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詩句

2019.01.08

あたしとあなた

谷川俊太郎 2015 ナナロク社

美しい装丁に惹かれて手に取った。
箔押しの表紙に、青い薄紙のページ。
海に潜るような、空に昇るような。
ひっそりとして人知れぬ世界を包む本だ。

あたしとあなた。
そばにいるのに、わかりあえない。
あたしとあなた。
二人でいるのに、孤独が深まる。
あたしとあなた。
二人でいるから、対立してしまう。

まだ若く、未来に時間が多くあり、エネルギーがあり、共にあることを喜びとする「あたしとあなた」ではない。
共に生きてくることはできたけれども、共に死ぬことはできない、老齢期の「あたしとあなた」の言葉たちのように感じた。

もしかしたら、どちらかが認知機能の衰えから疎通性が低下していたり、他方を認知することが難しくなっているのかもしれない。
また、もしかしたら、それぞれに死期を迎えていたり、片方はすでに思い出のなかの人となってしまっているのかもしれない。

そんなひりひりとした孤独と、絶望を通り過ぎた諦念だけが持つ儚さ、軽やかさが、悲しくなった。
悲しくて、悲しくて、泣くことさえ許されない。
そんな風に、もの悲しい気持ちでいっぱいになった。
きっといつか、自分もまたこんな風に別れていくのだろう。別れるしかないのだろう。そんな未来を見せられた気がしたから、かもしれない。

  あたしは
  神を
  探しに行く
  迷子に
  ならないように(pp.56-57)

迷子に、ならないように。

2018.10.31

さよならのあとで

ヘンリー・スコット・ホランド 髙橋和枝(訳) 2012 夏葉社

手のひらに載るような、小さな絵本。
素朴な装飾と古風な字体の表紙。
ひっそりとしたたたずまいで書架に並んでいた。
存在感は控えめなはずなのに、目が惹かれ、手に取ると、離せなくなった。

1ページに1行か2行。
たっぷりの余白と余韻をもって語られる詩。
たっぷりの空間に柔らかな線で描かれた絵。
その空白が、時間をゆっくりと進める効果を持つ。
一つ一つの言葉や絵に、思いを込めながら読むことになる。

死は何でもないものです。
私はただ となりの部屋にそっと移っただけ。

移ってしまって見えなくなったその人からの温かい語りかけの言葉だった。
さよならのそのあとで、それでもなにも変わっていないのだと教えてくれる言葉。
優しくて穏やかな、慰めに満ちた一冊だ。

自分が身近な存在を亡くしたときに思い出したい。
大切な存在を亡くした人に手渡したくなる。
あるいは、まだ死というものを体験していない幼く若い人に、こういうものであるんだよと学んでもらうことにも役立つだろう。

2016.11.09

メコン詩集

鹿島道人 2015 不知火書房

好きな地域を題材にしてあるからと手にとってみた。
さまざまな形の詩が編まれている。
漢文もあれば、散文もあるような、多様な詩の集まり。
詩の世界も多様である。

アジアも多様である。
ここに描かれているのは、どこか陰のあるアジアだ。
アジアの影は、戦争の記憶であったり、現在の貧困であったり。
歴史の育てた智恵もあれば、生き抜く力もきっと持っている。

同じところを旅をしても、人によって思い浮かぶことは違うんだなぁ。
でもきっと、自分の心に去来したものを誰かに伝えたくなる。
それが旅というものなかもしれないな、と思って閉じた。

2011.12.12

まえぶれもなく

川上見映子 2011 imago9月臨時増刊号

詩を読んで泣いたのは、いつ以来だろう。
今の自分が抱えている喪失感を、大震災の被害と重ね合わせるのは不遜だと思う。
それでも、失った悲しみが、響いて仕方ない。
わんわんと声を上げて泣きたくなった。
この詩が、どうか後まで残りますように。
別れたことを確かめられない別れを、これほどまざまざと描く詩は、初めてだったから。

