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香桑の近況

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2013年2月

2013.02.28

帝国の叛逆者(上・下):ヴァルデマールの嵐2

マーセデス・ラッキー 山口 緑(訳) 2012 創元推理文庫

いささか意外な展開をしていく『ヴァルデマールの嵐 第二部』。
カラルに再び出会えることは嬉しいが、冒頭はまったく予想外の人物の、予想外な戦いから始まったのだ。

それは、ハードーンを侵略するために派遣された〈東の帝国〉の指揮官トレメインが、魔法嵐の吹き荒れる異国の地で、どうやって部下を一人もしなせずに冬を乗り切るか、という戦いなのだ。
このトレメインがおいしい。素敵なおっさんが新たに登場である。外見はむにゃむにゃと書かれているが、行動がいい。
魔法に頼ることができなくなった世界で、知恵と工夫で生き延びるために、寸暇も努力も惜しまない指揮官は、アルベリッヒと並ぶ魅力的なおっさんなのだ。
そして、気づいたら、いつの間にか地元に溶け込んでいってしまう。そのプロセスにひきつけられる。

対して、カラルは、ヴァルデマールで苦戦を強いられている。
政治的指導者や宗教的指導者らと話し合わなければならないが、カラルはまだ年若く、経験も少ない。
自分でもそれがわかる上に、回りも見るからにカラルを軽視したり、ばかにする。
総力を挙げて、全員が一致協力して、事態に当たらなければならないのに、それが難しい。
人はしばしば不都合な事実を否認したり、誰かの責任になすりつけてみたり、不安から余計な対立を生じてしまったり、足並みをそろえるというのはなかなか難しい。

そういった不穏な時勢の中で、カラルも、アン・デシャも、徐々に宗教的な指導者<祈祷師>としての成長を見せていく。
彼らの魂の成長と、大きな選択。愛情と使命と。
種族を超えて。宗教を超えて。
過去の確執と現在の断絶とを超えていけ。

名言も多く、はたと思わせられることも多かった。
ラッキーの物語は、やはり、大好きだ。
これで魔法嵐はおさまるのか。
各国の関係はどうなっていくのか。
続きを早く読みたいなぁ。

2013.02.20

僕のきっかけ:ひまわりと子犬の7日間・一也の場合

平松恵美子・杉江松恋 2013 MF文庫ダ・ヴィンチ

回ってきたので読むことになった一冊。
『ひまわりと子犬の7日間』をいう映画のサイドストーリーだという。
映画の登場人物のひとりを主人公にして書かれた、別視点からの物語になるのだろう。
この映画にも特に興味があるわけではないが、映画を知らなくても独立して楽しむことができた。

楽しむというのは、ちょっと違うか。
飼い主を失ったり、飼い主が手離した、犬や猫はどうなるか。
本谷有希子『乱暴と待機』でも、同種の職場が登場するが、物語の傾向はまったく異なる。笑っちゃうぐらいに。
こちらのほうは、もっと真剣に、保護された犬にとっての7日間という意味を描いている。

舞台は宮崎。
浪人生活の末、両親の期待をふりきるように東京の専門学校に行き、結局は行かなくなって、なんとなく過ごしてきた一也。
実家に戻らざるを得なくなってから、流されて働くことになったのが、公衆保健センターという場所だった。
じゃりパン好きな一也は、意欲は低いし、空回りしやすい。彼なりに考えてよかれと思ってしたことが、見事に空回りする。
無知だからこそ、周囲の怒りも買いやすい。不器用であるだけで、頑張り方を知らないだけで、評価されない苦さはよくわかる。

でも、どんなことが行われているか、知らないですまさないでほしい。
一也だけではなく、この国に住む人にとって。
生まれてくる犬や猫がいれば、その数だけ死んでいく犬や猫がいる。
その中に、死ぬのではなく、殺されている犬や猫がいるということ。
税金によって、私も含めた自分達が殺している犬や猫がいるということ。

ちなみに、私の住んでいる県では、殺処分まで7日間も猶予がない。
犬では3日間、猫は即日処分。

そこをちゃんとわかった上で、飼って欲しいし、売って欲しいし、地域でともに生活することを一緒に探して欲しいと願っている。

2013.02.18

その日東京駅五時二十五分発

西川美和 2012 新潮社

「壊れるときは、始まるときだ」(p.74)

その言葉に、はっとした。
様々なことが壊れてしまった1945年8月15日。
その日の東海道本線始発は東京駅を5時25分に出る。

主人公は電車に乗り込みながら、西へ向かう。
一足早く解散した隊の特殊な事情を背負いながら、誰よりも早く敗戦を知り、誰とも共有できずに、西へ帰る。
故郷である広島へ。

その「現在」と、出征前から出征、訓練と、「過去」が入れ替わりに語られていく。
電車が進むにつれて、主人公の心もまた進んでいくのだ。
それは小説でありながら、現在進行形の手記であるかのような、現実感がしっかりとあった。
先の戦争を語りながら、懐古的にもならず、劇的になることもなく、むしろ日常的すぎるぐらいに過ぎていく。
その日の記憶。

どことなく、リービ英雄『千々にくだけて』を思い出す。
すべてが壊れてしまった。変わってしまった。
9.11の記憶。
3.11の記憶。
それが、8.15の記憶の通底音として立ち現れてくるのだ。
自分は知らないはずのその日が、自分の知っているあの日に、重なっていく。

これは、とてもいい小説だ。
久しぶりに本屋さんで、呼ばれて呼ばれて連れて帰った。
味わい深く、深く低く、体の芯に余韻が響く。
中編ぐらいの、どちらかといえば薄くて、すぐに読める本だと思う。
多くの人に読んでもらえたらいいな。
いつか、その日の記憶として。

2013.02.15

見仏記6:ぶらり旅篇

いとうせいこう・みうらじゅん 2012 角川文庫

奈良に行きたくなるなぁ。
薬師寺、新薬師寺、唐招提寺は、また行きたいんだよね。
となると、やっぱり東大寺も捨てられない。『天平冥所図絵』を再読し、平山郁夫の大仏開眼の絵を思い出しながら、訪ねるのもいい。
ああ。旅がしたくなる。

1冊目に続いて読んだのが6巻というのは、職場で回ってきたから。
中間を読んでおらず、1冊目からこの本の間に20年という月日が経っていることもあり、大きく違いを感じた。
2人の旅人がとても自然に歩いているというか、仏像そのものへの記述よりも、2人の歩いている空気の自然さを強く感じたのだ。
いとうさんが文中で「巡礼の旅」と書いているけれども、そんな感じ。
歩き回ること自体が目的化しつつあるような。仏像は旅の目的ではなく、2人の旅を見守るもののように見えてきた。

歩き回った場所としては、奈良が一冊の半分を占める。
ちょうど、平城遷都1300年だった2010年のことである。
頭の中で、「Hey!Joe」が流れていく。
後半は愛知、途中と最後で京都。
愛知のお寺はまったく行ったことがないが、日本美術史の授業で出てきたようなおぼろな記憶が……。
それよりは、やっぱり京都のほうが馴染み深い。

東京国立博物館で「空海と密教美術」展、行っておけばよかったな。
一緒にいたのは、象のダンナに面差しに似ている人だった。
きっと私も、「最初に好きになった人を一生反復して生きていく」(p.276)1人に過ぎない。
いつか機会を得たら、東寺に彼を探しに行こう。そうしよう。
いとうさんのように、みうらさんのように、『マイ・フェバリット・シングス』を歌いながら。

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