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香桑の近況

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**猫が好き**

2017.04.04

ルリユール

村山早紀 2016 ポプラ文庫

タイトルの呪文のように美しい言葉は、本の修復の技術のことを意味するそうだ。
本の守護者たる魔女は、どんなに古く痛んだ本でも元通りに修復する魔法を使う。
美しい本を作り、人の心を幸せにする魔法の使い手は、本を船にたとえる。
心も技術も、遠い遠い未来まで運ぶ箱舟だ、と。

主人公の瑠璃は、少しばかり複雑な家庭事情を抱えて、少しばかりしっかりしている……いや、しっかりしようとしすぎているような中学生の女の子だ。
レモンバターのパスタや、とっておきの塩結びに甘い卵焼き、アジをカレー粉で味付けてオリーブ焼きにしたりできちゃう女の子なのだ。
祖母を訪ねて、風早の町に来て、この町に宿る魔法のひとつに出会う。
わくわくするような、どきどきするような、しんみりするような、そんな夏休みの物語だったりする。
いくつかの物語で、すでに風早の町を訪ねたことがある読書なら、彼女がどんな魔法に出会うのか、冒頭だけでもわくわくするはずだ。

4つの章と1つの掌編が収められているが、どの物語もそれぞれ魅力的で、書き留めておきたくなるような台詞があった。
ひとつずつがしっかりとした長さがあるので、ページをくるうちに次の言葉、次の台詞に惹かれてしまい、気づくとどっぷりとはまりこむ。
しかも、どの章も、少しずつ時間が重なっており、これがほんの数日のことで起きていることに気づいて驚いた。
あの場面やこの言葉と、あとで見直そうと思っても場所を見失ってしまい、また最初から読みたくなる。
図書館の本の海におぼれるような、そんな濃密な体験だ。

特に、これはもういつものことであるが、村山さんの作品に猫が出てくると、もうだめだ。
ハンカチじゃ足りない。タオルだタオル。すずなちゃんを思い出しながら、タオルほしい、といいたくなるし。
ティッシュだって箱で準備しとく必要があるぐらい、ぼろぼろ泣いてしまうのだ。
単に悲しい涙じゃなくて、心の中に溜まった澱を洗い流して綺麗にしてくれるような、そんな涙が溢れて仕方なくなる。
うちの長生きした猫さん達に話しかけられているような気持ちになって、この感想を書いているだけでも思い出し涙がこみ上げてくる。
これはもう、ほんとにもうとしか言いようがない。もう。

いつか、村山さんの異世界を舞台にしたファンタジーも読んでみたいなぁと思った。
瑠璃が扉を開けていった先の景色が、とても色鮮やかで美しくて、目の前にぱあっと広がるような感じがした。
風早の町の一連の物語はもちろん好きなのだが、それとは別に、日常とはかけ離れたどんな世界を見せてくださるのだろう、なんて、思ってしまった。
どうやら、作者の方は今後もいくつものお仕事を予定されており、また、既刊の文庫化も予定されているとのことで、風早町のいろんな路地やお店に遊びに行く機会がまだまだ続きそうである。
太郎さんはどうなったの、とか。七匹の魔神たちには、白雪姫の七人の小人たちのように、名前がついてそう、とか。
想像は膨らむけれど、続きは気になるけれども、きっとこの町のどこかで出会うのだろうと、楽しみにしてのんびりと待ち構えてみようと思う。

易しい、ではなく、優しい言葉遣いに、ささくれだっていた心が、読むうちに穏やかに凪いで行くいく。
いくつも、悲しい出来事があった。いろんな、苦しい出来事があった。
悔しいことも、嫌なことも、腹が立つことも、寂しいことも、いっぱいあった。
きっと、この本は、読み手の思いをいっぱい吸い込んで、一緒に未来まで運んでくれるだろう。
いつか、綺麗で優しい思い出に変わる。そんな未来まで。

