2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

# 京都界隈

2017.02.21

あきない世傳 金と銀3:奔流篇

髙田 郁 2017 時代小説文庫

あほぼんな若だんさんが死んで、その弟である惣次から求婚された幸。
断れるような立場ではなし、かと言って、惣次は勘気なところが心配な人。

話の続きが気になっていただけに、一気に読んだ。
やっぱり……と残念な気持にもなるが、夫婦仲良くめでたしめでたしでは、話が続かなくなる。
幸には幸せになってもらいたいだけに、複雑な気分で読み終えた。
ネタばれにならないようには、これぐらいまでしか書けない。

物語は横に置き、今回、楽しんだのは江戸時代の大阪の情景と町衆達のつつましやかな生活ぶりである。
人と建物しか視界に入らない生活を送りがちになるが、目を向けていないだけでそこには花が咲き、耳を傾けていないだけでそこには鳥が鳴いている。
一筆啓上とさえずる頬白の声は初夏の響き。雁の初音は秋の訪れ。そこに引き売りの声が重なる。
月が満ち、また、月が欠け。着物に綿を入れたり、それを脱いだり。人は季節を感じ、愛でる。
季節が駆け足で流れ行く様子の情景描写が丁寧で、五感に訴えてくる。そこが美しくて、とても素敵だなぁと思った。

ここに描かれている身近な自然は、実は今も身近で感じられることが多い。
呉服の美しい色合いに慣れていくのも楽しいが、物語の景色が現実にある現在と繋がっていることを感じるのも一興だと思う。

ネタばれになるが、最後にやっぱり一言。
五鈴屋にはあほぼんしかおらんのかーっ。

2017.01.21

ギケイキ:千年の流転

町田 康 2016 河出書房新社

一行目。
きょとんとして、それから爆笑した。
ああそうか。ギケイキって義経記かと、これまた何テンポか遅れて、実感が沸いた。
もう一度、一行目を読み直して、やっぱり笑った。

義経をはじめ、どいつもこいつも、あかんやつや……と苦笑しながら読んだ。
方言に馴染めなかったり、むさくるしさにうんざりしたり。
なにかというと菊門の話になるし、ややこしくなるとすぐに殺しちゃうし。
義経は血筋がよく、顔かたちもよく、おしゃれで、すぐれた能力がある。
主人公の万能感や自己愛、独特の美学と暴力的な衝動は、パンクが似合う。
思春期で反抗期で、自分というものをこれぞとばかりに声高に叫びたいお年頃。
どうしようもなく自惚れて見える義経が、時折、兄頼朝に思いを馳せる。
それがたまらなく、せつないのだ。それが、この本の魅力だと思う。

義経の目線は、千年前の当時と、当時から千年経った現在を自在に流転する。
まるで当時の義経を再現するように語られていくかと思えば、「まあ、僕はもう死んでるんですけどね」という具合に、物語に寄り添おうとしていた読者を突き放し、現在に立ち戻させる。
この時間感覚と距離感は、今までなかなか味わったことがなかった。
個性的な語り口に、合う合わないはあると思うけど、いろんな意味で意表をつかれた。

一行目、忘れられんな……。

2016.09.13

ゆかし妖し

堀川アサコ 2015 新潮文庫

どう考えても、人数があわない。
なぜか、ひとり多い。
あれは一体、誰だったのか。

室町時代の京都。
従来の公家システムと、新興勢力の幕府システムが並存していた時期。
なかなか珍しい時代設定である。
戦国の世がちょっと一息ついた時代の猥雑な喧騒の中、夜は真っ暗になっていたに違いない京の都で、ひとりの女が死んだところから物語は始まる。
戦に出て帰らない夫を探して、京までたどりついた女だった。

まるで、雨月・春雨物語に出てきそうな筋である。
検非違使に白拍子、遊女に琵琶法師、勧進聖に漏刻博士。その時代ならではの職業が次々出てくる。
戦の残した心の傷がいくつも語られる。時代ならではの風俗はあまり語られないが、戦の爪あとに目配りが効いているところに好感を持った。
戦さえなければ。
誰しも、思ったに違いない。

この時代、怪異は今の時代よりも近しいものであったのかもしれない。
ホラーと思って手に取ったが、途中からこれはミステリだと思い改めて読み勧めた。
そこに、幽霊はいるようでいない。恐ろしいのは生きている人である。
これはきっとあの人で、これが多分この人で、と考えていたら、だが、いつも誰か多い。
どう考えても、人数があわなくなる。
いないようで、幽霊はいた。いたけども、やっぱり生きている人のほうが怖かった。

なかなか切ない物語だった。

2016.07.31

あきない世傳 金と銀 源流篇

髙田 郁 2016 時代小説文庫

時は享保、舞台は大阪天満。
新たなヒロインは幸という。

好奇心、向学心があり、読書や勉強に興味を持つ、当時としては風変わりな少女。
学者の家に生まれ、女子として振る舞うことをしつけられつつも、こっそりと書字に親しんできた。
手の綺麗なものは信用するな、商いは物を右から左に流しているだけだという、父親の偏った教育を受けてきた。
にも関わらず、幸は「一生、鍋の底を磨いて過ごす」女衆として、五鈴屋という呉服商で住み込み奉公することになる。

まだまだ物語の序盤というか、導入部。
最初は不幸続きでとっつきにくく感じがものの、読むほどにだんだんと引き込まれていった。
なにしろ幸という少女が、成長していく様子がまっすぐでほほえましい。
当時の女衆の中では、勉強好きという点が風変わりだけども、くるくるとよく働く。
どうやら、なかなかの器量よしなところもあるらしい。
彼女が、今後、どのように成長し、活躍していくのだろうか。

みをつくし料理帖とは、違ったタイプのヒロインが、違った時代、違った場所、違った世界で動き出した。
とはいえ、郁さんの描く物語だから、苦しいこともいっぱいあるんだろうなぁ……。

ここで終わるのか!?というところで、閉じた1巻。
次巻が待ち遠しい。

2014.10.10

はなとゆめ

冲方 丁 2013 角川書店

清少納言。
彼女の残した言葉は、今も人をくすりと笑わせる。
難しいことを言うわけではない。
好きなものを好きだといい、嫌なものは嫌だといい。
そうだそうだとうなずかせる。

田辺聖子「春はあけぼの」を読んだ前後からだろうか。
十代の頃に触れた源氏物語はどうにも理解できず、紫式部に比べるならば、清少納言という人物像に好感や興味を持った。
エッセイなどはいまだにあまり好んで選ぶわけではないし、今になれば源氏物語にも妙を感じるようになった。
それでもなお、清少納言の生き方や残した言葉には魅力を感じる。
だから、雑誌のタイトルと同じような本書の背表紙を見て、なんの本だろうと手に取り、清少納言を描いたと知るや、レジに直行した。

酒井順子「枕草子 REMIX」を読んだ時に知ったのだが、本書でも改めて思ったことといえば、清少納言が現代に生きていたら、ジャニかK-POPにはまっただろうなぁということである。
離婚を経てからの法華通いは、いわばコンサートに行くようなものではないか。声や顔の綺麗なお坊さんのほうが最高なんて感性は、そんな気がするの。
とても現代的ではないだろうか。それこそ、宮木あや子『婚外恋愛に似たもの』に似たようなものを感じる。
いろんなものに励まされ、慰めを感じながら、人はしんどい時期をやり過ごしていくのだ。

中宮定子が大好きで。
『姫のためなら死ぬる』というマンガもあるけれど、清少納言の祈りはそのままだよなぁと思ったり。
いとしくて、せつない。
清少納言の目に映る定子は素晴らしい女性あり、素晴らしい主人である。
華やかでありながら、激しくて、短く、厳しい人生を送った女性である。
仕えることが誇らしかった主人から下賜された紙に、主人のいた輝かしい日々を書きとめる。
かつて、主人を楽しませ、喜ばせ、くすりと笑わせたような言葉を。
そうやって、心の守り手、中宮の番人となろうとした清少納言の言葉は、確かに、千年を経ていまだ輝いている。

マンガ雑誌のタイトルと同じ音の並びにあれ?と思って手に取った本だった。
清少納言を題材にとるからには、と読み始めたが、今まで読んだ中でもしっとりと染み入るような描き方に好感を持った。
作者が男性であることを意識させない、美しい物語になっていると思う。
これを読み終えて、第一段を思い出したとき、冬の情景を描いた心情やいかにと、胸がきゅうっと締め付けられた。

2013.11.25

とっぴんぱらりの風太郎

万城目学 2013 文藝春秋

1人対10万人。

最初は分厚さにおののいたものの、通院のよい友になると読み始めた。
この厚さにして、無駄が一切ない。むしろ、もっともっと書き込んでだらだらしそうなものを削り混んだ様な感があった。

