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2020年8月

2020.08.19

捨て猫のプリンアラモード:下町洋食バー高野

麻宮ゆり子 2020 角川春樹事務所

#NetGalleyJP さんで拝読。

1962年の浅草を舞台とする小説。
終戦から17年。
戦争孤児たちは働く大人になり、集団就職で地方から子どもたちが工場に送り込まれる。
街並みが大きく変わっていく東京の、孤島のように下町が取り残されたような場所。
洋服も手作りのお嬢さんがいたり、戦争から帰ってきた人たちがその話をできずにいる。
その時代の空気を味わう。

主人公の郷子は、17歳。
中学を卒業して、群馬から川崎の工場に集団就職した。
そこから、色々あって、浅草の高野バーで働くことになる。
文化ブランという名物のお酒を供し、洋食も出すので、女性や子どもも客として来る、そんなお店だ。

洋食は、きっと今よりもずっと御馳走だった。
今よりも手に入る材料も限られていた時代に思う。
レトルトや冷凍の食品はなく、インスタントな食品もなく、一つずつ、手作りしなければならない時代だ。
果物だって贅沢な高級品なのに、プリンにアイスクリームに果物が飾られたプリン・ア・ラ・モードは御馳走の中の御馳走だったに違いない。

2019年の大河ドラマ『いだてん』を思い出しながら読んだ。
浅草に行ったことはあるし、仲見世やあの周辺の景色を訪ねた時の記憶も呼び起こしながら読んでいて、ふと気づいた。
主人公たちは、私の両親と同世代である。彼ら、高度成長期を支えた人たちの年若い頃は、こんな時代だったのではないかと教えてくれていた。
もちろん、人によっては親世代ではなく、祖父母世代と重なるのかもしれないが。
日本にもこんな時代があったということを、想像しながら読んでほしい。

大人の欲望を満たすために子供は生きているわけではない。(p.169)

この言葉が、今現在にも一本ぴんと筋を通して繋がってくるように感じた。
集団就職という形で、消費された子ども達がいたこと。彼らがちょうど、もしかしたら70代ぐらいであること。
今現在の70代以上の人たちを見るまなざしが、少し変わると、やわらぐといいなぁと思った。
と同時に、今現在の子どもたちも、大人の欲望を満たすために消費されてほしくないことを、改めて思った。

猫とお料理の組み合わせなら、気軽に読めそうな気分で選んだ本だったが、時代背景とちりばめられたテーマに、私は重たさを感じたが、登場人物たちはけして暗くもないし、かよわくもない。
時代をたくましく生きようとしている人たちのさわやかな物語だった。

2020.08.07

流浪の月

凪良ゆう 2019 東京創元社

最初の20ページほどで、喉元がきゅっと閉まるような、胸がぐっとふさぐような、そんな気分を味わった。
目をそらしたくなるような、いやいや、焦ってページをめくってはいけない。
先が気になりながら、それでも、飛ばさずに読むために、一気に物語に引き込まれていった。

この物語がこの終わり方でよかったと思う。
主人公たちが死ななくてよかった。物語に出てくる映画のように。
この主人公たちの関係が本物のロマンスであるかどうかはわからないが、「二人は結婚して子どもを産んで幸せな家庭を作りました。めでたしめでたし」のような終わり方をしなくてよかったと思う。
そんな、ヘテロで、モノガミーで、ヘルシーなものに弾圧されて、善良で健全な訓話に回収されずにすんでよかった。
この終わり方だから、私は救いを感じる。
むしろ、健康であるとすら思った。
おとぎ話の終わり方は、一つでなくていいのだ。

登場人物の一人ひとりが、こんな人と出会ったことがある、こんな人がいるという現実感があった。それは、私が心理臨床に携わっているから、余計にかもしれない。
主人公がなかなか被害体験を言い出せない。そのことは、とても当たり前なことだ。言い出せないことを本人は悔やむけれども、言おうとしても声が出なくなるのは、自然な反応のひとつと言ってもいい。ましてや、幼いときであるなら、なおさらである。
その主人公の更紗が、言い出せるようになるまでの成長は、どれほどのしんどいものであったか、作者はきっぱりと割愛させて見せているところもすごいと思った。
苦労した時代を丹念に描いてしまうと、物語が物語ではなくあんり、目的が変わってしまう。冗長になってしまったり、そのしんどさに読者がギブアップしてしまうかもしれない。
だから、ある意味で変わり果てた更紗を登場させるだけで十分であり、その更紗を見ることで、私は、適応とはなんだろう、成長とはなんだろうと考えさせられている。

ここから先はネタバレもあるので用心してもらいたいが、登場人物たちを三世代にわけると、この物語の魅力が見えてくる気がする。

子ども世代にいるのが、更紗、文、亮。
親世代として、更紗の実の両親、育ての親となった伯母夫婦、文の両親、亮の両親。
そして、祖父母世代として、亮の祖母とcalicoの入っていたビルのオーナーをあげておきたい。

