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香桑の近況

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2011年9月

2011.09.30

古代ポンペイの日常生活

古代ポンペイの日常生活 (講談社学術文庫)  本村凌二 2010 講談社学術文庫

ポンペイ。
私の憧れの古代都市のひとつである。
その壁面には数多くの落書きや広告が残されているという。
それらの文字資料から、ポンペイの日常生活を浮かび上がらせるという面白い本だ。
表紙は、鮮やかな赤を背景にした、ポンペイの壁画だ。この赤い壁画こそ、ポンペイらしいと私は思う。
マンガ『テルマエ・ロマエ』の作者ヤマザキマリの推薦帯がついているところに惹かれたわけではない。
もともとポンペイが好きなんだよ~と主張しつつ、でも、ルシウスにも目を引かれたのも認めておく。

さて、分類するなら専門書になるのかもしれないが、非常に読みやすくて、飽きることなく最後まで楽しめた。
選挙のポスターからポンペイの行政制度の説明になり、そこから名望家たるものの役割に通じて、民衆の愛する見世物の話になる。
民衆の残した落書きらしい落書きになると、一層、生々しく、そこに生きた人々の情愛が感じられる。
彼らは、幸せを願い、時には酔っ払い、愛を語り、かなり赤裸々に語り、文学を学んでいた。
そして、識字率の検討する。再び研究としての厳密さを感じさせられる記述である。

カエサルの「来た、見た、勝った」の名台詞のパロディの落書きには、思わず噴き出して大笑いさえしてしまった。赤裸々すぎて引用は差し控えるが。
時代と地域と文化が違えば笑いが異なるものであるが、古代のポンペイの人々に知らず共感するような、著者の解説が見事である。
書かれた場所や文脈を考慮し、いくらか想像を膨らませる。その解説を読まないことには、落書きというのは、やっぱり理解が難しい。
著者の解釈が正確であるかどうかは書き手しかわからぬことであるが、ポンペイを見つめる目線の暖かさが感じられて、古代の見知らぬ人々の生活に微笑ましく思いを馳せることができるのだ。

とりわけ、幸せを祈り、愛を語る落書きに魅力を感じた。
詩人の言葉美しく、箴言のように響くものがある。

Nunc est ira recens, nunc est discedere tempus.
Si dolor afuerit, crede, redibit amor
「今こそ怒りは新しく、今こそ別れの時だ。
 苦しみが過ぎ去れば、信じなさい、愛が戻ってくる」(p.254)

どこか素朴で、おおらかな息吹を感じるうちに、元気づけられたような気がする。

「ここに幸福が住んでいる」(p.158)

ポンペイの人がいかに死んだのではなく、いかに生きたのかを紹介しよう。
そんな企画展示の折、大学時代の恩師のひとりの講義を受けることができた。
もちろん、その教授は大昔の学生を憶えていたわけではないが、考古学は火砕流の悲劇を知っていたにもかかわらず、島原には活かすことができなかったと悔やまれていたことが印象深い。
考古学は現在から未来に活かすことのできる知見であるのだと、改めて認識させられた一言であり、研究者の真摯に撃たれた一言であった。
私が師事した方たちは既に高齢であり、鬼籍に入った方もいる。
時の流れを止めることはできないが、私に与えられた知識を私は何かに活かすことができるのだろうか。誰かに伝えることができるのだろうか。
祈りを込めつつ、今日もこうして、私なりにグラフィティを書き記す。

2011.09.24

ガーデン・ロスト

ガーデン・ロスト (メディアワークス文庫)  紅玉いづき 2010 メディアワークス文庫

この頃を描いた小説に弱い。
自分はとっくに通り過ぎてしまった日々。
なのに、まだ、心のどこかが疼いてしまう。
自分の中に幼稚さがまだ残っていて、反応する。
あの頃は、その幼稚さが許された。

4人の少女だけで成り立つ放送部。
それぞれの少女は、外見も個性も抱える問題も違う。
誰かに優しくしなければ誰にも愛されないと思い込むエカ。
愛玩用になりたいだけなのに食用にされることを受け入れているマル。
女性らしくない自分の容姿にひそかに引け目を持つオズ。
勉強ができなければ不幸であると母親の期待に応えようとするシバ。
誰もが、ただ、愛されたいだけなのに。

それぞれ違うのに、どの少女達にも自分を重ね合わせたくなる魅力がある。
おそらく、少女だったことのある人なら誰でも、どこかに自分を見出すのではないだろうか。
思い出せば気恥ずかしくてなるけれども、それはそれで愛しくないわけではない。
今よりも幼くて、今よりもつたなくて、今よりもひたむきで、今よりも敏感で、今よりも不安定で、今よりも狭量で。
今よりも、今よりも、今よりも、でも、今でも。

3年間をともにしてきた、その3年目の物語。
いつまでも続くかと思っていた日々が終わろうとする。
いつか失うことを避けられない日々だからこそ輝く。
今日も誰かの失われゆく楽園の日々が輝いていると嬉しい。

2011.09.16

災害がほんとうに襲った時:阪神淡路大震災50日間の記録

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録  中井久夫 2011 みすず書房

中越地震後に知り、探してみたが手に入らなかった。
その本に収められていた一文が、東日本大震災後に緊急出版された。
どちらの震災でも、そして、阪神淡路大震災でも、私は直接の被害者ではない。
私の住む地方にも比較的大きな地震が起きたことがあったが、今となっては東日本の余震程度であって、大地震というのはためらわれる。
したがって、私自身がなにか直接的に災害援助や復興に関わる可能性は極めて低い。
しかし、勉強は平時に積み重ねておくべきことであると考え、本書を手に取った。