落ち込みの日々継続中。
このimagoは「東日本大震災と<こころ>のゆくえ」と題されている。
ゆっくりじっくり読んで行こうと思っている。

会いたい。会いたい。会いたい。
声を聞きたい。生きているって確かめたい。あなたが確かにいたのだと。
何がどうはっきりしたらあなたを失ったということになるのだろう。
あきらめきれない心が、何度も何度も何度もひとつの名前を呼ぶの。
あともう少し、ほんの少し、なんで踏みとどまらなかったのか。
まだ少し、ほんの少しでも、どこかに希望が残されていないか。
届かない。薄れる。消えていく。忘れられる。その前に。
会いたい。会いたい。会いたい。

2011.01.24

世界は終わらない

世界は終わらない  チャールズ・シミック 柴田元幸(訳) 2002 新書館

世界は終わらない。
私がこの言葉を言うのと、著者が言うのでは、きっと意味が違う。
世界は終わらない。
神を信じていない世界の私が言うのと、神を信じていた世界を知っていて失った著者が言うのは、きっと違う。
そう思ったのは、もう一冊の「世界はおわらない」がノアの箱舟に取材していたからだ。

実は、間違えて買っちゃった本なのだ。
ジェラルディン・マコックランの小説「世界はおわらない」を買うはずが、著者名を知らなかったばっかりに、こちらを買ってしまった。
手元に届いたら詩集だったので、間違いに気付いた。
こちらのタイトルは「The World Doesn't End」で、小説は「Not The End of The World」だから、違いがあるのに。
小説のほうを改めて注文してから、届く前に読み始めた。
でも、このタイトルの意味合いを感じ取るには、小説を読んでからのほうがよいだろうと気付き、レビューを書くのを後回しにした。

詩集の感想って難しい。
散文詩、それも、シュールレアリスムの。日本語に翻訳されたもので。
このシュールさは、「自分という牢獄から逃れるため」(p.25)の戦略だ。
冒頭に作者の解説があるが、そこに、「象徴を読み込んだりする必要はない」「みんな文字どおり受けとめてくださればいい」(p.26)と書いてあり、そのように心がけて読んだ。

シミックの詩は、短編小説のような趣があった。
前半はわかりやすい流れが、途中でひねりが加わる辺り、起承転結の転を感じる。そこが俳句にも似ている気がした。
一つ一つに物語が膨らむような世界が用意されている。
同時に、連作小説のように、全体で一つの世界を築いているようにも読める。
ユーモラスで、皮肉。ありきたりのものの中に、戦争や死がまぎれこんでいる。
どうにもくだらないことやみじめなこと、いやなことがいっぱいの世界。
その世界の中で嘆きながら、それでも人は生きている。
「かつて私は知っていた、それから忘れた」(p.76)。
あるいは、誰かの苦しみなど知らないように、世界はただある。

もうひとつ、解説の中で興味深く思ったのが「不眠症」だ。
不眠症といえば、プラトンとレヴィナスを連想する。
死は夢のない眠りだと言ったのがプラトンならば、レヴィナスは死すら与えられない苦しみを不眠症に見た。
レヴィナスのそれがアウシュビッツの記憶につながるように、シミックのそれもユーゴスラヴィアの戦乱につながっているのだろうか。
多分、つながっているのだ。この死の気配の濃密さ、当たり前のように日常生活の中に死を見出している感覚は。
助けを求めても誰もいない。神々はもういない。それでも、世界は終わらない。
終わらないから、約束されていたはずの救済もない。やっぱり神はいない。
空っぽの部屋、窓の空いた部屋が、残されるだけ。

 ***

僕の守護天使は暗がりが怖い。怖くない
ふりをして、すぐ行くからと言って 僕を先に
行かせる。じきに なんにも見えなくなる。
「ここって、天で一番暗いところかも」と誰かが
僕の背後でささやく。聞けば彼女の守護天使も
やっぱりいないという。「ひどい話だよねえ」と僕は
彼女に言う。「あいつら卑怯な臆病者よ、あたしたちを
ほったらかしにしてさ」と彼女はささやく。そしてもちろん、
よくわからないけれど、僕はすでに百歳かもしれず、彼女は
眼鏡をかけた眠たい少女でしかないかもしれない。(p.69)

