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香桑の近況

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# 江戸周辺

2018.10.16

つるつる鮎そうめん:居酒屋ぜんや

坂井希久子 2018 時代小説文庫

つるつる……じゃない!
焼いた落ち鮎を出汁にして食べるお素麺は、つるつるとして美味しそうであるし。
物語もあちらこちらへと、つるつると流られるようにつづられて、それこそ流れるような勢いで読み進めた。

なにしろ、びっくりするようなことが次々と出てくる。
只次郎が、あの只次郎が、だんだんと頼もしくなり、ついに女性に惚れこまれる日が来るなんて。
兄弟仲も徐々にやわらいでおり、もう、当初の只次郎よりも随分と大人になった気がする。

草間重蔵とは何者なのか。
そして、お妙はどんな生まれで、お妙の夫はなんで死ななければならなかったのか。
少しずつ、解き明かされるほど、謎は大きくなっていく。
これはもう、つるつると読み流せるような話ではない。
一体、どういうところに紛れ込んでしまったのか。

季節を感じる献立が、今回もとても美味しそうだった。
里芋団子ぐらいなら、私も手軽に作ることができるだろうか。
次巻まで、お妙さんの献立に挑戦しながら待ちたいと思う。

今回は、献立はもちろんであるが、女性の描写にぐっときた。
それはたとえば、お妙の着こなしや体格の色っぽさのこともある。
それだけではなく、お妙の知識への飢えと祈りが切なかった。

ただ死んで生まれ変わるころには男も女も身分もなく、望むだけの学問のできる世になっていればいい。(p.124)

思えば、江戸時代は現代よりも性別は身分、職業による縛りが多かったはずである。
かと言って、現代はまだお妙の祈りに応えることはできていない。
今も、いったい幾人のお妙さんがひっそりと飢えと祈りを抱えていることだろうか。

2018.09.11

花だより:みをつくし料理帖 特別巻

髙田 郁 2018 ハルキ文庫

あの、みをつくり料理帖の後日談。

江戸のつる家のその後。
種市をはじめとして、今は包丁を預かる政さんとお臼さんの夫婦、よい娘にそだったふきちゃん、看板娘のりうに、おりょう達家族など、懐かしい顔ぶれが入れ替わり立ち代わり登場する。
まるでここからもう一回、つる家の物語が始まるのではないかと錯覚するほどだ。
種市がどれほど、澪を慈しんできたことか。今とは違って通信も交通も発達していない時代のこと、江戸と大阪に別れることは生涯の別れに等しいだろう。
どれほど寂しくてつらくて、それを見送った種市の深い情愛を、改めて感じる作品。

小野寺家のその後。
これは読めて心底嬉しかった。
あの小松原様の目じりにきゅっと皺がよる様子が懐かしい。
その皺こそ愛しいと思って見守る妻と子どもがいる。なんて幸せなんだろう。
小松原様がお澪ちゃんと添い遂げなかったことに裏切られたような残念な思いがしていたので、読めてよかったと心から思う。
もうとっくに、小松原様ではなくて、小野寺様だけど。
この人が幸せで満ち足りていてくれたら、きっとお澪ちゃんだって安心して幸せになれるだろう。

高麗橋淡路屋のその後。
ちょっと意外だった。野江のその後と、又次のその前。
大坂の商家の様子に、『あきない世傳 金と銀』が薄く重なる。
私には懐かしい関西弁のイントネーションが耳に蘇るような気がする。
旭日昇天の野江であるなら、きっと商いもうまくいくはず。
きっと人生もうまくいくはず。
昔は美人やってんけどなとため息をつかれるような、たくましいおかみさんになってもらいたいものだ。

そして、大阪のみをつくしの様子。
雲外蒼天のお澪ちゃんは、やっぱり立ち込める雲を払いながら生きている。
一生懸命で不器用な二人が夫婦になったからと案じていたが、案じていた通りに紆余曲折があるのが髙田さんの物語。
大丈夫かいなと心配せずにはいられないが、そこは雲外蒼天。
小さい体で雲を越えて青空に飛び立つお澪ちゃんは、雲雀のような人だと思う。
何度も何度も、これからも戦い続けていくんだろうなぁ。

出てくるお料理はやっぱり食欲をそそる。
ことに、小野寺家の夕食といったら、理想的な献立ばかり。
種市の心づくしも、野江の思い出の逸品も、お澪ちゃんが源斉様のために腕を振るう料理もおいしそうであるのだけれど、乙緒が夫のために吟味する膳は、真似をしたくなる取り合わせだ。

