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2012.04.21

超訳 古事記

鎌田東二 2009 ミシマ社

どうして約束を違えるのか。
いざない、いざなわれ。
永久に手を繋いで歩もうと誓ったものを。
のちに裏切るぐらいなら、なぜ、いざなった。
この怒りを、嘆きを、苦しみを、憤りを、悲しみを、憎しみを、恨みを、愛しさを、恋しさを。
ねえ、なぜ、わかってくれない。

詩のように研がれた文章。詞のように声に馴染む文章だ。その秘密は、この本の作られ方にあり、あとがきを読むとわかる。
読みやすく、わかりやすく、古事記の全体像を掴むには最適であろう。
そぎ落とされたところに旨みがあるのかもしれないが、大筋から味わえるものも多い。
神話の中には、イメージが次々に喚起される、豊饒な世界が広がっている。
子ども向けの古事記以来に触れる私にはほどよい内容であり、しかも、品があってすっかり気に入った。

イザナギ、イザナミの夫婦喧嘩から、父子家庭の末子のスサノオの反抗期、父親の養育放棄もしくは子の家出のくだり、こんな家庭ってあるよなー…。
同胞葛藤といえば、アマテラスとスサノオも、母親不在の家庭で、母親の代理を求められる長女のギブアップと、あくまでも母親を希求する末子という感じで、よく見られる。
ニニギの嫉妬妄想、海幸彦と山幸彦の同胞葛藤。イワナガとコノハナサクヤも同胞加藤。
現代の家族関係や異性関係に見られるトラブルって、結構、そのまま、古事記の中に見出せるのが面白かった。
家族や異性関係で生じるトラブルの原型を見出すと同時に、冥府下りや大地の女神の死、見るなの禁止令といった、神話だからこそ語られるモチーフを再考するよい契機となった。

面白いのは、イザナギもオルフェウスも異界に死んだ妻を迎えに行くが、死んだり醜くなった妻は捨てられて話が終わる。
しかし、女神達は違う。大国主の母親も、イシスも、男神が殺されたときには、母親もしくは恋人たる女神は、その遺体をかきあつめて生き返らせようとする。なにがなんでも生き返らせようとする。
イザナギがイザナミにがっかりするところは、すでに女性は若く美しくないといけないという価値観の反映のように読めてしまう。
男性から口説いておきながら、男性のほうから去っていくことを許せないと怒りを感じるのは、なにも、イザナミだけではない。
その後も清姫や六条御息所に受け継がれ、お七やお岩を経て、今も日々増産中。
そういうイザナミ的な要素は、多かれ少なかれ、女性は持っているものだと思っている。
少なくとも、私は持っている。

女性である私の目から見れば、ほんの少し違うのだ。
イザナミはイザナギを傷つけたかったわけではない。殺したかったわけではない。決定的に別れたかったわけではない。
裏切られた苦しみをわかってほしかっただけなのだ。約束を破ってごめん、と、一言言ってほしかっただけなのだ。
もっと言えば、醜くなってしまった自分に恐れをなすのではなく、そんな醜い面も含めてどーんとうけいれてくれたらどんなによかっただろう。
出会ったときの二人のように美しくなくなってしまったとしても、手を携えて、愛を確かめあっていきたかっただけではないのか。

愛を保ち続けていたくて、縁を繋ぎ続けたくて、呪いの言葉をつむぐ。
現代であれば、別れ話の後のヤケ酒みたいなものだ。リストカットやODしてしまう人の心情にも通じると思う。
イザナギの後悔を、改悛を、導き出したくて、罪悪感に、同情心に訴えかける。
それが最早愛ではなかったとしても、どこかで繋がっていたいと切なく願う人を、責めないでほしい。
お願い。私から、立ち去らないで。
そんな祈りがあるから、別れの言葉は言わないでいてほしいのだ。別れざるを得ないとしても。
そして、仲直りの仕方を書かないから、ニニギとコノハナサクヤ、山幸彦と豊玉姫も繰り返す。

見るなと言ったのに。
あれほど、お願いしたのに。
見るなとお願いしたのが悪いのか。
約束を守ってくれると信じたことが悪いのか。
私はあなたを信じていたのに。
あなたはどうして信じてくれない。待ってくれない。任せてくれない。
その裏切りを謝ってくれないまま、自分のほうが傷ついたような顔をして。
誤りを過ちにして、一人だけ禊して終わらせてしまうなんて。
許さない。

呪いは、私を忘れるなという約束の言葉。
あなたの過去に私という存在があったことをあなたが忘れたとしても、あなたの意識が根ざす無意識のひそみに私はそっと隠れつつ、あなたを支えていくだろう。
あなたは知らず知らずに私の願いをかなえていくのです。
あなたがなしていく営みのはじまりが私にあることを、あなたが忘れてしまっても。
私はひそかに悦ぶでしょう。
かすかにでも、私があなたになにかよきものを残すことができたのだとしたら。
出逢ってよかった。

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