清水將之『災害の心理』を読んでいても同様であるが、精神科医というのは記録魔であるのだと思う。
それは、記憶が変化するものだという前提に立っているからかもしれない。
記憶は失われるし、失われなくても、たやすく変化する。無自覚的に。
その時、その場での体験も、感情も、後から思い出すと実は変わっていることがありうる。
だから、なるべくフレッシュな状態で書かれた記録である点で、本書は非常に興味深く、読んでみたかったのだ。

同時に、この本では、2011年3月11日直後の著者の文章も併録されており、17年後の想起ともなっている。
阪神淡路の経験者が東日本の災害の大きさに目を見張る。そのことが、災害の大きさを読み手に改めて思い知らせる。福島の話ばかりが続いて、あの日のインパクトを忘れがちになっていたことに気付かされる。

被災者のそばにいること。生活の援助や煩雑な事務手続きの援助が喜ばれること。
救護者の救護が大切であること。食事抜きでがんばらないこと。40日以上経過すると、消耗状態で意欲減退すること。なにより、ロジスティックスが重要であること。
災害直後は自殺数が減少すること。阪神淡路では、初期は外傷、ついで胃潰瘍が出現し、暖房がない部屋の高齢者に呼吸器障害が目立ったという。心筋梗塞は最初に多く、あとは多発する周期がありつつ減少したとのこと。

こういった知見は今後も役立つこととして蓄積、普及されていくことが望ましい。
私はそう思う。確かに40日も経てば、疲れ果ててしまうのだ。

2011.09.12

花宵道中

花宵道中 (新潮文庫)  宮木あや子 2009 新潮文庫

長く積んでいた本を読んだ。思いがけずゆっくりと時間をかけたのは、一つずつを丁寧に読んでいきたい気持ちに駆られたからだ。
山田屋という見世を舞台に、数人の女郎たちを主人公にした連作になっている。
すっきりと簡潔な文章で、過度に情緒的にならず、そのくせ、ぐいとひきつける。
読みやすくて一晩で読んでしまえそうな本であるが、それぞれの女郎たちの物語を一つずつ味わいたくて、気付けば数日がかりになった。
物語の長さではない。深さが、それだけの時間をかけたくなった。

吉原を舞台とする作品が、妙に読みたくなる時がある。
江戸物というより、吉原物を選びたくなるのは、自分自身の中の女性性と向き合いたくなる時のような気がする。
間夫を持てば罰せられる。
でも、どれだけ気持ちを切り捨てても切り捨てても、やっぱり女で、人形ではなくて、心はあるのだ。
愛しても、愛しても、かなわぬとわかっても、愛したくなることがある。
それぞれに切なくて美しい物語は、性的な表現があっても卑猥にならず、潔くて凛とした清潔感すら感じた。
作者はとにかく綺麗に描いてみせる。どろどろした感情を持ちながらも、男女は、美しく咲いて、美しく散っていく。

物語の中、女郎達は短命である。
実際に、現在の女性の平均寿命よりははるかに短命であったと思われる。
近代において女性の平均寿命を引き下げていたのは産褥に伴う死が多いが、のみならず、栄養状態、労咳、性病など、まぁ、いろいろあっただろうなぁと思われるわけで。
稼げなければ河岸見世など、ランクの低い店でこきつかわれては年季明けなどなくなる。
かといって、年季が明けたからといって、門の外に受け入れ先はあるのだろうか。
一夜の夢に酔いながらも、最後にゆっくりと現実に立ち向かって行くような強さを、この作者は示すのがうまい。

美しくて、儚くて、男の夢をかなえるためだけの町で、男の夢をかなえるためだけに消費される女。
その位置づけをクリアにするのが、最後の勝野の章である。

勝野は男を信じていない。けれど、許すことはできる。(p.363)

どっかに希望は残されていなかっただろうか。
幼心に描いた夢の通りではなかったとしても、それでも、全部が全部、不幸だったとは思いたくない。
そうだとしたら、苦しすぎる。
忘れられて、なにもなかったかのようにめぐる日々だけではなく、変わり果ててしまったとしても、いまだなお残されている希望はないか。
美しくもなくなり、儚くもならなかった女の物語まで描いたところに、作者の魅力を一番感じた。

2011.09.03

別冊 図書館戦争Ⅱ:図書館シリーズ6

別冊図書館戦争II (図書館戦争シリーズ 6) (角川文庫)  有川 浩 2011 角川文庫

終わっちゃった~~~。

感慨深い。
文庫化されるにあたって併録された「ウェイティング・ハピネス」を読むと、終わってしまったという感覚がじわじわと湧いて来る。
寂しいけれども、読み終えられた喜びもある。
この短編は、将来、図書館戦争を読む人にも読める形になって欲しいと願っていたので、こうして収録されていることが嬉しい。

さて、別冊2のほうであるが、今、このタイミングで読むことで、ますます柴崎の台詞が身に染みた。
というわけで、私的名台詞top3。

その1:「大事にして――大事にして大事にして大事にして!」(p.267)
その2:俺はけっこうお前にいろいろ弱いぞ。(p.90)
その3:「堂上三正は直ちに所定の位置につき、文書を開いて速やかに内容を読み上げること!」(p.291)

最後まで、ツボは玄田隊長。
私のお気に入りさんは、隊長に、堂上教官に、この巻の手塚……と並べて、軽く凹みました。
走り出したら止まらないなぁ。
そっかぁ。こういうタイプが好きなのかぁ。

そして、番外は、稲峰元司令の最大ののろけをあげておこう。
「私の妻ですよ、いいタイミングで迎えに来るに決まっているじゃありませんか」(p.305)

誰もがきっと幸せに。
戦いはまだ終わらないとしても、幸せに。
この幸せを味わうために、また、このシリーズを読むだろう。
読み継いでいくだろう。

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