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2011.11.24

幻滅論

幻滅論 北山 修 2001 みすず書房

お話にならない。そのことを、どう扱っていけばいいのだろう。
言語は第三者に「わかること」を当然とするが、第二者に「通じること」を私は希求している。
私はお話にならないことを大事に抱えて欲しいのだ、と、この本を読みながら振り返った。
思いがけず、最近の私のつまずきを違う視点から見ることになる。そこが、言葉にすることを通じてお話にならないことを俎上にあげようとする精神分析ならでは、という、気がする。

北山は、本書の中で二者間内交流と二者間外交流が、「ともに眺めること」を通じて同時に行われていることを、浮世絵の中の母子像を例に引きつつ、述べていく。
このような交流が言語の獲得以前の交流としてあることから始まり、愛は上から下へ与えるものであり、甘えは下から上へ求めるものであることと定義されがちであることなど、論は縦横に展開していく。

母子関係の比較的無条件な一体化は、つながっていない、通じていないという幻滅を経る。その幻滅には、エディプス的な父親の登場による幻滅、理想化された母親とは矛盾する母親に出会う幻滅、母親の不在という幻滅が挙げられる。自分をなす土台としての環境が崩れるという幻滅に、死という幻滅が加わる。

幻滅があって初めて、自分を愛してくれているものを同時に自分が傷つけていたことを人は知り、ゆっくりと自分の矛盾や「すまなさ」を噛み締めることができれば、ただ立ち去ろうとする自虐的世話役に対する恩や感謝や償いへと発展する経路が生まれる。

何度も「夕鶴」が例にして語られる。
私は長いこと自分が夕鶴の立場でいるつもりで、その場に踏みとどまるという選択肢に惹きつけられたが、今はむしろ、与ひょうの立場にいるのだと思う。
与ひょうはどうすればつうを引き止められるのか。どうすれば、安心して傷の手当てをさせてもらえるのだろう。織物など織らずともいいのに。そばにいるだけでいい。いや、織りたいときに織ってもいいのだ。この恩を。どうすれば。

治療関係でいちばん大事なのは、ただ現象を解釈し説明することではない。たとえ反復とはいえ、幻滅の相手役としてその受け皿になるという過程で、治療者は原則として「幻滅させる者」という苦痛な役割を果たさねばならない。(p.121)

たよりをまちながら。

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