2017.01.07

国芳猫草紙:おひなとおこま

森川楓子 2016 宝島社文庫

今年初めての読書は、タイトル買いした一冊。
国芳といえば、ユーモラスでかわいい猫達。
これはきっと愛らしいと思い、手にとってみた。
初読みの作家さんである。

鰹節問屋の又旅屋の娘のおひなが、絵を習いに通うのが歌川国芳の家。
国芳の家には、兄弟子達が数人おり、更に多数の猫達が暮らしている。
器量よしで賢いおこまという白猫の冒険を、おこまの猫目線で語るのと同時に、おひなの人間目線でも語っていく。
その冒険がなかなかのもので、名家のお家騒動にも関わってくるのだ。
猫達がわいわいと出てくるおかげか、その事件のあらましにも関わらず、全体として可愛らしい感じがした。

河鍋暁斎が歌川国芳に指示していたことなど、歴史的な事実も踏まえてある。
後書きによると、国芳の猫を主人公とした草紙があって、それを下敷きにしているそうだ。
『朧月猫草紙』というその物語を、翻案しつつ、膨らませたものが、この物語だ。
『朧月猫草紙』の現代訳もあるそうで、機会があれば読みくらべてみたいものだ。
著者の猫への愛情、原作への愛情が感じられた。

2016.12.06

コンビニたそがれ堂:祝福の庭

村山早紀 2016 ポプラ文庫ピュアフル

あの三郎さんが帰ってきた。表紙に描かれた賑やかな店内に、にっこりと立っている。
魔法のコンビには通常営業。銀の髪と金色の目をした店長さんがいることに、ほっとした。
おでんとお稲荷さんが美味しくて、最近はコーヒーもフラスコで淹れてくれる。甘酒のこともある。
近頃は、素敵な着物をまとったねここさんがアシスタントに入ることも増えてきたようだ。

洋服屋さんで働く販売員の女の子。かつてはデザイナーを夢見ていた。
母親を元気付けたくて、往年の大漫画家に会いに行く小学生の女の子。
父親と同じように芸人になりたくて、でもなかなか売れなくて、相方である幼馴染にも後ろめたく感じるようになった男の子。

3つの物語はどれもクリスマスの時期にぴったり。
寂しいだけ、悲しいだけの物語ではないのに、なんでこんなにほろりとくるのだろう。
夢は叶うかもしれない。叶わない夢もあるけれど、形を変えて叶うこともある。
誰かから贈り物をしてもらえたら嬉しいけど、きっと贈るほうも嬉しいんだよって教えてくれる。
自分が誰かに何かしてあげることができること。それを喜びたい気持ちでいっぱいになる。
それが、きっとこの冬一番の魔法だろうと思ったのだ。

あとがきを読んで、こういうことってあるあると思った。
自分が仕事で関わってきた人たちが、思いがけず、当たり前のことであるが、思いがけず、大人になっていて再会したときの喜びとか。
ふとした瞬間に、過去のこれまでの自分の仕事が、やってよかったこともあったのだと教えてもらえる喜びとか。
私はこの人たちを守っているつもりで、かえって支えられているんだなぁって、ほんのりと胸が温まる瞬間を思い出した。
愛されているなぁとおずおずと認めざるを得なくなる時の、面映いような、たまらない幸せな瞬間があるのだ。
さあ、今年もクリスマスのプレゼントを用意しなくちゃ。ね?

2014.05.01

旅猫リポート

有川 浩 2012 文藝春秋

世の中には、何度、読み返しても号泣してしまう本がある。
この本も、間違いなく、そんな魔法がかかっている本の一冊だ。

19歳になるかならないかの猫が死んだ。
心臓発作を起こし、一気に衰弱して死んだ。
この本が出たのはその頃で、友人が有川さんのサイン入りを手に入れたからとプレゼントしてくれたが、今は読まないほうがいいだろうと口を揃えて言われた。

もうそろそろいいだろうか。

京都に旅行に行く道連れに選んだところ、前半を読みつつ行きの新幹線の中で落涙。
京都の街中で、よーじ屋を見るたびに涙ぐみ。
後半から最後まで読み上げた帰りの新幹線は涙が止まらず、すっかりとあやしい人になってしまった。
読み終えて呆然としながらも、また、ページをめくらずにいられない。

