2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

« かのこちゃんとマドレーヌ夫人 | トップページ | やさしい竜の殺し方 memorial »

2010.02.18

勝間さん、努力で幸せになれますか

勝間さん、努力で幸せになれますか  勝間和代 香山リカ 2010 朝日新聞出版

どこがタイトル?と首を傾げた、表紙と帯。
勝間和代と香山リカの対談を書籍化したものである。
職場で回ってきた。自分では買わないだろうな、これ。

失礼を押して言い換えれば、できることを売りにしている女性と、できないことを売りにしている女性の対談。
勝間と香山では、当然、幸せの定義は異なるだろう。そう予想しながら読み始めて数ページ。
勝間の序文で既に、香山の旗色悪しと感じる。というのも、勝間は最初から香山の論を自分の主張の実現に必要なものであると組み込んでいる。
勝間も、香山も、どっちかに肩入れしているわけではないが、ちょっと圧倒的に差が目立たないか。
理詰めの理想論に対して、感覚に基づく体験論では、なかなか対等な議論になるわけがない。

途中から、勝間がベンジャミン・フランクリンに見えてきた。彼女の言葉は「しなくてはならいない」「すべきである」という表現が多い。読んでいるだけでも、息苦しくなった。
Time is money.という有名な言葉を残しているフランクリンは、治安改善のために図書館を作った人でもある。
彼は著書の中で13の徳目を挙げているが、節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、平静、純潔、謙譲と、勝間氏の好みにぴったりとあうんじゃないかな。
18世紀のプロテスタントの行動規範ならば、資本主義ともフィットしないわけがないはずだ。

勝間の幸せの定義とは、「先人や自分の経験を生かして、昨日より今日、今日より明日、私たちがこれまでできなかったことを一つずつ積み上げていくことです。(中略)さらに、この開発された自分の力を生かして、まわりの人がより楽しく生きられることに貢献し、喜んでもらうことが、自分の能力開発以上の至福になります」(p.6)。途中でも言い換えて整理しているが、第一に「他人に『ありがとう』と感謝される」ことであり、第二に「昨日できなかったことが今日できるようになる」ことである(p.128)。
「努力したから幸せになれると言っているわけではない」(p.43)と言いつつ、頑張っても報われないのは「頑張り方が悪い」「どうしても頑張っているということに対して満足してしまっている人が多い」(p.81)と述べて、「頑張らない」という選択肢を封じる。

また、本来的には「ありがとう」と言われるだけで満足するはずであるが、利他的行為を習慣付けることは教育が担える役割であり、学校や企業で他者からの評価を与えることによって利他的行為を持続可能なものにすると、勝間は述べている。
利他性を教育で陶冶しうるか。その際の行為の動機となるものはなにか。他者に利他を要請する根拠はなにか。
このあたりは、香山は勝間によく切り込んでいると思われた。
利他性の動機を他者からの評価に置き、習慣形成を目指すこと自体はなんらものめずらしくはない。「周り回って自分の特になるのだから人によいことをしなさい」という倫理だ。
功利主義であることが悪くはないが、それを優しさや思いやりとイコールにされてしまうのはわびしいなぁと思った。会社での仕事上の評価が上がるから他者に協力する、というのは、コールバーグでは6段階中の2段階目。道具的互恵、快楽主義の段階に過ぎない。

輪をかけて、勝間が自分が他者に感謝することはほとんど触れないことにさびしいなぁと思ってしまった。対談の展開上、出現していないだけであるかもしれないが、文中で勝間が他者が自分でしてくれたことで幸せを感じている対象は、自動掃除機ルンバ君ぐらいしか見当たらなかったと思う。
自分が他者のためにできることの第一歩は、他者から感謝を引き出すことではなくて、自分が他者に感謝することではないか。それこそ、他者に感謝される喜びを他者に与えること。
感謝される喜びを体験してこそ、その他者は、また違う他者に感謝されるような行為への動機を持つことができるのではないだろうか。
機会の均等というならば、努力の機会の均等だけでは不十分である。そして、システム上予想された評価を得られただけで、その人の人格陶冶に寄与するような説得力のある感謝の体験になりえるとは、私はあまり思わない。
感謝の双方向性を補わないと、満たされない承認欲求が見え隠れしたり、翻って、他者への優越感や支配欲が臭い立つ。バランスが悪くて、居心地が悪くなってしまうのだ。

香山も「自分が診察で会っている人」だけを根拠にするのではなく、もう少し論拠を用意して語り合ってもらったほうが実りがあったのではないか。勝間があまりにもぶれないので、香山が勝間をどうしたかったのか、もう少し作戦が欲しかった気がした。
自然と努力する人と努力がきらいな人との組み合わせだったわけであるから、次があるとするなら、違う方向に努力することを体験として知っている人として中村うさぎを勝間と組み合わせてみたらどうなるかな?と想像してみた。
……怖いかな。怖いかも。

幸せって、感じるものだと思う。味わうものだと思う。私自身が、それを感謝するものだと思っている。
努力して手に入れるものではなく、考えて形作るものでもなく、そこにあることを気づいて受け入れるもの。
気がつけば与えられていたものだったり、今その場で噛み締めるものだったり。
それは私の幸せであって、「普通の幸せ」とくくられるのは嫌だ。
私が今までもがいて、やっと味わえるようになったものだから、これは私だけのものだ。
だから、ほかの人は誰も同じように思わなくていい。ほかの人にもあるかもしれないよ、と話すことはあっても、こうせよ、と命じることはしたくない。
再現性なんてなくてもいい。幸せにマニュアルなんていらない。常に幸せを確認しなくては不安になるような弱さや幼さもいらない。
すべて過ぎ去り滅び行く時間の流れの中の一期一会であるからこそ、私は一瞬一瞬が愛しく幸せに思えるような気がしてならないから。

« かのこちゃんとマドレーヌ夫人 | トップページ | やさしい竜の殺し方 memorial »

エッセイ/ルポ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/183237/33427079

この記事へのトラックバック一覧です: 勝間さん、努力で幸せになれますか:

« かのこちゃんとマドレーヌ夫人 | トップページ | やさしい竜の殺し方 memorial »

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック