2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2014年10月

2014.10.28

阿修羅のジュエリー

鶴岡真弓 2011 イースト・プレス

この「よりみちパン!セ」のシリーズは、筆者のラインナップも興味深いし、大人であっても興味を惹かれるようなテーマ、タイトルが並ぶ。
「学校でも家でも教えてもらえなかったリアルな知恵満載」と帯にあり、子どものための本ではあるが、生きづらさを生きる、無縁なものはひとつもない、青春の大いなるなやみや未知なるみじかな世界など、分類も気が利いている。
この本だって、美学・美術史・文化人類学にあたるような領域だろう。
難しくならいくらだって述べられていそうなことを、改めて、子ども目線で興味を持ってもらえるように、かみくだいた表現、すべての漢字にルビを振った状態で語られている。

興福寺の阿修羅像。
東京の国立博物館と、福岡の九州国立博物館で開かれた阿修羅展は、空前絶後の入場者数を記録した。
みうらじゅん作詞の高見沢俊彦「愛の偶像」がメインテーマとして流れ、みうらじゅんが会長となって阿修羅ファンクラブまでできた。
その二年後に出版された本書は、阿修羅王立像の身に着けている服飾品のデザインに注目しているところが目新しい。

複製された阿修羅の色鮮やかな姿に見て取れる胸飾や臂釧、宝相華文様の裙は、なにを意味し、どこからもたされたのか。
その答えとなるのが、花と星。
地上の花と天上の星が、それぞれが希望の光として照らしあい、古今東西の人々を照らしてきた。
その光をとどめるものとして宝石が用いられており、衣装にも数々の花柄が描かれた。
エジプト、ペルシャ、ローマ帝国といった西側の文化と、インド、中国、そして日本に至る東側の文化の交流が背景にある。
阿修羅から眺める世界は、共通のたった一つの祈りに満ち溢れてくるのを感じた。

仏教美術の観点もであるが、個人的には中世ヨーロッパ絵画についての考察が面白かった。
人物像など、人物の顔かたちに目が行きがちになってしまうのだが、宝飾品や衣装のデザインに目を留めるのも、とても興味深く楽しい。
どんな素材で作られているのだろうと思うこともしばしばあるし(石が好きなので、石の種類は何か、など)、どういう形で止まっているのか?動いても落ちないのか?と気になるものもあったり。
著者じゃないけど、レプリカでいいから身に着けてみたいと思うものだ。
やっぱり、キラキラするものって、好きだなぁ。自分もね。

もう少し大人向けのバージョンで読んでみるのもいいかな。
平易な言葉遣いは門戸を広く読者を受け入れるものであると思うが、逆に少しだけものたりない気持ちにもなりました。
それぐらい、面白かったということで。

2014.10.18

絶叫委員会

穂村 弘 2013 ちくま文庫

タイトルに惹かれて購入してみたら『にょにょっ記』の人の本だった。
なにを絶叫するんだろう。絶叫するのが委員会のお仕事なのか、絶叫をなにか管理する委員会なのか。
なんだか、そのまま想像を膨らませていけば、三崎亜記さんが小説にしてくれないかな。
そんなことを想像したり、連想したり、私の思考は時々(しょっちゅう)、ふわふわと宙を漂う。

穂村さんが集めた言葉は、世界に溢れている「偶然生まれては消えてゆく無数の詩」(p.192)。
そこには、「天然の愛嬌やたくまざるユーモアや突き抜けた自由さ」(p.198)への憧れが通底している。
誌上に連載されたものを集めてあるだけに、きっと、書かれていった過程の時間経過がゆっくりなのかな。
ゆるりとしたり、ふわりとしたり、かわいらしい感じが、後半になるにつれて顕著になっていった感じがした。

穂村さんが見つけた女子高生のように蛍光ペンで線を引く代わりに、いくつかメモ代わりに引用を残しておきたい。
うっかり下手なことは言えない閉塞感に苦しくなったら、穂村さんの本を思い出すといいかもしれない。