ああいかん。これを書こうとしてページをめくったら、また、涙が出てきた。

そんな風に、泣いてしまうとしか、書けない。
どこを読んでも涙が出てくる。
どこから読んでも最後まで見届けたくなる。

サトルという青年と、ナナという猫の物語。
青年は猫をつれて、銀色のワゴンを走らせる。
僕の猫をもらってください、もう飼えなくなったから。
困ったように、信頼できる友人達をめぐっていくのだ。
この物語は、それ以上、知らずに読んで欲しい。

先に死んだ猫には、同じ年に生まれた姉妹がいて、当然ながら21歳。
よれよれしながら、でも、まだ生きている。
そのぬくもりを感じながら、いつかどこかで、また出会う日を思う。
この子は、きっと私の猫だなぁ。この子の相棒は私と思ってもいいだろうか。
別れても、別れても、別れても。
いつかどこかで、また。

2010.06.21

日本国憲法前文お国言葉訳:わいわいニャンニャン版

日本国憲法前文お国ことば訳 わいわいニャンニャン版  勝手に憲法前文をうたう会(編) 岩合光明(写真) 2010 小学館

ひとめぼれ。
平積みされた猫写真に目が留まったものの、惚れ込んだのは中身だ。
この企画、いい。
思いつきに惚れ込んだ。

あなたは日本国憲法を読んだことがありますか?
改憲/護憲を話しあうその前に、憲法そのものを読んだことがありますか?

高知の女性が思いついて、ブログやフリーペパーでお国言葉訳を集めた。
お国言葉にするプロセスで、それぞれが前文を理解する。咀嚼して、自分の身近なものにひきつけて、憲法について考える。
思いつきも素敵だけど、思いつきだけで終わらせない。
そこがとってもはちきんで素敵。

どんな表現になるのか。
自分の馴染みの言葉は音声として再現できるし、発音やイントネーションがいまひとつわからない言葉もある。
5年間で90以上。全都道府県網羅。
と言っても、一つの都道府県内でも地方によって言葉は変わる。著者(編者?)も書いているが、世代や年代によっても変わる。
幾つか集まったものの中からどれを選ぶか、どんな訳にしていくか。
その裏話もいくつから書かれており、そこも面白くて温かい。

あっちは? こっちは?とページを繰るうちに、日本国憲法前文を憶えてくる。
逐語で丸暗記するわけじゃないけど、そのスピリットがじわわーっと染みわたってくる気がした。
声に出して、読んでみた。次から次に読んでみた。
そのうち、涙が出てきて自分でもびっくりした。
すごく強い祈りのように、感じたから。たくさんの祈りを感じたから。本当に、心と涙腺にじわわーっときた。

疲れたら、猫の写真で和む。この辺りのバランス感覚も日常的でいい。
美人さんとは限らないけれど、お国言葉に合わせた各都道府県の普通の猫たちだ。
愛媛のこは何やってんのーっと笑いたくなったし、沖縄のこはナイス前足。
京都のこの後姿の貫禄。寝姿はどの子もこの子も、知らずに微笑が浮かぶ。
彼らがのーんびりとしている景色って、平和じゃない?

私は第9条も含めて、今の憲法が好きだ。
視野が広くて、理想と誇りを感じさせる文章だと思う。
古い言葉の凛としたたたずまいも好きだったりする。
好きで悪いか。平和で悪いか。
私の読書も猫とのお昼寝も美味しい御飯も、この憲法に守られているんだけどな。

いわゆる護憲とか改憲とか、立場に分かれた運動を離れて、読んでもらいたい。

2010.03.30

マタタビ潔子の猫魂

マタタビ潔子の猫魂(ねこだま) (ダ・ヴィンチブックス)  朱野帰子 2010 メディアファクトリー

時は遡ること、およそ千三百年。天平時代は、聖武天皇の御世のこと。
聖武天皇に献上された猫は、聖武天皇より「吉備唐万侶」の名を賜る。
……聖武天皇、流行なのか?
思わずつぶやいたのは、『天平冥所図絵』を読んで記憶に新しいからだ。
そういえば、平城京遷都千三百年記念か、今年は。

