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2014年9月

2014.09.29

ロード&ゴー

日明 恩 2009 双葉社

息もつかせぬ展開に、読み始めると止められなくなる。
ぐいぐいとっと引っ張られる勢いのある物語展開だ。

ロード&ゴー。
本文中で「一分一秒を争う重病外傷の現場において、生命にかかわる損傷の観察と処置のみを行い、その他は省略して五分以内に現場を出発し病院に搬送する」(p.64)
ことだと説明されている。
これは、救急車がジャックされた物語である。

舞台は東京。
プロローグは歩道橋の上から。第二京浜国道を見下ろす、とある。
東京の街の中を縦横に走り回る物語であるので、多少の地理がわかる状態にしてから読み始めるといい。

ジャックされた救急車の中で物語は進んでいくが、それだけではない。
救急車は、センターと無線やPHSで繋がる。
その無線を傍受する人たちがいる。
外側からカメラで追いかける人たちがいる。
この出来事をめぐる警察、マスコミ、無線傍受を趣味とする女子高生など、いくつもの物語が同時進行でそれぞれ語られていく。
それぞれの糸は絡むようで絡まない。つながりはするが、よりあわされはしない。
それぞれがそれぞれの物語の主人公である。この描き方は、なんだか映像化になったものを見ているような感覚に陥った。
クライマックスは圧巻で、これを大きな画面で見たらさぞかし感動するんだろうなぁ。

キャラクター達もそれぞれ、どこかであの役者さん・・・と連想するような特徴がある。
これは消防での物語であるのだが、数年前にはやった警察もののドラマを思い出してならなかった。
何度読み返してみても、『踊る大捜査線』が思い浮かんでしまうのだ
星野さんの役は、高杉亘さんに是非……w

この物語が提起している問題は、残念ながら簡単に解決されるものではなく、いまだに多かれ少なかれ起きているものかもしれない。
十全ではないが、しかし、全力をあげて任務にいそしんでいる人たちがいるということを忘れずにいたいものである。
これまで3回ほど救急搬送された身としては、いたずらにお手を煩わせることのないよう、健康管理に留意しようと思った。
入院中、救急車のサイレンの音を聞きながら読んだ本。

2014.09.13

セラピスト

最相葉月 2014 新潮社

この本の感想を述べるのは難しい。
人の心をのぞき見る部分があるため、へたな論評を加えたくない気持ちになる。

心理臨床というものは、茫洋として表現しづらいものである。
言葉で表しきれないもの、言葉で表すときに置いてきぼりになるものをすくいあげるような営みであるためか、その営みそれ自体が言葉になりづらさを有している。
また、治療者によって千差万別、相談者によっても千差万別。そこは、相談者にあわせてのオーダーメイドになるものだからこそ、プロセスそのものも千差万別。
それを簡単に言葉で表すことは難しい。
カウンセリングなるものへの不信感や限界を感じた時、それを取材するにあたって、著者自身がまず院で勉強しなければ語ることが難しいと感じたのもむべなるかな。
そして、著者自身が言葉に限界を感じるとに限界を感じたこともあり、大きく取り上げられているのは、箱庭療法や描画法である。

本当に、カウンセリングというものは、かなり曖昧な世界である。どうやって国家資格化するのだろうと趨勢を眺めつつも、心という曖昧なものと取り組むには、取り組む側にも有象無象である必要があるのではないか。
私はこの有象無象な状況に居心地のよさを感じたりもするのであるが。
曖昧さや複雑さ、抽象的でとらえどころのない、言葉になりきれないというのは、まさに、心の特性だと思われる。
単純明快に割り切るのではなく、そういった割り切れないもの抱えられるようになることも、心の成長の一つの目標である。これを専門用語で不安耐性と言ったりする。

セラピストにとって、その業界の外からはどのように見られているのか。どのような誤解があり、理解があるのか。
どういったことがわかりづらかったり、どのようなことが受け入れられやすいのか。
著者の目線は臨床心理を学びながら取材したとはいえ、クライアントよりの目線だ。数々の素朴な疑問が、逆によい味を出している。
そこから紡がれる言葉は、セラピストがセラピストである自分とセラピストへの期待を客観的に見直す手がかりになる書である。
しかし、なんと言っても、著者がインタビューした臨床家たちが中井久夫を筆頭にビッグネーム揃いということ。その臨床を垣間見ることができる資料としても貴重ではないか。

興味深かったのは、カウンセリングがGHQ主導で日本に普及していった経緯である。この時代を語らずして、日本では心理療法と言えばロジャリアンのカウンセリングとイコールであるかのように認知されているかが説明できない。
こういった歴史的な過程は、これまであまり整理されてこなかったように思う。
思えば、私が師事した臨床心理学の教授が大甕に全国から集まってとか、河合隼男
や小此木圭吾らと学んだとか、あーだこーだと話し合ったとか、そんな話をしていたことがあった。
いくつかの集会や勉強会の話が重複していたのかもしれない。もっとしっかり聞いておけばよかったなぁ。
彼は間違いなく、日本におけるカウンセラーの第一世代だった。自分達は本を読んでそれを実践していた、何でも試してみていたのに、今になってこの療法には資格がいるとか、セミナーを受けなければいけないと金を取るのはおかしいと気炎を吐いていたことを思い出す。
その教授も鬼籍に入った。彼ら第一世代がこの世を去りつつあり、それ以降の人間が事情を文章に残すことで、出来事が歴史の一こまにおさまる。
私の体験と、活字にされた情報が結びつく。なんだかとても感慨深かった。

2014.09.10

明日の子供たち

有川 浩 2014 幻冬舎

舞台は児童養護施設。
そこで生活しているからといって、可哀想だと思わないでほしい。
そう胸をはる高校生女子の言葉に、戸惑いながらへこみながら成長していく新人スタッフが主人公。

よく取材してあるのだと思う。
現場でありがちな心のすれ違い、言葉の行き違い。
スタッフを志しそうな動機、心折れてしまいがちな人のタイプ、やっていける人との違い。生ぬるく甘ったるいボランタリー精神ではなくて、職業としてのプロ意識がほしい。
支援の限界、そもそもの施設の目標、現実の壁。義務教育が終わった時点で、高校に進学できなければ、施設を出て就労することが求められる。まったはない。
不自由はあろう。でも、子ども達だってばかではない。子ども達なりに現実を見て、学んで、考えている。

だってさ。
これだけ虐待死のニュースがあるんだよ?
それなのに、どうして、実の両親と生活することだけ幸せだなんて言えるのかな。
どうして、そんなに無邪気で、無責任に、見当違いの同情や正義を振りかざせるのだろう。
相手を可哀想だと決め付けることは、時には上から目線だ。対岸の火事だ。遠見の見物だ。相手を可哀想だと思う自分の優しさに陶酔する響きと、自分の優位を確認する作業が潜むことがある。そうじゃないこともある。
誰も、その人の親ならばできた以上に愛情を注ぐことはかなわなくても、暴力や苦痛の中に子どもを無理に押し込むことはないんじゃないのかな。
残念だけど、離れて初めて平和でいられる関係もあると思うのだ。

こういうシビアな社会問題を扱うとき、過度に感傷的にならない有川さんの語り口に好感を持つ。
決してお涙頂戴にせず、現実の厳しさを織り交ぜながら、叱咤激励と問題提起を同時に行う。
児童臨床や児童福祉に関わる人が読んでも、違和感は少ないと思われる。
お涙頂戴ではないのだけれども、最後は泣いてしまったけどね。

可哀想の言葉が、単なる上から目線の同情ではなく、がんばっている子がいるんだなぁという驚きや励ましとして響けばいいのだけど。
悪いことばかりじゃなかった、嫌なことばかりじゃなかった、自分を思ってくれた大人もいたんだという体験が、その子の明日を支える糧になるといいな。
施設=可哀想と決めてかかっている人の目に、手にとまればいいな。

2014.09.02

天の梯:みをつくし料理帖10

高田 郁 2014 時代小説文庫(ハルキ文庫)

よい思い出も今は遠くなった。
いや、違う。
身を切られるような痛みも、心を裂かれるような痛みも、過去へと遠のいて、今はよい思い出となったのだ。

料理人としての道。
そこは変わらないながらも、これまで道に迷ってきた澪だ。
最初、澪にはいくつかの目標があった。
ひとつは、天満一兆庵の再建。
ひとつは、幼馴染の野江を探し出し、救い出すこと。
ひとつは、天満一兆庵の若旦那である佐兵衛を探し出すこと。
ひとつは、つる家を盛り立て、つるの名前を残すこと。
ひとつは、料理人として一人立ちすること。
ひとつの目的がふたつの目標を産み、みっつの道にわかれ……と、四方八方へと道別れして、思いが千々に乱れることもあった。
食は人の天なりという言葉に、自分の心星を見出した澪が、ひたすらに自分の料理をしてきたことで、いくつもの目標が叶えられていく。
澪が自分自身に望むことを禁じていた願いまでも叶えられていく。

後半は少し駆け足にも感じた。
もっともっと読んでおきたいという気持ちが働いたのかもしれない。
圧巻は野江の身請けの場面。こう来たか!とうなる。
レシピを読むまでもなく、美味しそうな料理は変わらず、最後まで輝く。
気になる人たちが次々に入れ代わり立ち代り姿を現す。摂津屋が特においしいところを持っていったけれども、どの人物もそれぞれ株をあげた巻だった。
野江は最後まで寡黙であり、これがあくまでも澪の物語であることを示す。誰よりも澪自身の人生が、これから先も幸せになりましたと書いてあるような展開になって嬉しい。
苦しいことが続きすぎて読むのがつらくなるような巻もあったけど、この終りまでを読むことができてよかった。
やっぱりね、ハッピーエンドがいいよね。目元が潤むようなハッピーがいいよね。
番外編があるとのことだけれども、これで本編は完了。
めでたしめでたし。

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