。
そのキジトラさんを最後に見た時、足を引きずり、汚れて、やせており、もう立ち止まってはくれなかった。

角のタバコ屋も、もう今はない。
もう今はない景色が、風早の町は思い出させてくれる。
再開発の名のもと、壊されていった大正時代からの商店街や戦前からの駅前の通り、住宅地。
新しい町になると、便利になる、安全になる、きれいになると言われるし、それはそうかもしれないが、私の心の中に刻まれた古くて懐かしい景色がきらきらと蘇る。
きっと風早の町は、そんな心のアルバムに刻まれた景色の集合体であるから、子ども心に戻って遊ぶことができるのだろう。
心が惹かれずにいられないのだろう。

ふたつめの「小鳥の手紙」は、最後の数ページで頭の中が真っ白になるほど泣いた。
こんなに泣いたこと、あったっけ?と思うぐらい泣いた。
更に、3つめは『百貨の魔法』の番外編になっていた。
コンビニたそがれ堂の風早三郎さんと、百貨の魔法の白い子猫の競演とは、なんて豪華なんだろう。

なにげないシーンのひとつひとつ。
たとえば、おでんのこんにゃくを食べる。
それだけのことなのに、声をあげて泣きたくなった。
途中から、涙のスイッチが切れなくて大変だった……。
これはどういうことだろうと考えてみる。

寂しかったり、悲しかったり、つらかったりしている子ども達や、かつて子どもだった人たちに、こうなったらいいなぁ、こうしてあげたいなぁ、と私が思うことを、私の代わりに村山さんが物語の中でしてくれる。
だから、私にとって願望を充足してくれる物語である。
私は子どもを持つことがなかった人間であるが、誰かの心の代理母のように、愛情を注がせてもらい、しかも、愛情を返してもらうことがある。
そうとしかできない私を肯定あるいは受容してくれる物語のように感じた。
だから、私はこの本を読むと、ひどく安心することができたのだと思う。
いつにも増して優しくて優しくて、自分を見守る眼差しを感じつつ、自分もまた誰かを見守り続けたいと祈るように誓うように思った。

作者の方をTwitterで追いかけているので、この本を書かれた時、作者の方がとても大変そうだったことを記憶している。
その様子はあとがきにも書かれているのだが、そんな時にこんな優しい物語を……と思うと、それはそれでまた胸がつまった。
優しい方が紡ぐ、優しい言葉の、こんな優しくて素敵な魔法を信じていたい。
大丈夫。世界はきっと悪いことばかりじゃない。いいこともある。
人の心は捨てたものじゃない。未来には、なにかよいものが、きっとある。きっと。

2017.12.18

アカネヒメ物語

村山早紀 2017 徳間文庫

幸せにならなきゃ、いけないんだよ……。(p.230)

こんな言葉に涙腺が刺激されてしまうのは、自分が我知らず疲れていたり、傷ついているからだろう。
今、読みたかった言葉がここにある。
私の心の滋養として、必要な物語だ。

アカネヒメという神様は、500年間、風早の町の西のあたりを守護してきた。
まだたった500年しか生きていないから、子猫のけがを治すぐらいしかできないんだとしょんぼりしちゃうような、かわいい姫神様だ。
表紙のイラストはしっくりくる愛らしい姿で、徳間文庫のつやつやの表紙から、ふんわりと浮かび上がってきそう。
主人公はるひは、そんな姫神様をふんわりと小鳥のように肩の上に乗せて、自転車をこぎながら、またとない日々を走り抜けるのだ。

アカネヒメはとてもすごい魔法を繰り出してくれる神様だ。
人が大好きで、一人ぼっちで寂しくても、悲しいことばかりが続いても、眺めることしかできなくても、人を見守り続けることが無償の愛だ。
彼女の優しい思いは、はるひを通じて、読み手の心にも染みわたる。
読み手は、心の中に溜まっていたしんどいことを涙にして流しだしてしまうだろう。
これが、アカネヒメの癒しの魔法だ。
心がほんのり温かくなり、少しだけ、未来に向かってがんばってみようと思う力を取り戻す魔法だ。
村山早紀さんならではの極上の魔法だ。

