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香桑の近況

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# 江戸周辺

2017.01.07

国芳猫草紙:おひなとおこま

森川楓子 2016 宝島社文庫

今年初めての読書は、タイトル買いした一冊。
国芳といえば、ユーモラスでかわいい猫達。
これはきっと愛らしいと思い、手にとってみた。
初読みの作家さんである。

鰹節問屋の又旅屋の娘のおひなが、絵を習いに通うのが歌川国芳の家。
国芳の家には、兄弟子達が数人おり、更に多数の猫達が暮らしている。
器量よしで賢いおこまという白猫の冒険を、おこまの猫目線で語るのと同時に、おひなの人間目線でも語っていく。
その冒険がなかなかのもので、名家のお家騒動にも関わってくるのだ。
猫達がわいわいと出てくるおかげか、その事件のあらましにも関わらず、全体として可愛らしい感じがした。

河鍋暁斎が歌川国芳に指示していたことなど、歴史的な事実も踏まえてある。
後書きによると、国芳の猫を主人公とした草紙があって、それを下敷きにしているそうだ。
『朧月猫草紙』というその物語を、翻案しつつ、膨らませたものが、この物語だ。
『朧月猫草紙』の現代訳もあるそうで、機会があれば読みくらべてみたいものだ。
著者の猫への愛情、原作への愛情が感じられた。

2016.10.03

あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇

髙田 郁 2016 時代小説文庫

なんでや。
なんで私ばっかり責められなあかんねん。
店主ゆう重荷を背負うてるんは、私だすで。
ほかでもない、私だすで。惣次やない。
こんな傾いた店を背負わされて、私は言わば被害者や。
私で4代目ゆうても、店が船場にあるわけやなし。
所詮、天満の呉服屋や。川向こうには勝てへん。
ちぃとも稼げへんのは私のせいやない。
時代は現銀売りや。お家さんが屋敷売りみたいな古臭い売り方にこだわるんが悪い。
こんな御時世やなければ、私かてもっと大きな商いしておましたわ。
私の苦労なんて誰も知らへんのに、私ばっかり責めるのはおかしいやないか。
家の者が大事にせえへんから、嫁はんかて実家に戻ってもうたやないか。
あんな子どもを後妻や言うてあてがわられても、笑いものになっただけだす。
私は、店主ですで。
私が店主やなんで。
なんで、なんで、こないな目ぇあわないかんのだすか。
私かて、私かて……もっと大空に飛び立つようにはばたいてみたかったわ……。

……とか、言ってそうだなぁ、と想像してみた。
想像してみたが、いくら想像してみても、ちっとも同情も共感も持てない。
なにもかも人の所為にして、自分は悪くないと言い訳して、努力をしようとしない。
周りを責めるだけ責めて、つらいのは自分だと主張して、自分を慰めてもらおうとする。
それが、阿呆ぼんである。

この巻になって、なんで第一巻が「源流篇」だったのか、タイトルの意味がやっとわかった。
きっと大きな川になっていく。そういう物語なんだろう。
その2巻なのであるが、阿呆ぼんの印象が強すぎた。
こんな阿呆ぼんでいいのだろうか。
主人公の夫になるのが、ここまで阿呆ぼんだとは空前絶後である。
ひどくないか。大丈夫だとは思えない。主人公がかわいそう過ぎる。
嗜みのある阿呆ぼんなことが、唯一の救いである。
幸の成長を喜びながらも、喜びきれない複雑な気持ちで一気読みした。

この展開は予想外ではあったが、大歓迎だ。
幸の活躍の場面は、どれもこれも胸がすくものだった。
これでこそ、次巻が楽しみになる。

2016.09.23

超高速!参勤交代リターンズ

土橋章宏 2016 講談社文庫

『超高速!参勤交代』に続いて、こちらも読了。
第二弾というのは、なかなか難しいだろうなぁと思いつつ、こちらも一気読み。

なんといっても、敵役の松平信祝がますます気持ち悪くなって逆襲してくる。
多少、やりすぎなぐらいの悪ノリである。まさに暴走。
その逆襲に対して、どのように湯長谷藩の七人の侍+αが対決するのか。

