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香桑の近況

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2014年5月

2014.05.26

更年期以降を元気に生きる女性ホルモン補充療法

新野博子 2013 海竜社

持病のため、自分が受ける治療法を知っておこうと思い、読んだ。
更年期以降、高齢となった女性にも女性ホルモン補充療法を勧めている点で、自分自身の現状とは必ずしもそぐわないところも多かったが、読んでみて治療を受けないことのほうが不安になった。

エストロゲン欠乏によって、どのような変化(老化)が起こるかを説明しつつ、閉経後の性の問題にもしばしば触れられている。
健康的な心身を保つために、食事や運動といった自助努力可能なものについてもページが割かれていた。
その上で、ホルモン補充療法の適応範囲や方法などが説明されている。

私の関心としては、どのような老化が起きるかではなく、ホルモン補充療法そのものの効果や方法、副作用であったのだが、暗に相違して、老化についての記述のほうがボリュームが多かったかな。

実感としては、受ける前よりは受けるようになってから、ずいぶんと楽になった。身体的にも。心理的にも。
今の年齢で、今すぐ老化に突き進むと考えると怖いので、治療を受けつつ、ゆっくりと老いていきたいものである。

2014.05.01

旅猫リポート

有川 浩 2012 文藝春秋

世の中には、何度、読み返しても号泣してしまう本がある。
この本も、間違いなく、そんな魔法がかかっている本の一冊だ。

19歳になるかならないかの猫が死んだ。
心臓発作を起こし、一気に衰弱して死んだ。
この本が出たのはその頃で、友人が有川さんのサイン入りを手に入れたからとプレゼントしてくれたが、今は読まないほうがいいだろうと口を揃えて言われた。

もうそろそろいいだろうか。

京都に旅行に行く道連れに選んだところ、前半を読みつつ行きの新幹線の中で落涙。
京都の街中で、よーじ屋を見るたびに涙ぐみ。
後半から最後まで読み上げた帰りの新幹線は涙が止まらず、すっかりとあやしい人になってしまった。
読み終えて呆然としながらも、また、ページをめくらずにいられない。

ああいかん。これを書こうとしてページをめくったら、また、涙が出てきた。

そんな風に、泣いてしまうとしか、書けない。
どこを読んでも涙が出てくる。
どこから読んでも最後まで見届けたくなる。

サトルという青年と、ナナという猫の物語。
青年は猫をつれて、銀色のワゴンを走らせる。
僕の猫をもらってください、もう飼えなくなったから。
困ったように、信頼できる友人達をめぐっていくのだ。
この物語は、それ以上、知らずに読んで欲しい。

先に死んだ猫には、同じ年に生まれた姉妹がいて、当然ながら21歳。
よれよれしながら、でも、まだ生きている。
そのぬくもりを感じながら、いつかどこかで、また出会う日を思う。
この子は、きっと私の猫だなぁ。この子の相棒は私と思ってもいいだろうか。
別れても、別れても、別れても。
いつかどこかで、また。

群雲、関ヶ原へ(下)

岳 宏一郎 1997 新潮文庫

何回読んでも、同じところに来ると、それ以上、先に進めなくなった。
その短編のタイトルを「花」という。
桑名の大名、氏家内膳正行広を描いたものである。

歴史上の大人物ではないと思う。
この本を読んで、初めて知るぐらいの名前だった。
豊臣に恩がある武将が、隠居して、高齢となり、他家の世話になっていたところ、家康から招聘される。
徳川に組すことを選んだ京極高知は、喜んで彼を送り出そうとするが、彼は泣きそうな顔で椿の花の下にたたずんでいた。
そして、高知は、大阪城落城のとき、淀と一緒に死んだ武将の中に、彼の行広を見出すのだ。

私にはわからない。
死ぬとわかっている場所へわざわざ赴く気持ちが。
人と人とが殺しあう気持ちもわからないし、人を殺してでも何かを得たいという気持ちがわからない。
天下が欲しいという気持なんて、まったくわからない。
わからないけれども、その桑名の大名の不器用さが、とても切なくなったのだ。

西軍が負けることは歴史的に決まっている。
その結論がわかっているからこそ、最後まで読むのがためらわれたのだ。
今回、ようやく続きを読むに至ったが、最後まで筆者は淡々として、中立的に、関ヶ原に集った人々を描き出していた。
過度に情緒的な演出がないことがいい。説教くさくもならない。説得力だけがある。

教科書的には知っていたが、こんなにも東軍が不利だったなんて。
本書を読んで、毛利勢が動けば、歴史はまったく違っていたことが改めてわかった。
石田三成の用兵や政治の評価が低いと言えども、こんなにも西軍がいいところまできていたなんて。
わからんものだなぁ。

そして、最後にどうしても言いたい。
細川幽斎よ。
それは和歌ちゃう。だじゃれや……。

「ストーカー」は何を考えているか

小早川明子 2014 新潮新書

非常に勉強になった。
読み進めていくうちに気づいたが、この著者をテレビで見かけたことがある。
加害者のアセスメント、案件の緊急度のアセスメントのトリアージに見覚えがあった。

私自身、つきまとい行為について、2度ほど、警察に相談に行ったことがある。
間にはずいぶんの時間が空いており、相手は別の人であったのだが、きちんとうまく別れることの難しさを痛感している。
自分自身もまた、別れを切り出されたときに、うまく受け止めきれずにあがいた記憶があり、被害者も加害者も同根であるとの思いも持っている。
それを認めるのはいささか恥ずかしいことであるが、本書を読んで、何度もあるあるあるとうなずいたし、相手がどうしてそうせざるを得なかったのか、改めて考える機会になった。

この著者も「私は、恋愛をした責任は双方にあると考えます」(p.194)と言い切っており、本当にその通りだと思う。
責任というのは、私は結果を引き受けること、現実を受け止めること、うまくいかなかったならいかなかったことのぐしっとした気持を味わうことだと思う。
著者は、「人じゃ、自分が理解されて初めて責任能力が回復します。ここでいう責任とは、自分を取り巻く現実に対する、自発的な応答力のことです」(p.169)と定義する。
だからこそ、この言葉が生きる。

自分の感情は、誰かにぶつけるのではなく、自分が責任を持って処理するものです。(p.157)

人間関係において、加害-被害関係は、客観的に見て、事実として、その責任が100-0のことは少ないと思う。
コミュニケーションは双方向であり、お互いに傷つけあったり、愛し合ったりしてきたのだから。
しかし、自称「被害者」となったとき、100%被害者であると自分が感じたときに、相手が100%が悪いと考えて、迫害者に転じる現象が起きることがある。
そのような転換が、ストーカーの中に起きているのではないかと考えている。
つまり、被害の意識が、被害者にも、加害者にもある。
つきまとわれている方にも失敗や問題や下手糞さが、いくばくはあったこともあったかもしれない。なかったかもしれない。それはケースバイケース。
ただ、加害者の被害の意識というところに、介入の糸口があることを、本書で再確認したように思う。

そういう意味では、課題は、予期せぬ別れや望まぬ別れをどう受け止めるか、なのだろう。
「女性の場合、「過去を美化する」ことが別れる力を底上げします」(p.55)というのは、非常に納得がいく。
同時に、余計に傷つけるような言葉や暴力をぶつけないように、うまく別れるという技法だって必要なのだ。

人の心は移ろうものである。

その現実を受け止めていきたいものだ。
これからさきも、人生は、まだまだ続くのだもの。

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