『プリンセス・トヨトミ』から遡ること400年。
豊臣の時代は終わろうとしていた。
戦国武将が華々しく活躍する時代は終わろうとしていた。
そして、忍びもまた。

主人公の風太郎は、伊賀ものの忍として育てられた。
伊賀を放逐される憂き目にあい、吉田山の麓のあばら屋に住み着く。吉田寮の名前はまだない。
放逐されたのであるから、無職だ。日雇いだ。いわゆるフリーターである。むしろ、元祖プー。
彼の名前は「ぷうたろう」なのである。

田中芳樹さんに『とっぴんぱらりのぷぅ』という小説があるのね。
タイトルはここからなのかな。

黒弓、常世、百市、蝉といった忍たち。
月次組を率い、美形のバサラものの風情の残菊。
名もなき素破に混じり、ねね様や本阿弥光悦らが登場する。
これは、最初のトヨトミのプリンセスの物語だ。

そこは後に鴨川デルタと呼ばれる場所でない?
そこのあぶり餅はうまいんよ。
お馴染みの京都の景色が透けて見えつつ、町衆の生活がいきいきと描かれている。
いつも通りの軽妙な語り口に反して、後半になるにつれて、重みが加速する物語だった。

読み終えて一息。
主人公に、よくやったね、がんばったねって、伝えたくなった。

合言葉は、金角銀角でいかがだろうか。

2012.07.10

左京区七夕通東入ル

瀧羽麻子 2012 小学館文庫

七夕にあわせて読んでいたつもりが、すっかり遅くなってしまった。
職場で回ってきた恋愛小説。
京都で暮らす大学生達の恋愛が可愛らしく、ハッピーに描かれており、通常ならば楽しんで読みそうな本だ。
でも、今の私には、なんか痛い。とすっと刺さったり、ぐさっと刺さったり、痛いんですけどー。
貸してくれた人にぶちぶち文句を言いながらやさぐれてしまった。なので時間がかかっちゃった。と、先に言い訳。

主人公の花。その花が好きになったたっくん。たっくんは数学に魅了されている。
たっくんとその友達が住む京都大学の寮は、映画『鴨川ホルモー』の撮影に使われている。
とても有名な寮で、小説の中でもよく見かける。たとえば、絲山秋子『エスケイプ/アブセント』にも出てきた。
ましてや、京都大学の学祭となれば、噂に名高いわけで。その炬燵って、森見登美彦『夜は短し、歩けよ乙女』にも出てくる韋駄天炬燵では……。
そんな景色、舞台は、京都で育った人、京都で学生時代を送った人、なにはともあれ、京都が好きな人にぐっとくるだろう。

登場人物たちは揃いも揃って、人がいい。
ちょっと不器用で、素直。一生懸命で、悪意がない。
困ったり、迷ったり、でも、好きな人にはまっすぐに。
寝食も忘れて仕事に打ち込む私は、花より、たっくんに近いんだよなぁ。
私が恋人に疎外感や心配を与えた面を思うと、反省。
心の中でごめんねってつぶやいた。

私は学生時代に運命の人に出会ったりはしなかったが、思い出して楽しいのは京都で過ごした数年間だ。
思い切り阿呆をしても許される不思議空間で蓄えた力は、今もどこかで私を支えてくれているような気がする。
あー、懐かしかった。町も、その時も。

2010.07.29

宵山万華鏡

宵山万華鏡  森見登美彦 2009 集英社

京都の祇園祭と偽祇園祭の狭間で迷子になってみませんか?

ちょっと不思議な世界にくるくると惑わされる。
見える景色がくるくる変わる。これはこうで、あそこはこうで。
この人があの人で、あそこにいたのがこの人で、あの人はここにいて。
一つ一つは短くてあっという間だけれども、それが次に重なりあう。
万華鏡のように景色が変わる。そういう連作短編集だ。

私の頭の中の京都の地図は通りの名前しか記載されていないので、町名で書かれると戸惑う。
京都在住経験者以外には、上る下がる、東入る西入るという空間把握は不評だそうだが、あれほど機能的で迷子になりやすい私に優しい地図はないのに。
でも、町名がぴんと来ないことで、景色がぼんやりと曖昧で感覚的なものになり、物語世界が幻想的になった。
達磨や招き猫や信楽焼きの狸が飾られた、天狗や竜が舞い遊ぶ、そこは偽京都。
偽京都の祇園祭に偽祇園祭があるのだ。要注意。

