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2015.07.14

絶歌

元少年A 2015年 太田出版

判断保留をしようと思う。
内容についての解釈や判断を、保留しようと思う。

そう思っていたが、読み終えた後に考え続け、本書は意味のある一冊だと思う気持ちのほうが大きくなった。
なぜか。
端的に言えば、彼の立場に立って考えるとき、いくつもの少年犯罪が繰り返されるたびに引き合いに出される事例が、あれは自分だ!と主張したくなることもあろう。同一性の回復のために、当然といえば当然の欲求である。
あるいは、様々な解釈を聞く中で、的外れに感じるものもあれば、その通りだと感じるものもあるのではないか。私の書くこの文でさえ、どれだけ当てはまっているかは、懐疑的である。
しかし、そのように想像を膨らませ、あれは自分だ!と証明したくなった時に、同様の犯罪を繰り返すのではなく、筆者は筆を取ることを選んだ。
言葉に表すことは、もっとも平和であり、冷静な理性と現実的な感覚が必要とされると思う。
ひどい犯罪をおかしたことには違いない筆者が、その後、同様の行為を繰り返していないところに、更正教育の価値を感じた。

私は第二章から読んだ。
この後半のほうが、筆者が本当は書きたかったことではなかったかとも思った。
それから、第一章に戻ったことも、私のこのような感想、印象に繋がっているのかもしれない。
思春期以降の長い期間、きわめて限られた人間としか接触することがなかったという大きなハンデも背負っているのだ。
陶酔しているかのように見える文章や、子どもっぽくすら見える表現があったとしても、そこに幾分の過剰なサービス精神とでも呼びたくなるような承認欲求と、彼自身の限界も見え隠れしていると受け止めることにした。

日本の法律上、彼は必要な刑罰を受け、法律上は許された存在である。
とはいえ、社会的には彼は許されることを許されない。
彼自身が自分を許してはいないように見受けられるし、許されないことであることを理解しているように感じられる。
そのように読めば、このあとがき代わりに書かれた遺族の方への手紙は、一生懸命に書いたのだろうなぁ、と、私は思わずにいられなかったのであるし、気軽に人を殺したい、傷つけたいと口にする人に読んでもらいたい生々しさがあった。

 *****

以下は、最初にアップしたときの内容である。

嘘つきのパラドックスを思い出す。
「私は嘘つきです」と言う人の言葉が嘘であるならば、その人は嘘つきではないことになり、嘘をついている事態と矛盾する。
しかし、「私は嘘つきです」と言う人の言葉が真実であるならば、その人は嘘をついていないのであるから、嘘つきであるという言説と矛盾する。

この本は、果たして、本人(だけ)が書いたのであろうか。
本人が書いたとして、率直に書いたのか、演出して書いたのか。
あるいは、記憶というものは、想起するごとに修正されるものであるからして、どの程度、当時のままであり、どの程度、時間経過と共に補正されたのか。

そういった疑問点の間隙を縫いながら、色々な推測が沸く。憶測が湧く。
正直なところ、よくわからないことだけであるから、断定は避けて、よくわからないままに置いておこうと思う。

こう書くのは、感想を書く難しさを感じていることの反映でもある。
様々に「炎上」している様子を見るにつけ、そこで敢えて発言する自分自身の度胸をも問われている気分になっているからである。
炎上している多勢に流されるように同調することは、私にはできない。

私はあらゆる検閲に反対する。図書館学を学んだ者として、反対する。
一人の読み手が、他の人に読み手になることを強要することはできないし、その逆もできない。
なぜなら、読むかどうかは、一人一人が決めてよい。読む権利もあれば、読まない権利もある。自分の意思に基づいて、どちらの自由を選択してもよいはずではないか。
それに、被害者の方を貶めるために読む人はいないと思うのだ。改めて、被害者とその家族の方たちに対して、気の毒な思いを持つように思う。
事件をなかったことにするかのように、忘却に沈めてしまうのも、なんだか違うと思うのだ。
御家族にとっては忘れてしまいたい方もいらっしゃるかもしれない。わざわざ思い出さされることは苦痛なこともあろう。

しかし、忘れてはいけない人間もいる。
年齢に関わらず、人が残酷なことをなしうる一例として、忘れてはいけない。
学ぶべき教訓がある。教育、司法、福祉、医療にとっては、対応を迫られることがあるだろうから。
その意味で。
なかったことにせず、自分でやぶへびをつつきまくった本書は、意義がある。

ここまで書いてしまうと内容のいちいちについて私見を述べたくはなるが、臆病な私はやはり判断を保留にしておこうと思う。

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