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香桑の近況

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# 京都界隈

2018.05.30

ばけもの好む中将7:花鎮めの舞

瀬川貴次 2018 集英社文庫

頃は、桜の咲き乱れる春。
いつものように宣能に振り回される宗孝。
表紙の二人がとても可愛い。
当地では桜の季節はとっくに終わってしまったが、この表紙の桜模様がかわいくて、春の気分を思い出しながら読むことができた。

もともと、軽妙な会話や元気のいい登場人物たちに、何度も笑わせられる楽しいシリーズだ。
今回も意表をつかれたは、ぷぷぷwとなることもしばしばだった。
花鎮めの舞は、AKBなのかなぁ?
副題はなにかしらをもじってあることが多いけど、今回はぱっと思いつかなくてもやもや。

宣能と宗孝の二人が怪異を求めて夜の都を右往左往する物語が、ずっと続くのかとも思っていた。
ところが、少しずつ、これまで通りにはいかない気配を持ち始めた。
それは二人それぞれの成長であり、環境の変化であるが、7冊目は、今後はその変化が更に大きくなっていくことを予想させる。
果たして、大団円は来るのだろうか。これはますますシリーズの続きが気になる。

2018.02.20

あきない世傳 金と銀5 転流篇

髙田 郁 2018 時代小説文庫

ページをめくることが怖くなった。
続きは読みたい。しかし、読むのが怖い。
ホラーを読むにも似た、この恐怖。
中身はホラーとはまったく違うのに。

季節はうつり、主人公幸と智蔵のむつまじい様子に、読み手の頬もゆるむ。
ようやく幸が幸せになろうとしている。
商売も、波乱が起きそうで、それをやすやすと乗り越えていく。
やっと、いろんなことが軌道に乗っていくわくわくする巻だ。

呉服商を舞台とする物語だけに、このシリーズはひときわ、色彩が美しい。
着物の色合いのみならず、五鈴屋の風呂敷ひとつをとっても、目に浮かぶように描かれる。
浄瑠璃の衣装や商家の店先を飾る布、娘たちの結ぶ帯、見上げる空まで美しい。
丁寧な描写と過不足のない説明が、読み手を物語に引き込む。

しかし、そこかしこに不穏を感じてしまった。
だって、フラグが!フラグが…!!
どうぞ、大事がないように、と祈りたい。

最後の巻まで、安心しては読めないんだろうなぁ…。
この流れはこの先どう転じていくのかわからないが、幸が幸せになりますように。

2017.06.21

罪の声

塩田武士 2016 講談社

ぶあつい。このずっしりとした重みが、読み終えた時に、違う重みになる。
なんという物語なのか。

グリコ・森永事件に題材を取った小説である。
私にとっては名前とキツネ目の男のイラストの印象のほか、概要については記憶もおぼろだ。
そんな事件だったのかと初めて知ることもあり、どこからどこまでがフィクションになるのか、私には境目が朧だった。
事件の真相を追ううちに、その先にあるものを考えずにいられなくなる。
何があったのか。誰が起こしたのか。それだけではない。
その後、彼らの家族はどうなったのか。彼らにも家族がいたのではないか。

実際のルポルタージュを読んでいる感覚になり、既視感を覚えた。
そうだ。清水潔さんの著作を読んでいるときの気分に似ている。
物語の語りの中心にいるのは二人。そのうちの一人が、未解決の昭和の事件であるギンガ・萬堂事件を取材するように言いつけられた新聞記者だからだろう。
もう一人の主人公は、京都でテーラーを営む青年。この青年が実家から一本のテープを発見するところから過去への旅路が始まる。
そのテープは事件に使われたものであり、そのテープの声は子どものころの自分だったから、だ。

取材する者と、犯罪加害者の家族かもしれない者。
二人の視点から、別角度から照射するように、事件のあらましが少しずつ見えてくる。
取材する者と想起する者それぞれの視界が重なり、やがて二人がそろって事件を見た時、過去の事件を見直す意味も立ち現れる。
大きな事件のその後。そこに残された人々の傷の一つ一つを取り上げていく筆致は具体的かつ現実的で、的確だ。
被害者でもない、加害者でもない。でも、被害者の家族の会はあっても、加害者の家族の会はないのだ。

誰かを断罪するためではなく、誰かを救済するための情報発信。
なんのためのジャーナリズムなのか。これはリアルに反映されてほしい問いかけだ。
興味本位の、偏見に満ちた、印象操作による、集団による私刑になってはならない。
誰にどのような利益をもたらすための報道なのか、報道する側にはどこかで意識してもらいたい。
大本営発表になってはおらぬかと、リアルでメディアを批判的に見ることが多いため、しみじみと噛み締めたい物語だった。

