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香桑の近況

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2016年11月

2016.11.25

殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件

清水 潔 2016 新潮文庫

ドキュメンタリーは調査された事実の積み重ねを、三人称で書くイメージがある。
そこにはちょっとした印象操作が含まれるんだと思う。
三人称で描き出された事態は、それが客観的に真実であるかのような錯覚を与える。

この本は、筆者がこの事件を取材することになった契機や背景、取材をしていく上での体験や感情をも書き込んである。
一人称で書かれており、あくまでも、筆者が見て、考えて、調べた結果であることを誤魔化さない。
丁寧で根気強い調査、取材の積み重ねの様子がありありとわかることから、導き出されていく推論の説得力が格段に増す。
しかも、そこはやっぱり雑誌の記者さんだからか、読みやすくて引き込まれる文章なのだ。手に汗を握るというか、続きへと引っ張られるように、厚い本をあっという間に読めた。

これは、捜査ではない。取材だ。
たった一人の記者が、いろんな人の力を得ながらであるが、時間をかけて事件を追いかけていく。
その事件は、栃木と群馬にまたがる幼女を対象とした連続の事件だ。
いくつかの事件が、一連の連続した事件であると証明するために、足利事件は冤罪であることを証明しなければいけなくなる。
冤罪の証明が目的だったわけではないが、一過程というには大仕事だと思う。

それでも始まらない、捜査。
国会にまで取り上げられて、なんとか動き出すかと思われた時の大災害。
犯人は捕まっていない。市井にまぎれて、普段通りの日常生活を送っている。
筆者は犯人であろうと目される人物を特定しているが、それでも、犯人は捕まっていない。
いろんな意味ですごい本だった。
筆者の熱が伝わってくる気がした。

考えさせられることは多い。
たとえば、死刑について。
凶悪な犯罪が増えるにつれて、死刑もやむなしの世論が形成されつつあるように感じたり、私自身も傾いてきたが、イノセンス・プロジェクトのほうが先決だ。
自分の傾きを修正する機会となった。
ほんの少し、ジャーナリズムも捨てたものじゃないと思えてほっとした。
礼賛者になるつもりはないが、大本営発表みたいなメディアにうんざりしていたから。

警察や検察や裁判に関わる人たち、面子よりも大事なものがあるでしょうに。自己保身がお仕事ではないでしょうに。役割期待に答えてよ。
もちろん、日々、努力されている方もいらっしゃるし、私も助けてもらったことがあるから、悪く思いたくないんだ。
技術だって進歩するんだから。絶対の自信があるなら、何度だって検証すればいいじゃない。
お願いだから、被害を受けた人の、一番小さな声を聞いてほしいよ。

2016.11.18

魔法使いの塔(上・下):ヴァルデマールの嵐3

マーセデス・ラッキー 2016 創元推理文庫

ヴァルデマール年代記完結!

と書かれた帯にショックを受けつつ、読み始めた。
注意としては、これはやはり、これまでの刊行本をなるべく読んでからのほうが楽しめる物語だったと思う。

舞台は主に三箇所だ。
一つは、アーゾウの塔の遺跡。カースのカラル、マ=アルの記憶を持つアン=デシャ、美貌と癒しの魔力を誇るテレイドゥラスの<炎の歌>など。
次の一つは、ハードーンの町ショーナーだ。なぜかすっかりそこを統治しているトレメインを訪問するヴァルデマールの使者エルスペスと、テレイドゥラスの<暗き風>。
そして、三つ目は、東の帝国である。狼の玉座をめぐる皇帝チャーリスとその後継者メレス。
3つの舞台でそれぞれに物語が進む、これまでで一番入り組んだ物語。

あの人やこの人が、世界を既に去ったと思われていた人々が、次々に現れる。
大団円に向けて、オールスター勢ぞろいの勢いなのだ。
ということは、やっぱりこれで終わりに……?と切ない考えがよぎりながらも、手に汗を握りながら読み進めていった。

ついに、イフテルからもハードーンに向けて使節団が送られてくる。
これまでまったくの謎に包まれていた国イフテル。
その建国の歴史から伝統まで、魔法戦争シリーズのほうを読んでいると、あー!と声を上げたくなることだろう。
そうか、そういうことかと、いくつものパズルがはまるように、ピースがはまるように、世界がひとつの点に収束されているような感じがした。

読み終えて。
やっぱりこの後が気になるし、やっぱりこの世界が好きだし、やっぱり作者の物語が好きだし。
翻訳されていないものが翻訳されることを待ちつつ、作者さんが続きを書いてくれることを祈ろうと思った。

2016.11.14

赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア:自分を愛する力を取り戻す「心理教育」の本

白川美也子 2016 アスクヒューマンケア

トラウマ体験を赤ずきんちゃんの物語にとたえながら説明されている点で、イメージしやすい。
これをこのまま読んでいくことでセラピューティックに機能するような、よい心理教育のテキストである。
支援者にとっても、このたとえ方は安全だし、説明の仕方はわかりやすいし、漏れがないので、参考になることは間違いない。