騙す私が悪いのか、騙される君が悪いのか。
思わず、節をつけて歌いたくなる。
うかうかしていると、ほら、迷子になっちゃうよ。
繋いだ手は離しちゃいけないよ。

普段は車両の多い四条通りのど真ん中を歩く。それが面白かった。
露店が軒を並べて、様々な匂いが立ち込める。
あちこちから聞こえてくる祇園囃はちょっと物悲しいような響きで、そこに人々の喧騒と、物を売る人の呼び声が重なる。
ただでさえ暑い季節に、通りごとに一歩も進めなくなるほどの人が溢れ帰る。
喉が渇いたときは露店で買い物ができるが、一番困るのがトイレだった。
歩き疲れて、休みたいのに休めない時、匂いと音と暑さに眩暈がしたり、気が遠くなったり。
町屋に住む友人宅にお邪魔した時には、そんな喧騒も遠のいて、どこか違う世界の趣を帯びた。
そんな祇園祭の体験が次々に思い出されて懐かしかった。

一年間、積んだままにしていたが、祇園祭のニュースを見て存在を思い出した。
どうにもこうにも、本を読む速度が買う速度に追いついていない。反省。

2009.05.19

恋文の技術

恋文の技術  森見登美彦 2009 ポプラ社

書簡集という形式が苦手で、もちろん作者がヒントを得た夏目漱石の書簡集も読んだことがない。
買うのも、読み始めるのも、読むのにも時間がかかったけれども、のんびりと穏やかな七尾湾の景色を思い浮かべるひと時は存外に心地よいものとなった。
往復ではないけれども、主人公守田の書いた手紙だけで、彼を取り巻く人々の人物像、相関関係、その中での守田の位置づけ、時間を追うごとの様々な出来事が透けて見える。

この作者は、同じようなことを文体を変えて何度もリライトするのが好きだなあ。
そう。渾身の技と力を駆使して、力いっぱい目いっぱい阿呆をしてみせる精神は顕在。
そういう意味では『四畳半神話大系』の実験を連想した。特に、失敗書簡集の章である。
途中までは恋文として……というか、手紙としてまともなものでありながら、どこかで崩れてしまう。その崩れ方のヴァリエーションたるや。しかも、反省が添えてあるところで、思わずぷぷっと吹き出すことしばしば。
もう一つ笑わずにいられなかったのは、おっぱい連呼のあたりだろう。こう書くと、また怪しげなTBが続々と届きそうであるが、そこまで阿呆を追求せんでも……と笑い転げてしまった。
こんだけ煩悩にまみれておきながら、もりみーの文章は妙に清潔感やら可愛げやらがあるから、ずるい。
最後の手紙なんか、読んでいる最中で愛しくてにまにましてしまいましたよ! これって、私がヘタレ男子好きなだけか??

だいたい、手紙を他人に読まれるなんて恥ずかしいことはない。日記も恥ずかしいが、手紙も恥ずかしい。
手元に送信済みの内容を残せるメールと異なり、手紙は送ったら送りっぱなし。前に何を書いたっけ?と思っても、自分で確かめようがない。
困ったことに、これまで自分が書き散らかした手紙なるものは、とっくの昔に郵便屋さんの手によって配られまくられ、私自身の手元にはないからだ。
これがいいことなのか、単なる恥さらしに過ぎないのか……。取り戻しようがないので、すみやかに処分され、各自の記憶の彼方に追いやられていることを祈りたい。
でも、手紙を書いて送る。返事を待つ。その一連の作業の間、相手を想う。この営みの喜びを知っているから、懐かしくて微笑ましかった。
メールは便利だけれども、手書きの手紙も嬉しいものなんだ。

不思議な食べ物も相変わらず。
猫ラーメンの魅惑の味も垂涎だが、ぷくぷく粽って何? それって何??と気になった。
京都で、粽であるだけに、祇園祭の長刀鉾の前とかで売っているのかなぁ。
でも、お腹は壊したくない……。
天狗ハムも初登場。赤玉先生のイラストがラベルに描いてあるとか??