田万川家は、夏梅種の血筋。夏梅種の血筋を、猫の憑き物は好む。
主人公の田万川潔子は、知らずに大物の猫の憑き物を飼っている。
その猫魂こと、唐万侶が語り手である。潔子は彼のことを「メロ」と呼ぶ。
タイトルとイラストに釣られて買った本であるが、なかなか面白かった。
ちなみに、猫魂となる憑き物の猫と、一般的に猫又と呼ばれる猫とは異なるんだそうだ。
天照大神の御世から生きているという黒ブチ先生なる猫又も登場するから、猫好きには嬉しくなるぐらい猫だらけ。

かつて日本には多くの憑き物たちがいた。
憑き物となるのは、狐やタヌキといった動物霊系、古木などの木霊系、古い身の回りの道具などの付喪神系と、大雑把に分けることができるだろう。
百鬼夜行図などを見ていると、そこには、物を大切にしなさい、生き物を可愛がりなさい、といった至極当り前なメッセージが浮かんでくるように見える。
霊が宿るから古いものは捨てなさい、というものではないだろう。捨てるにしても、役目を終えた道具や、長生きをした生き物には供養をする、という発想だ。
滑稽であるが、そこに人ではないモノへの敬意と愛着が見て取れるような気がするのだ。

ところで、現代を舞台にするとどうなるか。
そこには、地球温暖化などの環境問題が透けて見えてくる。その展開、思いつきの豊かさに驚いた。
外来生物に押されて居所を失いつつある、日本の在来生物たちの姿が見えてくるとは思わないじゃないか。この設定で。
しかも、唐渡りであると、猫が狸に嫌味を言われるような場面さえある。どこからが外来で、どこまでが在来か、線引きはとても難しい。

彰義隊か白虎隊だったかについての記述を読む機会が以前あったが、当時の上野あたりの情景描写には、烏鳶に狐狸は当然のように登場しており、驚いたことがあった。
猫が主人公と言えば、最近では『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』が秀逸で。
タヌキと言えば『有頂天家族』を思い出すし、キツネと言えば『きつねのはなし』『鹿男あをによし』『コンビニたそがれ堂』か。キツネの出番、結構、多いな。
生活の中に、身近な景色の中に、当然のように人間ではない生き物がいることは、従来、とても自然なことだった。

人間しか存在できない都市の生活空間は、私にとって住み心地が悪い。
たとえば、アスファルトとコンクリートで固めて、猫の姿が見えないなんて、とても嫌だ。彼らが生活するためには、炎天下に足の裏を火傷しない地面があり、安全に横切ることができる通路があり、ちょっとした水飲み場や土の見える場所が必要になる。もちろん、餌場も、であるが。
スズメだって、90年代比べて個体数が半減しているという説がある。温暖化なのか、都市化なのか、近代化なのか、西欧化なのか、これも恐ろしい数字ではないだろうか。
身近なはずの場所が、身近な生き物ですから住み着けない場所になりつつある。そこは、本当にヒトの住める場所であるのだろうか。
ほかの動物が住める空間の余裕があること。それは、とりもなおさず、そこに住む人の心の余裕、生活の余裕を示すのではないか。
ヒトもまた自然発生した生物の一種族である。対して、猫は人が交配して生み出した、野性にはいない生物である。だからこそ、人はある種の義務を猫(やその他の家畜動物)には背負うんじゃないかと考えたりする。

潔子のように思ったことを口に出せずに腹に溜め込みやすい性格を持つ者にとっては、もちろん社会は生きづらい。
果たして、夏梅種は後世に残れるのであろうか。唐万侶は生き延びれるのか。
未来に、新たな憑き物の居場所はあるや、なしや。

娯楽として気軽に楽しめる本であるが、気軽に見過ごせない問いを孕んでいる。

2010.02.15

かのこちゃんとマドレーヌ夫人

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (ちくまプリマー新書)  万城目学 2010 ちくまプリマー文庫

一瞬、翻訳書?と疑った、タイトル、装丁、雰囲気。
『我輩は猫である』のオマージュかと思いながらページを繰るうちに、万城目マジックにくるくると捕われる。
読み始めたら止まらない。一気読みのマジック健在だ。

