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**言葉というもの**

2020.10.29

ほんとうのリーダーのみつけかた

梨木香歩 2020 岩波書店

梨木香歩さんの本は、久しぶりに手に取った気がする。
Twitterで書影を何度か見かけたが、あの梨木さん?と意外に思ったタイトルだ。
まるでビジネス書かなにかのようなタイトルであるが、ひらがなとカタカナだけで記されており、年齢の低い人を対象にしていることを示す。
表紙は優しい色合いと図柄で意味深長な絵が描かれていて、どことなく絵本のような風合いをかもしている。

小ぶりで薄いこの本は、2015年4月に行われた講演をもとに文章化されている。
2007年に教育基本法が改変されたことをきっかけに、著者が違和感を持って『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の連載を始めたことが、はじめにで書かれている。
その連載は理論社から出版され、2015年に岩波書店で文庫化された。その、文庫化の記念に行われた講演だったそうだ。
その講演の記録に、「今、『君たちはどう生きるか』の周辺で」と「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」の二つの記事をあわせた構成になっている。

短い文章ではあるが、梨木さんの思いがずっしりと伝わってくる。
それは、同調圧力の加速への懸念、人が望まぬ方向へと押しやられていくような心配であったり、その圧力にどのように対抗することができるかの知恵であったりする。
実のない空虚な言葉ではなく、コトダマとしての豊かさをもった日本語を綴ろうとなさる真摯な姿勢に胸をうたれる。
人は時に敗者になる、失敗する、その体験を味わうことで、心を豊かにする土壌としていくことができるのだと教えてくれる稀有な手引きとなっている。

この中には、今の社会での息苦しさを感じている人が、生き延びる術がつづられていると思う。
それは、常に勝者であれ、というような、空虚できらびやかな成功譚ではない。勝者でなければ生きる価値がないかのような、冷淡で残酷な切り捨ての手法ではない。
そうではなくて、自分の真ん中に自分を取り戻して、大地にしっかりと足をつけるための、泥臭いかもしれないし、地味かもしれないが、安心を得る唯一の方法なのだ。

私は梨木香歩さんの本のなかで、『家守綺譚』だったと思うけれども、主人公が「それは私のこころに滋養にならない」と虚飾を断る場面が忘れられない。
梨木はさんが日本語が好きだから、滋養になる言葉を紡ぐことができるのだろうと思った。
言葉を道具とする仕事についている一人として見習って、言葉をないがしろにせず、大切に使い続けていきたい。

もう一点、この本では、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』が書かれた背景や、昭和25年に編まれた『科学の事典』を例に引きつつ、戦争の直前直後が語られる。
そこに、鶴見俊輔さんの話も加わる。徴兵されたときの、人を殺すように命じられた時にどうするかという、そういう例として。
その時、自分の魂は何を叫び、自分はどういう行動を取ることができるだろうか、その思考の訓練をしていくことは、もちろん、私にも必要なことだ。
それだけではなく、梨木さんも立ち止まって考える、昭和一桁後半から十年代に生まれた世代の、「大空襲の跡を歩けば瓦礫だらけ、無残な遺体がその辺に転がっており、あるいは山のように積まれていても、当時はそれが当たり前で、なんにも感じなかった。それが普通でみんなそうだった」(p.57)という思い出を抱えた人たちの体験に思いを馳せることが、私には大事な課題のように思うのだ。
2年前にセルジュ・ティスロンの『家族の秘密』を読んだ時から、鮮明に、そこをもっと意識しておかねばならないような意識が続いている。
私にも、私を取り巻く周囲にも、きっとどこかで反跳して表出している、敗戦の記憶を。

2014.10.18

絶叫委員会

穂村 弘 2013 ちくま文庫

タイトルに惹かれて購入してみたら『にょにょっ記』の人の本だった。
なにを絶叫するんだろう。絶叫するのが委員会のお仕事なのか、絶叫をなにか管理する委員会なのか。
なんだか、そのまま想像を膨らませていけば、三崎亜記さんが小説にしてくれないかな。
そんなことを想像したり、連想したり、私の思考は時々(しょっちゅう)、ふわふわと宙を漂う。

穂村さんが集めた言葉は、世界に溢れている「偶然生まれては消えてゆく無数の詩」(p.192)。
そこには、「天然の愛嬌やたくまざるユーモアや突き抜けた自由さ」(p.198)への憧れが通底している。
誌上に連載されたものを集めてあるだけに、きっと、書かれていった過程の時間経過がゆっくりなのかな。
ゆるりとしたり、ふわりとしたり、かわいらしい感じが、後半になるにつれて顕著になっていった感じがした。

