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香桑の近況

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2009年12月

2009.12.31

鉄錆廃園(1-4) 愛蔵版

買ったきっかけ:
学生時代に出会ってから、とても大事に思っていたファンタジーの一つ。
ビブロス社から出ていたものは6巻で未完になっていた。久しぶりに作者のHPを見ると、愛蔵版が販売された上に、完結しているとのこと。慌ててネットの本屋に走って購入。

感想:
ジェルソミーナの祖父って誰!? 最後の最後に謎が残った気がする。
もう読めないと思っていた物語の最後を読めて感無量です。終わってしまったことが寂しく感じもします。伝説のように、神話のように、終わりはあってなしでよい物語なのです。
それでも、数多くの登場人物たちが、それなりに幸せなところに落ち着いた日々が読めて幸せです。

おすすめポイント:
5つの古代王国。天の玉座と地の玉座。守護人に魔法使い、魔法剣士。人間の世界と魔界との生存をかけた戦い。
魅力的な登場人物に、魔法の匂いの満ちた舞台設定。複雑で多様、混沌として豊穣。異世界ファンタジーでありながら、冗長な説明をせずに、物語に引き込む力を持っています。読む人の数だけ物語が生まれそうな要素を詰め込みながら、決して破綻せずに、戦いの物語が紡がれているのです。
人と出会っては別れを繰り返しながら、世界にあり続ける意味をソダイが語るとき、これがようやく作者が得られた答えではないかと思いました。
しぶとくて力強い生命力を取り戻す、そういう再生の物語です。

愛蔵版 鉄錆廃園 (1) (WINGS COMICS)

著者:華不魅

愛蔵版 鉄錆廃園 (1) (WINGS COMICS)

愛蔵版 鉄錆廃園 (2) (WINGS COMICS)   愛蔵版 鉄錆廃園 (3) (WINGS COMICS)  愛蔵版 鉄錆廃園 (4) (WINGS COMICS)

ゼロ

買ったきっかけ:
デビューからしばらく好んで読んでいたマンガ家さん。救いがない物語も書くが、ユーモアのセンスもある人。この人のファンタジー作品は特に好きだったので、ネットの本屋さんで見つけた時につい、ぽちっと……。

感想:
やっぱり、この人のファンタジーはいいですねぇ。短いけど、たっぷりと浸ることができます。ファンタジーとしては王道の作品。
やや見づらい絵柄なのですが、表情たっぷりで人間味のあるキャラクター作りに、今回も魅力を感じました。

おすすめポイント:
嫁ぎ先の二の国で虐待されていた六の国の姫は帰国し、新たに四の国に嫁ぐ。運び屋と護衛の三人だけの旅。
余計な説明はなく、最低限に削ぎ落とした要素だけで、寓話的に物語を描く手腕は見事です。とても単行本1冊におさまっていることが不思議になる、世界と時間の奥行きがあります。

ゼロ (バーズコミックスデラックス)

著者:藤田 貴美

ゼロ (バーズコミックスデラックス)

2009.12.25

「イタい女」の作られ方:自意識過剰の姥皮地獄

「イタい女」の作られ方―自意識過剰の姥皮地獄 (集英社文庫)  中村うさぎ 2009 集英社文庫

頭のいい人だなぁ。というのが、最初の感想。
分離個体化とか投影同一視といった言葉を使わずに、個の成熟と、未成熟の病理について語ることができるのだから。
だから、できれば「自己愛性パーソナリティ障害」とか「解離性同一性障害」とか、疾患名も使わずに語って欲しかった気がする。
そんな病名に縛られずに彼女自身の理論を述べるほうが、ずっと説得力があるような気がするからだ。
著者が「我々」という主語を遣うところも、ちょっと苦手に感じたけれど。

「イタい女」は、自分自身の値踏みを間違えて勘違いしている女であると定義され、客観性の欠如によって特徴付けられる。
客観性を欠いたナルシシズムに陥らないための自己防衛システムが「ツッコミ小人」であり、弱点や欠点を他者に開示して長所を「姥皮」によって覆い隠す自虐の技術が横並びの関係を築くために必要となる。
面白いことだ。
David D. Burns『自分を愛する10日間プログラム:認知療法ワークブック』の中で、他者からの批判を無効化する最強の方法として、自分自身の欠点をユーモアとしてさらけだすことが示してあったと記憶する。

