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香桑の近況

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**猫が好き**

2022.03.12

桜風堂夢ものがたり

村山早紀 2022 PHP研究所

「会いたかったひとに会える奇跡」があるなら、あなたは誰に会いたいですか?

帯を読んだ時に、ふっととあるツイートのことを思い出した。
亡くなった人と話ができるという「風の電話」と呼ばれる電話ボックスがあるという。
このツイートを見たときから、私は誰と話したいだろう?と考え続けている。
もう一度、出会えるなら、私は誰と会いたいだろう。

もう一度、会いたい人をぱっと思い浮かべられないことは、幸いなことなのかもしれない。
私が同居する家族と死別していないからこそ、思い浮かばないのではないかと思うからだ。
確かに、大学や大学院の指導教授に今を伝えたい気持ちもある。この世にはいない親戚たちもいる。すれちがったままになってしまった、かつての友人とか。
でも、それよりも、私は今はまだ共に過ごしている家族やパートナーと別れてからのほうが堪えるだろうし、その時にこういう祈りを必要とするのではないかと思うのだ。

『桜風堂夢ものがたり』は、本屋大賞にノミネートされた『桜風堂ものがたり』の素敵なスピンアウトだ。
桜風堂店主の孫である透の秋の日の冒険を描いた「秋の会談」。ここで透はずっと読みたかった本と出会う。
少年たちのちょっと無謀な冒険はどきどきする。仲良し三人組で冒険するなんて、そういう連作の子ども向けの有名の物語があったことを思い出す。
こういうお互いに特別に思うような仲間を得られることは、それ自体がとても幸せなことのように思う。
誰かが何かを望んだら、仲間は協力し合うものなのだ。だって、仲間なんだもん。
童心にかえる思いで冒険譚を読み、三度ぐらい読み返してから、やっと次の章に進んだ。

「夏の迷子」の主人公は、銀河堂書店の店長の柳田六郎太。私のお気に入りの人物のひとり。
その人が迷子になっている。かなりしっかりと遭難してしまったらしい。
ぱらりと開いて見えてしまった文字に展開が心配で、なかなか読み始めることができなかったのが、この二つ目の物語だ。
村山さんの物語はハッピーなものも多いけれども、人が死ぬときには死んじゃうので、絶対に大丈夫だと安心できない。
もしや、柳田店長が帰らぬ人になるのではないかと思うと心配で、読むのが怖かったのである。
いろんな意味で、ひやひやが止まらず、最後まで読んでも信用できなくて安心できなかった。

そして、安堵したのもつかの間、「子狐の手紙」で追い打ちをかけられた。涙腺が。
この短編の主人公は、三神渚砂だ。有能でかっこいい、若きカリスマ書店員。彼女もとても魅力的で、大好き。きっと、ファンも多いはず。
彼女は家族関係で苦労があったことは、これまでのシリーズの中でも登場しており、別れたままの父親と折り合いがつかないままになっていることが、読み手としても気になっていた。
満を持しての父親との邂逅は、私のほうが号泣しまくるような感動的なものだった。
これはいかんですよ。泣きますよ。普通、泣くって。
ティッシュペーパーじゃなくて、タオル推奨です。
渚砂ちゃん、よかったなぁ…。

そして、『灯台守』。
夢のような美しい物語。
儚い、けれども、信じる者には確かに「在る」ものを思い出させてくれる、美しい物語だった。

春夏秋冬にちなむような短編であるが、季節の順に並んでいないこともよかった。
桜野町の一年間ではなく、おりおりに触れての物語という風に読むことができたらから。
本を開けば、いつでも桜風堂に行くことができる。
今はその奇跡だけで、私には十分である。
三毛猫のアリスがおり、オウムの船長がいる、素敵な素敵な本屋さん。
物語のひとつひとつが、世の光となって灯し続ける、その世界を感じることができるだけで、今は十分である。