そして、閉じてしばらくしてから思う。
この物語の中でも、キツネ目の男は最後まで謎のままに消えていることに。

2017.06.05

私の方丈記

三木 卓 2014 河出書房新社新書

国語の教科書で触れた時から、方丈記は私にとって特別なものである。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
この世界観は私に馴染み、今も私の根底の一角を成している。

だからと言って、全文を読んだ記憶が希薄で、本屋さんでこの本を見かけた時には自然に手が伸びた。
三木さんの現代語訳は、あとがきで著者が企図したと書いてある通りに、読みやすい。
ただただ内容を味わいたい身としては、対訳で表記されているよりも、現代語訳は現代語訳だけで表記されていることも読みやすかった。

鴨長明は、人生でうまくいかないことが続き、50歳を過ぎて僧になった。
60歳を過ぎて、京の街中から外れたところに庵を結び、静かでのんびりとした生活を過ごす。
独居老人生活の見本というか、手本のような人であるが、言うほど楽ではないんだろうなぁと思ったりする。
彼が書き付けたつむじ風や遷都、飢饉、地震といった世の中の恐ろしいことは、当たり前であるが現在とまったく違いはない。
仏僧の生活を送っているはずが、世俗の苦しみと山暮らしの楽しみに心が囚われていることに囚われているのではないか。
そういう極めて個人的な文章だった。

分量として意外に短い。

その方丈記の現代語訳の後に、それぞれの段にインスパイアされた三木さんの「私の方丈記」が収められている。
大陸で過ごした戦前から戦直後に引き揚げてきてからの生活がつづられており、今、この本にひきよせられた理由はここかと思った。
戦争の体験、戦争の記憶である。兵士ではない人が体験した、無政府状態の混乱や恐怖、その後の飢餓や喪失が、どこか軽妙で気負いのない口調で語られる。
この方は私の父よりも少し年上であるが、三木さんの描いた東京の景色に、父の子ども時代を透かし見ることができた。
きっと、たくさんの人がつらかったり、苦しんだ。そのことを、この国はもう忘れようとしている。
隔世の念があり、とても同じ場所で起きたことであるとは思えないような一瞬を、体験した本人だって感じているけども。
でも、繰り返しちゃいけないよね。

世の中には、集団をあつかうのがうまく、いつも状況の中でもっとも適切なことを全体にとって望ましい結果にむかって導いてくれる、すばらしい人物がいる。(中略)
でもぼくは、そういう人間が、密室の部屋にもどって一人になったとき、どういうことになっているのかが、少し気になる。(中略)
ぼくは、かれがふだん見るかれとは似ても似つかないものになっていることを願うし、また事実そうなっているだろう、と思う。自分一人の空間で自分勝手にふるまう、ということは、つまり自分を意識しない自分になっていること、である。そういう時間はだれにとってもなければならないものである。(pp.143-145)

この著者の言葉、人間観が素敵だなぁと思った。
現実的で良識的な感覚に裏打ちされた、あたたかなまなざしを感じる。
私自身がこれから年を重ねていくときに、こんな風なまなざしを持っていられますように。

巻末には方丈記の原文を収められている。

2017.02.21

あきない世傳 金と銀3:奔流篇

髙田 郁 2017 時代小説文庫

あほぼんな若だんさんが死んで、その弟である惣次から求婚された幸。
断れるような立場ではなし、かと言って、惣次は勘気なところが心配な人。

話の続きが気になっていただけに、一気に読んだ。
やっぱり……と残念な気持にもなるが、夫婦仲良くめでたしめでたしでは、話が続かなくなる。
幸には幸せになってもらいたいだけに、複雑な気分で読み終えた。
ネタばれにならないようには、これぐらいまでしか書けない。

物語は横に置き、今回、楽しんだのは江戸時代の大阪の情景と町衆達のつつましやかな生活ぶりである。
人と建物しか視界に入らない生活を送りがちになるが、目を向けていないだけでそこには花が咲き、耳を傾けていないだけでそこには鳥が鳴いている。
一筆啓上とさえずる頬白の声は初夏の響き。雁の初音は秋の訪れ。そこに引き売りの声が重なる。
月が満ち、また、月が欠け。着物に綿を入れたり、それを脱いだり。人は季節を感じ、愛でる。
季節が駆け足で流れ行く様子の情景描写が丁寧で、五感に訴えてくる。そこが美しくて、とても素敵だなぁと思った。

ここに描かれている身近な自然は、実は今も身近で感じられることが多い。
呉服の美しい色合いに慣れていくのも楽しいが、物語の景色が現実にある現在と繋がっていることを感じるのも一興だと思う。

ネタばれになるが、最後にやっぱり一言。
五鈴屋にはあほぼんしかおらんのかーっ。

2017.01.21

ギケイキ:千年の流転

町田 康 2016 河出書房新社

一行目。
きょとんとして、それから爆笑した。
ああそうか。ギケイキって義経記かと、これまた何テンポか遅れて、実感が沸いた。
もう一度、一行目を読み直して、やっぱり笑った。

義経をはじめ、どいつもこいつも、あかんやつや……と苦笑しながら読んだ。
方言に馴染めなかったり、むさくるしさにうんざりしたり。
なにかというと菊門の話になるし、ややこしくなるとすぐに殺しちゃうし。
義経は血筋がよく、顔かたちもよく、おしゃれで、すぐれた能力がある。
主人公の万能感や自己愛、独特の美学と暴力的な衝動は、パンクが似合う。
思春期で反抗期で、自分というものをこれぞとばかりに声高に叫びたいお年頃。
どうしようもなく自惚れて見える義経が、時折、兄頼朝に思いを馳せる。
それがたまらなく、せつないのだ。それが、この本の魅力だと思う。

義経の目線は、千年前の当時と、当時から千年経った現在を自在に流転する。
まるで当時の義経を再現するように語られていくかと思えば、「まあ、僕はもう死んでるんですけどね」という具合に、物語に寄り添おうとしていた読者を突き放し、現在に立ち戻させる。
この時間感覚と距離感は、今までなかなか味わったことがなかった。
個性的な語り口に、合う合わないはあると思うけど、いろんな意味で意表をつかれた。

一行目、忘れられんな……。

2016.09.13

ゆかし妖し

堀川アサコ 2015 新潮文庫

どう考えても、人数があわない。
なぜか、ひとり多い。
あれは一体、誰だったのか。

室町時代の京都。
従来の公家システムと、新興勢力の幕府システムが並存していた時期。
なかなか珍しい時代設定である。
戦国の世がちょっと一息ついた時代の猥雑な喧騒の中、夜は真っ暗になっていたに違いない京の都で、ひとりの女が死んだところから物語は始まる。
戦に出て帰らない夫を探して、京までたどりついた女だった。

まるで、雨月・春雨物語に出てきそうな筋である。
検非違使に白拍子、遊女に琵琶法師、勧進聖に漏刻博士。その時代ならではの職業が次々出てくる。
戦の残した心の傷がいくつも語られる。時代ならではの風俗はあまり語られないが、戦の爪あとに目配りが効いているところに好感を持った。
戦さえなければ。
誰しも、思ったに違いない。

この時代、怪異は今の時代よりも近しいものであったのかもしれない。
ホラーと思って手に取ったが、途中からこれはミステリだと思い改めて読み勧めた。
そこに、幽霊はいるようでいない。恐ろしいのは生きている人である。
これはきっとあの人で、これが多分この人で、と考えていたら、だが、いつも誰か多い。
どう考えても、人数があわなくなる。
いないようで、幽霊はいた。いたけども、やっぱり生きている人のほうが怖かった。

なかなか切ない物語だった。

2016.07.31

あきない世傳 金と銀 源流篇

髙田 郁 2016 時代小説文庫

時は享保、舞台は大阪天満。
新たなヒロインは幸という。

好奇心、向学心があり、読書や勉強に興味を持つ、当時としては風変わりな少女。
学者の家に生まれ、女子として振る舞うことをしつけられつつも、こっそりと書字に親しんできた。
手の綺麗なものは信用するな、商いは物を右から左に流しているだけだという、父親の偏った教育を受けてきた。
にも関わらず、幸は「一生、鍋の底を磨いて過ごす」女衆として、五鈴屋という呉服商で住み込み奉公することになる。

まだまだ物語の序盤というか、導入部。
最初は不幸続きでとっつきにくく感じがものの、読むほどにだんだんと引き込まれていった。
なにしろ幸という少女が、成長していく様子がまっすぐでほほえましい。
当時の女衆の中では、勉強好きという点が風変わりだけども、くるくるとよく働く。
どうやら、なかなかの器量よしなところもあるらしい。
彼女が、今後、どのように成長し、活躍していくのだろうか。

