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香桑の近況

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2011年12月

2011.12.30

彼女がその名を知らない鳥たち

沼田まほかる 2009 幻冬舎文庫

たった一人の恋人。
読み上げたとき、最後の一文が悲しくてたまらなかった。
それこそが愛であるのだと、これほど貴いものはないと、他人事ならばわかる。
自分のことであっても、過ぎ去ってからならばわかることがある。
どうして恋がうまくいかないのか、その最中に、自分だけはなんでわからないのか。
たった一人の私の恋人。その人こそが恋人であったと、なんでわからないのか。

悲しくなるほど、すれ違う。
主人公の十和子が、優男と出会っては、その隣に妻としてあるのが自分ではないのかと煩悶する。
幸せを夢見る心情に心当たりがある女性は、彼女の不貞を指弾せずに、慎ましく目を伏せて見逃すだろう。
あるいは、思い出したくない、考えたくない、透明でいたい、ただただ自分を麻痺させていなければ生きていけないような過敏さも、奇矯ではあるが珍しくない。

自分は被害者であること。それだけが、彼女の免罪符である。

それにしても、読み進めるに従い、十和子の身勝手さに、ついていけなさを感じるようになる。
若くもなく、美しくもなく、仕事をせず、恋人だったはずの男に裏切られた。同居している陣治に生活をすべて頼りきりながら、十和子は陣治を嫌悪する。罵倒し、虐待する。
十和子の中では、現実と想像がたやすく混乱し、記憶と認識が曖昧になり、被害とか加害が転換する。
彼女は、言動不一致どころではない。言葉と言葉、気持ちと気持ち、行動と行動に一貫性がなく、気分が変わりやすく、矛盾だらけだ。

彼女は自分の矛盾を統合することができず、責められれば相手を攻め返す。
それでいて、ただ単に、どうしようもない、性懲りのない女であるだけではない。
やむにやまれずに彼女なりに一生懸命であることを、どこかで受け止めてもらいたがっているようにも見える。
否認と回避。自分を麻痺させなければいけないのは過覚醒があるからだ。刺激を受けると、侵入の体験が訪れる。あえて、PTSDの用語を用いてみたが、十和子に病理の臭いが徐々に強くなっていくところが見事である。
しかし、彼女自身は自分の行動原理をわかっていない。それを理解しているのは、ただ一人である。

忘れることのできなかった、8年前につきあっていた男、黒崎。
新しく知り合った男、水島。
二人の男に接点はなく、類似点もない。
しかし、封印がとかれてしまう。

陣治だけが結果を予測していた。
陣治だけが十和子を守ろうと、本当に守ろうとしていたのだ。
タイプはぜんぜん違うのに、腐野淳悟@『私の男』を思い出した。
タイプはぜんぜん違うのに、たった一人の私の恋人を思い出して泣いた。
十和子みたいに愛されてみたかった。十和子ぐらいに。
ちょっと、羨ましいと思ってしまった。
これは恋じゃないと思うよ。私なら、愛と名づける。

2011.12.28

テルマエ・ロマエ(4)

ヤマザキマリ 2011 エンターブレイン

気力が出ない。
そういえば、マンガを読むのもめっきり減った。
夏からこっち、リアルがいろいろありすぎて、現実感が薄れている。
そんなことを考えていたら、職場の中でこれが回ってきた。

まさかの実写で映画化されてしまう、ローマのお風呂。
この巻からのエピソードが映画の粗筋になるのかな? 今度のルシウスはなかなか現代から古代ローマに帰られない。
主人公が表紙になっているのは、この巻が初じゃないだろうか。

お気に入りはハナコちゃん。
以下、ルシウスにはまったく関係ない話。

ローマ時代の馬は、ローマ人がヨーロッパにアラブ種を伝えているそうだが、どういった体格のどういう種類の馬が主だったか、調べ切れなかった。
乗馬クラブの馬達は、もと競走馬のサラブレッドが主。彼らの体格、毛色には個体差がある。25歳はものすごーく高齢なほうに入るし、おしなべて牝馬のほうが気難しい。
性格もそれぞれで、繊細な子もいれば、図太い子もいる。人懐こい固体は、後ろから肩に顎を乗せてきたり、人の背中に顔をすりすりさせたり、動物好きの心をきゅーんと鷲掴みにするが、それは人間の解釈であって、きっと顔がかゆいだけなんだ……。

忙しさから乗馬もさぼっているが、ハナコちゃんを見ていると、馬の手入れだけしたくなった。
おそらく鞍箱の中でカビだらけになっているであろう、自分の馬具は見たくない。持っていなかったことにしたいぐらい。
道具の管理に面倒臭さを憶えてしまうのであるが、馬と触れ合うのはとても楽しい。
ルシウスのように、触れたくなる気持ちはよくわかる。