小説ではあるが、映像化を前提にしている所為か、心理描写を言葉で読ませない。
表情や仕草、声音あるいは沈黙で、映像で現されたもので心理を読ませる作品だと思う。
そういう手法なので、文字だけを追っていると味気ないかもしれない。
読み手は、頭の中で映画を見るようにこの本を読むことになるのではないか。

そういう意味で、読みどころというより見所と書きたくなるのが、やっぱりの忍者対決。
正確に言えば忍者じゃないのだけれども、色々な特技を持った尾張柳生七本槍達と、別々の流派の得物を持った湯長谷藩の面々との対決は、映像に映えると思う。
更に言えば、多数の軍に少数で切り込んでいくような場面もある。私の頭の中のイメージ映像は、戦国BASARA2の関が原かなぁ。
自分だけの映画を撮れば、少々の無理も面白くするための仕掛けと思えるはず。

最後はハッピーエンドになると信じて読み進めたが、意外な展開が続く。
名台詞も多いし、きっと映画も面白いことだろう。

2016.08.31

ほかほか蕗ご飯:居酒屋ぜんや

坂井希久子 2016 時代小説文庫

おいしいご飯につられて手に取った。
本屋さんで、作者のサイン本を見つけたのもなにかのご縁。
時代小説で、料理人が出てきて、というのも、みおつくし料理帖以降、定番になってきたようだ。

ウグイスの飼育で糊口をしのぐ、武家の次男坊の主人公。
父や兄の堅物ぶりを息苦しく思い、主人公にウグイスを託す大店の主人達に可愛がられながら、おいしいご飯に舌鼓を打つ。
憎めない登場人物たちが入れ替わり立ち代り、居酒屋ぜんやの暖簾をくぐり、菩薩のごとき笑顔のお妙に愚痴をこぼす。

細かいところにはつっこまずに、雰囲気で読むのがよいようだ。
素材を見ながら料理を考える。相手の喜ぶ顔を思う。
そんな楽しみに似ているような読み心地。

この人もデビューしたてのようだから、続きを読ませて欲しいなぁ、がんばってほしいなぁ。

2016.01.31

神田川デイズ

豊島ミホ 2007 角川書店

今年になって本を一冊も読み上げていない。
ふと気づいて、積んで積んでところどころ崩れ落ちた本の山から取り上げた一冊。

ある大学に通う学生たちを主人公にした連作オムニバス。
今度の主人公はさっきの短編の通行人で、その次の主人公はその前の小説の友人で、という具合に、同じキャンパスの中のあちらこちらにスポットをあてるかのように、進んでいく。
ひとつひとつの話がコンパクトであるので、思いのほか、するすると読み進めることができた。
この積み上げていた時間はなんだったんだ。一体。

神田川から連想されるこの大学を私は知っている。
私がこのキャンバスに足を踏み入れることは2度とあるまいし、こんな甘酸っぱくも気恥ずかしくもがきまくる日々も2度と来ない。むしろ、なくていい。
私の知っている時代から時間が経ち、この本が執筆されてからも時間が経っているから今現在とは違うのかもしれないけれども、違うのは服装や小物やいくらかの言葉遣いであって、心根はきっと変わっていないのかもしれない。
万能感に満ちた自己愛の傷つきを通して、等身大の自己を引き受けるしかない。他人事だから微笑ましい、そんな日々。

 *****

私は、本当は、面白くない。色んなことが。勉強をこつこつやって、合間に趣味らしきもので埋めていくこと。わざわざ空を見上げて星や月を探して、きれい、なんて確認すること。ネットの友だちと自虐ネタで笑い合うこと。ちょっとでもよりよいものにしよう、って努力が実はもう嫌だ。この世とかみんなとか自分とか、なるべく良いフィルターかけて見ていこうなんて、生ぬるいやり方はもうごめんだ。(p.221)

