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2021.08.06

金閣を焼かなければならぬ:林養賢と三島由紀夫

内海 健 2020 河出書房新社

狂気とはいったい何であろうか。
自分が体験していない(と思う)ものを理解するために、私は文学の力を借りてきた。
精神科で働き始めた頃の私は、それぞれの症状を理解しなければならないという要請に迫られていた。
小説に描かれている狂気は、しかし、疾患としての症状と同じものであるのだろうか。

『金閣を焼かなければならぬ』は、前半では林養賢、後半では三島由紀夫という二人の人物について語る。
この二人を結びつけるのは、金閣寺の放火。
林は、実際に金閣寺に放火した人物である。その事件に取材して、傑作を世に出したのが三島である。

著者はあえて「分裂病」という病名を用いながら、了解不能な狂気というものを抽出しようとしている。
人というものは原因や動機を理解したがるもので、それを理解することで話を終わりにするという特性があると思う。
理解することが解決ではなくても、「わかる」までその問題から離れなくなる。そのくせ、「わかった」ら問題から離れて放置してしまったりもする。
だから、「金閣寺を焼く」という行為についても、ああだこうだと動機を後付けで創作してでも理解しようとする。

養賢の行為は了解不可能である。心因をいくら積み上げても、そこにはたどり着かない。(p.42)

著者は不可能な時点にとどまり続けることで、養賢の人生から病理をすくいあげ、分裂病という病はどのようなものであるかをありありと描き出していく。
デカルトやサルトルやカントを引用しながら、実存が脅かされた病者は、自由にこそ狂気のポテンシャルがはらまれているからこそ、定言命法にすがりついていくプロセスの説明はスリリングですらある。

「分裂病はすでに復路である」という言葉がとてもしんどい。
了解不可能で純粋な狂気の体験があり、そこから現実世界へと回帰していくときに、医学的疾患になる。
「かつて分裂病と呼ばれたものは、近代的な主体に内包された危機であった」、そういう体験であったということをありありと教えられた読書体験となった。

対して、三島由紀夫の病理は「離隔」であった。
生き生きとした現実感、生存している実感を感じることができない。
自分自身が世界の一部として存在していると感じられないからこそ、狂気に対してもよく勉強しているうえに「微温的な共感などに流されないがゆえに、公平」(p.210)であり、養賢本人には言語化できない了解不能な体験を再体験するかのように言語化することができたのではないか。
同時に、『金閣寺』の主人公を描くことは、三島が自分の分身ではない他者を、主体として描くことによって「みずからの離隔を突破し、ナルシシズムを粉砕する」(p.211)ものであったのだと看破する。
そうやってナルシシズムを一旦は超克しえたように見えた三島が、結局は世界から拒絶されてしまい、自死せざるを得なかったことが改めて切ない。

歯ごたえのある本で、ずいぶんと読むのに時間がかかってしまった。
読み終えてみて思うのは、狂気とはなにか、と問う時に、読んでほしい一冊であるということだ。
最近、藤本タツキ「ルックバック」というマンガが話題になった。私はその作品を読んで、素直にすごいと思った一人である。
そこには、殺人者が出てくる。その表現について問題になり、修正が加えられたという作品だ。修正後については読んでいない。

私は精神科医療で働く人間として、文学的表現の記号としての狂気は、実際の疾患としての統合失調症とはまったく別物であると受け止めている。
春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』『私たちはなぜ狂わずにいるのか』の二冊が、私の考え方には大きく影響しているだろう。
狂気を示すいくつかの単語は、アクチュアルな現実から既に遊離した記号であって、具体的な誰かを指し示すものではない。
とはいえ、言葉の成立の歴史から記号と具体が混乱して扱われることもあれば、被害的な認知が働きやすいという症状から自分に引き寄せて受け止めてしまって傷つくような事態も起きる。
その点、統合失調症を代表とする精神疾患について、日本の社会は理解は不十分であり、態度が幼稚であることは否めない。

けれども、文学的な記号であり表現であり仕掛けとして、狂気というものは必要とされることがある。
文学ではなくても、日常会話のなかで、なにか話が伝わりにくくて自分とは相いれない対象を示すときに、怒りや様々な感情をこめてののしるときなどに、なにか記号が必要とされることがある。
そういう意味では、私は読み手の9割以上の人が「これは記号である」と理解できるようになるリテラシーや価値観の共有の方が必要とされているのではないかと思ったりする。
そのためには、統合失調症とはどのような病であるのか、より現実的により具体的に認知されていくことが必要である。

そのようなことをつらつらと考えていると、記号的な狂気の表現とは区別されて精神疾患として扱われるべき統合失調症という病名ではなく、ロマンティックな狂気の烙印と無縁ではなかったかつての分裂病という表現を用いた著者の感覚は、このようなルックバックという作品をめぐる事態への私の問題意識が、呼応するものであるかのように感じている。

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