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香桑の近況

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2018年9月

2018.09.27

滅びの園

恒川 光太郎 2018 KADOKAWA(幽BOCKS)

仕事に疲れた大人向けの童話のようなスタートだった。
そこはとても不思議な世界で、どこかのどかなファンタジーのようだった。
主人公の鈴上誠一と共に、その世界を理解しようとするうちに、物語に引き込まれた。

ページをめくる手を止めると、物語に置いて行かれそうになる。
この物語がどう進むのか、まったくわからないと思ううちに、読書がはかどった。
いくつもの謎の理由が見えてくるのは中盤以降だ。そこから更に物語は加速する。

凡庸な人物であるはずの誠一と、幼くして異才に目覚めていく野夏、セーコ、理剣。
立場が異なれば、事象はまったく別の物語になり、人はたやすく誰かのせいにする。
名前を出し、顔をさらし、個を暴かれて、見世物にされていく彼らはいいのだ。
名もなき人々の無邪気で圧倒的で集団的な好奇心と依存心と正義感がざらざらと読み手の心を逆撫でする。
どんな災害に見舞われていても、学校は授業を行い、大人たちは会社に出勤し、マスコミはゴシップを提供する。

それは現実の映し鏡に相違なく、私はその大衆の中に埋もれることに、プーニーに飲み込まれようとしているかのような不快を抱く。
なにかに挑戦する人は爽快さを与えるが、彼らはプーニーに飲み込まれて同化することができなかった人々だ。
だから、その実、これは異類婚姻譚であり、今浦島物語、綺麗に終わることができなかった愛のせつない物語だったのだと思う。

#滅びの園 #NetGalleyJP

2018.09.11

花だより:みをつくし料理帖 特別巻

髙田 郁 2018 ハルキ文庫

あの、みをつくり料理帖の後日談。

江戸のつる家のその後。
種市をはじめとして、今は包丁を預かる政さんとお臼さんの夫婦、よい娘にそだったふきちゃん、看板娘のりうに、おりょう達家族など、懐かしい顔ぶれが入れ替わり立ち代わり登場する。
まるでここからもう一回、つる家の物語が始まるのではないかと錯覚するほどだ。
種市がどれほど、澪を慈しんできたことか。今とは違って通信も交通も発達していない時代のこと、江戸と大阪に別れることは生涯の別れに等しいだろう。
どれほど寂しくてつらくて、それを見送った種市の深い情愛を、改めて感じる作品。

小野寺家のその後。
これは読めて心底嬉しかった。
あの小松原様の目じりにきゅっと皺がよる様子が懐かしい。
その皺こそ愛しいと思って見守る妻と子どもがいる。なんて幸せなんだろう。
小松原様がお澪ちゃんと添い遂げなかったことに裏切られたような残念な思いがしていたので、読めてよかったと心から思う。
もうとっくに、小松原様ではなくて、小野寺様だけど。
この人が幸せで満ち足りていてくれたら、きっとお澪ちゃんだって安心して幸せになれるだろう。

高麗橋淡路屋のその後。
ちょっと意外だった。野江のその後と、又次のその前。
大坂の商家の様子に、『あきない世傳 金と銀』が薄く重なる。
私には懐かしい関西弁のイントネーションが耳に蘇るような気がする。
旭日昇天の野江であるなら、きっと商いもうまくいくはず。
きっと人生もうまくいくはず。
昔は美人やってんけどなとため息をつかれるような、たくましいおかみさんになってもらいたいものだ。

そして、大阪のみをつくしの様子。
雲外蒼天のお澪ちゃんは、やっぱり立ち込める雲を払いながら生きている。
一生懸命で不器用な二人が夫婦になったからと案じていたが、案じていた通りに紆余曲折があるのが髙田さんの物語。
大丈夫かいなと心配せずにはいられないが、そこは雲外蒼天。
小さい体で雲を越えて青空に飛び立つお澪ちゃんは、雲雀のような人だと思う。
何度も何度も、これからも戦い続けていくんだろうなぁ。

出てくるお料理はやっぱり食欲をそそる。
ことに、小野寺家の夕食といったら、理想的な献立ばかり。
種市の心づくしも、野江の思い出の逸品も、お澪ちゃんが源斉様のために腕を振るう料理もおいしそうであるのだけれど、乙緒が夫のために吟味する膳は、真似をしたくなる取り合わせだ。

そして、全編を通して、同じ名前だけど同じとは限らないものが、かけてあるような気がした。
言葉遊びのすれ違いは、コミュニケーションの永遠の課題でもある。
去りゆく者を見送りながら、残された者は与えられたものをしっかりと握りしめ、前を向いていけたらいいのだと思う。

10巻の物語のめでたしめでたしの後の日々は、読者としては惜しみながら閉じるしかない。
名残惜しいが読むほどに幸せになる。心の中でも蒼天が広がるような気がした。

2018.09.05

永善堂病院:もの忘れ外来

佐野香織 2018年9月5日刊行 ポプラ社

誰しも忘れたくないことがある。
忘れられないことではない。忘れたくないことだ。

主人公の佐倉奈美は、キャリアを断念して実家を離れ、祖父母の住む地方都市の物忘れ外来で働き始める。
様々な老いや死の物語が、若い女性の成長と回復の物語に転じていく。

ぴんぴんころりも、ねんねんころりも、どちらも、悲しいものである。
逝かねばならないものの押しつぶされそうな不安。
がんや認知症の病気そのもののダメージも人を不安にするが、それは死のとば口であるという認識が不安を大きくする。
自分はこれから死に向かって残り時間を過ごしていくのだと、改めて気づいてしまう瞬間から、情緒は波打ち、悲しみや怒り、様々な感情を引き起こす。

世界から人を隔絶する膜がある。見えない膜だ。
その膜は、病気だったり、傷つきだったり、孤独そのものだったりする。
祈りが膜を乗り越える時があることを信じるのが、支援職の仕事でもある。
見送らねばならないもののいつまでも尾を引く後悔を解きほどくこともだ。

すべての人が苦しみが少なく、心満ち足りて、静かに眠るように逝くことができるといいのに。
その人生の再晩年期を、その生きて働いてきた苦労が報われるようなものであってほしい。
老いや死を扱いながらも、可哀想な物語に仕立てあげることなく、爽やかで穏やかな気持ちになる稀有な物語だった。
なかでも、老医師夫婦の和解の物語が、とても素敵でたまらなかった。

レビー小体型認知症に前頭側頭型認知症、脳血管性認知症。
そう。認知症の種類は、アルツハイマー型だけではない。
サルコペニアやフレイルなど、馴染みがないとわかりづらい言葉もあるだろう。
老いや死は誰しも避けて通れないものであるが、自分や肉親がそうなってみないとわからない人もまだまだ多いと思う。
こういう物語の題材になることを通じて、これが当たり前に起きることだと、もっともっと身近なものになってほしいものだ。

死は、その人が最後にできる教育だと、私は思う。
主人公がそのプレゼントを受け取りながら成長していく。
誰かにそうやって受け継がれていくから、無駄な死は、無駄な生は、ひとつもない。
そうやって世界は、今日も回っていくだろう。

#永善堂病院 #NetGalleyJP

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