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香桑の近況

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2010年7月

2010.07.29

宵山万華鏡

宵山万華鏡  森見登美彦 2009 集英社

京都の祇園祭と偽祇園祭の狭間で迷子になってみませんか?

ちょっと不思議な世界にくるくると惑わされる。
見える景色がくるくる変わる。これはこうで、あそこはこうで。
この人があの人で、あそこにいたのがこの人で、あの人はここにいて。
一つ一つは短くてあっという間だけれども、それが次に重なりあう。
万華鏡のように景色が変わる。そういう連作短編集だ。

私の頭の中の京都の地図は通りの名前しか記載されていないので、町名で書かれると戸惑う。
京都在住経験者以外には、上る下がる、東入る西入るという空間把握は不評だそうだが、あれほど機能的で迷子になりやすい私に優しい地図はないのに。
でも、町名がぴんと来ないことで、景色がぼんやりと曖昧で感覚的なものになり、物語世界が幻想的になった。
達磨や招き猫や信楽焼きの狸が飾られた、天狗や竜が舞い遊ぶ、そこは偽京都。
偽京都の祇園祭に偽祇園祭があるのだ。要注意。

騙す私が悪いのか、騙される君が悪いのか。
思わず、節をつけて歌いたくなる。
うかうかしていると、ほら、迷子になっちゃうよ。
繋いだ手は離しちゃいけないよ。

普段は車両の多い四条通りのど真ん中を歩く。それが面白かった。
露店が軒を並べて、様々な匂いが立ち込める。
あちこちから聞こえてくる祇園囃はちょっと物悲しいような響きで、そこに人々の喧騒と、物を売る人の呼び声が重なる。
ただでさえ暑い季節に、通りごとに一歩も進めなくなるほどの人が溢れ帰る。
喉が渇いたときは露店で買い物ができるが、一番困るのがトイレだった。
歩き疲れて、休みたいのに休めない時、匂いと音と暑さに眩暈がしたり、気が遠くなったり。
町屋に住む友人宅にお邪魔した時には、そんな喧騒も遠のいて、どこか違う世界の趣を帯びた。
そんな祇園祭の体験が次々に思い出されて懐かしかった。

一年間、積んだままにしていたが、祇園祭のニュースを見て存在を思い出した。
どうにもこうにも、本を読む速度が買う速度に追いついていない。反省。

2010.07.21

桜の実の熟する時

桜の実の熟する時 (新潮文庫)  島崎藤村 1955 新潮文庫

今でいう、日記ブログみたいなものなのだろううか。
私小説って。私小説を書く動機って。

桜の実の熟する時。
実が熟する時といえば、なんとなく子をなし、育てる世代をイメージしていた。中年期のイメージだ。
だから、読み始めて、主人公が学生であることと、タイトルがうまく結びつかずにいた。
読み終えて、私のイメージは「木」を主体としていたことに気づいた。
主人公に重ねられるべきは実を蓄えた木ではなく、熟して地に落ちんとする実そのもののほうだ。

自分自身の命を延べようとして、初めて自分自身の足で地に立とうとする、そういう季節を描いている。
明治学院での学生生活。初々しい、無邪気な時代が過ぎつつあるところから小説は始まる。信仰に挫折し、勉学に挫折し、年上の女性への恋が終わったところから始まることになる。
失恋の余韻の抑うつが全体を引っ張っており、幼い頃から別れて暮らすしかなかったために母親への愛着が淡白であることへの戸惑いとして繰り返され、年下の女性への不器用さとしてうっすらと蘇る。
同時に、学問や職歴上でも成功しようとして伸び悩み、周囲の期待するものになれない自分に思い悩み、その中からやがて自分の欲するもの、自分らしさというべきものを改めて見出していこうとする。
そういった愛着関係での不全感、自己の中での達成や成功への欲求の不全感が渾然となりつつ、やがて熟していくのだ。

友愛や恋愛にキラキラしていた季節の思い出を綴ったものである。
熟した実が木から地に落ち、芽吹いてからは、また別の話になる。
ある人が若いときには面白みがわからなかったと紹介していた本であるが、読んでみて、確かに自分が思春期や青年期前期だったら、途中で投げ出していただろうと思った。
字が大きくなって読みやすくなったという新潮文庫の改革がなければ、やっぱり放り出していたこと必至だろう。

伏線もオチもないし、登場人物も出ては消える。小説ではあるが、物語として楽しむような感覚にはなれない。
登場人物にはモデルがおり、設定が少しずつずらされていても、自分と関係者のプライバシーだだもれである。いいのか?
それでも、恋話で盛り上がってくれたほうが私としては食いつきやすかったような気がする。詩情の乏しさに、我ながらとほほな気分。
かくも、私はブンガクなるものに慣れ親しまない。頑張って読んだそのことに、満足しておくことにする。