そして、全編を通して、同じ名前だけど同じとは限らないものが、かけてあるような気がした。
言葉遊びのすれ違いは、コミュニケーションの永遠の課題でもある。
去りゆく者を見送りながら、残された者は与えられたものをしっかりと握りしめ、前を向いていけたらいいのだと思う。

10巻の物語のめでたしめでたしの後の日々は、読者としては惜しみながら閉じるしかない。
名残惜しいが読むほどに幸せになる。心の中でも蒼天が広がるような気がした。

2018.08.31

心花堂手習ごよみ

三國青葉 2018 ハルキ文庫

続きを! 続きを早く!!
読み終えた瞬間に身もだえた。
これは、この後の展開が気になってしょうがない。

江戸は日本橋、商家や武家の女の子だけを集めた手習い所が舞台。
師匠になりたての主人公・初瀬の悪戦苦闘の幕開けだ。
旗本家で祐筆をしていた真面目でうぶな女性で、甘いものを美味しそうに食べる。
私自身も塾講師などをしたことがあるから、初瀬の悪戦苦闘にはあーあるあるとうなずいた。
彼女の戸惑いや気苦労を経て、少しずつ師匠として落ち着ていく様子を応援したくなった。

なにしろ女子校の先生になるようなものなのだから、そりゃあ生徒たちだって一筋縄でいかない。
物語の中の少女たちは、現実の症状たちと同じように、それぞれの家庭の事情があり、それぞれの個性や思いがある。
そして、女の子たちというのは噂話が好きで、人の恋話が大好きなのだ。
甘いものと並んでの大好物と言ってもいい。
少女たちと、きゃあきゃあと騒ぎ立てる気分になり、何度も笑いを噛み殺した。

子どもたちの活き活きとした様子が可愛らしくて仕方がない。
作者の方の眼差しが、このように温かみがあり、慈しむものなのだろう。
時代小説というジャンルの中で、こんなに可愛くて楽しい物語と出会えたことが嬉しい。
きっと幸せな気持ちになれるのではないかという予感が働く語り口だ。
少女たちの成長を見守ると同時に、初瀬の恋の行方を見届けたい。
物騒な話に疲れている人や殺伐な話は苦手な人には、特にお勧め。
じれったい男女が好きな方にも、ぴったり。

2018.07.26

笑う猫には、福来る:猫の手屋繁盛記

かたやま和華 2018 集英社文庫

3つの短編集、どれもそれぞれに魅力がある。
宗太郎の婚約者である琴姫ががんばる「琴の手、貸します」。
宗太郎が拾った子猫田楽ががんばる「田楽の目、貸します」。
そして、猫先生がいつものように弱りながらがんばる「あすなろ」。

前作『されど、化け猫は踊る』を何度も何度も読み直すたびに涙した。
ぐったりするほど、心が揺れ動かされる名作だった。
その分、猫太郎…もとい、宗太郎も、すっかりエネルギーを使い果たして、風邪っぴきになった。
そこから始まるのが「琴の手、貸します」。
宗太郎の複雑な心境を、にやにやしながら読んだ。

場所は変わって、その後の田楽。
目の見えない少女に可愛がられている田楽が、彼女に「田楽の目、貸します」。
ちび猫は若猫に育ってきたが、なんとまあ、父親そっくりの堅物で。
可愛らしくてたまらず、周囲の先輩猫や猫股と一緒に、手助けしてやりたくなる。
なにやら、尾羽に白い羽毛が混じるカラスまで出て来て、こちらも活躍しそうな気配だ。

このまま、宗太郎は出番がないかと思ったら、「あすなろ」でいつものように困り果てながら相談相手に向かい合う猫先生を見ることができた。
四角四面の堅物だった宗太郎も、ずいぶんと丸くなり、心が豊かになったものだと思う。
こんなに成長したのだから、そろそろ人間に戻してあげてもいいんじゃないかな?と白闇に問いかけたくなった。

猫たちは、人間が大好きだ。
白闇や珊瑚といった猫股たちも例外ではない。
愛情深く、諦めながら許してくれる。
彼らのひたむきな愛情を感じながら生活しているので、このシリーズはとても愛しい。

人と暮らす猫も、今はそうでない猫たちも、福が来てほしい。
猫と暮らしてきた人も、今はそうでない人も、福が来てほしい。
いっぱい笑えるといい。

2018.02.27

さくさくかるめいら:居酒屋ぜんや4

坂井希久子 2018 時代小説文庫

冬から春へ。
物語のなかの季節の移ろいにあわせて、お料理も変わる。
豆腐百珍もなかなか試す機会がないが、本を読んだ春先にぴったりの献立ばかりは、作ってみたいとメモを取った。
春牛蒡の南蛮漬けに、ふきと厚揚げの煮びたし、菜の花と馬鹿貝のぬた……。
ふきが手に入らなければ白菜か小松菜にかえて、馬鹿貝の代わりに浅蜊にすればよいなどと、自分で作りやすい献立に頭の中で入れ替える。
そんな料理を考える楽しみがいっぱいの、食テロ小説のひとつだ。