穂村さんが見つけた女子高生のように蛍光ペンで線を引く代わりに、いくつかメモ代わりに引用を残しておきたい。
うっかり下手なことは言えない閉塞感に苦しくなったら、穂村さんの本を思い出すといいかもしれない。

 ***

事前の準備は大切だが、机の上に考えられることには限界がある。予めあたまのなかで考えたイメージに固執するよりも現場の状況にフレキシブルに対応することでいい結果が出る、ということを、彼はよく知っていたのだろう。
これはプロの、というか、大人の発想だと思う。現実内体験の少ない子供はほぼ「あたまのなかで考えたイメージ」だけで生きている。若者が観念的なのもそのためだろう。(pp.78-79)

 ***

自分のあたまを占めていることを、何も考えずにそのまま口に出した感じだ。どうしてそんなに大胆になれるのか。世界と他者に対する怖れのなさが羨ましい。だが、そういうひとは決して珍しくない。(p.128)

 ***

人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎないってことを改めて感じる。世界が歪むと云いつつ、実際に歪むのは世界像であって、世界そのものは微動だにしていないのだ。
 もしそうなら、世界を動かす言葉など存在しないことになる。あるのは世界像を動かす言葉だけ。でも、それによって、ひとは真剣に驚いたり喜んだり悩んだりする。(p.140)

 ***

奥さんの寝言をネタにして、後で怒られなかったかな?

白鳥ってかみつくよ。攻撃レンジが広い上に、水鳥はくちばしのふちがぎざぎざとした歯になっていて、大型の白鳥は力も強いから、結構、痛いんだわ、これが。
リーズ城の白鳥は、観光客からお菓子をもらうのを狙ってにらみがきいていて、威厳もあるから余計に怖かったな。しっぽ、触ったけど。

OSの話もおもしろかった。うんうん。よくわかる。あるある。

一番どきりとした表現は「戦争の足音がまた少し大きくなるんだ」(p.57)

2013.12.01

ラカンの精神分析

新宮一成 1995 講談社現代新書

なんで買っちゃったんだろう。の一冊。
読むとわけわかんねーと頭の中がぐるぐるしてくる。
一瞬はふむふむと納得しても、頭の中に残らないのだ…。
きっと自分の読解力の限界に挑戦したくなったときに買ったんだろう。
当然、読まずに積んで数年。しかし、何も刺激のない環境だと意外に読めるもんだ。

筆者の語り口は真面目のようで、時々しれっとユーモアが混じる。
多分、これは精一杯わかりやすいラカンの解説な気がする。
しかして、なぜに、ドラコンボールまで出てくるよ…。しかも、神話って。

鍵概念の対象αであるが、人がSNSに傾倒する理由をよく表すことができるように思われた。
人は自ら自分がなにものであるかを語る言葉を不十分にしか持っていない。
そこで、プロフィール画面の自己紹介では足りず、フレンドからの紹介文を希求する。
他者のつぶやきや日誌で自分が語られることを希求し、その語りのなかに自分がなにものであるかを見直す。
しかし、それは受け身的な体験であり、好ましからざる語りも黙して引き受けねばならない。
その他者によって語られている自分が対象αであり、その語りには他者の欲望が含まれている。

なんか、色々分かりやすくなったぞ。なったのか?
…まぁ、いいや。

平行して起きたバーチャルな世界のあれこれと重ね合わせながら読んだ。
この理論を他者に説明できるほど精通してなくとも、私はすでに臨床にある程度は活かしている。
他者を関係性の中で理解するときのテクニックとして、それは活かされてくる。
学者ではなく臨床家の立場として、使えるからこれ以上はパス!と区切ることにする。

そうなのだ。難しいという評判ばかり聞いて、ラカンの本は読まなかった。
でも、私は既に学んでいた。大学の現代哲学の講義で、記号論を中心に。精神分析のセミナーでフロイトやクラインを。趣味の読書で、レヴィ=ストロースやウィトゲンシュタインを。
ラカンがレヴィ=ストロースにちかしく考察しているのはありありとわかるのに、一回だけラカンのセミナーに出席したレヴィ=ストロースが「全然わからなかった」とラカンをシャーマンに見立てたというエピソードがいい。
ラカン、報われない男だなぁ。色々と。

日々、言葉につまる、そのままの事象をみいだす。
私はなにものであるか。
その言葉を私は持たない。
他者による説明を欲する。
他者による説明を私が再現しようとすると、その表現は嘘臭くなる。
その繰り返し。
真理は他者を要求する。

