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2010.04.27

会津という神話:<二つの戦後>をめぐる<死者の政治学>

会津という神話―“二つの戦後”をめぐる“死者の政治学” (MINERVA人文・社会科学叢書)  田中 悟 2010 ミネルヴァ書房

記憶には、三つの機能がある。一つは記銘。それから保持。もう一つは想起。
出来事をいかに記銘するか。その記憶をいかに想起するか。
人の記憶は不完全であり、記銘する時にも、想起する時にも、記憶は加工される。
一旦は記銘されたものの、想起される可能性を失い、忘却される記憶もある。
たとえ忘却されなかったとしても、主体が死ぬ時にその人の記憶した情報も失われる。
そのうちにそういう人が存在していたことすらもまた忘れ去られる。

そのように、人は死によって忘却を運命づけられているわけであるが、本書は死者の記憶をどのように生者が利用するか、会津の例を取って語る。
戊辰戦争と世界大戦という二つの敗戦により、会津は日本においていささか特殊な事情を持たざるを得なかった。
日本という国の中で、会津は戊辰戦争の敗戦で「賊軍」という初期設定を得た。そのため、反動形成的に「雪冤勤皇」を掲げて軍国主義に過剰適応しようとする。にもかかわらず、世界大戦でも敗戦したことで、その過剰適応の近代を健忘し、賊軍になった前近代の悲劇を再構築することで、新たなアイデンティティを形成してきた。
地域共同体や国家という単位において、記憶すべき死者と忘却すべき死者との分別が、何を指し示しているかを問うことによって、近代の会津が生き延びるためにとった戦略を浮き彫りにしたのが、本書の粗筋になろう。
と同時に、過去の戦争の戦死者もまた過去のものとして、生者が当事者性を実感し得なくなった現代の日本の状況を、近代会津の事例から照射する。
そうすると、時間の経過による身近な戦死者の消失は、境界線の政治の境界線そのものが危うくなっていることを教えてくれる。

著者も書いていることではあるが、人はすべての死者を記憶し得ない。死者は日々増えており、生者は世代交代する。あらゆる死を二人称として引き受けることはできない。その通りだと思う。
忘却を許されぬ死者と忘却を許される死者、忘却を許される死と許されぬ死の間には、どのような線引きがあるのだろう。
著者は、序論において、敵と味方の間、三人称と二人称の間に境界線を見出す。でも、著者自身にとってはどこにあるんだろう。

この本は政治学の本で、著者の興味はネイションにあるが、私は個人のレベルに興味がある。そこで、しっくりこなかったのかもしれない。
もとより、私は私の生と死の意味をナショナルなものに満たされたいとは思っていない。
死を後付けで意味あるものであるかのように宗教的に意味づける作業にうさんくささを感じているのだから仕方がない。
死に幾度も触れてきたことで、過剰な意味をそこに見出そうとすることが嫌になってしまったという、私の事情がある。
死は死である。生が、ただ生であるのと同様に。

死者に対して、生者はある種の後ろめたさを抱く。そこに異論をさしはさむ気はない。
著者は、ある死者を三人称の領域に押しやってしまったことへの後ろめたさを挙げている。
また、その後ろめたさは、二人称の死者に対して、自分だけは生き延びてしまったという後ろめたさである。相手を救えなかった、相手を守れなかった、生存者の罪悪感。
それともう一つ、相手を忘れてしまうことへの後ろめたさがあるのではないか。
近頃、私は、弔いは忘却のための儀式である、と思う。記憶するためのものではなく。
気持ちよく忘れるための、忘れてしまう申し訳なさを詫びる営為ではないかと思う。

二人称の死の記憶をやわらげずに保ち続けることは苦痛でしかない。
喪の反応として当然生じるのは悲しみだけではない。強い怒りや憎しみ、悔しさ、罪悪感といった感情は、生ける心に大きな負担をかける。その心を殺すほどの負担になることもある。
死者の遺族は死(の悲しみ)を忘れることを望み、自殺者の遺族は死を憶えておくことを望むというが、その生き延びてしまった罪業感をやわらげられずに、自殺者の遺族に自殺が多いという悪循環も報告されている。
忘れなくてもよい。だが、記憶は加工されなければあまりにもつらいことがある。

いつか私はあなたを忘れてしまう。それを自分に許すための。
私があなたを忘れ去る前に、あなたには安らかな眠りを得て欲しい。
いつか私は老いてしまうだろう。いつか私も死ぬだろう。その前に。
あなたが安らかであれば、私もまた後ろめたさを忘れ、安らかになれる。
いや、もう私は安らいでしまったのであるから、あなたもまた安らかであれ。
そういう生者の心の健康のために、必要な作業ではないかと思わずにいられない。
人は解離する。人は健忘する。人は認知症になる。人は自分自身の記憶すら保ちえぬ。

凡人たる私の死を、死後、誰が憶えていようか。
三世代遡った曽祖父母八人の名前をすべて挙げられる人は少ない。
ましてや私に子孫はおらず、私は業績を残す気もない。
もとより私はやがて忘れられることを望んでいる。それが私の希望である。理想である。
この世界に私という存在などなかったかのように、跡形もなく消え去ることを願っている。
何も、世界が変わりはしないように、祈っている。
私の愛する人の中に、私の痕跡を残さず消えたい。
私の不在に嘆いて欲しくない。私の愛情はそういうものだ。

逆に、「私を憶えていよ」と要請するならば、それは私の苦しみを忘れて欲しくない場合だった。
私が苦しんだように、あなたも苦しめ、思い知れ、という要請である。それは恨みであるから、対象となる相手は既に味方ではなく敵になっていたのだと振り返る。
そういう非業さと番う復讐心が記憶を保持しようとする動力になるのならば、実感としてわかる気がする。
慰霊の儀式は、ある生者が、境界線の向こう側の生者を責める/攻める方法となる。憶えていろ、と叫び続ける手段になるからだ。
その声が届かない境界線の片側だけでは、非業を解消されない戦死者への後ろめたさを生者が感じ続けることは難しいんじゃないだろうか。
そのうちにきっと面倒になる。どうでもよくなる。許すことはなくとも忘れることならできる。
後ろめたさもまた忘れていることを非倫理的であると著者は表現するが、それはかえって健康的な有様な気がしないでもない。困った。

記銘すべき、想起すべき事柄は確かにあろう。繰り返してはならぬ悲劇の警句として、語り継がれるべきものがあるのだとは思う。
また、自分の記憶を歴史に刻んで置きたいと願う人も少なくはないだろう。その願いを持つ人は、忘却される人への後ろめたさをより強く感じるかもしれない。
だから、著者は忘れたくない人であると同時に、忘れられたくない人でもあるのだろう。

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