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2010.06.16

地雷を踏んだらサヨウナラ

地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)  一ノ瀬泰造 1985 講談社文庫

若さが鼻につく。
そんなことがあるとは思わなかった。
まぶしいのではない。羨ましいのでもない。
なぜ、そこまでしなくてはならないのか、わからない。
ただ、嘆息したくなるような、若さ。

この人の名前に覚えはなかった。
書名は、どこかで聞いたことがあった。
アンコールワットに行くなら、旅行の前に映画を見ておいたほうがいいと知人に勧められたが、なんとなく本のほうを手に取った。
映画として演出される前の、生のものに触れたくて。

享年26歳。最後の記録が、1973年11月。
この手記は、1972年2月、カンボジアで従軍しながら写真を撮ろうとしている日々の記録から始まる。
この人は、生きていたら63歳ということか。
およそ40年前の、私が生まれる前とまでサバを読むわけにはいかないが、物心が着く前の記録である。年齢がばれるな。
手元にあるカンボジアのガイドブックを開けば、今もあるホテルが当時は廃墟のような状態になっていたり、ものすごく、微妙な感じ。
歴史と呼べるほど過去ではないが、リアルタイムの記憶はほとんどない。今の姿だけみていると信じられないような、だけど、さほど昔のことではない。
そのことを、まず、ここで戦っているのは誰と誰?と首を傾げたことの言い訳にする。

フランスから独立して、シアヌーク国王が立つが、今度はロン・ノルを筆頭にクーデターが起きる。それに対して、解放軍(クメールルージュ、共産軍、後のポル・ポト派)が台頭する。その戦いの中に、一ノ瀬らは飛び込んでいったのである。
インドシナ半島の中でこみいったことになっていたらしい。ヴェトナムやタイ、あるいは、中国やソビエト、アメリカ、ヨーロッパとも連動して世界は動いているのだから、簡潔に説明することは門外漢の私の手に余る。
調べてみても、記憶を掘り起こしてみても、カンボジアの悲劇といえばポルポト派が支配してからの虐殺の歴史であり、一ノ瀬はそれ以前に命を落としているのだから、これは前夜の記録だったこともわかる。
それでも、凄惨だ。
ここに出てきた人たちは、その時、その後を生き延びることはできたのだろうか。難を逃れ得たのだろうか。(その後、著者を主題にしたテレビ番組で、シェムリアップの友人の一人は1975年にポルポト派により処刑されたことを知った。)
それでも、人々の笑顔を写真に見出すことができる。生きている人だけが微笑むことができる。

写真をはさみながら、4つの章から構成されている。一ノ瀬の日記、手紙、母親や父親からの手紙の返事など、時系列に沿って並べられている。
1072年2月から7月までの1度目のカンボジア。アンコールワット観光で現在も有名なシェムリアップに滞在し、何度もアンコールワットに行ってみようとするが、阻まれる。戦闘はあるが、村の生活はどこか牧歌的であり、著者がまじわる兵士達にも生活感がある。
文章はそこはかとなく無邪気で、はしゃいでるような過剰さがある。性への欲求を過剰に感じるのは、当世の草食男子に見慣れたせいか、自分が女性の所為か。それだけではなく、過剰さは、自分が死ぬことなど想像していないような無謀な若さと、自分が危機に会ったときの純粋なたじろぎから、死への恐怖の補償であったり、躁的防衛であるように思われた。

カンボジア強制退去させられた72年8月から73年4月の一時帰国まで、一ノ瀬はヴェトナムで過ごす。ここで文章ががらりと変わった印象を受けた。
率直に言えば、一ノ瀬が「死」に慣れた感じがしたのだ。
どれだけの刺激にさらされたのか。どれだけの、どのような、死に触れてきたのか。一ノ瀬にとって、死はそこにあるものになり、心を揺さぶるものではないかのようだ。マヒしたような、無感覚のような、その冷たさや静けさが怖い気がした。
既に亡くなっている人の書簡集であるから、書き手が死ぬのは目に見えていても、それでも、近づく死の気配に嘆息したくなる。

一時帰国して姉の結婚式に出席した後、再び、一ノ瀬はカンボジアを目指す。
内戦はより激化し、政府軍は解放軍の前に後退を余儀なくされつつあった。
かつては戦闘の風景でさえ牧歌的であった風景は変貌し、カンボジアにとっての暗い時代の予感がますます立ち込める。
シャムリアップでも友人の結婚式に出た後、以前よりも芽の無くなった賭けに、それでも踏み出そうとする。
それが一人だけではなく、幾人かの人たちが試みたことを、どう捉えればいいのか。
ついで、写真に添えられたものか、未発表原稿が3つあるだけで、著者自身の言葉は途切れる。
文庫版の後書きとして書かれた、両親の手によるその後を読むことはつらかった。

私には手離しで褒め称えることはできない。無謀だとけなすことはたやすいが、それも違う気がする。
成果を否定することはしない。でも、理解することが難しい。共感することが難しい。
なぜ、ここまで駆り立てられたのか。
時代の価値観もあるだろう。学生運動の時代であり、戦争を知らないことが引け目のように感じられていたのかもしれない。
冒険心や万能感、あるいは、蛮勇と虚栄心、それとも、好奇心。
一番びっくりしたことは、たらいの中の氷水をまわし飲みしていたってことであり、一番ほっとしたのは、やっぱりお腹を壊していたってことだと言ったら、作者の人は拍子抜けするかな?
普通の背伸びしがちの無邪気な男の子が、人よりも駆け足で老成しようとしたかのような変貌が印象に残っている。

アンコールワットに続く道を行くとき、きっと思い出すんだろうなぁ。

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