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2012年8月

2012.08.31

マルガリータ

村木 嵐 2010 文藝春秋

天正遣欧少年使節。
輝かしく語られる彼らが8年後に帰国した時、既にキリスト教は禁教となっていた。
その後の彼らを、日本史の授業では学ばなかった。
四人のうち、一人は病死、一人は国外追放、一人は拷問されて殉教し、残る一人は棄教した。
背教者となった千々石ミゲルを、その妻「たま」の目から描いた小説である。

たま。まりあ。まるた。マリータ。マルガリータ。
タイトルの「マルガリータ」は真珠という意味である。
たまは、親の形見である真珠をミゲルにお守りとして持たせ、マルタのように働き者の娘へと成長していく。
言いたいことのひとつも言えないまま、運命に流されるままに、ただただ働き、ただただミゲルに寄り添おうとする。
マルタとマリアの説話を知っており、それを理不尽と思ってきた私には、珠がマルタになぞらえることが、なんとも苦い。

一人ひとりの人間は、人間であることに変わりがないはずなのに、国を動かすために他者の人生を台無しにすることをためらわない者もいれば、思い通りの人生を送らせてもらえない者もいる。
ある種の人々にとっては政とは不可解であり、ある種の人々にとっては当然の営みである。
かくも、世界は理不尽だ。

ミゲルと他の少年使節たちは、4人で1つのように、志を同じくしていた。
誰にも殉教させるまい。
南蛮人たちは、なぜ、日本人に殉教を求めるのか。
死ぬための信仰ではなく、生きるための信仰を守るために、誰も信仰の名のもとに死なせないために、司祭になろう。
彼らの生涯を通して、信仰とは何か、宗教とは何か、政治とは何か、改めて考えさせられる。

と同時に、そのような教育を受けたこともなく、知識もなければ興味もない、ただただ生活をまっとうに送るために働き続ける珠の疎外感が苦しい。
ただただ夫を慕って、一生懸命に働いている。
その珠より、なぜ、ほかの女性の方が、夫の心を理解するのか。そんなことは苦しすぎる。
報われなくて、悲しくなった。マルタは、いつも理不尽だ。

だけど、よく考えてみれば、真珠のように丸くて美しい世界を守ろうとして、ミゲルはミゲルの戦いを戦っていたのではないのか。
守るつもりでいながら、二人のマルガリータに守られていたのではないのか。
ほら、ちゃんと愛してあえているじゃない。
じれったいなぁ、もう。
情けないほど慕っているから、どんな彼だってアリなのだ。受け入れて、受け止めて、追いかけるしかない。

雑誌で読んだ書評が気になって、購入したものの、何年も積んだままにしていたが、もったいないことをしたと思う。
これほど引き込まれる、魅力的な物語だったとは。最後は涙ながらに読み進めた。
時代と世界は、飯嶋和一『黄金旅風』とも重なり合う。あわせて読むのもいいだろう。

2005年10月から2006年1月にかけて、国立科学博物館にて「パール」展があった。
そこで、大村藩の藩主の食事中に、口にした貝から偶然でてきた真珠が展示されていた。
そういうものを「御喰み出し(おはみだし)」というのだそうだ。
たしか、私が見たのは、「夜光の名珠」と銘打たれており、アコヤではなくアワビから出てきた真珠だったと思う。
調べて行くと、真珠は聖母マリアをたとえるときなど、聖書やキリスト教文化の中でも高価なもの、貴重なもののメタファーとして用いられてきたようだ。
珠は、それだけして手に入れるべき、女性だったと思いたい。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ13.46)

2012.08.22

囚われの王女と魔術師の娘:黒鳥伝

マーセデス・ラッキー 原島文世(訳) 2011 中央公論新社

王子というのはダメダメな存在である。
という前半に何度か挫折しかかった本。
主人公は、魔法使いフォン・ロットバルトの娘オディール。
現代は「Black Swan」。映画とは無関係である。
邦題が「黒鳥の湖」でも悪くはないとは思うけど。

下半身の始末がなってない王子ジークフリート。
オデットは愛想がなく、美しいが感じが悪い。
すると、自然にオディールに感情移入することになる。

オディールは母親不在の家庭で育ち、父親に対して強く承認欲求を感じているが、なかなか満たされない。
父親の片腕になりたいと思い、自分なりに魔術の研鑽を積んできたが、ある日、父親から誉められるのは家事に関わるものだけだということに気づく。
また、物語が進むにつれ、オディールとオデットが交流していく過程で、父親が限りなく魔法を使うために力を吸い取られているのではないかと疑いを持つ。
娘にとっては唯一の肉親である父親。しかし、父親にとっての娘とは。