不思議なことは何一つない、ことはない。
アカトラの猫、マドレーヌ夫人は外国語が喋れる猫だ。
猫にとっての外国語。それは、犬と言葉が通じるということだ。
共に住むと人間の言葉は少しは分かるようになる猫たちも、犬の言葉はまったくわからないものになのに、マドレーヌ夫人は夫とは会話ができる。
マドレーヌ夫人の夫とは、かのこちゃんの家の飼い犬である玄三郎だ。

かのこちゃんは小学一年生の女の子。その両親と住んでいる。
かのこちゃんのお父さんは鹿と話したことがあるんだって。
ということは、お母さんは剣道が強いのかな?
素敵な家族の姿も微笑ましく、地に足が着いている感じがして快い。

猫も、犬も、人も、活き活きと描写されており、まるで目に見えるようだ。
どの存在を見ても、どの関係を眺めても、愛情がたっぷりと詰まっている。
これは、宮崎さんにアニメ化してほしいなぁ。心底、そう思った。
頭の中ではすっかり映像として情景が動き出しており、目に見えないことが不思議なぐらい。
少なくとも、猫も、犬も、よく知っている人が書いているとしか思えない。
小さい子どものとっぴなぐらいの思考や行動だって、うんうんと頷いてしまうほど。
確かな表現に支えられて、マドレーヌ夫人の物語にすんなりと読者は引き込まれてしまうのだ。

社会的になにか大きな事件があったわけではない。
だけど、日々の出会いと別れほど、ひとにとって大きな事件はない。
何より、第4章の最後の数ページの美しさには、涙が抑え切れなかった。
「だって、君は僕の妻じゃないか」(p.227)
これほどの殺し文句はないと思って泣けた。こんなときに、こんなことを。
この言葉を得られた人が羨ましくなるぐらい、美しい場面だった。
泣けて泣けてたまらなかった。

万城目さんはすごいなぁ。
子どもが大人になるような、大人が子どもになるような、きらきらの時間を過ごすことができた。

やつがれと甘夏

やつがれと甘夏―絵本漫画  くるねこ大和 2010 幻冬舎

くるねこさん、初の恋話!?
……と聞かされながらも、油断はしていけない。
なぜなら、前作のことがあるからだ。

やつがれは、チビ太と一緒に住んでいる。
チビ太の母親はいない。チビの後に拾われた仔猫である。
そう。ちゃんと忘れ物を取って、戻ってきたのだ。
鍼の先生も奥さんをもらい、毎日はのどかに過ぎ行く。
その中で、やつがれが一目惚れをしちゃったもんだから、どーなる?

干からびるほど、泣いて泣いて、その後に、それでも続く毎日。
前回は子を喪う悲しみであったが、今回は親を亡くす悲しみである。
それぞれの悲しみを抱えながら、新たな出会いもあれば、出会いがもたらす喜びもある。
だから、きっと生きていくことはできるから。
その悲しみが重くなくなる時がきっと来るから。
悲しみに打ちのめされず、そっと空に帰すような爽やかさを感じた。

白大福というのも、めでたくてよい比喩じゃないですか。
いやー。甘夏ちゃんが、度胸の据わった、根性のよい子なんだわ。
途中、案の定、しんみりとしてしまったが、ほっこりしながら本を閉じた。

仲良くおなり。みんなみんな仲良くね。
幸せになるんだよ。せっかく生まれてくることができたのだもの。

2009.12.18

夏への扉 新訳版

夏への扉[新訳版]  ロバート・A・ハインライン
小尾美佐(訳) 2009 早川書房

こんな寒い日は、夏への扉を探したくなる。
猫のピートに倣って。

ハインラインの名作『夏への扉』は、ハヤカワ文庫から出版されて30年になる。
表紙からして、猫好きにはたまらない表紙。この後頭部に惹かれて購入して数年。
それから何度も何度も読み返した。何度目になっても最後まで一気に読み上げたい。
古典的なSFの傑作ではあるが、ただ単に幸せな気分になれる物語として大好きだ。
とはいえ、訳にいささか古さを感じないわけではない。その古さも味と言えば味なのだが……。

