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香桑の近況

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2017年2月

2017.02.28

脳が壊れた

鈴木大介 2016 新潮新書

深刻な話なのに。
深刻な話なんだけど。
くすくす笑ってしまうぐらい、率直な文章が素敵だった。
イラストもユーモラスで、ほのぼのとしている。
笑ってしまってごめんなさいと思うけど、笑えるのは著者の人柄と、なにより生きていらっしゃるから。

41歳で脳梗塞になり、軽度の高次脳機能障害の後遺症を持つことになった体験記。
この人の『最貧困女子』を読み、ほかにはどんな本を書いていらっしゃるのか検索して、これを見つけた。
その瞬間、目が丸くなったと思う。
41歳で脳梗塞って大丈夫なのか!?
ていうか、脳梗塞って、大丈夫じゃないやん!?
と、びっくりしながら、概要を読み、これは読まねばなるまいてと、すぐに購入を決めた。

これは、読む価値がある。
高次脳機能障害という言葉に聞き慣れない人もいるかもしれない。
初めて聞いたとき、高次って、脳にひっかかるのか、脳機能にひっかかるのか、障害にひっかかるのか、これだけではよくわからないと思ったことを憶えている。
どんな症状が出るのか。どの治療やリハビリテーションをするのか。
頭部外傷や脳梗塞などの後遺症のひとつであるが、そこで起きる現象が、時に発達障害の妻の体験との共通項に気づくこと、著者がインタビューしてきた相手を想起させること、そこもひっくるめての体験談である。

病を得ることで、自分の生き方の見直しや御夫婦の関係の見直し、そして社会への提言と膨らんでいく。
全体を通じてテンションが高めであるのは、感情が大きくなりやすい障害であることと、助かったという安堵感と、気づいたことを伝えたいという願いだろう。
これは読んでよかったし、読めてよかった。

ある箇所で、デギン公をネットで調べてみた。
以来、思い出しては笑ってしまう。
どうしてもこのことは書き足しておきたくなった。

余命三年時事日記 1

余命プロジェクトチーム 2016 青林堂

途中で、読むのがしんどくなった。
あわないものはあわないので、しょうがない。

中道でいたい。と思うので、右のほうも、左のほうも、目配りしておきたいと思っている。
この数年、戦後の記憶の根強い世代の韓国嫌いに対して、悪い人ばかりじゃないよ、メディアでとりあげられる人が偏っているんだと思うよ、反韓意識を煽りたい人もいるんだと思うよと言い続けて疲れてしまった。
韓国や中国の中での反日の言動の数々の報道には、私も腹が立つこともあるし、とりなすのが疲れてばかばかしく感じるようになった。
もう仲良くしようとしなくてもいいんじゃないかという気持になったり、皮肉な、あるいは攻撃的な言説を選ぶようになったり。
これが韓国疲労病ってやつかもしれない。
ところが、元来、天邪鬼なたちなので、自分の右に傾きすぎていた秤を、とんとんと、方向修正したくなってきた。
この本の内容が内容であるだけに、どうもこういう言い訳をしてからじゃないと、感想を述べづらい。

この本はブログを編集したものだそうだ。
ブログの書籍化とは難しいなぁと思う。
余命三年と告知されてからブログを書き始めたのだそうだ。
このブログ、初代と呼ばれる最初に書き始めた方は既に亡くなっているという。
その後を引き継いでいるのがプロジェクトチームになるのだろうが、文章の校正をするときに、書き直しづらかったこともあるのかなぁ。
ところどころ、文章の読みづらさや前後の齟齬、時制の違和感などがあるのは仕方がない。
一般人向けにマイルドな内容をピックアップして本にしたそうであるが、内容というよりも、話の流れで、読み手はわかっているものとして書かれている部分の意味がよくわからなくてついていけないこともあった。

また、現状ではなく、数年前の状況に即して書かれている部分も散見された。
にも関わらず、国内国外の政治についての分析については、なるほど、そういう見方もあるのか、と、興味深い。
全体を通じて、部分部分では納得もするし、同意するところもある。
この文脈を理解しておくと、日々のニュースが違った意味合いを持つものに見えてくるのは面白い。
この面白さが、秘密を共有しているような、自分が理解できる「選ばれた人間」になったかのような喜びを読み手に与える魅力になるのだろう。