「姥皮」とは、まさに「敵を作らない」という無敵アイテムだと中村の知性は看破する。
そう言えば、『ハウルの動く城』の主人公にかけられた魔法も、一種の姥皮。

著者自身の見聞のみならず、各種プリンセス・ストーリーの分析を通じて、語っているところも面白い。白雪姫、姥皮、人魚姫、エヴァンゲリオン、イグアナの娘、愛すべき娘たち、あるいは、少女マンガ家と少年マンガ家の自画像の比較や、太宰治……。
また、女性の自虐に対して男性の小自慢を引っ張り出して比較するあたりの手際も見事だ。手厳しいが、その分の痛快さがある。
そのように攻撃的なまでに批判的な言説をふりまいていても、自分を安全な高みにおいて他者を睥睨するようなイタさには陥らぬよう、著者のツッコミ小人がフル稼働しているのが見えるようだ。
素材を様々に取り上げながらも、著者が自分自身の中のイタさを意識し続けるように、読み手としても自分の中のイタさをサーチしながら読むしかない。

私も早くその市場から降りたいと願う点において、恋愛市場的価値にある程度は右往左往させられている。出家という作法を借りることを、何度考えたことか。
「モテ」でも「愛され」でもなく、性暴力にあいやすいというのは、イタい。イタすぎる。
いい加減、ババア扱いにしてもらいたい。私の中に恋ができるほどの気力や体力は衰えた。そういう情熱が遠くなった気がしてならないのが現状だ。
人生を寄り添いあう契約を交わしたわけではないけれど、私を愛してくれる人たちがいる。これ以上、恋はいらないし、ましてや欲望はいらない。
私は、私という個を守るほうを選びたい。
だから、トラブルに遭った後に、この本を読んだのは正解だったと思う。一緒に男性の悪口を言っているような気分になれたから。少しは溜飲を下げるのに役立つ。たぶんにガールズ・トークのような読み心地だった。

それに、著者が陳腐なことと言いながらも書いている結論に、ほっとする。
恋と愛とを混同するところから閉塞して、疲弊している人には特に勧めてみたい。

 ***

「イタい人」というのは総じて「客観性に欠けている」と指摘したが、その「客観性の欠如」は「個の痛み」を自覚できないことから生じるのだ。「個」であるということは、自他の間に越えられない溝があるのを認めることであるから、これを自覚できない人が他人との距離感を測り間違えるのも無理はない。(中略)「個の自覚」とは「人間ひとりひとりが『個』であり、『個』とはすなわち『孤』なのである」という真実に気づくことだ。(pp.161-162)

いつもいつも恋をしている必要などない。ましてや、常に誰かから恋されている必要もない。人間に必要なのは「愛」だ。他者から理解され、大切にされてこそ、我々は自分の価値を実感できる。そして、自分も誰かを理解し大切にしたいと思うのだ。それは「恋」のような密室的な二者関係ではなく、複数の他者と広く関係を築ける感情だ。(p.193)

2009.12.24

グイン・サーガ(130):見知らぬ明日

見知らぬ明日―グイン・サーガ〈130〉 (ハヤカワ文庫JA)  栗本 薫 2009 ハヤカワ文庫

サブタイトルからして切なくなるなぁ。
明日を見知ることは決してできない。
明日が今日になるからではなく、決してその明日は来ないから。
誰も未来を見知らぬまま、物語は途絶える。

学生時代に友達から10巻ぐらいまでは借りて読んだ。
海外の異世界ファンタジーで読書癖を育てたような私は、はまりそうでいて、はまらないままになってしまった。
そのうち、有名ではあるが、最初から集めるには気が引けるような巻数になっていた。

途中はすっ飛ばして、この130巻だけを読んでみたのであるが、どの登場人物も大人になって、それぞれの立場を得ていることが感慨深かった。
親戚の子どもと久しぶりに会ったような気分だ。成長の詳細は知らなくても、成長したことを見て取ることはできる。そこに時間の流れを感じる。