絶望するには、まだ人間は優しすぎ、諦めるには、世界はまだ広く、人類は可能性をいくらも秘めているのだと、わたし自身がまだ思っているのですから。(p.299)

あとがきの作者の言葉は、そのまま、アカネヒメの声で聞こえてくる。

児童書として出版された当時に出会わなかったことは残念だが、大人になった今だからこそ、童心に戻って心を震わせる体験が貴重なものだ。
大人だからこそ、子どもたちを取り巻く世界の厳しさや悲しさを知ってしまっているからこそ、はるひ達の未来を守っていきたいと願う。
こんなに美しくて優しい神様が、悲しまずにすむような、そんな世界であってほしいと願わずにいられない。

よきもの、優しいもの、美しいものが引き裂かれていく。今まではこれから先もあるのが当たり前だと思っていたが、当たり前のように消えていく。
指の間からぽろぽろと砂がこぼれるように、大事なものが失われていっているのに、それを指摘すると逆に避難されるような社会が、とても苦しい。
当たり前のように未来の夢を語れる世界でなくなってきている気がしているが、それでも、まだ、希望はここにある。

この美しい物語が、100年先も、200年先も伝わるといい。

2017.05.20

異世界居酒屋「のぶ」三杯目

蝉川夏哉 2017 宝島社文庫

ジャンルわけするなら、食テロ小説。
読むにつけても、あれがおいしそう、これがおいしそうと、食欲を刺激されて仕方がない。
しかも、どれもが居酒屋メニュー……のはずだが、こんなに充実した居酒屋なんて滅多にない。
お稲荷様の加護を受けて、なぜか異世界で商うことになった居酒屋「のぶ」も、早くも三冊目。

今日も様々なお客さんが暖簾をくぐり、舌鼓を打つ。
そのお客さんが、だんだんと豪勢になっていき、これ以上はないような客層に恵まれている。
歴史の表舞台に立つのは問題がある店なのだが、しかし、ここで確かに歴史が動いていることを忘れるぐらい、メニューのひとつひとつがおいしそうで、お酒もおいしそうで、登場人物ひとりひとりの食べっぷり飲みっぷりにつられそうになるのだ。
のぶについての報告書を読んで、実際に訪れてしまうお嬢さんが出てくるが、気持ちは本当によくわかる。

章が短めであるので、軽く読めて、拾い読みしようとすると最後まで読みたくなる。いや、読んでしまう。
同じような毎日の繰り返しに見えて、確実に時が流れている物語だ。
登場人物たちは、転職したり、結婚したり、それぞれの人生を少しずつ進めていく。
その人間模様は心温まり、この物語の魅力は実はそちらのほうにある。

いつか、このお店がこの世界では閉じる日が来るのだろうか。
現実では、異世界には関係ないこの世界でも、永遠に続くお店なんてないけども。
御伽噺のように、いつまでもいつまでも繁盛していましたってなってほしい気がする。

改めて、食テロ小説として挙げるなら。
居酒屋「のぶ」は間違いなく個人的にはベスト3にはいる。
ほかは、高田郁『みをつくし料理帖』と、香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常』かなぁ。
でも、有川浩『植物図鑑』と、村山早紀さんの風早街サーガもおいしそうで。
ご飯がおいしそうかどうかは、私にとって大事なポイントだってことが、自分でよくわかった。

2017.04.04

ルリユール

村山早紀 2016 ポプラ文庫

タイトルの呪文のように美しい言葉は、本の修復の技術のことを意味するそうだ。
本の守護者たる魔女は、どんなに古く痛んだ本でも元通りに修復する魔法を使う。
美しい本を作り、人の心を幸せにする魔法の使い手は、本を船にたとえる。
心も技術も、遠い遠い未来まで運ぶ箱舟だ、と。