私の生活も、現実に戻していかなくちゃいけないのはわかっている。
いたい場所を見つけた。そこをなくした痛手が大きい。
やっぱり、温泉にでも行って来るかな……。

2011.12.25

ビブリア古書堂の事件手帖2:栞子さんと謎めく日常

三上 延 2011 メディアワークス文庫

好きな人は巻き込みたくない。
私の業。私の呪い。背負っている、運命のようなもの。
栞子の背負っているものが少しずつ明らかになる。
好きになればなるほど離れたくなる茨姫のような呪いから救うホワイトナイトに、果たして大輔はなれるのだろうか。
栞子のかたくなな引っ込み思案の気持ちもわかるが、あんまり意地をはると大事なものを失うよ、と心配になる。

慌てて読んだ2冊目。
本好きは欲深い。
もっともっと読みたくなる。
栞子さんほどの本の虫じゃないけれど、この本の続きは読みたくなるなぁ。

『時計じかけのオレンジ』は映画音楽ぐらいしか知らないが、ハヤカワ文庫の表紙はよく憶えている。
ハヤカワ文庫のファンタジーやSFを、本当によく読んでいたから。
私がハヤカワ文庫を読んでいたのは高校以降だと思うから、これを小学生が読んでいたら、びっくりしちゃいそう。
でもほんと、思うことは望むことに通じるが、思うことと行うことの違いは大きい。
ある程度、抽象的な思考ができるように成長したら、むしろ様々に思うことで世界観や人生観を陶冶することのほうが有益ではないか。
物語の中だからこそ許される思考実験を経ることによっても、人は善悪を学ぶのだと思うのだ。

UTOPIA。
このマンガの存在は知らなかったけれども、このタイトルに別件を想起して反応。
まだまだ続く後遺症のようなもの。去年の今頃は盛り上がっていた。
まだ、落ち込むなぁ。

2011.12.23

ビブリア古書堂の事件手帖:栞子さんと奇妙な客人たち

三上 延 2011 メディアワークス文庫

面白かったーっ。
小説は一気読みできるのになぁ。
行きつけの近所の本屋さんのバイトの人のオススメ。
手書きポップに「うちのバイト君が面白いと言っています」と書いてあったんだもの。
気付くと、多くのブロガーさんも読んでいた。

舞台は北鎌倉。駅のすぐ近くの古書店。
本を読めない体質の主人公は大学新卒就職浪人中で、本以外のことではコミュニケーションを極端に苦手とする店主と出会う。
ラノベにしては珍しく、平均年齢が高めの設定。
そして、私が読むには珍しく、謎解き系。

本が好きな人なら好きになる本だと思う。
本には二つの物語があるという。本の中に書かれている物語と、人から人へと渡る本そのものに。
鎌倉って、子どもの頃に1回行ったきり。暑い日ざしの記憶しかないや。
景色はわからないけど、本の中には穏やかで静かな空気が流れていて、苦いものもひっそりと沈殿していく。
暴かれる謎もあれば、そのままにされる秘密もあって、そんな品のよさが好ましい。

学生時代は古書店も図書館もよく利用したけれども、今の町に住むようになってからは新刊を買う贅沢をしている。
真新しい本の、指先が切れそうな紙の手触りや、真新しいインクの匂いが好き。
真っ先にその本を読む喜びは、新雪に足跡をつけたり、ホールケーキに最初に切り分けるような楽しみがあると思う。
だけど、確かに、受け継がれていく本の物語も、面白いと思う。もりみーの『夜は短し歩けよ乙女』の古本市のくだりを思い出した。
本と本の間にも、繋がりがあって、物語がある。

登場人物たちも魅力的だった。この先の大輔と栞子さんのじれったくなりそうな展開も楽しみ。
この2人はうまく仲直りできてよかった。信頼を裏切ったときの後味の悪さは、思い出すたび苦いから。
次の文章のような関係になれると、どんなにいいことだろう。

なにかの役に立つといふことを抜きにして、僕達がお互ひに必要とし合ふ間柄になれたら、どんなにいゝことだらう(p.154)

この引用文に惹かれて、小山清『落葉拾ひ』を探してみたら、密林書店で古書15000円……。
そちらは買うのは見送ったけれど2巻目は購入した。

災害とトラウマ

「こころのケアセンター」編 1999 みすず書房

1997年に神戸開かれた国際シンポジウムをもとに編まれた論文集。
阪神・淡路大震災のみならず、地下鉄サリン事件も踏まえた内容になっている。

岩井圭司「被災地のその後:阪神・淡路大震災の33ヶ月」
阪神・淡路大震災後、兵庫県精神保健協会によって設立された、こころのケアセンターの活動を紹介する。
相談ケースは女性のほうが多く、年代別には60歳がピーク。男性ではアルコール関連問題が女性より目立ち、女性では不安・対人関係・睡眠障害が男性より高率。また、家屋喪失例では睡眠障害、人的喪失例では抑うつ感を訴える者が有意に多い。

ロバート・パイヌース「子どもと災害:長期的帰結と介入についての発達論的観点」
これは読む価値がある。限られた時間のために、非常にコンパクトに、要点のみにまとめられている。
子どもがPTSDが、親のストレスと正の相関があることや、持続性の睡眠障害が注意欠陥をもたらしたり学習を障害しやすいことや、外傷体験のリマインダーがあることなど。年齢に応じての違いも含めて説明されている。
データのもとになっているのは、アルメニア地震、ノースリッジ地震、ボスニア=ヘルツェゴビナなど。
ちなみに、最初に書かれたポンペイのエピソードは、本村凌二『古代ポンペイの日常生活』により詳しく紹介されている。

中野幹三「地下鉄サリン事件:被害者の孤独と外傷後ストレス障害」
地下鉄サリン事件の被害者でPTSDの45例のうち、症例を紹介しつつ、当初は身体症状が精神症状をマスクしていること、サリンの毒性よりもサリンを吸ったという意味によって傷ついていることなどを指摘。
また、被害者の孤独感、孤立無援感は、改めて胸が痛い。気持ちの決着をつけることの難しさを考えさせられる。

アレキサンダー・マクファーレン「自然災害の長期的転帰」
多くのPTSD患者が、災害から2年間は受診しないという。
「多くの人は、実際起こったことの恐ろしさは無視し、そして忘れようとしてしまう」(pp.88-89)が、実際にPTSDになっている人もまた回避の症状があるがゆえに思い出さされることを回避しようとして、治療もまた回避することを指摘している。
うん。その通りだ。
長期的なフォローアップが必要であること。それから、これだけで治るような単純明快な治療方法はないということ。

小西聖子「犯罪被害者のトラウマへの対応」
国内での犯罪被害医者相談の第一人者。調査報告、対応の指針、事例を紹介。調査では、女子大生よりも、より高い年齢層のほうが、レイプの被害が高い率を示す。
トラウマワークに拘泥することなく、被害者とその家族ら関係者に対する心理教育の重要性を訴え、「全体としてセルフ・コントロールの感覚の獲得、あるいはセルフ・エスティームの再建」(p.122)を精神的援助の目的とする。また、被害者自身の社会的な行動のための援助をするところが、犯罪被害支援ならではの要素である。
セルフ・コントロールとセルフ・エスティーム。どちらも、私がほしい。

ジュディス・ハーマン「トラウマ、家族、コミュニティー」
この人の本を読んでおきたいのだが、高い……。
レイプからの回復について、ポジティブな要因は、行動的な対処の戦略、連携的な対処の仕方、成熟した防衛(利他主義とユーモア)、ネガティブな要因は、社会からの孤立、経済的なストレス、過去のメンタルヘルス上の問題があると整理。

加藤 寛「『こころのケア』の4年間:残されている問題」
阪神・淡路大震災から4年後の時点での知見は、今後数年間の東日本の支援の目安になるのだろう。
たとえば、仮設住宅に住む人がPTSDハイリスク群であり、「彼らは被災状況の大きさもさることながら、過酷な生活環境に長期に置かれ、さらに生活再建の最も遅れた人たちであり、その重積した影響がPTSD症状の遷延に結びついていた」(p.159)とある。
また、震災直後に活動していた消防隊員の体験を語る言葉は、重い。救援者が味わう非常事態ストレスについて紹介している。自らも被災者となった消防隊員は、IESでも高得点を示しやすかったそうだ。支援者支援は重要な課題である。

中井久夫「災害と日本人」
「身体の傷は八ヶ月すれば瘢痕形成がいちおう完成するが、心の傷は四〇年経っても血を流す」(p.177)
今年はこの人の文章を中心に読んだので、内容には重複することもあるのだけれども、何度読んでも歴史から学ぶことのリアリティを思い知らされる感がある。

2011.12.16

私の男

桜庭一樹 2007 文藝春秋

東京都足立区。
玄関から入ってすぐに台所、リビングと、奥に寝室。
マンションの一室。
そこに、2人は住んでいた。

骨になっても離れないと思っていたはずなのに、どうして逃げてしまったのだろう。
忘れるなと言ったくせに、どうしてどこかに消えてしまうことができるのだろう。
父親のように、母親のように、息子のように、娘のように、兄のように、姉のように、弟のように、妹のように。
あんなに愛し合ったはずなのに、なぜ。
実ることなく、花は腐る。あっという間に朽ちる。

桜庭は親子として、罪人として、幾重にも結びついていた2人を、あっさりと絶つ。
その別れの章から始まり、2人の歴史を遡るように、物語は進んでいく。
人は誰かの面影を探して恋をする。紫の上に、藤壺を、ひいては、桐壺を見出した光源氏のように。

93年のキタといえば、奥尻島だ。途中で、気付いた。
私が体験した、最初の大きな地震。それが奥尻島だったと思っていたが、記憶と日付があわないことに気づいた。
東京に住んでいて、入浴中だったのだ、船が揺れるように、大きくゆったりとした波がしばらく続いた。自分が海に浮かんでいるような気分になった。
風呂から上がり、テレビをつけたら、地震速報が流れていた。あれはいつのどこの地震だっただろう。
ともかく、そこから始まる物語。

