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2012.01.13

死ぬ瞬間:死とその過程について

エリザベス キューブラー・ロス 鈴木 晶(訳)  2001 中公文庫

久しぶりに読み返す機会があったのだが、ここにレビューをアップしていなかったことに気付いた。

死は、いつか必ず目の前にある主題だ。
この本は死の問題を扱うときに欠かせぬ名著だ。
死の過程の図は、非常によく引用される。
まず、「衝撃と不信」の段階があり、次に「否認」、そして「怒り」。「取り引き」を経て、「抑うつ」に至り、「受容」を迎える。
これらの段階は不可逆的に一方的に進むわけではなく、行きつ戻りつするものであり、必ずしも受容に至るとは限らない。

著者とその仲間達は、末期がん患者200人以上にインタビューした。
著者の質問法、コメントの仕方、解釈には、今でこそ異論や批判があるかもしれない。
が、病を患い、自らの死というものに向き合わざるをえなくなった人々の言葉は、時を経てなお読む価値がある。
著者がインタビューした人々は、もうとうに死んでしまったことであろうと考えると、ぐっと圧倒される迫力があった。

その後の著者の動向は横において、死の臨床というそれまで未踏地だった主題に取り組んだ業績は大きい。
以下に引用するように、死という彼岸に渡る営みを見守り続けることは、著者に宗教的な境地をいたらしめることになった。
此岸から彼岸を語ることは、此岸にいるものは彼岸にいることができないがゆえに、超越的な言語を用いざるをえなくなる。
とはいえ、終末期医療の臨床に携わる人はもちろん、臨床家でなくとも、人の間に生きていると、自分の死、他者の死がいつか必ず待っているのだから、時には死について考える機会を持つことも前向きな営みではなかろうか。

「言葉をこえる沈黙」の中で臨死患者を看取るだけの強さと愛情をもった人は、死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏かな停止であることがわかるだろう。人間の穏かな死は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく。臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。七十歳を過ぎるまで生きられる人は多くはないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。(p.448)
(2006/6/22)

私は、左手が死に触れているような感触をイメージする。
それは水に似ている。質感や温度を伴って、指先に感じる。中指と薬指のたあたりに。
私が自らその水面に飛び込むつもりはない。誘惑があったとしても、そこに引きずられないための手を打つ。
しかし、私はそこに惹きつけられずにいる人がいることを忘れないために、あるいは今にもそこに戻りゆく人がいることを忘れないために、ただ、触れ続けていたいと思っている。
死は、私の、逃げることのできない、現実である。

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