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香桑の近況

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2015年8月

2015.08.31

8月の読書

雪村花菜 2015 紅霞後宮物語 富士見L文庫
髙田 郁 2015 あい:永遠に在り 時代小説文庫
豊田正義 2009 消された一家:北九州・連続監禁殺人事件 新潮文庫
押川 壕 2015 「子供を殺してください」という親たち 新潮文庫
長谷川博一 2015 殺人者はいかに誕生したか:「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く 新潮文庫
村山早紀 2013 コンビニたそがれ堂:空の童話 ポプラ文庫ピュアフル
絲山秋子 2015 不愉快な本の続編 新潮文庫

珍しく読書が進んだ8月。
一つのテーマが気になると、まとめ読みがはかどる。
一冊ずつの感想をまとめようにも、今度はそちらがはかどらない。

殺人に関わる本を立て続けに読んでみて、もやもやとしていることがある。
発達障害とサイコパスの概念はどう線引きするのだろうか。

少なくとも、元少年Aはつたないなりに、自分自身の行動を振り返り、してはならなかったことだったと後悔を示しているように見受けた。
その元少年Aと北九州連続監禁殺人事件の主犯男性は、かなりタイプが違うと思う。
敢えて言えば、気の毒になる感じと、どうにも気の毒に思えない感じ。
逆に言えば、この気の毒に思ってしまった感じを頼りに、自分自身の気持ちをより自覚し、理解するために、読み進めてきた気がする。
同時に、書籍にならない情報もネットであさってみたが、なにがどう起きたかの情報を知ることはある程度可能であるが、その人がどういう人であったのかを知ることはかなり難しい。
書き手の解釈や価値観が反映される上に、本人と会ったこともないのに決め付けることは大外れする危険性をはらむ。

その点、長谷川博一「殺人者はいかに誕生したか」は良い本だった。
心理士の目線から、どうしてそうせざるをえなかったのか、どのような人であるのかを、描き出している。
本人とかわした手紙や、実際に対面した情報を元に、かなりフラットな目線で書いてあることから、一部の潔癖な人たちは筆者を非難するのだろう。
正直なところ、とても胸が痛くなった。どうしてこう、暴力の中に育った人が多いのだろう。気の毒に感じるたびに、メディアの情報だけで死刑もやむなしと安易に思考停止をした自分を恥ずかしくなった。
量刑はともかくとしても、殺人者にならざるをえなかったことに胸が痛み、その真実が語られないままに口を封じられたことに胸が痛み、捻じ曲げられていくことに胸が痛むと同時に、筆者の寄り添い方に頭が下がった。
また、親子の関係の問題として眺めていこうとすると、押川正義「『子供を殺してください』という親たち」の、子どもの問題として表出している親たちの問題が繋がってくる。

どちらを通じても、これは特別な問題ではない、きわめて身近なところに問題意識を置くほうがよいことがわかる。
大事なことは、次にどう活かすか、だ。
活かされもせずに、なかったことばかりにしていては、同じことが繰り返されるだけだ。
人がどれほど残酷になりうるのか、いつも視界の端っこに気に留めつつ、声なき声に耳を澄ませ続けていたい。

絲山秋子「不愉快な本の続編」は、これは小説であるけれども、同じようなにおいが漂う主人公にどきりとした。
現実に埋もれそうなカケラを洗い出して目の前に突き出すような、ざくりと痛いところを狙って無造作に突き刺すような文章のかっこよさは、相変わらず。
髙田郁「あい:永遠に在り」や村山早紀「コンビニたそがれ堂」は、人の心の美しいところを掬い取るような上品な小説でどちらも気持ちよく泣いた。

2015.08.27

消された一家:北九州・連続監禁殺人事件

豊田正義 2009 新潮文庫

なぜ彼女は逃げなかったのか。

この問いが冒頭に置かれているが、逆に言えば、なんで知らない人が多いのだろうと、ほぞをかむような思いをしたことは枚挙に暇がない。
私の関心事にDV被害があり、その被害者が加害者から逃げられなくなることは、自明の理の思いがする。
答えは簡単。怖いから、だ。
恐怖心によってどのように支配されるか。冷静な判断能力を失い、その人らしい温かな情緒や人間らしい倫理が損なわれていくか。
意外と知られていない。
今も、知られていないのかなぁ、と思う。
だからこそ、そのような逃げられない心理状態を念頭に置きつつ、事件を再構成した本書は、説得力があった。
どうして、こんなひどい事件を引き起こしてしまったのか。
どれだけ、人は残酷になりうるのか。そこに、応えうる一冊だと思う。

著者が最初に一言触れている長崎の保険金殺人について、女性がDV被害者であることから恐怖心に支配されていたであろうことに、メディアは理解がないと嘆いたことを憶えている。
私は嘆くだけであったが、著者はその視点を保ちつつ、北九州で発覚した連続監禁殺人事件の加害者である女性に関わり、本書を著している。
ハーマン『心的外傷と回復』や学習性無力感の概念が紹介されているところがさすがであり、加害女性もまた暴力の被害を受けていた点、違和感なく読み進めることができた。

私が思い出したのは、アッシュの同調実験(1955)、ミルグラムの服従実験(1963)、ジンバルドの監獄実験(1971)という一連の大規模な実験である。
中でも、ミルグラムの服従実験は別名アイヒマン実験と呼ばれるが、監視役がある中で、被実験者の2/3が役割に忠実に死に至るほどの強さの電流を他者に流したという結果がある。
ジンバルドの実験に至っては、被実験者が囚人と看守という与えられた役割に忠実に同一化しすぎることで、安全性が保てないという判断から途中で中断するに至っている。
これらの実験は、第二次世界大戦後、特にナチスの事例に対して、人はどうして合理的に残酷なことができるのか?という問いに迫るものである。
合理的であることが倫理的あることではなくなってしまった戦後の世界での切実な問いであり、古い実験ではあるが、現在においてなお、学ぶ価値がある。

北九州の連続監禁殺人事件は、それを現実にやってしまった。
通電による無力感の学習の実験で、セリグマンは最初に犬を用いたが、それを実際に人に行う。実験ではなく、虐待として用いる。
これまで心理学が実験という安全な枠のなかで行われてきたことが、枠を取り払って行われ、やはり、実験で得られた知見が現実に苛烈に再現されたことがわかる。

実際にひどい事件である。
遺体の解体など、その作業が気持ち悪いとか怖いものと思わずに、どうしてこんなに淡々とできてしまうのか。
想像すれば不気味で仕方ない作業は、その事件の量に圧倒されて、読んでいる自分まで麻痺した。
この前に読んだ元少年A『絶歌』が本人が書いているということもあり相当なまなましかったため、本書をなんとか投げ出さずに読めたのかもしれない。
それでも、その場面を映像として想像したり、臭いや感触を想像したときには、吐き気がするほど気持ち悪くなった。
ちょうど、羊肉のカレーをいただく機会があり、骨つき肉の様子や皮の感触を感じたとき、どうしようもなく胃のむかつきが止められなくなった。

helplessness、救いも助けもないことを、学ぶ。
それは、ふと、アラブから北部アフリカ諸国に根強い暴力の連鎖でも、起きていることなのではないかと思った。

2015.08.25

あい:永遠に在り

髙田 郁 2015 時代小説文庫(ハルキ文庫)

実在の人物を描いた長編。
関寛斎という幕末から明治にかけてを生きた医師と妻を描く。
歴史に残るのは夫のほうであるが、妻であるあいを主人公としたことで、活き活きとした生活感があり、豊かな喜怒哀楽を感じる。
生涯を描いているから、それは死の時まで続く物語だ。
長い長い物語だ。長く切ない物語。切なくて愛しい物語だ。

愛らしくて頼もしい、あい。
貧しい農家に生まれ、物事のよい面を見ようとした性分で、頑固者の夫を立てつつ支える。
一生懸命な二人の生き方は、自分にできるかと問われれば、とてもではないが自信はない。

時代背景としては、NHKの大河ドラマでも幕末はよく取り上げられるけれども、その時代を市井から描いている点でも興味深い。
人生がふとしたことで大きく変わる時代だったことがよくわかる。
まだまだ人生が短かった時代であるのに、これだけ長生きをしたのはさすがに医師とその家族だからか。
その人生の局面を、逢、藍、哀、愛と表しているところも、素敵だ。

読み終えて、しばらく涙が止まらなかった。
こんな風に。
あいのようになりたいと思った。
あいのようにしていきたいと思った。
この先、きっといろんなことがあるとしても。

どうでもいいことではあるが、この文庫。
どれが文庫の名前なのか、いまだによくわからん。

ふるさと銀河線:軌道春秋

髙田 郁 2013 双葉文庫

漫画原作として書かれた短編連作。
その漫画のほうを知らないことで、どんな風に紙面で描かれたのだろうと想像しながら読んでいく。
現代を舞台にし、時にどこかですれ違うように繋がる短編たち。
ひっそりと胸に隠した悲しさや、じんわりとにじみ出るような寂しさ。
切なくなるような心に寄り添う佳品ばかり。

中でも「ムシヤシナイ」がいい。
いつか親に暴力を振るってしまうのではないかと泣き崩れる孫に、祖父が包丁の使い方を教える。
包丁の正しい使い方を教えるところが、みをつくし料理帖を描いた作者らしいと、頬が緩んだ。
もう大丈夫。
この一言があれば、こんな教えがあれば、正しくない使い方で自他を傷つけることもなかったろうにと思わせられる事件は枚挙に暇がない。
ふんわりほんのり、頬を緩むような作品が続く。

それがふと、胸を突かれた。
縁側で老女がくたびれた大学ノートをぽいと放り出す。
その景色が目の前に浮かんで、胸を衝かれた。
「晩夏光」という作品は、私が一番恐れていることが描かれている。

これは、近いうちに訪れる母である。その次に訪れる自分である。
今日あったことを忘れないようにノートに書くことを癖としはじめた母の、丸めた背中が悲しくなる。
その営みすら、彼女がどうでもよくなる日は、遠くない。
その時になって残された息子のように、わんわん泣くしかできないのかもしれないけれど。
自分はこうなる時に、晩夏光のように穏やかな気持ちになれているのだろうか。
いつか来る日が怖くて仕方ない。
怖くて怖くて、泣いた。

身につまされるぐらい、日々に寄り添うような小説ばかり、柔らかで穏やかで、とても静かに描かれている。

2015.08.11

紅霞後宮物語

雪村花菜 2015 富士見L文庫

面白い。
一気に読んでしまった。
途中で横に置けない面白さだ。

ライトノベルの様相であるが、あれ?と思ったのが、主人公の女性が33歳という設定。
33歳の仕事に生きてきた女性らしい葛藤や矜持など、大人の女性向けのファンタジーである。
こんなことはありえないだろうという展開がファンタジーなのであるが、古代の中国を思わせる世界を舞台に、一切の魔法も不思議も出てこない。
登場人物ひとりひとりは個性的で、愛着が湧く。ただただ人ががんばって生きる。
軽い口調もあいまって、読みやすい。そういう意味ではライトであり、気楽に物語にはまることができた。

主人公は、女性としては不器用であるが、稀代の将軍。
かつての副官と結婚することになってしまったとき、それが皇帝の後宮に入ることを意味していたことが、彼女の人生の分かれ道。
はるか未来に輝かしい歴史として語られるような、一瞬の時代を切り抜いたような物語は、とてももどかしくてじれったい。
安易な恋愛関係に持ち込まないところに、好感を持った。じれったいけどね。

電車の待ち時間に本屋さんに立ち寄ったときに、平積みにされているのを見つけた本だ。
なんとなく手に取り、パラパラと開いてみると面白そうで、そのままレジに。
移動中はもちろん、食事を取りながら、出先で最後まで読み終えた。
これはこれで終わりにするのがいいのかもしれないが、まだまだ主人公を見つめていたくて、読み終えるのが名残惜しかった。
本当はもっと、もっともっと、語られるべき場面や物語があっただろうになぁ。
作家さんの第一冊目の物語は、荒削りなところは多々あれど、なんというか、思い入れが込められている感じがして、気持ちよくいいなぁと思えるものが多い気がする。
たとえば、「彩雲国物語」の第一巻が好きな大人な女性は、きっと気に入ると思う。

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