と、同時に、全体に濃厚な死の気配が満ち溢れているのを感じた。台詞の一つ一つに、
たとえば、p.25のリンダの台詞。それに答えるモースの台詞は象徴的だ。既に死者の世界に身をおいた人が現世を見るような、そういう隔たりを感じさせる台詞である。
リンダ、ヴァレリウス、マルコといった人物達は、これまでとはまったく違うものが押し寄せてくる予感におののいている。影が差す。黒い波に飲み込まれそうだ。
そして、p.139からの最後の3ページは、病という得体の知れないものに身体を襲われた著者の入院生活を彷彿とする。
作者の死を知って読むから感じるのかもしれないが、なんとも言えない切ない気分になった。

著者とは価値観が違うんだろうなぁ。実は今回もそう思った。
面白いんだけど、文章も読みやすいんだけど、なんとなくキャラクターにのめりこめない。
相性の悪さと言えばよいだろうか。感覚的なことであるが、なにかがフィットしない。非常に残念だけど。
それでもなお、この物語の楽しさは感じるし、それぞれ複雑な背景や内面を持った人物達の人間臭さに魅力を感じるのも頷く。
型にはまらない彼らが、これからどんな未曾有の事態に巻き込まれていくのか。これまでに撒かれた謎は、どういった仕掛けになっていたのか。
この世界に何度も遊んだ人たちにとって、この喪失はたまらないものがあるだろう。

歴史を記述する時、記述には始まりと終わりがあるが、歴史には始まりも終わりもない。
だから、この在り様こそが、もしかしたら「サーガ」と名乗ることにふさわしいのかもしれない。

シアター!

シアター! (メディアワークス文庫)  有川浩 2009 メディアワークス文庫

にーちゃん萌えです。
司にーちゃんが好物です。

小劇団を舞台にしているというと、真っ先に思い浮かんだのが中山可穂『猫背の王子』などなど。
それから、大学時代に好きな劇団を追いかけていた友人の苦労話に見せかけた自慢話。
友人の話は横においておき、中山可穂の描く劇団や演劇は、経済的な苦労がつきまとう。
小劇団とは、理想と現実の狭間でついに立ち行かなくなるような、そういう悲劇が用意された設定である。

そういう中山さんの世界も大好きなのだが、有川浩の描く『シアター!』は、そういう小劇団の在り方に対して一石を投じる。
一石を投じることになるのが、鉄血宰相と渾名されることになる春川司。普通の会社員。無敵の営業スマイル。
司が、弟の巧が主宰する劇団に300万円を貸す羽目になるところから物語はスタートする。
貸したからには返してもらう。期限は二年間。返せないようなら、やめてしまえ。

何かを続けるためには、収支のバランスが大事になる。
収入に偏れば、周囲が疲弊したり、いらぬ嫉妬や侮蔑を招く。自分自身が満杯になることで動機がさがったり、爆発するかもしれない。
支出に偏れば、自分が磨り減って疲弊する。疲弊すれば抑うつになったり、意欲が減退する。周囲も支えきれなくなるかもしれない。
コストとメリットを見比べて、メリットが少しあるぐらいが望ましい。
これは何も商売に限ったことではなく、人間関係の維持についても同じようなことが言える。これを社会的交換理論と呼ぶ。

でも、人間関係になると、メリットというのは有形無形、多様であって一つではない。
その人と関わる喜び。その人が幸せである喜び。その人から認められる喜び。
愛される喜びだけではなく、愛する喜びがあって、簡単にコストで割り切れない。
なんか貧乏くじをひいているような気分になっても、見捨てられない。
特に、親兄弟になってくると、悲喜こもごも入り乱れてしょうがない。
しょうがないけれども縁が続くことから喜びだったりするから、振り回されても甘んじて受け容れるしかないような。
夫婦であっても同様で、名前も出てこない司&巧兄弟の母親の漢っぷりも読みどころの一つだろう。有川さんらしい、素晴らしい女性の造詣である。

そもそも、相手の幸せというのが難しい。相手が幸せならそれでいいのか。そのままでいいのか。違う幸せもあるのではないのか。見ている自分が辛くなるような、そんな幸せは本当に幸せなのか。
好きなことを楽しんでいる人の、地に足が着いていないような危うさを見守るしかない時の、歯噛みするような気持ち。
好きなことをやっている巧ではなく、司を主軸に据えたことで、「好きなことをする幸せ」に客観性が付与される構造になる。