なるべく無駄を出さぬよう、献立を決めることに夢中になる。
そんなお妙の楽しみはよくわかる。
私は作っているうちに、ほかのものが派生してエンドレスになりがちであるが。
しかし、時は江戸時代。場所は江戸。
食材はともかくも、便利な調理器具はそれほどあるわけではなく、大量に料するのは大変だったことだろう。
作るのは楽しいが、ともかく手間がかかるのだ。こんなに作るって何時間立ちっぱなしなんだろうなんてことが心配になる。

他方、只次郎のほうにも、変化が起きたのがこの巻。
なんといっても、ライバル登場である。
なんのライバルであるかはここでは書かないことにするが、只次郎が少しずつ大人びてくるのを感じる。
とうに大人の只次郎よりも、姪っ子のお栄のほうが更に成長するので、林家の家族関係自体が落ち着いてきて、なんとも微笑ましかった。
せっかくならば、台所事情も落ち着けばいいのになぁ。

家族とシェアして読んでいるこのシリーズは、「うぐいすを飼っているお侍の」というと、母に通じる。
母は母で、「うぐいすのふんの」という。
ふん、は、ちょっと違うと思うが。
そのうぐいすであるルリオにも季節は廻っているようで、次の巻はまた波乱があるのではないかと思いながら閉じた。

2017.11.14

されど、化け猫は踊る:猫の手屋繁盛記

かたやま和華 2017 集英社文庫

好きで好きでたまらなくなると、感想が言葉にならなくなる。
ナツヨムというブックフェアで、よむにゃのブックカバーにつられて一冊目を買った。
『猫の手、貸します』というタイトルと、おさむらいの格好をした白猫の表紙。
猫のブックカバーをもらいたんだから、猫の本もよいかと思って軽い気分で選んだ。
一冊目を読んで、主人公に惚れ込んで、翌日には2冊目以降を手に入れた。

四角四面な堅苦しい性格の宗太郎が、白猫の姿になったのは、猫又の仕業である。
その呪いのようなものを解き、もとの人間の姿を取り戻すために、猫の手を貸すなんでも屋のような看板を掲げる。
大身である実家に迷惑をかけてはならないので、慣れない長屋暮らしを始めたわけである。
ねこ太郎さんと呼ばれたり、猫神様と手を合わせられたり。
猫扱いされたり、化け猫扱いされたり、猫又に振り回されたりで、どたばたとした毎日が楽しくつづられる。
巻が進むごとに、ねこ太郎……もとい、宗太郎の実家はもしや?とうかがい知れてくるのも魅力のシリーズだ。
コミカルな話が多く、読み心地がよくてとんとんと読み進めることができたが、4冊目となるこの巻は違った。

黒猫たちが愛しい。愛しくてたまらない。
あまりにも健気で、かなわないとわかっていても、応援したくなる。
いつかかなってほしいと祈りたくなる。
星を見上げて祈りたくなる。

猫たちは、本当に飼い主思いだ。
長年、猫たちと生活して、痛いように感じる。
こんな風に、猫たちに惜しまれるような同居人になりたいものであるが。
猫たちを看取らずに逝くと、彼らを放り出すことになるからそれもまずいが。

武蔵も、仲間外れになっていないといいな。

かたやま和華 2014 猫の手、貸します:猫の手屋繁盛記 集英社文庫 
かたやま和華 2015 化け猫、まかり通る:猫の手屋繁盛記 集英社文庫
かたやま和華 2016 大あくびして、猫の恋:猫の手屋繁盛記 集英社文庫
かたやま和華 2017 されど、化け猫は踊る:猫の手屋繁盛記 集英社文庫

2017.10.05

御松茸騒動

朝井まかて 2017 徳間時代小説文庫

シンプルな表紙が印象的だ。
松茸が一本と、すだちが一つ。
そして、このタイトル。
気になって気になって、タイトル買いした本だ。

江戸詰めの尾張藩士の小四郎。
小さい時から算術が得意で、同僚や上司のやる気のない仕事ぶりに不満たらたら。
その態度が煙たがられて、国元に異動させられてしまう。
松茸不作の原因を探れと、御松茸同心なる職を拝命する。