2009.07.04

水のかたまり

坪内稔典 2009 ふらんす堂

表紙に惹かれて手に取った一冊。
帯には、「七月の水のかたまりだろう カバ」と句が書かれている。
七月にふさわしいと思って、手に取った。しかし、カバ。なぜに、カバ。

句集は、一気に読むよりも、少しずつ味わうほうが好きだ、
その日の気分で開いたページを、ひとつ、二つ。
さまざまな場所で、さまざまな季節に詠まれた、世界一短い詩。

短いにもかかわらず、目の前に景色が広がるような爽快感がある。
どんな景色を描いたのか、気持ちが込められているのか、想像力を総動員。
思わず笑みがこぼれたり、うっとりしたり、よくわからなくて首を傾げたり。
取り合わせや組み合わせが面白くて不思議で、驚いたり笑ったり。

動物園の光景が多い。カバだけじゃなくて、サイもキリンもゾウもダチョウも出てくる。
この日の庭には、枇杷の木があるのかな。柿の木も。猫がいて、仔猫も生まれたり。
海鼠はデカルト、ウニはニーチェ。ウィトゲンシュタインは台風。
遠賀川に筑後川、嵐山と伏見、気仙沼や佐多岬、ケープタウンにアムステルダム、江ノ電。
俳句を詠むためには、辺りに目配りし、周りを楽しむ、開かれた心が必要だ。

言葉遊びの多い人だなあ。似たような音、同じ音を繰り返すところを楽しんだ。
オヤ○っぽいと書くのは、失礼に当たるような気がするけれども、これってオ○ジっぽいよね?
象のお尻の連呼はもりみーを連想してぷぷぷと笑ってしまった。京都繋がりでもある。
が、一番のツボは高見盛。不意を突かれた。作者の意図と無関係なところで笑っていることには自信がある……。

では、気に入ったものを3つ。

 カントより妻が難解冴え返る
 黒猫は黒のかたまり麦の秋
 あの人はリアス海岸月のぼる

2009.02.19

わたしにふれてください

わたしにふれてください  フィリス・K・デイヴィス 三砂ちづる(訳) 2004 大和出版

出産した友人に贈ろうと思う。
初めての赤ちゃんを抱きしめている人への贈り物として真っ先に思い浮かんだのがこの本だった。
恋人に贈りたくなったこともあった。思春期の人には少し気恥ずかしくなるだろうか。
私が読むと、年老いた家族を大事にしたい気持ちが改まる。友人や恋人、わたしにふれてくれる人への感謝の気持ちが高まる。
どんな世代の人にも、性別にもかかわらず、読んでほしい。

「Please Touch Me」と題された詩を、三砂ちづるが訳し、葉祥明がイラストを添えた。
詩そのものの穏やかな愛情を願う真摯さも素晴らしいが、暖かな色合いのイラストが加わることで、より優しい印象の絵本となっている。
本文は、英文と和文の両方から書かれているが、オリジナルはポルトガル語だったそうだ。
和訳の面ではもう少しなんとかと思う箇所があるので、私は英文のほうが好きだったりする。
でもこれは、訳者にとっての愛着のある和訳だったそうだ。多くの人に膾炙しているとのことである。

触れることは触れられることでもある。
触れあうことには大きな意味や役割がある。
これは、一人ぼっちではできないこと。
誰かがいてくれる幸せを書き留めた素敵な詩である。

ミュージカルのCATSで、グリザベラがTouch Me!と歌うシーンを思い出した。

 もしもあなたが私に触れてくれたなら、
 あなたは幸せがどんなものかわかるでしょう。
(2005.11.8)

2007.08.04

ルバイヤート

オマル・ハイヤーム 小川亮作(訳) 1979 岩波文庫

高校生の頃に読んだ。酒に興味はありつつも、飲酒の経験などない頃。
楽しいお酒も、憂さ晴らしの酒も、つきあいの酒も、艶かしい酒も、おきよめの酒も、深酒して気分が悪くなったこともない頃に読んだ。
だから、酒に託されたことの、何ほどのことがわかったかといえば、わかったふりばかりで、わからぬことばかりだったように思う。