コストが少し上回っていて、あともうちょっとでバランスが取れそうなところが、一番あきらめづらいのかもしれない。
ギャンブルがそうじゃないだろうか。あとうもうちょっとで元を取れる、あともうちょっとで成功する。そんな気持ちがあきらめるのを手遅れにさせる。
本人は盛り上がっているからそれでいいけれど、本当にそれでいいのか?
主観の世界で満足して閉じるのではなく、客観の世界に開く覚悟を決めさせる。
他者から見ても認められるぐらいのプロになれ。自称プロではなく、それで食っていけるだけのプロになれ。
現実を突きつけて水を差して覚悟を促す、損な役回りを果たすにーちゃんが、やっぱりかっこよかったりして、私は大好きだなぁ。

舞台を見るのは好きだが、演劇はあんまり見ないな。ミュージカルや歌舞伎、オペラのほうが、普通の台詞回しを聞き取るより楽だから。それに、小難しいものが苦手だから。
そういう意味では、カジュアルに楽しめるものの何が悪いの?と思う。娯楽なのだ。楽しめるものがいい。シリアスなものやシビアなものは、現実で十分に享受しているから、これ以上、あえて欲しいとは思わない。
仕事上、私の存在は虚構のようなものだし、演技することは当り前で重要な技術であるが、何かを作り上げることではないものなあ。
作り上げることを生業とする人への憧れも感じつつ、果たして二年後はどうなるか?を楽しみにして、本を閉じた。

……で、続きは?(笑)

2009.12.18

夏への扉 新訳版

夏への扉[新訳版]  ロバート・A・ハインライン
小尾美佐(訳) 2009 早川書房

こんな寒い日は、夏への扉を探したくなる。
猫のピートに倣って。

ハインラインの名作『夏への扉』は、ハヤカワ文庫から出版されて30年になる。
表紙からして、猫好きにはたまらない表紙。この後頭部に惹かれて購入して数年。
それから何度も何度も読み返した。何度目になっても最後まで一気に読み上げたい。
古典的なSFの傑作ではあるが、ただ単に幸せな気分になれる物語として大好きだ。
とはいえ、訳にいささか古さを感じないわけではない。その古さも味と言えば味なのだが……。

そう思っていたところ、新訳版が出版されたことを知った。
店頭で見つけて、ためらった末に購入。ためらいの理由は、あの猫の後頭部の表紙じゃないから。
猫らしく行儀よくお座りしている、新しい表紙の猫さんに「Nooow!」(今すぐ!)と促されて手に取った。
文庫よりもやや大きくなって、文字も見やすく、読みやすさは各段にあがっている。
もちろん、言葉遣いが現代的になり、そういう意味での読みやすさも増している。

物語の舞台は、1970年と2000年のアメリカだ。
主人公ダンは、二つの時代を行ったり来たりしながら、1度は失ったものを取り戻していく。
大好きな人を、大事なものを、あきらめちゃいけないよー、と励ますような、ファンタジーの醍醐味がいっぱい。

2009年という物語世界よりも未来になった今、この本を読むのは少し変な感じだ。
世界はよりよいものになっている。主人公が信じるとおりに、世界は果たして歩んでいるだろうか。
主人公よりも年上になってしまった所為か、主人公に素直に寄り添えなくなっている自分に気付いてしまった。
大事なものを大事にするためには、人は狡猾なまでに慎重にならないといけないことがあることを知っている自分は、同時に2009年がそれほど優しい世界ではないことも知っているのだ。私は最早、それほど優しくないし無邪気でもない。そして、未来を憂えている。
でも、だからこそ、あえて、こんな風に祈れたら素敵だろう。それを実現させようという気持ちを取り戻すために。

 200707011742000  ***

未来は過去よりよいものだ。悲観論者やロマンティストや、反主知主義者がいるにせよ、この世界は徐々によりよきものへと成長している、なぜなら、環境に心を砕く人間の精神というものが、この世界をよりよきものにしているからだ。両の手で……道具で……常識と科学と工業技術で。(p.345)

