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香桑の近況

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雑誌

2011.11.14

蟋蟀

玄侑宗久 2011 Story Power(小説新潮10月号別冊)

未曾有の震災を経て、「今こそ物語の力を、物語に力を」と編まれた一冊の中で、もっとも物語の力を感じさせられた短編だ。

物語中、震災の日より半年を経ている設定に愕然とした。
指折り数えるまでもなく、確かに、現実でも、半年が経っている。
もう半年。まだ半年。

その時点から振り返って語られるその日の記憶がすさまじかった。
映像メディアでは扱われない情景。報道されないからないわけではなくて、報道しえないなにものかは、きっと、いっぱいあった。
小説という媒体だからこそ、ようやく膾炙されるのだ。

支援者支援という領域がある。
被災者でありながら支援者にまわった人は、半年を経て、燃え尽きずにいられるのだろうか。
それぞれが、ちゃんと自分の心の痛みをやわらげる機会を持てているのだろうか。
ちゃんと悲しめているのだろうか。

ストーリーパワー(Story Power) 2011年 10月号 [雑誌] ストーリーパワー(Story Power) 2011年 10月号 [雑誌]

販売元:新潮社
発売日:2011/09/08
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ヒア・カムズ・ザ・サン paralle

有川 浩 2011 Story Power(小説新潮10月号別冊)

この雑誌を買ったお目当て。
この人も阪神淡路大震災の被災経験のある人であるが、本作は震災とは関係ない。
小説新潮に掲載された「ヒア・カムズ・ザ・サン」のパラレル・ストーリーであり、劇団キャラメルボックスの舞台「ヒア・カムズ・ザ・サン」のパラレル・ストーリーでもあるらしい。

父と娘の和解が主題となるが、今度の父親もまた、イタイやら痛々しいやら。
こんな風にこじれてしまうと、和解は本当に大仕事。でも、和解のチャンスを失うことのほうが、きっとつらい。
和解しないまま失ってしまったら、もう二度と和解できないことになってしまったら、悔やんでも悔やみきれないことを、第三者ならばわかるのだ。

「許す」前には「諦める」という段階が必要だという。
なるほどなぁ。
幸い、私は親との間にそこまでの確執はないが、親への甘えがあるから。
よりよいこれからに繋がると嬉しい。

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2011.11.13

漂流するピアノ

近藤史恵 2011 Story Power(小説新潮10月号別冊)

東日本大震災のニュースで喚起された阪神淡路大震災の記憶。
知人にも両方を経験した人がいるが、いつの間にか語られなくなった被災の記憶は、だけど、忘れられたわけではない。
フィリップ・フォレストの『さりながら』を思い出す感触の小説だった。

記憶は不思議だ。
普段は忘れていても、なにかきっかけがあれば、まざまざと蘇ってくることがある。
映像だけではない。音も、匂いも、温度も、明度も、感触も、そのときの激しい情動もそのままで、蘇ってくることがある。
主人公のその日の記憶がなまなましい筆致で描かれる。16年前の、記憶のフラッシュバック。

テレビで観るのと、実際に体験することの違いを知りながら、主人公は東日本大震災のニュースから離れられない。
触れると傷つくのがわかっていて、そこに傷があるのがわかっていて、それでもそこに触れずにはいられない。
「起こったことの欠片だけでも集めて、自分の中に引き寄せなければいけない気がした」という一文に、その日の私の気持ちを代弁してもらった気がする。
距離と傍観の罪悪感とともに。

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わがんね新聞

真山 仁 2011 Story Power(小説新潮10月号別冊)

初読み作家さん。
『つなみ:被災地のこども80人の作文集』を思い出しながら読んだ。

阪神淡路大震災で被災経験のある教師が、東日本大震災後、教師が足りなくなった東北三県の要請を受けて、神戸から派遣された。
主人公小野寺は、子ども達が妙に行儀がよいと気になる。なにかを我慢しているようだと気になる。余震を怖がらないことが気になる。
その小野寺が子ども達に提案したのが、「わがんね新聞」の発行だ。

よい子であるほど、被災後の反応は遅く現れると言われる。
よい子であるがゆえに、大人たちの顔色を見て、一番大変な時期にはぐっとこらえる。
不眠、食欲不振、情緒的混乱、抑うつ、不安、さまざまな身体症状、退行……。
異常な事態に対する自然な反応は、ないといけない。反応がないから安心ではないのだ。反応がないと、逆に心配なのだ。
その機微をよく踏まえた小説で、短編ながらひきこまれた。とても印象に残る。

現実の現場でも、こんな教育的配慮が活かされているといいなぁ。
メディア批判も鋭く、すがすがしかった。主人公がレポーターに言った台詞を引用しておく。

被災地でも子ども達は、天使のように明るいとか。けなげな子ども達の頑張りに涙が出るとか。そうやって子どもに無理させている大人には反省してほしいですね。

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2011.10.23

つなみ:被災地のこども80人の作文集

文藝春秋 8月臨時増刊号 2011

原稿用紙に書かれた不ぞろいな文字。
ひらがなも多く、文章もまだ整っていない。
幼い子どもであっても、地震と津波は目こぼししなかった。

名取市、仙台市、東松島市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、釜石市、大槌町。
2011年3月11日の地震と、続く津波がなければ、これらの地名にこれほどまで見覚え、聞き覚えができることがなかっただろう。
私が住んでいる土地は、東北地方からは離れている。