人間たちが、不幸な方へ行かないように。孤独な想いを抱かないように。
人間というものは、ほんとうには孤独ではないときも、ひとりぼっちだと思い込んで、うつむいてしまうから。誰かの優しい眼差しで見つめられていても、気づかないから。(pp.243-244)

願わくば、遠くで戦火に追われている人々の心にも、ひと時恐怖を忘れ、希望を思い出し、勇気を奮い立たせる、そんな灯となる物語が傍らにありますように。
優しさと安らぎを思い出す、猫のぬくもりにも似た、そんな灯となる物語が、だれの傍らにもありますように。

2021.08.24

猫が30歳まで生きる日:治せなかった病気に打ち克つたんぱく質「AIM」の発見

宮崎 徹 2021 時事通信社

本書の印税の一部は、猫と人間の腎臓病研究などの費用に充てられる。
東京大学で人間の病気の医師であり、研究者である著者が、猫の宿業とでもいうべき腎臓病の治療薬の開発にも関わる。
そこにはいくつもの出会いの積み重ねがあり、著者の研究がどのように広がっていったかの流れと、AIMという血液中にあるたんぱく質の働きについて、平易な表現でつづられている本だ。
特別な知識はなくても読めると思うが、もしかしたら、『はたらく細胞』をちょっとかじっていたりすると、だいぶとわかりやすいかもしれない。

腎臓病、肝臓がん、肥満、アルツハイマー型認知症。
どれもこれも現代的で、私にとっては身近な病名が並ぶ。高齢の親戚家族はの9割ぐらいは、どれかに当てはまる。全員かもしれない。
そのどれもこれも、老廃物が蓄積することで、徐々に機能障害が起きていき、最後は特定の臓器が充分に活動しなくなることで、寿命を迎えるというモデルであることは、なんとなく普段から感じていたことであった。
人間の体と寿命というのは、そういうものであることはわかる。
その「老廃物が溜まる」ところを、なるべく遅らせるために、お掃除機能を高める。そういう治療モデルの提示がとても面白かった。

私自身ががん患者であり、その定期的な通院の待合室で読んでいたものだから、こんな風に科学が進むことで治療法が見つかっていくこともあることに、涙腺が緩みそうになった。
文中に抗体医薬品というのが出てくるけれども(p.188)、私が服薬しているものがこれになる。分子標的薬と呼ばれたりもしている。
実際に高額な治療費がかかるわけであるが、仕組みを聞いた時に、よくそんな精緻なものが作れると驚いたものだ。
そういう自分に身近なキーワードが、次々に出てくる本でもあった。

私は猫好きであるし、かつて一緒に生活をしていた22歳ほどまで生きた猫も、最後の最後は腎臓病の問題だった。
そのよろよろと苦しむ姿を知っているから、その苦しみがやわらいだ姿を見ることができただけでも、飼い主がどれほど安堵や喜びを味わうか、思い描くことができる気がする。
同時に、猫たちの寿命がのびたときのために、人のほうが先に寿命を終えたときに残された猫たちを次の人が世話をするようなことが当たり前の意識と仕組みを作っていくことも必要になる。
猫たちの寿命が長くなるということは、人の方が先に死ぬことも増えるんじゃないかと思うから。
その部分は、著者ではなく、猫を飼う、猫を愛する人たちの役割である。

イエネコだけではなく、ライオン、トラ、ヒョウ、チーターといったネコ族すべてが共通の問題を持っているとは思わなかった。
数を極端に減らして種の危機を迎えている種にとって、寿命が延びることで繁殖の機会が増えると、数の回復にもつながるのではないかと期待が持てる。
基礎研究というのは、大変、夢があるなぁ、希望があるなぁと思った。
猫好きの人だけではなく、基礎研究てなに?と首をかしげる人や、これから進路を考える10代の人にも触れてほしいような本だった。

 

