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香桑の近況

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2011年8月

2011.08.30

郵便少年

森見登美彦 2011 ほっと文庫

こちらは、森林の香りの入浴剤とセット。
もりみーだから、森の香りなのかな?

『ペンギン・ハイウェイ』のスピンアウトと前情報をもらっていて、うーむむむ。
実は、『ペンギン・ハイウェイ』は未読なのだ。雑誌掲載時に挫折し、その後、単行本を購入したものの積みっぱなし……。
どこに置いたんだろう……。多分、そこ。いや、あそこ。

それはさておき、この短い作品は、私が苦手だったはずの主人公がいとしくなるような美しい空気を持っている。
子どもなりの独特のこだわりと世界観で接する時、他者の堅い鎧も調子を崩される。老人であれ、子どもであれ。
その独特の間合いが、少し切ない別れと、出会いとを引き立てていた。

世界は捨てたものではないと思える、そんな光が射している。
本編も読んでみようかな、と思った。

ゆず、香る

有川 浩 2011 ほっと文庫

友人が見つけてくれて、やっと入手できました。
もう手に入らないかと思った~。
ゆずの入浴剤とセットになっており、本屋さんではなく、雑貨屋さんやドラッグストアなどで売られた面白い商品。
外側の紙箱には、「入浴剤:中国産 小説:日本産」と表示されていて、くすりと笑ってしまった。

ページを開くと、ほんのり柚子の香り。
柚子の香りにちなんだ短編に、興を添える。
もちろん、有川さんに柚子と来れば、馬路村が出てくるだろうと思ったが。
バンダイがらみでガンダムも出てくるとは思わなかった。
小道具だけ見れば、企画におもねったのではないかと、斜めに見る人もいるかもしれない。
でも、短編ではあるがじれったい、最後にほろりと来るような素敵な恋の物語だった。
思わず涙が泣いちゃった。優しくてささやかで、飾らず、とても自然な、すっきりと穏かな恋の物語だった。

自宅で家族と使うのがもったいないから、入浴剤はどこかの旅で独占して楽しもうと思う。

2011.08.26

出世花

 髙田 郁 2011 ハルキ文庫

著者のデビュー作。出版社を変えての新装版である。
江戸時代の墓寺に拾われた下級武士の娘、お艶。
墓寺には、湯灌場、火葬場、墓所があり、死者の弔いを専門とする。
ほかの小説ではなかなか見ないような空間の中で、4つの短編がお艶の成長を描く。

お縁、のちに、正縁と名前を変えながら、少女が育っていく。
みをつくし料理帖の澪ちゃんとは、一生懸命さは通じるが、又少しタイプが違う。
心温かい人々に取り囲まれ、遊女の悲しさ、武家のいびつさ、身分ごとの不幸せに触れていく。

死した体を洗いながら、その人の生きている間の苦悩を洗い流す。
傷を縫合してさらしで巻き、頬に綿を含ませ、唇に紅を差して。
その仕事ぶりにいつか三昧聖とあだなされ、ことに女性が死者である時に手がけてもらいたいと望まれるようになる。

主人公の成長もさることながら、死者との向き合い方に胸を打たれる思いだった。
今年は大災害のあった年であるが、私はこのように死者に触れているだろうか。
いつか続きが出るかもしれないという。今後の楽しみである。

2011.08.18

心星ひとつ:みをつくし料理帖

 髙田 郁 2011 ハルキ文庫

この後、どーなるの?
気になってさっさと読んだら、余計に気になった。
どーなるんだ。澪ちゃんは、どーするんだ。
この展開、そっちにいくのかーっ!?と心配になる終わり方だ。

目の前に道がある。道がいくつもに分かれていく。
惑わす言葉。さそう言葉。そそのかす言葉。
よかれと思っての言葉もあれば、陥れようとする言葉もある。
澪を思う人の思いやりからの言葉は、ことに心を揺り動かす。
この人のために、あの人のためにと思えば、ますます迷う。

澪はどうすればいいのか。
天満一兆庵を再建するのか? それは吉原に? あさひ太夫の近くに住まい、いつか親友を身請けする道。又次に請われる。大恩ある芳のためにある。
つる家を拡充、拡大するのか? 登龍楼の力を借りて? 種市のために屋号を残すことになり、ふきの弟も取り戻すことになる。
あるいは、小野寺様からのプロポーズを受け入れて、料理人としての道をあきらめるのか?
それとも?

