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2010.08.18

太陽神の司祭(上・下):ヴァルデマールの嵐1

太陽神の司祭 上 (ヴァルデマールの嵐1) (創元推理文庫)  太陽神の司祭 下 (ヴァルデマールの嵐1) (創元推理文庫)  マーセデス・ラッキー 山口 緑(訳) 2010 創元推理文庫

ヴァルデマールがついに〈東の帝国〉と対決するのか。
カースと同盟を結び、ハードーンのアンカー王がようやく倒れた。
〈隼殺し〉のモーンライズもこの世から消えた。
エルスペスや〈暗き風〉ら、魔法使い達の戦いの、その後の物語が三部作で始まる。

主人公となるのは、カースからヴァルデマールに派遣された使節の書記。
若干16歳の少年カラルだ。
今まで謎に包まれていた敵の一つであるカースは、太陽神を信仰している。
レスウェランと戦っていたこともあった。それはケロウィンの物語だったか。
信仰の壁と国境の壁に隔てられて、お互いがお互いに見知らぬ悪魔と思って戦ってきた。
実際にカラルが物心がついた頃のカースと、物語時点でのカースは大きく変貌している。
宗教的指導者が変わってから改革が進み、今までの常識が通用しなくなりゆく社会で育ってきた。

その戸惑いは、たとえば、明治期の日本人のものかもしれない。島崎藤村の『桜の実の熟する時』に見られるような。
あるいは、あらゆる戦後の国々において、あるいは、大きな政変後の国々において。
生きている間に社会の大きな変動、時には正反対なものに価値観が振れる瞬間を体験する人はいる。
私は、カンボジアで出会ったガイドさんを真っ先に思い出した。ポル・ポト派の時代を生き延びた人。教育を受けていた思春期と、大人になってからの現在では、違う思想や価値観のもとに生活している人だ。
その変化が、よりよい、穏かで平和な、恐怖による支配からの脱出であると実感する時、既得権益の少ない被支配の立場にあったものにとって、どれほど解放を感じることだろう。

王が斃れた混乱に乗じてハードーンに攻め込んだ〈東の帝国〉は、前線の内側の制圧したはずの地帯で生じるゲリラ戦に悩まされる。
正規の軍隊ではなく、一般の人々が抵抗する。戦おうとすると、彼らは一般人に戻ってしまう。〈東の帝国〉の支配を既存勢力からの解放として喜んで受け入れるはずだった人たちが抵抗する。
戦争のありようそのものまで変わり行く世界。そこもとてもアクチュアルではないか。
いまや、軍隊と軍隊の間にだけ戦闘が行われるとは限らない。正規兵と一般人の区別が曖昧になり、何をもって勝利と敗北を決定付けるのかも不明瞭だ。
そのために、終わりが見えない戦闘状態になっている地域が、地球上に複数あるように思われる。
独裁者を殺したら終わり。そんな簡単なものではない現状を、ラッキーはまさしく物語世界にも反映させている。

だからといって、ラッキーの目線はヴァルデマールを絶対化してはいないし、ヴァルデマールをアメリカと同一視しているわけでもない。
カラルという異国人の目から見ることで、ヴァルデマールが新たに語られなおされる。そういう点では、異邦人の目線を導入することは、便利な物語手法である。
その手法を使いながら、ラッキーは繊細なバランス感覚で、カラルのナショナリズムをヒューマニズムにまで育てていったように思える。
カラルは自分の両親を愛し、自分の師を愛し、自分の属する世界と共に異国を受け入れ、どちらも等しく、あるいは、国名は無関係に思いやりながら、より大きな困難に立ち向かう勇気と共感性を持つようになる。
そう。立ちはだかる困難は、〈東の帝国〉だけではない。もっともっと大きな問題が差し迫りつつある。

カラルはタリアに似ている。ヴァニエルよりも、もっと素直で一生懸命で、こちらも素直に応援したくなるような魅力ある主人公だ。
そのカラルと一緒に成長をしていくもう一人の少年がアン=デシャである。
傷ついた心は、魂は、癒されることがあるのか。
その過程は、やはり作者の心理療法への造詣をうかがわせる緻密で、揺るぎのないものであった。
登場人物の傷つきがやわらぎ、回復と成長を見せるとき、読者の傷つきも幾分やわらげられているのではないだろうか。

〈ヴァルデマールの風〉三部作は、エルスペスと〈暗き風〉、ナイアラとスキッフらのロマンスに少々うんざりしてしまっていた。
しかし、今度は再びラッキーの骨太な世界観が復活したように感じて、読んでいて嬉しかった。
更に、〈ヴァルデマールの風〉では、魔法対魔法の大戦争の趣を呈していたが、今度は魔法以外の力もまた注目される。
何も特別な力を与えられなかったとしても、自分の持てる力で戦え。それぞれの力を振り絞って戦え。
それぞれの戦い方がある。決しては、人は無力ではない。

私は愛について思う時、ラッキーの紡ぐ言葉に学んだことが多いと思う。
ウルリッヒがカラルに贈った言葉を、私は自分のためにとっておこうと思った。

「心が痛むときには、自分が何者かを思い出せ。ひとりの人の愛は得ていないかもしれないが、多くの人に愛されるのだということを思い出すのだ」(下 p.269)

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