花束になる人もいるだろう。はちきれんばかりの花束になって、世間に捧げられ、自分の選んだ道を間違いのないものと思える人たち。そういう花の降る世界で、俺は泥にまみれるように惑い、上を見上げては途方に暮れる。「才能」も「夢」も「やりがい」も、俺の世界にはない。この先も、それがたまらなく悔しくなる日は来るだろう。
それでもいつか、やっと一輪の花を咲かせることができた時、それを誰かに拾ってもらえればいいなと思う。(p.275)

2014.09.02

天の梯:みをつくし料理帖10

高田 郁 2014 時代小説文庫(ハルキ文庫)

よい思い出も今は遠くなった。
いや、違う。
身を切られるような痛みも、心を裂かれるような痛みも、過去へと遠のいて、今はよい思い出となったのだ。

料理人としての道。
そこは変わらないながらも、これまで道に迷ってきた澪だ。
最初、澪にはいくつかの目標があった。
ひとつは、天満一兆庵の再建。
ひとつは、幼馴染の野江を探し出し、救い出すこと。
ひとつは、天満一兆庵の若旦那である佐兵衛を探し出すこと。
ひとつは、つる家を盛り立て、つるの名前を残すこと。
ひとつは、料理人として一人立ちすること。
ひとつの目的がふたつの目標を産み、みっつの道にわかれ……と、四方八方へと道別れして、思いが千々に乱れることもあった。
食は人の天なりという言葉に、自分の心星を見出した澪が、ひたすらに自分の料理をしてきたことで、いくつもの目標が叶えられていく。
澪が自分自身に望むことを禁じていた願いまでも叶えられていく。

後半は少し駆け足にも感じた。
もっともっと読んでおきたいという気持ちが働いたのかもしれない。
圧巻は野江の身請けの場面。こう来たか!とうなる。
レシピを読むまでもなく、美味しそうな料理は変わらず、最後まで輝く。
気になる人たちが次々に入れ代わり立ち代り姿を現す。摂津屋が特においしいところを持っていったけれども、どの人物もそれぞれ株をあげた巻だった。
野江は最後まで寡黙であり、これがあくまでも澪の物語であることを示す。誰よりも澪自身の人生が、これから先も幸せになりましたと書いてあるような展開になって嬉しい。
苦しいことが続きすぎて読むのがつらくなるような巻もあったけど、この終りまでを読むことができてよかった。
やっぱりね、ハッピーエンドがいいよね。目元が潤むようなハッピーがいいよね。
番外編があるとのことだけれども、これで本編は完了。
めでたしめでたし。

2014.04.10

美雪晴れ:みをつくし料理帖

高田 郁 2014 時代小説文庫

前巻のレビューを読み直し、消してやろうかと思いつつ。
あの又次さんショックから2年。
気づけば家族が先に新刊を買っており、私のところに回ってきた。

前作では、数馬とのこと、又次とのことで、散々に打ちひしがれた澪だった。
つらいことが続く中で、一つだけよい話が出てきた。
それが、芳の結婚話であり、佐兵衛との関係修復である。
そういった澪が大阪から背負ってきた天満一兆庵という大荷物が、芳と柳吾との結婚を契機に、なにかしら、ほどけていこうとしている。
そういう期待や希望がにじむところに、ようやく物語が至った感がした。

だからこそ作るお料理も、祝いの気持ちがこめられたものが多い。
人のために。
食べる人のために。
心を励まし、体を癒す。
そんな方向性を、澪はゆっくりと確認していく。
さまざまな人とのかかわりの中で、自分の真価を発見していく。
その過程を思い起こしながら、何度も涙ぐみながら読んだ。

8月発売予定の次巻で最終巻だそうだ。
どうか、雲の上、青空に輝くことができますよう。

2012.05.18

みをつくし献立帖

髙田 郁 2012 時代小説文庫

『みをつくし料理帖』の献立帖。
お澪ちゃんの作る料理を家庭で再現できるように、著者自身も包丁を握りながら作ったという料理の並ぶレシピ本。
料理はどれもほっこりとして美味しそうで、器まで物語そのままにカラーで写真におさまっている。
既出のレシピは紹介されていないが、料理だけは写真で紹介されていることもある。
合間には、内緒話というエッセイ。著者の人となりが感じられると同時に、これまでシリーズを愛読してきた読者への感謝状をいただいたようなくすぐったい気持になった。

また、巻末には、澪と野江の幼い日を描く短編が記されている。
新旧つる家の間取りのイラストを見ながら、この人はあの人で……と推察するのも楽しい。
これはこれで満足な一冊。シリーズと一緒に並べておきたい。
本編の続きを読みたいとか、お澪ちゃんを幸せにしてくださいとか、読者の欲はつきないけれど。

あの人がもういないんだよなぁ。
そこで、しんみりした。
あの人。
又次である。
又次によく似た人である。
どちらも、もういないんだよなぁ。

恋人が又次に重ねたくなるようないい男だった。とても素敵な人だった。
料理が得意な人で、私よりもはるかに上手に包丁を使う人だったから、きっとこんなレシピも彼なら軽々と再現してくれただろう。
鮪の浅草海苔巻きを見ながら、そんなことを考えたら、久しぶりに涙が出てきた。
その後の、p.88の文章を読むと、『夏天の虹』を読んだ時のつらさを思い出して、また、涙がじんわり出た。
まさか、献立だけでも泣けるとは。
帝釈天に連れて行ってもらったのだから、一粒符をいただいておけばよかった。

2012.03.18

夏天の虹:みをつくし料理帖

高田 郁 2012 時代小説文庫(ハルキ文庫)

この展開は。
私に泣けと言うのか。
想いびとと添う幸せと、料理人として生きる幸せと。
どうして二つ、並び合わせて生きていくことは叶わぬのか。
澪の選んだ道に、冒頭から嘆息した。

私の縁談が流れたと知って、急に優しくなった人たちがいる。
上司とクライアントだ。部下たちも内心は……と喜んでいたようだ。
ありがたくはあるが、どうにもこうにも、複雑な気分である。
母親が喜んでいるのは腹が立つので黙殺。
そんな自分の状況と重なり合って、どうにもこうにもやりきれない。
せめて、物語の世界ぐらいは、ハッピーエンドであってほしいのに。

以下、ネタばれ……しないように気をつけるけど、もうしちゃったか?
今回は私もネタばれの上で読んだ。まさかの検索ワードでネタばれ。

澪を取り巻く優しく温かい環境。
誰もかれもが澪のことを思うがゆえに、澪が選択を迫られるになったのが前巻。
その答えを出すところから始まったこの巻。
料理帖とタイトルにあるだけに、澪は料理人としての道を捨てられなかった。
むしろあっさりとした別れの瞬間から、その後、じわじわと別れの悲しみが澪を襲う。

好きな人だったのだ。思っていたし、思われていた。
だから、小野寺は損な役回りをすべて背負って、澪を守ってみせる。
その小野寺を悪く言うのを聞くたびに、胃がしこり、胸が締め付けられる。
好きな人のことを悪く言われたいわけがない。好きなのだ。まだ、好きなのだ。
その澪の想いも、小野寺の想いも、踏みにじらないで、見くびらないでほしい。
好きになったその人が、そんなにひどい人のわけがあるわけないではないか。
真相を誰にも打ち明けられないこともまた、澪を一層苦しめる。

仕事をしていればまぎれる。
考えを麻痺させて、心のどこかを麻痺させて、日々が続く。笑うに笑えず、ともすれば泣きたくなるような。
食べることも味を感じない。装うことに楽しみを感じない。目に映るものに美しさを感じられない。鳥の声も、花の色も、星の輝きも、慰めにはならない。
大切な人がいないまま、季節が過ぎることが許せない。それでも、時は確実に流れていく。

少しでも希望があるのなら、すがりつきそうになる愚かな自分と闘いながら。
人々の支えを感じながら、澪は自分の心星を見詰める。
休息の時を経て、もう一度、より力強く羽ばたく日のために。