そして、もしかしたら、連鎖していく物語。
腐野花は、鎖の花。
結婚して、苗字が変わって、鎖がとかれた。
だから、淳悟はいなくなった。

そういう意味でも、違う意味でも、手に取る時期に意味があった。
大震災のあった今年、恋人と別れたその日に、積読本の中からこの本に呼ばれた。
どうやら、感覚が戻ったらしい。声なき声が聞こえるように。戻ってきた感じがする。
章を読み終えるたびに、号泣して、本を閉じて、一晩経って、続きを読んで。
そんな読み方をするから、時間がかかった。

きれいな男の人だった。手を繋いで歩きながら、何度も見惚れた。
目鼻立ちの整った、綺麗な顔立ち。
綺麗な目をしていた。くっきりと二重の杏仁型。
惹きつけられてやまないような色気があった。仕草にも、姿にも。
煙草を吸うから、話すとき、ふっくらと形のよい唇が少し歪んだ。
ラッキーストライクのメンソール。
煙草を吸うときは自分ひとりの世界に入るみたいだった。
肌に煙草の味がしみついていた。指輪にまで煙草のにおいが。
台所に立つ後姿がすらりとしてしなやか。背の高い人。
笑うと愛嬌があって、人好きがする。ちょっぴりいたずら好きで。
如才なく立ち回り、人の中に溶け込むことができて。
楽しませるのが上手な人で、仲間や友達にも愛されていて。
やわらかな響きの声。笑いの混じる声。怒りに震える声。かすれる吐息。
口をつぐむと寂しさや悲しさが背後に闇のようにわだかまっていた。
置いて行かれた子どものように心細そうな目をする人だった。
繊細で情の篤い、愛情深い。濃やかで、細やかで。
誰よりも誰よりも優しい人。
私の男。
その名を舌の上で転がす。
生まれた土地から動かなかった人。その根を引き抜いてはいけない。

せめて。
……その先は言うまい。

2011.12.14

流れ行く者:守り人短編集

上橋菜穂子 2011 軽装版偕成社ポッシュ

バルサとタンダに再び会えるのは嬉しい。
これまで軽装版で集めてきたので、この短編集も軽装版で。
「浮き籾」「ラフラ<賭事師>」「流れ行く者」「寒のふるまい」の4編。
バルサはまだジグロと流れ歩く生活をしている子どもで、タンダも家族とともに住んでいる。
あれ。バルサよりタンダのほうが年下なんだ。

しかし、著者によるあとがきと、山本充の解説を読むと、この本はジグロら大人の物語である。

里に根づき、子どもや孫にかこまれて一生を終えるという人生から外れてしまった人びと――流れ行く者たち――の人生の行く末……。(p.281)

「浮き籾」の髭のおんちゃん、「ラフラ」の賭事師の老女、「流れ行く者」のジグロや他の護衛士たち。
それぞれの人生の耐えられないほどの軽さ、という、重たさ。
若い世代がそのとき気づかずとも、受け継がれていく教えのようなもの。
とても短いものであるが、「寒のふるまい」の子ども達の再会の喜びが、読後の余韻をさわやかにしめくくってくれた。

個人的には、「ラフラ」が好きかな。
プロである女性の矜持がかっこよい。秘めた思いも感じる、まさに大人の物語。

2011.12.12

まえぶれもなく

川上見映子 2011 imago9月臨時増刊号

詩を読んで泣いたのは、いつ以来だろう。
今の自分が抱えている喪失感を、大震災の被害と重ね合わせるのは不遜だと思う。
それでも、失った悲しみが、響いて仕方ない。
わんわんと声を上げて泣きたくなった。
この詩が、どうか後まで残りますように。
別れたことを確かめられない別れを、これほどまざまざと描く詩は、初めてだったから。

落ち込みの日々継続中。
このimagoは「東日本大震災と<こころ>のゆくえ」と題されている。
ゆっくりじっくり読んで行こうと思っている。

会いたい。会いたい。会いたい。
声を聞きたい。生きているって確かめたい。あなたが確かにいたのだと。
何がどうはっきりしたらあなたを失ったということになるのだろう。
あきらめきれない心が、何度も何度も何度もひとつの名前を呼ぶの。
あともう少し、ほんの少し、なんで踏みとどまらなかったのか。
まだ少し、ほんの少しでも、どこかに希望が残されていないか。
届かない。薄れる。消えていく。忘れられる。その前に。
会いたい。会いたい。会いたい。

ぼくの歌が君に届きますように

天野純希・大島真寿美・風野 潮・川島 誠・小路幸也・丁田政二郎 2009 ポプラ社

ジミヘンは人気だなぁ。
「パープル・ヘイズ」が選ばれたのは、期せずしてなのだろうか。
いまどきの中高生は知っているのかな。知るわけ……ないよね?
でも、ここから興味を持つ人がいると、嬉しいなぁ。

