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香桑の近況

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2017年3月

2017.03.16

魔導の福音

佐藤さくら 2017 創元推理文庫

面白かった。このことを最初に書いておこうと思う。
新たな登場人物も多く、さまざまな要素が詰め込まれており、とても一言では語りつくせない面白い物語になっている。

ここに、リンズという薬がある。魔物が棲みついた人に服ませる薬だ。
エルミーヌでは、魔物棲みとわかった人は、速やかに神の許に還していた。つまり、殺していた。
現王が即位してから、魔物棲みの保護救済を謳い、殺すことではなく収容所に収容することにした。
その時に用いられる薬が、リンズだ。大量に摂取すれば死にいたることもある神経毒であり、摂取した者は生きる屍のようになる。
前作の魔導師たちが社会的に差別されてきたならば、近作の魔物棲みは社会的に抹殺されてきた存在だ。

そのような世界で始まる物語。主人公カレンスの人柄は温和で、真面目で、ある種の凡庸さと人のよさと持っている。つまり、特別な英雄ではない。
カレンスの周りに、魔物棲みとして殺される運命にある妹や、同性愛者であり破天荒な名家の令嬢であるアニエスなど、個性的で魅力的な登場人物が次々に出てくる。
特にアニエスは、多くの読み手に愛されると思う。文武両道に秀でている、元気がよくて美人な女性であり、学院唯一の女生徒である。アニエスは同性愛者であり、カレンスとも、その他の学生とも、恋愛関係になることはありえない。実に素敵な設定だ。
カレンスとアニエスが出会う学生生活は、それだけで一冊の物語になってよいほど、活き活きとしており、笑いもこみあげるほど、楽しくて愛しいものだった。
その部分、前作とはまったく違う雰囲気を味わうことができ、著者の作風の幅を感じた。
この学生生活の部分で、前作に引けをとらない分厚さ、新しく出る登場人物や土地の多さに対する戸惑いもなりをひそめ、物語に引き込まれる。

しかし、幸せな日々は永遠ではない。
カレンスが学業を修めて、故郷に戻ったときから、物語は次のフェーズに入る。
再び妹の問題と対峙しなければならない。妹を見殺しにした自分の罪を、見つめなおさなければならなくなる。
魔物棲みとされた人々は殺されるか、リンズで眠らせられるわけであるが、私が思い出したのは『レナードの朝』であり、『カッコウの巣の上で』だった。
物語ではあるが、連想させられるものは深く、考えささえられる部分もまた、本書と著者の魅力だと思う。
後半での魔法描写や心理描写は前作を受けついで見劣りすることはない。
力は悪ではない。使い方の問題なのだ。使うことの目的が課題なのだ。
悪いことをしたとしたら、それはその人が悪いのか。そうさせてしまったのは誰か。草せざるを得なかったのは何故だ。
この著者のすごいところは、善悪の二元論に簡単には落ち込んでしまわないことである。
もちろん、ゼクスとレオンのコンビも途中から登場するし、これはどこに帰着するんだろうと先を急いで読まずにいられなかった。
三部作になると予定されている物語だが、そこに止まらずに著者の描き出す世界を追いかけたいものだ。

どんなに弱くてもいい。間違えてもいい。迷ってもいい。
大多数の「正しい」が自分にとって「正しくない」こともある。
死んだほうが楽に感じる日があったとしても、生きていくしかない。
自分が自分らしく生きる道を探しながらあがいている、登場人物たちの一生懸命さが愛しい。
ほかの道はないのか。それだけなのか。見落としていることはないか。できることはないか。
自分が背負うべきものをなかったことにしない。
あがいて、あがいて、先に進もうとする。
そんな勇気を思い出させてくれる物語だ。

なお、お気に入りはルシアン兄さまである。

2017.03.03

紅霞後宮物語 第五幕

雪村花菜 2017 富士見L文庫

前作で物語がひと段落がついた印象を受けたので、これからどうするのかと思っていたら。
途中で、あれー?どうしたー??と、予想外の方向に行きそうになり、それはそれでありなので微笑ましく読み進めたところ、やっぱり主人公達はぶれなかった。
ネタばれをしないように書こうとすると、どうにも意味のわからぬ文章になる。

小玉の抱える問題は、現代的で現実的だ。
キャリアを積んできて既に中年になった女性が、結婚しろ、妊娠しろ、出産しろといった社会一般からの期待に対して、その期待に応えることと職務を果たすことが両立しない。
自分の職務や役割、意味を見失いそうになったり、期待に応えられないことが苦しくなったり、こもごもの思いが浮かび上がる。
その中で、なにが最善か、見極めることは難しい。

以下の記述が端的だと思うから、引用する。

「お父さん、お母さん、そして子どもがふたりくらい。これが正しい家族です!」ということになっているために、そうでないかたちで生きている少数派の人たちは、どこかで「正しくないもの」とみなされがちです。
(東 小雪・増原裕子 2013 ふたりのママから、きみたちへ イースト・プレス)

小玉はこの「正しい家族」を求められている。本の中の世界でも、本の外の読み手にも。
小玉が文林と心身ともに仲睦まじく過ごし、二人の間に実子をもうけることができ、その子を育てながら、政治的な難局も解決していくような欲張りな物語であれば納得する読み手もあろうかと思う。
しかし、そうじゃないところに、私はこの小説の魅力を感じるのだ。

現代の知識として、35歳以上の初産婦および40歳以上の経産婦を高齢出産という。
35歳以降は卵子は老化して質が低下すると共に、卵胞内卵子数は急減する。
この卵子の老化に伴い、妊娠率の低下、流産率の上昇、染色体異常率の上昇が起きる。
すべて出産にはリスクが伴うものではあるが、高齢出産ではリスクが更に高いことは否めない。
したがって、架空の物語世界でいかようにも御都合主義な展開が可能であったとしても、そこで妊娠出産が無事に行えるか疑問を持つ小玉の感性は、もっともなものなのだ。

そんな正しい家族になれない、家族になりたいとも望まない、なにか欠けたる心を抱えている気がして、自分がだめな人間のような気持ちがよぎること。
そんな正しい家族になれない、出産の限界の年齢であったり、出産育児をしていると両立できない仕事をしており、その仕事ができなくなることが不安に感じたりすること。
そういう「正しい家族」に素直になれないもやもやした気分を、「正しい家族」の姿に綺麗に押し込めてしまわないところが、この物語の魅力であり、小玉の魅力だと思う。

小玉は子どもを作るために文林に嫁いだわけではない。
他の後宮の女性たちが子どもを作ることを期待されて、嫁がされたのとは一線を画している。
少なくとも、とうの小玉が、そう思っていない。彼女は軍人として、軍人のまま、嫁いだのだ。
だから、いつかこの二人が、子どもを作るためではない、二人だけの関係を温めていけたらいいなぁと思う。
それにしても、小説って楽しい。その思いをかみ締めながら、一気読みした。

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