しかし、在日韓国人について問題を掘り下げるにしたがって、私の中で違和感が増していった。
読んでいて、どうしても、私の友人知人がちらつく。
彼らは在日韓国人であるが、勤勉に就労している人たちであり、むしろ普通の人たちであって、彼らを含んで在日韓国人と一括されると嫌なのだ。
生活保護受給者ではないので不正受給者ではありえないし、ヤクザでもないぞーって。
私は楽観的ではないので、読み手の日本人がすべて現実的に判断可能でありかつ良識的に行動可能であると信じないため、通報を呼びかけるくだりになると、違和感が拒否感になった。
通報の勧めは、監視と密告の社会の勧めである。どこの社会主義国だよ・・・と思うと、気持ち悪く、それ以上、読み進めることが苦行となった。

一括処理は運動の基本である。
複雑性や多様性は、スローガンのインパクトを弱めるからだ。
わかりやすい一言にまとめること、運動には不可欠なのだ。例としては、選挙をあげることができる。日本のではなくて、アメリカ大統領選がわかりやすい。
わかりやすさで、クリントン氏はトランプ氏に及ばなかったのだと思う。
だが、一括処理することの乱暴さが、私は苦手なのだ。数々の例外がとりこぼされることで、現実から遊離したものになりはててしまう危険性も無視して、ごり押しするのだもの。
右に行き過ぎても、左に行き過ぎても、そうではない他者を切り捨てるところが、どっちに転んでもファシズムだ。
ファシズムはどうしても私のしょうにあわない。あわないものはあわないのだから、しょうがない。

こうして見てみると、日本の左右というのもよくわからないものだなぁ。
詳細に論じる気力がわかないが、ねじれがいっぱいあることを再確認した。
私が愛するのは自由と平和である。寛容と共存を尊び、公正と敬意を心がけたい。
私には私がまだわからぬことがあることと、私の心が感じ取ることを、大事にしておこう。

2017.02.21

あきない世傳 金と銀3:奔流篇

髙田 郁 2017 時代小説文庫

あほぼんな若だんさんが死んで、その弟である惣次から求婚された幸。
断れるような立場ではなし、かと言って、惣次は勘気なところが心配な人。

話の続きが気になっていただけに、一気に読んだ。
やっぱり……と残念な気持にもなるが、夫婦仲良くめでたしめでたしでは、話が続かなくなる。
幸には幸せになってもらいたいだけに、複雑な気分で読み終えた。
ネタばれにならないようには、これぐらいまでしか書けない。

物語は横に置き、今回、楽しんだのは江戸時代の大阪の情景と町衆達のつつましやかな生活ぶりである。
人と建物しか視界に入らない生活を送りがちになるが、目を向けていないだけでそこには花が咲き、耳を傾けていないだけでそこには鳥が鳴いている。
一筆啓上とさえずる頬白の声は初夏の響き。雁の初音は秋の訪れ。そこに引き売りの声が重なる。
月が満ち、また、月が欠け。着物に綿を入れたり、それを脱いだり。人は季節を感じ、愛でる。
季節が駆け足で流れ行く様子の情景描写が丁寧で、五感に訴えてくる。そこが美しくて、とても素敵だなぁと思った。

ここに描かれている身近な自然は、実は今も身近で感じられることが多い。
呉服の美しい色合いに慣れていくのも楽しいが、物語の景色が現実にある現在と繋がっていることを感じるのも一興だと思う。

ネタばれになるが、最後にやっぱり一言。
五鈴屋にはあほぼんしかおらんのかーっ。

2017.02.08

暗幕のゲルニカ

原田マハ 2016 新潮社

これはなんという小説か。
闘いなさい、と青ざめる主人公に声がかけられる。
ものの100ページも読まないうちに、鳥肌が立った。

本当にあった出来事をもとに書かれている。
イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルの記者会見の際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたという出来事があったそうだ。
国連本部に飾られていたはずのタペストリー。
それが、ピカソのゲルニカのレプリカだった。
実物大で、ピカソ自身が監修したというタペストリーだった。
この一件があり、タペストリーの所有者は、国連本部から他の美術館に移したという。

その出来事に立脚されているが、物語中の「現在」は仮名を与えられた人物達が生きる、少し仮想の現在になっている。
その少し仮想の21世紀と、「ゲルニカ」を描いているピカソとそれを撮影するドラ・マールが生きる20世紀が、同時進行に語られる。
少々、複雑な進行をしているわけだが、ゲルニカの空爆と9.11やイラクへの空爆がぴたりと重なり合い、その野蛮に対するアートからの抵抗が呼応する。
そして、ドラのピカソへの愛と、瑤子のイーサンへの愛が共鳴しあう。
どこまでが事実に基づいており、どこからが創作であるのか、溶け合ってわからないほど。
物語がどこへたどり着くのか、ページを繰るのももどかしくなる。

ゲルニカ。
その絵をいつかどこかで見ているのかもしれないが、私はどこで見たのだろう。
スペインには行ったことがない。
ニューヨークには、1982年、1992年に行っているが、これはゲルニカ返却後になる。
母がピカソの青の時代が好きだったから、どこかでなにかのピカソの特別展に行ったことはあるのだ。そんな時にレプリカを見たのかもしれない。
私の記憶がフェイクなのかもしれないが、それにしても、今より若く、幼かった私は、ゲルニカのよさや凄さがまったくわからず、首をかしげて終わった気がする。
この主人公のような、すなわち、作者のような感受性が羨ましい。

この本を読み終えた私は、この数十年、いくつもの戦争のニュースと災害のニュースとに接してきた。
子どもの時には遠いものに感じていた戦火の悲惨も、明日はわが身のようにひしひしと感じている。
殺したがり、死にたがり、殺させたがり、死なせたがる人々の気持ちが、まったく理解できない。
私の敵は、戦争である。暴力である。憎悪である。
まったく懲りない、学ばない、憶えない、無責任な忘れっぽさである。
安っぽい正義感や陶酔感、近視眼的な楽観主義や愛国主義、他者を憎悪することでしか自分を保てないようなチープな自尊心や優越感、そんなものが嫌でたまらない。
政治が利用してもしれきないところにある美しさを愛していたい。政治に利用されたときから、それは美ではなくなる。

自由と平和。これがどれほど、貴くて、儚いものか。
私もまた、この貴いものを守る側に立っていたい。改めて思った。
自由を愛し、平和を尊ぶ、祈りに満ちた物語だった。

2017.02.02

日本会議の研究

菅野 完 2016 扶桑社新書

読み終えて、溜息ひとつ。
読んでよかったがなんとも気が重い。
気が重いが、これが現状なのだろう。
これを現状だと思うと、腑に落ちる。
この気の重たい内容は、実際に読んでいただきたい。

2017年1月6日。ベストセラーが出版差し止めというニュースに驚いた。
この判決はなかなか出るものではないと思っていた。
現に、ニュースの見出しには、過去の判例無視という表現さえ踊った。
ただし、事実ではないと裁判所が削除修正を求めているのは、訴えられた6箇所のうちの1箇所のみ。
著者と出版社を応援するつもりで、慌てて購入を試みた本だ。
その場でKindle版をダウンロードし、後日、書店で現物を購入した。
その後、扶桑社と著者は、該当箇所を黒塗りにして出版を続けている。
裁判を起こした方には起こした方の事情があるのだろうが、私はこの本を読んでよかったと思う。

私は、美しいという価値観を振りかざすスローガンが気持ち悪い。
美とは直観的に理解するものであり、理性で議論する範疇を超えている。
美は、なんとなくの共感であり、説明がつかない次元に立脚することである。
美による統治は、知性的な分析や反省、理性的な対話や理解を封じてしまう。
言い訳のつかぬことを押し通し、言い返すことを許さない価値観が美である。
だから、美しいを連呼し、押し付けられることが、とても気持ち悪い。
この気持ち悪さの理由が、この本で明らかになったと思う。

日本会議という寄り合い所帯をまとめる紐帯となるのは、君が代であるとか、日の丸であるとか、ぼんやりとしたなにか保守的なもの、伝統的(と思われやすい)もの、であるようだ。
ウンベルト・エーコが、『永遠のファシズム』で「ファジーなファシズム」という言い方をしていたことを思い出す。
その日本会議という形で政治を動かす得票を集める人たちは、特定の宗教と密接に関係している。
そして、話は私の生まれる前にまでさかのぼる。