2010.07.13

黄金旅風

黄金旅風 (小学館文庫)  飯島和一 2008 小学館文庫

評判にたがわず面白かった。
寛永5年、鎖国直前。舞台は長崎。
遠く、ルソンやマカオ、トンキン、コーチやチャンパ、カンボジアまで、海商たちは航海していた。
ポルトガルやイスパニア、オランダもまた、東南アジアに進出し、長崎にまで来ていた。
鎖国前夜の物語だ。

最初は分厚くてためらっていた本だったが、読み始めると没頭してしまう。
船大将の濱田弥兵衛が率いる船団の、台湾への航海。
火消組惣頭の平尾才介が率いる内町火消組の、消火・治安活動および暴れっぷり。
長崎代官の末次平蔵の強烈な個性と、長崎奉行らとの立ち居地の違い、権力欲と金銭欲。
仏具座頭取の上原道介や鋳物師の平田真三郎、川舟船頭の亀次郎、あるいは、町々の乙名、唐人、高麗人、ポルトガル人、オランダ人など、登場人物は入れ替わり立ち代り長崎の物語を紡ぐ。
言うなれば、主人公は長崎という町そのものである。
末次平左衛門は、その中できわめて海神に愛された男であった。

男の人たちが恰好いい。
強欲な奉行やら、愚鈍な糞侍やらも出てくるし、人の命はとても軽い。
けれども、長崎の町衆たちは活き活きとして、一生懸命に生きている。
その様が恰好よく描かれている。姿かたちではなく、その精神が極めて魅力的なのだ。
濱田弥兵衛の自分のなすことの結果は自分で背負う責任感と、平尾才介のわけへだてなく助けるべき他者を守ろうとする義侠心。
その両者をあわせもち、より広くて公平で冷静な視線を持つ、末次平左衛門という造詣に、理想が注ぎこまれている。
既に禁教令が出された時勢ではあるが、キリスト教的な精神が低く高く通底音として流れており、時に痛烈な皮肉となり、時に寛容の美学となる。
なりひらと比べるから、余計に恰好よく感じてしまったかもしれないけど。
同じように女癖が悪くても、なりひらと平左衛門では、こうも印象が違うんだよなぁ。

カロンの出番が最後のほうは減ってしまったのが、残念かな。
処理されずに取りこぼされた伏線があった印象は否めない。
なにしろ読み進むほど、登場人物はどんどん増えていくのだ。私はだんだんうろ覚えになったので、読み落としただけかもしれない。
物語当時の長崎の地図は付されているが、できれば世界地図も付されていると嬉しかったかも。
美しい夢のように心が沸き立ち、蝶のように儚いけれどもたくましい物語の喜びの前には、ささやかなことであるが。

この本は、シェムリアップからハノイへの旅行の途中で読み始めた。
作中の地名にいる不思議。平左衛門と才介が憧れを持ち、輸入した、インドシナ半島の黄金の繭に触れ、その黄糸の織物を手に入れての旅だった。
世界でも古い種類の蚕がカンボジアに残されており、これは買わねばと思っていた矢先だった。
産業や文化の回復を目的としたシェムリアップの職業訓練校で、金色の繭に触れるとき、その中の蚕が干からびたころんとした感触におののいた。
その絹は、外側と内側では糸の太さが異なり、作れる製品が違うのだそうだ。向こう側が透けそうなオーガンジーシルクから、分厚いタフタシルクまで。
日本でも、室町時代頃までは、ヤママユガ(天蚕)の太い絹が主流だった。ヴェトナムのフエのあたりが上質なタフタの産地だったと思うが、カンボジアも伝統的な絣織りを復興するため頑張っている。

今も、夢を紡ぐ人がいる。

2010.07.09

アンコールワット・ホーチミン(ララチッタ)

アンコールワット・ホーチミン (ララチッタ) (ララチッタ―アジア)  JTBパブリッシング

旅行に際して、いくつかのガイドブックを見比べたが、アンコール遺跡群についてはこれが一番、頼りになった。
小ぶりで軽く、中も見やすい。
年表と歴代の王たち、仏教とヒンドゥー教について、そして、建築と美術様式の変化など、初心者にとっては理解が深められてよかった。
主要な遺跡については、内部の地図に見どころポイントがかなり細かく示されており、写真を用いて紹介している遺跡も多い。

旅行中はガイドブックなんか開いている暇がなくて、ガイドさんに任せきりにした。
でも、帰ってきてから、自分が撮ってきた写真の整理にも非常に役立っている。
こういう資料がないと、この写真はどこ?何??と、自分でもわからなくなってしまうのだ。
それぐらい、たくさんの情報量に接した旅だったから。

おそらく、旅行に行くわけではないが、アンコール遺跡群に興味を持ったばかりの人とっても、よい資料集になるのではないかな。
また、クメール料理やシルクについてページを割いているのも、この本のよいところだった。
お土産品もいろいろ載っていて、今さらだけど、これもあれも欲しかったかも、と思ったり。

眺めていると再び行きたくなる。
いつかまた。

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