「青春音楽小説アンソロジー」と銘打たれており、6つの短編が集められている。
うち、ロックが3つ、吹奏楽部、歌が1つずつ。そして、中世が1つ。

小路幸也「Peacemaker:1974年の赤星祭」
タイトル通り、フォークとロックが対立していた1974年、ある中学の文化祭の物語。
そもそも文化部と運動部が対立している中で、放送部に入った主人公達二人が頑張る。
いろんな事件の名前が出てくるが、詳細は不明で残念。
この年にデビューして今も活動している某バンドを思い出して、にやにやした。

天野純希「ティーンエイジ・ライオット」
この作者が目当てで、この本を買った。
主人公達は大学生。今度のステージは、新歓ライブ。新入部員獲得のミッション。
期待通りの展開ですっきり。ロックはポップでキャッチーにならないものなのだ。
ストラト、テレキャス、サイクロン♪ 作者は本当にロックが好きなんだろうなぁ。

風野 潮「晴れた空に、ブラスが響く」
他作品(『モデラートで行こう♪』)のスピンオフ作品。
高校生の吹奏楽部。卒業した先輩にそっくりな新入生を見ては、先輩を思い出して切なくなる主人公。
メールよりも電話、電話よりも会いたくなる。遠距離は切ないもんです。この2人はうまくいくといいな。

丁田政二郎「ド派手なけりゃロックじゃない」
これも、ロック。高校生3人のバンドが、ライブハウスで演奏していたのがばれた。
その彼らが知り合った高齢者がただものではない。この物語もわくわくした。
68年のストラトっていくらぐらいなんだろー。

川島 誠「カモメたちの歌」
死んだ母親を想起する、静かで淡々とした物語。
カモメの飛び交う海辺の公園の景色は、どうしても思い浮かぶのは横浜しかなくて。
違うのかもしれないけれども、目に浮かぶ景色は、あの日のあの場所しかなくて。
物語の色調と重なって、切なくなった。今の季節にふさわしかった。

大島真寿美「ピエタ」
ヴィヴァルディといえば、「四季」が真っ先に思い浮かぶ。
ヴェネツィアのピエタ慈善院を舞台に、若き日にヴィヴァルディに師事した孤児であり、尼僧となった女性二人の物語。
美しい旋律と景色、静かな熱意と歴史。音楽の底力は、数百年を超えて生きること。

現在、読書と仕事が安定剤代わり。

2011.12.11

「夫婦」という幻想:なぜ、結局いがみあってしまうのか

斎藤 学 2009 祥伝社新書

熟年離婚は他人事ではないんですよ、と、ある一定年齢以上の男性を啓蒙する書。
なぜうまくいかなくなるのか。どうやったらうまくいくのか。
平易な文章で、著者自身の夫婦の歴史も振り返りつつ、自戒もこめて語られる。
読みやすいし、わかりやすい。かなり、シンプルにまとめられている。
子どもの問題は、多くの場合は両親の夫婦の問題を反映していることなど、臨床的な知見も多い。
読んでみて、「うちの両親、よくがんばっているなぁ」と思った。

おひとりさまで女性がしやすくなったと指摘がある。
10年前、20年前に比べれば、そうだろう。
でも、私も、「人はひとりで生きていけるほど強くない」(p.209)ことを感じている。
かといって、そう簡単に寄り添いたい人と出会うことはない。
もうちょっとなんとかできなかったものか……と思うと、また、落ち込んだ。

2011.12.10

ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ

松浦理英子・江國香織・角田光代・町田康・金原ひとみ・島田雅彦・日和聡子・桐野夏生・小池昌代 2008 新潮社

私の心はちっぽけだから、心に抱く男性は一人で十分。(p.44)

好きで。
好きで好きで、たまらなくて。
ほかのことなど、どうでもよくて。
でも、この恋はどこか不毛だ。
光源氏の恋も、光源氏に恋する恋も。

源氏物語から千年を記念して出された本だ。
積み続けて3年。今年度内になるべく積読本を減らして、手離してしまおうと思い、ようやく読み始めた。
テレビも見ない、ゲームもしない、ネットもしないとなると、意外と本を読めるもんだと驚くこの頃。

原作に忠実に気品のある世界を再現しているのは、松浦理英子「帚木」や島田雅彦「須磨」、日和聡子「蛍」だ。それぞれの書き手の言葉選びの巧みさや気配り、文体の美しさを読み比べることができる。
松浦さんの文章は正統派で隙がなく、原作そのままの雰囲気。島田さんの文章は品格があって、とても美しかった。どちらも忠実な訳を読んだ心地で、違和感がなく、しかも読みやすい。

日和さんの「蛍」には、物語とはどのようなものかと源氏が語る場面があり、その台詞は作家であれば格段の思いをこめずにいられないだろうと思われた。物語とは「見るにも見飽きず、聞くにも聞き捨てにできないようなこと(中略)を、心ひとつにおさめがたくて」(p.215)書かれるようになったという。
この「心ひとつにおさめがたくて」の感覚があるからこそ、自分もこうして物語ではないけれども、書き散らかさずにいられないのだと思う。