トラウマと言えるほどの大きな傷つきの体験を、自分の中で蓋をすることでなんとか毎日をしのいでいる人もいるだろう。
それを抱え続けることで、どれほど、その人の気力を損ねたり、体力を削ったり、能力を奪ったり、生活を狭めたり、さまざまな影響が出てしまうことか。
トラウマという言葉は一時期、安易に使われている感じがしてならなかったが、数年置きに大災害がり、毎年のように大事故があり、日々、虐待や事件は起きている。
そういった大きな傷つきの体験は、一朝一夕に癒えるものではないとしても、乗り越えうるものだという希望はなくさないでもらいたいものだ。
だからこそ、そのままにしないで、「自分を愛する力」を取り戻してもらいたい。

とはいえ、だ。
読んでいると、私自身はm悪夢が増えて、出来事を想起する回数が増えて、少々、つらい思いをした。それで熟読は避けた部分もある。
知識は役立つ。しかし、どうしても記憶を賦活する刺激になる。
だから、当事者の方が読む場合は、P.24に紹介されている安全な場所のエクササイズを必ず練習してから、続きを読むようにしてほしい。

2016.11.11

f植物園の巣穴

梨木香歩 2012 朝日文庫

主人公は園丁で、植物園に勤務している。
いくつも出てくる草木を、それとわからぬ時には、一つ一つ調べながら読み進めた。
戦前の文学を読んでいるかのような文体に、一度目は途中で投げ出した本だった。
久しぶりに取り出して読み始めた時、丁寧に草木を調べながら、景色を思い浮かべるようにしてみた。
梨木さんの文章に無駄がないように思う。
だから、わからないところを飛ばすのではなく、一つ一つ立ち止まりながら、主人公が迷いこんだ町を歩いてみようと思ったのだ。

萩原朔太郎『猫町』や、宮沢賢治が描くような、現実から地続きの異世界を思い出す。
もしくは、ジブリの『千と千尋の神隠し』。
先ほどまでは普通の現実の世界だったのに、自分でも気づかぬうちに幻想の世界をさまよっているのだ。
気づいていないから、いつも通りの行動をとろうとする自分。
しかし、いつも通りにはありえないことが次に次に起きる。
人の頭が雌鳥に見えたり、歯科医の家内の前世が犬だったり、お稲荷様が世話を焼いてくださったり。

これは夢の世界。
夢の中では、不思議なことがよく起こる。
情報が圧縮されて、自分の中で似ているものが重なり合ったり、違う姿で現されたりする。
人は自分の心を守るためにさまざまな防衛をしている。
自分に都合が悪いことは、別のものに置き換えて記憶されていたりする。
意識は、だから自分の無意識にしまったものをすっかり忘れていることもある。
夢の中で、人は記憶を整理する。
意識では処理しきれないも痛手を、無意識が解決しようと、何度も何度もトライする。
ほったらかしにしたら心が立ち行かなくなるような失敗も、夢の中なら安全に扱える。
そうやって処理していく過程だと気づいた時から、物語の不思議がすうっと私自身になじんだ気がする。
夢/無意識の中で起きる現象を、上手に取り入れて、かつ、表現された物語だった。

解説の通り、読み終えてから再び冒頭に戻って読み始めると、さまざまな小さな単語やエピソードが、実は全体を暗示する象徴であったことがわかる。
理性と知性が幾重にも防衛した奥底に流れる川は時間であり、無意識である。
時間を正しくさかのぼり、正しい流れにすることを、心が求めていたのだろう。
もう記憶を迂回をしなくても、正しい流れになる日が来たと知っていたのだろう。
静かな感動がひたひたと胸に溢れてくるような物語だった。

大きな悲しみを味わったことのある人の、心の過程をこれほど美しく描いてあるとは。
ずっとほったらかしにしたことを、もったいないことをしたと思ったが、これも今だから味わえたことと思うことにしたい。

2016.11.09

メコン詩集

鹿島道人 2015 不知火書房

好きな地域を題材にしてあるからと手にとってみた。
さまざまな形の詩が編まれている。
漢文もあれば、散文もあるような、多様な詩の集まり。
詩の世界も多様である。

アジアも多様である。
ここに描かれているのは、どこか陰のあるアジアだ。
アジアの影は、戦争の記憶であったり、現在の貧困であったり。
歴史の育てた智恵もあれば、生き抜く力もきっと持っている。

同じところを旅をしても、人によって思い浮かぶことは違うんだなぁ。
でもきっと、自分の心に去来したものを誰かに伝えたくなる。
それが旅というものなかもしれないな、と思って閉じた。