2020.11.20

約束の猫

村山早紀 2020 立東舎

5000年の時をかけて、この膝の上に来たと思えば、どっしりとした丸い温もりがますます愛しくなる。
猫にまつわる美しい物語が四つ。その物語それぞれにあわせたページのデザインが、これまた美しい。
こういうページの上下を縁取るように飾られていると、とても特別な本に触れている気がしてくる。
表情豊かな少女たちのイラストも、愛らしい猫たちも、げみさんならではの豊かな色彩で目を楽しませてくれる。
心の中で、猫の温もりを感じ、毛並みのふわふわを感じ、生まれたての子猫の心もとないような柔らかさを感じながら読みたい。
優しく低い喉音や、すぅすぅという寝息や、時折こぼれるぷしゅぅという溜息が聞こえてくるかもしれない。
とてとてという軽い足音と、なにかの荷物を崩すときの大きな音、びっくりして斜めに飛び上がる姿。
小さな命への愛と、その命が人に注ぐ愛とがみっちりと詰まっている。

七日間のスノウ。
命はもろくてはかない。
それは人も、猫も変わらないのだけれど。
たとえ、短い命であったとしても、その命は大事な命。
病がちの兄弟がいる人なら、より一層、主人公の気持ちに寄り添えるのではないか。

五千年ぶんの夜。
冒頭、一瞬、これはスノウが主人公なのか?と疑うほど、捨てられた孤独感がリンクした。
不安な時、想像力は現実からちょっと離れて暴走する。
子どもならではの自由な想像力は、現実感を伴うから、怖い時は本気で怖い。
まるで世界の終わりを体感しているような孤独感をやわらげて、今ここの現実にひきもどしてくれるのは、温もりだったり手触りだったり、ごろごろと穏やかで低い喉音だったりするわけで。
猫という存在は確かに魔法の塊のようなものかもしれないなぁ。

春の約束。
外で生きる猫たちは、決して楽な生き方をしていない。
庭先や道端に猫のいる景色は好きだけど、今よりもっとのどかな時代に比べると事故だって多いし、猫を嫌う人もいればいじめる人もいる。家のなかでいじめる人もいるけれど。
猫ならば気楽というわけでも幸せというわけでもないし、かといって、人は人でなにかと生きることが難しいことがある。
それでも、猫であれ、人であれ、親は命を生み出すときに、幸せを祈るものだと思いたい。
すべてではないにしても。
それでも、そこに幸せを祈る気持ちがあることを信じる物語。

約束の猫。
何度だって、帰ってきてほしい。
羨ましくなる。
でもほんと、猫って律儀だから、きっと約束は守るんだと思う。
何度だって。

 

2020.11.19

トラネコボンボンのお料理絵本:旅するレストラン

中西なちお 2020年11月27日刊行 白泉社

トラネコボンボン!と見かけてすぐにNetGalleyさんにリクエスト。
以前、「世界一周猫の旅」という本と出合って、すっかりファンになってしまった中西さんの描く世界とボンボンの新しい本だ。
独特の線画と、装飾的なコラージュのような画面。水彩のような色合いの柔らかさ。
絵のことはよくわからないのだけども、この人の描く絵は部屋に飾りたくなる。

この本はトラネコボンボンの色彩豊かでおしゃれで楽しい絵本。
四季を通じて、その季節ごとに、いろんな仲間たちと食事を楽しむ優しい物語だ。
冬の場面は、有名な絵本を思い出して、くすりと笑ってしまった。
ひらがなで書かれていることから、幼い子どもと楽しむこともできると思う。

そこに登場したお料理やお菓子が、巻末にたっぷりとついている。
そのお料理は手が込んでいるものが多く、カラフルできっと写真に撮りたくなる。
こんなアイスクリーム、子どもたちも大人も大騒ぎになりそう。
フランスパン一本のサンドイッチも、きっと盛り上がるに違いない。
絵本を読んだ後に、ほら、このお料理って見せたりしたら、小さい子の歓声が聞こえてきそう。
著者の絵も、文も、お料理も楽しめる贅沢な絵本だ。