江國香織「夕顔」は、微妙。カタカナで現代にしかない単語を交えると、そこだけ浮いて見えた。現代的といえば現代的なんだが、私は違和感があるから惜しい気がする。それさえなければ、この夕顔は愛らしくて無垢、かなり魅力的だった。

桐野夏生「柏木」も、光源氏が死んだ後に女三宮が語る形を取る。女三宮は、源氏から「何度も叱られ、貶され、しているうちに、自信のない縮こまった魂の持ち主になったような気がしてならなかった」(p.137)。そんな源氏に対する反抗心から踏み切った柏木との思い出を語るのだ。この解釈は、すんなりと読みやすくてよかった。

現代に移したり、設定を大きく変えて描いているのが、角田光代「若紫」や金原ひとみ「葵」、小池昌代「浮舟」。
このアンソロジーは、これぐらい手を加えてあるものを集めてあるのだと思っていたが、意外に少なかった。
原作がどんな風に変化するのか、解釈されるのか、予想もつかない面白みがある。その期待を満足させてくれたのが、角田さんの「若紫」だった。
金原さんの「葵」は、六条が希薄になってしまって残念。
「浮舟」は中山可穂が『弱法師』で書いたものが一番好きだが、小池さんの解釈もわりと好きかも。人がひとつの面影を探し続けるなら、恋はひたすらに幻を追い求める行為に過ぎないという。なかなか切ない。

苦手なのは、町田康「末摘花」の源氏。これじゃあ、単にイタイ人……。言い回しが面白いといえば面白いけれども、源氏じゃないぃぃぃ。
でも、中年以降のぐだぐだ感たっぷりの源氏をこのノリで読んでみたいかも。玉鬘や女三宮に回し蹴られてりゃいいんだ。

六条御息所は人気が無いのかなぁ。
源氏物語のなかの数いるヒロインの中で、キャリアも体裁も外聞もプライドもかなぐり捨てて、年下の男性に入れ込んで自爆していく六条が、実は一番好きだったりする。
好きというか、自分を投影させやすいというか、親近感を持つというか。
好きな人に触れるほかのすべての女性を妬んで憎んで恨んでも、どうしても光源氏は嫌いになれない。
これじゃあ相手の気持ちを失うだけだとわかっていても止められない暴走っぷりが切なくて愛しい。
あ。もう少し可愛げあるヒロインを好きになれたら、私はもっと楽だったんじゃないかと、ふと、思い当たった。

インスー・キム・バーグのブリーフ・コーチング入門

インスー・キム・バーグ ピーター・ザボ 長谷川啓三(監訳) 2007 創元社

人の心は、パンドラの箱のようなもの。
無意識の中には、醜い=見難いものが詰め込まれている。
その奥底にある希望をすくいあげる質問が、ミラクル・クエスチョンだ。
自分の心の向かう方向を確かめたい時、私自身にも尋ねるようにしている。
この奇跡は、人から押し付けられるものではない。自分の心が願うもの。
もしも奇跡が起きるとしたら。

このテクニックをインスー・キム・バーグが生み出した瞬間が、本書のp.48に描かれている。
邦題にはソリューションもしくは解決という言葉は遣われていないが、解決志向アプローチを、幅広い場面で活用するためのテキストである。
よく整理されているのでソリューションの初学者にもオススメだ。福祉や産業、教育、様々な場面で使い勝手がいいと思う。

事例をまじえながら、数多くのスキルやテクニックが紹介されている。一つ一つは、当り前に見えるぐらいささやかで、簡単そうに見えるかもしれない。
それを、あくまでも、解決に向けて、具体的で予測可能で実現可能なゴールに向けて、クライアントを信頼し続けて遣い続けるところが大事で、時々結構難しい。
本で読む通りにいくかどうかは別にして、久しぶりにブリーフの本を手にとって、馴染んだものと再会するような嬉しさを感じた。

100%いいこともなければ、100%悪いこともない。
100%いい人もいなければ、100%悪い人もいないように。
どんなに行き詰っているように感じても、丹念に探せば例外があり、そこが解決の糸口になるはず。
危険性よりも可能性を。人生は絶えず変化していて、もとのままに留まることはないのだから。
謙虚さと好奇心を、左右の手に握り締めるのを忘れないようにしておきたい。

2011.12.08

小説を書く猫

中山可穂 2011 祥伝社

中山さん初のエッセイ集。
この著者で、このタイトルで、この表紙。もちろん、買う。
中山さんは、御自身を「人間よりは猫に近い生き物だと思っている」(p.191)のだそうだ。
そんなところも好きだなぁ、と思う。