腐りそうである。
でも、腐らない。
それが、堅物のきゃた郎とまであだ名をされる小四郎なのだ。

早くに死んだ父親。その父親の古くから友人の三べえ。
松茸のとれる御林のある山を守る山守の老人。
何年も前に同じ御松茸同心に拝命されたまま、山で生活しているという栄之進。
彼ら年上の男性たちに微笑ましく見守られながら、小四郎が骨太な男に成長していく。

立身出世のような成功はない。
しかし、成長はある。
その成長ゆえにかなえることのできたクライマックスは、胸が熱くなったり、目頭が熱くなったりするかもしれない。
一生懸命な小四郎が、山に関わる男たちを動かしていく様子に、読み手までひきこまれて応援せずにいられなくなった。

突拍子がないように見えた松茸をめぐる物語は、能率の悪い職場であるとか、借金をくりかえしてばかりの国家予算であるとか、伝説の上司であるとか、今時の世情とぴたりと重なる。
そのくせ、しかつめらしくならずに、くすくすと笑いながら読み進めることができる。
家族にも貸したが、まるで同じ様子だったようで、私も家族も、一気読みした本だった。
たった一冊のなかにおさまる物語であるが、爽やかな感激を味わうことができた。

この物語より、さかのぼること、何年ぐらいだろうか。
小四郎の父親や三べえが現役だった宗春公の時代の尾張は、天野純希『サムライ・ダイアリー:鸚鵡籠中記異聞』に描かれている。
見える景色は少し違うが、作者の違う二つの作品がぴたりと結びついたようで、それもまた楽しかった。

2017.09.26

ころころ手鞠ずし:居酒屋ぜんや3

坂井希久子 2017 時代小説文庫

旅先の本屋さんで偶然見つけた3冊目。
ついに例の事件が動き出す。
あの人の行方もわかる。

今回の私の一押しの料理は、なんといっても蒸し蕎麦。
なんじゃそりゃな話がとても楽しい。
美味しそうなのは表題の手鞠ずし、食べてみたくなったのはお雑炊であるが、インパクトの面では蒸し蕎麦。
とても遊び心のきいた場面となっている。
職場で腹の虫と笑いをこらえながらの読書となった。

時々、只次郎に「気品」なんて言葉が添えられていると、え!?と思ってしまう。
失礼な話であるが、只次郎の愛嬌のばかりに目が行くものだから、ちゃんとした二本差しってところを忘れてしまっているのだ。
思い切り「う、まぁい!」と声をあげているほうが、私の中での只次郎らしい姿である。
すっかり、そうなっちゃった。

そのそうなっちゃった感じは、お妙さんも同様だったらしくて、只次郎が武士だということを思い出したり、見せかけ通りの人物ではないらしいと感じてはやきもきしたり、意地を張ってしまったり。
そういう少し面倒かもしれない女子っぽさに、お妙さんの素を感じて可愛らしく、微笑ましかった。
旨いものを食わせてやるという精神がひどく気に入っているので、このまま必殺技として定着してくれるといいな。

お勝さんがなんだか柔らかくなった気がするし、柳井殿が素敵である。
御隠居たちは元気であるし、升川屋夫婦もまだまだ初々しい。
裏店の顔ぶれもにぎやかで、今のところは平和なものだ。
例の事件をめぐっては、事件は動き出したものの、まだまだ二転三転しそうな波乱含みな終わり方をしている今回。
勢い、目が離せなくなっている。

ルリオがうっかり手放されることにならなくてよかった。ほっ。

2017.05.12

恋歌

朝井まかて 2013 恋歌 講談社

苛烈で凄惨。
歌は、その歌だけで味わうのもよいが、背景が加わることで更に輝きを増す。
それが命がけで詠まれたものであるなら尚更、背景を知ることが意味を知ることになる。
幕末の時代から明治を生きた歌人、中島歌子の生よりも、その時代の描写に圧倒された。

明治維新は江戸城の無血開城で成ったとはいうが、施政者がただ単に交代しただけではなかった。
なにも江戸城や京の都だけで起きた大事件ではなく、その時代に住む人の生活をあちらこちらで大きく変えるものだった。
たとえば、髙田郁『あい:永遠にあり』も江戸城の外で展開される幕末であったが、主人公のあいは中島歌子に比べればまだ穏やかな人生であった。
二人を決定的に分けるのは、あいが農民、歌子が商人の娘であったことよりも、夫が医師であるか武士であるか、それも水戸の武士であったかどうか、であるように思う。

登世という娘は、江戸の富裕な商人の娘として何不自由なく生まれ育った。
彼女が結婚した相手は水戸藩士。
当時、水戸の藩士は天狗党と諸生党に二分して政権争いをしていた。
その争いは、積年の恨みとなり、血で血を洗い、骨を相食むことになる。
戦闘の表舞台に登世があがることはないが、武士の妻女として投獄されて悲惨を味わう。
食べものを十分に与えられず、寒いなかに捨て置かれ、傷病の手当ては受けさせてもらえない。
身分の高い家の子どもともなれば、趨勢が決まった時に目の前で斬首されていく。
そんな悲惨を味わう。

これのどこが、アウシュビッツと異なるだろうか。
明治維新は、ほんのたった150年ほどの昔のことだ。。
当時は当時の教育があり、知性があり、理性はあっただろう。
しかし、人は残酷になれる。どこまでも冷酷になれる。野蛮にはきりがない。
日本人は礼儀正しいとか、武士は高潔だったとか、思いたがる人たちもいるけれど、例に漏れず、こんな野蛮な歴史をちゃんと抱えている。
この野蛮さは過去もあり、現在もある。現在だって、残念ながらしっかりとある。
尊皇攘夷を謳った人たちが維新後に先を競って欧米に倣おうとした皮肉と矛盾も、今も大差がない気がする。

この物語、導入と結びの仕掛けも素晴らしい。
一人の歌人の手記を通して、歌しか抱きしめることができなかった恋と、歌しか残すことができなかった人々が語られる。
そして、歌を命がけで詠むような時代ではなくなってしまった世界に、歌ではないものを残していく。
いとしい人は、どうして先に死んでしまったのか。
厳格に追求すれば騒乱が起きる元。相手が滅ぶまで追求しあう男達の対立を、人を愛すること、人を知ることで、ささやかに解決を図ったのは女達だった。
忘れられない愛しさだけが憎しみを超えて、復讐を恐れて手加減できなくなる愚かしさを、終わらせることができたのだ。
心のままに生きることの難しさ、共に死ぬことの難しさが切なかった。

2017.04.25

ちゃんちゃら

朝井まかて 2012 講談社文庫

庭師の仕事は空仕事。
なんて素敵な表現だろう。
まかてさん初読みである。

元気のいい庭師一家の物語だった。いなせで、憎めないというよりも、心憎い。
お侍が刀を振り回すわけではない、江戸の職人達の生活を感じるほうの時代劇だ。
庭師の親方である辰蔵の娘のお百合と、辰蔵が拾って職人に育てているちゃら。
この二人を中心に、5つの庭をめぐりながら、物語が進んでいく。
なにしろ、ちゃらの成長物語と思いきや、大きな事件がでーんと中央に構えている。
この二本の柱があるおかげで、先を急いで読まずにいられなかった。
和風の庭園の作法に詳しいわけではないが、草木には少しは馴染みがある。
といっても、思い浮かばない植物があれば、検索しながらというのも面白い。

浅い池と築山、三尊石を置いて、春の風の匂いを味わえるように按配した千両の庭。
料亭の女将が依頼主の、蘇鉄や棕櫚、芭蕉が植えられた南蛮好みの庭。
老夫婦のための、古里の庭。いかにもな庭作りから脱却した、自然の景色を活かした庭だ。当時の江戸には自然の雑木林が残っており、それを伐採して狐狸を追い出す悲しみをちゃらが知る場面、よくぞ書いてくれたと思う。
祈りの庭。主人公達がよく出入りすることになる寺のために普請する庭を通じて、庭とはなにか、改めて問いかけてくる。これが、第三の柱だ。
そして、名残の庭へと続くわけであるが、私にとって、この見え隠れする第三の柱が胸を打った。

絵に描いたような理想論があるとする。
その理想論に沿った施策は、しかし、人を必ずしも幸せにするとは限らない。
理想に人を従わせるのではなく、その理想を作り上げた始祖たちの思いを馳せてみるとよい。
理想の高さを盾に、理想に従えない人を切り捨てず、打ち据えず、人が思い描く理想に耳を傾け、心を通じさせることが大事ではないのか。
人は自分に繋がる配慮があって、初めてくつろぐことができる。
自分のためにと祈りをこめられた営為にこそ、人を幸せにする力があるように思うのだ。
庭という表現方法を取り上げながら、そこには、人としての生き方や祈りのありよう、幸せのありようが問われていく。
木を植える人は平和を作る人である、と、ベトナムの人から教えられたことを思い出した。

テンポもよくて面白い。胸もすくし、しんみりとする。
そんな素敵な読み応えのある小説だった。

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