もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ ジャン=クロード・カリエール
工藤妙子(訳) 2010 阪急コミュニケーションズ
自分自身の中にフィルターがある。
私はすべてを記憶することはできない。
まず、すべての情報にふれることができない。
それらを、記銘することができない。
記銘した記憶のすべて想起することができない。
そして、記銘できていたはずのことさえ、人は忘却していく。
その限られた記憶力の中で、必要なものや好ましいものを選び残していくためのフィルターを用いている。
エーコとカリエールという、文筆家であると同時に稀覯本収集家である2人の、老練で諧謔あふれる対談だ。
書籍自体が美しい装丁で、見つけ、手に取り、そのまま、カウンターに持っていって購入した。
日本の携帯小説まで話題に出てくる。グーテンベルグの聖書や『アエネーイス』やシェイクスピアに並んで。
本について、図書館について、文化について、言葉や文字について、知について。
さまざまな人物名、書籍、引用。その知識の豊富さと、感性の洗練さと、思考の明瞭さ。
対談であることと、読みやすい訳であることで、専門書とかまえることなく、知性にうっとりと酔うことができる。
未来を確実に言い当てることは難しいという認識の上に、膨大な過去を集積し、その過去には空白があることまでも踏まえ、「問題はむしろ現在の不安定さ」(p.90)と指摘する。
自分が研究者を目指していた短い時期に、一つの主題について調べようとしたら、情報が無限にあることにめまいがした。
それを集める財力、読みこなす時間と体力と記憶力、言語の限界。理解したと思った瞬間には、次にはもう新たな知が生み出されている。自分の知らないことを知らざるをえない。
私が感じためまいを、この巨匠達2人+αも、当然のこととして語っていることに、ほっとした。
この2人は2人とも、人間の愚かしさに興味を持っているのだそうだ。
馬鹿と間抜けと阿呆を区別するくだり、声を立てて笑いながら読んだ。
「人間は半分天才で半分馬鹿」(p.299)と、自分自身の愚かさも踏まえつつ語り合うところは、かっこいい。
読むことと書くことと。憶えることと忘れること。信じることと疑うこと。
決して楽観的にはなりきらない。炎による検閲を意識しながら、言葉はくりだされる。西欧の文明そのものへの批判も、舌鋒鋭い。
彼らの言葉は非常に懐が深かった。本への愛情は、人間そのものへの好奇心の一形態と思った。
本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。その点をはっきりさせておくのは素晴らしいことですね。本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないのかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。(p.382)
これもまた、積読本の山を抱えている私をほっとさせてくれた言葉である。
よっしゃ。積むぞー。
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