うちの猫さんも、いつも夏への扉を探しています。いつか行っちゃいそうで、その日が遠くないであろうことが切ないなぁ。

2009.12.07

彩雲国物語(19):暗き黄昏の宮

彩雲国物語  暗き黄昏の宮 (角川ビーンズ文庫)  雪乃紗衣 2009 角川ビーンズ文庫

最終章スタート。
というわけで、いろんな人が出てきます。
作者が忘れているんじゃないか?と疑っていたあの人も遂に出てきます。
どのぐらいかというと、登場人物の紹介が、見開き4ページにも及ぶという。

読めば読むほど、最初の巻から読み返したくなった。
一体、いつからどこからどれだけの伏線が引いてあったんだろう。
出てくる男性は美形ぞろいであるとか、思わず笑っちゃうような軽い文体とかにごまかされがちであるが、立派に大河もののハイファンタジー。

これまで全速力で走ってきた秀麗。疲れもするよね。
頑張ったら、疲れる。これはとても当たり前のこと。
疲れる人が悪いのではない。疲れることが悪いのでもない。
疲れは、頑張ったことの証左である。
だから、頑張るな、とは、言わない。
疲れたら休め。疲れが癒えたら、また頑張ればいい。
もしも、それが本当に自分のやりたいことであり、やるべきことであり、やれるようになりたいのであれば、やるしかない。

秀麗の前で恥ずかしくないように、男どもはもうちょっと頑張らなくちゃね。
大人の男性陣は璃桜以外はだいたい頑張っているんだけど、若手達がまだまだダメ。
特に、劉輝! 自分で播いた種は自分で刈り取る努力ぐらいはしなさい。
その恥ずかしさに気付いたのだったら、取り戻せるかもしれないから。
間に合ってほしいなぁ。

2009.12.06

コンビニたそがれ堂:奇跡の招待状

コンビニたそがれ堂 奇跡の招待状 (ピュアフル文庫 む 1-2)  村山早紀 2009 ピュアフル文庫

これはなんのいじめですかーっ!?というぐらい、号泣。
どんな地雷だ。なんの罠だーっ!?
温かな色合いのかわいらしいアイテムが並ぶ表紙。その雰囲気が、とても私の好み。
人からお借りした本だが、好感を持って表紙を開いた。

風早という架空の町には、不思議なコンビニがあるという。
大事なものを探している人は、ここで見つけることができるという。
私が読んだのは二冊目で、その不思議なコンビニと不思議な店主が、当然のように在る。
もしかしたら、一冊目から当然のように在ったのかもしれないが、断片的な情報以外に、そのコンビニのことはよくわからない。
もしかしたら、一冊目に説明があったのかもしれないけれども、よくわからないままで物語は十分に楽しむことができた。
だって、不思議なものはよくわからないものなのだから。

一話目は「雪うさぎの旅」。
ちょっと切ないけれども、微笑ましい。
子どもはいつも魔法の世界に生きている。
迷子になって心細かった子どもも、いつか成長していく。魔法に守られて。
導入部として、穏やかに読むことができる作品。

二話目は「人魚姫」。
いいな、と思った。
大事な人を失った。どんなに大きな喪失も乗り越えて、人は生きていく。
足踏みはしても、後戻りはできない。いつか前に進んでいく。進んでもいいんだ。そういうものなんだから。
その健康的なメッセージに好感を持ったのだ。だから、いいなって。人に勧めたいなって、思った。できれば、立ち止り、足踏みをしている若い人に。
それに、こういうRPGにたとえる感覚は、とても自分に似ている。馴染みがある。そんなところにも親近感を持った。

三話目は「魔法の振り子」。
やられた。それまでは余裕でさくさくと読んでいたのに、この話で涙が止まらなくなった。
大好きなホテルを思い浮かべながら読んだ。私もホテルステイが好きで、遠出するたびにホテル選びに時間をかける。好きなホテルはいくつもあるけど、雰囲気とイメージは長野の犀北館がぴったりかな。
待ち続け、書き続けた主人公の思いが、報われていく。それは主人公が望んだ形ではなかったかもしれないが、存在を認められ、慰められ、癒されていく。
魔法の振り子と聞くと、シュブリエルの振り子を連想したからか。気持ちも揺られ、右に左に振れる。
ちょうど、今が物語と同じクリスマスを前にした季節で、本の中と外が奇妙にシンクロしていたからもしれない。それとも、主人公の設定が自分を重ねやすかったからか。
切なくて、切なくて、切なくて、優しい。クリスマスはどちらかというとやさぐれてしまう私であるが、今年はもう少し優しい気持ちで人波を眺めたくなった。
最近、こういう話に弱いなぁ……。

