2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

2013.03.26

超訳 カント:時代を照らすカントの言葉

イマヌエル・カント 早間 央(訳・監修) 2011 マーブルブックス

男は、愛しているとき嫉妬深く、
女は、愛していなくとも嫉妬深い。(p.130)

うぅむ。カントよ、何があった?

入門書すらハードルが高いと思う人にも、哲学には興味がないという人にも、これなら読んでもらえないかな。
カントは、知性の明晰さで際立ち、言葉の切れ味が魅力な哲学者だ。
きっぱりと言い切る言葉の数々、どれもこれも引用したくなる。格好いいし、含蓄があるのだ。
カントのそういった名文を集め、章ごとに解説を加え、巻末にやや詳しくカントを紹介している。
ちょっと前にはやった感じの「超訳」シリーズであるが、本屋さんで割り引かれているのを発見して、即購入。

新しい発想だと思っていても、過去を紐とけば
すでに誰かが言っていたりするものだ。(p.101)

カント自身がこんな言葉を残しているが、私にとって、カントがまさにそうである。
読んでいて、そうそう!と頷く。自分のもやもやしていたものをすっきりと言葉に表して整理してもらう快感がある。
そもそも、出会ったのは高校生のときだ。
倫理や道徳は、カントを基準に学んだ。思考の方法を、哲学する過程を学んだ。
だから、私の価値観や世界観は、ベースにカントを置いている。
読んでいてすんなりと馴染むが、同時に、改めてカントが持つ現代性に気づいて驚く。

今なお通用する部分と、今だからこそ再考すべき部分があると思う。
一つずつを味わいながら、じっくりと思索したいものだ。
本書に集められている言葉は、実にカントらしい、啓蒙や正義、知性についての言葉だけではなく、男女についてや戦争について、教育について、様々なジャンルに分かれている。
美しい言葉も、苦い言葉もある。笑える言葉も、学ぶべき言葉もある。
その中で最後にひとつ、選ぶなら、今日の気分でこれにしておこう。

人は教育によってだけ、人間になることができる。(p.150)

2013.03.12

妻の超然

絲山秋子 2013 新潮文庫

常日頃に漫然と感じていることを、すぱんと言い当てるように言語化された文章に出会うときに、この作家はすごいと思う。さすがだと思う。
そういう文章との出会いが多い作家が、自分に相性のいい作家であると思う。感性が近いというのはおこがましいし、勘違いのようで気持ち悪い。
三人称で書かれた「妻の超然」、一人称で書かれた「下戸の超然」、二人称で書かれた「作家の超然」。
それぞれに、ぐいとひきつけられる文章があり、「作家の超然」の主人公がある小説の登場人物に自分を見出すように、私もこの小説群の主人公達に自分を見出した。

愛しているなんて言うから愛がなくなるのだ。(p.74)

「妻の超然」の一文に、ずきんと胸が痛んだ。
なくしたものを、やっと、なくしたと受け入れようとした時に読む文章としては、とても痛かった。
浮気しているであろう夫に対して、超然とした態度を保とうとする妻。
超然になりきれない、崩れ去るところが、とても幸せな夫婦の姿に見えてくる。
彼が幸せであることが嬉しい。そう。そういうものなのだ。

変わるよ、改めるよ、なんでも努力してみるよ、と僕は言えない。(p.179)

「下戸の超然」の一文に、唇をかみしめた。
何度も、何度も、何度も、言い続けた。
言い続けて、変わること、改めることができなかったかもしれない。
私は努力したつもりでも、努力は認められなくて、私も言えなくなった。
私は短気であり、依怙地である。頑固であり、融通がきかない。不器用で、かつ、卑屈である。
私は苦手なことを苦手という。それを卑屈だと言った人は、私が人を見下しているとも言った。どちらなのだろう。
その人には、私が「下戸の超然」の主人公のように超然として見えたのだろうか。解説はこの主人公に身勝手さや冷酷さを読むが、私は戸惑いを見出して共感する。
飲み込んで言葉にしなかった言葉がどれだけあるか。それを伝えることもないまま、わかりあえずに別れていく。

好きなものだけに囲まれて、仕事という狭い切り口だけで社会との接点を持ち、人と会わない生活をしていれば、いくらわがままでも良かった。(p.213)

つまり、こういう生き方を指摘されたのだと思う。お前はひとりで長くいすぎたのだ、と。偽善であると言われたのは、こういう振る舞いだったのだろう、と。
「作家の超然」という小説は、私にとっては入れ子細工だ。
主人公が小説の登場人物に「おまえはどうしたって、自らの物語を彼女の中に見出してしまう」(pp.253-254)ように、私はこの中に自分を見出さずにいられない。
1人で老いていくということ。やがて死ぬということ。その予告として、練習としての、病と入院、手術。
一文ではなく、物語に自分が見出されていく。
そこに、読者として、文学の力を見出したい。小説の力を信じている。

