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2012.04.10

院長の恋

佐藤愛子 2012 文春文庫

失敗。今の気分では楽しめない。
ユーモアをユーモアに感じられず、最初の短編が途中から苦行モードになってしまった。
登場人物の誰にも好感が持てず、そこかしこに悪意のような意地悪いものを感じてしまう。

恋の病というが、他者からどんなに愚かに見えたとしても、当事者にとっては真剣なものであったり、切ないものであったりする。
だから、私は笑えない。
愚かであればあるほど、むしろ切ない。悲しい。苦しい。
恋を笑いものにしないでほしい。途方に暮れる。苦しくて笑えない。

恋に永遠はない。苦しい恋であっても幸せな恋であっても、同じように時間がそれを蝕む。この世の恋がすべてそうであるように、院長の恋も、恋の宿命を辿った。(p.92)

わかってはいる。だから、苦しいんじゃないか。
最初から最後まで著者とあわないと感じた短編「院長の恋」だが、精神病院の描写の部分では実在するいくつかの病院と重なり、暖かな笑みを感じた。
ちなみに、作者は恋をうつ病になぞらえるが、薬理学的には恋愛は強迫性障害と同類だとアキスカルが言っている。それでイグノーブル賞も取っている。
頭ではわかっている。でも、気持ちは止められないんだよね。気になって気になって仕方がないんだ。
それなら、私にもSSRIが効くかな?笑

「離れの人」も救いがないし、「地蔵の眉毛」はますます救いがないし。
「ケヤグの秋」はやっぱり救いがなくて。
「沢村校長の晩年」では、案の定と肩を落として嘆息した。

私が生まれる前から小説を書いている人のように、私は達観できない。
どの人に感情移入して読んでいいのかわからない戸惑いがあった。
突き放されたような感覚を、意地悪に感じたのかもしれないが。
それにしても。
多分、私は沢村校長の側に属する人間なのだ。
笑われる側の人間として、笑われることを悲しく思うしかなかった。

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