2020.08.03

満月珈琲店の星詠み

望月麻衣・桜田千尋 2020 文春文庫

Twitterで見たそのイラストがとても魅力的で、すぐにそのアカウント、桜田千尋さん(@ChihiroSAKURADA)さんをフォローした。
疲れた人の前にあらわれるトレーラーカフェ。店長のふっくらとした猫の穏やかな表情と、美しい空。
夜明けになると閉店し、いずこともなく消えていく、そんなお店。
そのコンセプトだけで、十分に物語を感じることができる。
やがて、次々に天空や星空にちなんだメニューのイラストも紹介されるにつれて、そのお店がないことのほうが不思議になるような存在感を感じている人もいるのではないか。私のほかにも。

その満月珈琲店が小説化されたものが、本作になる。
京都を舞台にした、優しい物語となっていた。
最初は京都の街中の、あのぎゅっと凝縮したような空間のどこに、星空の広がるカフェを登場させるのかがわからなかったが、そこはそこ。
二条のあたり、木屋町でとか、かつて歩き回った地名がそこここに出て来て、それもまた、私には懐かしい思いがした。
伏見桃山は二年前だったか。研修で行ったところであるし。暑い暑い日、御香宮の前を通って、名前の美しさにうっとりしたこともよく憶えている。

もとのイラストから浮かぶイメージに、星詠みという占星術の要素を加えてあるところが、なかなか興味深かった。
思わず、自分のホロスコープを調べてしまったりしたぐらい。

人生に迷っている人に、星が未来を示し、おいしいスイーツやドリンクが元気を与える。
こういうお店に私は行きたい。

2020.05.11

のら猫のかみさま

くすのきしげのり(作)・狩野富貴子(絵) 2019 星の環会

猫だから。
ただそれだけで選んだ絵本です。
#NetGalleyJP さんで読ませていただきました。表紙の画像も、そちらからお借りしました。

この絵本を読めるようになるのは、小学校にあがったぐらいでしょうか。
漢字にはていねいにルビがふってあります。
犬や猫の毛並みの柔らかさを感じる絵は、少し大人びた穏やかな色合い。
動物たちの表情は優しくて、文も絵も、心根の美しい絵本です。
もしかしたら、この意味は大人になってから徐々にわかるものかもしれません。
幼い心に、なにかよきものの種をまく、そんな一冊だと思いました。

もう何年も前の冬。我が家に野良猫の親子が来ていました。
お腹をすかせていて、うちにいた猫の残したものをあげるようになりました。
先代猫が風になると同時に、その親子の子どもたちが我が家の猫になりましたが、母親猫はどこに行ってしまったのか。
絵本の主人公とその母親猫が重なり、彼女を思い出してとても切なくなりました。

教えてくれることはひとつではありません。
彼らは一生懸命に生きているのだということ。
ひもじいなかで必死にで生きている命があるということ。
優しさや幸せはさりげなく、気づいたらあるかもしれないこと。
ありがとうは魔法の言葉であること。。。

絵本は子どものものという思いがあるので、自然に丁寧な言葉で感想を綴りたくなりました。
ですますの言葉遣いが似あう、上品な絵本です。
きっと、読んだあなたものら猫のかみさまになれるのです。

2020.04.24

心にいつも猫をかかえて

村山早紀 2020 エクスナレッジ

エッセイと小説と写真、3度美味しい贅沢な本。
著者初のエッセイは、見送った猫、すれ違った猫の数だけ、思い出が切ない。
猫に限らず、小さないきものと一緒に生活したことがある人は、その命を見送った経験もあるかと思う。
小さないきものと一緒に生活したことがなくとも、知っている人や知らない人の死に触れることはあるだろう。
そういう過ぎ行く命への深い愛情と、見送ったからこその後悔が語られる。

そういう猫たちと暮らしてきた日々の思い出とともに、子どもの頃の思い出や、作家としての経験、未来へと思い描くことなどが語られる。
どんな人があんなに心揺さぶられる物語を紡いでいるのか。
どれだけ、本と本屋さんという文化を大事に思っているか。
どれほど、「ふかふかの毛並みの、翼や鱗を持つ命たちの、その魂」(p.25)を愛しているか。
このエッセイと、この期間に書かれた小説は、愛して愛してやまなかった命を見送った後の喪失と鎮魂の過程であるようにも感じた。
自分自身にも、愛する命にも、命には限りがあることを見据えているから、ぶれずに優しく、謙虚で、凛として強いのだと思う。

長崎を舞台にした春夏秋冬の4つの物語。
ところどころ、長崎の言葉に訳された台詞が出てくる。九州に縁が薄い人には聞きなれない言葉遣いであるかもしれないが、私にはなじみのある言語。
方言には独特のイントネーションやリズムがある。音色がある。
その長崎弁が最大限に効果を発揮していると感じたのが、夏の物語、「八月の黒い子猫」だ。
前もってnoteで公開されたときには、全編が標準語で書かれたものと、一部が長崎弁で書かれたものの2パターンがあった。
その時も、これは長崎弁のほうがいいと強く感じたのを憶えている。
断然、こっちがいい。
私には秋の物語もほんのりと切ないし、冬の物語も胸が痛いものがあるが、春の物語は号泣ものだった。
どの猫の物語も、猫って人間を愛してるくれるんだと教えてくれる。
村山さんと猫。この組み合わせは、絶対、泣く。そういうものなのだから、箱ティッシュやタオルは用意してから読むのがよいと思う。

エッセイと小説の両方が楽しめるだけでも贅沢だが、この本にはたくさんの猫たちの写真がちりばめられている。
村山さんの家族である歴代の猫さんたちも、町の景色のなかの猫さんたちも、どちらも表情豊かだ。
Twitterで見たことのある写真があると、思わず頬がゆるんだ。
しかも、街猫さんたちの撮影をしたマルモトイヅミさんが描いた、イラストの猫さんたちもとても可愛い。
奥付の猫さんは何度も何度も見ては、にっこりとしたくなる。イラストも入れて、この本は4度美味しい。
表紙や帯の手触りもよく、細かなところまで気配りされた、丁寧に作られている本だ。
手触りも入れたら5度も美味しい。

著者とはTwitterでお話しすることがあり、実際にお会いしたことがある。
エッセイを読んでいると、村山さんにお会いしてお話ししている気持ちになった。
私の頭のなかでは、読んでいる文字が村山さんの声や話し方で再生されるのだ。
これは、小説を読んでいるときにはおきないことで、エッセイだからこそ、御本人とお話ししているような体験になるのだと思う。
地方のなまりのない、鈴を転がすような澄んだ声と柔らかな声音で、表情豊かに話される御様子まで、目に浮かぶようだった。
世界が平穏を取り戻したら、再びお会いしにうかがいたいなぁ。
そして、記憶のなかの長崎の景色をアップデートするのだ。

この本、読んでいて面白かったのは内容だけではなく、エッセイと小説の両方があるという読み心地の部分もだ。
私の感覚だが、エッセイを読む速度と物語を読む速度、違うことを感じた。
物語はすっと没入する感じ、エッセイはゆったりと語り合う感じがする。
前者は映画館で見る映画のようなものだし、後者は面と向かったの対話やラジオを聞くのにも似ている。
似ているようで、まったく違う「読書」なのだ。それが交互にくるので、読んでいる自分のペースに変化が生じ、一冊を読むなかでの起伏となるのが興味深い体験だった。

今、我が家にいる猫たちの中でも、ひたむきに信頼と愛情をささげてくれる猫がいる。
彼らの信頼を裏切らず、彼らを最期まで見届けたい。
せっかく我が家を選んで、来てくれた猫たちなのだから