ラストは読者に委ねられるが、それは手紙に書き得ないものだからしかたがない。
おそらく作者が書いたら、更なるどたばたになりそう。だから、私が思い描くほうがおとなしくハッピーになっている気がするので、勝手にハッピーエンドを想像することにする。
本はそもそも赤い風船に結び付けられた手紙のように、作者の手元から離れたところに行ってしまうものなのだ。
書簡集が苦手な人でも、結構、読みやすかったことを付け加えておく。

追記:これは初恋の思い出(正確には、過去の自己愛の傷つき)を乗り越えて、年齢相応の現実を受け入れる物語だよなぁ。不安を乗り越えて、今の幸せに向かい合い、受け入れる。肥大した自己愛から、等身大の自分自身の受容へ。そういうところが、すごく健全でいい。不幸に酔う自分を捨てることができたら、幸せになる可能性はぐっと増えると思った。

2009.03.14

プリンセス・トヨトミ

プリンセス・トヨトミ  万城目学 2009 文藝春秋

お好み焼きが食べたいーーーーっ。
と、読みながら何度も叫ぶこと請け合い。
京都、奈良に続いて、舞台は大阪。三都物語、これで勢ぞろいだ。
これは5月までに、いやが5月末日を迎えるまでに読むことができたら、幸いである。

今までで一番分厚いこの本では、大阪に「仕掛け」が施されており、その緻密さと大がかりなところが大阪城の城壁を彷彿とさせる……かどうかはさておき。
やはり、この「仕掛け」というところが、万城目の面白さであり、一番の特徴であるように思う。
何気ない日常の中に、実は大きな仕掛けが隠されてており、歴史の陰で連綿と受け継がれてきた。それは、ホルモーというオニを鎮める儀式であったり、サンカクを用いた大ナマズを鎮める儀式であったり。仕掛けに支障が出ると、おそらく日常生活もままならなくなるような、ばかばかしく見えるんだけれども実は偉大な仕掛けである。
発売日の少し未来であるという設定のほかに、『鹿男あをによし』とはもう一つ共通項があって、始まりは一人の伝説的な女性である。

雑誌で読んだのは第二章だったと思うが、最初はとっつきにくさを感じたものの、なんとか読んでみると面白くなって、発売を待っていた。
仕掛けが大掛かり過ぎ、全体像が見えてくるまでに時間がかかる。そのため、物語にひきこまれるまで時間がかかった。
もちろん、文章そのものが読みやすく、非常に整った日本語であり、読んでいて危なげない。この筆力、読みやすさは万城目さんらしいが、少し遊びが少ないのかな。硬質な印象すら受ける。
しかし、三章以降、仕掛けが見えてき始めてから、俄然、物語は面白くなる。そこからは本を置くことが難しくなった。
派手な演出があるわけでもないけれど、地味というには語弊があるし、やっぱり奇想天外なんだよなぁ。
破壊と再生のドラマチックな展開があるわけじゃないけれど、胸にじーんと静かに残るような温もりがいい。
これこそ、ヴィジュアル化に向いている作品のような気がする。実写にすると面白そうなのだが。

『群雲、関ヶ原へ』を読んでいる途中でよかった。おかげで、登場人物の名前に見覚えがあって、そこも気持ちが盛り上がった。
真田とくれば幸村、後藤とくれば又兵衛、島とくれば左近、宇喜多、大谷、小西、加藤、蜂須賀、長宗我部、前田、黒田、石田、福島、長束、増田、竹中……楽しすぎる。
豊臣家ゆかりの武将たちの子孫か?と想像すればますます楽しい。対する東軍ならぬ会計検査院からは、松平、鳥居、旭。
当人たちの知らぬ間に、歴史が繰り返されようとしている。そういう物語である。
たとえ名前の由来にぴんと来なくても、主人公大輔の父親の真田幸一のお好み焼き職人としての朴訥とした誠実さ、鬼の松平と異名をとる副長の容赦のない公正さなど、中年男性らの魅力が褪せることはない。両雄引けを取らぬいい男である。
そして、女性たちは実に懐深く、大物である。大阪の女性を甘く見てはいけないのである。ある意味、ルソーが思い描いたような社会である……。

この先、何かが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
仕掛けを取り巻く社会は、男性だ女性だという枠組みを少しだけ変えてきている。仕掛けも、時代に合わせて変わりゆくものかもしれないが。
父から息子へ、母から娘へ。数百年間、受け継がれたのは、仕掛けの秘密ではない。秘密に託された気持ちである。
親から子へ受け継がれていく気持ちは、変わらず未来に繋いでもらいたい。誇りと共に。きれいな、力強い眼をして。

お好み焼きは食べたくなるし、大阪城には行きたくなるし。明治期の建築物は大好きだーっ。
ちなみに、ネズミは出てきませんが、大阪女学館高等学校の体育教師南場先生は出てきました。
やはり三都物語はセットでどうぞ。

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック