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香桑の近況

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2015年7月

2015.07.15

クズころがし

鈴木 拓 2015 主婦と生活社

章題がすごい。

認める勇気。
嫌われる覚悟。
生き残る技術。

善意で塗り固めた建前論からは語られないことであるが、できないことがない人はいない。どんなにがんばってもできないことはある。それはできないと認めないと先に進めない。
嫌われない人はいない。話せばわかるも、誰から愛されるも、どちらもファンタジーである。誰かに嫌われたからと言って、世界の終りになるわけではない。逆に、この人には好かれたくないって思うことだってある。
そういう極めて現実的な考え方や振る舞い方、生き方を身につけておかないと、世界はとても行き苦しい。
生きているのはリアルなのに、頭の中はファンタジーのままじゃ、かなり苦しい。
ファンタジーの通りにならないからといって、現実に絶望するのは早いのだ。
だって、別物だもの。

ネットでのコミュニケーションや職場での気づかい、とりあげられる事例は様々だが、とても卑近なものばかりだ。
日常生活で、こんな風に考えている、こんな風にやっていると、筆者流の考え方がじっくりと、しかし、文体はあっさりと語られている。
それが説教臭くならないのは、短いエッセイのひとつひとつに、必ずオチがついているからだろう。

建前論や理想論に押しつぶされそうになっている人。
ちょっと、笑ってみない?
呼吸がずっと楽になると思うよ。
現実って、実はもう少し、楽なもんだと思うよ。

2015.07.14

絶歌

元少年A 2015年 太田出版

判断保留をしようと思う。
内容についての解釈や判断を、保留しようと思う。

そう思っていたが、読み終えた後に考え続け、本書は意味のある一冊だと思う気持ちのほうが大きくなった。
なぜか。
端的に言えば、彼の立場に立って考えるとき、いくつもの少年犯罪が繰り返されるたびに引き合いに出される事例が、あれは自分だ!と主張したくなることもあろう。同一性の回復のために、当然といえば当然の欲求である。
あるいは、様々な解釈を聞く中で、的外れに感じるものもあれば、その通りだと感じるものもあるのではないか。私の書くこの文でさえ、どれだけ当てはまっているかは、懐疑的である。
しかし、そのように想像を膨らませ、あれは自分だ!と証明したくなった時に、同様の犯罪を繰り返すのではなく、筆者は筆を取ることを選んだ。
言葉に表すことは、もっとも平和であり、冷静な理性と現実的な感覚が必要とされると思う。
ひどい犯罪をおかしたことには違いない筆者が、その後、同様の行為を繰り返していないところに、更正教育の価値を感じた。

私は第二章から読んだ。
この後半のほうが、筆者が本当は書きたかったことではなかったかとも思った。
それから、第一章に戻ったことも、私のこのような感想、印象に繋がっているのかもしれない。
思春期以降の長い期間、きわめて限られた人間としか接触することがなかったという大きなハンデも背負っているのだ。
陶酔しているかのように見える文章や、子どもっぽくすら見える表現があったとしても、そこに幾分の過剰なサービス精神とでも呼びたくなるような承認欲求と、彼自身の限界も見え隠れしていると受け止めることにした。

日本の法律上、彼は必要な刑罰を受け、法律上は許された存在である。
とはいえ、社会的には彼は許されることを許されない。
彼自身が自分を許してはいないように見受けられるし、許されないことであることを理解しているように感じられる。
そのように読めば、このあとがき代わりに書かれた遺族の方への手紙は、一生懸命に書いたのだろうなぁ、と、私は思わずにいられなかったのであるし、気軽に人を殺したい、傷つけたいと口にする人に読んでもらいたい生々しさがあった。

 *****

以下は、最初にアップしたときの内容である。

続きを読む "絶歌" »

2015.07.06

黄泉坂案内人

仁木英之 1994 角川文庫

これは好きだなぁ。
小説の感想を頭の中でまとめる時、どんな本を読んでいる人に勧めたらいいだろう?という視点で考えてみる。
この本の世界は、香月日輪さんの妖怪アパートに似ている。少し懐かしい景色と美味しいご飯、生活の中に当たり前のように存在する妖達。
この本の世界は、恩田陸さんの常野物語にも通底しているようにも思えるし、村山早紀さんの風早町シリーズのような優しい空気が流れている。

この世とあの世の境。
六道の辻のある辺り。
黄泉坂を上った先、川の手前に、その集落はある。
かつて奈良県にあったという入日村。玉置神社に見守られる山裾の村だ。
村長大国の取り仕切るもと、村人達は黄泉坂を上りかねている人を励ましてきた。
成仏しきれない魂はマヨイダマとなってしまうから、そうならないように成仏を手伝ってきた。
そんな村に、主人公は引っ張り込まれる。名前まで盗まれて。
この世とあの世を繋ぐ案内人になるように。

道案内をする三本足の烏は、やったんというからには、八咫烏に違いあるまい。
鍛冶の神様であり、特別製のクラシックカーまで作り出したのは、だいだらぼっち。
河童が釣竿を肩にかついで道を歩き、神社の禰宜を天狗が勤める。
神様と妖たちと共存する世界で、主人公のハヤさんはこの世に残した妻と娘を思いながら、死者たちの心残りに触れていくのだ。
その死者一人一人のドラマが、どれもまた珠玉の味わいで、しんみりとしたり、ほろりとしたり。
けれども、ハヤ君の相棒を勤める彩葉という元気のよい少女のおかげで、決して暗くはない。

この二人の名コンビの設定でいくらでも死者達のドラマをつむげそうなものを、作者はそうしなかった。
これはこれで終わり。続巻は彩葉の物語になるようだ。
言い尽くさなかったところに、想像の余地が残るのもよいと思う。切ないけれど。
ハヤさんの物語として読むと、大好きな山之口洋さんの『天平冥所図会』を思い出した。
要は、とても私の好みの本だったということ。

自分が最後にひとつ、思い残すとしたらなんだろう。

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