この人の恋愛小説が好きだ。
この人の描く恋愛も、旅も、どちらにも惹きつけられる。
もちろん見知らぬ人ではあるけれども、先輩のように、姉のように、励ましや温もりを感じさせる作家だ。
その人が「不安や虚無と闘い続けるのが人生なのだ」(p.117)と言い切れば、ああそうなのか、と、すとんと腑に落ちる。
とても美しい言葉を紡ぐ人なので、生き方や考え方を知らず、倣いたくなる。

「この世界には好きになってはいけないひとが多すぎる」というタイトルからぐっとくる。
エッセイ集の冒頭の二つは、『感情教育』を上梓した後の著者の失恋の大きさが痛い。
なくしたものを語る痛みが、だけど、その頃の著者に近い年齢の自分に、たまらなく心強かった。
恋に死にそうになっても殉じることなく、こうして生きながらえている。

人生の先輩は最近になって、遠距離引越しも孤独死・突然死も怖くない心構えで身辺整理をされたらしい。
「真の自由は、不安と孤独とひきかえでなければ得ることはできない」(p.170)とのこと。
10年後には、そんな風に思えるのだろうか。やはり日々修行だろうか。
その前に、この人の小説を、新作を、また読みたいな、と思って閉じた。

もしも私が猫であったなら。
愛しい人の傍らを温めることができただろう。
彼は猫がほしいわけではないと言ったけど、私に言葉がなければ。
愛は言葉でなくとも伝えられるが、愛を傷つけるのは言葉だから。
それでも、懲りずに、私は言葉を紡いでいる。涙の代わりに。

 ***

『感情教育』を読み直したいが、貸したまま返してもらっていない。絶版になっているとは。

2011.12.06

「彼女たち」の連合赤軍:サブカルチャーと戦後民主主義

大塚英志 2001 角川文庫

彼女が欲しているのは、外見ではなく彼女の内なる「心や魂」を肯定してくれる男性である。こういった、王子様による内面の全肯定で主人公の少女が自己実現してしまうのは、(中略)少女まんがの基本構造だ(p.54)

確かに、私は少女まんがで育った。そうすると、こうなるか。
自分の願望やら、ルーツやら、を言い当てられる気恥ずかしさ。
と言っても、この本は少女まんがの分析がメインではなくて、その心性を連合赤軍の女性に見るというもの。
同列に、あるいは、対比に、上野千鶴子らフェミニズムや、かつてのオウムの女性達が取り上げられる。

おばさんだが、連合赤軍をリアルタイムで知る世代ではない。
そのあたり、ウィキペディアを片手で調べながら読んだ。
読んでいるうちに、だんだん腹が立ってきた。むかむかした。
この革命を掲げる男性たち、自分がやったことを、女の所為にするなーっ。
女だから、ということで、片付けられることに腹が立つ。

女性性や母性をどのように受け入れるか、折り合いをつけるか、長年の課題だった。
私は、フェミニズムが運動ではなくアカデミズムの俎上に乗るようになった時代に学生を過ごした。
性など振り捨ててしまいたい時期もあった。自らとの付き合いは、ゆっくりゆっくり手探りするしかなかった。
特に女性性については、恋人の存在が大きい。彼がずいぶん助けてくれたと思う。心から感謝しているところだ。
その点、やっぱり、冒頭の引用に戻るのだ。

この本を出版されていた当時、単行本の出た96年に読んでいたらどうだったか。
自分自身の意識の流れと結びつけて受け止められるほど、私は内省できなかったかもしれない。
どうだろうか。「『内面』を自動化していくことで、『内省』を困難とする」(p.232)という表現が出てくるが、今の私のほうが「思われる」「思わせられる」といった無責任な表現を身に着けた。
法的な責任を免れる言語用法があまりにも浸透しすぎて、私的な会話ができなくなるほどに。そんな私が内省などできるのか。

だが、少なくとも、現在、読んだからこそ、この本が斎藤環『母は娘の人生を支配する:なぜ「母殺し」は難しいのか』に繋がることがわかる。
両者を繋ぐ萩尾望都『イグアナの娘』は、あんまり印象に残ってないが、石女の私が残した、手の届かない領域だからしょうがない。

2011.12.05

たった一人の老い支度:実践編

岡田信子 2002 新潮文庫

落ち込むなら、徹底的に。
自虐をこめて、こんな本を読んでみた。

上野千鶴子『おひとりさまの老後』に比べれば、私の実情に近い……かな?
単行本の初版が1998年。それから実に10年以上が経ち、本書と現状がそぐわないこともあろう。
また、初版当時であれば、著者に若者に入れてもらえるぐらいの年齢差はあると思うので、世代間の事情の差もある。
なにより、著者は離婚後のおひとりさま生活であるので、ここに挙げられている「一人のよさ」を私が実感しづらい点で、やさぐれた。