ああ。だから、君は君って言ってもらったことが、とても大きな体験だったんだ。
そこだけ納得。

2013.04.19

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

ウンベルト・エーコ ジャン=クロード・カリエール
工藤妙子(訳) 2010 阪急コミュニケーションズ

自分自身の中にフィルターがある。
私はすべてを記憶することはできない。
まず、すべての情報にふれることができない。
それらを、記銘することができない。
記銘した記憶のすべて想起することができない。
そして、記銘できていたはずのことさえ、人は忘却していく。
その限られた記憶力の中で、必要なものや好ましいものを選び残していくためのフィルターを用いている。

エーコとカリエールという、文筆家であると同時に稀覯本収集家である2人の、老練で諧謔あふれる対談だ。
書籍自体が美しい装丁で、見つけ、手に取り、そのまま、カウンターに持っていって購入した。
日本の携帯小説まで話題に出てくる。グーテンベルグの聖書や『アエネーイス』やシェイクスピアに並んで。
本について、図書館について、文化について、言葉や文字について、知について。
さまざまな人物名、書籍、引用。その知識の豊富さと、感性の洗練さと、思考の明瞭さ。
対談であることと、読みやすい訳であることで、専門書とかまえることなく、知性にうっとりと酔うことができる。

未来を確実に言い当てることは難しいという認識の上に、膨大な過去を集積し、その過去には空白があることまでも踏まえ、「問題はむしろ現在の不安定さ」(p.90)と指摘する。
自分が研究者を目指していた短い時期に、一つの主題について調べようとしたら、情報が無限にあることにめまいがした。
それを集める財力、読みこなす時間と体力と記憶力、言語の限界。理解したと思った瞬間には、次にはもう新たな知が生み出されている。自分の知らないことを知らざるをえない。
私が感じためまいを、この巨匠達2人+αも、当然のこととして語っていることに、ほっとした。

この2人は2人とも、人間の愚かしさに興味を持っているのだそうだ。
馬鹿と間抜けと阿呆を区別するくだり、声を立てて笑いながら読んだ。
「人間は半分天才で半分馬鹿」(p.299)と、自分自身の愚かさも踏まえつつ語り合うところは、かっこいい。
読むことと書くことと。憶えることと忘れること。信じることと疑うこと。
決して楽観的にはなりきらない。炎による検閲を意識しながら、言葉はくりだされる。西欧の文明そのものへの批判も、舌鋒鋭い。
彼らの言葉は非常に懐が深かった。本への愛情は、人間そのものへの好奇心の一形態と思った。

本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。その点をはっきりさせておくのは素晴らしいことですね。本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないのかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。(p.382)

これもまた、積読本の山を抱えている私をほっとさせてくれた言葉である。
よっしゃ。積むぞー。

2012.11.10

世界は言葉でできている

「世界は言葉でできているBook Edition」製作委員会(編) 2012 日本実業出版社

本歌取り。
金田一秀穂の序言を読んで、なるほどと思った。
そう言われればそうだ。
元の歌を言い当てるよりも、それより巧みな、美しい表現を磨くほうが面白い。
その辺の機微を踏まえている人が生み出す言葉は、もとの言葉と似通っておらずともぐっとくることがあるし、本家を超える可能性も出てこよう。

テレビでは数えるぐらいしか見たことのない番組を書籍化したものであるが、こうして文字で並べると、改めて、言葉を生む人によって個性があって面白かった。
言語は思考であり、言葉は哲学である。
言葉にはおのずとみずからが反映されてしまう。
ものごとに対する価値観であると、人生に対する姿勢であるとか、日々の生活であるとか、恥ずかしいものまでもにじみ出てしまうことがある。
同じ言葉をもとにして自分なりの表現を考えるという、いわば定点観測のような作業を減ると、お互いの個性がどうしても際立ちやすくなる。
そこがまた妙である。

恋を得たことのない人は不幸である。
それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である。
瀬戸内寂聴(p.84)

瀬戸内寂聴の名言を読んで、あれ?と思った。
そう言えば、似たような言葉を私は贈ってもらったことがある。
今年の夏、見ず知らずの人からであったが。
バイロンのような古来の有名人から当代当世の人の言葉まで、いろいろな人の言葉がここには集められている。
もとの言葉のセレクトもいいんだろうなぁ。

いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない。岡本太郎(p.228)

こんな名言に、どんな言葉が挑戦したか。挑戦していっているか。
それは、番組もしくは本著をご覧くださいってことで。

Here is something you can do.

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