幼稚園児や保育園児から高校生までの80人に地震の記憶を作文に書いてもらい、集めたものだ。
成長した子どもの文章はさすがに読みやすいし、真に迫る。しかし、たどたどしい幼い文章もまた却って胸が痛む。
現地にいなかった自分は映像でしか知らない体験が、彼らには、音があり、温度があり、においがあった。
一夜を過ごした教室の寒さ、1日パン1/4枚でしのいだ空腹、家族が迎えにくるまでの心細さ。
テレビを消せば目の前から忘れられるものではなく、その瞬間を過ぎても続く、引き伸ばさた体験である。

子どもに関わる教育、福祉、医療の領域に携わり、かつ、その場を体験していない者にとって、将来に渡る貴重な資料になるであろう。
しかし、できれば、せめて、匿名や仮名にすることはできなかっただろうか。
被災はなんら恥じる体験ではないが、しかし、体験をさらけ出すことの痛みもまた心配になったのだ。
清水將之によれば、子どもたちがさまざまな不調を呈するのはこれからかもしれない。幼ければ幼いほど、自分の体験を理解し、整理するのは後になるであろう。よい子であれば、周囲の大人を気遣うあまりに、我慢もしていよう。
これを書いた子どもたちと、その背後にいるもっとたくさんの子どもたちが、必要な支援を受けられているように祈る。
彼らのこれから先が少しでも穏やかでいられるよう、私にできる支援と準備もしていきたい。

2011.05.26

ヒア・カムズ・ザ・サン

有川 浩 2011 小説新潮2011年6月

雑誌は買わないと決めていたのに、見かけると買ってしまう病気。
演劇集団キャラメルボックスとのコラボのこの小説も、演劇のほうがどうせ観られないんだからと見送るつもりでいたはずだ。
なのに、本屋さんのレジ横に並んだ「小説新潮」を家に連れて帰ってしまった。
いつも通りだ。やる、やる、と言いながら、なかなか成果を見ないダイエットに似ている。

 真也は30歳。出版社で編集の仕事をしている。
 彼は幼い頃から、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。
 強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。
 ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。
 カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。
 父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。
 しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた……。

たった7行の粗筋。
同じ粗筋から2人の書き手がまったく別々に物語を書き起こせばどうなるか。
物語の作り手を主人公にしている点で、「ストーリー・セラー」の一群にも似ているし、編集室の顔ぶれには、これまでの作品のあとがきで有川さんが書いていた人たちを彷彿とした。
もしかしたら、小説新潮の編集者の皆さんは、にやにや笑いあったりしたのだろうか。

この短編の感想として、大人向けの小説を書く人になったなぁ、と書くのはおこがましいだろうか。
多少の奇抜な設定はお題に含まれたものであるが、その不思議な力がなかったとしても、同じようにしっとりとした物語に仕上げたのではないか。
もともと気持ちの描写が面白い人であるが、それが自然な流れで、筋もそんなに無理がない、と思う。

それにしても、HALねぇ。
宇宙の旅やね。古い映画の中の、IBMをもじってつけられた名前を思い出す。
それは最初から架空の存在であると指し示しているように見えた。

できれば、両方を味わった人の感想も聞いてみたいな。

小説新潮 2011年 06月号 [雑誌] 小説新潮 2011年 06月号 [雑誌]

販売元:新潮社
発売日:2011/05/21
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2011.04.30

R−18:二次元規制についてとある出版関係者たちの雑談

有川 浩 小説新潮2011年5月号

うわぁ。書いちゃったよ、この人。
と、思わず、にまにまにやにや笑ってしまった。
論として目新しいとは思わない。友達と同士なら話したことがあるようなことを、堂々と活字で雑誌に。

この主人公、私の中では吉門喬介だということにする。
もちろん、作中では名は明かされていない。
ただ、小説家と編集者の会話である。
会話だけであるが、小説という形式を取って、二次元規制について問う。

ちょうど、図書館戦争が文庫化されたばかりだ。
その後書きや、有川さんと児玉清さんの対談をあわせよんでみてはどうか。
作家から見た、二次元を規制するということの意味と危険。

論評を読まない人にも知らしめ、考えさせる。
彼女は自分が作家であることを最大限利用している。
その自覚と責任感が素晴らしいと思う。そこに作家のプライドを感じた。

2010.04.26

作家的一週間

有川 浩 Story Seller vol.3 2010年春号

早くも3冊目となったStory Seller。この形で発売されるのは、これが最後だそうだ。
ここに寄せられる有川作品のコンセプトは、共通して主人公がStory Seller。つまり、作家。
そこから、有川さんって実は?と読み手が思いたくなるような設定が活きるシリーズになっている。