主人公の瑠璃は、少しばかり複雑な家庭事情を抱えて、少しばかりしっかりしている……いや、しっかりしようとしすぎているような中学生の女の子だ。
レモンバターのパスタや、とっておきの塩結びに甘い卵焼き、アジをカレー粉で味付けてオリーブ焼きにしたりできちゃう女の子なのだ。
祖母を訪ねて、風早の町に来て、この町に宿る魔法のひとつに出会う。
わくわくするような、どきどきするような、しんみりするような、そんな夏休みの物語だったりする。
いくつかの物語で、すでに風早の町を訪ねたことがある読書なら、彼女がどんな魔法に出会うのか、冒頭だけでもわくわくするはずだ。

4つの章と1つの掌編が収められているが、どの物語もそれぞれ魅力的で、書き留めておきたくなるような台詞があった。
ひとつずつがしっかりとした長さがあるので、ページをくるうちに次の言葉、次の台詞に惹かれてしまい、気づくとどっぷりとはまりこむ。
しかも、どの章も、少しずつ時間が重なっており、これがほんの数日のことで起きていることに気づいて驚いた。
あの場面やこの言葉と、あとで見直そうと思っても場所を見失ってしまい、また最初から読みたくなる。
図書館の本の海におぼれるような、そんな濃密な体験だ。

特に、これはもういつものことであるが、村山さんの作品に猫が出てくると、もうだめだ。
ハンカチじゃ足りない。タオルだタオル。すずなちゃんを思い出しながら、タオルほしい、といいたくなるし。
ティッシュだって箱で準備しとく必要があるぐらい、ぼろぼろ泣いてしまうのだ。
単に悲しい涙じゃなくて、心の中に溜まった澱を洗い流して綺麗にしてくれるような、そんな涙が溢れて仕方なくなる。
うちの長生きした猫さん達に話しかけられているような気持ちになって、この感想を書いているだけでも思い出し涙がこみ上げてくる。
これはもう、ほんとにもうとしか言いようがない。もう。

いつか、村山さんの異世界を舞台にしたファンタジーも読んでみたいなぁと思った。
瑠璃が扉を開けていった先の景色が、とても色鮮やかで美しくて、目の前にぱあっと広がるような感じがした。
風早の町の一連の物語はもちろん好きなのだが、それとは別に、日常とはかけ離れたどんな世界を見せてくださるのだろう、なんて、思ってしまった。
どうやら、作者の方は今後もいくつものお仕事を予定されており、また、既刊の文庫化も予定されているとのことで、風早町のいろんな路地やお店に遊びに行く機会がまだまだ続きそうである。
太郎さんはどうなったの、とか。七匹の魔神たちには、白雪姫の七人の小人たちのように、名前がついてそう、とか。
想像は膨らむけれど、続きは気になるけれども、きっとこの町のどこかで出会うのだろうと、楽しみにしてのんびりと待ち構えてみようと思う。

易しい、ではなく、優しい言葉遣いに、ささくれだっていた心が、読むうちに穏やかに凪いで行くいく。
いくつも、悲しい出来事があった。いろんな、苦しい出来事があった。
悔しいことも、嫌なことも、腹が立つことも、寂しいことも、いっぱいあった。
きっと、この本は、読み手の思いをいっぱい吸い込んで、一緒に未来まで運んでくれるだろう。
いつか、綺麗で優しい思い出に変わる。そんな未来まで。

2016.12.27

花咲家の人々

村山早紀 2012 徳間文庫

風早町にひっそりと住む、ある家族の物語。
植物と会話することができる一族だが、その力は知る人ぞ知るものだ。
風早町は村山さんのいくつもの作品の舞台となっている町だから、そんな力を持つ一族が普通に住んでいてもおかしくない。
町も、そこに住む人も、不思議なことには懐が広いのだ。