オディールとオデットのそれぞれの娘-父の葛藤に比して、ジークフリートと女王の息子-母の葛藤は淡白であり、直接の対決を果たすのはオディールだけである。
それぞれが親子の分離を果たして、世代交代をしていく物語だ。
童話的であるが、ジークフリートのおかげで性的な内容も多いため、勧める年齢層に困るなぁ。
対象年齢は10代の物語だとは思うけれども、アメリカ的にはありなのか?
いや、王子様には要注意って、教育も大事なのかな。うぅむ。

もてるから(この場合は権力があるから)といって食い散らかしたらいかんぞって感じだろうか。
レイプを合意と言い張ったり、当然の権利と勘違いしている痛々しさを、明確に指弾するところが、非常にラッキーらしいところだと思う。
どう考えても、全体を通じて、一番、漢前だったのはオディールだったところも、がんばる女の子を応援するラッキーらしい。

最後は胸がすくような大団円である。
おとぎ話にはとてもふさわしい。

2012.08.07

空飛ぶ広報室

有川 浩 2012 幻冬舎

久しぶりに有川さんが描く自衛隊。しかも、長編。
目次を見て、ああやっぱり、と思った。
「あの日の松島」
それを書く作家は有川さんしかいないだろうし、有川さんなら書かないわけがない。
ほんの少しでもむくわれてほしいな。いたわられてほしいな。
知らず知らず涙が出た。

有川作品を読んでいなかったら、ブルーインパルスが松島基地にいることを知らなかっただろう。
3.11の報道で松島基地の映像を見て、声にならない悲鳴を上げて、しかも、九州新幹線開通のためにブルーが福岡に来ていることを思い出して、いささか安堵して。
でも、一番近くにある基地が被災した時、どこをどう拠点とするのだろう、とか、素人ながら首をかしげたり。
もともとは私自身も自衛隊に対してネガティブな印象を持っていた。
小説という世界であるが、そこに一片の美化がないわけじゃないとしても、数々の災難救助活動に関する報道と、現在の国際社会の状況に加えて、有川作品を通じて、私の中の自衛隊に対する感情はずいぶんと様変わりした。

つまり、それが、広報の仕事だ。
主人公は不慮の事故でパイロット資格剥奪された空井。
パイロットでなくなった彼が配属されたのが航空幕僚監部広報室だ。
そこで空井がアテンドを任されたのは、記者からディレクターに異動させられたばかりの稲葉。
夢を断たれた2人が、自分の立ち位置を見直し、新しい目標を見つけ、プロとして成長していく物語である。
ほの甘いラブ要素は控えめぐらいでちょうどいい。この物語は甘すぎないところが逆にいい。
だって、「普通の人たち」の物語なのだから。

買ってすぐに一気読み。
読み始めてすぐに引き込まれて、進むんだけれども厚かった。
途中で仮眠を挟んで、仕事の合間も読んで、やっと読了。
最後の松島のくだりで、涙を禁じえなかった。

支援者支援という言葉がある。
災害支援の一領域だ。災害を支援する側も、二次的、三次的に傷つくことが知られている。
家族が行方不明でも活動をし続けた消防団の人たちを筆頭に、医療関係者、教育関係者、行政関係者、保健福祉関係者、宗教関係者、さまざまな領域で、自らも被災者でありながらも被災者の支援をしてきた人たちがいる。もちろん、自衛隊も。
彼ら自身、傷つきもするし、疲れもする「普通の人たち」であることを忘れないでほしいな。
傷ついたらその傷を治す努力をしてほしいし、疲れたらその疲れを癒す工夫をしてほしいな。
目に見えない傷や疲れや、その悲しみを、いたわってほしい。
人間なんだもの。普通の人なんだもの。人の子なんだもの。
機械だけじゃない。人間だってメンテナンスが必要なんだから。
助けを求める文化をあまり持たない人たちは心配になるなぁ。

2012.08.04

九州の滝:100の絶景

Dsc_04861_2 熊本広志 2007 海鳥社

最近の愛読書。
正確には、読まずにうっとりと眺めている。
涼しげでいいのだ。この季節、水が恋しくなるから。

屋久島で大川の滝に出会って以来、滝にはまっている。
水の音に耳を傾け、しぶきを体に浴びながら、全身で感じるのが好き。
80mを超える瀑布の迫力は素敵だけど、10mぐらいの落差で幅広の滝も見てみたい。
次はどこに行こうかな。そんなときに参考になる一冊。
滝の落差、所在地、問合せ先と電話番号や周辺地図まで掲載されている。

カメラマンの人らしく、どんな風に写真を撮ったのかも書いてある。
撮影好きの人には、そんなところも参考になるのかな。

貸してもらったまま数週間、そろそろ返さなくちゃいけないけど、手放しがたい。
自分でも買っちゃおうかな。
そして、いつ行ったか、誰と行ったか、記録していきたいかも。
100をコンプするのは大変そうだけど、この中からお気に入りを1つ2つ見つけられたらいいと思う。

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