私には、寂しい気持ちがある。
これがなくなれば、どんなに楽であることだろう。
寂しくて寂しくて寂しくて涙が止まらぬ日がある私には、自分を見出す物語との出会いが、落ち着きを取り戻すきっかけになり、現実と向き合う機会となり、日常をやり過ごす支えとなるのだ。

2013.03.05

婚外恋愛に似たもの

宮木あや子 2012 光文社

いつも一番上の女。
上から三番目の女。
普通で真ん中の女。
下から三番目の女。
いつも一番下の女。

『野良女』の姉妹作とのことだが、主人公達の年齢が5歳アップし、既婚になったことで、抱える悩みの種類が変わるものだ。
民主主義だろうと資本主義だろうと、そこには格差があり、階層がある。
共通して35歳である彼女達は、お互いが同じ階層ではないことを知っている。
同時に、自分と近しい生活圏の人たちの中において、自分が外れ値であることを知っている。
外れ値であるにもかかわらず、階層を越境していくこともままならないことも、知っている。
その抉り出し方は潔くて容赦ないが、嫌らしくならない。不意打ちのような笑いの効果も絶妙だ。

彼女達が愛するものは、決して手に入らない。
なぜなら、愛するひとは、2.5次元。つまり、アイドル。
5人組のアイドルのそれぞれのファンを描きながら、5人のまったく違った女性の生き方を描いているのだ。
5人は出会い、ゆるやかな友人関係をなしていく様に、あるあると何度頷いたことか。
私の長い付き合いとなった友人達の多くは、共通のバンドのファンであり、そのコンサートを通じて今も会い続けることができているのだ。

痛くてもなんでも、人はパンのみで生くるにあらず。
愛がなくては。
私は常々コンサートに通う理由をこう思う。
「愛している」と、そう言ってもらいに通っているのだ。
デトックスになるようなアイドルではないかもしれないが、2.5次元の愛すらなくなると、私は相当に苦しくなる、気がする。

現実を振り返ると、片岡のように、自分の偶像を「神様と崇め、日々拝みながら修道女のように生きるだけで充分」(p.187)じゃないかと思ってしまう今日この頃。
自分はどの階層に位置するかなぁ。
親近感を持つのは山田で、共感するのは桜井かなぁ。
どれだけ思い悩んだとしても、私は1番になることはない。
いろいろと考えたりもするけれど、愛しく感じた本だった。

コンサートはすべての境界線を壊す祝祭であるが、神と人との境界線は壊れない。
アイドルはアイドルのままに。

エンターテイメントが誰かの希望になるように。(p.160)

2013.03.04

野良女

宮木あや子 2012 光文社文庫

恋愛始めるのも、終わらせるのも体力いるよね。(p.224)

ほんまにだ。
なんだろう。
ほろ苦い気持ちになった。
それは、私から見れば彼女たちが、まだまだ十分に若くて、むしろ楽しいのはこれからなんだよって思ってしまったからだろうか。

30歳を目前にした独身女性が5人。
恋人が最近いない遣水、恋人は一回り以上年上の朝日、遠距離恋愛中の坪井、DV男とつきあう桶川、不倫中の横山。
それぞれ仕事はあるが、人生には困っている。
よく酒を飲むし、よくタバコも吸うし、基本、よく働くが、どうも「普通の結婚」というものに縁がない。
女子同士のあけすけな会話、脳内の思考を、あからさまに書いてみたような小説。

ここにも出てきた、ユーラシア大学。
『憧憬☆カトマンズ』を思い出して、にやりとした。
あの作品ほど、ウルトラハッピーじゃないし、はっちゃけてはいない。
それなりに切なくてもたくましく、悩みながらも笑いを忘れず、地に足をつけて元気に乗り切るパワーがあり、ハッピーもある。
面白かったし、笑うところもしばしばあったし、嫌いじゃないけど、身につまされるから、読み直すことはないかな。
私のコンディションも多少、悪かった。

朝日以外の恋愛のパターンはすべて踏襲してきているような気がして、座り込んで床にのの字を書きたくなった。
卵巣も片方、摘出済みである。ODやリスカはしたことないけど、そこまで思いつめる気持ちもわからんでもない。
自作ポエムってプレゼントにのけぞったことは、あるなぁ。うん。あれは破壊的だった。しかも、履き違えた男女平等主義者だった。
数は多いわけじゃないけれど、ばかなことはいくつかしてきたし、恋愛はとても私をばかにする。
その体力が、もうなくなったなぁ、と感じてほろ苦くなったのだと思う。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック