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香桑の近況

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2010年9月

2010.09.25

今朝の春:みをつくし料理帖

今朝の春―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-4 時代小説文庫)  高田 郁 2010 時代小説文庫(ハルキ文庫)

ついに小松原の正体がわかるシリーズ4冊目。
又次もすっかりつる家に慣れたし、戯作者清右衛門も美味しい役どころだ。
澪ちゃんの料理人として成長よりも、天満一兆庵の再建よりも、私が気になるのは恋の行方のほうだ。
またも悲しい展開になるのではないかと、じりじりしながら読んだ。

相変わらず、じれったくて、じれったくて。
身分の差という現実になかば目をそむけて。
現実を確かめてしまわないように、仮初は仮初のままにして。
でも、なんだか少しいい感じ。
お互いに憎からず思っている気配がふんわりと漂う。

埋められない溝、乗り越えられない壁。
澪ちゃんは、好きな男性と、好きな友達と、それぞれに分け隔てられながらも空を仰ごうとする。
寒い冬を乗り越えて、恋も勝負も自分の糧にしていく。
澪ちゃんの成長がちょっぴり切ないが、ずいぶんと泣かなくなった。
二人のみをちゃんが、それぞれに幸せになれるといいのだが。

それにしても、あれもこれも美味しそう。

2010.09.21

華氏451度

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)  レイ・ブラッドベリ 宇野利泰(訳) 2008 ハヤカワ文庫

不朽の名作。
タイトルだけは子どものころから見ていたが、なんだか暗そうな本だなぁ、と敬遠してきた。
私が学生の時にすでに、訳が古く感じて、それも含めてなんだかなぁ、と思ってしまっていたのだ。
それを読んでみようと思ったのは、エビノートさんのレビューで、あらすじを知ったからだ。読まなくてはいけないと、責務のように感じた。

Fireman。
普通は消防士と訳す。しかし、この言葉こそが、この小説の鍵だろう。
主人公のモンターグは焚書官だ。耐火素材で作られた家屋を燃やす。その中にある本を燃やす。
それが、本の舞台の政府の方針だからだ。
人は本を読んではいけない。知恵を身につけてはいけない。自分の頭で考えてはいけない。
だから、学校で教えられるのは、スポーツか技術。知性は不要だ。
それが唯一の心の平和を保つ方法だと謳って。
考えるから不安になるのだから。

比べ競あうから仲間はずれにされるのだ。
みんなが同じものになってしまえば、孤独はなくなる。
だが、果たして政府は成功しているのだろうか。
人々を考えさせないようにする装置は、壁面のテレビと、耳に差し込む<海の貝>という通信機器。
それらの装置を使って、モンターグの妻ミルドレッドは、赤の他人からなる「家族」と常に会話している。
シナリオがあるのかないのか、茶番劇のような空虚な会話を繰り返し、彼女にとっての現実はヴァーチャルなものに占められる。
その代り、夫との対話はほとんどない。彼女は自分では何も考えない。
それで、果たして幸福なのだろうか。

ミルドレッドの生活には、ぞっとした。
彼女は不安耐性が低く、不安と孤独を否認するために見知らぬ他者との刺激的で無意味な会話に依存している。自分自身の不安や孤独にほとんど無自覚でありながら、彼女は時折、致死量ほどの睡眠薬を過量服薬する。
私もブログを書くし、SNSを利用しているが、携帯やPCを手放せない今時の生活を鋭く批判されたような気がして、その詩人の直観の鋭さにぞっとした。
この本が書かれたのは1953年。チャットもツイッターもオンラインゲームも動画サイトない。あるわけがない。
そのころは、今のように出版社の危機が叫ばれることもなかったのではないか。新聞も雑誌も書籍も、まだ力があったからこそ、この本は警句となりえた。
活字離れが進み、この本もまた情報の海に埋もれて読まれなくなることは、もっともっとぞっとする。怖い予感だ。

本当に幸せなのか?
この問いから、モンターグは自分自身を振り返り、自分の頭で考えて自分の言葉を得ようとする。
モンターグは、本を焼くことは人を焼くことと同じであると、どこかで直感していた。
本の中には答えはないかもしれない。しかし、考えるための手掛かりや技術を人に与えてくれる。
前半は視覚と聴覚優位だった描写が、モンターグが町を出て、自分を歩きだした時から、触覚や嗅覚、温感といった全身の五感に訴えるものに変わる。
圧倒的な世界の存在感が、本を読もうとしたときに立ち現われるのが、興味深い。
知性を持った人々が試みた方法は確実ではないが、しかし、昔から人々が選んできた方法である。
飯島和一『黄金旅風』を思い出しつつ、本を閉じた。聖書を奪われた隠れキリシタン達の営みを……。

最初に出てくるクラリスという少女の言葉遣いに訳の古さを感じたけれども、読み進めるにつれて引き込まれ、一昼夜で読んでしまった。
ここしばらくでは一番の没頭だったように思う。
間違いなく、不朽の名作だと思った。

2010.09.19

有野晋哉の父も育つ子育て攻略本

よゐこ有野晋哉の父も育つ子育て攻略本  有野晋哉 2010 インフォレスト

素敵なパパだ。
文章にも、写真にも、家族への愛情を感じる。
その愛情の深さに目を細める。

プロポーズのエピソードから、長女、次女の出産、子育てのあれこれ。
日々の戸惑いと喜びがざっくばらんに記されており、楽しく読んだ。
どうやって名前を決める?
公共の場で子どもが泣くときって。
子どもが迷子になったときの、保護者の不安。
子どもの叱り方やあやし方はとても実践的で、参考にもなる。
体験談だからこそ、押しつけがましさや説教臭さがないのもいい。
著者の人柄が感じられて、好感をもった。

パパも少しずつレベルアップしていく。そういうものなのだ。
奥さんへの愛情や感謝、尊敬が感じられて、そんなところも素敵だった。
借りた本だったのだが、予想以上にお勧め。
初めての子どもが産まれたばかりの若い夫婦にプレゼントしたいと思った。

でも、ネタ帳はかなり読みづらかった……。そこにも好感と共感をもったかも。

2010.09.15

わたしはここにいる、と呟く。

わたしはここにいる、と呟く。 (徳間文庫)  新津きよみ 2010 徳間文庫

胸がざわざわと落ち着かない。
すっきりしない。気持ち悪い。
どこにもどれにも救いがない。
タイトル買いした。初読み作家さん。

7つの短編が収められており、どれもが中に大きな時間の流れを持っている。
それぞれの主人公は過去を振り返り、成育歴全般であったり、ひとつの体験であったり、なにかしら過去に縛られている感覚を持つ。
「わたしを探して」は、両親離婚して母親においていかれた娘と、母親が再婚してもうけた娘の、それぞれの母子葛藤や同胞葛藤を描く。
「時のひずみ」では、子育てしながら夫婦が疎遠になってきた10年間と、これからの10年間に対する希望を、失せ物探しが繋ぐ。子はかすがいになる物語だ。
「あなたの居場所」は、中学で同じように夢に迷っていた二人の少女が、まったく違った生活を得ていくプロセスを描く。居場所探しと自分探しは表裏一体であるが、夢という言葉に縛られる不幸はステレオタイプに救いがない。これも分離できなかった母子の葛藤の物語である。
「忘れはしない」では30年もの時間を内包する。教師と二人の教え子。同級生にいじめられた記憶、教師にかばわれなかった記憶を忘れはしない。陰湿な復讐劇である。
「思い出を盗んだ女」でも、登場人物たちは古い旅行の思い出に縛られている。その旅行は、不倫だったり、家族だったり、今はもうそばにはいない人たちとの思い出となっている。この運命のいたずらは、先が読めちゃったかな。
「あの日あのとき」は、こんな事故があったことを思い出しながら読んだ。誰かを助けるために誰かが死んだ、電車事故。残された家族や、その場に居合わせた第三の当事者の10年後。生き延びてしまった罪悪感は許されることがあるのか、難しい主題である。
「その日まで」も、これまたある事件が思い出された。事件や事故は第三者にとっては風化していくものであるが、風化しえない、されえないのが当事者だ。いずれにせよ、悪銭身につかずと言うではないか。

わたしはここにいる。
だから、見つけて欲しい。
わたしはここにいる。
だから、見つけないで。
でも、わたしはここにいる。ここにいる。ここにいる。
忘れられても忘れはしない。
気づいて。見つけて。探して。わかって。謝って。

「わたしはここにいる」と呟くことそれ自体が、他者への願いとなっている。
自分が呼びかけるのではなく、向こうから気づいてほしい、呼びかけてほしいという願いである。
それは赤ちゃんの泣き声にも似ていて、どこか子どもじみているかもしれないが、とても切実な響きを持つこともある。
誰も、白雪姫にはなれないし、眠り姫にもなれないし、シンデレラにもなれないし、人魚姫にもなれないし、心の中で「ここにいる」と叫び続けてみても見つけてもらえるとは限らない。
あるいは、見過ごして、そっとしてもらえるとは限らない。
ここにいると呟いているのは過去の自分であり、その呼びかけは、現在の自分に、母親に、過去の恋人や疎遠になりつつある夫に、道をたがえた同級生、社会一般、あるいは、既に死んだ人に、向けられている。
叫んでも届かないことがわかっているから叫ばない。でも、呟かずにはいられない。
その営みのむなしさが救いがなくて、しかもなんだか軽々しくて、溜め息をつきたくなるのだ。
文章は読みやすく、物語の筋もわかりやすいが、私の好みではなかったようだ。

