チャールズ・シミック 柴田元幸(訳) 2002 新書館
世界は終わらない。
私がこの言葉を言うのと、著者が言うのでは、きっと意味が違う。
世界は終わらない。
神を信じていない世界の私が言うのと、神を信じていた世界を知っていて失った著者が言うのは、きっと違う。
そう思ったのは、もう一冊の「世界はおわらない」がノアの箱舟に取材していたからだ。
実は、間違えて買っちゃった本なのだ。
ジェラルディン・マコックランの小説「世界はおわらない」を買うはずが、著者名を知らなかったばっかりに、こちらを買ってしまった。
手元に届いたら詩集だったので、間違いに気付いた。
こちらのタイトルは「The World Doesn't End」で、小説は「Not The End of The World」だから、違いがあるのに。
小説のほうを改めて注文してから、届く前に読み始めた。
でも、このタイトルの意味合いを感じ取るには、小説を読んでからのほうがよいだろうと気付き、レビューを書くのを後回しにした。
詩集の感想って難しい。
散文詩、それも、シュールレアリスムの。日本語に翻訳されたもので。
このシュールさは、「自分という牢獄から逃れるため」(p.25)の戦略だ。
冒頭に作者の解説があるが、そこに、「象徴を読み込んだりする必要はない」「みんな文字どおり受けとめてくださればいい」(p.26)と書いてあり、そのように心がけて読んだ。
シミックの詩は、短編小説のような趣があった。
前半はわかりやすい流れが、途中でひねりが加わる辺り、起承転結の転を感じる。そこが俳句にも似ている気がした。
一つ一つに物語が膨らむような世界が用意されている。
同時に、連作小説のように、全体で一つの世界を築いているようにも読める。
ユーモラスで、皮肉。ありきたりのものの中に、戦争や死がまぎれこんでいる。
どうにもくだらないことやみじめなこと、いやなことがいっぱいの世界。
その世界の中で嘆きながら、それでも人は生きている。
「かつて私は知っていた、それから忘れた」(p.76)。
あるいは、誰かの苦しみなど知らないように、世界はただある。
もうひとつ、解説の中で興味深く思ったのが「不眠症」だ。
不眠症といえば、プラトンとレヴィナスを連想する。
死は夢のない眠りだと言ったのがプラトンならば、レヴィナスは死すら与えられない苦しみを不眠症に見た。
レヴィナスのそれがアウシュビッツの記憶につながるように、シミックのそれもユーゴスラヴィアの戦乱につながっているのだろうか。
多分、つながっているのだ。この死の気配の濃密さ、当たり前のように日常生活の中に死を見出している感覚は。
助けを求めても誰もいない。神々はもういない。それでも、世界は終わらない。
終わらないから、約束されていたはずの救済もない。やっぱり神はいない。
空っぽの部屋、窓の空いた部屋が、残されるだけ。
***
僕の守護天使は暗がりが怖い。怖くない
ふりをして、すぐ行くからと言って 僕を先に
行かせる。じきに なんにも見えなくなる。
「ここって、天で一番暗いところかも」と誰かが
僕の背後でささやく。聞けば彼女の守護天使も
やっぱりいないという。「ひどい話だよねえ」と僕は
彼女に言う。「あいつら卑怯な臆病者よ、あたしたちを
ほったらかしにしてさ」と彼女はささやく。そしてもちろん、
よくわからないけれど、僕はすでに百歳かもしれず、彼女は
眼鏡をかけた眠たい少女でしかないかもしれない。(p.69)
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