それでも、とても印象深く、忘れられぬ一冊となっている。
エスニックで、エキゾティックで、エキセントリックな、美しい言葉。いくつかのイラストと共に、ファンタジックな世界に酔える。
刹那的に酒と恋の楽しみを謳いながらも、皮肉げなのは、楽しみが奪い去られ踏みにじられる苦しみを承知しているからだ。
ひたすら酔っ払いだけれども、ただ苦しみから目をそむけるのではなく、苦しみを見据えながら楽しみを掬い上げるような、大人の態度を感じた気がする。

イスラム教では飲酒は禁忌である。
よく考えれば、飲酒の習慣があったり、飲みすぎて困った行動を取る人がいたから、禁止されたんだろうなあ。
ペルシャのガラスの杯に、赤い葡萄酒を注いで、月下に酔おうか。
今にして読んでみれば、以前とはまた違う、こもごもの思いが去来することだろう。

オマル・ハイヤームは11世紀セルジューク朝ペルシャの詩人にして科学者。
セルジューク朝はイスラム王朝であり、内部の権力争いや第一次十字軍による攻撃、さらにアフガンからの侵攻など、安穏とした平和とは無縁であった。
まさしく、ノア・ゴードン『千年医師物語:ペルシアの彼方へ』の時代である。

2007.08.03

其角俳句と江戸の春

其角俳句と江戸の春 半藤一利 2006 平凡社

「理解できないのはそっちの教養と眼識とが不足している」(p.125)とうそぶく。
挑発的なところが、其角の魅力らしい。
大酒のみの詩人とくれば、李白を筆頭、次点にオマル・ハイヤームを挙げていたが、今度からは其角も加えたい。

季節ごとの名句の解説に加え、忠臣蔵、三囲神社、永井荷風との絡みで書かれたものも面白い。

詩句を読む難しさは、幾重にも折り重なった、世界観にあろう。
短い言葉の背景には、もとの和歌や漢詩が、わかればわかるほど味わいが深まる。
本歌取りの妙は、詠み手の教養や感性をひけらかすと同時に、読み手の眼識や力量を試す。
「わかるものだけがわかる」という挑戦的な、暗号の世界なのだ。それをわかるという楽しみ方がある。

さらに、詩句を読む難しさは、一度にたくさんの詩句に触れると、一つ一つが記憶に残らないことである。
詩句は一つを何度も何度も目でたどり、舌でなぞり、折につけて思い出せるように憶えこむ楽しみ方がある。
こういう解説を読んで、成る程とうなることは多けれども、一読したぐらいで暗記できるような量を超えている。

その量でもって全体として、其角という世界を再構築しているのであるから、ほんの2、3でも記憶に刻むことができれば、初歩の私としては上出来だと思った。

俳句からは少し離れるけれども、『平家物語』では死者120人中、切腹したのは5人か6人。『太平記』では2140人以上が切腹していると、そこに人の心が殺伐になったと見て取る。成る程なあと頷いたり、よくも数えたものよと驚いたり。
そういう歴史や古典の薀蓄集として読むだけでも面白い。が、お小姓は男前のほうが思い描くに楽しいが、ヨン様はちょっと……。
ホトトギスの声は初夏になると毎年聞こえる点、今も我が家は江戸並みの田舎っぷりかもしれぬ。

以下、私なりに印象の強かった句のトップ3を記しておく。

 ***

 御秘蔵に墨をすらせて梅見哉
 傘に塒かそうよぬれ燕
 しら雲に声の遠さよ数は雁

 我雪とおもへばかろし笠のうへ ……も、捨てがたいなあ。3つにならず。

2007.08.02

俳句

高橋睦郎(他) 2003 ピエ・ブックス

すっきりとした表紙のレイアウトからして、手元においておきたくなる本。
これも、同じ出版社の『Man'yo Luster:万葉集』と並び、プレゼントに重宝する。
が、万葉集に比べると、俳句は切れ味がよく、小気味よく感じる。
きりりとした、一瞬の心地よさ。

季節ごとに章立てられており、その折々にあわせて読むもよし。
一ページをじっくりみるのよければ、ぱらぱらとめくるもよし。
言葉も景色も綺麗な本。
たとえば、海外の人へのお土産にもいかが?
(2005.2.7)

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