おとぎ話のように、読んでいる間、穏やかな時間が過ぎてゆく。
老いていく人々や、死んでいった人々との出会いが心に残る。
不思議な力を持っている一族であっても、時間は同じように流れていく。
どれほど不思議な力をもってしても、老病死から救えるわけではない。

けれども。
老病死と老病死苦とは違うんだなぁ、と、これを書きながら気づいた。
三角屋のおじいさん、かっこよかったなぁ。
老いてこそなしとげられることがあり、病を得てこそ気づけることがあり、死んでもなお残せるものがあるとするなら、それはただただ苦しいものではなくなるような気がする。
しんみりとはするけれども、逃げ出したいほどの、でも、逃げ出すことのできない苦しみが、もっと透明で美しい色彩のものに塗り替えられるような魔法を感じた。
春の庭の女王とばかりに咲き誇る桜や、ベンチを綺麗な彩りで特等席に変えるバラや、冬の庭を飾るクリスマスローズに。

植物は自ら動くことはないけれども、心はあるのかもしれない。
村山さんの作品では、これまでも植物が魔法の担い手としてちょくちょく登場してきたが、このシリーズではそんな植物たちが重要な役割を果たす。
花咲家の人々が、人々と植物の間に立って、これからどのような物語を紡いでいくのかを楽しみにしたい。

それだけではなく、『みどりのゆび』や『ライオンと魔女』といった古典の童話が出てくるのも、読書しながら育った人には楽しみになると思う。
ここからどんな本であるか、手を伸ばす人がいあたら、それも素敵な魔法。

風早町が舞台なだけに、そこでコンビニたそがれ堂の出番ですよ! 三郎さん、助けてあげてぇ~と、ついつい思ってしまうこともあった。
それは、私が最初に読んだ村山さんの作品が、コンビニたそがれ堂だったからなんだろうな。

2016.12.06

コンビニたそがれ堂:祝福の庭

村山早紀 2016 ポプラ文庫ピュアフル

あの三郎さんが帰ってきた。表紙に描かれた賑やかな店内に、にっこりと立っている。
魔法のコンビには通常営業。銀の髪と金色の目をした店長さんがいることに、ほっとした。
おでんとお稲荷さんが美味しくて、最近はコーヒーもフラスコで淹れてくれる。甘酒のこともある。
近頃は、素敵な着物をまとったねここさんがアシスタントに入ることも増えてきたようだ。

洋服屋さんで働く販売員の女の子。かつてはデザイナーを夢見ていた。
母親を元気付けたくて、往年の大漫画家に会いに行く小学生の女の子。
父親と同じように芸人になりたくて、でもなかなか売れなくて、相方である幼馴染にも後ろめたく感じるようになった男の子。

3つの物語はどれもクリスマスの時期にぴったり。
寂しいだけ、悲しいだけの物語ではないのに、なんでこんなにほろりとくるのだろう。
夢は叶うかもしれない。叶わない夢もあるけれど、形を変えて叶うこともある。
誰かから贈り物をしてもらえたら嬉しいけど、きっと贈るほうも嬉しいんだよって教えてくれる。
自分が誰かに何かしてあげることができること。それを喜びたい気持ちでいっぱいになる。
それが、きっとこの冬一番の魔法だろうと思ったのだ。

あとがきを読んで、こういうことってあるあると思った。
自分が仕事で関わってきた人たちが、思いがけず、当たり前のことであるが、思いがけず、大人になっていて再会したときの喜びとか。
ふとした瞬間に、過去のこれまでの自分の仕事が、やってよかったこともあったのだと教えてもらえる喜びとか。
私はこの人たちを守っているつもりで、かえって支えられているんだなぁって、ほんのりと胸が温まる瞬間を思い出した。
愛されているなぁとおずおずと認めざるを得なくなる時の、面映いような、たまらない幸せな瞬間があるのだ。
さあ、今年もクリスマスのプレゼントを用意しなくちゃ。ね?

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