 ***

事前の準備は大切だが、机の上に考えられることには限界がある。予めあたまのなかで考えたイメージに固執するよりも現場の状況にフレキシブルに対応することでいい結果が出る、ということを、彼はよく知っていたのだろう。
これはプロの、というか、大人の発想だと思う。現実内体験の少ない子供はほぼ「あたまのなかで考えたイメージ」だけで生きている。若者が観念的なのもそのためだろう。(pp.78-79)

 ***

自分のあたまを占めていることを、何も考えずにそのまま口に出した感じだ。どうしてそんなに大胆になれるのか。世界と他者に対する怖れのなさが羨ましい。だが、そういうひとは決して珍しくない。(p.128)

 ***

人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎないってことを改めて感じる。世界が歪むと云いつつ、実際に歪むのは世界像であって、世界そのものは微動だにしていないのだ。
 もしそうなら、世界を動かす言葉など存在しないことになる。あるのは世界像を動かす言葉だけ。でも、それによって、ひとは真剣に驚いたり喜んだり悩んだりする。(p.140)

 ***

奥さんの寝言をネタにして、後で怒られなかったかな?

白鳥ってかみつくよ。攻撃レンジが広い上に、水鳥はくちばしのふちがぎざぎざとした歯になっていて、大型の白鳥は力も強いから、結構、痛いんだわ、これが。
リーズ城の白鳥は、観光客からお菓子をもらうのを狙ってにらみがきいていて、威厳もあるから余計に怖かったな。しっぽ、触ったけど。

OSの話もおもしろかった。うんうん。よくわかる。あるある。

一番どきりとした表現は「戦争の足音がまた少し大きくなるんだ」(p.57)

2014.10.10

はなとゆめ

冲方 丁 2013 角川書店

清少納言。
彼女の残した言葉は、今も人をくすりと笑わせる。
難しいことを言うわけではない。
好きなものを好きだといい、嫌なものは嫌だといい。
そうだそうだとうなずかせる。

田辺聖子「春はあけぼの」を読んだ前後からだろうか。
十代の頃に触れた源氏物語はどうにも理解できず、紫式部に比べるならば、清少納言という人物像に好感や興味を持った。
エッセイなどはいまだにあまり好んで選ぶわけではないし、今になれば源氏物語にも妙を感じるようになった。
それでもなお、清少納言の生き方や残した言葉には魅力を感じる。
だから、雑誌のタイトルと同じような本書の背表紙を見て、なんの本だろうと手に取り、清少納言を描いたと知るや、レジに直行した。

酒井順子「枕草子 REMIX」を読んだ時に知ったのだが、本書でも改めて思ったことといえば、清少納言が現代に生きていたら、ジャニかK-POPにはまっただろうなぁということである。
離婚を経てからの法華通いは、いわばコンサートに行くようなものではないか。声や顔の綺麗なお坊さんのほうが最高なんて感性は、そんな気がするの。
とても現代的ではないだろうか。それこそ、宮木あや子『婚外恋愛に似たもの』に似たようなものを感じる。
いろんなものに励まされ、慰めを感じながら、人はしんどい時期をやり過ごしていくのだ。

中宮定子が大好きで。
『姫のためなら死ぬる』というマンガもあるけれど、清少納言の祈りはそのままだよなぁと思ったり。
いとしくて、せつない。
清少納言の目に映る定子は素晴らしい女性あり、素晴らしい主人である。
華やかでありながら、激しくて、短く、厳しい人生を送った女性である。
仕えることが誇らしかった主人から下賜された紙に、主人のいた輝かしい日々を書きとめる。
かつて、主人を楽しませ、喜ばせ、くすりと笑わせたような言葉を。
そうやって、心の守り手、中宮の番人となろうとした清少納言の言葉は、確かに、千年を経ていまだ輝いている。

マンガ雑誌のタイトルと同じ音の並びにあれ?と思って手に取った本だった。
清少納言を題材にとるからには、と読み始めたが、今まで読んだ中でもしっとりと染み入るような描き方に好感を持った。
作者が男性であることを意識させない、美しい物語になっていると思う。
これを読み終えて、第一段を思い出したとき、冬の情景を描いた心情やいかにと、胸がきゅうっと締め付けられた。

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック