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2009.10.18

無差別殺人の精神分析

無差別殺人の精神分析 (新潮選書)  片田珠美 2009 新潮選書

どの事件も記憶にある。
凶悪な犯罪の報道は多く、報道はまた一層に喧しく、古いものを新しい情報で過去に押しやり、記憶を塗り替えていく。
それでも、深く記憶に刻み込まれて忘れられないほどのインパクトを残す事件もある。
この本で扱われている秋葉原無差別殺傷事件、池袋通り魔殺人事件、下関通り魔殺人事件、大阪教育大池田小事件、コロンバイン高校銃乱射事件、ヴァージニア工科大銃乱射事件のどれもが、印象に残っていた。
どれもが無差別大量殺人である。

大量殺人は「単発の事件として一つの場所で発生し、通常24時間以内に終了する」ものであり、連続殺人は「さまざまな場所で繰り返される事件として発生し、継続期間は、数日から、場合によって数年に及ぶことがある」と定義されるのだそうだ。(p.11)
著者が分析の対象とするのは、無差別に行われた大量殺人。先に読んだ小野不由美「落照の獄」で描かれていたのは連続殺人。
かれら殺人者の生育歴から事件当時の心理状態を、裁判資料や報道資料などをもとに再構成を図りつつ、レヴィンとフォックスという犯罪心理学者の理論に基づいて整理しつつ、分析を加えていく。
ここで用いられている「大量殺人の心理・社会的分析」のための、大量殺人を引き起こす6要因を引用しておく。

 (A)素因
    長期間にわたる欲求不満
    他責的傾向
 (B)促進要因
    破滅的な喪失
    外部のきっかけ
 (C)容易にする要因
    社会的、心理的な孤立
    大量破壊のための武器の入手(p.52)

なぜ無差別なのか。それを説明するのは投影や置き換え、投影同一視といった精神分析の概念である。
これらは内なる悪を受け止められない人の、自己を傷つきから守るための心理的な防衛機制である。私がこんなにも不幸であるのは、私が悪いのではなく、悪いのはあなたであり、彼らであると逆転させる。
これが他責的傾向であり、被害妄想になることもある。そして、悪いのはあくまでも相手であるからこそ、殺人者にとって自身の行為は正当な復讐にほかならない。したがって、反省や悔恨、悔悛が訪れるわけがなく、だからこそ彼らの気持が落ち込むこともない。

なぜ大量なのか。それを説明するのは誇大な万能感、過剰な自己愛といった概念である。
不幸でみじめな現実は仮のもの。本当の自分は素晴らしく、力強く、誇り高く、すべてに君臨すべきである。そんな空想が現実の中でへこみそうな自分を支えるために必要な時もあるが、その空想と現実の差があまりにも大きくなると破綻が訪れる。
自己愛が傷ついたとき、自我がその傷つきに耐えられないほど脆弱であるとき、世界への復讐を誓う。道連れにするものの大きさが、その人の見栄であり、せめても自己愛や万能感を満たすよすがである。

なぜ殺人なのか。自殺ではなく。
へたれだから、チキンだからと、個人的には言いたくなるが、著者の分析は違う。殺人者には、他責的傾向、他罰的傾向、妄想的傾向が高いために、悪いのは自分ではなく相手であるとすり替えやすいことを指摘する。
また、著者は殺人ではなく、拡大自殺であると言い換える。フロイトに引き戻り、そもそも自殺願望そのものが他者への攻撃性が相手に直接に向けられず、自分自身に反転したものであることを、読者に思い出させる。「自己懲罰という回り道を通って、もとの対象に復讐することができる」(pp.184-185)というフロイトの指摘は秀逸である。つまり、自殺はそもそもが自分を生み出した両親、自分を取り巻いてきた世界への復讐である。
個人的に付け加えるならば、自殺すべてをそう捉えるかどうかは別にして、そういう考え方を用いれば、彼らが一人で自殺するのではなく、世界を道連れにする殺人を選んだ理由がほの見えてくるというだけである。私は、うつ病者の自殺は、闘病の末に迎えた病の最終形態であり、病気の症状の一つであると考えているので、すべての自殺を他者への攻撃性の発露と考えるわけにはいかないからである。
とはいえ、たとえば、父母に対する憎しみを捨てられない人の自殺は、自らに流れる憎い人の血を振り絞るような行為であり、やはり、誰かに対する攻撃の変形と言われれば頷かないわけにはいかないところが悩ましいが。

また、精神科医らしく、精神分析家らしく、著者は殺人者たちの性愛をめぐる問題にも触れている。
ただ単に、殺人者がもてなかったり、女性を対象物扱いしかできずに継続的で安定した関係を築くのが難しかったり、自らの同性愛傾向を否認していたというような表層的な問題ではなく、そこに去勢不安を持ってくるところが、分析らしい。
エディプス・コンプレクスから、女性だけが幼少時に母親からの離反を体験している分だけ、対象喪失への耐性がある。つまり、男性の方が対象喪失への耐性が低い。
その上、「去勢不安ゆえに、男性は女性よりも自己愛の傷つきに過敏である」(p.190)からこそ、脅かされたときに強い怒りや攻撃性を示しやすい。
この二点から、大量殺人者は女性よりも男性が引き起こしやすいかも……という辺りは、にやにやしながら読んだ。著者は女性なんだもの。そんな風に傷つきやすい男性が身近にいるのかなぁ?なんて、連想してしまった。

どれもの事件で6要因が揃っていることを確認した上で、著者はそのどれかの要因を防ぐことはできなかったかを検証する。
そこから導き出された著者の結論には、分析の過程と異なり、いささか精彩が欠ける気がした。
なにしろ、これは避けがたい事態であったという再確認にほかならなかったのであるから。
どのような結論が描かれているか、それは各自で読んでもらいたいと思う。
処方箋の妙案なんてないよなぁ。安易な解決策も、絶対の予防策も、あるわけないのだ。

処方箋と言えば、SSRIと攻撃性の辺りも面白かった。
アメリカでの事例では、それぞれ前科から更正のトレーニングに付随して服薬していたり、もともと不適応を起こしやすくて治療歴を持っていた。
そんな診断になるのか、そういう治療プログラムを提供するのか、など、アメリカでの精神科医療やシステムの一端も垣間見えて興味深かった。
なんかいろいろ違うなぁ。いい意味で違うんじゃなくて、安易さを感じて納得できない感じがしたんだ。

それと、これは本書には関係しているわけではないが、「落照の獄」を読んでから考えさせられていることがある。それは、人に死を与えて反省しない人にふさわしい罰とは何か、ということ。死刑になりたいから死刑にしろ、という犯罪者にふさわしい罰とは何なのか。
私の発想はハンムラビ法典レベルであるが、どうやったら相応の苦しみを味わわせることができるというのだろうか。無理じゃないか。
この本を読んで、こうやって彼ら無差別な殺人者に対する予防策も処方箋もわからぬのが現状であるのなら、その予防策なり処方箋を探すための材料になってもらうことが、もしかしたら一番生産的なのかなぁ?と考えている。
彼らにはとても不本意であると思うが、世界や将来に寄与してもらうには、それしかないのかも、と考えている。

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