というわけで、そのまま丸ごと参考にすればいいってわけではないが、スピリットは倣いたいものだ。
貯蓄、がんばろー。孤独死は決まっているようなものやもの。

ヴァージン・ビューティ

斎藤綾子 1996 新潮社

赤裸々で身も蓋もない。
露悪的なまでに。

さばさばとした口調が好きだった。
女性のためのエロと言えば思い出す作家である。
部屋を片付けていて見つけた本を読み直してみた。

こんなに味気なかったっけ。
ストーリーとして、なにか足りない。
短編集であるが、セックスの描写だけを寄せ集めたような、落ち着きの悪さがある。
男性達の人格なんてどうでもいいように性行為だけを求める女性達は、彼女達もまた空虚である。
身体ばかりが気持ちよくて、心は何も満たされない。繋がらない。
空々しいような、白々しいような、虚しさが残る。どっと疲れる。

その後に読んだ大塚英志の言葉を借りるならば、肉体を無頓着なまでに解放した形での自己実現か。これが。
虚しさを孕みながらも、それでも、私は自嘲しながらシンパシーを持つ。
こんな心は、あなたにはわかるまい、と。男達にはわかるまい、と。
こんな、自分の中の不自由さを見抜かれると。取り残された、わずかばかりの心に。

体を誰かに所有していて欲しかった。男たちの視線に、過剰に反応してしまう自分が怖かったからだ。快楽を得るためではなく、私の体に刷り込まれた男に対する従順さに、収拾をつけるために。それには、特定の相手が必要だった。(p.15)

シンパシーは感じたとしても、愛はこのような矮小な気持ちではなかった。
この上もなく、豊かな喜びであった。無くしたものを、惜しんでも悔やんでもどうしようもないのであるが。
この本は処分の予定。自虐的な気分に浸るだけのような気がするから。
部屋の片付けは続けようと思う。せっかくだからね。

2011.12.01

「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本

トーマ・ダンサンブール 高野 優・野沢真理子(訳) 2004 紀伊国屋書店

本棚を片付けていたら、未読の本を見つけた。
こんな本、もっと早く思い出せばいいのに。
かつてない必要性を感じて読み始めた。
こんな本、もっと早く読んでいたらよかった。
こんな風にできたらいいな。こんな風になったらいいな。

いい人になろうとして、素直になれない人に、真っ先に勧める本だ。
「自分のことを考えたら、人のために何かをすることはできない」か、「人の気持ちを思いやるためには、自分のことは忘れなくてはいけない」という二元論に、人は陥りがちだと、著者は指摘する。
自分もまたそういう二元論にはまりこみ、満足に発信も受信もできなくなっている状態であり、すがるように読み進めた。
何度も指摘されてきたことがそのまま書かれていると恥ずかしくもなったし、10年前にあれだけアサーションを勉強したのにすっかり実践できなくなっていたことも情けなくなった。

英米で発達したアサーションがどちらかと言えばコミュニケーションの発信の部分に重点を置きがちであるのに対し、フランスで書かれたこの本は、カップルの事例も多く、発信と受信の双方向に目配りの聞いた内容になっている。

骨子としては、観察、感情、欲求、要求の4つの要素から、コミュニケーションを暴力的ではない方法でやっていけるように組み立てていく。
事実を解釈したり評価を加えたりせずにありのままを観察し、自分の感情を解釈を加えたり相手を支配しないように言葉にし、その背後にある欲求(奥底にある願望)を理解し、その欲求を満たすために具体的で現実的で建設的で実現可能性があって話し合う可能性がある要求を相手に投げかける。

相手のコミュニケーションを受信するためには、相手と自分を信頼し、共感していくが、そのときにも相手を観察し、その感情と共感を見極め、要求を聞く、という同じステップを踏む。
そして、相手の要求を自分の感情や欲求とつき合わせて、自分自身を切り捨てないようにしながら、新たな要求をしたり、自分達の意見が一致するようにステップを踏む。
そのプロセスを、著者はダンスにたとえる。美しいダンスに。

自分は自分の心の井戸に降りれているだろうか。
最初は自分の感情や欲求が希薄にしか感じられず、焦った。
ありのままでいたつもりが、自分がありのままでいられていないこともわかってきた。
なんでこんなに自由が怖いんだろう。自由になりたいくせに。
間違ったやり方を押し通してきて、自分が磨り減っているのはわかる。
このままでやり続けようとしてもうまくいかないのもわかる。
ああ言えば、こう伝えればよかったというのがわかってきて、そうできていないことが悔やまれたり、今からでも間に合うならば伝えたくなる。
今からでも間に合うならば、聞かせて欲しい。本当の意味で出会いたい。時間をかけて。

共感が難しい人を相手にするときや、怒りの対処については、心から参考になった。反省もしている。
事例も多く、練習問題もあり、ゆっくり何度も具体的に、自分自身の問題と向き合ったり、自分にとっての問題場面をどうやって表現すればよかったか、考えることもできる。
いつかいつでも引越せるようにと思って始めた片付けだけど、この本は手元に置いておこう。
自分に馴染ませたいから、もう一度最初から読み直す。
パートナーと一緒に読むことができたら、かなり素敵だと思う。

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