2010.09.07

ボクらの時代 ロングヘアーという生き方

ボクらの時代 ロングヘアーという生き方  みうらじゅん 高見沢俊彦 リリー・フランキー 2010 扶桑社

この人たち、ばかだーっ。
愛情を込めて、ばかだなぁと言いたくなった。
もちろん、笑顔で、だ。それも、何度も。

みうらじゅん、高見沢俊彦、リリー・フランキーの3人の対談。
この内容、朝からテレビで放送するというのは、なかなか難しかっただろう。
この人たち、カメラが入っていること、忘れて話していない?と思いたくなるほど、話題は自由に右往左往と飛び回る。
なので、テレビで放送できなかったところも含めて、書籍化されたものが本書になる。

要約すれば、話題は、ロックと仏像とエロ。あと、怪獣や歴史。
いいおじさん達の、本音っぽい、素顔っぽいトーク。
各自のやっていること、やらかしていることが面白い。
エピソードの一つ一つが面白いのだが、その発想や表現も面白い。
最初から最後まで笑い転げながら読んだ。

三人のうちの誰かのファンなら楽しめると思う。
ファンじゃなければ、手に取らないかもしれない。
でも、同年代であるとか、何か共通項を持っていたら、十分に楽しめると思う。
注釈もついているので、世代の違う人も困らないとは思うが、その注釈もなかなか楽しい。
あとがきで紹介されている都市伝説も楽しい。

高見沢さんにもわかってもらいたい。
ファンだって、笑い転げながら、腕を振り上げたりしているわけですよ。
これは冗談だってわかっていても、高見沢さんが楽しそうにしているなぁと思うと、笑いながら応えないわけにはいかないじゃないですか。
そこで、しーん…と静まり返ったら、悲しくなりそうじゃないですか。高見沢さんが。
そこに応答性があるってこと、男の人だってわかっているのにわかっていないふりするじゃない、って思ったので書いておく。
いやはや、これはファンだってことをカミングアウトしないで感想を書くのは無理。

草食男子がファンタジーなら、後腐れない女というのも、結構ファンタジーだと思うぞ。

2010.09.05

エンド・ゲーム:常野物語

エンド・ゲーム 常野物語 (集英社文庫)  恩田 陸 2009 集英社文庫

シリーズ3冊目が文庫化されたと喜び勇んで買ったが、いくつかの書評を読むうちに、どうやら期待するものとは違うかもしれないと思った。
タイトルもなんだか不穏な響きを持ち、表紙はどこか不吉な色合いを帯びる。
後回しにしながらも、気になってはぱらぱらとめくり、めくり、しているうちに、ようやく最初からきちんと読もうという気になった。

「裏返す」力を持つ家族が主人公となった長編だ。拝島時子と、その母である瑛子の物語が、交互に語られ、一本になっていく。
ここでは、「裏返す」「包む」「洗濯する」というのが、キーワードになっている。通常の意味合いとは少し違う、特別な行為を示す。
本書は単独でも読めるが、一風変わった力のことを知りたければ、「光の帝国」と「蒲公英草紙」を読むとよい。

常野一族の中で、常に戦ってきた家系。
拝島家の短編は、「光の帝国」の中でも異色で、一つだけ浮いているような感じがした。
だから、その拝島家についての長編であるこの本も、これまでのシリーズと一線を画していても当然なのかもしれない。

裏返されて、裏返された、なにが表だったのか。
正直なところ、よくわからなくなった。結局、何が起きたのか。
これまでの経緯ではなく、あの大きな建築物から出たときに、裏返されたのは誰なのか。
裏返されたとすら微塵も思っていない人物は、本当に無事であったのだろうか。
あの柱の中の、ほかの人々はどうなったのだろうか。輪回しをしながら駆け抜けていった少年は。
ここから先、どんなことが起こるのか。

最後にざらりとした感触が残る。
ざわりと、胸底でなにかが身じろぎするような。
暗い時代の予感が今こそ現実になる。

終わりの始まりの雨が降る。

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