2020.03.29

コンビニたそがれ堂:花時計

村山早紀 2020 ポプラ文庫ピュアフル
 
時が巻き戻せたら。
 
そんな願い事が共通した3つの物語が収められている。
詮ないとわかっていても祈るように願うのは、それぞれが取り返しのつかない事態を孕んでいるからだ。
取り返しがつかないとなれば、生死が関わってくる。
死という不在をどのように受け止め、自分の内側に納めていくのか、作者の手探りが感じられる。
なにしろ、1つめの「柳の下で逢いましょう」の主人公ときたら、影の薄い幽霊さんときている。
この「柳の下で逢いましょう」には野良猫の母子が出てくるが、数年前に我が家の裏口に来ていた野良猫の母子に重なった。
その子どもたちのうちの4匹は、我が家でそろそろ中年になってきたが、できれば母親猫にも安心して暮らせる生活を提供したかった。
長く飼っていた猫に一番そっくりだった母親猫。一度も鳴くことがなくて、警戒心が強くて、触らせることもなかった母親猫。
物語のなかでは、母親猫にも暖かい寝床と食事が得られたようで、私のなかの思い出の猫も少し救われた気持ちになって嬉しかった。
全体に濃密な死のにおいを感じたが、そこはそこ、3つめの物語にふわりと光の世界に引っ張り上げられ、現実に戻るような読書となった。
 
私は、後悔は不在という心にぽっかりと空いた穴の縁をなぞる作業のように思い描くことがある。
もはやその存在そのものには触れることがかなわないから、代わりに不在に触れてしまうのだ。
不在に触れるたびに心が痛むとしても、その痛みだけがかつてそこに存在があった証である。
だから、痛くても痛くても、触れてしまうのだと思う。
惜しむ、悼むとは、不在の痛みを感じ、なかったことにしないことなのだと思う。
それでも、時は流れて、穴の縁はなぞるうちにすべらかになり、いくらか大きさが小さくなり、深さが浅くなり、こころの内に抱えやすくなっていく。
 
実を言えば、私はあの時に戻りたいと思うことは今のところ、あんまりない。
自分の人生は一度だけで十分だと思っているので、やり直すことで終わりまでの時間が長くなることを考えると、ぞっとする。
あれはやめておけとか、それはいらなかったと思っても、こうしておけばよかったと思うことが少ないのかもしれない。
そんな私であっても、Twitterで老猫を甲斐甲斐しく世話をする人を見ると、死んでいった猫にもっとしてあげられることがあったのではないかと落ち込むことがあった。
冷静に考えてみれば、知識も技術も足りなくてどうしようもなかったし、自分の気力と体力も限界だったとは思うのだけど。
それでも。
 
物語は不思議だ。
できなかったことが、かなえられることがある。
自分に似ている人を見出すこともできるし、自分が物語の中の人となって生きることもできる。
当たり前の日常を生きている平凡な人生のなかで、「自分なんていてもいなくても同じではないか」と思ってしまうことがある。
自分に意味や価値がないように感じて、もどかしくて頼りなくて焦ったり苛立つような感じは、思春期に特有のものだと思っていた。
けれども、大した人生を送っていないような、これではいけないような感じというのは、折々に触れてよみがえるものだということがわかってきた。
青年期、中年期、そして、老年期になっても、自分の来し方を振り返るたびに、行く末を思うたびに、ひとの子のこころは揺れ動くものなのかもしれない。
だから、「自分を許しておあげなさい」というねここの助言が、この本の全体を貫く贈り物なのだと思う。
できなかったことを許す。
できなかった自分を許す。
きっと、それが喪の作業の要なんだろう。
今の自分を許せないような気持ちが頭を持ち上げてきて迷子になったとしたら、たそがれ堂を探すチャンスなのだ。
神様は留守にしていても、代わりに可愛らしい店番のお嬢さんが話を聞いてくれるだろう。
おでんは温かく煮えているし、おいなりさんは甘くてしっとりしていて、葛湯や梅昆布茶をサービスしてもらえるかもしれない。
「未来はいつだっていい子の味方」なのだから、その未来を生きている大人があんまりよろよろしたくないなぁと思った。

2019.11.25

カフェかもめ亭:猫たちのいる時間

村山早紀 2014 ポプラ文庫ピュアフル

しばらく積んでおいた本だ。
だって、村山早紀さんと猫の組み合わせは泣く。絶対に泣く。自信をもって泣くはずだ。
そう思って、なかなか手を出せずにいた本だ。
手術後、思いのほか、精神的にもダメージがあり、優しい物語を読みたいと思って、手持ちの村山作品の中で未読だった本書を手に取った。