そう思っていたところ、新訳版が出版されたことを知った。
店頭で見つけて、ためらった末に購入。ためらいの理由は、あの猫の後頭部の表紙じゃないから。
猫らしく行儀よくお座りしている、新しい表紙の猫さんに「Nooow!」(今すぐ!)と促されて手に取った。
文庫よりもやや大きくなって、文字も見やすく、読みやすさは各段にあがっている。
もちろん、言葉遣いが現代的になり、そういう意味での読みやすさも増している。

物語の舞台は、1970年と2000年のアメリカだ。
主人公ダンは、二つの時代を行ったり来たりしながら、1度は失ったものを取り戻していく。
大好きな人を、大事なものを、あきらめちゃいけないよー、と励ますような、ファンタジーの醍醐味がいっぱい。

2009年という物語世界よりも未来になった今、この本を読むのは少し変な感じだ。
世界はよりよいものになっている。主人公が信じるとおりに、世界は果たして歩んでいるだろうか。
主人公よりも年上になってしまった所為か、主人公に素直に寄り添えなくなっている自分に気付いてしまった。
大事なものを大事にするためには、人は狡猾なまでに慎重にならないといけないことがあることを知っている自分は、同時に2009年がそれほど優しい世界ではないことも知っているのだ。私は最早、それほど優しくないし無邪気でもない。そして、未来を憂えている。
でも、だからこそ、あえて、こんな風に祈れたら素敵だろう。それを実現させようという気持ちを取り戻すために。

 200707011742000  ***

未来は過去よりよいものだ。悲観論者やロマンティストや、反主知主義者がいるにせよ、この世界は徐々によりよきものへと成長している、なぜなら、環境に心を砕く人間の精神というものが、この世界をよりよきものにしているからだ。両の手で……道具で……常識と科学と工業技術で。(p.345)

うちの猫さんも、いつも夏への扉を探しています。いつか行っちゃいそうで、その日が遠くないであろうことが切ないなぁ。

2009.05.24

猫の本:藤田嗣治画文集

猫の本―藤田嗣治画文集  藤田嗣治 2003 講談社

レオナール・フジタ。
その人の絵は、女性の肌を独特な乳白色で描いたことで有名だそうだが、猫がよく出てくることでも有名だ。
特別展のポスターを見ていると、なんとなく居心地の悪くなるような絵だと思って、私は見に行かなかった。
代わりに、見に行った家族が御土産に買ってきたのが、この本だった。

猫が可愛い……とは言えないかも。
やまと絵風に描くと半端にリアルで、猫は可愛いというより不気味になる気がする。
特に、目が。
けれども、めんそう筆と墨で描かれたふんわりとした毛並みの柔らかさは、ほかに見ないほどで撫でてみたくなるほどだ。
だから、ころんと丸まったり、のんびりながながと寝そべっている姿の猫だけ、選んで眺めていたりする。

藤田は猫には「ひどく温柔かな一面、あべこべに猛々しいところがあり、二通りの性格に描けるの面白い」と書き残しているそうだ。
複数の猫が争っている図は、観察している人ならではで、画家がまぎれもなく猫と身近に暮らしていたことを実感させられる。
それがまた、ひどく躍動的で、まことに猫らしい猫の絵なのだ。

この本には藤田のエッセイもいくつかちりばめられており、画家に興味のある人には手に取る価値があるだろう。
画家には興味がなくとも、1920年代にフランスに留学していた日本人の生活が垣間見えることも面白い。
路上で捨てられていたような猫を拾い上げて飼っていたことや、フランスに留学しながらも日本の筆と墨にこだわったこと、帰国してからも忘れえぬフランスへの思慕の念など、文章を読むことで藤田の印象が少し変わった。

森見登美彦『恋文の技術』に何度も藤田の名前が出てきたが、何度見返してみても、猫も怖いが、女性はもっと不気味である。
総じて私は苦手なのですが、だんだん、見慣れてきた気がします。

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