四話目は「ねここや、ねここ」。
人を見守る人ならぬものたち。
普段は誰も気づかぬぐらいひっそりとして、でも、時には茶目っ気たっぷりに。
同じ街を舞台にして、作者は何冊もの本を書いているらしい。
きっと、どの物語にも、同じ優しい空気が流れているのではないだろうか。
機会があったら、ほかの本も読んでみたいな。そう思った。

職場の近所のコンビニでは流星ラムネは見つけられないかもしれないけれど、明日の昼ご飯はおいなりさんとおでんにしよう。そうしよう。

2009.12.03

魔法の使徒(上・下):最後の魔法使者1

魔法の使徒上 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫) 魔法の使徒下 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫)  マーセデス・ラッキー 細美瑤子(訳) 2009 創元推理文庫

うーん。BL……。
『天翔の矢』後書きで予告されていた薄幸の美少年ヴァニエルを主人公とする三部作のスタートだ。
エルスペス主人公の〈ヴァルデマールの風〉シリーズやタリア主人公の〈ヴァルデマールの使者〉シリーズでは、伝説となっていた最後の魔法使者。

主人公が男性なのも初だが、同性愛者なのも初じゃないかな。
今まではどちらかと言えば、不遇な生い立ちがあろうとも、そこにめげずに懸命に立ち向かおうとする女の子達が主人公だった。
素直になれない性格はケロウィンやエルスペスも持っていたが、ヴァニエルのいじけ具合もなかなかのもの。

不遇な家庭環境で育つ時、それでも保護者に気に入られようと子どもは努力する。
ケスリーだってそうだった。タリアだってそうだった。
父親の望むような、野蛮なまでに力強く、無謀なまでに勇敢な、脳みそまで筋肉でできているような息子には、ヴァニエルはなれない。
一族の中で、唯一、毛色の変わった子ども。詩を暗誦し、リュートを弾き、女性達からは欲望と羨望のまなざしで見つめられる美少年。その顔立ちまで、一族の中では異色なのだ。
何をしても、父親には気に入られない。かえって叱られるばかりの空回りの悪循環。
母親は甘やかしてくれるが、それはいつも的外れで、かえって兄弟達からの軽蔑や嫌悪も引き起こす。

無視されているわけでもない。でも、ヴァニエルらしさは無視されてきた。否認されてきた。拒絶されてきた。
作者が容赦ないなぁと思うのは、ヴァニエルがやっと出会った絆を奪い、再び孤独に陥れるからだ。
これだけの大きな剥奪体験をした心を、いかに癒すか。大事な人を自殺で失うときに、残された人にはとても大きな空虚という傷ができる。
その傷を傷跡にして、生き延びることが、ヴァニエルに与えられた試練だ。

すべて自分を傷つけるものから逃げ出して、孤独になろうとしてきた。
しかし、ヴァニエルは悟る。すねて、いじけていても、何も解決しない。
そういう悟りを得るために、賢くなるために、正しく頭を動かせるぐらいに冷静になるためには、静謐な孤独も役立つが、それまでだ。
二段階の喪失を経ることで描き出される、自立と成長。
人は一人では生きられず、求められたら応じずにはいられない。その心があるから、見ず知らずの誰かを愛していくこともできる。
自分以外の誰かを思いやれるようになった時、心は大人への成長の階梯を上るのだ。

孤独に育つヴァニエルが、産まれて初めて、無条件の愛に出会う上巻。
その生涯の絆を無残に失い、彼自身が自分自身の力で立ち上がる下巻。
この上下巻は、いわば伝説の前夜である。この少年が、どのようにして魔法使者として伝説になるのか。
果たして、本当に、伝説にふさわしい人物になり、伝説にふさわしい冒険をなしとげるのか。
期待が裏切られるんじゃないかとどうにも心配になるのは、ラッキーは詩人達に辛らつなことが多いからである。大丈夫かなぁ。

ファンタジーでありながら、生命の質感を感じる上質の物語。
訳者が変わったことで、少し違和感がないわけでもないが、続きを楽しみにする。

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