みをつくし料理帖とは、違ったタイプのヒロインが、違った時代、違った場所、違った世界で動き出した。
とはいえ、郁さんの描く物語だから、苦しいこともいっぱいあるんだろうなぁ……。

ここで終わるのか!?というところで、閉じた1巻。
次巻が待ち遠しい。

2014.10.10

はなとゆめ

冲方 丁 2013 角川書店

清少納言。
彼女の残した言葉は、今も人をくすりと笑わせる。
難しいことを言うわけではない。
好きなものを好きだといい、嫌なものは嫌だといい。
そうだそうだとうなずかせる。

田辺聖子「春はあけぼの」を読んだ前後からだろうか。
十代の頃に触れた源氏物語はどうにも理解できず、紫式部に比べるならば、清少納言という人物像に好感や興味を持った。
エッセイなどはいまだにあまり好んで選ぶわけではないし、今になれば源氏物語にも妙を感じるようになった。
それでもなお、清少納言の生き方や残した言葉には魅力を感じる。
だから、雑誌のタイトルと同じような本書の背表紙を見て、なんの本だろうと手に取り、清少納言を描いたと知るや、レジに直行した。

酒井順子「枕草子 REMIX」を読んだ時に知ったのだが、本書でも改めて思ったことといえば、清少納言が現代に生きていたら、ジャニかK-POPにはまっただろうなぁということである。
離婚を経てからの法華通いは、いわばコンサートに行くようなものではないか。声や顔の綺麗なお坊さんのほうが最高なんて感性は、そんな気がするの。
とても現代的ではないだろうか。それこそ、宮木あや子『婚外恋愛に似たもの』に似たようなものを感じる。
いろんなものに励まされ、慰めを感じながら、人はしんどい時期をやり過ごしていくのだ。

中宮定子が大好きで。
『姫のためなら死ぬる』というマンガもあるけれど、清少納言の祈りはそのままだよなぁと思ったり。
いとしくて、せつない。
清少納言の目に映る定子は素晴らしい女性あり、素晴らしい主人である。
華やかでありながら、激しくて、短く、厳しい人生を送った女性である。
仕えることが誇らしかった主人から下賜された紙に、主人のいた輝かしい日々を書きとめる。
かつて、主人を楽しませ、喜ばせ、くすりと笑わせたような言葉を。
そうやって、心の守り手、中宮の番人となろうとした清少納言の言葉は、確かに、千年を経ていまだ輝いている。

マンガ雑誌のタイトルと同じ音の並びにあれ?と思って手に取った本だった。
清少納言を題材にとるからには、と読み始めたが、今まで読んだ中でもしっとりと染み入るような描き方に好感を持った。
作者が男性であることを意識させない、美しい物語になっていると思う。
これを読み終えて、第一段を思い出したとき、冬の情景を描いた心情やいかにと、胸がきゅうっと締め付けられた。

2013.11.25

とっぴんぱらりの風太郎

万城目学 2013 文藝春秋

1人対10万人。

最初は分厚さにおののいたものの、通院のよい友になると読み始めた。
この厚さにして、無駄が一切ない。むしろ、もっともっと書き込んでだらだらしそうなものを削り混んだ様な感があった。

『プリンセス・トヨトミ』から遡ること400年。
豊臣の時代は終わろうとしていた。
戦国武将が華々しく活躍する時代は終わろうとしていた。
そして、忍びもまた。

主人公の風太郎は、伊賀ものの忍として育てられた。
伊賀を放逐される憂き目にあい、吉田山の麓のあばら屋に住み着く。吉田寮の名前はまだない。
放逐されたのであるから、無職だ。日雇いだ。いわゆるフリーターである。むしろ、元祖プー。
彼の名前は「ぷうたろう」なのである。

田中芳樹さんに『とっぴんぱらりのぷぅ』という小説があるのね。
タイトルはここからなのかな。

黒弓、常世、百市、蝉といった忍たち。
月次組を率い、美形のバサラものの風情の残菊。
名もなき素破に混じり、ねね様や本阿弥光悦らが登場する。
これは、最初のトヨトミのプリンセスの物語だ。

そこは後に鴨川デルタと呼ばれる場所でない?
そこのあぶり餅はうまいんよ。
お馴染みの京都の景色が透けて見えつつ、町衆の生活がいきいきと描かれている。
いつも通りの軽妙な語り口に反して、後半になるにつれて、重みが加速する物語だった。

読み終えて一息。
主人公に、よくやったね、がんばったねって、伝えたくなった。

合言葉は、金角銀角でいかがだろうか。

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