2016.11.07

桜風堂ものがたり

村山早紀 2016 PHP研究所

一人の青年が、自分の居場所を見つける物語である。
保護者に傷つけられた少年や、捨てられた仔猫や、飼い主が先に逝ってしまったオウムも一緒になって。
寂れていく小さな町で、継ぎ手のないまま灯火を消そうとしていた本屋が息を吹き返すために。
子どものころに傷ついたままの心を抱えたまま、踏み出せなかった足を踏み出す。

一冊の本を、いろいろな人が売り出そうとする物語でもある。
その本に可能性を見出した書店員がおり、その書店には同僚や上司がおり、それぞれに家族や友人達がおり、書店がテナントとして入っているビルの人々や、そのビルのある町に人々がいる。
書店員同士にもまたネットワークがあって、連帯感があって、書店という垣根を越えて繋がっていく。
また、作家がおり、その作家の家族がおり、作家が前職で関わった人たちがおり、本を出すために関わったたくさんの人たちがいるのだ。
誰も抗うことも、止めることもできない、大きな大きな波が、ほんの小さな努力の積み重ねで生まれていく。
ことが動き出していこうとする時の高揚感はたまらなかった。

人々は、正義感を気取った暴力的な悪意で連帯することもあるが、奇跡のような素敵なことを成し遂げるために連帯することもできる。
前者では涙が流れるほど心を揺さぶられることはない。
そこにあるのは、意地悪なにやにや笑いや、さげずみのまなざしや、人を傷つける言葉だ。
被害者が加害者に対して迫害者になることがあるが、そこに無関係な善意と正義をふりかざす無知な第三者が尻馬に乗って登場することに、SNSは拍車をかけている。
この現象がメディアからますます中立性を失わせているように思う昨今であるが、匿名性の弊害の部分であり、想像力の欠如がいかに人を残酷にするかを示す。
これでは、泣くとしたら、悲しみの涙しか、私は思い浮かばない。
後者だからこそ、涙が溢れる。
悲しい涙ではない。だが、心を揺さぶられると、言葉にならない想いが涙になる。
胸が温まるような、慰められるような、励まされるような、自然とにじみ、溢れる涙もあるということ。

そこには祈りがあるから。
この本を一人でも多くの人に届けたいという祈りだったり。
本と本を売る場が、この世界から消えてほしくないという祈りだったり。
過去から悔やみ続けていたことを、ほんの少しでも許されたいという祈りだったり。
大事な人が、ほんの少し、笑顔であってほしいという祈りだったり。
居場所を守りたいという祈り。誰かを守ってあげたいという祈り。
誰もが、幸せになっていいのだから。

そんな風に、途中からは涙が止まらなくなるほど、胸が揺さぶられる物語だった。
主人公は表紙に描かれている月原青年であるが、群像劇になっている。
幾人もの、多かれ少なかれ傷つきを抱いていた人たちが一歩を踏み出す、とても素敵な物語になっている。現実に、傷ついたことのない人なんていないわけだしね。
しっかりものの渚砂も、不器用ものの苑絵も、どちらも愛しくて、かわいい。
店長や副店長、某女優など、大人たちの頼もしさもかっこいい。
百貨店の、名前は出てこないけれども、さらりと自分の仕事をこともなげにやってみせるスタッフ達が、とてもかっこいい。

こういう小説を読むと、何度でも思う。
自分も大人として、小さいもの達を、少しでも守ったり、支えたり、励ましたり、慰めたり、どうしても必要な時には叱ったり、していけたらいいな、と。
プロとして、さらりと仕事をしていけたらいいな。

もうひとつ、私にとって面白かったことを書いておきたい。
複数の書店員が同じ本について、POPを書いたり、帯を考えたりする時に、ピックアップする言葉が違うということだ。
その言葉をつなぎ合わせることで、『四月の魚』という物語中の本の内容を察することができる仕掛けだ。
きっとこの『桜風堂ものがたり』について、多くの人が感想を書くと思うのだが、その感想がひとつとして同じではないことを、許されているような気がした。
この作者さんは、感想の正解がひとつではないこと、むしろ、正解なんてないことを前提にしていらっしゃるんじゃないかと思った。
人によって惹かれる言葉が違っているのは当たり前だし、好きな場面や登場人物もそれぞれなわけだし、きっと、さまざまな感想がSNSの世界で花開く。
多様であることが当たり前のように前提にされていて、なんだか、とても嬉しくなったのだ。

子どもの頃から、寄り道するといえば本屋さんだった。
大人になってからも、寄り道するなら本屋さんが一番だ。
だが、街中から本屋さんが少しずつ姿を消していっている。
そんな状況が垣間見える小説は、これまでもいくつか読んだことがある。
大崎梢さんの『成風堂書店』シリーズもあった。
有川浩さんの『三匹のおっさん』にも万引きの場面が出てくる。
友人が書店員をしていた頃にも色々聞いたけど。
私には、本と本屋さんは不可欠なのだ。
この本は、旅先で買ったけど、やっぱり最寄の本屋さんで買いたかったなぁ。

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