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2016.04.06

彩雲国秘抄:骸骨を乞う(上・下)

雪乃紗衣 2016 角川文庫

今回、文庫化されるにあたり、書下ろしが添えられていると知って購入した。
4年前、単行本で読んだ時には、「月の見えない裏側」のような物語だと思った。
近所の方が亡くなられてお通夜の後に一気に読んだせいか、それとも、22年もの間そばを暖めてくれた猫が風になった日に前後して読んだせいか、単行本の時以上に、泣いて泣いてたまらなかった。
上巻に収められた鄭悠舜の「雪の骨」と旺季の「霜の躯」。どちらにしても、自分が年齢を重ねるごとに、味わいが深くなった気がする。
下巻には凌晏樹の「北風の仮面」、紅秀麗と紫劉輝の短い結婚生活を描く「氷の心臓」、そして、今回の角川文庫版にのみ収録された書下ろしが、紫劉輝の最期と成長した娘とのかかわりを描く「秘話冬の華」だ。そうだ、「悪夢の国試組」も入っていた。
レビューを見ていると、今回の文庫の売り方だとか、単行本の時もであるが内容についてとか、賛否両論ではある。
こんなにいい物語なのにもったいない。これは大人の物語だ。
私は読めてよかったと思っている。心を揺さぶられた物語だ。
登場人物も大人になった。それは、著者も大人になったということではないか。

何度も出てくるのは、別れの言葉だ。
人生から去り逝く時。それが、彼らにとっては主と仰いだ人の御前を辞する時である。
だからこそ、骸骨を乞うことは、辞職の意味を指し示すのであるが、そこに、著者はいくつもの意味を込めているかのように感じる。
魂までが骸骨の形をしていた戩華であるとか、ガラガラと踏み潰される骸骨の山であるとか。
その積み重なった一番の奥に、著者自身が読み手に幕引きを乞うているように感じられた。

以前も「氷の心臓」でたまらず泣いたが、読み直してみると、これは母親からの許しの物語だ。
ふりかえってみると、彩雲国物語は母親不在の物語だと思う。
母親を早くに失くした秀麗や静蘭。直前までの戦乱の時代の影響で、身元不明の孤児であった絳攸や、一族郎党を殺された皇毅や悠舜といった人物も多い。母親殺しをしているものも少なくない。
秀麗は自分を産んだから母親が死んだと思い込んでいた点で、自ら積極的に母親殺しの罪悪感を背負っていた。
対して、劉輝は母親殺しの記憶を抑圧し、罪悪感を解離することで生き延びてきた人物である。

彼らが接する大官達はおおむね男性ばかりの世界であることから、父性には事欠かない。
戩華の父性はわかりづらいとしても、旺季や邵可の父性はわかりやすいであろう。したがって、皇毅という上司も、いささか父性的な役回りをとることになる。
政治という仕事についての領域であれば、そういった父子関係を中心に物語が回っていくことに問題はない。

本編に登場する強烈な大人の女性達は、胡蝶といえば妓女という働く女性、瑠花は縹家を背負って暗躍しまくるし、百合も紅家当主の妻であるが母親ではないしと、おおむね働く女性として登場する。
彼女達は恋はする。働きもする。子どもを抱えながら、家庭と仕事の両立ができていそうに見えるのは、碧家の歌梨と、後の柴凛ぐらいではないか。
女性が母親として描かれる時には、子煩悩すぎて我を忘れたり、子どもよりも夫を愛してすぎて自滅するような危険な存在にスライドしてしまう。それが鈴蘭の君だったり、第六后妃だったりする。
母親としての生き方と働く女性としての生き方のバランスをうまくとれずに、家庭よりも仕事を優先させているような女性のほうが物語世界では目立っているように思うのだ。

