漂流するピアノ
近藤史恵 2011 Story Power(小説新潮10月号別冊)
東日本大震災のニュースで喚起された阪神淡路大震災の記憶。
知人にも両方を経験した人がいるが、いつの間にか語られなくなった被災の記憶は、だけど、忘れられたわけではない。
フィリップ・フォレストの『さりながら』を思い出す感触の小説だった。
記憶は不思議だ。
普段は忘れていても、なにかきっかけがあれば、まざまざと蘇ってくることがある。
映像だけではない。音も、匂いも、温度も、明度も、感触も、そのときの激しい情動もそのままで、蘇ってくることがある。
主人公のその日の記憶がなまなましい筆致で描かれる。16年前の、記憶のフラッシュバック。
テレビで観るのと、実際に体験することの違いを知りながら、主人公は東日本大震災のニュースから離れられない。
触れると傷つくのがわかっていて、そこに傷があるのがわかっていて、それでもそこに触れずにはいられない。
「起こったことの欠片だけでも集めて、自分の中に引き寄せなければいけない気がした」という一文に、その日の私の気持ちを代弁してもらった気がする。
距離と傍観の罪悪感とともに。
![]() |
ストーリーパワー(Story Power) 2011年 10月号 [雑誌] 販売元:新潮社 |
« わがんね新聞 | トップページ | ヒア・カムズ・ザ・サン paralle »
「小説(日本)」カテゴリの記事
- 不思議カフェ NEKOMIMI(2023.05.01)
- あなたは、誰かの大切な人(2022.07.19)
- 風の港(2022.07.15)
- 桜風堂夢ものがたり(2022.03.12)
- 相棒(2021.08.03)
「雑誌」カテゴリの記事
- 蟋蟀(2011.11.14)
- ヒア・カムズ・ザ・サン paralle(2011.11.14)
- 漂流するピアノ(2011.11.13)
- わがんね新聞(2011.11.13)
- つなみ:被災地のこども80人の作文集(2011.10.23)
コメント