他人はいとも簡単にひとの人生に口出しする。
口出しするのはたやすいことだ。期待するのは勝手であるが、期待を裏切られたと責めるのは道理ではない。
澪は誰のせいにもしないために、自分自身で道を決めていかなくてはならない。
澪は、自らの望む道を、自分で見つけ、見定めなくてはならない。
誰かのために生きるのか。なんのために生きるのか。
歩むのは、澪自身であるのだから。

小野寺様こと小松原様が「俺の女房殿にならぬか」「ともに生きるならば、下がり眉がよい」(p.253)ときっぱり言ったときにはテンションがあがったんだけどなぁ。
澪ちゃんが見つける幸せが夢のあるものだといいなぁ。

2011.08.10

災害の心理:隣に待ち構えている災害とあなたはどう付き合うか

災害の心理―隣に待ち構えている災害とあなたはどう付き合うか  清水將之 2006 創元社

5年前の出版である。
ということは、2011年3月11日の東日本大震災を踏まえたものではない。
著者の体験した主たる災害は阪神・淡路大震災である。阪神・淡路から11年が経ち、中越地震やアチェの津波を経た上で、記されたものである。
このような経験がこれだけ記録されておきながら、警句を放たれておきながら、どれだけ活かされているのだろうか。
勉強は平時に積んでおきべきことであると、自戒を込めて思う。
しかし、遅すぎることはない。災害のその後については、今から役立つ情報も多かった。

何をどう災害として捉えるか。
災害によって、どのような心の傷を生じたか。
そして、ボランティアを含めて、どのように支援できるか。
この3つが本書の柱になっていると思われる。
全体を俯瞰する良書であった。

第一の何をもって災害とするかについては、地震のみならず、災害、児童虐待、犯罪など、多岐にあげて共通項を浮かび上がらせている。
そのため、震災後の心理についてのみ興味がある人にとっては散漫に感じるかもしれないが、これらは逆説的に、第二点目の「その後の心の傷」のありようが共通しているところから挙げられていることに注目すべきだ。
「戦闘要員のために企画・作成されてきたPTSDは、非戦闘市民にも適用しなければならぬよう、誰かが歴史をねじ曲げてきました」(p.43)という記述は、日頃から疑問に思ってきただけにひきつけられた。
PTSDはベトナム戦争帰還兵に対する国家補償という政事的な意図からDSMに加えられた経緯があり、当のベトナムの人々は置き去りにされている感がしていた。だから、私はベトナムに、ついでカンボジアに行ってみたのだから。

「時間が経つにつれて大変な出来事を忘却に追いやったり、記憶を加工してしまったりすることがあります。重要なことを忘れる場合もあります」(p.106)と、当時から記録をとることを重視したところが、さすがに精神科医であると思う。
神戸や中越の事例から、震災直後は医学的治療を必要とする児童が減少し、一年以上経ってから様々な訴えを示すことは参考になる。臨床家や教育者は心しておかねばならない。
長期支援についてはまさに今考えていくことであろうし、ボランティアが「困ったお客様」にならないようにすることは文化として成熟していくために知っておきたい。

いくつも付箋を貼りながら読んでいったが、最後に、どうしても気になった箇所を引用しておきたい。
当事者ではないがメディアで情報には触れる者が、そのメディアの情報に対して批判的であるために知っておきたい現状である。
これは、今回もまた繰り返されてしまっているところが残念でならないことであり、だから、こういう物語を喜んでもらいたくないという、私からの願いを込めての引用である。

マスコミがお涙頂戴物語を探し回るために苦労させられたのは、メンタルヘルス・ケアの対極であった。無断で実名報道されて新聞から新たなトラウマをプレゼントされたり、テレビ報道の餌食となった被災児・者も沢山あった。(p.102)

風評被害が次々と批判されている時代です。この報道は本当だろうかと再点検する習慣を、市民は身につける必要があります。(p.181)

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