風早の街にあるカフェかもめ亭。
そこに訪れる不思議な雰囲気のお客さんが、猫にまつわるいろいろな物語を聞かせてくれるという形式の短編集だ。
7つの風合いの違う短編が収められているうえに、ひとつひとつにカフェメニューとBGMが添えられている。
おしゃれで欲張りな本だ。
おまけに、片山若子さんの挿絵や表紙も楽しくて、時々謎めいていて、とても素敵だ。

いつも通りに優しく柔らかな声で語りかけるように紡がれる物語は、私がしんどい時でも、そうっと心を撫でてくれるような安心感があった。
一気に読む気力も体力もなかったので、短編集はちょうどよかった。
慎重に休み休み、まだいける、これなら泣かない、いけると思って読んでいたが、『白猫白猫、空駆けておいで』でがつんとやられた。
これはもう、やられた。
長生きした猫が風になった後、飛行機に乗った時、あの雲の上で遊んでいるのだろうかと、窓の外を見たことを思い出した。
足の裏が濡れちゃうとか、これ冷たいのよ!とか、なめても美味しくないの…とか、彼女たちが戯れているような気がして、そっと目元を押さえたことがあったから。

猫は本当に優しい。律儀だ。
私のかわいい猫に会いたくて、早く退院したいと思った。もう退院しなければならないのか?という不安もあったけれど、早く退院して猫を撫でたいと、退院を後押ししてくれた。
早く飛行機に乗れるぐらいまで回復したいものだ。
その前に、このクリームチーズのサンドウィッチは試してみないと!

2019.07.22

お江戸けもの医 毛玉堂

泉ゆたか 2019年7月22日刊行 講談社

動物たちは嘘はつかない。動物のすることには意味がある。
人がすることにも意味がある。だが、人は嘘をつく。

小石原の療養所で人の医者をしていたという凌雲と、その押しかけ女房となったお美津。
捨てられているところを世話して、そのまま貰い手がないまま引き取っている、犬たちや猫。
夫婦のぎくしゃくとした同居は意外とにぎやかで、あれやこれやと客と出来事が舞い込んでくる。

お美津の幼馴染は笠森お仙というから、浮世絵好きとしてはにやにやせずにはいられなかった。もちろん、鈴木晴信だって登場する。
こういう実在の人物を縦糸にして、お美津や凌雲という想像の人物を横糸に絡めて、物語というおりものができあがる。
それも、とびきり穏やかで優しい物語だ。切ったはったのない、町衆の時代劇に重ねられた市井の人々の物語だ。

ただ傷ついた動物の治療をするだけではなく、人間以外の動物とどのようにつきあっていくのかを投げかける。
その動物たちとのつきあいのなかで最も難しいのが、人という動物との付き合い方であり、お美津とお仙それぞれの葛藤も穏やかに描かれる。
なんで、凌雲は人の治療をやめて、動物の医者になることになったのか。その凌雲と男女の仲ではないお美津が、どのようにして女房になったのか。そして、この二人はどうなるのか。
そこに善次という謎の少年まで加わるから、最後まで読まないと事のあらましはわからない。

トラジは獣のくせに、あんたの勝手でここにいるんだ。ここにいてくれるんだ。トラジに余計な負担を掛けようなんて考えずに、少しでも楽しく穏やかに暮らせるように、あんたが心を配ってやってはどうだ?(p.146)

人はよく動物の気持ちをあれこれと思い描いてこじつけてしまいがちで、自分の勝手や都合の押し付けではなくて、動物としての自然な理由を考えることは難しいことがある。
そのあたりの機微がとてもよく描かれていて、少し耳が痛い。
犬思い、猫思いの、優しい物語だ。

#お江戸けもの医毛玉堂 #NetGalleyJP

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