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2017年11月

2017.11.28

ブレードランナー 2049

先日、『ブレードランナー2049』を見てきました。
一作目の舞台って、2019年……つまり、来年だったのですね。
前作についてはルドガー・ハウアーの脱ぎっぷりの潔さにびっくりした記憶がなく、改めて原作を手に取りたくなったほど、今作はとてもよい映画でした。
刃物を持って走る人。
このタイトルの意味を考えながら、ブレードランナー2049の感想を書いてみたいと思います。

前提として、Buzz Feed Japanの「性暴力を『ささいなこと』にするレイプ・カルチャーとは何か」という記事において、社会学者(男性性研究者)の伊藤公雄氏の以下の言説を念頭に置きながら進めます。

 *****

男性作家が描く女性像を考察したところ、女性のイメージは3パターンしかありませんでした。性的な欲望を満たす「娼婦」、崇めたてるべき「聖女」、甘えの対象である「太母」です。

 *****

Great Motherは、甘えの対象であると伊藤氏は簡単に説明していますが、ユング心理学の両義的な解釈に基づけば、怒らせると怖い存在です。
『ブレードランナー』と、『ブレードランナー2049』のあらすじについては、他を参照していただくことにしますが、ブレードランナーの世界において、レプリカントは娼婦あるいは聖女です。
戦士としての女性は登場し、怒らせると怖い太母のイメージを惹起しますが、これもまた聖女でしかありません。
なぜなら、レプリカントは生と性から切り離された存在であるからです。
つまり、ブレードランナーで描かれるレプリカント達にはGreat Motherは不在であり、Great Motherを探し求める物語だと言い換えることが可能です。

そして、奇跡が既に怒っていることを冒頭のエピソードは教えてくれます。
奇跡とは何であるか。
主人公Kは、レプリカントが子どもを生んだことがあることを知ります。
娼婦にはなれても、母親にはなれないはずのレプリカントが出産していた。
レプリカントにとっての太母のイメージがここで呈示されるわけです。
しかも、その母親となった女性は、出産ができないはずであったことと、既に死亡していることから、二重の意味で手で触れることのできない聖女です。
父親となった男性もまたレプリカントであることから、それは愛という感情を持つはずがない存在が愛し合い、子どもをなしえないはずの存在が子どもをなしたという聖家族の出現です。

こう考えると、1作目のディレクターズカット版で追加されたというデッカードの「ユニコーンの白昼夢」は、とても象徴的というか、わかりやすいものになるかと思います。
ユニコーンのよく知られた習性として、処女に弱い、処女に魅了される、というものがあります。
愛のために捕らわれてしまう因果な修正ですが、ユニコーンの角は攻撃性を象徴し、男性性器を想起させます。
処女である女性に、性的な欲望を持ったこと、同時に、その愛に身を滅ぼすかもしれない予感を示すものではないかと考えられるのです。
そして、今作では聖書から「次に神はラケルを心にとめられ、彼女の願いを聞き、その胎を開かれたので……」(創世記30章22節)と引用するシーンがあります。
日本語ではラケルとなりますが、英語のスペルはRachelです。

対して、現在のレプリカントの製造を担うウォレスは、レプリカントの生殖技術を欲しています。
当然ながら、レプリカントの奇跡の子どもの存在を知ってからは、その子どもを欲しがります。
過酷になった世界で人間は生き延びることが難しいが、レプリカントは生き延びることができる。
ウォレスは、レプリカントを「天使」と呼び、天使を作る自分は人間のいない世界の神になるとでも信じているように見える男性です。
しかし、ウォレスの役回りは、ヘロデ王です。
イエスが生まれた時に、「本当のユダヤの王が生まれた」がという噂を聞いて、噂に該当する2歳以下の子どもを殺したユダヤの支配者です(これは歴史的事実ではないとされますが、有名な聖書の一節です)。

ウォレスはまた、ネーミングセンスがわかりやすいキャラクターです。
自分の片腕として重用している女性のレプリカントには、ラヴと名付けていました。
ウォレスの会社の主要な商品であろうホログラフには、ジョイと名付けられています。

ラヴは非常に有能な女戦士ですが、慈愛は感じさせず、性愛的でもありません。あえて言うならば、主人への愛慕でしょうか。
ラヴはウォレスに対しては献身的であり、そのためにある種の暴走をしてしまいます。
レプリカントにとって禁じられているはずの「嘘をつく」という負荷を背負った時に、ラヴは涙を流します。
その時から、ラヴは壊れ始めていたのかもしれません。

ジョイは、街中でも盛んに広告されているホログラムで、キャッチコピーは「あなたの望みをすべてかなえます」(みないな言葉です)。
主人公Kも、同居人としてこのジョイを使用しており、家族のように、恋人のように過ごしていました。
ジョイは、触れることのできないホログラムという点で、レプリカント以上に聖女です。
しかし、使用者に求められれば、娼婦にもなることができます。現に、街中のジョイの広告は極めて性愛的です。
Kが所有していたジョイの最後の台詞は「私はあなたを愛している」でした。
ジョイはホログラムであり、その核となるAIに、愛の言葉がプログラムされていても不思議はありません。
注目すべきことは、望みをかなえるAIから、この言葉を引き出したのは、Kであることでしょう。

Kは愛されることを望んでいた。
父と母から生まれた特別な子どもでありたかった。
レプリカントは人によって作られたものである。レプリカントは人ではない。よって、人と同じような魂はない。ということが、この世界の前提です。
二度と反乱など起こさないように、前作以上に従順であるように設計されているはずのレプリカントは、外見こそ人間と変わりがありませんが(メタで言うなら人間が演じていますしw)、自律的な思考を持ち、感情を表現します。
主人公Kに寄り添って物語を追う観客にとって、レプリカントは被差別者にすぎません。
差別者との明確な区別がどこにあるのか、Kと一緒に悩むとき、人間こそが邪悪なものに見えてきます。

人間と戦うレプリカントのレジスタンスを率いるフレイザたちは、「人間より人間らしい」ことを願っています。
魂を持ち、愛することができ、子どもをなすことができる。
そして、「誰かを愛するためにはときには他人にならないといけない」。

このテーマに帰結するとき、この『ブレードランナー2049』は、まぎれもなく、カレル・チャペックの『ロボット』の後継者であることがわかります。
ロボット、アンドロイド、レプリカントと名称は変わっていても、そこにある問いは、人間を人間としているものは何か?というものではないでしょうか。
レプリカントとレプリカントの間に生まれた存在には、製造番号は刻まれていないのです。
とても素晴らしい物語であり、結末でした。

But the fruit of the Spirit is love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness and self-control. Against such things there is no law. (Galatians 5:22-23)

2017.11.16

魔導の矜持

佐藤さくら 2017 創元推理文庫

敗走戦が一番難しいと聞いたことがある。
逃げることもまた戦いである。

シリーズ3冊目となる今作の主人公を誰か一人と決めることが難しい。
デュナンという少女の逃避行から目を離すことができなくなる物語。
魔導士への弾圧が厳しくなるラバルタで、魔導士の見習いであるが落ちこぼれ。
人とは少し違うことを苦にして、自信を持てずにいる女の子だ。

そのデュナンが、妹弟子・弟弟子らを連れて逃避行をすることになる。
一緒に旅をする仲間に、1作目と2作目の登場人物たちも加わって、いくつもの運命が絡み合いながら、あの戦いの後の世界が紡がれていく。
それぞれの立場、それぞれの悩みや苦しみ、それぞれの戦いを見ていると、どの人物たちも愛しくてたまらなくなった。

これは、ディストピアを救う物語ではないが、ディストピアで生き延びる物語だと思う。
苦しくてしんどくてたまらないときに、思いがけない一言やささやかな出会いが、許しや癒しになることがある。
生き延びることができたとき、世界には悪いことばかりではないと気づく。たとえ、世界はなにも変わっていなかったとしても。
生きのびることだけ頑張れたら、きっと、なにかいいことだってあったりする。
頑張って生きていない人間なんていないのだから、誰にだってそんなことがあるかもしれない。
世界は悲惨がいっぱいのままではあるが、きっと主人公達はこれからも生きていく。

ともに戦う誇らしい仲間を得たような気持ちで読み終えた。
晴れやかなような、爽やかなような、少し胸を張って、前を向いて、姿勢を正したくなるような気分だ。
あなたはあなた。自分は自分。そのままでいいと、登場人物に呼びかけたくなる声は、周り回って読み手に戻ってくる。
落ちこぼれなどない。人はそれぞれ違っていていい。字が読めなかろうと、人と違う力を使えようと、人と感じ方が違っていようと、それはそれでいい。
登場人物たちの成長のきっかけを描く物語であり、そこに触れて帰ってきた読者自身が、隠れ世に行きて戻りし体験をする主人公になるだろう。
私はこのシリーズが絶品のファンタジーであり、王道のファンタジーであると思うのは、この点だ。

『系譜』や『福音』の主人公たちの成長を見守ることができるから、先にそちらを読んでから、この『矜持』を手に取ってもらいたい。

2017.11.14

されど、化け猫は踊る:猫の手屋繁盛記

かたやま和華 2017 集英社文庫

好きで好きでたまらなくなると、感想が言葉にならなくなる。
ナツヨムというブックフェアで、よむにゃのブックカバーにつられて一冊目を買った。
『猫の手、貸します』というタイトルと、おさむらいの格好をした白猫の表紙。
猫のブックカバーをもらいたんだから、猫の本もよいかと思って軽い気分で選んだ。
一冊目を読んで、主人公に惚れ込んで、翌日には2冊目以降を手に入れた。

四角四面な堅苦しい性格の宗太郎が、白猫の姿になったのは、猫又の仕業である。
その呪いのようなものを解き、もとの人間の姿を取り戻すために、猫の手を貸すなんでも屋のような看板を掲げる。
大身である実家に迷惑をかけてはならないので、慣れない長屋暮らしを始めたわけである。
ねこ太郎さんと呼ばれたり、猫神様と手を合わせられたり。
猫扱いされたり、化け猫扱いされたり、猫又に振り回されたりで、どたばたとした毎日が楽しくつづられる。
巻が進むごとに、ねこ太郎……もとい、宗太郎の実家はもしや?とうかがい知れてくるのも魅力のシリーズだ。
コミカルな話が多く、読み心地がよくてとんとんと読み進めることができたが、4冊目となるこの巻は違った。

黒猫たちが愛しい。愛しくてたまらない。
あまりにも健気で、かなわないとわかっていても、応援したくなる。
いつかかなってほしいと祈りたくなる。
星を見上げて祈りたくなる。

猫たちは、本当に飼い主思いだ。
長年、猫たちと生活して、痛いように感じる。
こんな風に、猫たちに惜しまれるような同居人になりたいものであるが。
猫たちを看取らずに逝くと、彼らを放り出すことになるからそれもまずいが。

武蔵も、仲間外れになっていないといいな。

かたやま和華 2014 猫の手、貸します:猫の手屋繁盛記 集英社文庫 
かたやま和華 2015 化け猫、まかり通る:猫の手屋繁盛記 集英社文庫
かたやま和華 2016 大あくびして、猫の恋:猫の手屋繁盛記 集英社文庫
かたやま和華 2017 されど、化け猫は踊る:猫の手屋繁盛記 集英社文庫

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