この書き出しが素晴らしい。
笑った笑った。このノリ、大好き。
身体の部位を表す専門用語では、エロさを感じないんだけどなぁ。
いちいち興奮しちゃう人って大変よねー。と、揶揄したくなる。

女子トークではありうるネタだけど、敢えて活字にしちゃうところが有川さんの心意気。
こんなところから、見えない検閲があぶりだす意志の存在を描いちゃうのだから。
ショートショート「S理論」も作中作として読むことができ、二重に楽しめた。

本編には関係ないが、途中に差し込まれた写真が微笑ましい。階段で眠りこける猫。
この雑誌、せっかくだけれども、読むのは有川作品だけなのが現状。
でも、ところどころに挟まれた写真のページを見るのも好きなのだ。
目次をの次のページを開いて、京都の桜を思い出した。
哲学の道の、あの桜。あの日の桜を。

Story Seller (ストーリー セラー) Vol3 2010年 05月号 [雑誌] Story Seller (ストーリー セラー) Vol3 2010年 05月号 [雑誌]

販売元:新潮社
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2009.09.30

(雑誌)落照の獄

小野不由美 2009 yom yom7月号vol.12

小説だから、こういうことができる。
この作品の重たさは、呼応して、読み手に現実を想起させるからだろう。

ひとつは、報道で接する凶悪殺人であり。
もうひとつは、今年から始まった裁判員制度であり。
さらに、死刑という制度に対する賛否であり。
果たして人は人を裁くことはできるのか。
そして、漫然と広がる暗い時代の予感。

舞台は北方の柳国。
王の治世は百数十年。落ち着いた法治国家であったが、何か変化の兆しがある。
国が傾く。
その予兆は、目を背けたくなるほど、浮足立ちそうになるほど、漠然とした不安を駆り立てる。
民衆が不安に駆られたとき、世論は暴走しがちになる。政府や報道も例外ではない。
滅びが近づいている。
その時代のうねりが多すぎて、一人の人ではどうにもできない。手の届かないところで何かが見落とさていく。手から大事なものがすり抜けていく。
気持ちが、どうしてこう伝わらないのだ。そのもどかしさ。
歯がみをしても、もう遅い。

連続殺人と大量殺人は定義を異にする。作中の問題提起者となる狩獺は連続殺人である。
が、私は大阪教育大付属池田小学校事件を想起せずにいられなかった。
死刑になりたいからと、誰でもいい他者を殺してみせる、その精神性を思い出しながら読んだ。
死刑になりたいからと言って罪を犯した人を死刑にする。その営みに無力感や徒労感を感じる。
かといって、罪を犯した人をそのままにすることはできない。
では、ふさわしい罰とは何か。

馴染みの主要な登場人物らは誰も出てこないことは寂しいが、十二国記を初めて読むという人にも違和感は少ないかもしれない。
ずっしりと重たい。読みごたえはさすがであった。

yom yom (ヨムヨム) 2009年 10月号 [雑誌] yom yom (ヨムヨム) 2009年 10月号 [雑誌]

販売元:新潮社
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2009.07.26

(雑誌)蝉丸

中山可穂 2009 野性時代8(vol.69)

うっとりするほど美しい。
『弱法師』に続く、能の作品をもとにして書かれた小説だ。
枚数も多く、能のあらすじよりもずっと複雑な読み応えのある物語になっている。
アンコールワットを舞台に、エロスとタナトスを包み込む天上の音楽に酔う。

この中山の小説も載っていることが、雑誌を買う後押しになった。
ヴィオラ・ダ・ガンバが出てくる小説は、『千年医師物語』以来だ。
たった一つの楽器の名前で、それだけでもテンションがあがった。

蝉丸と逆髪。
能では盲目の琵琶法師に身を落とす蝉丸は、両性具有的な魅力のカウンターテナーの美青年。
蝉丸の姉である逆髪は、髪が逆立つ病を持つ物狂いの皇女であるが、攻撃的なギターを弾く女性となる。
蝉丸の世話をする博雅を加えた三人の関係は、親密なものから緊張をはらむものへと転じていく。
互いを思うあまりに、首を絞めあうような、抜き差しのならないものへと転がり落ちていきそうな。
しかし、愛は自分を殺すことはできても、相手を殺すことはできない。

髪は、霊力を宿すという。
歌舞伎でも、神楽でも、異能の霊力を表す時には、ばさばさの長い髪を装うことが多い気がする。
古来、物狂いは巫女の資質でもあるから、逆髪という造詣は女神の訪いであるとも読めまいか。
皇女は斎宮になる資格も持っており、天皇と斎宮は、兄妹神もしくは姉弟神の具象である。
そんな連想をしてみたが、この小説では、逆立つ髪は本当は心優しい女性の怒りの表現になっている。

その後、どうなるのだろう。どうなったのだろう。
私の好きな歌の一つである。

  これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関

野性時代 第69号  KADOKAWA文芸MOOK  62331-71 (KADOKAWA文芸MOOK 71) 野性時代 第69号 KADOKAWA文芸MOOK 62331-71 (KADOKAWA文芸MOOK 71)

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