更紗、文、亮はそれぞれ、足りないものを持っている。それは、親世代から与えられなかったり、損なわれてきたものである。
更紗の実父が病死した後、実母は恋人を作って、更紗を捨てる。
伯母夫婦は実子が更紗に対して行う性加害、更紗の性被害に気づかない。つまり、どちらの子をきちんと見る(観察の見るであり、面倒を見るであり、どちらの意味においても)ことができていない。
文の両親、特に母親はさらに表面しか見ておらず、文を監視拘束する。
亮の父親は母親への暴力があり、母親は亮を捨てて家を出ている。
いずれの家庭においても、母親が従来的な母性と呼ばれる幻想的な愛情をもった存在として機能することが十分にできず、父親の存在は希薄で消えやすいものになっている。
亮の祖母の愛情深さや面倒見という母親機能(反面で亮の母親への恨みを増幅させていたかもしれない)が、親世代では既に機能することが難しくなっている。
ビルのオーナーの阿方さんのような、自ら歩み寄って関わること、相手を否定せず、宝物を与えるような穏やかさや賢さも、親世代には引き継がれていない(阿方さんと実の子どもたちの関係は不明であるが)。
そういうこの戦後の75年の間に、世代を経るごとに引き継がれないままにきたものがある中で、どうやって愛やパートナーシップを、新しい家族の形を作っていくのか?という問いを、この物語は示しているのだと思う。

繰り返しになるが、更紗は、その母親が母親の役割を放棄している。
更紗は他者をケアすることは可能であるが、伝統的な妻であり、伝統的な母親のモデルから切り離された自由な存在である。
「良識的」「常識的」な仮面をつけてふるまう術は大人になるにつれて身に着けたが、それは彼女の表面だけの取り繕いにすぎない。
彼女の本質は「自由」である。母親から譲られ、母親から捨てられることで完成した自由なままの魂を持っている。
性被害の体験を経たことで、その自由を侵害されることに違和感を敏感に感じるようになった女性である。
だからこそ、亮は、更紗のパートナーにはなりえなかった。
亮は、親世代、祖父母世代からの性役割を降りることができなかった登場人物である。
ホモソーシャルでミソロジーな価値観を内在しており、表面では女性に優しいが、内面では対等になることができない。その点は、更紗の従兄の孝弘と同類である。
亮自身が暴力を見ながら育ってきた傷つきと、母親から捨てられた傷つきとが、どちらも未消化で未解決である。母親の逃亡は、父親と祖母とによって、裏切りとして文脈づけられてさえいる。
対して、文は、ホモソーシャルでミソロジーな文化からはみ出ざるをえなかった人物である。
母親の規範通りに生き、優秀な兄と比べられ、周囲の誰とも同じではない自分を感じるたびに委縮する。そんな自分は引き抜かれたひ弱なトネリコと同然であり、母親から否定される恐怖におののく。
文はいっそ、去勢されていると言ってもいいだろう。誰とも交わることが難しい稀有な存在である。
だから、この先も、文は更紗を侵害することはない。

それは、けして、古い時代に戻ったり、真似をすればよいというものではない。
だから、この物語には救いがある。

人の善意というものが、いかに醜悪であるか、無力であるかを暴いてみせたところにも、救いがある。

今の時代、なにも珍しいことじゃない。人が殺される場面すら、検索すれば簡単に見ることができる。未成年だからといって、なにも守られたりはしないのだ。善良な人たちの好奇心を満たすために、どんな悲劇も骨までしゃぶりつくされる。p.88

その絶望。
私はこの本を読みながら、ある部分では桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちちぬけない』を思い出し、ある部分では隙名ことさんの『「私が笑ったら、死にますから」と水品さんは言ったんだ』を思い出した。
それぞれの作品を思い出した要素は異なるが、あわせて読んでもらいたいように思う。

最後に。
私が主人公がすごいなと思った箇所がある。
P.209の「ごめんね。わたしも、あなたにひどかったね」と言う言葉だ。
私はこれを言えずにすませた、言わずにしまえたことが多かったなぁと思うと、更紗の強さに感服した。
ほんとに、強くて、まぶしくて、魅力的な主人公だ。よかった。

2020.08.03

満月珈琲店の星詠み

望月麻衣・桜田千尋 2020 文春文庫

Twitterで見たそのイラストがとても魅力的で、すぐにそのアカウント、桜田千尋さん(@ChihiroSAKURADA)さんをフォローした。
疲れた人の前にあらわれるトレーラーカフェ。店長のふっくらとした猫の穏やかな表情と、美しい空。
夜明けになると閉店し、いずこともなく消えていく、そんなお店。
そのコンセプトだけで、十分に物語を感じることができる。
やがて、次々に天空や星空にちなんだメニューのイラストも紹介されるにつれて、そのお店がないことのほうが不思議になるような存在感を感じている人もいるのではないか。私のほかにも。

その満月珈琲店が小説化されたものが、本作になる。
京都を舞台にした、優しい物語となっていた。
最初は京都の街中の、あのぎゅっと凝縮したような空間のどこに、星空の広がるカフェを登場させるのかがわからなかったが、そこはそこ。
二条のあたり、木屋町でとか、かつて歩き回った地名がそこここに出て来て、それもまた、私には懐かしい思いがした。
伏見桃山は二年前だったか。研修で行ったところであるし。暑い暑い日、御香宮の前を通って、名前の美しさにうっとりしたこともよく憶えている。

もとのイラストから浮かぶイメージに、星詠みという占星術の要素を加えてあるところが、なかなか興味深かった。
思わず、自分のホロスコープを調べてしまったりしたぐらい。

人生に迷っている人に、星が未来を示し、おいしいスイーツやドリンクが元気を与える。
こういうお店に私は行きたい。

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