60年と70年の安保。その学生運動の時、大学生だった人たちも70代だ。
それから時は流れた。それだけの時が流れた。
にもかかわらず、いまだに、左翼に対する攻撃という運動を続けていたい人たちがいる。
その年頃の人たちなら、今更、言動が変わることはないだろう。
彼らの最終目標は、私はとても受け入れがたい。
どういうものであるかは実際に読んでもらいたい。

2006年。教育基本法が改正された。
私はひどく憤ったことを憶えている。
基本法だ。基本となる法律を変えるということは、その上に乗っかるその他の法律等々まで影響をこうむるのだ。すべてのありとあらゆる努力と工夫を講じて尚どうしようもなかった時にしか変えてはいけないものではないのか。そこまでの努力をしたのか。
しかも、教育だ。教育を変えようとする政権には注意を払うべきである。私はそう習った。
なぜならば、ナチスが最初に着手したのが教育だったからだ。

改めて、調べてみた。
2006年の政権は、誰が持っていたのか。
ちょうど、第一次安倍政権の時だったのか。
政権をとって最初に成立した主な法案だったのか。
そうか。そういうことか。そういうことなのか。
私の中で腑に落ちた。私なりに、本書の内容を検証できたと思う。
この本を否定したり、非難したりする人がいるほど、ここに書かれていることは的はずれじゃないのだろう。
政教分離すらできない政権を、私は支持しない。

2017.02.01

娘役

中山可穂 2016 角川書店

中山さん、どうしたんだ!?
と驚くほど、楽しく読んだ一冊。
設定にも驚いたが、こんなに楽しい物語に出会うことが嬉しく驚く。
ドラマチックであり、シリアスでありながら、主人公がとてもキュートなのだ。

『男役』を読んだからにはこちらも、と思って、手に入れた本だった。
男役を描くと、これぞ宝塚という世界になるが、その男役を支えているのは実は娘役。
そう聞いて、なるほどとひどく納得した。
男役の魅力は、その人工的な「第三の性別」というファンタジー性にあるのだと思っていたが、男役をよりひきたてるために娘役もまた人工的に作り上げられているものだ。
なるほどなぁ。さすがだなぁ。女性への目線のやわらかさが、さすが中山さん。

野火ほたるの娘役の物語をひきたてているのは主人公である片桐と、親分さんの二人の宝塚ファンだ。
宝塚を愛しているけれども、愛しているからこそ、やくざである自分が近づきすぎてはいけない。
舞台を観ているひと時だけは渡世の憂さを忘れていたいのに、世界のほうが放って置いてくれないところが憂さたるもの。
この二人のやくざ達が、とってもキュートなのだ。いっそコミカルと言ってもいいかもしれない。
宝塚歌劇のファンであるヤクザさんというシュールな設定は、物語がリアルになりすぎないために生まれたらしい。
作者の楽しそうな様子が透けて見えると思った。大人のユーモアたっぷりの作品に仕上がっている。

一人の娘役の成長を見守りながら、物語は数年間を駆け抜けるように進んでいく。
見守る片桐の人生は、時に彼女に近づき、離れながら、大きく変化していく。
伏線が回収されていないというレビューも読んだが、人生なんてむしろそんなものだ。
こうとしか生きられなかった男のロマンチシズムと、作者さんのユーモアがたっぷりのドラマチックな一冊。

大人の遊び心って、本気を出すからかっこいいと思うのだ。
中山さんの小説を長年読み続けたファンとして。
この作家さんの物語を、時には大笑いしながら読む日がくるなんて、なんだか嬉しかった。
好きな作家さんには、なんというか、人生を楽しんでいてもらいたいと、勝手に願って祈ってる。

 *****

作中のカルド・ヴェルデというスープ。
美味しそうでレシピを調べて作ってみました。
これは、ほんとに美味しい。家族にも好評でした。
作り方も材料でシンプルで、滋養があって、優しい食べ物。
私の定番メニューにしていきたいと思います。

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