それにしても、又次ですよーーーっ。
私の一番のお気に入り。絶賛お勧め物件。一番のいい男。
澪の伴侶になるなら小野寺様がよかったけれども、物語中で私の好きなタイプと言えば又次さんだったわけです。
それなのに……。読む前から予想がついていたとはいえ。やっと朗らかに笑えるようになったのに。
この巻、いきなり二人もいい男がいなくなってしまって、この先、どうするんだろう。
次の巻の発売予定は一年後。それでもなんとかハッピーエンドになってほしいものです。

想いびとと添う幸せを逃し、手元に残ったのは仕事で。
彼と一緒に台所に立ちながら、この本の中のレシピに挑戦したかったな。
小松原様というよりも、又次さんのような人。気風がよくて頼もしくて。
とにかくいい男でねぇ。素敵だったんだよー。ほんとうに、いい人なんです。
彼と生きていくためなら、なんでも捨てられるつもりでいたが、私が捨てられるのが先だったのが痛い。それも自分の至らなさが招いたことだ。
私には過ぎる人だったと思うことが、私の気持ちの落とし所になるのかも。
本当に、本当に、素晴らしい人。彼よりいい男には、二度と会わないな。間違いなく。
澪のように忘れたいとは思わない。恋は二度といらない。私が伴侶と慕う人は一人だけ。
ああ、ちくしょー。わすれられるかー。あいたいぞー。すきでわるいかー。

2011.09.12

花宵道中

花宵道中 (新潮文庫)  宮木あや子 2009 新潮文庫

長く積んでいた本を読んだ。思いがけずゆっくりと時間をかけたのは、一つずつを丁寧に読んでいきたい気持ちに駆られたからだ。
山田屋という見世を舞台に、数人の女郎たちを主人公にした連作になっている。
すっきりと簡潔な文章で、過度に情緒的にならず、そのくせ、ぐいとひきつける。
読みやすくて一晩で読んでしまえそうな本であるが、それぞれの女郎たちの物語を一つずつ味わいたくて、気付けば数日がかりになった。
物語の長さではない。深さが、それだけの時間をかけたくなった。

吉原を舞台とする作品が、妙に読みたくなる時がある。
江戸物というより、吉原物を選びたくなるのは、自分自身の中の女性性と向き合いたくなる時のような気がする。
間夫を持てば罰せられる。
でも、どれだけ気持ちを切り捨てても切り捨てても、やっぱり女で、人形ではなくて、心はあるのだ。
愛しても、愛しても、かなわぬとわかっても、愛したくなることがある。
それぞれに切なくて美しい物語は、性的な表現があっても卑猥にならず、潔くて凛とした清潔感すら感じた。
作者はとにかく綺麗に描いてみせる。どろどろした感情を持ちながらも、男女は、美しく咲いて、美しく散っていく。

物語の中、女郎達は短命である。
実際に、現在の女性の平均寿命よりははるかに短命であったと思われる。
近代において女性の平均寿命を引き下げていたのは産褥に伴う死が多いが、のみならず、栄養状態、労咳、性病など、まぁ、いろいろあっただろうなぁと思われるわけで。
稼げなければ河岸見世など、ランクの低い店でこきつかわれては年季明けなどなくなる。
かといって、年季が明けたからといって、門の外に受け入れ先はあるのだろうか。
一夜の夢に酔いながらも、最後にゆっくりと現実に立ち向かって行くような強さを、この作者は示すのがうまい。

美しくて、儚くて、男の夢をかなえるためだけの町で、男の夢をかなえるためだけに消費される女。
その位置づけをクリアにするのが、最後の勝野の章である。

勝野は男を信じていない。けれど、許すことはできる。(p.363)

どっかに希望は残されていなかっただろうか。
幼心に描いた夢の通りではなかったとしても、それでも、全部が全部、不幸だったとは思いたくない。
そうだとしたら、苦しすぎる。
忘れられて、なにもなかったかのようにめぐる日々だけではなく、変わり果ててしまったとしても、いまだなお残されている希望はないか。
美しくもなくなり、儚くもならなかった女の物語まで描いたところに、作者の魅力を一番感じた。

Here is something you can do.

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    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

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