主人公からして、秀麗のように魅力的な男性に囲まれながら、学業や仕事で達成していくライフコースを描き出すが、秀麗自身が結婚と仕事の二者択一を迫られて困り果てるのが本編の大まかな流れである。
秀麗においては、手本とする成熟した女性のモデルが欠如しているのであるから、父親を成長のお手本として、就労すなわち仕官へと達成の目標を置くようになることは当然の帰結である。
もっとも、彼女は母性的な女性性をも有しており、希代の世話焼きである。甘えることが致命的にへたくそながんばりやさんでもある。
これはルビー文庫という若い女性向けのラインアップにおいて呈示する女性の成熟のイメージが結婚出産を理想としていないことを示している。
そうなると、母子密着から生じる分離不安や母子葛藤は生じにくい。むしろ、母親の不在に基づく孤独、基盤が欠如していることから生じる不信や不安の物語として内的な世界は展開してきたのだ。

これらのことを踏まえると、彩雲国物語というのは、母親不在の世界で、母親殺しを背負った二人が出会う物語であったと言い換えられる。
秀麗のほうは物語を通じて成長していき、母親である薔薇姫と薔薇姫の記憶を持つ人々、あるいは数々の大人の女性達との触れ合いを通じて、母親殺しの罪悪感を荷卸することができる。
しかし、劉輝は母親殺しの記憶を抑圧していることから、罪悪感にさいなまれることもなければ、許されることもなかった。

そして、二人が父と母になる日が来た時、それはやってくる。
山家に住む白髪の老婆は、戦争ですべての子どもを失ったことで正気も失った女性として描かれる。
かつて劉輝の首を絞めたこともある女性が、出産を控えた秀麗と劉輝の前にひょっこりと現れ、劉輝にかつての暴言や暴挙を謝罪し、秀麗にお守りを手渡す。
器量よしの娘の幼い時の晴れ着の布で作ったお守り。仙女である薔薇姫よりも、もっと泥臭くて、やぼったくて、でもきっと、双方同じように温かい母親の愛情が秀麗と重華に注がれる。
物語を読んでいけば、山家の老婆は劉輝の母親の母親であることが推察される。
秀麗の娘に託されたお守りは、秀麗の姑とその母親達からの贈り物であり、そういう形で、母親達は息子夫婦に愛情と謝罪とを伝えたのだ。
老婆とその娘は、劉輝に謝罪を乞う形で、劉輝のことをも許したに違いない。明確に語られてはいないけれども、劉輝が池に手向けた花に応じているようにも読める。
戦争の最大の被害者である子どもを亡くした母親一般が、新たな王を受容し、施政者と民が和解した瞬間として読み解くこともできるが、母親不在だった物語の最後の最後に、母親が訪れた。その瞬間だったように思う。
これは四世代に渡る母子の再会であり、謝罪であり、赦免である。
和解であり、祝福である。

そして、最後に、秀麗の忘れ形見である一人娘の重華が、劉輝の最後の家出を共にする。
どちらがどちらのお供だったかは横に置き、重華が劉輝を許す。劉輝の人生を許す。劉輝の存在を許す。
父親を見て育ったところが秀麗そっくりである。きっと見かけと性格は、秀麗の母親にそっくりなんだろうけれども。
こうして、世界からは大人たちが去り、大人になった者達も去っていく。

彩雲国物語は8人の仙の集う世界としてスタートしたのではないかと最初は思っていた。
読み勧めていくうちに、仙の存在感はますます希薄になり、誰がどの色の仙かも明確に語られずにいた。
本編の最後、これは人の世の物語になったと感じた。作者は人の世界の物語として閉じることをどこかの時点で選んだのだと思った。
劉輝の世は、8仙が打ち揃っても誰も気づかない、人だけで治めたからこその最上治。
仙たちは不在になったわけではないけれども、そこが仙に頼り切らずに人が自分の力でなんとかしようと頑張ったことが大事だったのだと思う。

娘の世は娘のものであり、別の物語。
物語は閉じられても、世界は続いてくのだろう。

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